ウィーンフィルのバイオリニストは5年間毎年東北を訪れて何を感じたのか?「東北」と「世界」が会って生まれたもの

3.11から丸7年が経ちました。

 

3.11の風化の懸念や福島の問題が未だに根本的な解決が見えないことが残念ですが、

その時の体験や心の深い部分で私たちにいろいろな意味で転換を促した感覚は、まだ確実に心の中に残っていると思います。

 

そして、3.11は「日本人」にだけ特別な意味を持つ出来事ではありません。

 

3.11では海外から合計1640億円もの支援金が寄せられ、同年緊急人道支援を受けたソマリアの713億円の2倍以上で短期間における支援額ではダントツで世界一位でした。

 

そして、支援金だけでなく、多くの人が支援に関わりましたが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ウィーンフィル)が震災後の5年間、毎年東北を訪問し続けていたことはあまり知られていません。

 

ウィーンフィルといえば、元旦に行われるニューイヤーコンサートが世界40カ国に同時中継される言わずも知れた世界最高峰のオーケストラです。

 

ウィーンフィルは、震災以降、5年間東北を訪れ、これまで計42人の団員が宮城県仙台市・岩沼市、岩手県山田 町、福島県郡山市・南相馬市で演奏活動を行い、中高生に音楽を教えてきました。

 

130D 734_small.jpg

 

138I 374-A_small.jpg

岩手県の浄土ヶ浜などで、鎮魂のための献奏も行ってきました。

 

その中の一人であるバイオリニスト、ダニエル・フロシャウワーは、過密なスケジュールにもかかわらず、5年間毎年続けて東北を訪れ、中高生に音楽を教えてきました。

 

彼は東北を訪れて何を感じたのでしょうか?

彼を毎年東北に足を運ばせたのは何だったのでしょうか?

そして地元との出会いは何を生みつつあるのでしょうか?

 

私は、それをどうしても彼の口から直接聞きたいと思い、取材を申し込み、2016年10月16日東京赤坂のサントリーホールに向かいました。

 

フロシャウワー音楽指導.jpg

⬆️ 東北の学生たちに音楽指導をするウィーン・フィルのバイオリン奏者フロシャウワー(中央)(写真提供: SUNTORY HALL)

 

 

2016年10月16日、サントリーホールでは、「こどもたちのためのコンサート特別公演」が開催されていました。

 

これは被災3県の中高校生が、ウィーン・フィルと共演する夢の舞台です。

5年間の集大成の日です。

 

ウィーンフィルのメンバーを含め、その日の舞台をまとめるコンサート・ミストレスは15歳の高校一年生でした。小学校5年生のときに震災に遭いましたが、それでもバイオリンを続けたいという想いが強く、ウィーンフィルが東北を訪れるのを知ったときにはすごく嬉しかったそうです。

 

その彼女の隣には、彼女が送る合図にぴったりと意識を合わせ、あたかも全身で彼女をサポートするかのようなバイオリニストの姿がありました。

 

それがフロシャウワーでした。

 

彼の真剣な様子から、弱冠15歳のコンサート・ミストレスを一人前の奏者として、そして、共にステージを創り出す仲間として尊重しているのが客席にまで伝わってきました。震災に遭った体験を経て、すっとこの日のために音楽を練習してきた彼女を始め、今日のこの日を迎えステージに立つ中高生全員の勇気をたたえているようでした。

 

 

私はその四日前にも、ウィーンフィルの演奏を聴いていました。世界的指揮者ズービン・メータを迎えての公演は、それはそれは素晴らしいものでした。

 

同時に、私の目の前には、その日にも劣らないくらい懸命に、いや、もしかしたらそれ以上の力で演奏するフロシャウワーの姿があり、私は彼の演奏にどんどん引き込まれていきました。

 

 

演奏後、フロシャウワーにインタビューをする機会を得た私が、「四日前の記念公演とも変わらないくらい、またはそれ以上の渾身の演奏でしたね」と伝えると、即答がありました。

 

 

「当然です。世界的指揮者とでも中学生とでも、演奏家は常に全力で演奏するものです。

私は町民の半分が津波で流された町(山田町)で演奏した日のことを、いまでもはっきりと覚えています。そのとき、自分の音楽が誰かの役に立ったと感じることができたのは音楽家にとって大きな喜びでした。

