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震災の時神戸に行って、紛争の南スーダンを経て、23年ぶりに神戸の街を歩いてみて感じたこと
神戸の街を歩きました。
神戸は仕事が目的でしたが、阪神淡路大震災から丸22年経って「日本の目覚め」はどうなったのか?
私たちは何を学んだのか?何が変わったのか?変わらなかったのか、を自分の目で見て感じたいと思ったからでした。
1995年は「ボランティア元年」と呼ばれました。
私も救援物資を集める活動に参加して、1日中鳴りやまない電話の受付けをしたり、神戸へ行って、集まった洗濯機や自転車を配布しました。
ボランティアスタッフの移動と物資の運搬のためにトヨタ自動車が無償で大型バスを提供してくれたり、運輸省(当時)の人も一緒に来てくれたりと、「何か今までとは違うことが起きている」という感覚がはっきりとありました。
1日中鳴り続ける電話をとり続けて、人の中には「自分も役に立ちたい」という気持ちがあるものなんだ、と感じたり、みんなが一つになることによる「人間の底力」も「より大きな力」も感じました。
⬆️三宮駅 神戸市役所すぐ側の慰霊が行われる東遊園公園。
「シンドラーのリスト」など、数々の名作を世に送り出したスティーブン・スピルバーグ監督が「なぜ戦争をテーマとした映画をつくるのでか?」と聞かれて、こう答えています。
「戦争は人間を極限におき、人間の選択を問うからだ」と。
大変な時こそ、人と社会の真価が問われるという面があるのですね。
神戸で読んだ新聞の震災後23年の特集にはこうありました。
「震災がなかったら起業なんて考えなかった。でも一生懸命に生きることが生き残った人の使命だから」
震災がきっかけで奮起された方が人知れずたくさんいらっしゃるのだと思いました。
国や社会全体がどう変わって、変わっていないのかは、改めてもっと詳しく書きたいと思いますが、
「復興」という時、私たちは元と同じように戻ることといった漠然としたイメージを思い浮かべますが、これだけの震災・災害が起きた後で、当然ながら街が単に元どおりに戻るわけではありません。
戦後の経済復興を経て、大きいもの・ハコモノが幅をきかす、それまでの延長ではなく、21世紀に向けて日本はどんな社会をつくりたいのか?どんな価値を新たに生み出し、世界に発信していきたいのか?という私たちの「再生」と「持続可能な社会」のビジョンが求められていたのだと思います。
その宿題は、東日本大震災へ持ち越され、そして少子化、人口減少が急速に進む中で、現在進行形で今でも続いています。
日本人は決められたレールを真面目に懸命に取り組むのは得意ですが、これからは新しい発想や価値を生み出すことにもっと重きをおくことができます。
それから、南スーダンなどにいた体験から感じたのは、それぞれの方の個人レベルでの「傷ついた体験」は23年経ってもまだ癒されていない面が大きいのではないか?ということでした。
南スーダンにしろ、いわゆる「トラウマ」の影響というのは、時間が経てば自然に解消するものではありません。
そうした影響は「世代間トラウマ」と呼ばれ、数十年、大きな戦争になると100年(4世代〜5世代)単位で影響があるとも言われています。
神戸生まれ・神戸育ちで、自らも被災して、避難所暮らしを送ったという友人に区役所や公園を案内してもらいましたが、被災して住宅をなくして以来、大阪や東京へ引っ越して「神戸はこわい」とそれ以来ほとんど戻ってきていない人も実はけっこういるということでした。
東日本大震災のときに始めて、「ああ自分は当時の影響がまだ残っているかもしれない」と気づく人も多かったそうです。
東日本大震災でこそ、心のケアや傾聴ボランティアがより一般的に認知されましたが、1995年当時はPTSDやトラウマケアという言葉もほとんど知られていませんでした。
また、ベトナム戦争やアフガンとイラク帰還兵がごく身近に存在して、PTSDが一般的な社会問題として認識されているアメリカと違い(逆になんでもPTSDというレッテルを張り過ぎる傾向もありますが)、また、日本人の気質からそうしたことを話したり、認めることは「恥」であるという感覚はまだ強いように感じます。
ただ、最近では、トラウマケアは「心の傷」というよりは、全身体的な課題であって、PTG (post-traumatic growth=トラウマ後の成長)という概念があるように、新しい自分に生まる「再統合」の機会としても認識されています。
人間は危機を体験すると、本能的に「闘争/逃走反応」 (fight or flight)として知られる「戦う」、または「逃げる」行動をとります。
戦うことも逃げることもできなかった時には、身体は文字通り身体はフリーズし、竜巻のようなエネルギーが外へ解放されず身体の中に溜まることになります。
そのエネルギーが数週間のうちに解放されるか統合されないと、いわゆる「トラウマ」の状態を引き起こすことになります。
危険を察知し身体全体に信号を送る「扁桃体」は、まだ「非常事態」が続いていると認識するため、「交感神経」が 優位になり、副交感神経系が機能できません。
結果、常に身体に緊張や凝りがあったり、眠りが浅い、リラックスできなかったり、不安や怖れが深い部分で残っていたりします。
鹿などの小動物がライオンやチーターなどの肉食動物に追われてうまく逃げられた時、 追われた動物は、「ぶるっぶるっ」と体を震わせて生体に留まっていたエネルギーや恐怖をふるい落とします。
