優等生は報われないー「我慢すると怒りがわく」「わがままをすると成功する」

私たちはいつの間にか洗脳されています。

 

どんな洗脳かと言うと、

めいわくをかけちゃいけない

わがままな人になってはいけない

ちゃんとやらなきゃいけない

仕事とは「がまん」してやるもの

がまんして一生懸命がんばれば幸せになれる

という洗脳です。

 

 

ここには、より根本には何かをしたから認められる、という前提があります。

そこには何かをしたことで褒められるという構図が植えつけられています。

 

勉強ができたからえらい、

ご飯を全部ちゃんと食べてえらいね、

泳げるようになってえらいね、

という具体です。

 

そして、それは私たちが大人になってからも、深い部分での「動機」となって私たちを動かし続けています。

 

大人になっても私たちは「何かをしたから愛される」と思っています。

 

こんなに偉く(肩書きに)なったから

こんなに収入があるから。。。

いいお母さんだから(こんなに料理をしているから)

 

 

同時に、同じくらい愛されなくなることも恐れています。

その愛は何かを達成したことやなんらかの行為に根ざしているからです。

 

でも、そうやって私たちは心をすり減らしてしまいます。

 

なにより、自分がやりたいことが分からなくなってしまいます。

ほめられることと優先するばかりに、自分の焦点を他人の価値観に合わせてきたからです。

 

しかも、実際はそんな人ほど心の中で怒っていたりします。

 

または、体中でがまんをためて、病気になったり、うつになったりすることもあります。

意欲も気力も感じられない、という人もいます。

 

 

しかも、さらに悪いことに、我慢し続けるとわがままで傲慢になったりします。

 

どういうことかと言うと、

自分はこんなに我慢しているのに

自分はこんなに尽くしているのに

 

という思いがつのってきて、

相手から褒め言葉やお返しが思うように返ってこないことに常に心の中でイライラや不満をためるからです。

 

これは非常にストレスです。

 

なぜなら、自分の満足は相手の反応次第だからです。

 

もちろん人の言動はコントロールできません。

 

コントロールしようとすればする程ストレスは上がるでしょう。

 

わがままはいけない」と蓋をすることで皮肉なことに心の中では「超わがままちゃん」になっているのです。

 

 

 

ではどうしたらいいでしょうか?

 

「わがままでもいい」といったんわがままをゆるすことです。

 

人間には誰でもある程度わがままな部分があります。

それは本当にそうです。

それを前提にすると「ああ、自分にはこんなわがままなところがあるな」とただ受け入れることができます。

 

そう言うと、

「わがままであることを認めたらもっとわがままになるんじゃないですか?」

という反応が返ってきたことがあります。

 

確かに、一時的にはそういうこともあるかもしれないけど、それを受け止めるとより楽チンな人になります。

 

楽チンな人という意味は、自分の弱みもわがままなところもただ受け入れている人、という意味です。

 

自分を受け入れている人は、周りの人にとっても、無理やりこちらに合わせてお返しを水面下で期待している人よりも、一緒にいて楽チンで、なにより魅力的です。

 

 

 

そして、もう一つ大事なことがあります。

めいわくをかけてはいけない=なんでも人に合わせればいい、という訳ではないことです。

 

もしかしたら、めいわくをかけてはいけないという理由で、自分の意見を持たない、自分の意見を伝えない、自分で自分の選択に責任をとらない言い訳になっていませんか?

 

 

人に合わせることの一番の弊害は、自分の行動や選択の責任をとらず、誰かのせいにしていることです。

 

上司のせい、政府のせい、会社がわるい。。。

 

つねに誰かしら「悪い人」がいます。

 

いくらでも何かや誰かのせいにすることはできますが、自分の幸せも誰かや何かに依存しています。それは本当の幸せや充足感とは違います。

 

そんな終わりのないストレスにさらされるよりも、小さなことを一つづつでもいいから自分で決めていく方が、自分で決めている、自分の足で人生を生きている、という感覚を得られます。

 

わたしたちはもっと自分に正直に「わがまま」に生きていいのです!

