「内なる平和」があると何が起きるのか?管理職にある人、部下を持つ人、教師、カウンセラーやコーチ、コミュニティーリーダー必見❗️相手の本音を引き出すほんとうの能力

このところ続けて、シャドーや投影、中庸など「自分の内面に向き合うこと」について書いてますが、これは決して日常や仕事と切り離された話しではありません。

 

むしろ、自分の仕事のレベルをまさに「その他大勢」から「秀いでる」レベルに引き上げてくれるものです。

 

私は42万円も払ってハーバード大学大学院教授によるリーダーシップ研修を受けたこともありますが、

 

実はこうした原則は、リーダーシップ研修や仲裁、交渉、ファシリテーション、コーチング、カウンセリング、マインドフルネスといった分野で言葉を変えて何度もでてきます。

 

なぜなら、そのような人の本音ややる気、サポートを引き出すことが鍵になってくる仕事というのは、ありのままの相手を受け止め、理解し、その人の本質がわかることが極めて重要となるからです。

 

とはいえ、ほとんどの人はそうしたトレーニングを受けていないので、自分の認知を疑うこともなく、自分の「レンズ」で自分の「見方」で、自分のこれまでの体験を「投影」して人のことを見てしまいます。

 

もし相手が自分の価値観と相容れないことを「たった一言」でも言おうものなら、その瞬間から相手は「合わない人」、「嫌な人」、または「おかしな人」に分類されてしまいます。

 

その途端に耳から聞こえてくることも、見えることもすぐに自分の「フィルター」にかかってしまいます。

 

もしかしたら、ありのままの相手をまったく見ていないかも知れません。

 

全員のことを好きになる必要はありませんが、自分の見方はあくまでの一つの見方であって、違う見方や考え方もあるかも知れないというオープンさがないと、いつまでたっても同じ見方や考え方しかできなくなってしまいます。

 

カウンセラーやコーチはもちろん、管理職にある人、部下を持つ人、教師など教える人人など深く人とかかわる人、または、NGO/NPO職員、コミュニティーリーダーなど創発的な「場」をつくりたいと願う人にとって、そうした自分の認知や投影に気づける能力は、中立で安全な「場」をつくることに直結します。

 

本音や新しいアイデアは、文字通りどんな意見でも受け止められる安全で安心な「場」があって成り立つからです。

 

私にとって今までで一番チャレンジだった体験の一つは、スリランカ軍で講師を務めた時でした。なぜなら、相手は当時何万もの人たちを犠牲にした内戦の当事者だったからです。

 

経験上、こちらが相手に対して偏見や判断をもっていたら信頼関係を築くのが難しくなって、通じるものも通じなくなることがわかっていたので、自分の心の準備が文字通り「最優先事項」となりました。

 

詳細はこちらの記事をどうぞ➡️グーグルと国連で求められる究極の「訓練」①

 

結果、研修はとても上手くいきました。

 

そんな大きな例でなくても、

これはクライアントさんの例ですが、

職場ですごい「嫌な人」がいて、やめたいとさえ思っていた人でも、

自分の判断や投影、シャドーを解消できると、自分の体験やうそのように相手の態度や反応がかわった、ということは何度も何度も体験しています。自分の「内面」がかわると体験がかわります。

 

もっと身近な私の例でいうと、つい最近では、引っ越しの現状回復の件で、

ある傷に対して全張り替えだと言われ何十万単位を請求されて怒っていたのですが、ちゃんと説明して、こちらで対処できることはやって、

 

だまされているかもという怒りや相手に投影しているかも知れない想いクリアにして感情を落ちつかせて待っていたら、なんと請求額が6分の1になりました。(ホントの話しです!)

 

自己認識力をもつことー特に、自分の反応や内面(投影やシャドー)に自覚をもつことの大切さは、仕事だけでなくすべてに当てはまります。

 

今の時代、何をやるにしても自分が自分らしく生きるため、自分の軸を持つため、何かを成し遂げるためには不可欠なトレーニングだと思います。

 

ノーベル平和賞候補に3度ノミネートされたシーラ・エルワージーは、自分の内面と向き合う勇気とその熟達ことが、

 

彼女がかかわってきた核兵器など大量破壊兵器の開発国など意思決定者との対話をファシリテートするという非常にデリケートで難しい仕事の鍵であった、と言っています。

 

内なる平和が世界を開ける

 

このことについては数日以内にまた書きます!

