「いい面」だけが才能ではない❗️最初は自分の「強み」のネガティブな面を体験することが多いということについて

人の強みや才能に関しては、たくさんの誤解があるようです。中でも大きな誤解の一つは、「いい面」だけを才能や強みだと思うことです。

 

 

ただ、どんな資質にも両面があって、同じ資質の「いい面」もあれば「チャレンジな面」もあります。いわば、「同じコインの表と裏」のような関係です。

 

例えば、動物を例にすると、きりんは、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、敵の動きをいち早く察知できます。

 

私はケニアのサファリで目の前で野生のきりんが歩くのを見たことがありますが、

長い足でリズミカルに歩くきりんの姿は優雅でとても感動しました。

 

同時に、もしキリンが人間の言葉をしゃべることがあったら、こう言ったかも知れません。

 

「あのねー、優雅に見えるかもしれまないけど水飲むのは大変なんだよー」

 

なるほど〜

 

まさに、「同じコインの表と裏」です。

 

同じように、誰にも長所と短所の両面があります。

 

そして、自分の持つ資質が幼少期から強みとしてわかりやすく開花しているのは稀で、最初は同じ資質のチャレンジの面の方を体験することの方が多いのです。

 

どういう意味なのか説明していきます。

 

例えば、高い知能、活発である、意思や信念が強い、 共感力、創造性という資質があるとします。

 

これらの資質のポジティブな側面はどんなものでしょうか?

ネガティブな側面はどんなものでしょうか?

 

高い知性=頭がいい?に越したことはないじゃないか?と思うかも知れません。

 

でも、どんな資質にも両面あるのです。

 

以下に例を挙げてみました。

 

《高い知能》

このポジティブな側面:

新しい考え方や概念を素早くつかむことができる

同じ年齢の子供たちよりも深く理解する

複雑な現象の下にあるパターンをみつけることができる

新しい考え方や概念を発見するのが好き

壮大な考えや計画に惹かれる

 

ネガティブな側面:

•すぐに飽きる

•全容がわからないと納得できない

•他の人たちが「遅い」ことに忍耐強くない。

•他人の意見に対して批判的であったり、寛容的でない。

•手が頭についていけないので、手元の作業が雑になる

・細かい数字を確認する作業は得意ではない、などです。

 

 《活発である》

ポジティブな側面:

・新しい体験をすることに意欲的

・一度にいろんなことができる

 

ネガティブな側面:

・常に刺激を必要とする

・動き回る(多動である)

・頭も体も常に忙しい

・簡単にフラストレーションを感じ、それを撒き散らしがちである

・寝付くのが難しい時がある

 

 

《意思や信念が強い》 

 

ポジティブな側面:

・自分でゴールを設定し、それを達成するための努力を厭わない

・課題に対する答えをみつようとしたり、自分の興味をさらに追求する

・粘り強い

 

ネガティブな側面:

・頑固になる

・視野が狭くなる

・自分の興味のないことを忘れたり集中するのは得意ではない

 

《共感力》

 

ポジティブな側面:

・周りの人たちが考えていること、感じていることを察し彼らの視点から理解することができる

・他人の感情に対して敏感であり、他の人たちが気づかない点に気づく

・人の感情の機微を繊細に感じとり、人がなかなか言葉にして表せられない感情的な面を表現する手助けをすることができる

・書くことやアートなどの表現、創作活動を通じて感情の力を表現の力にすることができる

 

ネガティブな側面:

・体験を個人的にとらえる傾向がある

・ある状況にたいして事前に感じたり察してしまうので、自分には対応できないのではないかと心配になる

・不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち

・批判されたり拒否されたりする体験をなかなか処理できない

・周りの人の感情によって自分も影響を受ける

・簡単に泣いたり興奮する

 

《創造性》 

 

ポジティブな側面:

・目の前の現象や題材を新しくユニークな方法で見る

・たくさんアイデアがある

・新しいものを創るのが好き

 

ネガティブな側面:

・ファンタジーに逃避しがち

・拡げたアイデアをまとめるのは得意ではない

・言われたことに従うよりも自分のやり方で進めることがある。

 

つまり、ここでお伝えしたいのは、どんな資質にもポジティブとネガティブの両面がある、ということです。

 

そして、あなたの強みが眠っている分野こそ、最初はチャレンジの側面を体験することが多いということです。

 

私の例で言うと、

私の大きな強みの一つは、

自分の視点と考えから一旦距離をおいて、相手はなぜあのような事を言うのか、と相手の視点で物事を見ることができることです。

 