 

才能と競争について考えたー4歳の子と全力でかるたをしたら

わたしは4歳の姪っ子と全力でかるたをします。

しかも、まだ「あいうえお」が読めないのに力を抜きませんでした。

彼女は本気で悔しがります。

 

それがあまりに悔しかったのか、それから数週間で一人でひらがな覚えてしまいました。

それで、自分で字を書けるようになったので、私の誕生日にはカードを書いてくれました。

 

「競争はよくない」という意見もありますが、

競争自体が必ずしもいけないわけではないと思います。

 

 

彼女の場合は、親に似て負けず嫌いな性格なのか、最初はとても悔しがっていましたが、

次はどうしたらもっとカードをとれると思う?と問いかけ続けました。

 

同時に、勝ったからえらいわけでもないんだよ、一番大切なのはベストを尽くすことだよ、とも言いました。

 

彼女が勝っても私が勝っても同じ態度を続けました。

 

 

ただが「かるた」ですが、私たちの中に、「競争」ということにまつわる社会のプレッシャーや「勝たなきゃいけない」みたいな本能的な闘争心?があることに気づきます。

 

そして、勝つと褒められるけど、負けた時にどうしたらいいかはほとんど習いません。

 

競争という土俵にいる限り勝つ時もあれば負ける時もあるでしょう。

 

負けイコール失敗とも恥でもありません。

 

長いスパンでみると、その勝負は負けてよかったと思えるものもあります。

 

私は大学四年生の時に就職活動をしていて、いくつかの企業に「落ちました」が、後で思えば、あの時にあの企業に受からなくてよかったと思います。その時にもし受かっていたら、その後大学院や国連にいったか分からないからです。

 

そして、ある時には競争ということを通じて自分の強みや弱みを発見していくこともあるでしょう。

 

でも、一番伝えたいことは、「自分の道」を歩んでいる時は、競争することは必要ないこと。

 

もし、競争する相手がいるとしたら、それは自分。

 

「自分はこうでなければいけない」という自分の中の「弱み」と闘っているだけなのかも知れません。

 

自分が自分になにかを証明しなければいけない、と思っているだけかも知れません。

 

本当の競争は、昨日の自分よりも今日の自分が一ミリでも進んでいるかー

 

だとしたら、自分が自分のチアリーダーになってもいいですね。

自分の才能を発見する魔法の質問ー「この仕事で自分にしかできないことは何だろう?」 「このバイトで自分にしかできないことは何だろう?」

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

私にしか書けないことは何だろう?

 

ブログの記事で仮にたった300字でも、連載原稿だったとしても、この質問は常に私の頭の片隅にあります。

 

この質問は自分の仕事がなんであっても常に当てはまると思います。

 

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

「このプレゼンで自分にしか言えないことは何だろう?」

 

それがたった1日のバイトでもこの質問は自分にできると思います。

 

「自分のやりたいことが分からない」、という人も多い世の中。

 

夢や天職、やりたいことは、何か「大きなもの」や「立派なもの」であるはず、というような風潮もあるように感じます。

 

大きな目標を持つようなタイプの人もいるでしょうが、誤解をおそれずに言うと、「夢は大きく持て」も、ある意味大人の言い分に「だまされている」ようにも感じます。

 

大きな目標がある人もいますが、それでもその人を本当に突き動かすことはとてもシンプルだったりします。

 

例えば、私にとってある時期、国連で働くことは一つの大きな目標でした。

 

国連というキャリアの中でも、二つの国の独立国に関わるというかなり「ドラマチック」な体験をさせていただきましたが、とはいえ、その中でも本当に好きだった瞬間というのは案外とてもシンプルで、いろんな国の同僚たちと「ああ、この人も同じ人間なんだ」と分かり合える瞬間でした。

 

そして、国連という目標を叶えてよかったと見えるかも知れませんが、

「自分にしかできないことは何だろう?」という問いに終わりはありません。

 

むしろ、毎回続きます。

 

プレゼン

発表

執筆

原稿

授業・講演。。。

 

 

この質問はある職業に就いたから終わるわけではありません。

むしろ、その質問を掘り下げさせるためにこの仕事や機会が与えられたんじゃないか?と感じるような場合もあります。

 

その質問こそが自分が自分を知ったり、自分の才能を発見させてくれるものだからです。

 

自分しかできないことは何か?

