仕事/家/パートナー/上司/環境が変わったら、きっとよくなると思っている時に気をつけるべき「ちゃぶ台返し病」

仕事/家/パートナー/上司/環境が変わったら、きっとよくなると思っている時に気をつけないといけないことがあります。

 

仕事/家/パートナー/上司/環境が変わったら、確かにいろんなことが変わりますから、確かにそういう面はあると思います。

「ここはなんか違う」「私がいるべきところじゃない」という感覚は自分でわかりますし、私

自身もそういう時期があって、その時の職場から抜け出した時には、すごくホッとしたのを覚えています。

 

同時に気をつけないといけないことがあります。

それは、ゼロか100かの思考パターンになっている時です。

すると新しい仕事でも似たような体験をするかも知れませんし、「あれ、思っていたのと違う」ということになりかねません。

 

なぜなら、自分が「問題」だと思っていることの根本は、仕事でも上司でもなく、自分の「内」にあるかもしれないからです。

 

私はある時、すごく引っ越しがしたくてたまらなくなったことがあります。

 

駅からも近いし、眺望もよくて、築浅でキッチンもバスルームも新品で綺麗だし、エントランスも心地よくて、来る人はみんな気に入ってくれる恵まれた環境にいたのですが、

 

唯一のお悩みは日当たりが悪いことで、夏は西日が暑いくらいなのですが、冬になると日当たりが欲しいなあ~と感じていました。

 

ある時、その感覚がだんだんと大きくなっていって、ついに「引っ越したい!」とさえ思いました。

 

太陽(日当たり)を求めるのはにんげんの生理学的にもごくごく自然な欲求だと思うのですが、

「日当たりが欲しい」が「もう嫌!」と嫌な方にフォーカスがいってしまって、その感覚がどんどん大きくなっていって、ついには、「これさえ変わればよくなるに違いない」というような感覚にさえなっていきました。

 

何件か物件をみたのですが、ピンと来るものがなかったので、結局引っ越しはしなかったのですが、その時は衝動のように「いやな面」がフォーカスされてそれから逃れたいというような気持ちになったのを覚えています。

 

ある時は、ある時期の仕事を思いださせるものがすべて嫌になってしまって、その時のスーツをほぼぜんぶ処分してしまった時もありました。

そして後で、「あれ〜なんでぜんぶ処分しちゃったんだろう?一つや二つはとっておいてもよかったよなあ」と思うことがありました。

 

自分でもちょっと極端だったと思うのですが、人にはそういう思考(衝動)におちいる時があります。

こういう衝動を「ちゃぶ台ひっくり返したい病」と呼んでます(笑)

実際にストレス研究では、人はストレスや不安が高い時、ゼロか100かの思考パターンになりやすいと言われています。

 

こういう場合に何が起きているかというと、自分の中の自己嫌悪などのネガティブな思いや感情が何か周りのものに投影されている(映し出される)のです。

 

そして、それがすごく「いや〜」な感じを思い出させるので、もう離れたい!と思うのです。

 

でも実際に嫌っているのは、自分の中の部分なのです。

 

これが住みか、仕事やパートナーなどに投影されてしまうと大変ですね。

 

もし、「いや〜」な感じがしているのだとしたら、周りの環境や人や出来事になんらかの投影をしている可能性が高いですね。

 

仕事でいうと、「次に進む時だな」と思う時と、もうこれ嫌!と避ける・逃げる感じはかなり違います。

 

今の仕事はいろんなことがあって大変だったけど、自分がやるべきことはやりきった、この仕事で学ぶべきことは学んだ、といった感じがあるか、または次にやりたい仕事への思いがすごくあるかなど、といった感覚があります。

 

グッドニュースは、人や住まいを変えるのは大変だけど自分の中の感覚はいつでも変えられることです!

