危機の時にこそ、その人の強みや本質、その人が本当に表現したいことが現れる!

今回のコロナウイルスの件を見ていると、南スーダンで働いていた時に、やはり外に出れない(外に出れても、40年間続いた内戦が終わったばかりで、実質的に外に行くところがない)というストレスのかかる環境におかれながら、どうやってストレスを乗り越えていったのかということを思い出してみると、そのような危機の中でこそ、その人の本質・強みが現れるのではないか?ということを思います。

 

当事南スーダンで働いていた時には、どのような状況であったかと言うと、差し迫った紛争の再発や物理的な危機はないものの、夕方7時には無線での点呼、夜間は10時までの帰宅が求められ、停戦直後は当初はお店というものがほとんどなく、必需品は国連の構内の売店で購入して、自炊をするという生活でした。その間でも、国境沿い等で武力衝突が起き、物流が寸断され、売店から突然水がなくなるというようなことが頻繁に起こっていました。

 

また、ある時には、紛争当事者間の溝が不信感と共にエスカレートとして、双方ともに和平合意から撤退し全面衝突に入る、という姿勢を互いに譲らない程にまで緊張が高まり、夜の外出禁止が8時に早められ、パスポートの常時携帯といざという時にバッグ一つで出国できるように避難用バックを用意しておくようにという、指示が出された時もありました。

 

そのような可能性があることはある程度は承知の上であっても、それでも、そのようなことが一日二日ならまだしも、外に息抜きできる環境がない(お店やリクリエーションがほとんどないので)ので、自分の住居(といっても4畳半くらいの空間)にいるしかない、というのはやはり大きなストレスでした。

 

私にとっては、自分のお気に入りの音楽を聴きながらひたすらウォーキングと軽いジョギングをすることが一番のストレス解消法でしたが、他には、ひたすら筋トレに励む人がいたり、そんな環境だからこそ誰でも参加できるエクササイズ教室を始めて、みんなから感謝される人もいました。また、ポルトガルの人たち人達はギター一つで次から次へと歌を披露して、どんな環境でも楽しんでしまうラテンの精神はすごいなと思ったものでした。

 

今回のコロナウイルスの際にも、似たようなことが起きていると思います。

 

外出禁止だから運動不足になってはいけないとラジオ体操を送ってくれる人、笑える動画を送ってくれた人、統計資料をつくり自ら今の状況を客観的に示してくれる人、ニューヨークなど先に感染が広がっている都市の例から、これから東京では何を準備しないといけないかを発信している人、お菓子の写真を送ってくれる人、免疫力を高めるための食材や食事を紹介してくれた人、家にいる時間が長いから食事に工夫を凝らす人、経済という分野で周りに知恵を貸す人、今後の方向性を示そうとする人、人を励まそうとする人、医療従事者の資材が足りないと聞いて、目からの感染を防ぐためのシールドというものを3Dプリンターでつくった7歳の男の子、マスクが足りないということに対して手作りマスクを作って寄付したという女の子。

 

FBやYoutube、ニュース配信の中にも、そのような想いに溢れた発信がありました。

 

きっともっともっとあると思います。

 

ありとあらゆる情報が溢れる中で、情報を吟味をしないといけない必要性はありますが、今回の件では、個人発信の情報が、公式発表を待つマスメディアよりもかなり先行する形で発信され、後手に回る政府発表を補う形で作用している点が今回かなり際立っているように思います。

 

「平時」の時には、何をしなくても済んでいても、こういう危機の時にこそ、その人の強みや本質、その人が本当に表現したいことが現れるのではないかと思います。

 

いわば、危機の時にこそ発揮される力とでも言えるでしょうか。

 

ぜひ、そういうアイデアや思いは続けて欲しいと思います。

 

なにしろ、私はリンクを送ってもらったラジオ体操を始めて今日で4日目。とても助かっています!自分では気づかなかったものだと思いました😊

 

強みや才能というとすごい立派なものを思う人がいるかも知れません。

 

でも、その人にしか気がつかない点というのがあるのだと思います。

 

一見小さいことに見えるかも知れないけれども、こんな時にはその小さいなことがとても役立つということ、励まされるということが大いにあると思います。

 

これがどう仕事につながるのか、これは「趣味」だから、などと勝手に自分で決めつけたりしないでください。

 

一つ一つの表現を大切にしていきたいです。

自分のアイデンティティー(セルフイメージ、自己価値)が変わり相手のこちらへの態度が変わるとき

学生はほんとうに敏感です。

 

アカデミックにやるのをやめて自分が楽しいと思っていることを伝えようと割り切ったら、学生がいつにもなくよく聞いているのがすごくわかる時がありました。

 

理論というよりも、自分が東ティモールで働いていた時どんなことが大切だと思ったのか自分の言葉で話そうと思って臨んだら、授業の後、一人の学生が「先生のお話し面白かったです」とわざわざ伝えに来てくれました。

 

ありのままでいこうと思ってたら、プリントを配るのにまごついて、学生に「せんせい、かわいい」と言われました。(笑)

 

先生っぽい格好じゃなくてもいいじゃんと思って、ピンクのピアスをつけて行ったら、「先生、ピアスかわいい」

 

最近暗めの色の服が多かったなあと思って、今日はスカートを履いて行こうと思ったら(変な意図ではありませんよ)学生が一言。「せんせい、スカートかわいい」(笑)

 

ボキャブラリーが貧弱なのは若干気になりますが、学生って素直だなと思います😊

 