 

それは、音楽家にとってとても光栄なことです。」

 

「それに」といって、彼はニコッと笑いながら最後にこう付け加えました。

 

「ウィーン・フィルは伝統を重んじるオーケストラですから、たとえばモーツアルトを演奏するとしたら、その伝統的な解釈に準じます。

 

でも、東北の中高生の奏でるモーツアルトは、『ああ、こんなモーツアルトがあるんだ』と私を新鮮な気持ちにさせてくれました。だからこれはWin-Winの関係なんですよ」

 

舞台上で見せる「神々しい音楽家」とはちょっと違う、人間としてのフロシャウワーに触れ、私は彼の言葉を理屈を超えて理解できた気がしました。

 

 

ウィーンフィルフルート奏者

⬆️ 特別公演でソロ演奏をしたフルート奏者ディータ・フルーリーに質問をする学生。「どうしたらあんなに透き通った音色を出せるんですか?」「自分の出したい音を想像するんだ。そしてそれを技術や呼吸、自分の持っている全部を使って表現する。その音に近づくために一生練習し続けるんだよ」

 

アフリカには、「人は人を通じて人となる」という格言があります。

 

人は誰もが誰かの役に立ちたいと願う生き物。

人は、他者の存在を通じて自分を知ります。

人の役に立ったと思ったときに、自分の想いや能力、存在意義を発見したり、再確認します。

人の才能も能力も、それを必要としてくれる人がいて成立するとも言えます。

 

私自身、南スーダンなどの紛争地で働いていた時、困難を乗り越えようとする人たちを目の前にしていたからこそ、「私もベストを尽くそう」と、自分の力を「引き出して」もらったと感じたことは何度もありました。

 

では、最後に、東北の中高生は何を感じ学んだのでしょうか?

 

ベートーベンの第九の合唱を一生懸命に練習してきたという福島の女子中学生に、今回の体験を通じて学んだことについて聞くと、こんなことを言ってもいいのかなと、一瞬周りの顔を探るように見渡した後で、こう伝えてくれました。

 

 

「合わせるのは大切だけど『自分』を出すことです」と。

 

 

「世界」との交わりは、世界という「鏡」を通じて「自分」をより浮き彫りにするのでしょう。

 

 

「世界」が東北を知り、東北も「世界」を知る。

そして「世界」を通じて自分を知る。

東北と世界との間で生まれ始めた化学反応。

 

中高生と合同でコンサートをしたのは世界の中でも東北が初めてだったというウィーンフィル。

インタビューをした団員全員が東北への訪問をそして中高生とのコンサートを「満たされる体験だった」と語ってくれました。

 

 

震災による被害や、高齢化や過疎化、人口減少などといった「課題先進国」と呼ばれる東北の問題を決して軽く捉えているわけではありません。でも、震災を経て生まれたものもあるように感じました。

 

 

東北と世界とのつながりがさらに強くより大きく広がっていって欲しいと願っています。

 

ウィーンフィルと中高生.jpg

⬆️ 特別公演後、ウィーンフィルメンバーと中高生との記念撮影。

(写真提供: SUNTORY HALL)

広告

日本で3.11に遭遇『音楽家としての使命』を果たすことができずに日本を離れ、2年後 「やり残した仕事」を完遂したBBC交響楽団の贈り物

明日は3.11。

3.11になると思い出す「贈り物」があります。

BBCフィルが3.11の2年後、東日本大震災のための鎮魂のレクイエムを演奏です。

指揮棒が振りおろされた瞬間から涙があふれてくる素晴らしいコンサートでした。

 

それはBBCフィルにとっても特別な体験でした。

 

なぜなら、2011年3月11日、BBCフィルは日本公演のために日本を訪れていて、京都での公演を終え、次の公演地である横浜みなとみらいホールに向かってバスにのっている途中で東日本大震災に遭遇したからです。

 

津波の規模もわからず、なによりフクシマの影響や真相がわからない中で情報は交錯し、空港も封鎖される中で英国で待つ家族の間ではパニックも起きたそうです。

 

