はじめて富士通に入社するウガンダ人

本当の話し。アフリカフェスティバルで、あるおじさまが隣の友人に話しかけてきました。

「あのウガンダの子ね、すごくえらいの。孤児で大学行けないから育英会で日本に呼んだんだけど、早稲田ですごい優秀な成績おさめたの。 六年前に空港に降り立った時から面倒見てるからかわいいんだ。黒人で初めて富士通に入社するんだよ。ヘンケンに負けないで頑張って欲しいよ。」

そばには息子夫婦とお孫さん達の大応援団がいました。日本とアフリカを超えた絆がありました。思わず目から涙がポロポロ…

「小学校さえ行きづらい私たちにとって、大学など夢のまた夢。」実際これまで高校を卒業したエイズ遺児は村でたった1人だったそうです。学校へ行く諦めていたところに出会ったのが育英会の支援制度だったそうです。

エイズで親をなくしたウガンダの子たちが対象で、今や京大の医学部で勉強中の人もいるとか。彼ら・彼女たちの奮闘でたくさんのウガンダの子たちが日本への留学を希望しているそうです。

みんながんばれ!!!

Uganda April 2007 014

200億円以上の寄付を集めた伝説のファンドレーザー・リンツイスト

200億円(2億ドル)以上の寄付を集めた(!)伝説のファンドレーザーがいます。

リンツイスト(Lynne Twist)さんです。彼女は、飢餓で人間が死んでいくさまを目の当たりにし、マザーテレサのもとで働き、その体験から寄付集めを始めます。

そんな彼女が、衝撃を受けたことがありました。70年代のエチオピアの飢餓で資金集めに関わった後、そこで目撃したのは、自分たちの自立心を投げ出してしまった「助けが来るのをただ待っている人達」だったからです。「助ける人」と「助けが必要な人」の構図がつくられてました。「助けが必要な人」を演じる方が楽だと学んだ人たちがいて、飢えた赤ちゃんを掲げてアピールする人さえいたそうです。

それ以来、彼女は時には寄付を「お断り」することもあるそうです。例えば、イメージ回復のために寄付を使おうとしていたあるCEOからの5万ドルの寄付の申し出がそうでした。

別の言い方をすると、金額よりもそのお金が「お互いさま」という気持ちで差し出されたものかどうかが大切だと。ハーレムの貧しい黒人女性たちが洗濯をして一日やっと稼いだ25ドルを寄付してくれたことがあったそうです。そのお金はとても価値があったとリンは言います。

彼女の本を読んだ時、自分がはまっていた「間違い」に気づいてしまいました。。。(たぶん、多くの『援助機関』も。。。)

エチオピアやバングラデシュの人達はけっして「貧しい人」ではない ー と。おかれている環境が「貧しい」だけで、彼らは、紛争や飢餓で家族を亡くしても、洪水で家も全てを流されても何度も何度も立ち上がる「強い人達」なんだと。

たしかに!例えば、スーダンの人たちはとても強い人です。

リンが言ったこと。「私たちは世界の現状を受け止められるだけ心の器を大きくする必要があります。」

自分にとって何が大切かを表現する手段としてのお金。3.11で拡がりはじめた寄付文化。誰に払うか、どんな思いで払うのか・支援するのか、もっと意識したいと思いました。

スリランカ内戦の当事者と話しをしたら (2)

スリランカに仕事でスリランカ軍への国連の平和維持活動に関するトレーニングの仕事で行った時のことです。トレーニングの一環としてスリランカ軍の人たちと「和解」について考える機会がありました。「もう戦争はたくさん」「なんで自分の家族が?」「この内戦にはどんな意味があったのか?」「なんでこんな戦争を許してしまったのか?」「『制圧』は正しかったのか?」

シンハラ人もタミル人も、政府も軍もLTTE(タミル解放戦線)も、それぞれに苦しみがあり、もう二度と内戦には戻りたくないという共通した思いを強く感じたからです。

そのうち、スリランカの経験について学んでいたと思っていたのに、日本のことについて学んでいたかも知れないことに気づきました。スリランカの人たちが体験していることは、日本とアメリカにも当てはまるのではないか? ー と。

その時のチームは、アメリカ人、カナダ人、マレーシア人と日本人の私という構成でしたが、アメリカ人の同僚が言いました。

「戦争って『勝つ』方も本当の意味での勝者じゃないよね。アメリカでこんなこと言う人は少ないけど、原爆の投下ってアメリカにとって『勝利』とは思えないんだ。戦争に『勝者』っていないと思う。」