(‘-‘*)フフ

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過剰なまでに「正当化」を試み、つねに自分の思い通りにすること、相手に勝利することを求めている人たちへの対処方ーあなたの心を操る『マニピュレーター』という人たち

人間は誰でもなんらかの「攻撃性」を持っている存在である、という前提で、人間のもっている「力」を持ちたい欲求、人はどうやって「攻撃」をしかけてくるのか、相手とのかけひきに対して、どのようにして自分を守っていけばいいのか、を理解することが大切だと説くのは、臨床心理学者のジョージサイモンです。

 

ジョージサイモン氏は、人を支配して思い通りにしたいという権力と支配にむけた過剰な欲求を持つ「隠された攻撃性」を持つ人たちがいる、と指摘しています。

 

以下がそうした人たちの特徴です。

 

1、つねに自分の思い通りにすること、相手に勝利することを求めている。人生で遭遇するすべての状況が自分に向けられた挑戦であり、勝利しなくてはならない闘い。

 

2、他者におよぼす力と支配を求めている。人の上にたち、人に命じる地位を得ることを望む。対人関係では、つねに優位な立場を保とうとする。相手が受け身にまわって退いたり、あるいは譲歩するようにしむける。

 

3、表面的には礼儀正しく社交的にふるまうことができる。内なる残忍さや権力に焦がれる思いにさいなまれているが、そんなことはみじんも悟らせない。

 

4、あの手この手で相手を一段劣った地位にとどめておき、自分の優越性を立証しようとする。人の弱点につけいることに優れ、相手がひるみようでもしようなら、その一瞬を逃さずについてくる。

 

5、周囲の物事や現実をゆがめて把握し、自分の言動に伴う責任は追おうともせずに、過剰なまでに攻撃的な挙動の「正当化」を試みる。懲罰をちらつかせようが、良心の痛みに訴えようが彼らには意味をなさない。

 

「あなたの心を操る隣人たち:忍び寄る『マニピュレーター』の見分け方、対処法」より

 

サイモン氏は、こうした人たちを『羊の顔をまとうオオカミ』と呼んでいます。

 

続けて、こうした人たちの課題が挙げられています。

 

1、人と争うことが本当に必要な場合なのか、その判断に誤りはないのか学ぼうとしない。本人には日々が闘いで、自分の欲望の前に立ちはだかるものはなんであろうと「敵」を意味する。つねに臨戦状態にある。

 

2、いったん自分の負けを認めて譲歩し、相手に屈服するようなことがあっても、長い目で見ればそれが勝利となる事実を学ぼうとしない

 

3、意味のある闘い方、フェアな闘い方を知ろうとしない。ずる賢く立ち回ることが勝利の秘訣だと思っている。

 

4、屈服を嫌悪しているのである状況では譲歩したり負けを認めることによって得られるかも知れない面を理解できない。

 

5、幼稚な利己主義と自己中心主義の克服を学ぼうとしない。世界はすべてわがもの。わがままを押し通す手口は、対人関係を操作することによって磨きがかかり、自分を無敵の存在だと見なすようになっている。自己イメージはさらに増長していく。

 

ふーっっっ(深呼吸)

 

最近の「国際政治」の状況にかなり当てはまりそうな感じがします。

 

ここであげた特徴は、極端な例のように聞こえるかもしれませんが、直接的にこうした人たちに会わなくとも、こうした人たちが存在すること、人が攻撃してくるときにはなんらかの決まった方策がある、と知っておくと、もしなんらかの嫌がらせや理不尽な体験を受けた時に、気持ち的にはずいぶんと楽になるのではないでしょうか。

 

こうした人にもし出会ってしまったら、関わり方をただちに見直すこと(まともにやりあったら潰されてしまうので)、まず可能ならば物理的に離れること、そして必要な対策を講じることが大切です。

 

サイモン氏が挙げている対策は以下のとおりです。

 

1、負ける争いには手を出さない。

 

2、相手の性格を正しく評価できる方法を知る

 

3、自己認識力を高める。自分の性格のうち、つけこまれやすい弱点となる部分についてきちんと把握しておく。

 

4、相手がどのような手口で操作しようとしているのか、その駆け引きの手口を見極め、それにふさわしい方法で対応する。

 

5、直接何かをする・しない、言う・言わないの前に、もし気持ちの上で逃げている部分があるとしたら、自分をおよび腰にしてる過去の体験や不安を癒、し自分の内なる力を取り戻す。

 

こうした特徴は極端な例ではありますが、こうした攻撃性の根本には、相手を下にすることで自らを上に置こうとする構造があります。

 

いじめっこは本当は気が弱いと言われているように、自分よりも弱い相手をみつけることで自らを上に置こうとする構造差別やいじめ、ある民族の排斥など人類の歴史では繰り返し見られてきたことでした。

 

人格を持つ存在であってもすべての人は平等である。

 

人をコントロールすることでもなく、自分を下にするのでもなく、人と対等な関係をもつためにも、自分が自分を守り、自分の価値を自分が認めること。

 

あらためて今このことの大切さを思います。

相手に罪悪感を抱かせる、無言で威嚇、被害者になる、無知や混乱をよそおう相手をコントロールしたい「羊の顔をまとうオオカミ」という人たち

誰かのなんらかの行為をやめさせたいとして、相手に罰を与えることはどこまで効果があるのか?