人間の場合、動物のようにエネルギーの解放ができるわけではないので、人間は身体に残っているトラウマのエネルギーを意識的に外に出す(解放する)必要があります。
南スーダン勤務による二次受傷(PTSD)からの回復した自身の体験を基に、丁寧に向き合います。
どうぞお気軽にご連絡ください。
info(at)peaceblossom.net
2018年はどんな年なのか? 2017年は新しいサイクルの始まり。2018年は🙆🙆🙆の年。
2018年はどんな年なのでしょうか?
2017年は、新しいサイクルの始まりの年で、土台作りの年でした。
2017年は、2+0+1+7=10=1+0=1という、「1」というはじまりの数字に象徴されるスタートの一年でした。
新しい時代を
自分が自分に正直に生きることができるように、
自分で自分の望みを大切にしていなかった部分や
自分の人生を人任せにしてきたところ、
自分じゃ無理、自分じゃできないから、という気持ちで誰かに頼って、自分を優先していなかった部分などが明らかにされました。
自分にとって大切なものは何か、自分はどんな生き方をしたいのか?という自分の発想や理想を広げ、ほんとうに大切なものにたち戻させてくれるエネルギーがありました。
自分にとって理想のライフスタイルとはどんなものか?という自分の価値や優先順位を明確にしてくれる流れがありました。
「働き方改革」と呼ばれ、私たちが気づきを促されていたものの本質は「生き方改革」でした。
私自身、5年ほど住んできたところで駅前の再開発がはじまって、引っ越しをすることになりました。
リビングを何色のカーテンにしたいのか?というところから始まり、自分はどんなところに住みたいのか?どんなライフスタイルを送りたいのか?、と石垣島多拠点生活も視野に入れながら、一から自分の理想のライフスタイルを改めて考える機会になりました。
「理想のライフスタイル」といってもフワフワしたものではなく、
自分が導かれていることに対して「覚悟」が求められる機会だった、という方が真実に近いですが、引っ越しが「断捨離」とはほんとうのことで、引っ越しも落ち着き、多摩川沿いの澄んだ空気に引っ越しの恩恵を感じながら、12月からは気分すっきり新たな気分でいました。
さて、2018年は、具現化の年です。
占星術や星回りで言われているように、2018年は、2017年に築いた土台に建物を建てていく建設、実現、クリエーションの年です。
http://foreverconscious.com/astrology-forecast-2018
具現化といってもこれまでの延長ではなく、自分にとって大切なものを創造、築いていくというニュアンスです。
これまでの流れの中で、自分の中で明らかになったことを、着実に実行にうつしていく年です。
着実に
着実に
着実に
実行していく年です。
私自身、年明けの満月と共に去年とエネルギーの違いをヒシヒシを感じていました。
2018年もペースの早い年になるでしょう。
だからこそ、自分の中で優先順位をはっきりと持つことが求められます。
2018年は思いたったら早めのアクションがいいでしょう。
同時に、2018年は、日々のタスクを確実にこなしていく「着実性」が大切です。
しっかりとした2018年の目標(自分のフォーカス)を持ち、それを4半期の目標に落とし込み、月の目標と週の計画をたて、日々の優先順位を明確に、日々のタスクを確実にこなしていくことです。
目標やタスクと言っても、世間が言う成功のためでもなく、誰かに押し付けられるものでもなく、自分を無理やり駆り立てるものでもなく、自分が自分にとって大切なことを大切にできるために、優先順位を明確にして、しっかりと地に足をつけて動いていく、というイメージです。
もし、目標や計画、タスクと聞いて「重荷」のように感じる部分があるとしたら、まだ他人の価値観を優先させている部分があるでしょう。
自分にとって大切なことに正直になって、自分が自分の幸せを最優先にすると決めましょう。
そして、 2018年の特徴でもう一つ大切なことは、「何をやるか」よりも「なんのためにやるか」(目的、動機と意図)が大事なことです。
これまでの時代では、一見やっていることは同じに見えて、なんとかごまかせたことでも、これからの時代では「目的・動機の差」が大きな差となって表われてくるように思います。
年末の大手企業の不祥事(データ改ざん等)は、そのようなメンタリティー・体質の限界を示してくれたと思います。
そして、組織の理念やトップの意識レベルが一人一人の仕事の充実度にもますます直接的に関係してくるでしょう。
2018年も密度の濃い年になるでしょう。
周りに流されないで、充実した年にするためには、自分の目標(自分のフォーカス)をしっかりと持つことが大切です。
もしまだでしたら、2018年の目標を文字にして手帳に写し、月や週の実行プランや優先順位を日々書き出していくことをお勧めします。
2018年、自分の目的をしっかりと据えて一歩一歩着実に進んでいきましょう。
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燃え尽き症候群とPTSDからどうやって回復したのかーその体験から今同じような体験をしている方にお伝えしたいこと
もう同じアプローチでは限界。
もっと別のやり方があるんじゃないか?