「まあ、僕たちの国は昔大きな戦争をしたけどさ、今こうやって日本人のChikaとアメリカ人の僕が一緒に、世界の平和のためのトレーニングの講師を務めているんだから世の中少しは進んでいるよね」と。

彼と勝手に「同志」のような繋がりを感じながら、私も大きく頷いていました。

トレーニングは、このようなメッセージで終わりました。

「スリランカではまだ軍隊は必要ですか?内戦が終わった今軍隊の目的はなんですか?例えば、インドとパキスタンの仲裁など地域の平和に役に立つこともできます。国連の平和維持活動に参加することもできます。戦争をした国だからこそ平和の大切さを示すという選択もあります。」

戦争を体験した国だからこそ世界に伝えられる価値というものを改めて思いました。

スリランカ内戦の当事者と話しをしたら(1)

スリランカに軍のトレーニングの仕事で行ったことがあります。スリランカでは長い間、シンハラ人とタミル人の間で内戦があり、当時、スリランカ軍と言えば、内戦を「制圧」した際に何千人もの一般市民を犠牲にすることをゆるしたとして、人権団体や国連の人権委員会などから批判を受けている対象でした。

内戦の終結から2年が経っていましたが、ちょうど、スリランカの人たちが戦争の傷に向き合い始めた時期と重なっていたようです。

「もう戦争はたくさん」「なんで自分の家族が?」「この内戦にはどんな意味があったのか?」「なんでこんな戦争を許してしまったのか?」「『制圧』は正しかったのか?」ー

シンハラ人もタミル人も、政府も軍もLTTE(タミル解放戦線)も、それぞれに苦しみがあるのを感じました。同時に、もう二度と内戦には戻りたくないという共通した思いも強く感じました。

そんな環境にいたので、私は気づいたら「どうしたら人は和解に向かえるのか」と考えていました。内戦を「制圧した」と批判されていた軍ではありましたが、研修で彼らと過ごすうちに、「彼らも和解に向かいたいのではないか?」と感じ、彼らと一緒に和解について考えてみようと決めました。

もしあなたが国連要員として、とある紛争が終わったばかりの国(架空の国)に派遣されたら?という想定で、南スーダンの事例を少しアレンジすることにしました。架空の国という文脈を使うことで、より軽く自由に発想ができるようになる効果があります。

「被害者」は加害者に事実を認めて欲しい、どんな影響があったのか理解して欲しいと望み、「加害者」は、被害者に対面するのが怖く、やはり「加害者」の傷を理解して欲しいと望みます。「両方が傷を負うという意味においては、両方ともが被害者なのです」ーそのような話しをしたと思います。

彼らの中には内戦の前線で重傷を負ったり、仲間を殺された人もいたのですが、彼らの中にさえ(だからこそ)「相手を赦したい」「和解・平和を選びたい」という思いがあるのをはっきりと感じました。

そのトレーニングには、スリランカ軍の訓練センターのセンター長の大佐の方も参加してくれていたのですが、そのテーマの後、その方が私に伝えてくれました。

「私は自分の目の前で部下を何人も殺されたのだけれども、タミールタイガーを赦したいと思っている。自分が楽になるためにはそれが必要だと感じるから。」

戦争に「勝者」はいないと思いました。

そのうち、スリランカの経験について学んでいたと思っていたのに、日本のことについて学んでいたかも知れないことに気づきました。。。スリランカを通して学ぶ日本のこと(2)に続く

南スーダンが世界に教えられること(3)

世界で一番新しい国の一番新しい大学の生徒に書いてもらったエッセイが手元にあります。住民投票で独立が決まって間もない2011年1月だったので、自然と独立に関連したものになりました。

「『南スーダン』が『スーダン』の体験から学び、新しい国の国づくりに活かすことは何ですか?」「部族化を超えて国をまとめるものは何ですか?」「南スーダンのビジョンは何ですか?そのためのあなたの役割は何ですか?」「独立が決まったばかりの南スーダンが世界に教えられることは何ですか?」その中からテーマを自由に選んでもらいました。

南スーダンの人たちが望んでいることはとてもシンプルなこと ー 彼らの想いが、独立後内紛を始めた南スーダンのリーダー達に届くことをを願います。

米米米

私は今の南スーダンにとって一番必要なのは教育だと思います。なぜなら、教育を受けることで農村に住む人にも街に住む人にも礼儀正しく接することができるからです。礼儀正しく接するということは、違う考えを持っている人たちを理解するということです。相手を理解することができれば、部族の間の争いも無くなると思います。そうすることで、南スーダンは世界の様々な活動に参加できるようになると思います。