人は批判されたり、なんらかの強制を受け続けるとどうなるのか?

罰は相手の行動を変えることができるのか?

 

前回は、

力で人に言うことことを聞かせようとするのは可能なのか?親に強制される子どもはどう反応するのか

 

という記事の中で、親からなんらかのコントロールや強制を受ける子供がとる「反応」について紹介しました。

 

人に罰を与えるという考え方は、人はなんらかの過ちを犯したときや批判やなんらかの社会的な制裁を受けたら、罪悪感やうしろめたさ、羞恥心を抱くものである、よって行動をあらためるものだ、という前提がありました。

 

しかし、最近では、こうした従来の精神分析の理解では説明不足である、という考えがより一般的になっています。

 

むしろ、大きく騒いだり、または、騒動を起こすほど注目されるといった側面を本人が望んでいるから、と言われています。

 

例えば、なぜ普通の若者が次々とイスラム国に参加することになったのか?という点において、ヨーロッパ社会におけるイスラム系住民に対する有形無形の差別や孤立、言語や仕事の壁、ヨーロッパで移民として馴染めなかったからという大きな社会背景があるにせよ、

 

「注目されたい」「パワーを得たい」「何モノかになりたい」といった面は動機としてかなり強かったのではないか?ということが指摘されています。

 

私自身も国連のPKOで南スーダンで元兵士の社会統合支援にかかわっていた時にこの点を実感したことがあります。

 

武装解除と元兵士の社会統合の支援は、まず生計をたてる手段を確保することのサポートにフォーカスしますが、兵士をやめたくないという人たちが少なからずいたのです。

 

そうした人たちと話しをして気づいたのは、そうした人たちにとっては、たとえ生計を得る手段を与ることができたとしても、それよりも、兵士として得られる「パワー」や「プライド」の方が断然に大きい、ということでした。

 

南スーダンの内戦の場合、「植民地解放」(アフリカ最後の「植民地」解放と呼ばれた)と「独立闘争」として始まったので、そうしたことに関わってきたことの「プライド」という側面は確かにあると思います。

 

同時に、この場合のプライドには、地位、尊敬、注目も含まれます。

そして、銃を持ち相手を従わせる力といったパワーも含まれます。

こうした側面が人間の決定におよぼす影響はおそらくかなり大きいのです。

 

これは、南スーダンの例ですが、人間にはある程度誰でも「パワー」や「支配」「注目」を得たいという欲求がありますし、そうした行為は実際日常的にみられます。

 

同時に、私たちが日常的に気付いていないところで、目にしたり、体験しているかもしれないのは、おそらく「コントロール」や心理的な「マニピュレーション(操作)」です。

 

マニピュレーション(操作)とは、相手を無視をしたり、心理的に罪悪感をもたせるなどなんらかの心理的なかけひきをすることによって、相手を自分の意のとおりにコントロールしようとすることを指します。

 

かわいい例から始めると、子どもがだだをこねて親におもちゃを買ってもらおうとすることだったり、または、もっと巧妙になってくると、「まともな親ならこんなことはしない」と言って相手に罪悪感を抱かせようとしたり、無言で威嚇をしたり、自分がいかに被害を受けたのかを強調したり、無知や混乱をよそおったり、相手の弱みをついたり、自信を失わせようとすることをわざと言ったりする場合など、です。

 

ブラック企業が内情をばらされないように心理的な脅しをおこなうこと、職場での足の引っ張り合い、女性が泣いて男性に罪悪感をもたせようとすることなども当てはまるでしょう。

 

人間は誰でもなんらかの「攻撃性」を持っている存在である、という前提で、人間のもっている「力」を持ちたい欲求、人はどうやって「攻撃」をしかけてくるのか、相手とのかけひきに対して、どのようにして自分を守っていけばいいのか、を理解することが大切だと説くのは、臨床心理学者のジョージサイモンです。

 

ジョージサイモンは以下のような行為を操作の例として挙げています。

 

はぐらかす

問題をすり替える

大事なことを伝えない(事の真相を秘密にしておく)

