新しいことに取り組むのがこわい、完璧主義、失敗を避けようとする人へー「ちゃんとしなきゃ」よりももっともっと大切な質問

つい昨日のことです。

 

最近参加したある勉強会の第二回目の会がありました。

 

テキストがあって、宿題をしておくことになっていました。

 

それが私だけ別のところをやってきてしまっていて、身に付けたいことがあってわざわざ時間をとって来てるのに、ちょっと「恥ずかしいな」と思いました。

 

ちょっと心を落ち着けてみると、

 

そういえば講師の方が「次回だけ順番が変わりますのでご注意くださいね」と言っていたことを思いだして、

 

ちゃんと講師の方の話を聞いていなかったなあ、と思いました。

 

そして、何か新しいことを習い始めるために大切な「謙虚さ」が足りなかったなあ、と思いました。

 

ある程度なにかの仕事をマスターしたり、なにかに成功すると人は「こうすれば上手くいくという自分のやり方」を身に付けます。

 

人が仕事で経験を積み、学んでいくことで、体験することで得ていく仕事や人間についての洞察や理解といったものがあるのだと思います。

 

それはとても有難いことで、だからこそわたしは人さまの相談にのれるのですが、

 

ただ、そうした過去の成功体験が新しいことを学ぶときには邪魔になってしまうことがあるのですね。

 

自分自身に言うつもりで言っていますが、新しいことを学ぶときにはピュアでオープンな気持ち、そして謙虚さが大切です。

 

初めてのことをやるときには間違えることもあるし、最初からできるわけじゃないし、周りの人たちに教えてもらったり、助けてもらう必要もあります。

 

日本人は「失敗」を極端に避けようとすると言われます。

 

海外に12年いた経験から言ってもそれは肌レベルで感じます。

 

どうしてなんだろう?と少し思ってみると、

 

わたしたち(日本人)は、

 

自分にできないことがあること

人に教えてもらうこと

自分が一番でないこと

完璧にできないこと

「普通に」できないこと

自分の期待していたようにできなかったことも

 

「はずかしい」(恥)と感じて、

 

それまでも「失敗」とっても呼ぶ傾向が強いんじゃないかな?と思いました。

 

新しいことに取り組むのがこわい

自分の作品を発表するのがこわい

あたり障りのない意見を言おうとする

相手にほんとうの気持ちを伝えるのがこわい

完璧主義になる

失敗を極端に避けようとするのも同じメカニズムです。

 

でも最初からなんでもできるスーパーマンのような人はいませんし、完璧な人もいませんよね。

 

これを書きながら、高校生のときに会ったブラジル人留学生の友人がどんなことがあってもあまりにも、「あっけらかん」としていて、ちゃんとがんばる日本人のカルチャーしか知らなかった私は、かなりのカルチャーショックを受けたのを思い出しました。

 

そういえば、国連の採用面接で失敗について聞かれることにも最初はびっくりしたものです。

 

「あなたが失敗したことは何ですか?そこからあなたが学んだことは何ですか?」という質問でしたが、計画してもその通りにいくことなんで稀だし、人は間違いをするし、そのときにどうするかの方が大事ですよ、という意味だと理解しました。

 

わたしたちの多くは、「ちゃんとしないといけない」と育てられるのですが、その体験から何を学んだか?という「リフレクション」(振り返り)の視点はあまりないように思います。

 

大切なのは、間違いを避けることではなく、その体験から何を学んで、次はどうしたらいいのかな?という視点なんですね。

 

昨日は帰ってきてから、さっそくその日までに出来なかった宿題を終えて、次回の分の宿題も終えました。

 

「宿題」を出されたり、宿題をやるのも二十年?かぶりですが、ピュアな気持ちで楽しめそうな予感がしています (*^-^)ニコ

 

ps. 完璧主義や失敗をさけようとするメカニズムをわかりやすく説明している本自体あまりないのですが、この本はとても面白いです。

 

