究極の弱肉強食の世界でも「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではない❗️ーケニアでみたライオンといぼいのししの勝負

ケニアに野生動物を見にいった時に

とても印象に残っているシーンがありました。

 

目の前でイボイノシシの親子たちがのどかに草をはんでいました。

イボイノシシとは、一見ぶたのようなちょっと短足なちょっと

「かわブサイク」な子です(失礼!)

 

子供たちはまだ産まれて数ヶ月なのでしょう。

母イノシシの周りで草をはんでいます。

 

そんなのどかな風景がありました。

それが一転緊張状態に!

 

数百メートル先にいたライオンが急にむくっと立ち上がり、イノシシたちに狙いを始めたのです。

 

野生の動物を見るということは、自然界のなりたちを見るということ。

 

それこそが見る価値があるということなのでしょうが、ライオンが一気にダッシュを始めた時には私は思わず一瞬息を止めてしまいました。

 

イボイノシシママはライオンのダッシュを察知するやいなや、一斉に号令を出したようでした。「散らばれ!」と。

 

子供たちは四方八方に散らばりました。

 

すると❗️

 

ライオンはイボイノシシの子供たちが四方八方に逃げていくのについていけず、「捕獲」は失敗したのです。

 

身体の大きさも足の長さも速さもすべての面で「勝っている」と思ったライオンでしたが、小回りは苦手だったのです。

 

これを「勝敗」とするならば、イボイノシシがライオンに勝ったのです。

 

究極の弱肉強食の世界でも、「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではありません。

 

誰にもどんなものにも長所と短所の両面あります。

 

例えば、きりんは優雅に歩き、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、

敵の動きをいち早く察知できますが、水を飲むのは大変です。

 

 

ライオンはライオン。シマウマはシマウマ。イノシシはイノシシ。

ライオンだけがいても自然じゃないし面白くありません。

 

ぜんぶの存在があることが「自然」。

 

人間も自然界の一部です。

 

ps. ちなみに、目の前で見る野生の象やキリン、ライオン、チーターの迫力満点です。動物園で見るのはまったく違う感動があります。

 

ドバイ経由で行くとヨーロッパに行くのとフライト時間はほぼ一緒です。

 

おすすめです!!!(*^-^)ニコ

 

Mpata 238

 

Mpata 245

Photo: Chika Onaka

 

 

「いい面」だけが才能ではない❗️最初は自分の「強み」のネガティブな面を体験することが多いということについて

人の強みや才能に関しては、たくさんの誤解があるようです。中でも大きな誤解の一つは、「いい面」だけを才能や強みだと思うことです。

 

 

ただ、どんな資質にも両面があって、同じ資質の「いい面」もあれば「チャレンジな面」もあります。いわば、「同じコインの表と裏」のような関係です。

 

例えば、動物を例にすると、きりんは、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、敵の動きをいち早く察知できます。

 

私はケニアのサファリで目の前で野生のきりんが歩くのを見たことがありますが、

長い足でリズミカルに歩くきりんの姿は優雅でとても感動しました。

 

同時に、もしキリンが人間の言葉をしゃべることがあったら、こう言ったかも知れません。

 

「あのねー、優雅に見えるかもしれまないけど水飲むのは大変なんだよー」

 

なるほど〜

 

まさに、「同じコインの表と裏」です。

 

同じように、誰にも長所と短所の両面があります。

 

そして、自分の持つ資質が幼少期から強みとしてわかりやすく開花しているのは稀で、最初は同じ資質のチャレンジの面の方を体験することの方が多いのです。

 

どういう意味なのか説明していきます。

 

例えば、高い知能、活発である、意思や信念が強い、 共感力、創造性という資質があるとします。

 

これらの資質のポジティブな側面はどんなものでしょうか?

ネガティブな側面はどんなものでしょうか?

 

高い知性=頭がいい?に越したことはないじゃないか?と思うかも知れません。

 

でも、どんな資質にも両面あるのです。

 

以下に例を挙げてみました。

 

《高い知能》

このポジティブな側面:

新しい考え方や概念を素早くつかむことができる

同じ年齢の子供たちよりも深く理解する

複雑な現象の下にあるパターンをみつけることができる

新しい考え方や概念を発見するのが好き

壮大な考えや計画に惹かれる

 

ネガティブな側面:

•すぐに飽きる

•全容がわからないと納得できない

•他の人たちが「遅い」ことに忍耐強くない。

•他人の意見に対して批判的であったり、寛容的でない。

•手が頭についていけないので、手元の作業が雑になる

・細かい数字を確認する作業は得意ではない、などです。

 

 《活発である》

ポジティブな側面:

・新しい体験をすることに意欲的

・一度にいろんなことができる

 

ネガティブな側面:

・常に刺激を必要とする

・動き回る(多動である)

・頭も体も常に忙しい

・簡単にフラストレーションを感じ、それを撒き散らしがちである

・寝付くのが難しい時がある

 

 

《意思や信念が強い》 

 

ポジティブな側面:

・自分でゴールを設定し、それを達成するための努力を厭わない

・課題に対する答えをみつようとしたり、自分の興味をさらに追求する

・粘り強い

 

ネガティブな側面:

・頑固になる

・視野が狭くなる

・自分の興味のないことを忘れたり集中するのは得意ではない

 

《共感力》

 

ポジティブな側面:

・周りの人たちが考えていること、感じていることを察し彼らの視点から理解することができる

・他人の感情に対して敏感であり、他の人たちが気づかない点に気づく

・人の感情の機微を繊細に感じとり、人がなかなか言葉にして表せられない感情的な面を表現する手助けをすることができる

・書くことやアートなどの表現、創作活動を通じて感情の力を表現の力にすることができる

 

ネガティブな側面:

・体験を個人的にとらえる傾向がある

・ある状況にたいして事前に感じたり察してしまうので、自分には対応できないのではないかと心配になる

・不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち

・批判されたり拒否されたりする体験をなかなか処理できない

・周りの人の感情によって自分も影響を受ける

・簡単に泣いたり興奮する

 

《創造性》 

 

ポジティブな側面:

・目の前の現象や題材を新しくユニークな方法で見る

・たくさんアイデアがある

・新しいものを創るのが好き

 

ネガティブな側面:

・ファンタジーに逃避しがち

・拡げたアイデアをまとめるのは得意ではない

・言われたことに従うよりも自分のやり方で進めることがある。

 

つまり、ここでお伝えしたいのは、どんな資質にもポジティブとネガティブの両面がある、ということです。

 

そして、あなたの強みが眠っている分野こそ、最初はチャレンジの側面を体験することが多いということです。

 

私の例で言うと、

私の大きな強みの一つは、

自分の視点と考えから一旦距離をおいて、相手はなぜあのような事を言うのか、と相手の視点で物事を見ることができることです。

 

相手の視点と立場に立ち、相手の思考のフレームワーク、価値観や感情を理解することは「パースペクティブ・テイキング(perspective taking)」と呼ばれます。共感力の大きな要素の一つです。

 

相手と意見が違ったとしても、同意するかは別として、相手の立場から状況を見ることができること、そこから互いの共通点を探っていくは、南スーダン軍との交渉、信頼構築などで大きな力となってくれました。

 

世界で活躍したいと願う人にとってはとくに大切な資質の一つと言えます。

 

またこの共感能力は、アジア中東の軍隊に国連PKOに関してトレーニングをする教官・講師を務めていた時も、こちらが伝えることに対して相手が何を感じているのかをその場で察しながら、同じ講義の内容であっても相手に合わせてエピソードやたとえ話を変えていく対応力になってくれました。

 

また、コーチングをする時には、相手の方が自分の状況や課題をうまく言い現すことができない時でも、その方のほんとうの想いに一緒に想いを寄せることで、目の前の状況を整理して、新しい解決策や眠っていた力を引き出すサポートをしてきました。これも共感力の資質です。

 

同時に、ここでお伝えしたいのは、こうした資質が最初から強みとして発揮されるとは限らず、最初は同じ資質のネガティブな面をより強く体験することが多い、ということです。

 

例えば、私の場合には、「体験を個人的にとらえる傾向がある」「ある状況にたいして事前に感じたり察してしまい自分には対応できないのではないかと心配になる」「不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち」といった共感力のネガティブな側面としてあげられた点をすべて体験しましたし、今でも体験することはあります。

 

「簡単に泣いたり興奮する」というのもほんとうにその通りで、映画を見て感動して涙を流すことはしょっちゅうなので妹からはよく笑われるほどです。

 

前はネガティブな面しかわからずなんで私はこんなに繊細なんだろう?と悩んだこともありましたが、今ではコインの両面を理解しているので、ポジティブな面を尊重しつつ、ネガティブな側面とも上手く付き合えるようになり、大きな影響を受けなくなりました。

 

自分の資質をポジティブに活かすには、自分の普段の行動を観察して、自分の資質をよく知ることです。

 

ネガティブな面ばかり体験するなと思ったら、そのネガティブと同じ分だけポジティブな資質があると考えましょう。

 

「なんで自分だけ不器用なんだろう」、「なんでなんで自分だけ普通にできないんだろう」、「なんで自分はこんなに繊細なんだろう」と思ったら、「普通がいい」という幻想から覚めましょう。

 

「普通」はつくられた幻想でしかありません。

 

これからは普通に生きようと思っても基準を「普通」に合わせていたら、普通にさえ生きることができない時代です。

 

自分の資質をネガティブにしか思えないとしたら、今生での課題の一つは、その「思い込み」からまず自由になることかもしれません。

 

そして、ポジティブな脳の配線(シナプシス)を強化することです。

 

その資質が自分にとってどう役に立つのか、ポジティブな資源として活かす方法を考えましょう。

内心怒って満員電車でぶつかる人が多いのは、自分で決めてないからー義務とほんとうの責任の二つの違いをまなぶ時

自分で「決める」たびに本来の力を取り戻していく体験をお話ししました。

 

その選択が自分の価値観に沿っているときには、

いい気分がして、物事も身体も自然に動きます。

 

自分で決めると納得感がありますし、なにより自分で決めたという体験自体が自信になります。

 

自分の意思で決めたので多少の困難があっても、ふんばれます。

 

関連記事⇨10年働いても指示待ち&自分で考えられない人 vs どんどん自信をつけていく人ーその差は普段自分はどうやって○○○しているかを意識しているかにあった!

 

 

では自分で決めないとどうなるでしょうか?

 

「こんなはずじゃなかった。」

「そんなこと聞いてなかった」と

誰かのせいにしたくなる気持ちがでてきます。

 

この数年「アンガーマネージメント」が注目されていますが、内心怒っている人が増えているのは実は自分で考えて決めていないことに対する不満が無意識でたまっているからじゃないか、と私は思っています。

 

深層の部分では自分で決めていない、自分で自分の人生の責任をとっていないことを自分で知っているので、自分が自分に怒っている、という訳です。

 

 

「決める」の別の表現として「意思決定」、英語ではdecision-makingという言葉があります。

 

では、decision-makingの「反対」は何でしょうか?