相手の視点と立場に立ち、相手の思考のフレームワーク、価値観や感情を理解することは「パースペクティブ・テイキング(perspective taking)」と呼ばれます。共感力の大きな要素の一つです。

 

相手と意見が違ったとしても、同意するかは別として、相手の立場から状況を見ることができること、そこから互いの共通点を探っていくは、南スーダン軍との交渉、信頼構築などで大きな力となってくれました。

 

世界で活躍したいと願う人にとってはとくに大切な資質の一つと言えます。

 

またこの共感能力は、アジア中東の軍隊に国連PKOに関してトレーニングをする教官・講師を務めていた時も、こちらが伝えることに対して相手が何を感じているのかをその場で察しながら、同じ講義の内容であっても相手に合わせてエピソードやたとえ話を変えていく対応力になってくれました。

 

また、コーチングをする時には、相手の方が自分の状況や課題をうまく言い現すことができない時でも、その方のほんとうの想いに一緒に想いを寄せることで、目の前の状況を整理して、新しい解決策や眠っていた力を引き出すサポートをしてきました。これも共感力の資質です。

 

同時に、ここでお伝えしたいのは、こうした資質が最初から強みとして発揮されるとは限らず、最初は同じ資質のネガティブな面をより強く体験することが多い、ということです。

 

例えば、私の場合には、「体験を個人的にとらえる傾向がある」「ある状況にたいして事前に感じたり察してしまい自分には対応できないのではないかと心配になる」「不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち」といった共感力のネガティブな側面としてあげられた点をすべて体験しましたし、今でも体験することはあります。

 

「簡単に泣いたり興奮する」というのもほんとうにその通りで、映画を見て感動して涙を流すことはしょっちゅうなので妹からはよく笑われるほどです。

 

前はネガティブな面しかわからずなんで私はこんなに繊細なんだろう?と悩んだこともありましたが、今ではコインの両面を理解しているので、ポジティブな面を尊重しつつ、ネガティブな側面とも上手く付き合えるようになり、大きな影響を受けなくなりました。

 

自分の資質をポジティブに活かすには、自分の普段の行動を観察して、自分の資質をよく知ることです。

 

ネガティブな面ばかり体験するなと思ったら、そのネガティブと同じ分だけポジティブな資質があると考えましょう。

 

「なんで自分だけ不器用なんだろう」、「なんでなんで自分だけ普通にできないんだろう」、「なんで自分はこんなに繊細なんだろう」と思ったら、「普通がいい」という幻想から覚めましょう。

 

「普通」はつくられた幻想でしかありません。

 

これからは普通に生きようと思っても基準を「普通」に合わせていたら、普通にさえ生きることができない時代です。

 

自分の資質をネガティブにしか思えないとしたら、今生での課題の一つは、その「思い込み」からまず自由になることかもしれません。

 

そして、ポジティブな脳の配線(シナプシス)を強化することです。

 

その資質が自分にとってどう役に立つのか、ポジティブな資源として活かす方法を考えましょう。

自分は何もできませんという 「偽りの謙虚さ」と自分を誰かの下にする自己卑下は実は「傲慢(ごうまん)」

自分に正直になるということは
自分を小さくしないということ
自分は何もできませんという
「偽りの謙虚さ」と自分を誰かの下におく「自己卑下」は「傲慢さ」です。
あなたの人生はあなただけのものではありません。
あなたがこれまで体験した経験、あなたが感じていること、あなたに与えられた教育、日本に生まれたあなたに与えられた機会、神さまから生まれもって与えられた能力や才能はあなただけのものではありません。
偏差値や学校や社会の一つの評価軸で自分の能力を決めつけてはいけません。
自分を狭い箱の中からそっとゆっくり出してあげましょう。

 

震災の時神戸に行って、紛争の南スーダンを経て、23年ぶりに神戸の街を歩いてみて感じたこと

神戸の街を歩きました。

 

神戸は仕事が目的でしたが、阪神淡路大震災から丸22年経って「日本の目覚め」はどうなったのか?