米米米

私が望むのは、全ての子どもたちが学校へ行けるようになることです。全ての子ども達が学校へ行けるようになるので、字が読めない人・書けない人がいなくなります。それによって全員が社会に役に立てることをみつけます。教育は特に女の子にとって重要だと思います。なぜなら、女の子が平等に扱われるための手段だからです。学校へ行くと悪い影響があると考える親たちがいますが、それは間違った考えだと思います。私はそのような偏見をなくしたいです。

米米米

私は農業を拡げたいです。たくさんの物資を輸入している南スーダンですが、もっと肥沃な土地がを活用して、農業を輸出資源とすることができると思います。

米米米

私は教育が南スーダンをまとめる鍵だと思います。教育があれば、理解が生まれます。教育があると民主的な制度ができます。民主的な制度があると、誰かが抑圧されたり搾取されたりすることがなくなります。汚職もなくなります。新しい国では誰もが平等に扱われるようにしたいです。

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南スーダンが世界に教えられること(2)

世界で一番新しい国の一番新しい大学の生徒に書いてもらったエッセイが手元にあります。南スーダン人のジョンボスコさんが私財を投じ開講した大学、South Sudan University of Science and Technologyの生徒さんです。

「新しい国に役に立てる人になるために教育を受けたい」「学校へ行ってから死にたい」という人達に教育を届けたいという想いで大学が開かれました。そんな彼の意気込みに感化され、小さな奨学金を設けることになり、エッセイを書いてもらったら、思った以上の力作が集まりました。

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(写真上)ウガンダから屋根などの地道に資材を運びようやく第一段の校舎が完成。(写真右)大学開設に奮闘中のジョンボスコ

住民投票で独立が決まって間もない2011年1月だったので、独立に関連したものになりました。「『南スーダン』が『スーダン』の体験から学び、新しい国の国づくりに活かすことは何ですか?」「新しい国をまとめるのに必要なことは何ですか?」「南スーダンのビジョンは何ですか?そのためのあなたの役割は何ですか?」「独立が決まったばかりの南スーダンが世界に教えられることは何ですか?」これらのテーマの内から自由に一つを選んでもらいました。

国をまとめる原動力になるものは何か?暴力の連鎖を断ち切るものは何か?何が人々を和解に向かわせることになるのか?紛争地で仕事をしてきた私自身一緒にヒントを考えたいという想いでした。

南スーダンは2011年7月の独立を経て、2013年12月以来、再び政情不安が起きていますが、今読み返してみると、これらのエッセイに書かれていることに驚きます。南スーダンの人はまさに今の状況で何が大切なのかを十分に知っている、と感じます。

米米米

住民投票の日には一票を投じるために並ぶ人の長い列ができていました。何時間もかかりましたが自分の順番を待ち続けました。すぐ暴力に訴えると言われる南スーダンの人たちですが、脅しも暴動も全くありませんでした。とても平和な雰囲気の中で投票が行われました。それは、差別ではなく平等に扱われること、争いではなく平和を選ぶという意思表示でした。長年の願いが叶った瞬間でした。誰も私たちの尊厳を奪うことはできません。

私たちは植民地と独裁政権を体験をしたからこそ、平等に扱われることの価値を知っています。だからこそ、民主的な国を作ることができます。

私たちは長年の「敵」であったスーダン共和国と最高の友好関係を築きます。私たちは国際連合の加盟国となりその友好の精神を国際社会に伝えます。それが、わたしたち南スーダンが「世界へ教えられること」です。

軍隊の人たちが目を輝かせた瞬間

国連の平和維持活動に関わることのユニークな体験の一つは、軍人の人達と一緒に働くということだったかも知れません。南スーダンにいた時には、30カ国以上の軍人の人達と日常的に接していました。一緒に情報収集をしたり、計画をたてたりとお互いが必要になるのです。

そんな私ですが、最初は「軍人」に対する偏見がかなりありました。究極のヒエラルキー組織である軍隊を相手に、最初はどの階級がどの順番に偉いのかさっぱり分かりませんでした。。。

彼らと一緒に働く中で「軍人」という人に対する偏見はかなり溶けたものの、軍人という人たちをようやく少し理解できたと思えたのは、個人専門家としてアジアや中東の国の軍隊に対して国連PKOに関するトレーニングの講師を努めていた時でした。

「みなさんは国連の精神を示しに行くのです。みなさんの行動一つ一つが国連の信頼に関わります。」国連要員としての心構えを教えることが大きな目標の一つでした。住民の人たちから見れば、軍人の人達も私たちのような文民も同じ国連の要員だからです。