情報が交錯し、空港の再開や本国からの指示を待つ中で、同時に「こういう時だからこそ音楽を届けよう」という声も強くあがりましたが、大使館からの指示でけっきょくツアーは後半の5公演を終えることはなくキャンセルされました。

 

「『音楽家としての使命』を果たすことができずに、日本を離れることになったのは心苦しくつらい経験だった」と団員は語り、絶対に戻ってこようとみんなで誓ったそうです。

 

指揮者佐渡裕さんとピアニストの辻井信行さんともぜったいに戻っていて完結しよう、と誓ったそうです。

 

そんな体験を経ての復活ツアーが2013年4月に行われたのでした。

 

彼らの音色には、今度はぜったいに最後までやり遂げるぞという意気込みと日本への大きな愛が溢れていました。

 

指揮者佐渡裕さんとピアニスト辻井信行さんからもこの復活ツアーにかけてきた想いが伝わりました。

 

一番最初の曲は演目にはありましたが、BBCからの申し出で鎮魂のレクイエムが演奏されました。

 

そして、次にピアニストの辻井信行さんが鍵盤に触れた瞬間、隣の人もその隣の人も、会場全体が涙を流していました。

 

1200人のホールと演者全体が一体になったかのように感じられました。

 

最後は前代未聞のスタンディングオベーションでした。日本であんな反応を見るのは初めてでした。

 

BBCフィルの人たちにとっても特別なツアーになったそうです。

 

最後のリハが終わった時、普段は真っ先に食事に走るメンバーたちが、誰も席を立ち上がろうとしなかった。

 

そして、みんなが次々に佐渡さんと辻井さんに「I will miss you」と言い始めたそうです。

 

イギリス人ってシャイな人多いし、世界中のいろんな指揮者と演奏するBBCフィルは普段はそんなことを言わないんだそうです。

 

日本を代表する指揮者&ピアニスト × BBCフィルによる演奏。

 

それは、日本と世界による共同作業を象徴するコンサートでした。

日本人は自分だけが儲かればいいだけではがんばれない民族。世界のために果たすべき意義があってこそ日本本来の力が発揮される

日本人は元々自分たちだけがよければいい、儲かればいい、というようなレベルではがんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、より根源的なレベルで自らを奮い立たすことのできる「存在意義」が必要なんじゃないか?

 

8月になって戦争関連のテレビ番組や新聞記事に触れながら、そんな想いを強くしています。

 

そして、この数日である問いが私の頭に浮かび続け、ある種のインスピレーションを受け取っています。

 

それは、なぜ日本はあんな焼け野原から世界第3位の経済大国になるまでの奇跡的な復興を成し遂げることができたのか?という問いです。

 

そして、その問いこそに、この閉塞感で行き詰まりの今の日本を抜けさせてくれるヒントがあるんじゃないか、ということを感じるのです。

 

日本の戦後の復興がいかに奇跡的であるかは、国連で紛争後の復興に関わった時改めて痛感しました。

 

例えば、東ティモールと南スーダンにおいては、国連は紛争の停戦だけでなく、その後の国の独立そして「国づくり」にまで関わりました。

 

特に南スーダンは、アフリカ(世界)最長の紛争からの独立だけあって、独立後の国づくりには、国連だけでなくEUや世界中の学者や政策アドバイザーが、それこそ復興のための最善の政策を考え、国連の活動の中でも特段大きな予算も注目もつけられました。

 

そうした外部の支援があっても、一番肝心なのは当事者たちの意思(特に新しく国づくりを担う国のリーダーたち)であるのは改めて指摘するまでもないのですが、南スーダンでは復興が進んでいないどころか、残念ながら内戦が再発し、以前よりもひどい状態になっています。

 

では、自然災害からの復興はどうでしょうか?