 

私たちは何を学んだのか?何が変わったのか?変わらなかったのか、を自分の目で見て感じたいと思ったからでした。

 

1995年は「ボランティア元年」と呼ばれました。

 

私も救援物資を集める活動に参加して、1日中鳴りやまない電話の受付けをしたり、神戸へ行って、集まった洗濯機や自転車を配布しました。

 

ボランティアスタッフの移動と物資の運搬のためにトヨタ自動車が無償で大型バスを提供してくれたり、運輸省(当時)の人も一緒に来てくれたりと、「何か今までとは違うことが起きている」という感覚がはっきりとありました。

 

1日中鳴り続ける電話をとり続けて、人の中には「自分も役に立ちたい」という気持ちがあるものなんだ、と感じたり、みんなが一つになることによる「人間の底力」も「より大きな力」も感じました。

 

神戸東遊園地①

 

神戸東遊園地②

⬆️三宮駅 神戸市役所すぐ側の慰霊が行われる東遊園公園。

 

「シンドラーのリスト」など、数々の名作を世に送り出したスティーブン・スピルバーグ監督が「なぜ戦争をテーマとした映画をつくるのでか?」と聞かれて、こう答えています。

 

「戦争は人間を極限におき、人間の選択を問うからだ」と。

 

大変な時こそ、人と社会の真価が問われるという面があるのですね。

 

神戸で読んだ新聞の震災後23年の特集にはこうありました。

 

「震災がなかったら起業なんて考えなかった。でも一生懸命に生きることが生き残った人の使命だから」

 

震災がきっかけで奮起された方が人知れずたくさんいらっしゃるのだと思いました。

 

神戸新聞.jpg

 

国や社会全体がどう変わって、変わっていないのかは、改めてもっと詳しく書きたいと思いますが、

 

「復興」という時、私たちは元と同じように戻ることといった漠然としたイメージを思い浮かべますが、これだけの震災・災害が起きた後で、当然ながら街が単に元どおりに戻るわけではありません。

 

戦後の経済復興を経て、大きいもの・ハコモノが幅をきかす、それまでの延長ではなく、21世紀に向けて日本はどんな社会をつくりたいのか?どんな価値を新たに生み出し、世界に発信していきたいのか?という私たちの「再生」と「持続可能な社会」のビジョンが求められていたのだと思います。

 

その宿題は、東日本大震災へ持ち越され、そして少子化、人口減少が急速に進む中で、現在進行形で今でも続いています。

 

日本人は決められたレールを真面目に懸命に取り組むのは得意ですが、これからは新しい発想や価値を生み出すことにもっと重きをおくことができます。

 

それから、南スーダンなどにいた体験から感じたのは、それぞれの方の個人レベルでの「傷ついた体験」は23年経ってもまだ癒されていない面が大きいのではないか?ということでした。

 

南スーダンにしろ、いわゆる「トラウマ」の影響というのは、時間が経てば自然に解消するものではありません。

 

そうした影響は「世代間トラウマ」と呼ばれ、数十年、大きな戦争になると100年(4世代〜5世代)単位で影響があるとも言われています。

 

神戸生まれ・神戸育ちで、自らも被災して、避難所暮らしを送ったという友人に区役所や公園を案内してもらいましたが、被災して住宅をなくして以来、大阪や東京へ引っ越して「神戸はこわい」とそれ以来ほとんど戻ってきていない人も実はけっこういるということでした。

 

東日本大震災のときに始めて、「ああ自分は当時の影響がまだ残っているかもしれない」と気づく人も多かったそうです。

 

東日本大震災でこそ、心のケアや傾聴ボランティアがより一般的に認知されましたが、1995年当時はPTSDやトラウマケアという言葉もほとんど知られていませんでした。

 

また、ベトナム戦争やアフガンとイラク帰還兵がごく身近に存在して、PTSDが一般的な社会問題として認識されているアメリカと違い(逆になんでもPTSDというレッテルを張り過ぎる傾向もありますが)、また、日本人の気質からそうしたことを話したり、認めることは「恥」であるという感覚はまだ強いように感じます。

 

ただ、最近では、トラウマケアは「心の傷」というよりは、全身体的な課題であって、PTG (post-traumatic growth=トラウマ後の成長)という概念があるように、新しい自分に生まる「再統合」の機会としても認識されています。

 

人間は危機を体験すると、本能的に「闘争/逃走反応」 (fight or flight)として知られる「戦う」、または「逃げる」行動をとります。

 

戦うことも逃げることもできなかった時には、身体は文字通り身体はフリーズし、竜巻のようなエネルギーが外へ解放されず身体の中に溜まることになります。

 

そのエネルギーが数週間のうちに解放されるか統合されないと、いわゆる「トラウマ」の状態を引き起こすことになります。

 

危険を察知し身体全体に信号を送る「扁桃体」は、まだ「非常事態」が続いていると認識するため、「交感神経」が 優位になり、副交感神経系が機能できません。

 

結果、常に身体に緊張や凝りがあったり、眠りが浅い、リラックスできなかったり、不安や怖れが深い部分で残っていたりします。

 

鹿などの小動物がライオンやチーターなどの肉食動物に追われてうまく逃げられた時、 追われた動物は、「ぶるっぶるっ」と体を震わせて生体に留まっていたエネルギーや恐怖をふるい落とします。