それには、今までとは「真逆なこと」を実践するということも含まれました。
例えば、今までは「敵を倒す」ことを訓練されてきたのに、国連PKOの現場では「敵」は存在しない、と言われます。
相手が「武装勢力」や暴徒であっても、彼らは敵ではなく話し合いをする相手だからです。

まず交渉すること、
武器は最後の最後の手段として正当防衛にのみ使用すること、
ただし一般住民を保護する時には使ってよいこと、
住民への暴力を防ぐために積極的に行動すること、
人権を尊重することなどが、求められます。

住民役の人たちを雇って、具体的なシーンを再現した本格的な演習も行いました。身体が反応してしまうのか、発砲音を聞いたら自動的に「敵」を追いかけてしまうということもありました。

「その判断をしたのは何でですか?」
「みなさんは地域の住民の人にとってどう映りますか?」
「紛争を『予防』するために何をしますか?」
「みなさんは軍隊のスキルを人を助けるために使うことができます」

住民の人達と向き合う時の姿勢、情報収集のためのコミュニケーションのし方、紛争を「予防」するというあり方にまで注意を向けました。
内容が内容なだけに全員が必死です。

この経験は、私にとって軍人という人たちの視点や体験を理解する貴重な機会になりました。自分自身の安全を保ちながら住民を保護するという仕事は、相当な精神力と技術的な鍛錬が求められるということ、そのプレッシャーの大きさを実感しました。面白いことに、こちらが相手を理解し始めると、それが相手にも伝わるのか、トレーニング中にいろんな人が私に話しかけてきてくれました。

「今まで人を倒す戦術しか習って来なかった。初めて国連の理念に触れることができて嬉しい。」(モンゴル軍オフィサー)
「僕は2回目のイラク派遣で、ようやく『敵』も人間だって気づいたんだ負傷したイラク兵を病院に運んだよ。僕たちはたとえ戦闘中だって敵を人間として扱うべきなんだ。」と米軍の同僚がバングラデシュ軍を相手に語り始めました。
「ネパール軍に戻ったらこんなこと言えないけど、僕はずっと『反政府勢力』ともっと対話をするべきだって思ってたんだ。」(オフィサー)
「軍隊にいて長年葛藤があったけど、『人間』らしくあることを自分に求めていいんだって思えた。」(バングラデシュ軍オフィサー)

実際、軍人の人たちがそのスキルを人を助けるために使える場があると発見する時、人が変わったように生き生きし始める瞬間を現場でたくさん見てきました。私が彼らのことを知りもせず、見たいように見ていたら、そんな会話は成り立たなかったかも知れない。。。人間というのはその人がどんな職業をしていたとしても人にどう思われていようとも、究極的には誰でも人の役に立ちたいと思ってる、彼らはそんなことを教えてくれたように思います。

男性がもっと女性のような発想をしたら?というアンケート

バングラデシュに尊敬する友人がいます。2021年までにバングラデシュの貧困をなくそうという「Vision2021」の活動をしている素敵な女性です。その友人より嬉しいニュースがありました。

働く女性がまだ圧倒的に少ないバングラデシュで、娘さんが通う高校のクラスでは働くママはたった2人しかいなかったため、娘さんは周りから「かわいそう」と言われ、一時は元気もなく成績も悪かったそうです。

彼女は「だからあそこの家は成績が悪い」と言わるののだけは絶対に嫌で、「女性が働くことはよい影響をもたらす」ことを証明しようと決めたそうです。旦那さんとも娘さんとも毎日話しをする時間をとり、職場や女性支援の現場にも連れていって、一生懸命なママの「姿」を見せ続けたそうです。彼女自身、農村生まれながらはじめて大学へ行った女性の一人で、独学で英語も身につけ、今の仕事をしている人ですから、教育の価値を身にしみて知っているのでしょう。

嬉しいニュースとは、その娘さんが高校卒業試験で優秀な成績を収め、これから大学に進学することになったというニュースです。大学に進学できるのは全試験受験者の6%位で、女性だとさらに少ないそうですから、彼女の娘さんが大学へ進学することの大きさが分かります。

女性の就業率、就労率、富裕度が高まるとその国の生活水準も向上することが、多くの研究によって示されています。また、こんなアンケートがあります。「男性がもっと女性のような発想をしたら、世界は好ましい方向に変わると思いますか?」これに対して、世界平均で66パーセントの男性がイエスと回答し、日本では79%、フランスとブラジルでは76%、ドイツでは70%の男性がイエスと答えているそうです。

こんなエピソードもあります。イスラエルのペレス大統領がオバマ大統領から「何が中東の民主主義と和平を妨げているのですか?」と質問された時、ペレス大統領は「男どもです」と答えたのだそうです。ペレス大統領の「男どもです」という意味は、「他者を排除して、力による攻撃にものを言わせようとする人たち」という意味だったそうです。