 

2006年12月に発生したスマトラ沖地震の津波で壊滅的な被害を受けたスリランカやインドネシアのアチェを例にとっても、その復興は日本の戦後の復興とはまったく程度が違います。

 

東日本大震災の後に、フィリピンやバングラデシュ、スリランカに出張した際には、「戦後の焼け野原から復興を遂げた日本は私たちにとっての希望。だから復興を応援している」という声をたくさん聞きました。

 

東日本大震災の時に日本が受け取った支援額の総額は個人と組織からの寄付を含め、ソマリアやスーダンの支援額を3倍も超え世界一位でしたが(2011年度)、そこには日本の支援(ODA)に対するお礼だけでなく、戦後の奇跡的な復興への「敬意」とさらなる発展に対する希望という意味合いもあると感じました。

 

日本の戦後の復興の要因としては、高い教育水準(識字率)とモラル、朝鮮戦争による特需や冷戦時代に米軍の傘の下に入りながら経済発展に邁進したこと(軍事・政治面での米国依存に引き換えという構図と引き換えに)などが一般的に挙げられてきましたが、果たしてそれだけで説明になっているのか?という指摘は根強くありました。

 

東日本大震災の時にも、今回の震災からの復興を見ることで(もしそれが再現されたなら)、日本の戦後復興の本質がより明らかになるだろう、と指摘した海外の大学教授の声もありました。

 

官僚主導による東日本大震災の復興は残念ながら成功とは言えませんが、それが逆に日本の閉塞状況を象徴するかのようで、同時に、戦後の復興の「特異性」を改めて際立たせることになったとも言えます。

 

そこで冒頭の質問に戻りますが、あらためて、なにが戦後の日本の奇跡的な復興の原動力となったのでしょうか?

 

今、改めてそこに想いをはせるとき、このような見方もできるのではないかと思うのです。

 

より根源的な原動力としては、なぜあのような戦争をゆるしてしまったのか?という悔しさと戦争・敗戦の屈辱を越えて誇りと尊厳を取り戻したいという大きな想いがあったということ、

 

だからこそ、軍事とはまったく違う力で(日本の場合、経済の力で)世界に尊敬される国として地位を再び確立したい、戦争をしたからこそ今度は平和に貢献できる国になりたい、という想いが根底にあったのではないか?と思うのです。

 

バブル崩壊以降、日本の企業や社会は、ますます内向きになり減っていくばかりの内需(人口)のパイを奪いあっています。

 

それは本当に幸せの道なのか?と確信を持てない人たち、これから何を目指したらいいのか?と違うものを求める人たち産みだしています。

 

日本人は元々自分たちだけがよければいい、もうかればいい、というようなレベルでは立ち動けない・がんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、世界の平和というより根源的なレベルの「存在意義」があってこそ、本来の日本の力が引き出され、発揮されるのではないか?と思うのです。

 

もっと言うと、「戦争をしたからこそできる日本の貢献分野」があると思うのです。

 

これまでは、戦争をしたからこそ世界で目立ってはいけないという力学が無意識レベルで作用していたようにも感じます。

 

それが、昨年5月末のオバマ元米国大統領による広島訪問と、謝罪を求めないという広島のそれぞれの決断により、両者の和解と「日本の戦後」が大きく一歩前に進みました。

 

オバマ元米国大統領が広島を訪問して以来、日本での戦争に関する記事やテレビ番組も視点が国内だけでなくより世界へ視野が広がったような印象を受けています。

 

戦争をしたからこそできる日本の貢献分野は何か?

 

日本の強みや弱みは改めて何か?

 

そして、自分の役割は何か?

 

このお盆休みには、あえて視点を広げてそんな大きな問いかけをしてみてもいいんじゃないかな?と思います。

 

素敵なお盆休みを!

マイストーリー⑩ 「本当の勇気は弱さを認めること」

3.11の朝、私は早朝の便で成田空港に帰国する便に乗っていました。私が南スーダンから帰国してちょうど1ヶ月くらいたった頃でした。

 

乗っていた便は定刻とおりに到着し、荷物を引き取り、首都高を経由してバスで自宅に向かっていました。ああ、無事に着いてよかった。ああ、春も近いなあ、とぽかぽかする春の日差しをはっきりと覚えています。

 

のんびりするのもつかの間、それから1時間後に家が揺れたのです。

幸い私自身も家族も全員無事で、親戚や友人にも直接的に被害にあった人もいませんでした。

 

しかし、私の中で何かが起きたように感じました。

この時の地震で、私の中の「箱」が開いたのです。

震災が、私が南スーダンにいる間に無感覚になっていた部分の箱を開けたのです。

 