ほんとうに成功している人は神さまに応援される人❗️③ー神様の視点を理解すればもっと楽にうまくいく

もし本気で人生をよくしたいと思うならば、わたしたちは作戦を根本的に変える必要があります。

 

それは神さまに応援されることです。

 

そして、「世間の視点」ではなく、「神さまの視点」を理解することです。

 

神さまは、わたしたちが心穏やかでいて、幸せでかつ人の役に立つ存在になることを望んでいます。

 

この中で一番優先順位が高いのは「心穏やかにいること」です。

 

なぜなら、幸せであることも、愛があることも、人の役に立つ存在になることもその根本には自分が「心穏やかである状態」があることからです。

 

「心おだやかであること」と言うと、すごく受動的なように聞こえるかも知れませんが、心穏やかでいられることは実はすごくパワフルなことです。

 

ある大手企業に勤められている方ですが、ある新規プロジェクトに配属されたのですが、そのプロジェクトを率いる部長さんは性格も「一癖」あって、会議もしらけていて、そのプロジェクトがいったいどうしたら進むのか想像がつかない位だった、と言います。

 

まず、会社へ行くこと自体が苦痛の日もありましたが、自分が穏やかでいられるために、会議の前にある瞑想を取り入れ、会議に参加している時の自分と参加者全体の心の状態に意識を向けることを始めました。

 

すると、なぜか会議が周り始め、部長も彼女をかってくれ、責任のあるプロジェクトを任され、それまで会社で誰もやったことのなかったことを立派にやり遂げました。

 

その成果が認められたこともあって、対外的な会議にも会社を代表する立場として出席するようになり、経営企画室に配属されました。

 

経営企画室の空気はとても重かったと言いますが、出勤する前にある瞑想を習慣づけると、経営企画室の人たちがなぜか彼女を頼り始め、社長からも声をかけ始められるようになりました。(経営企画室に何十人もの人がいる大企業の話しです)

 

神さまはときどき、「自分の向いている方向があっていること」をそのようなとても分かりやすい形で見せてくれます。

 

時には「わかりやすい方法」で神さまのサポートを見せてくれることもあるでしょうし、神さまと自分が望んでいることが一致していれば大きな「結果」を体験するかも知れません。

 

ただ、私たち人間は忘れやすいし、すぐに気移りしてしまう弱い存在なので、応援もやる氣も必要だということをわかっているかのように、「わたしはここにいますよー」とわかりやすい形で応援や結果を示してくれることもあります。

 

ただ、神さまの視点から、見ると仕事は「手段」の一つです。

 

神さまが関心を持っているのはわたしの持っている「思い」であり、「意図」(目的)であり、「原因」です。

 

わたしたちの思いが「原因」で、わたしたちが見るもの、体験するものは「結果」である、という考え方があります。

 

私たちの中の思考パターンや感情の傾向、エネルギーや過去の体験があるパターンとなって現れる、いう考え方です。

 

この見方によると、「原因」そのものがそのままだとしたら、目に見える環境や状況をいくら改善しようとしても、なぜかいつも同じような「結果」をつくってしまう、ということになります。

 

例えば、もし人は信用できない、と思っている考えがあるとすると、それを確認するような体験を繰り返すことがあります。

 

世界は理不尽だと思っていると、理不尽な体験ばかりが目に入ることがあります。

 

これは引き寄せの法則というレベルの話しではなく、自分の思い(内側)が外の世界(外側)をつくるという「創造の原則」です。

 

わたしたちは、自分のいる職場や上司や「理不尽な社会」が原因で、心の動揺や落ち込み、不安、おそれなどを感じると思っています。

 

でも、神さまの視点から見るとまったく視点がかわります。

 

神さまは、なんらかの課題や問題を体験したときに、はて?今度はどうしたらいいんだろう?自分の中にそれをつくっている原因はなんだろう?と自分の内面に目を向けることを望んでいます。

