人は自分の直感につながっている時、より高い視点で自然に「決断」や「コミュニケーション」ができると言われています。
世界累計200万部のベストセラー作家、マルコム・グラッドウェルは、34カ国で翻訳された「『最初の2秒』の『なんとなく』が正しい」で、「長時間考えてたどり着いた結論よりも、人は『最初の2秒』でもたらされた直感やひらめきによって、人は物事の本質を見抜いている」と言います。
最近では、直感力とは一部の人だに与えられた特別な能力なのではなく、誰もがトレーニングによって磨いていくものであると認識されています。
だとしたら、直感力のメッセージを認識できる人とそうでない人との違いとは何でしょうか?
その一つは、自己価値だそうです。
自分には価値があると思えるとき、それがどんなメッセージだったとしても、ただそのまま受け取れるそうです。
きっと、なんとかなる、自分はできると思える自己信頼につながっているのでしょう。
逆の場合はどうかと言うと、いろんなメッセージが来ているのにもかかわらず、「でも、できなかったらどうしよう?」「もしあんなことがあったらどうしよう?」とやる前から心配や疑いが頭の中で瞬時に回り始め、メッセージを無意識にシャットダウンしてしまうのです。
直感力を磨くトレーニングを私の先生が開催したときに、通訳として立ち会ったことがあります。
その時に習ったのは、私たちは普段基本的に二つの方向にアンテナ(意識)を向けている、ということです。
簡単に言うと、「自分」と「社会」です。
人間は社会的な生き物なので、誰もが自分と社会との関係とのバランスをみつけてくのですが、
日本の社会の場合は少し特殊で、
例えばアメリカでは「自分」が8割で「社会」2割の割合だとすると、
日本では「自分」に向けられている部分がとても少なく、圧倒的に「社会」に向けられているのだそうです。
その結果見られる現象としては、
自分で判断できない、他人やメディアの価値観に翻弄されがち、焦る、みんながやるからやる、等です。
困ったことに、この場合の「社会」というのはまったく実態がないあいまいなものであるばかりか、愛ではなく、人のおそれや心配や見栄などの集まりが、文字通り「集合無意識」(collective counsciousness)をつくっている点です。
私もそうした集合無意識をはっきりと感じたことが何度もあります。
とくにいろんな国を経て、その国のハブ空港に降り立った瞬間です。
例えば、南スーダンからスーダン・ハルツームとドバイを経由して成田に降り立つとします。
ハルツームでは独裁政権とアフリカ・イスラム文化のまざったようななんとも言えない集合無意識を感じました。
ドバイに降りると、今度は、イスラム圏でありながらも、西洋のビジネスプラクティスも取り入れる融合性を感じ、
成田に降り立つと、清潔で整然とした空港に安心するのですが、同時に、なにか気をつけないといけないというか、間違えてはいけない、遊びがないというか、ちゃんとしないといけない、といった雰囲気を即座に感じたものでした。
しかも、自毎回驚いたのは、長時間のフライトを経て疲れているはずなのに、成田に着いた瞬間に早足になる自分がいるのです。
みんなが常に「追われている」ような集合無意識を身体が感じ取るのだと思います。
もし、自分が何か得体の知れないおそれや心配や焦りを慢性的に感じているとしたら、「集合無意識」に引っ張られている可能性があります。
この場合の、「集合無意識」というのは少し前の世代の人のいうところの「世間」、または、最近のネット社会も含まれるでしょう。
文字通り、そこに暮らす人たちの意識の集合体です。
最近はテレビを見ない人が増えていますが(私もほとんど見ません)、
そうした影響からより自由になりたいという理由で見ない人も多いようです。
他にはどんなことが役に立つでしょうか?
一つは、他人でもない世間の意見でもない、自分の意見・考えにアンテナ(意識)を向ける訓練をすること
二つ目は、より高い周波数に自分のアンテナを合わせること(心配ではなく、軽やかで周りにある豊かさに気づき楽しんでいる状態、幸せや感謝)
三つ目は、日本の集合無意識から離れた環境に自分の身をおくことです。
海外に行って始めて、自分や日本のことを知ることになった、という人がいますが、いつもの環境から離れて始めて、何が自分の意見で何がそうでないのかがわかるという面は実際に大きいのです。
8月29日~沖縄へ行きます。
詳細はこちら⇨goo.gl/4vU1sk
集合無意識から自由になるチャンスです。
大自然の力をかりて、自分の本当の気持ちにつながる機会があります。
この内容は今回だけです!
西表島で見つける新しい自分「私はこれでいい!」詳細はこちら⇨goo.gl/4vU1sk