もしかしたら、何か少しおかしいんじゃないか?と感じたのは、満開の桜の花びらの下に立っていた時でした。

それまで海外生活の長かった私にとって生の満開の桜を見ることはとても楽しみにしていたことでした。

それなのに、その桜を目の前にしながら、私はきれいだとも美しいともうんともすんとも感じられなかったのです。

 

どうしたんだろう。。。

きっと疲れているからに違いない。しばらく寝て休んだら元に戻るよ。自分に言い聞かせるように思いました。

それからしばらく朝起きれない、という状態が続きました。

身体が空っぽになってしまったかのように、身体にまったく気力が入らないのです。

1日のルーティンといえば、ゆっくり起きて近くを散歩するのがやっと。何もやる氣がしない。誰かに会う気力さえないし、誰にも見られたくもない。。。

 

まさか自分が。。。

それまでバリバリを仕事をこなしていただけに、この自分の状態を受け入れることにはしばらく時間がかかりました。

そして、紛争や世界のニュースに関することをまったく聞きたくなくなり、テレビのニュースを見ることもほとんどなくなりました。

 

トラウマケアに関する研修を受けた時の資料にこう書いてあります。

 

「私たちの安全を脅かすような出来事に会ったり、極度の緊張状態が続いている時、それは脳の神経系統に影響を及ぼします。

 

それは、竜巻のようなエネルギーが身体の中に溜まっている状態です。そのエネルギーが数週間のうちに解放されるか統合されないと、いわゆるトラウマの状態を後に引き起こすことがあります。」

 

記憶は断片的になり、思い出すことができる時もあれば思い出せない時もある。感情を抑圧し無感覚状態(numbness)になります。自然災害や似たような出来事に遭遇することによって抑圧された部分が思い出される時、それは癒しの機会である。

 

時には激怒や不安、鬱や絶望としても現れる。こうした体験は同時に私たちの人生の『意味』も崩壊させることがある。」

 

「そうした環境に長い間身を置くこと、または、そうした影響を強く受けた人たちに関わることによって似たような症状を受けることがあり、それは『二次トラウマ』(secondary trauma)と呼ばれる。」

 

ああ、これだ!と知ったのは随分、後のことでした。

そして、無感覚な状態は、傷に鈍感になるだけでなく、

創造性、愛や喜びにも鈍感になってしまう、ことを知りました。

 

私は、自分の体験がここまで抑圧されていたとはまったく気づかなかったのですが、

 

こうした現象は、紛争地でなくとも、カウンセラーや看護師といった対人援助職に就く人にも多く見られることを知りました。

 

 

そして、

同時に、

これは、

 

私にとって、

少し大げさに聞こえるかも知れませんが、

生きる意味を再発見していくプロセスでした。

 

なぜなら、私がすっかり疲れきってしまっていたからです。

 

身体的な疲れもそうですが、それは気力、もっと言うとこれから何を目標にしたらいいのか?という「精神的な燃え尽き」でした。

 

それまでバリバリを仕事をこなしていた人が急に何もできなくなるのです。

私は強烈な劣等感に襲われました。

罪悪感にも襲われました。

強烈な「無力感」に襲われました。

 

 

時計の針が「真逆」に触れた気がしました。

 

 

こうした感情・感覚は実は私の中にもともとあったものだったのでしょう。

 

 

私はこうした感覚との付き合い方を学ぶ必要があったのです。

 

 

この時の私の心境をとても上手に表現してくれている本があります。

 

ブレネー・ブラウン「本当の勇気は弱さを認めること」2013年です。

 

 

 

人間は誰でも悩み、自分の無力さを感じることを知ること

 

弱みや不完全さを認めず、あるべき姿にそぐわない部分を切り捨て、認められるためにヘトヘトになるのでもなく、それも含めてありのままの自分を受け入れること

 

 

そのために役に立つことは、

・心の痛みを無視したり、自分を批判するのではなく、自分自身の温かい理解者になること

・否定的な感情を抑えすぎず誇張もせず受け入れること。

(痛みを無視したら痛みに共感することはできないから)

・否定的な感情や思考と「一体化しすぎない」こと、です。

 

著者のTEDでのスピーチは全世界総視聴回数ベスト3にランクインしています。

 