 

カンフーパンダ

カンフーパンダ2

(写真)映画「カンフーパンダ」より。短期間でいろんな事(苦境・困難)を経験したポーは、いつのまにか、しなやかで鋼のような精神が培われていて、何年もかかるという究極の技“内なる平和”を、いとも簡単にマスターする。

 

💡💡💡💡💡💡💡💡

源(内なる声)に従っている人が一人いる方が、そうでない人を何百万人も集めたよりも大きな力になる。

コーチングセッションは、感受性と才能の開花のサポート、新しい時代をつくっていくリーダーの育成です。

詳細はこちらより⇨https://chikaonaka.com/coaching/

 

💡💡💡💡💡💡💡💡

 

広告

「最初の2秒」はやっぱり正しい!引っ越しも仕事も「最初の2秒」で決めれば上手くいく❗️

人は自分の直感につながっている時、より高い視点で自然に「決断」や「コミュニケーション」ができると言われています。

 

世界累計200万部のベストセラー作家、マルコム・グラッドウェルは、34カ国で翻訳された「『最初の2秒』の『なんとなく』が正しい」で、「長時間考えてたどり着いた結論よりも、人は『最初の2秒』でもたらされた直感やひらめきによって、人は物事の本質を見抜いている」と言います。

 

なぜその選択がいいのかその時はわからなくても、直観はもっと大きな視点からわかっているのだと最近もそんな体験がありました。

 

ちょうど一ヶ月ちょと前に引っ越しをしました。

 

駅前の再開発で目の前に41階建てのマンションが建つことになって、約一年なんとか工事の音に耐えていたのですが、この夏からもう一棟同じ位の高さのマンションの建設がはじまったのもあって前々から、静かなところに引っ越したいと思ってました。

 

ここしばらく「環境を変えるとき」というサインを受け取っていたので、肩を押してもらった形です。

 

今回約7件ほど物件を見たのですが、6件目の目の物件を見たときに「ああココだ!」と直観的に思いました。

 

南向きで日当たりがいいし、多摩川の近くだから風(空気の流れ)があるし、散歩もできるし、やっぱり多摩川沿いが開けているという解放感があります。

 

二階の書斎はポカポカと日がよくあたって、「気持ちよく書けそう!」と思いました。

駅からは少し離れるけど、静かで執筆にはいい環境だと思いました。

 

今回の引っ越しでも、「物事には両面ある」をすごく実感します。

 

この辺りは、都心までのアクセスは近いのに都内の中でも人口密度が低いというかゆったりとしてそれはとてもいい面なんだけど、夜は人が歩いていないので最初の頃はびっくりしました。

 

そして、静かな環境というのは本当にその通りなんだけど、スーパーも駅も歩いていくには距離があるので、久しぶりに自転車に乗るようになりました。

 

周りの人がスイスイ進んでいく🚴‍のに私はしばらく息切れしていました(笑)

 

でも、どこかで冷静に納得している自分がいて、この数年の駅チカ生活で体がずい分なまってたようなので、これはこれでいいな、と感じてます。

 

一番嬉しいのは、日当たりよくて、ポカポカ日にあたるのがとても気持ちいいこと。

 

太陽の光を浴びながら洗濯干すのが「楽しい」と感じる自分にもびっくりするし、こんなに私の身体は「太陽」を求めていたんだって改めて気づきました。

 

うつの原因の一つに太陽を浴びていないことが挙げられてる位、太陽を浴びると単純に気分がよくなる物質がでるんですよね。

 

そして引っ越してきてもう一つ気づいたのは、

私の身体が「鉄筋疲れ」をしていたかも知れないということで、

こちらに引っ越しをしてきてから朝起きたときに身体が喜んでる感覚がありました。

 

それを他の人に話したら、鉄筋暮らしの不妊率が高いっていうデータがあると教えてもらいました。

 