相手の羞恥心を刺激する

被害者を演じる

人をそそのかす

人のせいにする

無視する

無知・混乱を装う

相手に怒りをぶつけてコントロールする

脅す

「あなたの心を操る隣人たち:忍び寄る『マニピュレーター』の見分け方、対処法」p.154-180より

 

いずれも間接的に相手を自分の意のとおりに従わせようとすることです。

 

相手があからさまに敵対的な態度をとる場合もあるかも知れませんが、「操作」と呼ばれるこうした行為の特徴は、「なんか違和感があるけど自分が攻撃されていることに気づかない」「問題があるのはこっちの方」と思わせること、です。

 

ふっっっーーー

(いったん深呼吸をして息をはきましょう)

 

書いていてあまり楽しいテーマではありませんが、人間にこういう面があることは事実ですよね。。。

 

そして、人がある程度キャリアを積もうとすると(特に組織において)、どこかでこうした問題に直面すると考えておいた方がいいと思います。

 

私がこのテーマについて今回書こうと思ったのは、最近ある親ごさんの相談を受けて、まさにこうした「操作」について改めて学ぶことになったこと、それを通じて過去私の足を引っ張ろうといじわる(「いじわる」なんて表現を超えていましたが)をしてきたある上司の行動パターンや作戦がより理解できたこと、

 

こうしたことが、職場での人間関係など実は日常的な関係においてひっそりと行われているかもしれないこと、南スーダンでの内戦再発といった国際情勢にも当てはまると思ったからです。

 

「人は人をいじめ得る前提で考えておきましょう」なんてけっして学校では習わないし、もちろん猜疑心や不信感を持ちすぎるものも不要です。

 

 

でも、人間はこうした面をもっていることを頭のどこかで理解しておけば、そんな時に冷静に対処できことがまったく違ってくるでしょう。

 

しかも、どちらかといったら「いい人」といったタイプの方が、こうした操作的なやり方の被害者になりやすいのです。

 

ちなみに、ジョージサイモン氏の本の中のサブタイトルは「『羊の顔をまとうオオカミ』の特徴を理解する」です!

 

 

では、こうしたマニピュレーターの作戦による被害を避けるにはどうしたらいいのでしょうか?

 

羊の顔をまとうオオカミの特徴と対処法」続く

力で人に言うことことを聞かせようとするのは可能なのか?親に強制される子どもはどう反応するのか❓

この数日国連総会で北朝鮮が話題の中心になっています。

 

弱気な態度をみせては「相手になめられてしまう」とばかり、日本の首相まで過激な発言を繰り広げています。

 

しかし、そもそも力で人に言うことことを聞かせようとするのは可能なのでしょうか?

 

なんらかの行動をやめさせたいとして、相手に罰を与えることはどこまで効果があるのでしょうか?

人は批判されたり、なんらかの強制を受け続けるとどうなるのか?

罰は相手の行動を変えることができるのか?

 

これらの点を親と子どもの関係性を例にとって見てみたいと思います。

 

「きびしく懲罰的な力に基づく罰は、実際には子どもの攻撃性を引き起こす」と指摘する心理学者の見解として、以下の5点をを力の限界としてお伝えしました。

 

1、力は暴力の連鎖を引き起こす

 

2、人を力でコントロールするには大きな労力がかかる

 

3、おとなの罰はいずれ品切れになる

 

4、強制は抵抗や断絶、離縁など副作用が大きい

 

5、力を使うと結局は力を弱める

 

では、自分の意思に反して、子どもが親(学校、教師、権威)によってなにかを強制される時、子どもはどういう反応をするのでしょうか?

 

ゴードン博士は以下の24の反応をあげています。

 

1、抵抗する。無視する。否定する。

2、反抗する。服従しない。反発する。文句を言う。

3、復讐する。やり返す。反撃する。蛮行に走る。

4、他人を殴る。好戦的になる。戦う。理屈っぽくなる。

5、他人にいばる。いじめる。

6、かんしゃくを爆発させる。怒る。

7、競争する。勝ちたがる。負けを嫌う。他人をかっこう悪く見せる。

8、引きこもる

9、あきらめる。負けたと感じる。

10、話さない。無視する。相手が話しても沈黙する。

11、いい子、先生のお気に入りになろうとする

12、恥ずかしがる。臆病になる。新しいことを試すのを嫌がる。

13、不安に感じる。いつも承認さえることを求める。保障を求める。

14、おびえる。へつらう。ゴマをする。

15、おとなしくなる。言われたことに従う。同調する。

16、依存症になる(ネット、お酒、ネットショッピング、ワーカホリックなど)

