私って考えすぎ?と思う人、パワハラにあっている人、人間関係で悩んでいる人へ ー絵本こそ人間と感情についての学びの宝庫

今日は、私ってちょっと考えすぎなタイプかなと思う方、パワハラにあっている人、人生このままでいいんだろうか?という問いがよぎり始めた方にオススメしたいことがあります。

 

「絵本を読むこと」です。

 

この数日、姪っ子と一図書館へ行って一緒に絵本を読む機会があったのですが、絵本には、人間社会の普遍的なテーマを物語形式で伝えてくれ、かつ、疑似体験させてくれる本質的な力があることを実感しました。

 

絵本というとかわいい絵があってハッピーエンドで終わるものというイメージを持つ人がいるかも知れませんが、実はけっこう残虐だったり、人が死んだりと「喜怒哀楽」と「ストーリー性」がはっきりしているものが多くあります。

 

一見子供向きの形をとりながら、大人向けの聞き心地のいいことだけが書かれた本よりも、むしろ絵本の方が、人間社会のより本質的なテーマをまっ正面から教えてくれます。

 

善と悪、共生と対立、生と死、生きる意味、勇気、幸福、人間愛などです。

 

例えば、絵本の中でも有名なものに、「スーホの白い馬」があります。教科書にも載せられていますし、皇室の美智子さまも好きな絵本として挙げられています。

 

ただ、内容としては、ハッピーエンドどころか、権力者の不条理な対応に打ちのめされる羊飼いの悲しいせつないストーリーです。

 

設定は、モンゴルの草原で馬を育てる羊飼いですが、

そこには、「人間」と「権力」という普遍的なテーマが描かれています。

 

スーホー

 

そもそも、人間が生きるところには、部族の集まりがあって、部族長だのなんらかの「制度」が生まれた。部族の知恵が伝承される集団もあれば、王政をつくった社会もあり。。。

 

圧倒的な力の差が存在する時、人はどうするのか?

人は「性善説」か「性悪説」か?

 

そもそも私たちが生きる社会には、わからないこと、不条理なこと、人間の弱さゆえに、善と悪の視点だけでは片付けることのできない問題がたくさんあります。

 

人間は弱く、どんな時代にも大人社会での「いじめ」もなんらかの形で存在しました。

人生で起きることも体験することも決していいことばかりではありません。

怒り、嫉妬、もどかしさ、悔しさ、無念さ、理不尽さ、などなど。。。

 

だからこそ、読み手は主人公とともに、さまざまな「喜怒哀楽」を感じながら、それを自分自身に投影させて、それを乗り越える快感を体験していくことができるのです。

 

時に、悲しいお話しに涙したり、時に怒ったり、不条理な出来事にやりきれない思いを感じたり、そんな自分の内面が揺れ動くことや「感情」というものを知りながら、かつ上手に好きあう術を学んでいくのです。時には自分の中の感情そのもののが「浄化」されることもあるでしょう。

 

本を読むことは、「実生活の『シミュレーション』である」、と言っているのは、子供の能力を伸ばす学習で有名な高濱正伸さんです。

 

私自身も数年前に「スーホの白い馬」を読んだ時には、涙がポロポロと溢れ出てきてびっくりしました。

 

この本を読んで泣いてしまう人はけっこう多いようです。

 

会社や組織での「理不尽な」対応ややり方がいいとは言いません。

 

ただ、絵本を読んでいると、人間の社会に「理不尽さ」はつきもの、とさえ感じられてくるのです。

 

昨日からお休みという方も多いかも知れません。

 

お休みでない方も組織で働く方ならのんびりモードな時期ですよね。

 

そんな時間がある時だからこそ、ぜひこの夏休みには、少し視点を広げて、ぜひ絵本に浸る時間を自分に贈ってあげてください。

本気でパワハラを変えたいあなたへー「だからこそ」 あなたが輝くための105の質問

パワハラは何が本当の問題なのでしょうか?