 

そのために、神さまは、それを見せてくれるような仕事や職場を与えてくれます。

自分にとっての魂の課題に取り組むのに最適な人間関係や環境をくれます。

 

自分のこころの状態、思考パターン、感情のパターン、自分を深い部分で動かしている動機、過去の未完了の体験やこころの重荷、思い込みや自分の中のブロック)に目を向けられるようになるためです。

 

とくに、頭ではこうしたいと思っていても、なにか「葛藤」があるような感じがする、なにかスッキリしない、「モヤモヤ」する、何かが「つっかえてる」と感じるときは、無理やり進めようとするのではなくて、それに気づいて、分解することが役立ちます。

 

難しいように聞こえるかも知れませんが、そこにきちんと意識を向け始めることで、目の前の状況が見る見る変わっていくのを体験するとある意味「快感」でもあります。

 

だって、外の状況(外側)を変えようとすることはすごいストレスですが、自分の内側を変えるのは自分次第だからです。

 

そして、神さまは、わたしたちがどんな体験をしたいのか?何を望んでいるのか?あなたの意思表示を待っています。

 

私たちに「問題解決」に追われる人生ではなく、もっと大胆に祝福と喜びに満ちた新しい人生を「創造」して欲しいと願っているからです。

 

日々体験することや仕事での人間関係を考えるとき、「神さまの視点」という視点から今の状況を理解するならば、より根本的な解決のための糸口が見えてくるでしょう。

 

視点をあげましょう。

 

心を開きましょう。

 

「この件を神さまの目で見させてください」

 

「神さまの耳で聞かせてください」

 

「神さまの心で感じさせてください」と、お願いましょう。(*^-^)ニコ

本気で人生変えたいと思う人へー自分の人生の体験や「パターン」について知る深い方法

わたしたちはそれぞれ自分の人生のストーリーを持っていて、そのストーリーに従って人生を体験している、と言われています。

 

さて、あなたはどんな人生のストーリーを持っていますか?

 

一昨日から実家に来ていて、姪っ子と一緒にみた実写ハリウッド映画2015年版「シンデレラ」を見ながら、「人生のストーリー」ということについて改めて思ったことがあるのでこちらで書き記すことにしたいと思います。

 

さて、シンデレラといえば、誰でも知っている有名なお話しですが、わたしの記録の中ではシンデレラがいじめられた印象の方が強くて、あまりハッピーなストーリーとして記憶していませんでした。

 

しかも、こんなに有名なお話しなのに、12時を過ぎたらその先どうなってしまうんだったけか?とわたしの記憶はまったくあやふやでした。

 

このシンデレラはグリム童話にあるお話しの一つですが、世界各地に似たようなお話しが残っていて、古くは紀元前のエジプト神話に類型があって、また、ジャンバッティスタ・バジーレの『ペンタメローネ(五日物語)』に採録されたチェネレントラ (Cenerentola) として、日本の落窪物語や、中国にも楊貴妃がモデルと言われる掃灰娘や、民話に基づいていると思われる唐代の小説「葉限」などの類話があるなど、古くから広い地域に伝わる民間伝承である、とも言われています。

 

その世界各地ににみられるお話しのあらすじはこのようなものです。

 

  1. シンデレラは、継母とその連れ子である姉たちに日々いじめられていた。
  2. あるとき、で舞踏会が開かれ、姉たちは着飾って出ていくが、シンデレラにはドレスがなかった。
  3. 舞踏会に行きたがるシンデレラを、不可思議な力(魔法使い、仙女、ネズミ、母親の形見の木、白など)が助け、準備を整えるが、魔法は午前零時に解けるので帰ってくるようにと警告される。
  4. シンデレラは、城で王子に見初められる。
  5. 零時の鐘の音に焦ったシンデレラは階段を落としてしまう。
  6. 王子は、靴を手がかりにシンデレラを捜す。
  7. 姉2人も含め、シンデレラの落とした靴は、シンデレラ以外の誰にも合わなかった。
  8. シンデレラは王子に見出され、妃として迎えられる。