そして、「アラブの女性たちとユダヤの女性たちが対話をすれば、短期間に和平が実現するだろう」とも言ったそうです。大切にする必要があるとは思いますが、思わず頷いてしまう興味深いコメントだと思いました。

携帯電話が途上国で意味すること

携帯電話のノキアがインドの字が読めない層をターゲットに携帯電話をデザインしたものの、字が読めない人だと見られるのが嫌だったからだったので、その製品はほとんど売れなかったというエピソードがあります。

日本は素晴らしい携帯電話端末を作っているのに、なぜグローバルに売れないのか、という問いにもつながります。

逆に、その国の人たちの体験を理解することで新しい製品の開発に成功した事例もあります。パナソニックのミャンマー支店長の方が、ミャンマーで初めて電気のない村を見学した時の経験が、新しい製品の開発につながったというエピソードです。

彼は、だんだんと日が暮れていく「暗さ」を実際に体験ながら、それでも、ろうそくで勉強する男の子の一生懸命さを目のあたりにしたり、「今まで日が暮れるとやることはなかったけど、携帯が電話ができて友だちとおしゃべりができるようになってとても嬉しい。けれども、携帯電話を充電するためだけに隣町まで30分かけて歩かなければならないの」という女性の悩みを聞きます。

ミャンマーのような国では、携帯電話が外の世界と繋がる唯一の手段ですから、病人が出た時などのライフラインであるなど、携帯電話の重要性はさらに大きいのです。

そこで、彼は、携帯電話も充電できるソーラーランタン(電灯)を開発することを決意します。ミャンマーの人たちが買える値段にするために、開発チームを協議を重ね、国内向けの家電開発とは逆に、機能をできるだけ削ぎ落としたシンプルな製品にします。その製品がその村に届けられた時、女性や男の子はとても嬉しそうな顔をしていました。

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世界の課題を思うとき、シンプルな技術で解決されそうなものが沢山あります。問題の一つは、世界で流通している製品のほとんどが先進国に住む人たちの視点で設計されているということです。最近は、Technology for the other 99という、途上国の人たちの視点でデザインを見直してみようという動きがあって、実際、シンプルな技術で途上国の長年の課題が解決されていくイノベーションが起きています。

ます「知ろうとする」ことから。彼らの生活を観察すること、彼らに聞いてみることから。そこから大きな一歩が進みそうです。

インドの字が読めない層にデザインした携帯電話は売れたか・売れなかったか?

バングラデシュの友人と一緒にダッカの博物館に行った時のことです。

バングラデシュ人の友人に聞きました。

「トイレ行かないの?」

ここで行っておかないと、今度はいつ行けるか分からないから位の軽い意味でした。

「わたしは大丈夫。バングラデシュの女性は8時間くらいトイレに行かなくても大丈夫なように訓練されているから」

「???」

「バングラデシュではね、トイレが整備されてないのよ。だからバスに乗って地方に行く時などは、水もなるべく飲まないようにするの」

えっ??!!!この、暑い中で??!!

多少なりとも途上国のことを知っていると思っていた私でしたが、ワタシ何も知りませんでした。。。

ましてや出張で5週間もバングラデシュに滞在した後の出来事です。

その時滞在していたバングラデシュ軍の研修施設には女性用のトイレは一つしかありませんでしたが、女性用トイレは存在しました。

表面的に見えること、見えないことは何で、なんでそうなっているのか?その国にいても「ただいる」だけでは気づかないことはたくさんあります。

その件以来、わたしのバングラデシュを見る視点は変わってしまいました。「ここにはトイレはありますか?」「女性はどうしているんですか?」その答えにまたびっくりしました。

意識的に「観察」し始めると、同じ国にいてもまったく見えてくるものが変わります。

ノキアがインドの字が読めない層をターゲットに携帯電話をデザインしたものの、当事者たちは字が読めない人というレッテルを貼られるが嫌で、他の人と同じように扱われたかったので結局その製品は売れなかったそうです。

しかも、同じ商品でもそれぞれの国で「意味」が違うこともある。「実際にその国でその商品はどう使われていて、どんな意味を持つのか?を理解するのが大切」と世界的なデザインリサーチャー、Jan Chipchase(ヤン・チップチェイス)は言ってます。

ソーシャルビジネス、Technology for the other 99など、ビジネスと社会的課題の解決が融合していく中で、途上国で暮らしている人たちが日々直面している課題はいったい何なのか???

この問いに対する深い洞察がますます重要になっていると感じています。