 

動物ぶるぶる②

人間の場合、動物のようにエネルギーの解放ができるわけではないので、人間は身体に残っているトラウマのエネルギーを意識的に外に出す(解放する)必要があります。

 

 

南スーダン勤務による二次受傷(PTSD)からの回復した自身の体験を基に、丁寧に向き合います。

 

どうぞお気軽にご連絡ください。

 

info(at)peaceblossom.net

 

 

身体はトラウマを記憶する

 

 

2018年はどんな年なのか? 2017年は新しいサイクルの始まり。2018年は🙆🙆🙆の年。

2018年はどんな年なのでしょうか?

 

2017年は、新しいサイクルの始まりの年で、土台作りの年でした。

 

2017年は、2+0+1+7=10=1+0=1という、「1」というはじまりの数字に象徴されるスタートの一年でした。

 

新しい時代を

 

自分が自分に正直に生きることができるように、

自分で自分の望みを大切にしていなかった部分や

 

自分の人生を人任せにしてきたところ、

 

自分じゃ無理、自分じゃできないから、という気持ちで誰かに頼って、自分を優先していなかった部分などが明らかにされました。

 

自分にとって大切なものは何か、自分はどんな生き方をしたいのか?という自分の発想や理想を広げ、ほんとうに大切なものにたち戻させてくれるエネルギーがありました。

 

自分にとって理想のライフスタイルとはどんなものか?という自分の価値や優先順位を明確にしてくれる流れがありました。

 

「働き方改革」と呼ばれ、私たちが気づきを促されていたものの本質は「生き方改革」でした。

 

私自身、5年ほど住んできたところで駅前の再開発がはじまって、引っ越しをすることになりました。

 

リビングを何色のカーテンにしたいのか?というところから始まり、自分はどんなところに住みたいのか?どんなライフスタイルを送りたいのか?、と石垣島多拠点生活も視野に入れながら、一から自分の理想のライフスタイルを改めて考える機会になりました。

 

「理想のライフスタイル」といってもフワフワしたものではなく、

 

自分が導かれていることに対して「覚悟」が求められる機会だった、という方が真実に近いですが、引っ越しが「断捨離」とはほんとうのことで、引っ越しも落ち着き、多摩川沿いの澄んだ空気に引っ越しの恩恵を感じながら、12月からは気分すっきり新たな気分でいました。

 

さて、2018年は、具現化の年です。

 

占星術や星回りで言われているように、2018年は、2017年に築いた土台に建物を建てていく建設、実現、クリエーションの年です。

http://foreverconscious.com/astrology-forecast-2018

 

具現化といってもこれまでの延長ではなく、自分にとって大切なものを創造、築いていくというニュアンスです。

 

これまでの流れの中で、自分の中で明らかになったことを、着実に実行にうつしていく年です。

 

着実に

着実に

着実に

実行していく年です。

 

私自身、年明けの満月と共に去年とエネルギーの違いをヒシヒシを感じていました。

 

2018年もペースの早い年になるでしょう。

だからこそ、自分の中で優先順位をはっきりと持つことが求められます。

2018年は思いたったら早めのアクションがいいでしょう。

 

同時に、2018年は、日々のタスクを確実にこなしていく「着実性」が大切です。

 

しっかりとした2018年の目標(自分のフォーカス)を持ち、それを4半期の目標に落とし込み、月の目標と週の計画をたて、日々の優先順位を明確に、日々のタスクを確実にこなしていくことです。

 

目標やタスクと言っても、世間が言う成功のためでもなく、誰かに押し付けられるものでもなく、自分を無理やり駆り立てるものでもなく、自分が自分にとって大切なことを大切にできるために、優先順位を明確にして、しっかりと地に足をつけて動いていく、というイメージです。

 

もし、目標や計画、タスクと聞いて「重荷」のように感じる部分があるとしたら、まだ他人の価値観を優先させている部分があるでしょう。

 

自分にとって大切なことに正直になって、自分が自分の幸せを最優先にすると決めましょう。

 

そして、 2018年の特徴でもう一つ大切なことは、「何をやるか」よりも「なんのためにやるか」(目的、動機と意図)が大事なことです。

 

これまでの時代では、一見やっていることは同じに見えて、なんとかごまかせたことでも、これからの時代では「目的・動機の差」が大きな差となって表われてくるように思います。

 

年末の大手企業の不祥事(データ改ざん等)は、そのようなメンタリティー・体質の限界を示してくれたと思います。

 