 

私は初めての国連での赴任地東ティモールで、「パワハラ」・「セクハラ」に遭遇しました。

 

相手はパキスタンの出身の男性で、女性のスタッフには一切挨拶もせず、「女性に仕事はできない」と言い放つ人でした。

 

女性と男性は別々に食事をするような国ですから、もしかしたら、女性と仕事をしたことがないのかも知れません。(ちなみに、ノーベル平和賞を受賞したマララさんもパキスタンの出身です。)とは言え、平然と女性だけを無視したりする訳ですから、こちらも心穏やかではありません。

 

他の同僚の助けてもらいながら、自分がやるべきことは淡々とやりましたが、電気もお湯もないような任地で、国連の1年目分からないことだらけだったので、大きなストレスと精神的な負担になったのは言うまでもありません。

 

国連で働き始めてすぐに起こったことだったので、国連という組織のことも、国連での職場での人間関係についてもよく分からなかったのですが、そのうち、自分が「そのような扱い」を受け続ける必要はない、と思うようになりました。

 

我慢し続けるのも限界になり、上に訴え、彼は別の地域へ再配属されました。

 

数ヶ月の苦痛から解放され、ホッとしたのですが、「『この事件』は私にとっていったい何だったんだろう?」という「宿題」が私の中に残ったような気がしました。

 

その3年後、私は国連ニューヨーク本部へ移り、仲裁の研修を受けた時に、国連の職場で上司との関係や仕事の評価に関する異議申し立てが多いことを知り、再びそのことを思い出しました。

 

全世界で働く国連職員の数はおよそ8万人(secretariatとPKOミッションで働く職員)。

 

その8万人から、一年間の間で、国連のオンブズマンオフィスに約9,000件も仲裁(第三者を交えて話し合いを持つこと)の要請があるそうです(2012年度)。

 

相談内容については、圧倒的に多いのが、職場での仕事の評価について、契約体系(更新)、上司との関係についてだそうです。

 

国連という組織は、基本的には自動更新も自動昇進もない自己志願制の契約体系で成り立っていますから、評価や契約は大きな問題になりえるという事情はあります。

 

とはいえ、この数字は「氷山の一角」なのでしょう。

 

国連では、国連の職員が「職場での対立に建設的に対処する能力を身につける」ためのいろいろな研修が行われていて、私もそうした研修に参加したことがあります。

 

そして、部屋の中に、ありとあらゆる肌の色の人達がいるのを見た時に、「ああ、悩んでいたのは私だけじゃないんだ。」

 

そして、「意見の違いや対立に対処する方法を最初から分かっている人はいなくて、誰もが学んでいくものなんだ」、とある意味ホッとしたのを覚えています。

 

その後、私は部下を持つようになり、南スーダンでは多国籍チームのリーダーを務めるようになりました。上司になって新たに見えたこともありました。

 

今度はカウンセラーになって新しく見えることもあります。

 

「パワハラ」では、人間関係のくせやこれまでの「課題」が「噴出」して現れることがあります。

 

新しいステージへ上がるために、自分の課題や生き方を見直すのは大切なことです。

 

いずれにせよ、はっきり言えるのはどんなケースであれ、「その先」がある、ということです。

 

何が本当の課題なのか?

何を学ぶ機会なのか?

自分はどうしたいのか?