 

子どもが絵本を大好きなのは、ストーリー性が好きなのと、そのストーリーに自分を投影して、お気に入りの展開と結末になるのを確認することで安心するからだ、と言われています。

 

実はこれは人生にも当てはまります。

 

私たちはそれぞれなんらかの自分の無意識の「人生のストーリー」を持っていて、そのストーリーに従って人生を体験している、とも言われています。

 

人生とはこういうものだ、という観念をたくさん持っています。

 

それに気づくために体験が起きていることもあります。

 

しかも、必ずしもハッピーエンドで終わるストーリーとは限りません。

 

絵本を読むとわかりますが、けっこうえげつない絵本もストーリーもたくさんあります。

 

 

例えば、「男はつらいよ」という映画は、男性がもっている「男はつらいよ」という心境とストーリーをまさに映画にして寅さんのキャラが受けて大ヒットしたと言われています。

 

自分がどんなストーリーを持っているのかを知るための一つのヒントは、自分はどの部分を一番覚えているか?(どんな点にフォーカスをあてている?)という点です。

 

同じ映画を見ても、同じ本を読んでもみんなそれぞれ覚えていることも、お気に入りのシーンもまったく違うからです。

 

ちなみに、「イタリアの詩人シャンバティスタ・バジーレが残したとされてるシンデレラの原作と呼ばれるものの一つでは、シンデレラと王子はめでたく結ばれますが、結婚式の最中に参列した義姉2人は飛んできた鳩に目をえぐられて盲目になってしまいます。そこにフォーカスを当てれば「因果応報」を描いた作品とも読めます。

 

あなたにとって印象に残っている映画や本やお話しは何ですか?

 

それはなんでですか?

 

それはあなたの人生のどんなストーリーを表していると思いますか?

 

 

なんでいつも同じようなことを繰り返してしまうんだろう?と思ったら、自分がどんなストーリーをもっているのかに意識を向けてみてください。

 

 

もしそのストーリーを体験したくないと思ったら、別のストーリーに置き換えましょう。

 

 

ところで、実写版映画シンデレラは主役のリリー・ジェームズが美しかったです。(*^-^)ニコ

人生の最高の目的の一つは奇跡に溢れた人生を体験して奇跡を伝える人になること❗️ー「奇跡はごく自然に起こることです」のほんとうの意味

昨日、ご家族の引っ越しを大きな力のサポートとともに進められた友人のお話しをしました。

 

関連時期→神さまに応援されるお願いの仕方ー「これじゃないと幸せになれない」ではなく⭕️⭕️とお願いすること

 

これまでどんなに頑張っても上手くいかなかったことが自分の想像を超えた方法で物事が展開し始めるのを見るとき、思わず手をあわせて空を見上げたくなるような瞬間があります。

 

わたしはクライアントさんに何度もそういう体験を見せてもらっていますから、とても恵まれた立場にいるのだとこれを書きながら改めて思います。

 

そういう体験を見させてもらうと、人生の一つの大きなレッスンとは「奇跡」を受け入れることなのかも知れない、と思います。

 

奇跡というとものすごいことを思い浮かべるかも知れませんが、「奇跡のコース」(A Course in Miracles)では、「奇跡」についてこう書かれています。

 

「奇跡のコース」(A Course in Miracles: ACIM)とは、過去の経験によって身についた『否定的な自己プログラミング』を解消して新しい見方(知覚)を学ぶ練習書として知られるものです。

 

以下引用です。

 

「奇跡に難しさの順序はありません。

ある奇跡が他の奇跡よりも「難しい」とか「大きい」ということはありません。

愛の表現は全て最高のものです。

 

 