人間やっぱり人工的なものだけに囲まれていると身体もおかしくなりますよね。

 

駅近マンションの高層階にいた時には、一日中部屋の中にいたりすると外を見ても雨が降っていることにも気づかず、マンションの玄関から1~3分も歩けばコンビニやスーパーに入れてしまうので、季節やモノに対する感覚も「マヒ」していたところがあったのですが、

 

多摩川沿いを散歩すれば当たり前だけど「風」も感じるし、「寒い」と感じるし、日用品も買い出しに出ないといけないので、買うものに対してももっと意識的になりました。

 

だから、ここに引っ越しをしてきたら「今ここにあるもの」をより味わって楽しむようになったと思います。

 

そして、部屋が増えたのもあるし、新しいカーテンの色を選んだり、インテリアや家具を探したり自分の空間をつくるのは単純に楽しいです。

 

駅近のマンションから離れると「不便」なことは多々ありますが、なんだか私の中でこの数年使われてこなかったもっと本能的な「生きる力」と「クリエーティビティー」が表にでてきて喜んでいるのを感じてます。

 

なにより、こんな変化を楽しいと思える自分を楽しんでます。(^^)ニコ

 

本当に物事には両面がありますね!

 

直観的に「ここがイイ!」とは思ったけど、「なんで」までは分からなかったので、「直観の力」やっぱりすごしです。

 

関連記事➡️ 「最初の2秒」はやっぱり正しい ー 直感がわかる人とそうでない人の違いはなあに⁉️

 

仕事/家/パートナー/上司/環境が変わったら、きっとよくなると思っている時に気をつけるべき「ちゃぶ台返し病」

仕事/家/パートナー/上司/環境が変わったら、きっとよくなると思っている時に気をつけないといけないことがあります。

 

仕事/家/パートナー/上司/環境が変わったら、確かにいろんなことが変わりますから、確かにそういう面はあると思います。

「ここはなんか違う」「私がいるべきところじゃない」という感覚は自分でわかりますし、私

自身もそういう時期があって、その時の職場から抜け出した時には、すごくホッとしたのを覚えています。

 

同時に気をつけないといけないことがあります。

それは、ゼロか100かの思考パターンになっている時です。

すると新しい仕事でも似たような体験をするかも知れませんし、「あれ、思っていたのと違う」ということになりかねません。

 

なぜなら、自分が「問題」だと思っていることの根本は、仕事でも上司でもなく、自分の「内」にあるかもしれないからです。

 

私はある時、すごく引っ越しがしたくてたまらなくなったことがあります。

 

駅からも近いし、眺望もよくて、築浅でキッチンもバスルームも新品で綺麗だし、エントランスも心地よくて、来る人はみんな気に入ってくれる恵まれた環境にいたのですが、

 

唯一のお悩みは日当たりが悪いことで、夏は西日が暑いくらいなのですが、冬になると日当たりが欲しいなあ~と感じていました。

 

ある時、その感覚がだんだんと大きくなっていって、ついに「引っ越したい!」とさえ思いました。

 

太陽(日当たり)を求めるのはにんげんの生理学的にもごくごく自然な欲求だと思うのですが、

「日当たりが欲しい」が「もう嫌!」と嫌な方にフォーカスがいってしまって、その感覚がどんどん大きくなっていって、ついには、「これさえ変わればよくなるに違いない」というような感覚にさえなっていきました。

 

何件か物件をみたのですが、ピンと来るものがなかったので、結局引っ越しはしなかったのですが、その時は衝動のように「いやな面」がフォーカスされてそれから逃れたいというような気持ちになったのを覚えています。

 

ある時は、ある時期の仕事を思いださせるものがすべて嫌になってしまって、その時のスーツをほぼぜんぶ処分してしまった時もありました。

そして後で、「あれ〜なんでぜんぶ処分しちゃったんだろう?一つや二つはとっておいてもよかったよなあ」と思うことがありました。

 

自分でもちょっと極端だったと思うのですが、人にはそういう思考(衝動)におちいる時があります。

こういう衝動を「ちゃぶ台ひっくり返したい病」と呼んでます(笑)