17、ウソをつく。欺く。真実を隠す。

18、他人のせいにする。非難する。告げ口する。

19、逃げる。家へ帰らない。さぼる。退学する。

20、落ち込む。希望がないと思う。

21、病気になる。心身症になる。

22、食べ過ぎ。(過食症、)

23、群れをつくる。おとなに対抗してまとまる。

24、規則や法律を破る。

 

参考「自立心を育てるしつけ―親業・ゴードン博士

 

前回も言いましたが、ここでいう強制や力の行使は、物理的な「力」に限らず、言葉による暴力や心理的な脅しなどの「支配」や「マニピュレーション」(心理的な脅しなどの操作)も含まれます。

 

例えば、「いじめ」はこうした攻撃性の連鎖の一つとしても捉えることができます。

攻撃された方は、自分よりも弱い対象を探し、気分を晴らしたい(自分よりも弱い対象を探して自分の力を確認したい)という構図があるからです。

 

上のリストを読まれて気づいた方もいると思いますが、力の行使による副作用はわかりやすい「反撃」に限りません。

 

リスト上の方が物理的な反応を書いてあるのに対して、8番からは、心理的な反抗という側面が強くなってきます。

日本では、少年の犯罪行為が厳しい親のしつけに対する反抗であることがよく言われるように、過度な期待や過干渉なども含まれます。

 

アメリカだど、薬物依存や犯罪行為に結びつきやすくなるのでしょうが、日本の場合には、そうした分かりやすい反抗というよりも、忘れものが多くなる、ミスが多くなる、あきらめ、引きこもり、無気力といった形で出る方が多いのだと思います。

 

学校という公的な制度が、上から下に一方的に「答え」を伝えるという前提を植え付けていること、東京一極集中型経済&大企業主義、「本音と建前の社会」なども関係しているかも知れません。

 

親と子どもの関係は、その人の権威一般や社会との関係性にも現れることがありますから、なにより「どうぜ何やっても無理」といった社会全般に対する無関心やあきらめ、無力感が日本にとっての大きな損失ではないかと個人的には感じます。

 

人間は誰でもなんらかの「攻撃性」を持っている存在である、という前提で、人間のもっている「力」を持ちたい欲求、人はどうやって「攻撃」をしかけてくるのか、相手とのかけひきにはどのようにして対応して自分を守っていけばいいのか、

 

を理解することが大切だと説くのは、臨床心理学者のジョージサイモンです。

 

続く

Facebookの最高責任者サンドバーグさんが突然夫を亡くしてから言ったこと「人はどんなことを成し遂げたことだけでなく、(逆境を)どう乗り越えたかで判断される」

「レジリエンス」「逆境力」

 

人が困難な状況から再び立ち上がっていくプロセスに注目が集まっています。

 

例えば、レジリエンスという概念が注目され、「精神的回復力」、「復元力」
などと訳されています。

 

Facebookの最高執行責任者のサンドバーグ氏が、「どうしたら女性が仕事で成功できるか」を書いた前作「LEAN IN」発表後、突然の事故で最愛の夫を失い、いかに逆境に向き合いそれを乗り越えるか「レジリエンス」について学ぶことになった、と語っています。

 

その時の体験については今年5月にカリフォルニア大学バークレー校の卒業式のスピーチで、初めて公けに彼女の体験や心境について語っています。
その中で、彼女は「人はどんなことを成し遂げたことだけでなく、(悲劇的な状況を)
どう乗り越えたかで判断される」という言葉を残しています。

 

また、全世界でもっとも視聴されたTEDベスト5にランクインし続けるブレネーブラウンの最新刊「立て直す力」も、人はどうしたらそんな状況から立ち上がれるのか?まさに似たようなことをテーマにしています。

 

立て直す力.jpg

 

逆境力、レジリエンス、回復力、立て直す力、トラウマ後の成長(post-traumatic growth) ー 言葉こそ違えど、そんな人たちの体験やPTSDからの回復に関する研究からは、ある共通項があることがわかりつつあります。

 

そうした過程にある共通点の一つは、自分のストーリーの再構築です。

 

自分の人生のストーリーを紡ぎ直すことです。

 

同じ場にいて、同じ人の話しを聞いていても、人それぞれ印象も覚えているところも違うことを体験したことがありますか?