 

ちなみに、英語を英語のニュアンスで覚え身につけていく英語脳的学習法の一つに、新しく覚える単語を英語の類義語(synonyms)と反対語(Antonyms)と関連させて覚えていくという方法があります。

日本語よりも英語の方がよりダイレクトな言語なので、「決めないこと」「決めること」のニュアンスが、反対語と類義語を引用することでより伝わるなかと思い、それぞれ辞書を引いてみました。

 

⭕️decision-makingの「反対語」は

 

untrustworthy=信頼できない

immature=成熟していない

immune=逃れている

exempt=外れている(免除された)

excused=言い訳的な

 

⭕️decision-makingの「類義語」は

 

responsible=対処能力のある

accountable=責任を持つ

in charge=仕切っている

engaged=関わっている

in control=主導権を握っている、制している、掌握している

 

です。

 

こうやっていざ並べてみるとそのニュアンスがよりはっきりすると思います。

 

とくにダイレクトな意味である

immune=逃れている、と

exempt=外れている(免除された)で、

 

自分で判断して決めないというのは、「人生から逃れている、自分で自分の人生から外れている」ということと同じだよ、とはっきりと伝えてくれています。

 

 

ところで、英語で「責任」というと「Responsible」を思い浮かべるとおもいますが、

Responsibleの本来の意味は、日本語の責任という言葉が持つ「重荷」のニュアンスとはまったく違います。

 

「Responsible」の意味は、

Response (対処)+ Able(能力がある)= 対処できる、

という直訳で、「自分の本来のパワー」というニュアンスを伝えてくれています。

 

対処できる、というのは、目の前にある状況や結果を引き受け、所有すること、その中で出来うる最善を尽くす、という意味です。

 

もし、責任という言葉に対して重荷を感じるとしたらそれは「義務」とごちゃ混ぜになっています。

 

義務は自由ではありませんが、自分で選んだ選択や状況にたいして自分で責任をとっていくという意味での責任は、大人で成熟した態度ですし、自由や解放といったニュアンスも含みます。

 

なにより、私たちにはそもそもこんなに選べることがあると改めて気づかせてくれます。

 

ちなみに私が働いていた南スーダンといった国では紛争があったり、職業が限られていたり、いろいろな意味で選択が制限されています。

 

アイスクリームショップで今日はどの味にしようかなと、色とりどりのアイスを眺めながら少し迷ってみるのも楽しみの一つだけれども、

 

ただ、私たちが決めることはほんとうはおそらくとてもシンプルです。

 

他人の人生を生きるか

自分の人生を生きるか

 

そして、心の内では答えは知っているのです。

 

大丈夫。🐱

 

勇気をもって進みましょう。

なぜ職業に自分を合わせる時代は終わりなのか?ー人生100年時代輝く大人でいるための一つの質問

職業に自分を合わせる時代は終わりだと言いました。

 

それには三つの意味があります。

 

一つ目は、自分を殺して働かないといけないような働き方では自分の才能や可能性に気付くこともできないし、活かすことも自分のほんとうの価値も能力もみつけることはできない、ということ、

 

二つ目は、自分でなくても出来る仕事はこれからAIがとって変わってくれること、

 

三つ目は、自分が望むことをほんとうにしようと思った時には、それは既存の職業のリストにあるとは限らず、肩書きを複数持つこともフツーで、あくまでも自分という存在が先にあって、それを活かすのに最適な機会が与えられて、それを表現するのに一番近い職業や肩書きがその時々に選ばれ、つくられていく、という意味です。

 

「自分が望むような仕事は既存の職業のリストにあるとは限らないけれども、それを叶えるベストな機会が与えられた」、というのは私が米軍の専門家になった時に実感したことでした。

 

わたしは国連で勤務し、国連PKOに約10年ほどかかわった後、米軍の専門家として、スリランカやフィリピンなどの軍に派遣され、訓練の教官・講師を務めました。

 

その時には、

世界を舞台に

個人として

多国籍な同僚たちと一緒に働き

オープンマインドで尊敬できる人たちをチームを組み

自分の好きな

「教えること」と

「平和支援に関わる」ことにかかわり

人にインスピレーションを与えることが

全て叶ったと感じました。

 

国連で働いていた最後の2年間ほどは、ある大きなプロジェクトのリーダーを任されていたので、プレゼンをしたり、国連代表として南スーダン軍とのやり取りをすることも多かったのですが、そうした中で私はプレゼンをしたり、教えることが好きだ、ということを発見していました。

 

逆にあまり好きでなかったことは、

誰が読むのかわからないような分厚い報告書の作成にかかわること

予算管理(画面上で数字の管理をすること)

南スーダンにいながら簡単なものをウガンダから調達するためにニューヨークで決められた規則に合わせるだけのために何十枚もの書類を準備すること

予算の執行や進捗状況などを正当化するためだけの理由を考える立派な文章を並べること、などでした。

時差ぼけがあること

でした。

 

もちろん、どんな仕事でもそういった面はありますし、そうした仕事を体験したからこそ分かることもあります。

 

でも、一旦ゼロベースで自分がやりがいを感じるもの、望む働き方を明確をすることはあなたの能力や才能を引き出し、活かせる新しい可能性を引き寄せるための重要なベースです。

 

わたしの場合、そうした基準が自分の中で先にあったからこそ、米軍の専門家という働き方に巡り遭えたと思うのです。

 

そして、アジア・中東約400人の軍人の人たちと接する中で、彼らが軍人としてのスキルを人と助けるためにも使えると知って、息が吹き込まれるように目を輝かせる姿をみた時、

 

わたしは人の肩書きや表面的な姿を越えて、その人の中にあるほんとうの想いや願いを引き出すことに大きな価値を感じる、ということを思い出し、

 

教えることや人をサポートをする中でも自分が目指すもののさらにその本質がわかり、人のほんとうの願いや才能をみつけ活かすサポートをするコーチングをしよう、と思ったのでした。

 

私の大学卒業後の一番はじめの仕事(大学院へ行く前)はドイツの旅行会社での仕事でした。

 

その時には、国連で働くための「多国籍な環境で働くための資質」を身につけることだったので、「対人的な仕事」を優先順位としていたからです。

 

対人的な面に価値をおくのは、今でもあまり変わっていませんが、体験を積む中で、そして、人生のライフステージごとに変わっていくものもあります。

 

また、ある段階をクリアしたからこそ見えてくるものもあります。

 

ですから、最初からわかろうとするのではなく、経験を積む中でその時々でわかるものがあるのが普通だと思っておいてください。

 

リストは常にアップデートし続けるものと考えればいいと思います。

 

こんな仕事できたらいいなと思うこと、理想の働き方、あなたが仕事に求めるもの、やりがいを感じるもの、価値をおくもの、こんな職場があったら最高だなと思うことは何ですか?