奇跡は愛の表現として自然に起こります。

本当の奇跡とは、そうした奇跡を思い出させる愛そのものです。

この意味においては、愛によって生ずるあらゆるものが奇跡です。

 

 

奇跡はごく自然に起こることです。

それが起こらないときは、何かが間違っています。

奇跡は誰もが持つ権利ですが、ます清めが必要です。

 

 

祈りは奇跡の媒体です。

祈りは創造されたものと創造主のコミュニケーションの手段です。

祈りを通して愛は受け取られ、奇跡を通して愛が表現されます。」

 

奇跡なんて言葉を聞いたらすごい大きなことかと思うかも知れませんが、これが教えてくれていることは、奇跡に「大」「小」はないということです。

 

奇跡は愛の表現なので、それは自然に起こるということです。

 

あなたの生活にはどんな奇跡がありますか?

 

これまでどんな奇跡を体験しましたか?

 

あなたにすでに与えられている奇跡に気づきましょう。

 

日々の生活にある奇跡に気づきましょう。

 

 

「人は自分が目を向けているものを体験する」という原則で奇跡がさらに大きくなっていくからです。

 

そして、こういう人の「奇跡体験」を聞く人は、自分も同じ体験をするということ、そして、サポートや奇跡を体験した人は他の人にもその体験を伝えていくことで奇跡をさらに広げていくとお伝えしました。

 

関連記事→神さまに応援されるお願いの仕方ー「これじゃないと幸せになれない」ではなく⭕️⭕️とお願いすること

 

愛と祝福、奇跡に溢れた日々をお祈りしています♡♡♡

想定外の事態、記録的、 観測史上初ーそんな形容詞が日々のニュースに溢れている今思うこととわたしたちが学ぶこと

観測史上初の記録更新、もはや形容しがたい猛暑が続き、突発的な豪雨大雨が全国各地で続いています。西日本に続き、東北地方、そして北陸地方でも突発的な豪雨があったそうです。

 

今週の月曜日には東京でも突然ゲリラ豪雨があって、駅が冠水したり停電が起きたり近所の家では雷で冷蔵庫が壊れたりしました。

 

昨日まで五日連続で台風が発生してこの現象は「観測至上初」だそうです。

 

ついたった半年ちょっと前のことなのに記憶のかなたに飛んでしまいそうですが、今年1月下旬には東京で氷点下の日が6日連続で続き、埼玉県でマイナス9.6度の寒さを記録するなど、やはり「記録的な寒波」と言われました。

 

今年の冬はかなり寒かったです❄️❄️❄️。。。

 

想定外

記録的大雨

観測史上初

考えられない条件が何重にも重なって起こった現象

前代未聞。。。

 

もはやそんな形容詞が日々のニュースに溢れています。

 

気象庁は後付けのように、いかに異常が重なった結果であるかをもっともらしく科学的に説明しようとするのですが、その説明を聞けば聞くほど感じるのは、「人間がコントロールできることなどない」ということです。

 

そして、それを人類に示すことは神さまにはまったくもって簡単なことだということです。

 

それはけっして神さまが怒っているというニュアンスではなく、わたしたち人類が目覚めるためのウェークアップコールであり、愛のメッセージだと感じます。

 

3.11東日本大震災からわたしたちが学ぶことの一つは「当たり前のことは一つもない」ということでした。

 

わたしは当時計画停電を経験したので、電気のつかない暖房のきれた部屋で過ごした時間をすご~く長く感じ、「当たり前」だと思っていたものがまったく「当たり前」ではなかったことを肌で感じました。

 

わたしたちに与えられているものはまったく当たり前ではありません。

 

自分の力で生きていると思っているほど、まったく自分の力でも生きてもいません。

 

わたしは国連時代に仕事やキャリアがうまくいっている時には自分の努力の賜物だと思って思ってきましたが、物事が上手くいかなくなって始めて実はそうではないかも知れない、と真剣に思うようになりました。

 