 

それは必ずしも行為とは限りません。

共感だったり、

相手を心の中で理解することかも知れません。

 

ある研究会の委員として発表を頼まれた時、私は数日間「私はいったい何を発表したらいいんだろう?」「私しか言えないことは何か?」「この会で私が言うべきことは何か?」と数日間真剣に考えて、

 

「難しいことではない『当たり前のこと』を言うこと」という結論にいたったこともありました。

 

 

その時に自分にしかできないことが少しでもわかった時、自分の中で「いなずま」が走るような「ひらめき」が起こることがあります。

 

自分が自分を発見し続けることー

 

そして、そんな体験が自信をくれます。

 

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

せっかくなら楽しく毎日この質問に取り組みたいと思います。

「自分の選択が正しかったと判断できるのは自分だけ」国連生活10年で気づいた「好き」を仕事にする秘訣

就活シーズンを控えたいま、進路に頭を悩ませている人も多いのではないだろうか。国連で10年以上のキャリアを持つ筆者は、これまでに100回以上も採用試験に応募してキャリアアップを繰り返すうちに、ついには国連特使から仕事の申し出を受けるまでになった。

そんな筆者が見出した充実したキャリアを築く秘訣は、「内なる声」に従うことだという。

TEDで話題の「傷つく心の力」

新しいことに挑戦するとき、人前で意見を言うとき、自分の文章や作品を発表するとき、好きな相手に思いを伝えるとき──。地球上に住む誰もがこんなときに不安を感じ、傷つくのを恐れます。

「ありふれたことかもしれないけれど、不安を乗り越えて前に進む勇気を持ちたい」というテーマを掲げたTEDトークが、世界中で2800万回以上(2017年3月末時点)も視聴され、ベスト5のランキングに留まり続けています。

 

ヒューストン大学の教授ブレネー・ブラウンによる「傷つく心の力」です。

 

https://www.ted.com/talks/brene_brown_on_vulnerability?language=ja

このTEDトークが世界中でこれほどまでに支持されているという事実に、人間が抱く不安の感情は普遍的なものだと気づかされます。

 
就活シーズン本番を控えたいま、面接や将来の進路に不安を感じる方も多いのではないでしょうか?

 
国連のニューヨーク本部に勤務し、平和維持活動(PKO)にもかかわり、そのキャリアを生かして米軍の専門家も務めた私は、傍から見ると順調なキャリアを積んでいるように見えるかもしれません。

 
でも実は、大学生のときには就職試験に落ち続け、内定をもらう友人の姿を尻目に自分だけが取り残されるような言いようのない焦りを感じていました。

 
オックスフォードの大学院に進学が決まったのも、大学の卒業式の数日前でしたし、卒業後はドイツで働くことになっていましたが、大学の「卒業後の進路」の調査結果では、正式な就職とみなされない「その他」に含まれていました。

 
誰しも先のことは不安なものです。とくに、人と違った選択をしようとするとき、そしてその先に何の保証があるわけでもないとき、一歩踏み出すのには大きな勇気が必要になります。

 

自分の選択が正しかったどうかわかるのは、自分だけ

 
私が人生で最初に大きな賭けに出たのは、大学進学のときでした。帰国子女でもない私は、当時、日本で唯一すべての授業を英語でおこなっていた大学のプログラムに入学したいと思っていました。

 

その大学に入るためには、SAT(米国大学進学適正試験)に合格する必要があり、そのため日本の受験勉強をいっさいやめる決断をしました。

 
そのときはまだ、インターネットでの情報も限られていましたし、周囲に前例があったわけでもなく、親からも「本当に大丈夫なの?」と何度も聞かれました。

 

結果的に合格したからよかったものの、試験勉強をしていた1年間よくその選択を信じ続けられたなと自分でも改めて思います。国連PKOで南スーダンに赴任するときよりも、勇気がいる決断でした。

でも、いま振り返ってみると、この大学進学こそが私が国連というキャリアを選択するうえでの原体験になっているのだと思います。自分が正しいとかやりたいとか思っていることを追求し、その可能性を信じることの大切さを、身をもって実感することができたからです。