 

私も南スーダンで分析の仕事をしていた時、同じ国にいて同じ人から同じ話しを聞いても人によって視点がまったく違ってびっくりしたことがあります。

 

そう。「現実世界」は一つしかないように見えても、感じ方・読み取り方は人それぞれ本当に違います。

 

社会認知に関する研究が示すとおり、私たちは人それぞれの「認知」や「観念」「レンズ」を通じて、身の回りの出来事や世の中を見ています。

 

つまり、自分が「事実」だと思っていることと、自分の「解釈」や「物語」とは同じとは限らない、ということです。

 

人間は「意味」を求める生き物なので、人は日々目にすること、耳にすること、体験することを自分なりの視点で判断し、「意味付け」しながら生きています。

 

そうして日々意味付けされたものの連続が、その人の「人生の物語」をつくっている、と言えます。

 

もっと言うと、自分の「解釈」や「物語」こそが、日々の「体験」をつくっている、とも言えます。

 

場所や職場、関わる人が変わっても、似たような体験をすることがあるのはこのためです。

 

「逆境」は、自分の「解釈」や「人生の物語」を含め、それまで自分が考えも疑いもしなかったことを見直す機会をくれます。

 

じゃあ、今度は、自分はどんな物語を紡ぎたいのか、どんなことを体験したいのか?

 

まったく新しくフレッシュに自分の「ストーリー」「物語」「体験」を始める機会を持てるのです。

 

「人生ってどうせこんなもの」?

「人生は苦労するもの」?

 

「人生は奇跡と喜びに溢れている✨✨✨」

 

せっかくなら、そんな物語がいいなと、私自身これを書きながら改めて思っているところです!

 

 

トラウマとまで言わなくても、人生では自分の思うようにならない時もあれば、理不尽なことも起こります。一人ではどうしたらいいのか分からなくなることもあるでしょう。

 

そんな波の中にいる時にどうしたいいのか?

 

少しでもそんなヒントになるように、トラウマやPTSDの回復理論やレジリエンスに関する研究と私自身の燃え尽き症候群やPTSDからの回復体験を質問形式にしてまとめました。

 

ここで挙げている質問は、リラックスして、まずは眺めてみて、思い浮かぶことをありのままに観察してみるというアプローチをオススメします。

 

質問を読んでもに何も思いつかなくても、ふとした瞬間に何か思い浮かぶ事もあるでしょう。

 

自分が前に進んだからこそ、意味を持ってくる質問もあるので、ぜひ定期的に眺めてみて下さいね。

 

ダウンロード・登録⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

だからこそあなたが輝くための55の質問目次.001

 

目次

あ、今の自分の状態について把握する

い.自分の「ストレス反応」を知る

う.今気になっていることについて観察する

え.喪失 (後悔、自責、サバイバーズギルト)に気づく

お.自己像、自己肯定感、自己受容度に気づく

か.自分の中の「不安」を意識化・言語化する

き.自分のコーピングスタイルを知る

く.自分と相手との優先順位(境界線)と当事者レベルを知る

け.自分のストーリー(解釈・認知)に気づく

こ.回復のストーリーをみつける

さ.試練の中の「意味」について知る

し.再結合・新しい自己の創造

す.回復・再生のためのステップ 

せ.トラウマからの回復・再生のプロセスで体験しうること

そ.トラウマからの回復の三段階

 

ダウンロードは⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

本気でパワハラを変えたいあなたへー「だからこそ」 あなたが輝くための105の質問

パワハラは何が本当の問題なのでしょうか?

 

私は初めての国連での赴任地東ティモールで、「パワハラ」・「セクハラ」に遭遇しました。

 

相手はパキスタンの出身の男性で、女性のスタッフには一切挨拶もせず、「女性に仕事はできない」と言い放つ人でした。

 

女性と男性は別々に食事をするような国ですから、もしかしたら、女性と仕事をしたことがないのかも知れません。(ちなみに、ノーベル平和賞を受賞したマララさんもパキスタンの出身です。)とは言え、平然と女性だけを無視したりする訳ですから、こちらも心穏やかではありません。

 

他の同僚の助けてもらいながら、自分がやるべきことは淡々とやりましたが、電気もお湯もないような任地で、国連の1年目分からないことだらけだったので、大きなストレスと精神的な負担になったのは言うまでもありません。

 