人間が自分の力で何かをコントロールしている、またはコントロールできると思うのもかなり限界にきています。

 

その一つの表れがこの気候なのでしょう。

 

自分の力で何かをコントロールできないというのは、「弱さ」ではありません。

 

人間をはるかに超えた大きな力があるという「謙虚さ」を取り戻すときです。

神さまに応援されるお願いの仕方ー「これじゃないと幸せになれない」ではなく⭕️⭕️とお願いすること

ここ数回、人生での選択は究極的にはたった二つしかないー「愛」か「おそれ」かーということについて書いています。

 

選択とは仕事だけでなく、人生のあらゆるところであります。

 

1日の中でも何十(百)回という選択の瞬間があるとも言われています。

 

日々の選択が人生の質にも直結しているとも言えます。

 

愛からの選択がどういうものかピンとこないと感じる人も多いと思うので、わたしの友人の愛の選択の例を少しお話ししたいと思います。

 

彼女にはガーナで育った二人の男の子がいます。

 

この8月から日本で一緒に暮らすことになり、東京で新しい住まいを探していました。

 

日本語を学んでいる子どもたちがアットホームに感じられる街がいい

 

日本語学校に通いやすいところがいい

 

日本語を学んでいる子たちの受け入れ体制が整っている区(市)がいい

 

職場への通勤が楽なエリアがいい

 

家族全員が暮らせる広さが欲しい

 

子どもたちの教育費がかかるので、家賃はできるだけ抑えたい

 

マンションの管理体制がしっかりしていてできればコミュニティーの雰囲気があるところがいい

 

毎日ご飯を楽しくつくれる快適なキッチンが欲しい

 

仕事から帰ってきて落ち着ける雰囲気の部屋が欲しい

 

というのが彼女の希望でした。

 

子を持つ母として、また仕事を持つ人としてごくごく当然の望みだと思います。

 

同時に、東京の家賃は高いし、ご存知のように2020東京五輪で首都圏のマンション価格は高どまりしています。

 

そんな物件はいったいどこにあるのだろうか?と、あてもないまま物件探しが始まりました。

 

気になるエリアに足を運んで街の様子を見てみたり、数件回ったのですが、ピンと来るものはなく「どうしよう」と落ち込んでいました。

 

さらに数件内見をしましたがまだみつかりませんでした。

 

すると、心配がとまらなくなってしまいました。

 

「このままみつからないんじゃないだろうか?」

「息子たちは日本の生活に慣れてくれるのだろうか?」

「いじめられたらどうしよう?」

 

そんな不安が押し寄せてきて止まらなくなった、と彼女は言います。

 

ただ、ちょっと心を落ち着けて、自分の心の状態に意識を向けてみると、彼女は自分の心の状態が「おそれ」にはまっていることに気づきました。

 

彼女は自分の心の方向を愛に向け直しました。

 

「心配に目を向けだしたらきりがないし、かといっていくら心配しても将来がよくなるわけでもない」と思って、「どうなるか分からないけれども息子たちを信頼すること」そして「全員にとっていい方向にいく」ためのサポートをお願いしました。

 

それからの展開は奇跡の連続でした。

 

評判のいい日本語学校がみつかり、見学へいくと先生たちの雰囲気もよく息子をここに通わせたい、と直感的に思ったそうです。

 

学校にも下見へ行き、評判のいい学区であることを確認しました。

 

その一点が決まると、次には考えていなかったエリアが頭に浮かびました。

 

そして、内見へいくと、とても協力的で業界に詳しい仲介の人に巡り会い、すごく親切に管理組合の様子など最終決断のためのポイントや見極め方などを教えてくれました。

 

その人のお陰で審査もスムーズに進みました。

 

首都圏で家族で暮らす住まいを探したことのある方ならわかると思いますが、「自分にとっての基準」や「優先順位」がわかっていなければいったいどこから始めていいのか途方に暮れてしまいます。