 

こんなの無理とか、そんな仕事がいったいあるの?と頭に浮かぶかもしれませんが、自分が望むことを自分で明確にしなければ、そのチャンスを引き寄せることもないし、その世界をみることはありません。

 

自分が望むことを明確にすることこそが大切なスタートの一歩です。(*^-^)ニコ

 

世界を飛び回ること

世界各国のひとたちと一緒に働くこと

人に希望を与えること

人に勇気を与えること

世界にかかわっていると感じられること

自分が成長している実感を感じられること

意義を感じられる仕事

誰かの役に立っていると感じられること

自分である程度進められる裁量があること

お互いに尊重があってコミュニケーションがある職場

助け合うような人間関係がある職場

みんなで一緒にやり遂げるチームワークを感じられること

自分の能力をかってくれる上司のもとで思い切り働けること

正直まだよくわからないけど、自分の能力が活かせるところ

早く出世できるところ

ステータスの高い仕事

お金を稼げるところ

早く帰れて家族との時間を優先できるところ

スーツを着なくてもいい仕事

スーツを着る職場

語学力を活かせる仕事

おしゃれな人たちを一緒に働けること

デザインや感性を活かせる会社

クリエイティブな会社

勢いのある会社

自由な雰囲気があるところ

ものづくりに関われるところ

フレキシブルなスケジュールで働けるところ

企画力を発揮できるところ

プログラミングにかかわれること

新しいアプリを開発できること

 

さて、あなたの感覚に近いものはありますか?

 

あなたが自分が望む体験を自由に発想するのはあなたの権利です❗️

 

自由に楽しく書き出してみてください (*^-^)ニコ

 

楽しくやっていきましょう。

 

自信がない人は自分に非現実的な期待をしすぎー 他人と自分にたいする「期待」をやめたら人生とても楽になる!

他人にも自分にも期待はしない方がいいです。

 

なんでそんな「夢のないこと言うの?」と思う人がいるかもしれないですが、

 

自分を信じるという意味でのfaith(信じる)と、他人は自分はこうあるべきだというニュアンスを含む(期待する)はまったく意味が違います。

 

私たちは現実的でない期待と幻想をして、他人がその欲求をを叶えてくれないことにイライラして、または、自分に過度な期待をかけて落胆をして自信をなくしていることがあまりに多いからです。

 

そうは言っても、人間は「期待」をしてしまうので、自分に「現実的な」期待をしよう、という言い方にしました。

 

始める前はすごくテンション高くワードプレスやる!とかブログやる!と言ってたのに、思うように反応がないのでそれで止まっている、という方がいました。

 

これはどういう問題でしょうか?

能力の問題なのでしょうか?

 

一度でも書いた人はわかると思いますが、今の情報過多の時代にブログを書いても最初は検索エンジンに認識すらされませんし、ましてや人が検索してくれて、それで問い合わせや申込みがくる、までにはそれなりの継続と情報量の積み上げがいります。

 

これは、書くスキルの問題ではありません。

 

まず、今の情報過多の時代でサイトやブログを立ち上げるということに対する現実的な事実の把握が欠けている、という問題です。

 

そして、自分にたいする期待の問題です。

 

もしかしたら、すべてに気付いていなくても自分はこうでありたい、自分はこうであるべきだ、という自分に対する「期待」が心の中ではたくさんあるかも知れませんが、私たちは「スーパーマン・スーパーウーマン」ではありません。

 

語学力にしろ、スキルが身についたり、何かの成果が生まれるまでにはある一定量の時間もエネルギーもいります。これは単純に物理の法則です。

 

もし自分はいつもどこかで自信がないな、と感じる人は、「自分はスーパーマン・スーパーウーマンだ」という「期待」をやめましょう。

 

期待には、事実をありのままに確認して判断してその中で考えられる最善の対策をとる、というよりも、幻想や妄想(~だったらいいな、これがあれば幸せになれるだろう、こうあるべきだ)を含むニュアンスがあります。

 

事実関係や現実をありのままに見ているというよりは、自分の独特のレンズで目の前の出来事を判断して、自分のパターンで結論をだしている、という可能性がある、と考えてみましょう。

 

そして今やっていることを楽しみましょう。

 

何か大きなことを達成したから喜ぶのではなくて、今日自分がベストを尽くしたこと、今日新しい体験をしたこと、今日新しく発見したこと、学んだこと、今日はじめて作ってみた料理を喜びましょう。

 

その中で、昨日できなかったことをもし今日できるようになったらそれはとてもラッキーです。

 

ほんとうにそうだと思います。

 

楽しいことは続けられますから、気づいたらその延長で語学が伸びているかも知れませんし、何かが出来るようになっているかも知れません。

 

イチロー選手は毎日一ミリ足の位置を調整して自分のベストな打ち方を毎日一ミリでも研究して、改善することをおこたらなかったそうですが、イチロー選手にとっては一つ一つの行為自体が「喜び」だったのでしょう。

 