より高い次元のアプローチを見つけたい。
南スーダンや国連ニューヨーク本部等で約10年間、国連職員として和平合意の履行支援や元兵士の社会復帰支援に関わり、国連を辞めると決めた時のことです。
南スーダンでは、大きなプロジェクトの多国籍チームのリーダーを務め、長い間不可能だと言われていた南スーダン独立のための住民投票が実施されるのを見届け、「やりきった」と感じていました。
なんらかの形でまた「世界」に関わりたい。でも、何か違ったやり方があるはず。
ナイル川を見ながら、それがどういう意味か分からないけど、漠然とそう思ったのを覚えています。
しかし、帰国してからの私は、そんな思いとはほど遠い状態でした。
それまでの緊張の糸がプッツンと切れてしまったのでしょう。
私の身体は空っぽになってしまったかのように、まったく力が入らなくなってしまいました。
国連での勤務を終え、日本に帰国した後、もしかしたら何かがおかしいんじゃないか?と初めて感じたのは、満開の桜の下に立っていた時でした。
10年ぶりの桜を楽しみにしていたのに、満開の桜の真下に立ちながら、私にはうんともすんとも、美しいとも、きれいだとも何も感じることができなかったのです (PTSDの過程の中で、人間の「防衛反応」として、感情を抑圧し、numbingという無感覚になる過程があります)。
一日のルーティンといえば、ゆっくり起きて近くを散歩するのがやっと。
人に会う気力もないし、こんな姿を誰にも見られたくない。。。
少しよくなって動けるようになったと思ったら、また起きられない。。。
ともかく身体が「重い」のです。。。
紛争を思い出させるものに触れたくなかったのか、私は世界のニュースを見ることもなくなりました。南スーダンに関する記憶は断片的で、思い出す部分もあれば全く思い出せない部分もありました。
当時、私が「二次的外傷性ストレス」(secondary trauma)と呼ばれる症状を受けていたことを知ったのはもう少し後のことでした。
国連時代に受講した「トラウマケア」に関する研修の資料にこう書いてあります。
「安全を脅かすような出来事に会ったり、極度の緊張状態が続いている時、それは脳の神経系統に影響を及ぼします。それは竜巻のようなエネルギーが身体の中に溜まっている状態で、そのエネルギーが解放されるか統合されないと、いわゆる『トラウマ』の状態を引き起こします。
そうした環境に長い間身を置くこと、または、そうした影響を強く受けた人たちに関わることによっても同じ症状を受けます。それは『二次的外傷性ストレス』(secondary trauma)と呼ばれる。」
少しよくなってきたかと思ったら、私にとってさらに衝撃的な出来事が起こりました。約40年続いた内戦を経て和平合意が結ばれ、2011年7月にやっとのことで独立を果たした南スーダンで再び内戦が始まったのです。
停戦から独立までの6年間の間に少しづつ築き上げられた街は一変。見慣れたはずの首都ジュバの幹線道路は逃げまとう人たちで溢れかえっていました。
そして、元同僚からは、「これまで見た中で一番ひどい状況」が伝えられ、南スーダン人の友人からは姪っ子を亡くしたという連絡が届きました。私の中の「世界」がガラガラと音をたてて崩れていくのが分かりました。
プツンと糸が切れるように「心の堰」が決壊したのでしょうか。私の中から激怒が溢れ出てきて、しばらくすると、「もう何も信じられない」という無力感と絶望感に襲われました。すっかり「意味」を失った私は、何の気力も意欲も感じられず、暗くて長いトンネルの中に入り込んでしまったような気がしました。
しばらくして、海外のカウンセリングを紹介され、それがきっかけで、心理学やカウンセリング、ヒーリングについて興味を持ち、学ぶようになりました。
その過程の中で、わたし自身高い共感能力を持つこと、同時に周りの環境に影響を受けやすいエネルギー的に非常に繊細・敏感な構造を持つ面があること等を知りました。
当時に、それらは強みやギフトでもあり、その同じ特質が、国連で働いていた時に、洞察力や直観力として発揮されてきたこと、紛争地の現場で試行錯誤しながら学び発揮されていったリーダーシップのスタイルや自分の強みが改めてわかりました。