実際にストレス研究では、人はストレスや不安が高い時、ゼロか100かの思考パターンになりやすいと言われています。

 

こういう場合に何が起きているかというと、自分の中の自己嫌悪などのネガティブな思いや感情が何か周りのものに投影されている(映し出される)のです。

 

そして、それがすごく「いや〜」な感じを思い出させるので、もう離れたい!と思うのです。

 

でも実際に嫌っているのは、自分の中の部分なのです。

 

これが住みか、仕事やパートナーなどに投影されてしまうと大変ですね。

 

もし、「いや〜」な感じがしているのだとしたら、周りの環境や人や出来事になんらかの投影をしている可能性が高いですね。

 

仕事でいうと、「次に進む時だな」と思う時と、もうこれ嫌!と避ける・逃げる感じはかなり違います。

 

今の仕事はいろんなことがあって大変だったけど、自分がやるべきことはやりきった、この仕事で学ぶべきことは学んだ、といった感じがあるか、または次にやりたい仕事への思いがすごくあるかなど、といった感覚があります。

 

グッドニュースは、人や住まいを変えるのは大変だけど自分の中の感覚はいつでも変えられることです!

(‘-‘*)フフ

「~しなければならない」は、自分のパワーを奪う言葉ー自分が選択することが自分が体験すること❗️

このところ続けて強いインスピレーションを受け取っています。

今の世界の情勢は、私たちが同じ生き方を続けられないと知らせてくれています。

 

前回の記事で、今自分がいるところからしか始まらない、とお伝えしました。

 

別の言い方をすると、自分の選択に責任をもち直すということです。

「原因と結果」に責任をもつということです。

責任のレベルを上げるということです。

 

この場合の責任とは役職や重苦しい義務を指すわけでもありません。

 

ここで言う責任とは、自分の行動・言動(選択)に完全に受け止めるということ、誰かのせいにもしないということです。

 

それこそが自分に本当の力や勇気、インスピレーションをくれるからです。

 

「『誰かのせい』なんてしてないよ」と思うかもしれませんが、

私たちの口ぐせや意識には、会社上司のせい、政府のせいや学校のせい、無意識的には親のせい、などなど、誰かのせいにしている部分がけっこう多いのです。

 

明らかに「誰かのせい」にしてないと思う場合でも、自分の言葉に気づいてください。

 

あなたが一日でとるすべての行動に対して、あなたは100%はっきりと「したいからする」と言えますか?

 

とりあえず

した方がいい

~しなければならない

~するべき

 

これらはすべて自分からパワーを奪う言葉です。

 

会社に言われたから?

家族に言われたから?

親に言われたから?

みんながそうしているから?

これまでそうだったから?

 

確かにそういう状況はあるでしょう。

でも、そうした言い方は完全に自分の選択を認めていない、ということになります。

 

どこかで、「~に言われたから」という逃げ道と言い訳をのこしています。

 

これでは自分の本当の力も才能も発揮することができません。

受け身で、逃げ腰です。

 

責任をもっている人は、自分が選択することが自分が体験することだと知っています。

 

自分が望むことを明確にすることに時間をとり、自分が望むことを選び続け、求め、それを体験します。

 

もし自分が望まないことがあるなら、選択をし直します。

 

自分が選択することが自分が体験することなのです。

一つの意見が優勢になってくると逆の立場をとろうとする力が強くなるー中庸とバランスに向かうまで

前回、バランスや中庸ということについて書きました。

 

記事⇨新しい仕事/パートナー/家/お金/人間関係があったら人生はもっとよくなると思っている時ー感情的な「幻想」をつくりあげてしまってませんか?