誰にも自分にも期待しないで、ありのままの自分と付き合う方がよっぽど楽で生産的なのです。

 

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集合先はスリランカの首都コロンボの某米国系ホテルー米軍太平洋司令部 (USPACOM)派遣専門家としての「働き方」

集合先はスリランカの首都コロンボの某米国系ホテル。

各自到着後、翌日何時何分にロビーにてスリランカ軍の迎えの人に合流してください。

 

米軍太平洋司令部 (USPACOM)から送られてきた書類にはそう書いてありました。

 

派遣前の手続きの一環として課された治安対策トレーニングや米軍に提出する書類はかなりの量だったのにも関わらず、当日の流れについて書かれていたのはそれだけでした。

 

他に知らされているのは、これから4人でチームを組んで、スリランカ軍に向けた訓練を実施すること、4人のうち2人は元軍人であること、研修内容と担当分野、各自の予定到着時刻だけでした。

 

私は、スリランカ軍で行われる国連の平和維持活動についての訓練で講師を務めることになっていました。

 

私は米軍の専門家という立場で、すでに国連を離れていた時期でした。

 

所属は米海軍大学院 US Naval Postgraduate School, the Center for Civil-Military Relationsというところです。

 

バングラデシュ軍やフィリピン軍、スリランカ軍で国連PKOに関する多国籍演習や国連幕僚課程(UNSOC:United Nations Staff Officer’s Course)や国連PKO教官課程(UNPKO Instructors’ Course)などを教えました。

 

さて、その時のメンバーはアメリカ人のジェフ、元カナダ軍のボブ、元マレーシア軍のデービッド、そして日本人の私の4人でした。

 

それぞれ、すでに国連も軍も離れている個人の専門家としての立場です。

 

講師チームは全員で4名で1チームをつくりました。

 

研修内容は本格的で内容も興味深いものだったのですが、私が面白いと思ったのは、こうした「働き方」でした。

 

だって、集合場所はコロンボのホテル。

メンバーは太平洋を越えて合流する人もいればフライト時間も到着時刻もそれぞれです。

 

それでいったい研修が成り立つんだろうか?

 

そんな疑問が日本で書類を受け取ったわたしの脳裏にふとよぎったのですが、十分に成り立ったのです。成り立ったどころか素晴らしいチームワークを発揮できたのです。

 

こんな働き方があるのか!とある意味わたしの仕事観さえも更新された体験でした。

 

そんな「働き方」も可能なんだというお話しを今回はしたいと思います。

 

研修で扱うテーマは、国連PKOにかんする主なテーマすべて。

武装解除・動員解除・元兵士の社会復帰(DDR)から人道支援、安保理決議や国連PKOの意思決定と組織構成について、交渉、武器使用権限、交渉、停戦後の復興について、そして演習です。

 

武力で敵を倒し、破壊するのは簡単ですが、停戦後、政府や議会などの制度を一から確立し、国の根幹をつくり、国が復興へ向かうための支援をすることは軍事的な戦略を超えた幅広い視点を要します。

 

そのため幅広い知見をカバーするために軍人と文民の両方がチームを組んで最低2週間の研修にのぞみます。

 

講師チームはたいてい4名で1チームをつくりました。

 

顔をあわせるのは前日でした。

しかもみんなフライトの到着時刻もバラバラなので、集合はホテルの朝食場所で、

そこで初顔合わせなのですが、実際は半分以上は雑談でした。

 

訓練はさっそく翌日から始まりましたが、前日に合流したとは思えないスムーズなチームワークがありました。

 

米軍のつくったカリキュラムは1日中びっしりで、

1日50分のコースが7コマもありましたが、それぞれがそれぞれの役割を果たし、

コースはスムーズに流れていきました。

 

コーヒーブレークにはジョークを言い合ったりもしました。

 

その中でも仲よくなったアメリカ人のジェフとの会話でスリランカの経験について学んでいたと思っていたのに、日本について学んでいたことに気づいたこともあります。

 

アメリカ人のジェフが言いました。

 

「戦争って『勝つ』方も本当の意味で勝利じゃないよね。

アメリカではこんなこと言う人少ないけど、原爆の投下ってアメリカにとって『勝利』とは思えないんだ。」

 

その時点でスリランカ内戦終結からすでに3年ほどたっていましたが、シンハラ系住民にもタミル系住民の間にも、それぞれに大きな苦しみや大きな葛藤があり、かつ、

同時に、もう二度と内戦には戻りたくないという強い思いも感じる、という文脈での会話でした。

 

「まあ、僕たちの国も大きな戦争をしたけどさ、今こうやってすでに戦後生まれ2世の日本人のChikaとアメリカ人の僕がこうやって、世界の平和のため(国連PKO)のトレーニングの講師を一緒に努めているんだから、世の中少しは進んでるよね」と続ける彼に

勝手に「同志」のような繋がりを感じながら、私も大きく頷いていました。

 

そんな彼との会話も印象的でしたし研修自体も成功となりました。

 

スリランカ軍の参加者が個人的な体験を話し始めるなど、国連や外部の立ち入りや調査団を何度も拒否してきたスリランカ政府の歴史から考えても、驚くような展開もありました。

 

共振する人たちとチームを組み、そんな風にスムーズにかつ楽しくかつみんなで「いい仕事」ができるものだと私の中の「仕事観」も更新されました。

 

個人専門家が集まりプロジェクトベースでチームを組む。

 

世界単位でもそういう働き方が可能である!ということを実感したのでした。

 

欧米ではそういう働き方をする人がすでに増えていますが、さらにこうしたトレンドは進んでいくと思います。

 

だから、やっぱり英語で仕事ができる能力を身につけましょう!

 

だってそうしたら働き方も仕事の可能性もぐーーーーーーんと広がるのですから!!!