また、燃え尽き症候群といった現象は、紛争地でなくとも、医療従事者やソーシャルワーカーといった対人援助職でも多く見られることで、自分が責任を持つ範囲を明確にする健全な「境界線」(boundary)を持つことが大切だと知りました。
癒しは段階的に進んでいきました。そして、わたしは心の中の葛藤を外に出す必要がありました。「人間はどうしてこんなに残酷なことができるんだ。」
そんな思いがどうしても拭いきれなかった時に、触れたものにこうありました。
「自分の力では変えられないものを受け入れることから回復が始まる。」
それから、アメリカをはじめ世界各地で実践されている「セレブレートリカバリー」と呼ばれる回復のアプローチを一つ一つ実践していきました。その中で、過去をありのままにとらえるというものがありましたが、ある時に自分の中での過去への見方が変わったと感じる瞬間がありました。
これまで、たくさんの学びや解放、ヒーリングを受ける恵みに授かりました。重かった身体が嘘のように元気になっているだけでなく、新しい身体と心を与えられ、前よりもさらに良くなっているという感覚を今はっきりと受け取っています。
「時が解決する」という一般的な考え方がありますが、時間が経てば解決されるとは限らないと言われています。実際、時間が経っても「心の重荷」がのしかかったままのケースも沢山ある中で、本当にここまで回復し、再生されたことに心から感謝です。
その中でも一番の感謝は、その大変だった時期について、昔とはまったく異なる理解が与えられたことです。
「ファイナルクエスト」(リック・ジョイナー、生ける水の川出版、2000年)という本の中にこうあります。
「負を負うこと大変名誉なことなのです。私たちも打たれて傷を負うことによっていやしの権威を授かるからです。… わたしたちが傷ついた場所で、ひとたびいやしを受ける時、私たちは他の人をいやす力を授かります。いやしの働きを通して他の人々への憐れみが満ちあふれるためです。… すべての傷、すべての災いが、善を行うための権威になります。」
回復・再生した際には、その自分が通った体験を通じて、今度は人を助けることができる、ということです。
私の例は少し極端かも知れませんが、人生では予期せぬことが起こります。
ただ、そうした体験は、自分の人生の方向性を見直す機会だったり、自分が生まれた目的やギフトに招かれていく機会とも言えます。
自らの回復の経験から、同じような体験を持つ方々のサポートをしたいと思い、これまで、医師、医療従事者、臨床心理士、JICA職員、元国連職員といった対人援助職の方などの燃え尽き症候群からの回復をサポートしてきました。
次のような方はぜひご相談ください。
⭕️ 対人援助職で身体的な疲れ以上のものを感じている方、燃え尽きた方
⭕️ 対人援助職は自分の適職、天職だと感じているが同じやり方では続けられない、別の方法を身につけたいと感じている方
⭕️ 転職をするかどうか迷っている方へ
⭕️人生の転機にあると感じている人
⭕️より効果的に人に関わり援助できるようになりたい方へ
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《カウンセラー・セラピスト関連資格》
ー米国バージニア州イースタンメノナイト大学 The Center for Justice and Peace-buildng, STAR (Strategies for Trauma Awareness and Resilience)トラウマケアトレーニング修了
ーVison Dynamics Institute, Relationship Therapist Course 修了
ー 在米CAPACITAR INTERNATIONAL Module1、Module2、Module 3、Module 4修了
ー 在米CAPACITAR INTERNATIONAL Advance Course修了
ー21Century Christ Church プロフェティッククラス終了
ー21Century Christ Church サーバントクラス終了