国連で働き始めてすぐに起こったことだったので、国連という組織のことも、国連での職場での人間関係についてもよく分からなかったのですが、そのうち、自分が「そのような扱い」を受け続ける必要はない、と思うようになりました。

 

我慢し続けるのも限界になり、上に訴え、彼は別の地域へ再配属されました。

 

数ヶ月の苦痛から解放され、ホッとしたのですが、「『この事件』は私にとっていったい何だったんだろう?」という「宿題」が私の中に残ったような気がしました。

 

その3年後、私は国連ニューヨーク本部へ移り、仲裁の研修を受けた時に、国連の職場で上司との関係や仕事の評価に関する異議申し立てが多いことを知り、再びそのことを思い出しました。

 

全世界で働く国連職員の数はおよそ8万人(secretariatとPKOミッションで働く職員)。

 

その8万人から、一年間の間で、国連のオンブズマンオフィスに約9,000件も仲裁(第三者を交えて話し合いを持つこと)の要請があるそうです(2012年度)。

 

相談内容については、圧倒的に多いのが、職場での仕事の評価について、契約体系(更新)、上司との関係についてだそうです。

 

国連という組織は、基本的には自動更新も自動昇進もない自己志願制の契約体系で成り立っていますから、評価や契約は大きな問題になりえるという事情はあります。

 

とはいえ、この数字は「氷山の一角」なのでしょう。

 

国連では、国連の職員が「職場での対立に建設的に対処する能力を身につける」ためのいろいろな研修が行われていて、私もそうした研修に参加したことがあります。

 

そして、部屋の中に、ありとあらゆる肌の色の人達がいるのを見た時に、「ああ、悩んでいたのは私だけじゃないんだ。」

 

そして、「意見の違いや対立に対処する方法を最初から分かっている人はいなくて、誰もが学んでいくものなんだ」、とある意味ホッとしたのを覚えています。

 

その後、私は部下を持つようになり、南スーダンでは多国籍チームのリーダーを務めるようになりました。上司になって新たに見えたこともありました。

 

今度はカウンセラーになって新しく見えることもあります。

 

「パワハラ」では、人間関係のくせやこれまでの「課題」が「噴出」して現れることがあります。

 

新しいステージへ上がるために、自分の課題や生き方を見直すのは大切なことです。

 

いずれにせよ、はっきり言えるのはどんなケースであれ、「その先」がある、ということです。

 

何が本当の課題なのか?

何を学ぶ機会なのか?

自分はどうしたいのか?

 

まずは、今の自分の状態や体験を落ち着いて整理することが大切です。

 

今の自分の状況を整理して、ではどうしたらいいかを考えられるように、自分の体験と相談を受ける中で気づいたことを質問形式にまとめました。

 

なぜ質問形式なのかと言うと、人それぞれ性格も違うし、会社や上司の状況とかいろんなことが違うので、「こうしましょう」という決まった一つの答えはないからです。

 

今の自分の状態や体験が整理でき、理解できると、自分の奥からほんとうの力が湧いてきます。

 

ご希望の方は、こちらからご登録ください。

 

https://www.reservestock.jp/inquiry/10874

 

少しでもお役に立てましたら幸いです。

 

「やめてよ」と言える子はいじめられない!パラハラは人間関係のやり直し

最近、パワハラの相談が増えています。

 

厚生労働省が2016年に行った「職場のパワーハラスメントに関する実態調査」によると、過去3年間でパワハラを受けたり、見た・相談を受けたという人は、およそ3人に1人となっており、前回の平成24年調査から大きく上昇しています。

 

労働相談に寄せられる相談では2番目の「解雇」を超えて、4年間連続でパワーハラスメントが一番に挙がっています。

 

どの程度を「パワハラ」というのか、最近の子は打たれ弱いんじゃないか?という疑問を持たれる方もいるかもしれません。

 

私が相談を受ける中で感じるのは、確かにそういう面もあるかも知れないけれども、

 

社会や国全体がこれまでのやり方や価値観を抜け出せない中で、社会の「ひずみ」がそのまま会社や組織に反映され、中間管理職による「パラハラ」という形で現れているんじゃないか、と感じます。

 

じゃあ、パワハラって何がほんとうの課題なの?と考えていたら、姪っ子のお迎え先でみつけた本でこんなくだりを見つけました。

 

「『やめてよ』と言える子はいじめられない」

 

なるほど〜。

 

子育てについての本ですが、そのまま大人に当てはまるな、と思いました!