自分のことは自分で決めてきたつもりだけれども、 それはあくまである程度決まったレールの上での選択だったと気づいたら

これまでほんとうの意味での情報収集や意識決定をしたことがありませんでした!

 

あるクライアントさんの感想です。

 

ちなみに彼女はロースクール(大学院)を卒業したとても優秀な仕事のできる方です。

彼女の能力が高いのは彼女の書いたものを読んだり話しをすればすぐにわかります。

職場でも上司の信頼も厚く、入庁何年目かの人が対象になる表彰を受けたそうです。

 

これはその彼女の発言なのです。

どういう意味かというと、自分のことは自分で決めてきたつもりだけれども、

それはあくまである程度決まったレールの上での選択だった、という意味で、

ほんとうに意味で自分の生き方を決めてこなかったというのです。

ご本人にとっては少しショックな発見だったのですが、実はそういう感想を聞くのは珍しくありません。

 

20代半ば、30歳になる前、30代半ば、そして40歳になる前、40代超えてからも

 

人は特にこうした節目で「このままでいいんだろうか?」と思います。

 

そうして初めて自分の生き方や選択を考えるという人は珍しくないのです。

「人から答えを教えてもらって、自分で決めずにその答えに従う。

大勢の人がやっていることを自分もその通りにやる。

このように、自分で考えず、自分で決めずに人から与えられた答えに従う、

あるいはみんながやっていることを自分もやるという人が多いのです」

 

遅すぎることはありません。

 

彼女は、最初は大変でしたが、自分で自分の人生を生きているという充足感があります、と自分で切り開いていく大変さもありながらその楽しさも体験されています。

 

 

親に初めて国連で働きたいと言った時ー今国連も米軍も経て改めて「仕事というもの」について思うこと

仕事とはそういうものだ。

仕事とは苦労して当たり前。

仕事と遊びは別のもの。

さてそれは本当でしょうか?

 

小学生の憧れの職業がYoutuberという時代なのに、まだまだ私たちの世界観は古いものの影響を受けているようです。

 

私は親に初めて国連で働きたいと思っていることを伝えた時のことを覚えています。

 

大学4年生の秋ののことでした。

当時はFacebookもなく、ネット上の情報も限られていて、

身近に実際に国連にいった人も先輩訪問というものもなければ、

いい企業に就職するのが「就職」だという雰囲気は今よりも強い時代背景の中、

大学の就職課でそんな話しができる雰囲気でもなく、

今ほど「国連」がキャリアの一つとして認識されているわけでもなく、

 

私にとっての唯一の頼りだったのは、

「明石康国連に生きる」という本と

カンボジアの選挙支援での体験を書かれた国連ボランティアの人の手記とアルク出版の「国際協力ガイド」だけでした。。。

 

今となっては、もう前世の前世のような感じさえしますが(笑)、父が早めに帰宅できる日を待って「家族会議」が開かれました。

 

周りに国連で働いてる人はいるのか?

国連という組織にはどうやって入るのか?どういう仕組みなのかなどと質問をされました。

 

当時私のわかる範囲で答えたのですが、それは両親にとって(というかその世代の人にとって)、想像のできない世界であり、想像のできない働き方だったと思います。

 

「緊急家族会議」は、双方の主張が交わらないままに結論に近づいてきました。

 

「そんな夢みたいな事を言ってないで就職しなさい」。

(≧∇≦)

 

それ以来、私と両親は、

同じ家に住みながら卒業までほぼ半年も口を聞かなくなってしまったのですが、

 

今振り返ればそれが「バネ」になって、

私はぜったいに大学院にも受かって国連に入ってやると思いました。

 

そしてそれが「原動力」になって着々と準備を進めていきました。

 

その半年の間で英語のテストのスコアが伸び、

海外就職も決まり、大学院入学も決まり、

しかも奨学金ももらえることになったのですから、よくがんばったと思います。

 

こう書いてみると、

そこで引き下がって終わっていたら私のキャリアも今の私もなかったことになるので、

当時の両親は私の覚悟を試した役割という意味で

魂の約束をしてきたかもしれないとすら思います。

 

反対されたことは当時の私にとっては「大事件」でしたが、

当時の私の両親の反応はけっして珍しいものではなくおそらくその世代の人たちの一般的な反応だったと思います。

 

社会が右肩上がりの経済成長を続けていた時代の「仕事観」と「交換(依存)関係」というものも出来上がっていました

 

終身雇用がまだ当たり前だったので、我慢する代わりに雇用の安定と定期昇給を保証するよ、という関係性と考え方です。

 

こうした時代背景では、市民ひとりひとりが成熟した個人になることによってではなく、同質性の高いマスを形成することが優先されたのです。

 

内田 樹氏いわく、「その方が確かに作業効率がいいし、組織管理もし易い。消費行動も斉一的だから、大量生産・大量流通・大量消費というビジネスモデルにとっては都合がよかった。

 

だから、国策的に同質性の異様に高い集団を作ってきた。でも、こういう同質性の高い集団というのは、「この道しかない」というタイプの斉一的な行動を取ることには向いているんですけれど、前代未聞の状況が次々と到来するという危機的な状況には対応できない。そのつどの変化に即応して、「プランA」がダメなら「プランB」という臨機応変のリスクヘッジは、多様な才能、多様な素質をもった個人が「ばらけて」いることでしか果たせないからです」

 

内田樹が語る高齢者問題――「いい年してガキ」なぜ日本の老人は幼稚なのか?