 

何もこれは難しいことではなく、私たちは本能的にやっています。

 

例えば、この数年の国政選挙でもそうした傾向が見られました。

 

一つの意見が優勢になってくると逆の立場をとろうとする力が強くなるという力学です。

 

戦争でたいへんな思いをした体験から、戦後長い間、現在の憲法には強い支持がありました。

 

一方で、「『平和憲法』って言うけどさ、憲法さえ自分たちで書いてもないし、戦争反対とはいってもすでに国内(沖縄)から戦争にも(例えば、アフガニスタンへの攻撃)かかわってるじゃん」という意見がでてきます。

 

沖縄に核が配備されることはほぼ既成の事実として知られていますし、日本は唯一の被爆国なのに、「核兵器禁止条約」には参加しない、という、あくまでも「アメリカの核の下における『平和』」という矛盾もよりはっきりと見せつけられることになりました。

 

その延長として、だから日本も「普通の国」になろうよ、という意見もでてきます。

 

同時に、とはいえ、十分な議論もないままに長年の国の方針を一内閣の「解釈」で変えられちゃうのってやっぱ「おかしいじゃん」という意見もでてくるわけです。

 

だから、「保守」と「リベラル」の間をいったりきたりする有権者は少なくなく、今回の選挙で言えば、立憲民主党にそうした票が流れたのでしょう。

 

日本における平和や憲法をめぐる議論は、極端に流れがちだったので、

私は個人的にはそうした投票パターンはこのテーマに対する議論がより深まっていくまでありえると思っています。

 

そこで議論が終わらず、これからさらに議論を深めていくことが大切でしょう。

 

中庸やバランスの原則は国単位の政策も議論も当てはまるのです。

なぜ小池都知事は自信まんまんに「排除します」と言ってしまったのか?ー力士やフツーの人もキレさせてしまう正体「シャドー」について

弁護士によるタクシードライバーへの暴行

横綱力士による暴行

感情をおさえきれなくなって一時間も車で暴走を続けた会社員。。。

 

最近、「爆発」を抑えなくなる人たちの例が続けてニュースになっています。

 

世界情勢も騒がしいこともあって、なんだか社会も人間もおかしくなっていってるのではないか、という印象を受ける人もいるかもしれません。

 

確かにそういう面もあるとは思いますが、

にんげんという存在が突然変わったわけではなく、

人間がそもそも持っている「シャドー」や社会の「闇」が表面化しているのだと思います。

 

シャドーとはユングがつくった言葉ですが、

自分の中の「嫌な部分」「認めたくない部分」です。

 

今は、テクノロジーの進化などと合わせて、今は、隠されてきたものがどんどん明らかになっていく「透明化」(transparency)の流れがあります。

 

ウィキリークスの暴露があったりと、数年前からこの流れは強くなっていて

 

ごく最近では、

東芝の不正会計

神戸鉄鋼

日産の検査

から

 

ハリウッドスターに対するセクハラ告発

それに伴うme tooムーブメント

 

また

 

パナマ文章

パラダイスペーパー

などなど、これらも同じ流れだと言えます。

 

またアメリカでは、

トランプ大統領の移民制限政策に刺激されて

人種差別や分裂がさらに表面化しました。

 

 

孫子の兵法には、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という有名な言葉があります。

概念としては聞いたことはあっても、実際にこのことを実感している人は少ないのではないかと感じます。

 

『敵』とは、「私たちが理解していない(扱い方)を知らない自分自身の衝動」のことです。

 

それを否認したり抑制している限り、私たちは本当の「敵」(シャドー)に負け続けることになります。

 

弁護士がタクシードライバーをけった事件も、

普通の会社員が車を商店街を暴走して人をひいてしまったのも

 

はたまた

政治家が突然おかしな「暴言」(本音)をはいて失脚するのもシャドーがでてきてしまうからです。

 

小池東京都知事が自信まんまんな顔で「排除します」と言ってしまったのも「シャドー」がでてきてしまった例と言えます。

 

1980年代以来、北アイルランドやボスニア・ヘルツェゴヴィナなどの数々の紛争で、当事者間の対話に携わってきたアーノルド・ミンデルはこう言ってます。

 

「反テロや反差別主義は、その問題に取り組むことをかえって難しくしてしまう。

 

もし、本当の解決を願うならば、一人一人が自分の中にあるおそれや弱さ、差別意識や偏見などを一度浮上させ、自覚する必要がある」と。

 