 
大学生活ではさらにその原体験が、確信に変わっていきました。

 
私が入学した学部は、もともと日本在住の外国人を対象に開設されたものだったので、入学の手順も授業内容も米国の大学をモデルにしていました。日本の大学だというのに、授業も教科書も校内の案内もすべて英語で、教授はほぼ全員外国人。

 

それゆえ、日本の教育で重要視される「偏差値」という概念がまったく登場しません。周囲の人は、社会の評価軸で判断できないこの学部をどう取り扱ったらいいかわからず、戸惑っているようでした。実際、人によってその学部の印象も評価もバラバラでした。

それをネガティブに捉える人もいましたが、私はとても「自由」だと感じていました。そして同時にこうも思ったのです。

「指標がないと、人の評価はこんなにバラバラ。ならば、自分のした選択が正しかったどうか決められるのは結局、自分しかいないんだ」と。

 

国連は女子が働きやすい職場

「自分の選択は自分で評価するべき」という気づきは、その後、国連という組織でキャリアを積んでいくうえでおおいに役立ちました。

国連は一部の人を除くと、基本的に有限契約で自己志願制の組織です。

そのため国連で働き続けたいと思ったら、1つの仕事(契約)が終わる前に、次の仕事を自分で探して志願しなければなりません。そのたびに履歴書と志望動機を作成して送り、面接を受ける必要があります。

 
紛争が起きている国なども含め、世界中の国々に人を派遣する組織が、自己志願制で運営されているのはある意味当然のことだと言えるかもしれません。加えて、自分でアクション起こさないと、自動更新も自動昇進もない国連は、究極の「自己責任制」の職場であるともいえます。

 
定期的に職探しに追われるなんて大変だと思うかもしれませんが、本人の行きたくない国に派遣されることはないという利点もあります。また、各ポストには職務内容と求められる資質が明記されているため、望まない仕事に配置されることもありません。
そもそも私が、国際機関で働きたいと思うようになった理由の1つは、日本企業の内部プロセスが非常に曖昧で、新人の女性社員にはとても不利に思えたからです。

国連なら自分で希望の仕事を選ぶことができるし、求められている能力や資質が明文化されているから、面接の対策もたてやすい。もちろん国連で働き続けることは簡単なことではありませんが、基準がオープンではっきりしている組織のほうがずっと働きやすいのではいかと感じたのです。

ちなみに、国連では、「チームワーク」「コミュニケーション能力」「リーダーシップ」など、仕事で求められる価値や資質がどんなものかもすべて明確に規定され、オープンになっています。

詳細は「United Nations competencies for the future」で見ることができますが、たとえばチームワークなら「他のメンバーから学ぶ姿勢を持ち、他の人たちの意見の価値を認めること、組織の目標のためにチームに貢献し、チームの成果にも課題にも両方に責任を持つこと」とされています。「リーダーシップ」の定義の1つは、「幅広い人のニーズを理解し彼らのサポートを得ること」です。

 
なぜ、このようにすべて明文化されているかといえば、175ヵ国以上もの人たちがともに働く場として共通の指針や評価の基準が必要だからです。そのため応募や面接のプロセスでも評価基準が非常に明快。面接では、「自分がなぜこのポストにふさわしいのか」を面接官に向かって熱弁することになります。

国連流「就活の極意」

大学時代から数えると、これまでに少なくとも100回以上は履歴書を更新し、志望理由を書き、さまざまな職種に応募をしてきました(オンラインでできるので、実際にはコピペしてきた部分もかなりありますが)が、そんななかで1つ気づいたことがあります。

それは、人から適切に評価を受けたいと思うならば、まずは自分が自分を評価しないといけない。つまり、自分を認めることができるのは自分しかいないし、それができれば他者からの評価もついてくるということでした。そういう雰囲気は、相手に伝わるからです。

 
これは後に、私が国連で採用の面接官を務めたときにも感じたことです。面接の際には、応募者を評価する基準も用意されてはいましたが、人の資質やスキルは厳密に数量化できるものではありません。

なので、面接官は応募者にさまざまな質問をしながら、それぞれの質問項目の評価と理由を記入していきます。するとなぜか、口だけの人はバレてしまうもの。その一方で自分を評価する視点や習慣を持っている人や自分を信じている人は、やはり面接官にもそれが伝わるものなのです。