 

まずは、今の自分の状態や体験を落ち着いて整理することが大切です。

 

今の自分の状況を整理して、ではどうしたらいいかを考えられるように、自分の体験と相談を受ける中で気づいたことを質問形式にまとめました。

 

なぜ質問形式なのかと言うと、人それぞれ性格も違うし、会社や上司の状況とかいろんなことが違うので、「こうしましょう」という決まった一つの答えはないからです。

 

今の自分の状態や体験が整理でき、理解できると、自分の奥からほんとうの力が湧いてきます。

 

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少しでもお役に立てましたら幸いです。

 

「やめてよ」と言える子はいじめられない!パラハラは人間関係のやり直し

最近、パワハラの相談が増えています。

 

厚生労働省が2016年に行った「職場のパワーハラスメントに関する実態調査」によると、過去3年間でパワハラを受けたり、見た・相談を受けたという人は、およそ3人に1人となっており、前回の平成24年調査から大きく上昇しています。

 

労働相談に寄せられる相談では2番目の「解雇」を超えて、4年間連続でパワーハラスメントが一番に挙がっています。

 

どの程度を「パワハラ」というのか、最近の子は打たれ弱いんじゃないか?という疑問を持たれる方もいるかもしれません。

 

私が相談を受ける中で感じるのは、確かにそういう面もあるかも知れないけれども、

 

社会や国全体がこれまでのやり方や価値観を抜け出せない中で、社会の「ひずみ」がそのまま会社や組織に反映され、中間管理職による「パラハラ」という形で現れているんじゃないか、と感じます。

 

じゃあ、パワハラって何がほんとうの課題なの?と考えていたら、姪っ子のお迎え先でみつけた本でこんなくだりを見つけました。

 

「『やめてよ』と言える子はいじめられない」

 

なるほど〜。

 

子育てについての本ですが、そのまま大人に当てはまるな、と思いました!

 

私たちが本能的に気づいているように、大人になってもにんげんの基本的な行動心理やパターンは変わりません。

 

にんげんは、二人以上揃えば、どっちが「上」か判断しようとしますし、序列をつくりたがります(特に男性)。

 

「いじめっこ」は弱そうな人を探します。

オドオドしてる子、自信のない感じの人、ビビる子を敏感に感じとります。

 

彼ら(いじめっこ)は、自分の「支配下」に置ける自分よりも弱い人を見つけることで、自分の「パワー」を確認したいのです。

 

私は、国連という組織で、または軍隊という組織で、または、紛争地で、国籍や人種とわずまったく同じような力学をあちこちで見てきました。

 

実は、「いじめっこ」やDVの「加害者」は、気が弱いタイプであったり、劣等感やコンプレックスを抱えていることが多いのですが、大人になると、そこに役職や契約の更新等がからみ、時に相手がもっともらしいい理屈を述べてくるのがやっかいなところです。

 

そして、会社でもみんなパワハラが起こっているのを知っていても、何をしていいかわからない、というか、声をあげたり、誰かに何かを言うような勇気もないのも残念ながら実情です。

 

派遣社員の方から、周りの人がなにもしてくれなかったことがさらにショックだった、という相談を受けたことがありますが、そういうケースが実際にあるのも残念ながら事実です。

 

そして、職場全体のモラルやモーチベーションがさらに下がるという悪循環を起こしています。

 

日本人の和を重んじる面は素晴らしい点だと思いますが、私たちはそうした時に集団ででも声をあげていくことも学ぶ必要があると思います。

 

さて、もうこんな職場辞めたい!と思うことと思います。

 

自分の健康を害してまで続ける価値のある仕事など存在しませんし、なにより、そんな仕打ちを受ける必要もありません。

 

ただ、もし一言お伝えできることがあるとしたら、仮に辞めるとしても、自分の次への成長のために「もうひとふんばり」して欲しいと思います。

 

それは、我慢するのではなく、むしろ逆で、

心の中で思い切り!「やめてください!!!」と言うことです。

おそらく、実際の心の声は、そんな礼儀正しい言い方ではなく、

ふざけんじゃねー!!!

私に指一本ふれるんじゃねー!!!