先日2017年11月11日にクーリエジャポンで配信された記事の中で、なぜ内戦が泥沼化したのかという南スーダンの例をつかってお伝えしたのも、「私たちは自分たちが否定し、避けようとしているものになる」という力学でした。

 

反テロや反差別を道徳的に訴えることはできますが、それでは双方の怖れや偏見を一時期地面の下に埋めてしまい、根本的な解決をかえって遠ざけてしまいます。

 

ましてや反差別叫んでも相手側の気持ちを変えることはできません。

 

また、誰かを一方的に「悪」とし、排除しようとすれば、その力そのものが更に彼らの抵抗を生みます。

 

本当の解決を願うならば、一人一人が自分の中にあるおそれや弱さ、差別意識や偏見などを自覚する必要があるのです。

 

反テロや反差別を道徳的に訴えることはできますが、それでは双方の怖れや偏見を一時期地面の下に埋めてしまい、根本的な解決をかえって遠ざけてしまいます。

 

ましてや反差別叫んでも相手側の気持ちを変えることはできません。

 

また、誰かを一方的に「悪」とし、排除しようとすれば、その力そのものが更に彼らの抵抗を生みます。

 

さらに、

 

自分のやりたいことが分からない

本当の気持ちがわからない

自分をもっと伸び伸びを表現したいのに小さく縮じこまっている…

 

という人の場合、

そのより根本的な理由はまさに「シャドー」だったりします。

 

なぜなら、

「本当の自分がでてきてしまったらどうしよう?!」と無意識に自分を抑えてしまっているからです。

 

でも困ったことは、抑えてしまうのはシャドーだけでなくて、自分の才能やありのままの表現でもあることです。

 

今の時代、世界の動きがとても激しいので、それを抑えようとするだけで多大なエネルギーを使うことになります。

 

自分の可能性や才能をみつけるどころかエネルギー切れをおこしたり、文字通り息づまったり、やる気を失ってしまいます。

 

今までなんとかかろうじて抑えられてきたつもりのことも、無理になっていくでしょう。

 

グッドニュースは、シャドーは受け入れ、統合すれば光となって、自分のエネルギーとなってくれることです。

 

自分が欠けた存在であるという認識から「これもわたし。それでもオッケー🙆」という「安心感」「全体感」を取りもどさせてくれます。

 

いい面しか持たない「片面」だけのにんげんなんてそもそも存在しないのです。

 

才能を発揮し、輝いている人たちは、自分の嫌な面を受け入れ「統合」したか、乗り越えた人たちです。

 

それができるまで形を変えて、いろんな形でそのシャドーに出会うことになるでしょうから、やっぱり根本的な解決方法はシャドーに向き合うことです。

 

でもいざ向き合ってみると、「自分がこわがっていたものはこんなんだったの?!」とその小ささにびっくりすることもあります。

 

最後にシャドーのみつけ方&統合のエクササイズを紹介します。

 

シャドーなんてないよ〜という人はにんげんではありません(笑)

または幻想の中に生きています。

 

周りの人に見える自分をイライラさせるものーそれは自分の中のシャドーだと思っていいでしょう。それを単に人に投影しているだけからです。

 

やってみるととても楽になるので驚きますよ。

 

そして一度はまるとその効果にやみつきになるかも知れません!😊

 

《エクササイズ》

嫌な気持ちをさせる相手や出来事を象徴するものを3メートルくらい先におく(人形やペットボトルなどを置いてもいい)。

その人(もの)に向かって一歩一歩進む。

一歩進む度に、心の中で「あなたはわたしです。わたしはあなたです。これを見せてくれてありがとう」と言う。

相手のところまで来たら相手をハグする。

相手の中に見ていたシャドーが光になるのを感じる。

 

楽になっていくまでぜひ続けてみてください!

 

 

新しい仕事/パートナー/家/お金/人間関係があったら人生はもっとよくなると思っている時ー感情的な「幻想」をつくりあげてしまってませんか?