「内なる声」に従っていればより「大きな力」のサポートもついてくると思います。

国連を退職してから米軍の専門家として、スリランカ軍やフィリピン軍に派遣されて講師を務めたときには、世界を舞台に自分の好きな「教えること」と「平和支援にかかわる」ことが仕事になったと感じました。

 

学生の頃は就職活動中に取り残されたような気分を味わった私が、国連特使の方に仕事のオファーをいただいたこともありました。こんなふうに自分の夢が叶ったのも、たくさんの人たちからのサポートがあったおかげだと感じています。

ストレスの多い紛争地でいつも笑わせてくれた同僚、こんな人になりたいと思わせてくれた尊敬できる上司、逆にこんな人にはなりたくないと気づかせてくれた反面教師──こういう出会いは、事前に計画できるものではありません。

「天は自ら助くる者を助く」という言葉がありますが、人が内なる声に従っているとき、まったく予想できないような出会いやサポートがもたらされるのも、多くの賢人たちが教えてくれている人生の真実です。

私にとって、人生で最も重大な「試験」は、「他人や社会の評価を信じますか? それとも自分を信じますか?」という問いに答えるものでした。いまでも人生を変えるような決断から、日常の些細なことまで、その問いが課される場面は多々あります。

そんなとき、自分の意志を強く表明し続けていれば、より大きな力があなたの味方になってくれるはずです。

 

クーリエジャポン20174月12日掲載

 

自分の選択が正しかったと判断できるのは自分だけ」国連生活10年で気づいた「好き」を仕事にする秘訣|大仲千華 「答えを求めない勇気」

目の前の対人関係を「クリア」し、自分が「成長」すると自然と次の展望が開ける

前回、知人の知人を介していけば、平均6人で世界の全ての人とつながることができる、という「六次の隔たり」と呼ばれる理論を紹介しました。

 

この理論のポイントは、「成功するための条件は、より多くの人と知り合うことではなく、自分にとってもっとも重要な人物と出会うことだ」、という点でした。

 

私自身、有限契約で自己志願制の組織である国連で働いてきたので、「人と出会い、人に助けられながら、人生の進路を進んでいくことが大切」との意味を実感します。

 

一つの仕事(契約)が終わったら、毎回応募書類を揃えて、志望理由を送って、面接を受けるということをしながら、それでも、私の国連におけるキャリアが拓かれていったのは、まさに沢山の方に助けていただいたからでした。

 

 

そんな組織において、その時にご縁があった仕事やその仕事を通じて出会うことになった人と「出会う確率」はいったい何パーセントなんだろう?とふと思ったことがあります。

 

今改めて、振り返ってみると、そこでの仕事と人間関係という「ご縁」をいただいたのは、対人関係を学ぶため、未完了のことを完了させるため、より自分が成長するため、だったのではないか?と感じます。

 

私たちは自分がより成長するために最適な機会や出会い、人間関係を与えられている、という観点から見るならば、その職場で与えられた人間関係で学ぶことを学んでいないと、次の職場でもなぜか同じような上司にあたったり、同じような問題に直面するようです。

 

コーチングセッションで、転職をするかどうか悩んでいますという相談を受けたことがあります。その方の現在の状況を聞いた時に、上司との関係が未完了ではないかと感じた私は、次の仕事を探すと同時に、今の上司を理解することにフォーカスしてください、そして、直接でも関節的にでもいいので上司のサポートをしてください、とお伝えしました。

 

そして、上司のことを理解しようと意識を向けるにつれ、転職活動もスムーズにいったようです。

 

そして、「新しい仕事はまだ始まったばかりですが、新しい職場は、今までもいたような居心地のよさがあります。」と嬉しい報告を送ってくださいました。

 

自分が日々体験する目の前の対人関係を「クリア」し、「成長」し、または「完了する」と、転職に限らず自然と次の展望が開けるのです。

 

逆に、何かに抵抗すればする程、抵抗している人の特徴や出来事は形を変えて続きます。これは、自然の法則(Law of Nature)で「抵抗の法則(Law of Resistance)」と呼ばれています。