より抜粋

 

そして、20年たった今、当時には想像もつかなかったユーチューバーといった「職業」ができて、下手な企業のキャンペーンよりもずっと影響力を持つ個人が生まれています。

 

そして、「スーツケース起業家」というタイトルの「自由に旅して十分に稼ぐ新しい生き方」の指南本までています。

https://www.amazon.co.jp/スーツケース起業家-ナタリー・シッソン/dp/4883206599

 

これは日本では2016年刊行ですが、英語版はもう6年前に刊行されていて、

私自身去年の夏に西表島へいって、今年の3月に執筆を兼ねてタイ旅行に行った背景には、そういうライフスタイルが頭にあって、

 

バンコクに暮らす高校時代からの親友からも、ちかちゃんの仕事ならどこでも仕事できるよね、とも言われ続けています。

 

誰でも簡単に楽して稼げるという安易な印象を与えるつもりはありませんし、

何をするにしても一定量の労力も努力もいるのはどんな分野でも変わることはないと思いますが、

 

個人とテクノロジーの力が相乗効果をもって発揮される時、

 

仕事とは苦労するもの

苦労しないとできない

成功するのは苦労や困難が伴うものという考え自体

もはや時代的にも妥当だとは言えないのですね。

 

もっとはっきり言うと、簡単に楽しく十分に稼ぎ旅するように生活し、人の役に立ち充実した生活を送ることは可能な時代なのですね。

 

この本には著者が世界旅行をしていながらもビジネス(コーチングやセルフブランディング)が回るようにしたステップが書かれています。

 

そのためにホームページに入れるべき機能や内容、アプリの紹介なども詳しいのですが、

なによりそうしたライフスタイルをすでに実現している人のエネルギーが伝わってきて、

 

仕事は楽しくていい

楽しく稼いでいいという考え方に細胞が置き換えられていくように感じるのです。

 

メモがたくさんできました!!!

 

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Samui Island、タイ

 

 

国連の現場で学んだ無理なく自然に会話が盛り上がっていく英語の質問術②

会議で何を言えばいいのか分からなくなってしまう、

上司や役職が上の人に対して言いたいことが言えなくなってしまう

と思う人はけっこう多いようです。

 

日本では、それぞれが自分の意見を発言をしたり、違う意見があってもそれが尊重されるような環境や体験は限られていますし、こんなことを言ってはいけないという制限が一般的に強いと思います。

 

ただ少し厳しいことを言うと、そういう人ほど自分が何を言えばいいのかばかり考えていて、肝心のコミュニケーションをする相手の興味・関心だったり、会議に参加している他の人たちや会議の目的自体がすっぽり抜けていたりします。

 

コミュニケーションはただ発信すれば終わりではありません。

発信されたものが相手に届いた、または届いてコミュニケーションは成立します。

コミュニケーションの始まりはそこからがやっと始まりとも言えます。

 

私たちはいくらでもなんらかの言葉や情報を発信することはできますが、それを受け取る人がいなければ、それは一方的な発信、または通達にすぎません。

その情報を受け取る相手がいて、はじめて「コミュニケーション」となるのですね。

 

そして、このコミュニケーションによって相手とどうなりたいのでしょうか?

 

どういう状態が理想的なゴールなのでしょうか?

 

会話の目的が、お互いに協力して仕事をスムーズに進めること、相手との距離を縮じめること、相手のことを知り、自分のことも知ってもらうことだとするならば、どんな姿勢が役立つでしょうか?

 

または最近の自分の体験を思い出してみてください。

この人と話しやすくなったなあ、

この人と距離が縮じまったなあと感じたのはどんな時でしたか?

 

いろんな面がありますが、そういう時には「わたしはあなたに関心を持ってますよ」「私はあなたを尊重しています」という姿勢があると思います。

 

では、「私はわたしはあなたに関心を持ってます」「私はあなたを尊重しています」という姿勢はどうしたら伝わるのしょうか?

 

それはまずは相手について知ろうとすることです。

 

実は私自身このテーマを書くにあたって思い出す失敗談があります。

国連PKOの仕事で、初めての任地東ティモールへ派遣された時のことです。

国連PKOの現場では100カ国以上もの同僚と、そして、国連軍という人たちと一緒に働きます。

 

ある日、ポルトガル軍のパーティーに招待され、ビールやワインを片手に会話が始まりました。

その部隊を指揮する司令官や階級の高い人たちが紹介されます。

誰が一番偉いのかはさすがに雰囲気でわかったのですが、軍隊の階級がわからず、階級の高い人に対して間違った階級を言ってしまったのです。

 

軍隊という組織は年齢が下でも階級が上ならば、その人が指揮をとるという命令の序列が非常にはっきりした、階級ありきの組織です。

 

軍隊の中ではコミュニケーションが比較的カジュアルなポルトガル軍であっても、やはり軍隊という組織ですからこの部隊では誰が司令官で誰が士官なのかその前提で会話が進んでいくのがわかって、

 

相手の家に招かれたのに相手のお名前も知らずにワインをいただいたような、相手への敬意を欠いてしまったように感じて、自分の勉強不足を恥じた思いがあります。

 

相手についての最低限の情報を調べておくことの重要性を痛感したのでした。

 

でも仮に軍の階級について覚えていたとしても、あまり馴染みのない相手だと話題を探すのには少し苦労する時もありますよね。

 

あまり馴染みのない相手だったり、話題が思いつかないなあと思う時ほど、無理にこちらが話そうとするよりも、質問をして相手に話してもらった方がいい場合は多いのです。

 

まったく知らない分野や相手だからこそ思い切ってわからないことを質問できる、という利点もありますし、自分のことを聞いてくれる人に対して人間は心を開きやすいという面はあると思います。

 

例えばこんな質問です。

こちらの部隊(会社)で大切にしている日課というのはありますか?

こちら(この部署)で生活を始めてみて驚いたことはありますか?

国連(この仕事)で実際に働いてみて感想はいかがですか?

思っていたのことと違う面はありますか?

こちら(この会社)に来て楽しかったことは何ですか?