幸せという状態について多くの人は大きな誤解をもっています。

 

例えば、

幸せというのは、

 

心通うパートナーがいて、通じあう体験や会話があって、

ときに笑いがあって、

自分を大切に扱ってくれて、

安らげる住まいがあって、

やりがいのある仕事があって、

助け合う人間関係があって、

充足感を感じていて、

いろんなことを話せる友人がいて、

健康に恵まれ、

充分なお金もあって、たまにはおしゃれして豪華な食事をしたり、旅行にいったりコンサートにもいくことができる。。。

 

社会の価値観が多様化しているので、

幸せの形もいろいろあると思いますが、

多くの人が思い描く「幸せ像」の一例をあえて言葉にしてみるとこういう形ではないでしょうか?

 

これ自体にはなんの異議もないのですが、

でも、「幸せ」や、または「人生」というゲームについては大きな誤解があるようなのです。

 

どんな誤解かというと、

そうでない状態は幸せではない、という誤解です。

 

例えば、仕事で嫌な人に会うこともあるかも知れません。誰かに自分の意見を否定されることもあるでしょう。

 

でも、それは、人になんと言われてもぶれない自分の自信を身につけることに役立っているかも知れません。自分のにんげんとしての器を広げるためかも知れません。

 

協力的な人間関係を築いていく「過程」には、もしかしたら「衝突」や「行き違い」があるかもしれません。

 

充実した仕事の影には、

試練も障害も

元気づけられることも

骨のおれることも

平和的なことも

対立的なことも

協力的なことも

競争的なことも

楽しいことも

苦しいことも

あります。

 

同様に、

人との関係でも

この楽しさをシェアできる人がいてくれてよかった

やっぱり食事は一人より二人の方が美味しい

と思うときもあれば、

けんかをする

相手の都合で何かをキャンセルすることになった

などなど、

 

パートナーがいるからこその喜びもあれば、

その逆もあります。

 

シングルの人は既婚者をうらやましがって、

既婚者は自由な独身者をうらやましがる、

というジョークは世界共通なくらいですから😅

 

つまり、

どんなことであっても、片面だけで成りたつことはありえません。

 

幸せというにはいつも望み通りにスムーズにいっている状態のことを

指すわけではありません。

 

試練を乗り越え自信をつけていくからこそ、充実感も感じるのです。

 

人生という「ゲーム」においては

半分だけを取り出して体験することはできないのです。

 

ちょっと、想像してみてください。

仮にあなたの周りにいる人たち全員が

みんなあなたを褒め称え、賞賛するとします。

誰もがあなたに向かって、ただただ賛同するのです。

 

最初のうちは確かに気持ちがいいかもしれません。

でも、あなたはきっとすぐに飽きるでしょう。

 

そして、相手に挑戦したくなるでしょう。

「何かあなたの。意見はないの???」と。

反対意見や刺激を求めたくなるのです。

 

ごうまんになって、チャンレジすることも人間としての成長も止めるでしょう。

なにより意欲ややる気自体を失うかもしれません。

 

多様性がないと人間は生きていけないですから。

 

なんでもうまくいって、

自分が絶好調だと思っているとき、

なんらかの予期せぬ出来事を体験することもあります。

 

どんな状況でも、常に物事には「両面」あります。

楽しいだけのこともないし、苦しいだけのこともありえません。

これは、単に表面的な慰めで言っているのではありません。

 

新しい仕事/パートナー/家/お金/人間関係(など)があったら人生はもっとよくなるに違いないと思いがちです。

 

でも、それは実際のところ、感情的な「幻想」をつくりあげて、逃げているだけかも知れません。

 

自分が見たいようにしか見ていないのかも知れません。

 

もしそうだとしたら、せっかく新しい仕事に恵まれても、人や職場がかわっても、別の装いで自分が避けてきたことを体験することになります。

 

どんな状況でも、常に物事には「両面」あります。

 

中庸、バランス、調和ー

 

仏教、ヨガ、ヒンズー教ー表現こそ違え、ありとあらゆる教えの中で、中庸の大切さが言われてきました。

 

人間が体験することのすべてはこのことを体験し、学び、人生を通して「中庸」にいたるためにあるとも言ってもいいのかも知れません。

 

真実は両方、そして目指すのは「中庸」ーその真ん中です。