本当の勇気は「弱さ」を認めること-ブレネー-ブラウン-ebook/dp/B00GTAV3P6

Brene Brown

 

ああ、これだ。

 

決して、簡単には聞こえなかったけれども、解決の方向が分かった気がして、安堵を覚えました。

 

私は少しづつ、

自分の弱さを受け入れること、

 

を学び始めました。

 

 

「本当の勇気は弱さを認めること」は続けます。

 

一生懸命にがんばることで目の前の課題を解決し、乗り越え、キャリアを築いてきた私にとって、自分の「弱さ」を受け入れることは決して簡単なことではありませんでしたが、

 

がんばる以外のやり方がある。。。

 

それは直感的にそうだろう、と感じていました。

 

そして、「弱さ」を受け入れることは、

 

自分がどんな人間で、どんな体験をし、何が大切なのかを再発見していくことでもあったのです。

 

 

 

3.11のちょうど一年後、バングラデシュの人が伝えてくれたこと

3.11のちょうど一年後、私は仕事でバングラデシュにいました。

バングラデシュ軍の同僚が「今日は311の1周年だね。みんなで祈りをささげましょう。」と言ってくれ、一日の稼ぎが100円にも満たない人たちが日本の復興のためにたくさんの寄付をしてくれたことを教えてくれました。

バングラデシュではほとんどの人が銀行口座を持っていないので、10円や100円単位のスクラッチカードを買って通話をします。ある通信会社は、その何パーセントかを日本に寄付することにしたそうです。

527b47ea4e30f-cheque_handover1

⇧ バングラデシュの人たちから日本への寄付

その後、スリランカやフィリピンでも同じような声を聞きました。

「私たちは日本の復興を願ってます。

戦後の焼け野原の状態からあそこまでの経済大国になった日本は私たちの希望なんです。」と。

私たちは世界に対してどんな価値を発信していくのかー改めて考えさせられた瞬間でした。

今、世界では何が起きているのか?

何が必要とされているのか?

日本の技術やサービスは世界の課題の解決のためにどう役に立てることができるのか?

私たちが世界に与えられる価値とは何か?

今年も早くも3日が経ちました。今年もこのブログを通じてて、この問いに対する答えをより多くの人と一緒に考えていきたいと思っています。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

日本で3.11に遭遇『音楽家としての使命』を果たすために、2年後 「やり残した仕事」を完遂したBBC交響楽団の贈り物

ホールにいた全員が一丸となって聴き入っていました。

 

指揮棒が振りおろされる瞬間から目には涙があふれてきました。

 

BBCフィルが3.11の2年後、東日本大震災のための鎮魂のレクイエムを演奏してくれた時です。

 

それはBBCフィルのメンバーにとっても特別な体験でした。

 

なぜなら、2011年3月11日、公演で日本を訪れていたBBCフィルは、京都での公演を終え、次の公演地である横浜みなとみらいホールに向かっていたバスの中でで東日本大震災に遭遇したからです。

 

順調に走っていたバスが横浜ベイブリッジに差しかかった時、急に動きがおかしくなり、停まりました。バスの車体が揺れたので、最初はみんなサスペンションに何か問題が起きたのかと思ったそうです。

 

しかし徐々に、これが地震であり、そして橋の上で足止めをくらっている自分たちが、深刻な危機に直面しているということに気づき始めました。

 

街灯が左右に大きく揺れ、ビルからは煙が立ち昇っていました。港に向かって航行していたいくつもの小船が、沖へ戻っていくのが見えました。

 

オーケストラのメンバーは、バス内に設置されたテレビを通じて、日本で起きているこの未曾有の災害の実態を徐々に理解していきました。

 

バスはみなとみらいホールに一旦到着し、練習をしましたが、メンバーは緊張を解くことができず、楽器を弾くだけで精一杯の状態でした。

 

客は来場できないとの判断から公演は中止され、結局、35kmほどの距離を9時間かけて、都内のホテルに戻り、メンバーが部屋に着いたのは夜中の3時でした。

 

メンバーは慣れない体験に疲労困憊でしたが、この危機的状況への日本人の冷静で落ち着いた対応に感銘を受けたと言います。

 