 

それこそ検討することも調べることも山のようにあります。

 

何年も引っ越しを考えながら、それこそ物件や環境など条件の比較表をつくっても、まだ気に入ったところがみつからない、決められないという人も知っています。

 

最後に決め手になったのは「ここなら家族で幸せそうに暮らせると感じた」という直感的な感覚と、この人なら任せられると思ったという仲介の人との出会いなど、大きな流れの中にいるというようなサポートを感じたことでした。

 

そして、実際に息子さんたちが来日してみると、マンションの人たちがフレンドリーでよかった、といった「あの直感はあっていた」と確認するような出来事が続いています。

 

もちろん、新しい国での生活ですからまだまだ慣れることはたくさんありますが、守られているような感覚があって、やっぱりあの直感を信じてよかったといいます。

 

これは住まい探しの例ですが、「自分に合う仕事探し」にもまったく同じことが当てはまりますね。

 

そして、彼女の件から「選択すること」についてわたしたちが学ぶことはたくさんあります。

 

① 絶対にこの物件に住まわせてください、というお願いの仕方ではなく、「全員が幸せに暮らせる場所」を願った

 

(これじゃないと幸せになれない、というのではなく、それがどこかわからないけど全員が幸せに暮らせる場所を教えてください、というお願いの仕方)

 

② 自分にとって重要な点、優先順位が明確だったこと(日本語学校に通いやすく、受け入れ体制があること)

 

③ いろんな場所に足を運んで、物件を何件も見た中で実際に自分で見て感じて場所や物件についての直感的な感覚を磨いた

 

④ 自分のライフスタイルや性格がわかっていて、これまで何度か首都圏に住んでいるので自分がどんなところに住めば幸せに感じるのかある程度わかっている

 

⑤ 大きな力のサポートを求め、お願いをした

 

⑥ 焦りや不安、心配につかまりそうになったら、それに気づいて愛を選択し続けた

 

⑦ 自分がどういう状態を望んでいるのかという状態に意識を向けてそれを感じた

 

最後の点は彼女が今回意識した点としてわざわざ教えてくれました。

 

 

こういう「いい事例」・「奇跡体験」を聞く人は、自分も同じ体験をするという原則があります。

 

そして、サポートや奇跡を体験した人は他の人にもその体験を伝えていくことができます。

 

「あなたにもできますよ」「あなたにも奇跡が与えられていますよ」と伝えていくことで、さらに多くの愛と奇跡を広げていくことができるのです。

 

「与えること」は「受け取ること」ですから、そうやってさらに愛と奇跡の循環がひろがっていくのです。

 

そういう意味では、「愛」と「奇跡」ををたくさん体験することは人の役にも立つのですね。

 

愛を選択しましょう。

 

サポートと導きを求めましょう。

 

すでにある奇跡に気づきましょう😊

ほんとうに成功している人は神さまに応援される人②ーこれまで上手くいったこと、がんばっても上手くいかないと感じたら⭕️⭕️を知るとき

ほんとうに成功している人は神さまに応援される人ー神さまが味方する人の持っている18の特徴

 

という記事を書きました。

 

関連記事→https://goo.gl/K2Rzei

 

仮に「神さま」という言葉が今の自分の日常生活には馴染みのない場合でも、わたしたちはある部分では自分を超えた大きな存在があるということを本能的にわかっています。

 

マザーテレサは、愛の力でもって、世の中のどんな成功したビジネスマンよりも世界中からお金を集め(亡くなられた今でも続いています)、インド、カルカッタにある「マザーハウス」はその場にある愛とインスピレーションの力で今でも毎日世界中の人を引き寄せています。

 

人は行き詰まったとき、生きる指針をみつけたい時、そんな自分を救ってくれるものとして「自分を超えた大きな力」や「愛」を求めるのだと思います。

 

それなのに、私たちの中には、素直に大きな力のサポートを受け取れなくさせてしまう態度や誤解があることがあります。

 