 

自分がその現象やある人の資質を受け入れたり、そこからの「学び」を終えないと、人や場所を変えその現象は起き続けます。

 

そういう場合に、役に立つことの一つは、その人や現象を受け止め(同意するとは違います)、その相手を理解することです。理解できれば、必要な行動が見えてくるでしょう。

 

ちなみに、彼女に提案したもう一つの宿題がありました。

 

「会社で自分とはまったく考えが違うなという人を観察してみてください。声をかけたり、お昼に誘ってください。」

 

この人はどんな人でどういうことを大切だと思っているんだろう?この人はなぜそういう風に考えるんだろう、という視点とオープンさを持てることー

 

これは、どんな職業でもどんな業種についていようが誰もがある段階で体験する学びのように思います。

  

 

以下は、どんな仕事や職種でも、私たちがどこかの段階で直面する一般的な「対人関係の課題」についてです。

 

◎ 理解されない

◎ 理不尽な目に会う

◎ 理想と現実のギャップに直面した時(失望)

◎予定外のことが起こる時

◎イライラする上司や部下がいる

 

そんな時こそ、こちら側が成長することが求められています。

 

そのレッスンにはいろいろな側面があるかも知れませんが、

この人はなぜそういう風に振る舞うん考だろう、という理解とオープンさを持つことー

 

はいつでも役に立つ原則の一つです。

 

 

 

これは何を学ぶ機会なんだろう?

 

ぜひそのように問いかけてみてください。

一生の内あなたに影響を与える人の数は90人以下ーそのうち7人が、あなたを導き、鍛え、守り、「偉大なあなた」になる手助けをしてくれる。

一生のうちあなたと深く関わるのは30人以下。そのうち7人があなたを導き助けてくれる。

 

知人の知人を介していけば、平均6人で世界の全ての人とつながることができる、という「六次の隔たり」(six degrees of separation)と呼ばれる理論があります。

 

アジアの大富豪に仕え、のちにアメリカ副大統領のコンサルタントを務めたリー・ウェイウェンによって名付けられたものです。

 

オバマ大統領まで何人経由で着くか計算してみました。

 

結論 

▶ 近しい友人を経由すると3人
▶ ちょっと遠目の知人を経由すると2人

 

思ったよりも近いことを発見して少しびっくりしました。

 

この理論のポイントは、成功するための条件は、より多くの人と知り合うことではなく、自分にとってもっとも重要な人物と出会うことだ、という点です。

 

ウェイウェンは言います。

 

「一生のうちあなたに影響を与える人の数は90人以下。

そのうち、あなたの世界観と価値観に深くかかわる人の数は30人以下。さらに、そのうちたった7人が、あなたを導き、鍛え、守り、『偉大なあなた』になる手助けをしてくれる。

 

あたたの成長を助ける人。

人生の進路を指し示してくれる人。

強力な社会的資源を提供してくれる人。

さらなるステップアップを直接的に後押ししてくれる人。

あなたが苦境に陥ったときに手を差し伸べてくれる人。

そして、心の拠り所となる人生のパートナー… など。」

 

「人には人生のステージごとにさまざまな出会いがある。そして、そのとき出会った相手から得たヒントがきっかけで、運命が大きく変わることもある。

 

人と出会い、人に助けられながら、人生の進路を修正していくことが大切なのだ」と。

 

私自身、このことは小さいレベルから大きなレベルまでヒントや手助けは人を通じてもたらさえることを何度も体験しています。

 

日常的なレベルでは、今度の原稿はどんなテーマについて書こうと思い巡らしている時に、その日に会うことになっていた方との会話の中からヒントをもらったこともあります。あるクライアントさんから質問されたことがそのまま記事のテーマになったこともあります。

 

より大きな人生の進路やキャリアの選択という面でも、いろいろな方に助けられてきました。

 

私が国連という組織でキャリアを積むことが出来たのは、まさに、その時々に出会ったいろいろな方からアドバイスをもらい、助けていただいたからでした。

 

私がオックスフォード大学大学院へ進学し、奨学金をもらえることになったのは、大学時代の先生のある一言でした。

 

私は大学院への出願のための志望動機を見てもらうために先生の部屋を訪ねた時のことです。

 