ひどい渋滞で車は全く動いていませんでしたが、それでもクラクションが鳴ることもなく、歩道は都心から郊外へ黙々と歩く人々で埋め尽くされていました。

 

「深刻な状況ではあったが同時に自分たちが日本人に守られているという感覚があった」と、トビー・トラマズア(ヴァイオリン)は言います。

 

それでも、地震から一夜明けた時点では残りのツアーを最後まで続けるつもりでいました。こういう時にこそ音楽を届けることこそが、自分たちの使命だと感じていたからです。

 

しかし、地震翌日、福島の原子力発電所の危機的状況が明らかになると、雲行きは怪しくなってきました。

 

フクシマの影響や真相がわからない中で情報は交錯し、空港も封鎖される中で英国で待つ家族の間ではパニックも起きたそうです。

 

けっきょく、BBC本部からの指示でけっきょくツアーは後半の5公演を終えることなくキャンセルされることが決まりました。

 

「空港に向かうバスに乗ったときは、無事にイギリスへ帰れることになった安心感もありましたが、なんだか心が落ち着かない状態でした。出発の際、ホテルの全スタッフが笑顔で我々に手を振ってくれました。嫉妬している様子も、イライラしている様子も、不安に思っている様子も全く見せず、ただただいつもと同じように笑顔でふるまっていました。この光景はずっと忘れられず、よく覚えています」とクレア・ディクソンは言います。

 

英国に戻り、数ヶ月経つと、多くのメンバーにとって、再び日本へ行くことが重要な意味を持つようになってきました。

 

それは決して、ツアー半ばで帰らなければならなかったことへの負い目ではなく、音楽家として「やり残した仕事」を最後までやり遂げるため、として、日本への敬意を示すため、でした。

 

スティーヴ・ヒルトン(舞台監督)は言います。

 

「私達は大変な状況を経験しましたが、日本の人が体験したことに比べたら取るに足りません。自分達の家族よりも先に、赤の他人であるイギリス人の私達の面倒を見てくれました。彼らに会って、我々がどれだけ感謝しているか、尊敬しているかを伝えたいと思いました」

 

その想いはメンバーで共有され、震災から半年後に復活ツアーの実現が決まりました。

 

まったく同じ指揮者、ピアニストとともに。

 

音楽に対する姿勢が変わったと語る人もいます。

 

「この演奏会を、地震と津波で犠牲になった多くの方々に捧げる気持ちで臨んでいます」

 

 

そんな体験を経ての復活ツアーが2013年4月に行われました。

 

 

コンサートでは、一番最初にBBCからの申し出で公式演目にはない鎮魂のレクイエムが演奏されました。

 

彼らの音色には、今度はぜったいに最後までやり遂げるぞという意気込みと日本への大きな愛が溢れていました。

 

指揮者佐渡裕さんとピアニスト辻井信行さんからもこの復活ツアーにかけてきた想いが伝わりました。

 

次にピアニストの辻井信行さんが演奏を始めた瞬間、隣の人もその隣の人も、会場全体が涙を流し始めました。

 

観客全員と演者全体が一体になったかのようでした。

 

ホール全体にスタンディングオベーションが起こりました。日本の人たちがあんな風に拍手喝さいを送る様子を見たのは初めてでした。

 

最後のリハーサルでは、普段は練習が終わると真っ先にバーへ向かい、佐渡さんと辻井さんに駆け寄り「I will miss you.」と伝えたようです。

 

シャイなイギリス人にとってとても珍しいことだったそうです。

 

日本を代表する指揮者&ピアニスト × BBCフィルによる演奏。

 

日本と世界による共同作業を象徴するような素晴らしいコンサートでした。

 

【プログラムA】
メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」序曲 作品21
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

2013年 4月23日(火) 東京赤坂 サントリーホールにて

 

メンバーの体験談は、BBCフィル再来日コンサートのプログラムに掲載された

「彼らの3.11遭遇・体験記」より抜粋。

 

英国放送協会(BBC)シニア・プロデューサーのマーク・リカーズが、

オーケストラのメンバーを取材して、あの時、何を体験し、

なぜ彼らは日本に戻ったのか?を記した貴重な報告

 

 

⬆️ ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18 辻井伸行BBCフィル