みたいな雰囲気でしょうか。

 

もちろん、職場には役職や上下関係が存在します。

 

でも、私たちにはにんげんとしての尊厳があり、人格を持つ存在としてはみんな平等です。

 

そのような仕打ちや扱いを自分に受けさせることはない!のですから、そのようにはっきりと相手に(心の中でいいので)言うことです。

 

 

不思議とこっちが腹をくくり、こちらの態度がぶれなくなると、相手の態度が変わることがあります。

 

そして「辞める前」にぜひ一回ご相談ください。

 

その上司との関係やその職場での体験が自分の中で「嫌な状態」のまま「未完了」終わると、その体験がトラウマとなって、自分では気付かなくても無意識に仕事を制限したり、やる気や集中力がなくなったりと、メンタルに影響することがあります。

 

その上司との関係や今の職場の状況について心の整理をしておくことと、次の転職や次の仕事をみつけるのがよりスムーズになります。

 

さらに言うと、その体験をきっかけに逆に人生が上向く人さえいます。

 

そんな時ほど、人間は自分のことや自分のコミュニケーションスタイルについて振り返らずをえなくなるからです。

 

パワハラをただのパワハラで終わらせたくない人へ!

 

人生には波があります。

波のてっぺんにいる時を人は成功と呼びます。

波の下がっている時にいる時のことを、人は挫折と呼びます。

 

でも、波は常に動いていて次の波が来ます。

 

下がったと思っても、方向が上向いていればいいのです。

次の波がまた先に連れていってくれるからです。

 

私はメンターの先生にこう言われたことがあります。

 

「波のてっぺんにいる時も波の底にいる時も違いはないのよ。

ただ、目の前に学ぶことがあるだけ」、と。

 

多くの人は(私も含めて)波の底にいる時にこそ謙虚に学ぼうとします。

 

なんでも物事が上手くいっている時に人は他の人に耳を傾けないからです。

 

自分の思うようにならないからこそ、理不尽なことがあって初めて自分はどうしたい?

と考えるようになるからです。

 

 

「辞める前」にぜひ一回ご相談ください。

 

 

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上司に相談12.7%、12.9%の人が会社を退職ー多くは仕事の悩みを安心して相談できる相手がいない という実情

燃え尽き症候群やパワーハラスメントの相談件数が年々増えています。

 

厚生労働省が平成28年に行った「職場のパワーハラスメントに関する実態調査」によると、

 

過去3年間でパワーハラスメントを受けたり、見た・相談を受けたという人は、およそ3人に1人となっており、前回の平成24年調査から大きく上昇しています。

 

このように、燃え尽き症候群やパワーハラスメントは誰にも起こりうることです。

 

同時にパワーハラスメントを受けた人で、上司や社内の相談窓口に相談した人は12.7%にとどまり、家族や社外の友人に相談した人が20.3%と一番多く、12.9%の人が「会社を退職した」と回答しています。

 

この調査結果からも伺えるように、働いている人の多くは仕事の悩みを安心して相談できる相手がいない という実情があります。

 

では、パワハラとは何が本当の問題なのでしょうか?

 

私自身も国連でパワハラを受けたときには悩みました。

 

自分がやるべきことは淡々とやりましたが、電気もお湯もないような任地で、国連の1年目分からないことだらけだったので、大きなストレスと精神的な負担になったのは言うまでもありません。

 

その後、私は部下を持つようになり、南スーダンでは多国籍チームのリーダーを務めるようになりました。上司になって新たに見えたこともありました。

 

今度はカウンセラーになって新しく見えることもあります。

 

「パワハラ」では、人間関係のくせやこれまでの「課題」が「噴出」して現れることがあります。

 

新しいステージへ上がるために、自分の課題や生き方を見直すのは大切なことです。

 

何が本当の課題なのか?

何を学ぶ機会なのか?

自分はどうしたいのか?