 

これらは一例ですが、

 

会話を広げる質問には以下のような特徴があります。

① open-ended question=答えがYesかNOではなく、いろんな広がり方が持てる質問

② 対話的な質問=相手とのやり取りに正しいや間違いはなく、相手の感想や体験を知る目的で尋ねる

③ あなたに関心があります。あなたと仲良くなりたいです、という気持ちで聴く。

 

相手の反応ややり取りに正解も間違いもありません。

 

一つ一つのやり取りから、ああ、この人はそういう風に感じるんだ、そういう考え方もあるんだな、と相手という人を知る手がかりになります。

国連の現場で学んだ無理なく自然に会話が盛り上がっていく英語の質問術

部長や局長ともっと気軽に話せるようになりたい

会話があまり続かない同僚がいる

もっと楽しく会話ができたらいいな。。。

そんな場面は誰にもありますよね。

 

しかも英語となると、さらにハードルが高くなると感じる人も多いかも知れません。

ここでお伝えしたいのは、無理なく自然に会話が盛り上がっていく英語の質問術です。

 

自分はコミュニケーションが苦手だと思っている人は実はけっこう多いようで、そうした方のコーチングをしたこともありますが、実際にお話しを聞いてみると、多くの方はコミュニケーションが下手なワケではなく、むしろ本当は上手な方で、さらに言えばどなたも聞き上手なタイプでした。

 

私が聞き役に回っていろんな質問をすると自由にお話しされますし、返答もしっかりしています。一瞬考える間をとったり、ゆっくり話される方はいらっしゃいますが、それは苦手というものではなく、それぞれの方のスタイルです。

 

それなのに、なんで「自分はコミュニケーションが苦手だ」と思うのだろうと考えてみて思うのは、自自分のコミュニケーションスタイルやタイプを知らずに、「盛り上がる会話」や「会話はスマートじゃなければいけない」といったイメージに無理をしてあわせようとしているんじゃないか?ということです。

 

ただ、会話の目的が、お互いに協力して仕事をスムーズに進めること、相手との距離を縮じめること、自分のことをもっと知ってもらうことであるならば、自分にあったスタイルが必ずあるはずですし、自分が話すことよりも相手に話してもらう方が効果的です。

 

なぜ、相手に話してもらう方が効果的なのかと言えば、人は誰の中にも自分のことに耳を傾けてほしいと思っている部分があって、人は自分に関心をむけてくれる人のことを好きになるからです。

 

すごく単純に聞こえるかも知れませんが、人の「聞いてもらいたい」というニーズはとても大きくてとてもパワフルになりうる、という私の体験をお話ししたいと思います。

 

国連PKOで働くことのユニークな点の一つは、軍人の人たちと接することが多いことですが、私の中には、内戦をしてきた国の軍人たちが、なぜ私に悩みを打ち明けてくるのか、という「謎」がありました。

 

だって、相手は内戦や紛争を体験してきた国の軍人の人たちです。

 

国連のPKOに関するトレーニング・演習の講師を務めていた時には、彼らがこころの中の葛藤を話し始めることさえありました。

 

「国に戻ったらこんなこと言えないけど、僕はずっと『反政府勢力』(毛派)と、もっと対話をするべきだって思ってたんだ」(ネパール軍の士官)

 

「僕は2回目のイラク派遣で『敵』も人間だって気づいたんだ。 だから、ほんとうは倒したら終わりなわけじゃないんだ。」(米軍の同僚)

 

「長年軍隊にいて葛藤があったけど、『人間』らしくあることを自分に求めていいんだって思いました。実は、僕軍隊をやめようと思っているんです」というコメントに耳を傾けていた時には、聞きながら思わず内心驚いてしまうこともありました。

 

最初は、こういう会話になることに私自身が驚いたものでした。

 

でも今思えば「聞き上手さ」ということが自然に発揮されていたんだ思います。

 

私自身が、ペラペラと話さないといけない、とも、自己主張をしなければいけないとも思っていなかったので、相手がリラックスできたのも大きかったかも知れません。

 

NASAやマイクロソフトのコンサルタントを務めるアネット・シモンズは、「プロフェッショナルは『ストーリー』で伝える」(海と月社)の中で、「聴く力」の効果をこのように説明しています。

 

○ 話しを聞いてもらえる「安心感」

○ なんでも自由に話してもいいと思え、相手に受け止めてもらえる体験

○ 話すことで、自分が何を理解できて、何が理解できていないのか、がはっきりしていく

○ 話す中で、自分の中の「理屈では説明できない部分」に気づき、その部分が受け止められることも含め、自分の思考や行動が整理されていく

○ 話すことで自分自身が自分のストーリーを聞くことになるので、自分の言っていることを再検討するスペースを与えられる

○ 頭が整理・統合された結果、知恵や創造性が引き出される

 

人は大きく分けると話す方が好きだというタイプ(外向型)と聞き役(内向型)が多いという人がいます。カルフォルニア大学で行われた実験では、両方がお互いを高く評価した、という実験結果があります。

 

内向型の人は、外向型の人が話題を次から次に提供してくれたので話しやすかった、と言い、外向型は内向型の人との会話に対して、リラックスできて話しやすいと感じた、のです。

 

誰の中にも内向型の部分も外向型の部分もあります。

 

ここで言いたいのは、「聴いてもらうこと」の効果はとても大きいということです。

 

そして、聴くことのレベルもあげていくことができます。

 

それも続けて説明していきます。

 

そして、聴く力を確認した上で、さらに会話を促す一言や質問ができるとなお強力ですね。

 

では、会話を促す質問としてはどういうものがあって、英語ではどう表現すればいいでしょうか?

 

次は会話を促す質問や一言を一緒に見ていきましょう。