「なんでオックスフォードは受けないの?受験料タダだよ。」

 

それまでは、オックスフォードは皇族の人たちが行くところだろう位の認識しかありませんでしたが、その時の一言で、オックスフォードが一気に身近な場所になったのでした。

 

その先生の一言がなかったら、私は奨学金をもらうことも、オックスフォード大学へ進学することもなかったかも知れません。

 

この場合の「オックスフォード」は一つの喩えですが、「なんでも試してみないと分からないという」メンタリティーを私にもたらしてくれた原体験だったと思います。

 

私たちが一生の間に会える人の数は限られています。この理論によると、私たちを助けてくれる人たちはすでに自分の人間関係の中にいるのかも知れません。

 

もちろん、人間関係は一方的には成り立ちませんから、こちらからもそうした関係を尊重しないといけないですし、こちらから働きかけなければその人たちの価値に気付かない事もあるかも知れません。

 

または、難しい上司だったり、反面教師といった形で助けてくれる人たちがいるかも知れません。

 

いずれにせよ、「六次の隔たり」は、自分にすでに与えられている人たちとの縁を深めることの大切さを思い出させてくれます。

「かっこいいことを言わなきゃいけない 」「自分だけ勝ちたい」を超えさせてくれる「意図」の力

私たちに力をくれる意図とは反対に私たちの力を削ぐものに、私たちの「欲」があります。

 

相手を打ち負かしたい、

相手に仕返しをしたり

自分だけ勝ちたい

かっこいいことを言わなきゃいけない

優秀そうなことを言わなきゃいけない

評価を受けたい

賞賛されたい

などです。

 

その逆に、私たちの力を引き出してくれるようなより大きな「意図」は例えばこのようなものです。

 

チーム全体を勝たせること、

相手のことを理解すること

相手とのつながりを深めること

相手に与えること

チームに貢献すること

この仕事を通じて社会・国全体に貢献すること

人類に貢献すること、

等です。

 

人間誰しもそういう思いや欲はあるものです。ただ、一流選手の持つ意味付けの力の例でもお伝えしたように、その次元にいる限り本当の力は身につくことはありません。

 

努力を重ねることはもちろん大切ですが、自分のためだけに努力を重ねるような努力には限界があります。一人でいくら時間を費やしてもそれを超えたより大きな「意図」の力には到底かなうことはできません。

 

より大きな意図を持つ時に、自分の力が引き出されたり、次のレベルに飛躍する機会も与えらえるということを私自身も体験してきました。

 

私が自分の中の欲に目を向け、本当に自分に力をくれるのはどういうアプローチなんだろう?という問いに私が向き合うことになったのは国連の仕事で南スーダンへ赴任した時でした。

 

南スーダンとは約40年間も内戦が続いた国です。紛争が起きていた国では、建物が破壊されていたり、街中に軍人や銃を持った人たちがいるなど紛争の影響をいろいろな所で感じることがありました。ただそうした面は、比較的に分かりやすい方で、私が感じたのは、「武力の文化」による影響でした。

 

「武力の文化」というのは、私の表現ですが、「偉いのは力(武力・火力)を持つもの」という社会や人間関係のあり方です。

 

分かりやすい例で言うと、軍服を着た人や銃をもった人たちが、レストランで相手に威喝を与えて、従わせるような態度です。そしてそれが当然といったような振る舞いです。

 

生まれた時から紛争があり、平和や教育、話し合いといったことを一切体験したことがないことも関係しているのでしょう、自分の思い通りに会議や話し合いが進まないと、すぐに攻撃的な態度になる人もいました。

 

そうした国全体の緊張感は、私たち国連スタッフにも大きな影響を及ぼしたようでした。事務所の同僚たちの間で、より攻撃的になったり、競争的になったりすることが起きていたのです。足の引っ張り合いもあり、お湯のシャワーも出ないなど、ただでさえストレスの高い環境で、さらに士気が下がるという悪循環が起きていました。

 

私が赴任した当時はすでに停戦が合意されていて、命の危険を感じるようなことはありませんでしたが、ストレス研究やトラウマ研究が示すように、社会全体のトラウマが、その環境にいる個人やその人の対人関係に大きな影響を及ぼすことがあります。