例えば、こういうものです。

 

ー教えられたくない、従いたくない

ーすべてをコントロールしたくなる

ーリーダーに対して批判的になりがち

ー自分に頼る

ー神さまに対して誤解した見方を持っている

ー苦労してやっと報われると思っている

ーお金、物質、他人からの賞賛が安全をくれると思っている

ー人にめいわくをかけてはいけないと思っている

ー人に頼れない

 

こうした態度や誤解は、たいていの場合「拒絶の傷」とかんけいしていて、拒絶の傷が生まれた原因としては例えば以下のようなものが挙げられます。

 

ー親や先生から厳しいしつけ・指導があった

ー両親からのコントロールが強かった

ー勉強や宿題、お手伝いができたから褒められる環境だった(条件付きの愛)

ー学校で批判されたり、誤解されたことがある

ー家庭内に依存症があって恥やおそれを感じた

ーえこひいきがあった

ー成功や一番を目指さないといけないという圧力

ー家庭内でよろこびがない

 

または自覚がなくても胎児期に、予想外だったために母親が「どうやってこの子を養おう?」と思ったことなども含まれることがあります。

 

これらが日常的にどういう風に現れるかというと、以下のようなものがあります。

 

ー自分は人から必要とされていないと思ってしまう

ー自分が悪いと思ってしまう

ー自分を好きになれない

ー自信を持てない

ー失敗することをおそれ、なんとしてでも避けようとする

ーなんでも自分でやらないといけないと感じる

ー親や先生、上司といった人から責められるように感じる

ー劣等感

ー羞恥心

ーあせり

ー罪悪感

ー人に気をつかいすぎる(嫌われなくないから)

 

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そして、もう一つの特徴は拒絶されるのをぜったいに避けたいと思うがばかりに、自己防衛のシステムをつくってしまうことです。

 

自己防衛のシステムとは例えばこういうものです。

 

 

ー競争心

ー自己顕示欲

ー完璧主義

ー目標・成果主義

ー嫉妬

ー人を判断してしまう

ー自己顕示欲

ープライド

ー恥ずかしがり

 

こうしたものの中には先祖から受け継いだものもあります。

 

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私たちは、親の世代(先祖)から引き継いだ「おそれから生まれた人生観」を乗り超えて、「愛から生まれた人生観」に書き換えるという平和のための大仕事が与えられている、と書きましたが、拒絶の傷を癒すことはまさにその根幹の一つと言えます。

 

大変な作業のように聞こえるかも知れませんが、一人が癒されると一人が癒されると32代にも渡ってその癒しが届くとも言われています。ですから、それを癒そうとするならば、そのための大きなサポートも与えられます。

 

そして、自分の傷が癒されると、仕事や人間関係の成果として現れます。

 

一生懸命にがんばっても改善されなかったことが、自分の中の内面の傷が癒されたことで大きく変わったことは私自身の体験でもたくさんあります。

 

癒しはプロセスです。

 

ある程度の時間も必要です。

 

なにより癒されるライフスタイルを身につけることが大切です。例えばこういうものです。

 

ーなんらかの課題や問題があるとき、それは自分の中の何を癒す機会なのかに意識を向けましょう

 

ー自分でもう役立っていない態度や習慣に気づいたならば、その背後にどんな心の傷があるのかに目を向けましょう

 

ー完璧でない、傷ついた自分を共感をもって抱きしめましょう

 

ー受け入れること(受容すること)を学びましょう

 

ーゆるすことを学びましょう

 

ー大きな力に癒しとサポートを求めましょう

 

ーゆるすことを学びましょう

 

人生は旅です。

 

傷があってもまったく完璧な自分じゃなくても、今の瞬間を楽しむことができます。

 

瞬間瞬間、幸せを選択することができます。

 

少しづつでもそんな瞬間を増やしていきましょう。

 

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