 

私たちが本能的に気づいているように、大人になってもにんげんの基本的な行動心理やパターンは変わりません。

 

にんげんは、二人以上揃えば、どっちが「上」か判断しようとしますし、序列をつくりたがります(特に男性)。

 

「いじめっこ」は弱そうな人を探します。

オドオドしてる子、自信のない感じの人、ビビる子を敏感に感じとります。

 

彼ら(いじめっこ)は、自分の「支配下」に置ける自分よりも弱い人を見つけることで、自分の「パワー」を確認したいのです。

 

私は、国連という組織で、または軍隊という組織で、または、紛争地で、国籍や人種とわずまったく同じような力学をあちこちで見てきました。

 

実は、「いじめっこ」やDVの「加害者」は、気が弱いタイプであったり、劣等感やコンプレックスを抱えていることが多いのですが、大人になると、そこに役職や契約の更新等がからみ、時に相手がもっともらしいい理屈を述べてくるのがやっかいなところです。

 

そして、会社でもみんなパワハラが起こっているのを知っていても、何をしていいかわからない、というか、声をあげたり、誰かに何かを言うような勇気もないのも残念ながら実情です。

 

派遣社員の方から、周りの人がなにもしてくれなかったことがさらにショックだった、という相談を受けたことがありますが、そういうケースが実際にあるのも残念ながら事実です。

 

そして、職場全体のモラルやモーチベーションがさらに下がるという悪循環を起こしています。

 

日本人の和を重んじる面は素晴らしい点だと思いますが、私たちはそうした時に集団ででも声をあげていくことも学ぶ必要があると思います。

 

さて、もうこんな職場辞めたい!と思うことと思います。

 

自分の健康を害してまで続ける価値のある仕事など存在しませんし、なにより、そんな仕打ちを受ける必要もありません。

 

ただ、もし一言お伝えできることがあるとしたら、仮に辞めるとしても、自分の次への成長のために「もうひとふんばり」して欲しいと思います。

 

それは、我慢するのではなく、むしろ逆で、

心の中で思い切り!「やめてください!!!」と言うことです。

おそらく、実際の心の声は、そんな礼儀正しい言い方ではなく、

ふざけんじゃねー!!!

私に指一本ふれるんじゃねー!!!

みたいな雰囲気でしょうか。

 

もちろん、職場には役職や上下関係が存在します。

 

でも、私たちにはにんげんとしての尊厳があり、人格を持つ存在としてはみんな平等です。

 

そのような仕打ちや扱いを自分に受けさせることはない!のですから、そのようにはっきりと相手に(心の中でいいので)言うことです。

 

 

不思議とこっちが腹をくくり、こちらの態度がぶれなくなると、相手の態度が変わることがあります。

 

そして「辞める前」にぜひ一回ご相談ください。

 

その上司との関係やその職場での体験が自分の中で「嫌な状態」のまま「未完了」終わると、その体験がトラウマとなって、自分では気付かなくても無意識に仕事を制限したり、やる気や集中力がなくなったりと、メンタルに影響することがあります。

 

その上司との関係や今の職場の状況について心の整理をしておくことと、次の転職や次の仕事をみつけるのがよりスムーズになります。

 

さらに言うと、その体験をきっかけに逆に人生が上向く人さえいます。

 

そんな時ほど、人間は自分のことや自分のコミュニケーションスタイルについて振り返らずをえなくなるからです。

 

パワハラをただのパワハラで終わらせたくない人へ!

 

人生には波があります。

波のてっぺんにいる時を人は成功と呼びます。

波の下がっている時にいる時のことを、人は挫折と呼びます。

 

でも、波は常に動いていて次の波が来ます。

 

下がったと思っても、方向が上向いていればいいのです。

次の波がまた先に連れていってくれるからです。

 

私はメンターの先生にこう言われたことがあります。

 

「波のてっぺんにいる時も波の底にいる時も違いはないのよ。

ただ、目の前に学ぶことがあるだけ」、と。

 

多くの人は(私も含めて)波の底にいる時にこそ謙虚に学ぼうとします。

 

なんでも物事が上手くいっている時に人は他の人に耳を傾けないからです。

 

自分の思うようにならないからこそ、理不尽なことがあって初めて自分はどうしたい?

と考えるようになるからです。

 

 

「辞める前」にぜひ一回ご相談ください。

 

 

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