 

そのような環境におかれたことで、普段はなんとか隠せたような人間の欲やダークな面が、表面化したのだと思います。

 

そんな職場環境。仕事はいくらやっても終わらない位にあります。このままでは燃え尽きるのは時間の問題だと思いました。

 

しかも、外は時に40度を超える灼熱の気候。

 

ちょっと外に出るだけで体力を消耗し、寝るのも一苦労です。後に改善されましたが、お湯のシャワーも満足にないし、携帯電話もほとんど通じません (当時)。

 

国連は基本的には自動昇進も自動更新もない自己志願制の組織です。いくら、現場を体験したい、独立国の誕生に立ち会いたい、と自分で選んでニューヨーク本部から南スーダンに赴任したとはいえ、私はもしかしたらすごくバカな選択をしたのかも知れない。。。

 

さすがにそんな考えが何度か頭をよぎりました。

 

ただ、思ったよりも大変なので来週ニューヨークに戻ります、と言う訳にもいきません。

その時、私には二つの大きな選択が与えられていたように思いました。

 

1、相手に仕返しをしたり「競争」と「武力の文化」に加わること

2、まったく違う方法をみつけること

 

「武力の文化」とは、相手を打ち負かしたい、仕返しをしたり、賞賛されたい、自分だけ勝ちたいなど先に挙げたような欲(エゴ)の方法です。

 

「そんなことをしたら自分が潰れてしまう」

 

それははっきりと本能的に感じ取っていました。

ここを抜け出せる全く違う方法は何だろう?

 

私はたった一人でもいいから、本当に大切だと思うことをやろう、と思いました。

そして、人との関係を一人一人と丁寧に結んでいこうと思いました。

まず、私はオフィスの人達と「本気で」「笑顔で」「挨拶すること」を始めました。

 

ニューヨークから赴任したばかりの時には、皮肉っぽく「ニューヨーク本部の人」と言われたこともありました。

 

「正論」も「本部の理論」も、職場でも外でも通用しそうもないことも感じていました。

 

こうして、私は文字通り「必要に迫られて」、オフィスにいる同僚たちと毎日挨拶を交わしながら、一人一人の価値観や関心に意識を向けながら、この人はどうしたら動いてくれるのだろうか?ということを試行錯誤していく事になったのです。

 

まだ紛争が終わったばかりの土地です。

 

国連という組織自体、まだ信用を得ている訳ではありません。

 

土地柄、挨拶を交わすことは、文字通り、「私はあなたの敵ではありません。私はあなたを尊重しています。」ということをはっきりと示す意思表示でもありました。

 

どこの社会もそうであるように、アフリカは特に人ベースの社会です。携帯もメールも通じない環境ではその意味がさらに大きくなります。

 

私のキャリアの中でも、この時ほど、意識してオフィスで会う人たちに声をかけていた時期はなかったと思います。

 

そんな姿勢が日常的に培われたからでしょうか、私は気がついたら現役の兵士の人しかり、司令官しかり、私は彼らとの関係構築に手応えをつかみ始めていました。

 

彼らは、一度信頼を得るとお互いの関係をとても大切にするという面もあります。そして、そんな会話の中で彼らの本音を垣間みることもありました。そして、私の仕事に必要な情報を教えてくれることもありました。

 

そして、彼らの生の声に触れることは、時には、情勢報告や分析レポートといった形で活かされていきました。

 

そして、何より私自身が、現地ではこんなことが起きている、もっとこうした方がいいんじゃないか、という一番大切なところにフォーカスし続けるにつれ、自分の中のモーチベショーンも実際の成果といった面でも手応えを感じていました。

 

そして、こうした流れの中で、本当の意味で「聴く」ということの力や仲裁の力を体験し、そうした仕事が評価され多国籍チームのリーダーに抜擢されることになりました。

 

さらにその後は個人専門家として世界的なプログラムの講師を務めることになったのも、原点はこうした体験にあると思っています。

 

自分の仕事や関わりの意図をどこに「設定」するのか?

 

より大きな意図を持つ時に、自分の力が引き出されたり、次のレベルに飛躍する機会も与えらえます。