 

まずは、今の自分の状態や体験を落ち着いて整理することが大切です。

 

今の自分の状況を整理して、ではどうしたらいいかを考えられるように、自分の体験と相談を受ける中で気づいたことを質問形式にまとめました。

 

なぜ質問形式なのかと言うと、人それぞれ性格も違うし、会社や上司の状況とかいろんなことが違うので、「こうしましょう」という決まった一つの答えはないからです。

 

今の自分の状態や体験が整理でき、理解できると、自分の奥からほんとうの力が湧いてきます。

 

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国連での勤務の1年目、苦い体験を通して学んだ本当の議論のためのルール

自分がある出来事についてどう思っているかは、自分が決めればいい、というお話しをしました。

 

でも、みんながそれそれ違う意見を持ったらどうなるの?

という漠然とした疑問というか、不安を持つ人もいるようです。

 

 

それは、

日本では、

議論のルールというものを習ったことがない

議論というものをしたことがない

または、本当に違う意見を交わしてより理解が深まったという体験したことがない、

または意見はトップダウンで決められるものでただ従えばよい、

答えは「上」から与えられるもの

という権威主義的なやり方を当たり前とする文化や経験の問題だと思います。

 

 

でも、自分の意見を言わないことは、

相手を尊重していることにはならないし、

本当の関係を築くことにならないのも事実です。

 

そして自分の意見を持つことを止めるものに、いろんな誤解が理由としてあるようですが、

 

その一つは、人の意見と人格を同一視してしまうというものです。

 

 

私はその誤解を国連での勤務の1年目、苦い体験を通して学びました。

 

国連勤務の1年目初めての赴任地東ティモールでの出来事でした。

 

初めて、オーストラリアのダーウィンから初めて国連機というものに乗って東ティモールの首都、ディリに向かった日のことは今でも覚えています。

 

一緒に働くことになったのは、

チリ生まれのオーストラリア人、パキスタン人、イギリス生まれのパキスタン人、カメルーン生まれのドイツ人、オーストラリア警察から出向中のオーストラリア人の女性と日本人のわたしでした。

 

さて、チリ生まれのオーストラリア人はチリ人っぽいのか、それともオーストラリア人っぽいのか?

国籍を聞いただけではこの人たちはどんな人たちなのかさっぱり分かりません。

 

さて、始めての会議。

 

その中でチームリーダーに選ばれた一回り年上のパキスタン人の同僚の口からは、ショックな言葉が続きました。

「女は仕事ができない。」

そして、男性には挨拶をして、女性は無視するかのような態度。

 

オーストラリア警察から出向していた女性と私は顔を見合わせてまず怒りました。

そして、悩みました。

 

結論から先にいうと、そんな言動が続き、本部からヒアリングと事実確認、調停を担当する人が派遣されてきました。

 

その調停人の方は、まず双方の言い分を聞き、事実確認をするための質問をいくつかしました。

私は事前に書面で伝えていたことと同じことを伝えました。

 

そして、何回かそのようなやり取りが続きた後、

途中「だからこの人は何もわかってない!」と

私の方がカッとなってしまいました。

 

私がよく覚えているのは、その時の調停人の言葉です。

 

彼は落ち着いた口調でこう言いました。

「事実と人格を分けてください。」

「ここで聞いているのは(確認をしている)のは事実関係です。

何があったのかという「事実」だけを述べてください。

相手のパーソナリティーに言及することは慎んでください。」

 

私は、その瞬間にハッ!と気づいて本当にその通りだと思ったのです。

 

「「事実」だけを述べてください」とは、日本人の感覚からするともしかしたら冷たい印象を与えるのかも知れません。

でも、その時に私はすごく解放された気がしたのです。

 

 

この人はイスラム圏で生まれ、おそらくこれまで女性と働いたことがなかったんだろう。

そういう文化背景で、おそらくそういう考え(女性は仕事はできない)を持つようになって、

ただそれだけなのだ、と。

 

 

そういうことを平然と言い続ける人と一緒に働くのは決して心地よかったわけじゃないけど、

私個人に向けられたものではなかった、と。

 

 

私たちは、自分とまったく違う意見と持っている人に会ったり、自分の意見が否定されたりすると、あたかも自分という個人が否定された、と感じがちです。

 