そして、組織の理念やトップの意識レベルが一人一人の仕事の充実度にもますます直接的に関係してくるでしょう。

 

2018年も密度の濃い年になるでしょう。

 

周りに流されないで、充実した年にするためには、自分の目標(自分のフォーカス)をしっかりと持つことが大切です。

 

もしまだでしたら、2018年の目標を文字にして手帳に写し、月や週の実行プランや優先順位を日々書き出していくことをお勧めします。

 

2018年、自分の目的をしっかりと据えて一歩一歩着実に進んでいきましょう。

 

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疲れやすい、人混みが苦手、相手に合わせてしまう人が共感能力を開花させるために学ぶこと

共感能力が高い人がいます。わたし自身もそのタイプに当てはまります。

 

人混みが苦手、疲れやすい、相手に合わせてしまう、という悩みもあります。

 

ただ、他人の感情を自分のものと感じる位に相手を受け止められることは、文字通り天から与えられた「天賦の才能」とも言えます。

 

職業はなんであれ、また本人の自覚がなくても、カウンセラー的な役割を発揮していることも多いようです。

 

同時に、その資質が才能として活かされるには、いくつかの学びがあるようにも思います。

 

必要な時にはNOを言えること

 

他人との健全な境界線(boundary)を持つこと、

 

他人ではなく自分を最優先にすること、

 

他人の評価でなく自分で「自分はこれでいい」と思えること、

 

必要とされるニーズを手放すこと

 

他人によらない自己価値を持つこと、

 

などです。

 

 

また、共感能力や感受性、情緒的エネルギーを「表現」のエネルギーとして活かすこともできます。

 

「共感能力」は、「感じとる力」をベースとして「エネルギーを伝達できる能力」としても発揮されるので、スピーチや文章を書くなどなんらかの表現をする人にとって大きな力になります。

 

その人が感動したことについて伝えようと思うと、その感動のエネルギーが文章なりを通じて相手に伝達されるからです。

 

そういうタイプの人たちの、自分の中から「湧きでるもの」を表現する意欲はもともと強いので、それが助けとなり、それがどんな分野であっても、自分の表現や作品は自然と高い水準に達していきます。

 

共感能力や感受性が「表現」として開花すると、

 

カウンセラーやコーチといった感情を直接的に扱う職種はもちろん、

 

人に教えること、講師、執筆、ダンス、デザイン、演劇、絵を描く、歌を歌う、音楽、イラスト、建築、彫刻、織物、アスリートなどとして活かすことができます。

 

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ぜひ、その能力を才能として開花させていただきたいと思います!

 

 

「~しなければならない」は、自分のパワーを奪う言葉ー自分が選択することが自分が体験すること❗️

このところ続けて強いインスピレーションを受け取っています。

今の世界の情勢は、私たちが同じ生き方を続けられないと知らせてくれています。

 

前回の記事で、今自分がいるところからしか始まらない、とお伝えしました。

 

別の言い方をすると、自分の選択に責任をもち直すということです。

「原因と結果」に責任をもつということです。

責任のレベルを上げるということです。

 

この場合の責任とは役職や重苦しい義務を指すわけでもありません。

 

ここで言う責任とは、自分の行動・言動(選択)に完全に受け止めるということ、誰かのせいにもしないということです。

 

それこそが自分に本当の力や勇気、インスピレーションをくれるからです。

 

「『誰かのせい』なんてしてないよ」と思うかもしれませんが、

私たちの口ぐせや意識には、会社上司のせい、政府のせいや学校のせい、無意識的には親のせい、などなど、誰かのせいにしている部分がけっこう多いのです。

 

明らかに「誰かのせい」にしてないと思う場合でも、自分の言葉に気づいてください。

 

あなたが一日でとるすべての行動に対して、あなたは100%はっきりと「したいからする」と言えますか?

 

とりあえず

した方がいい

~しなければならない

~するべき

 

これらはすべて自分からパワーを奪う言葉です。

 

会社に言われたから?

家族に言われたから?

親に言われたから?

みんながそうしているから?

これまでそうだったから?

 

確かにそういう状況はあるでしょう。

でも、そうした言い方は完全に自分の選択を認めていない、ということになります。

 

どこかで、「~に言われたから」という逃げ道と言い訳をのこしています。

 

これでは自分の本当の力も才能も発揮することができません。

受け身で、逃げ腰です。

 

責任をもっている人は、自分が選択することが自分が体験することだと知っています。

 

自分が望むことを明確にすることに時間をとり、自分が望むことを選び続け、求め、それを体験します。

 

もし自分が望まないことがあるなら、選択をし直します。

 

自分が選択することが自分が体験することなのです。