相手の意見と人格をごちゃまぜにしてしまいがちです。

 

でも、その人の意見は世界の72億あるうちのたった一つの意見であって、

 

自分にとって真実でもなければ、同意する必要もないし、

その人の意見個人的に捉える必要はまったくないのです。

 

最近続けて職場でハラスメントを受けている・受けていたという相談を受けていますが、

それを聞く中でも、そこにショックや傷ついた体験がごちゃまぜになっていることが多いのを感じます。

 

まず、事実と感情を分けること、

事実と人格を分けることが大切です。

 

すると、事実関係が自然に整理されていきます。

 

 

《まとめ》

事実と感情をわける

意見と人格を分ける

事実を淡々と整理する

人の意見が自分の意見と違うからといって、それは個人的に嫌われたとか、尊重されていないとは違う

もしそういう感情や感覚があるとしたら、それは本当にそうなのか確認すること。

国連で働いて学んだことー「問い」を持つことこそが運を上げ、才能を引き出してくれる❗️

若い人たちは内向きなのではないー誤解をしているだけ

 

私は長年の海外勤務から日本に帰って来てから、気づいたことがあります。それは日本人の共感能力の高さです。当たり前のようにも思っている人が多いかもしれませんが、これは世界的に見ても非常に稀有な能力です。

 

これからの時代、感じるとる能力はますます求められていくと思います。

 

 

同時に、そのせっかくの共感能力が、ある誤解のために活かされていない、ケースも多いと感じます。

 

 

それは、問題とは解決しないといけないから、もし解決できないのなら取り組むことさえ無駄だ、という誤解です。

 

 

私は日本に帰ってきてから、若い人たちにもっと世界のことに関心を持って欲しいと思いました。

 

 

最近の若い人は内向きだと聞いたことはありましたが、それってなんでだろうと自分の中でも腑に落ちない部分がありました。

 

 

でも実際に若い人たちと接してみると、若い人たちは世界のことに関心はあるし、実はもっと知りたいと思っている、感じました。

 

私が南スーダンのことについて話すと興味を持って聞いてくれました。他人事のように聞こえるニュースには関心は持てなくても、身近な人が実際に体験したことには興味を持つ、と感じました。

 

 

そして、関心がないのではなく、すぐに解決できないことや、やっても無理そうなことは無駄、という意識があるように思いました。

 

 

そこには、問題には答えがあるはずだ、という根本的な思い込みがあるのかもしれません。

 

 

または、課題を追うよりも解決することの方が価値がある、という前提があるのかもしれません。

 

 

私はこれまで五人ほどのノーベル賞受賞の方と会議などでご一緒して、直接質問をする機会もいただきました。

 

 

ハーバード大学のケネディースクール行政院で生徒に最も影響を与えた教授に選ばれた先生から直接リーダーシップに関するトレーニングを受けたこともあります。

 

そうした人たちに共通していたのは、すぐには答えの出ないような問いに向き合い続けるという姿勢でした。

 

彼らが追ってきたのは、世界の平和や、平等、格差の是正などすぐに答えも成果もでないものばかりです。

 

 

そんな人たちに触れる中で、彼らだけが格段別格の頭脳や才能を与えられた訳ではなく、問いを追いかけ続けたからこそ彼らの中の能力や才能、ひらめきが引き出されたのだと思うようになりました。

 

 

問いを持つことは私たちの能力を引き出し、視点を引き上げてくれます。

 

 

私がオックスフォード大学大学院から奨学金をもらえたのは、「民族が違うだけで人はほんとうに争うの?」という自分の中で生まれた問いがきっかけでした。

 

 

 

今でもこの問いに対する完全な答えが出たとは言えません。

 

 

実際に、国連に入ってからも、現場での問題に触れる度にこのやり方でいいのだろうか?という問いに何度もぶつかりました。

 

それに対しても決まった答えはありませんでした。

 

でも、その問いがあったからこそ、現場へ行き、自分の目で見て感じ、いろいろな人に会い、そして国連や米軍で働くなどいろいろなことを体験させてくれました。

 

現場で自分が見て感じたこと、体験したことの全てを含めて自分なりの答えや結論を出していくという大きな機会をもらったのだと感じます。

 

 

そういう意味では、私の仕事の本質は、問い続けることだったのかも知れません。

 

紛争地での勤務と聞くと、「さぞかし、大変だっただろう」と思われるかも知れませんが、私にとっては、ある課題を追求・探求できるということ自体が「プライスレス」な体験でした。

 

問い続けることは、私に湧き出る力、そして「運」もくれました。

 

 

私たちが何かの答えを求めるとき、その方が一直線で一見効率がよさそうに見えます。

 

 

この問題に対してピンポイントにすぐに答えが欲しい、という場合ももちろんあると思います。

 

 

 

問いを持つことは、答えをくれると同時に、その人の理解や視点全体を底上げしてくれます。

 

 

 

 

問い続けることは、自分の中の勇気や底力を呼び覚ますことでもあるのです。

 

 

自分の才能を発見する魔法の質問ー「この仕事で自分にしかできないことは何だろう?」 「このバイトで自分にしかできないことは何だろう?」

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

私にしか書けないことは何だろう?

 

ブログの記事で仮にたった300字でも、連載原稿だったとしても、この質問は常に私の頭の片隅にあります。

 

この質問は自分の仕事がなんであっても常に当てはまると思います。

 

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

「このプレゼンで自分にしか言えないことは何だろう?」

 

それがたった1日のバイトでもこの質問は自分にできると思います。

 

「自分のやりたいことが分からない」、という人も多い世の中。

 

夢や天職、やりたいことは、何か「大きなもの」や「立派なもの」であるはず、というような風潮もあるように感じます。

 

大きな目標を持つようなタイプの人もいるでしょうが、誤解をおそれずに言うと、「夢は大きく持て」も、ある意味大人の言い分に「だまされている」ようにも感じます。

 

大きな目標がある人もいますが、それでもその人を本当に突き動かすことはとてもシンプルだったりします。

 

例えば、私にとってある時期、国連で働くことは一つの大きな目標でした。

 

国連というキャリアの中でも、二つの国の独立国に関わるというかなり「ドラマチック」な体験をさせていただきましたが、とはいえ、その中でも本当に好きだった瞬間というのは案外とてもシンプルで、いろんな国の同僚たちと「ああ、この人も同じ人間なんだ」と分かり合える瞬間でした。

 

そして、国連という目標を叶えてよかったと見えるかも知れませんが、

「自分にしかできないことは何だろう?」という問いに終わりはありません。

 

むしろ、毎回続きます。

 

プレゼン

発表

執筆

原稿

授業・講演。。。

 

 

この質問はある職業に就いたから終わるわけではありません。

むしろ、その質問を掘り下げさせるためにこの仕事や機会が与えられたんじゃないか?と感じるような場合もあります。

 

その質問こそが自分が自分を知ったり、自分の才能を発見させてくれるものだからです。

 

自分しかできないことは何か?

 

それは必ずしも行為とは限りません。

共感だったり、

相手を心の中で理解することかも知れません。

 

ある研究会の委員として発表を頼まれた時、私は数日間「私はいったい何を発表したらいいんだろう?」「私しか言えないことは何か?」「この会で私が言うべきことは何か?」と数日間真剣に考えて、

 

「難しいことではない『当たり前のこと』を言うこと」という結論にいたったこともありました。

 

 

その時に自分にしかできないことが少しでもわかった時、自分の中で「いなずま」が走るような「ひらめき」が起こることがあります。

 

自分が自分を発見し続けることー

 

そして、そんな体験が自信をくれます。

 

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

せっかくなら楽しく毎日この質問に取り組みたいと思います。