一昨日は、「先生、ホワイトハウスで働く人みたい!」と言われました。何故か、ホワイトハウス(笑)

 

確かに、あるイギリスのブランドのロイヤルブルーのジャケットを着ていたのだけど、それだけでもないかもと思ったのです。

 

こちら側の相手への思いが変わると、特に何も言ってないのに、相手のこちらへの態度が変わることがありますね。

 

例えば、自分の中の判断や裁き(judgement)を相手に貼り付けていたことに気がついたり、心の中で相手のこと(態度やふるまい、言葉など)をゆるした後などです。

 

同じ様に、自分の自分に対する理解や自己認識、アイデンティティー(自己価値)が変わると、相手のこちらへの態度が変わることもあるように思います。

 

学生から「先生、ホワイトハウスで働く人みたい!」と言われた時、心の中で思ったのはこんなことでした。

 

それは、「孤児の霊」ではなく「王の娘」という世界に触れ、新しいアイデンティティーが私の中に根付き始めたからかも😊と思ったのです。

 

「王の娘」または「王の息子」というアイデンティティーとは何か?を理解するために、その反対の「孤児の霊」(orphan’s spirit)というものについて簡単に触れたいと思います。

 

「孤児の霊」とは、文字通り、なんでも自分で生き延びていかなければならないような、親がいないようなサバイバルのメンタリティーで生きている、自分がどこに属しているのかわからない、自分が何者なのか分からず、さまよい、物理的にサバイブしないけいけないだけでなく、不安の中で生きているというような状態です。

 

その大きな特徴は、何かをしてこそ、何かの成果をあげてこそ、愛されると思っているので、常にがんばることです。

 

しかも、がんばることで成果や結果を出してきたので、その何が悪いの?と思います。

 

誤解のないように付け加えますが、努力をすること、勤勉であることはとても大切なことです!

 

しかし、わたし自身もそうでしたが、自分の存在価値を業績や成果で証明し続けなければならず、心が休まらないのです。

 

これは本当に本当に大変なことです。

 

なにより、より本質的な問題は、すべてをコントロールしたくなる、権威(学校、先生、政府、上司、リーダー)に対して、批判的な見方を持っている、(ゆえに)神様に対しても誤解した見方を持ってしまう(神様からの無条件の愛を素直に受け取れない)ということにも関係している場合があります。(E1 Life Renewal Camp Textbook, 21st Century Christ Church p.48)

 

日本人は真面目なので、すべてを捧げた末に先の戦争に負け、屈辱的な占領期を迎えた際に、それがあまりにもショックで、見放されたように感じて(実際の孤児も多くいました)この孤児の霊の影響を受けるようになったという見方もあります。

 

そして、日本社会で、父性不在という問題があること(実際に父がいないこととは違います)も指摘されています。

 

でも、神様はそんな私たちの社会にあるかもしれないそのような要因さえも癒すことができるお方なのです。

 

王の娘というのは、文字通り王の娘です。

ですから、孤児ではありません。孤児とはまったく違います。

王の娘には、天のお父さんがいます。

天のお父さんは自分の子どもである娘にこう言ってくれています。

 

「あなたの神であるわたしがいつもあなたと一緒にいますよ。

神の力があなたにあるので、戦いはすでに勝利しています。

わたしはあなたのことを思って喜んでいます。

神の愛によって、あなたのいのちはいつも新しくされています。

わたしはあなたのことをとても喜んでいるので喜びの歌を歌います。」

(Good News Translation (GNT)より意訳 ゼパニヤ3:17;)

 

The Lord your God is with you;

his power gives you victory.

The Lord will take delight in you,

and in his love he will give you new life.[a]

He will sing and be joyful over you,

Zephaniah 3:17 Good News Translation (GNT)

 

「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、あふれる流れのように国々の富を与える。あなたがたは乳を飲み、わきに抱かれ、ひざの上でかわいがられる。」(イザヤ66:12)

 

「あなたは祝福される。あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。

あなたのかごも、こね鉢も祝福される。あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。

主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。

主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。」

(申命記 28:2-7、13)

 

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。(詩篇23:6)

 

この内容も素晴らしいですが、すごいと思うのは、これは、何をやったからでも、頑張ったからでもなくて、文字通り娘(息子)だから無条件に与えられていることです。

 

こういうよい言葉に触れていくと、自分の頭の中の思いがネガティブな思いからよい方向へ向きが変えられていくのを感じます。

 

わたしたちの戦いは頭の中の思考・考え方にあるという世界的ベストセラーの本もあります。

 

だから、予防策のように、聖書からよい言葉を書き出したノートを用意して鞄に入れてあります。

 

そのノートをいつも開いているわけではなくても、守りが共にあるような安心感と心の落ち着きを感じます😊

 

”The Lord will make you the head and not the tail, and you shall only go up and not down.” 「主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。」(申命記 28:13)

 

これを読んでくださっている方々にたくさんの祝福がありますように!

 

May peace and blessings be with you!

すべての人間関係に使える!愛を伝え、愛を受け取る5つの言語(5 Love Languages)

今日友人たちとランチをしながら、愛の言語(Love Languages)についての話しになりました。

 

人は常に人間関係の中で、常に何らかのメッセージを送り合っていて、人によって愛されていると感じる方法が違うと言われています。

 

それを五つの愛の言語(Love Languages)として分類して説明した本「The Five Love Languages」(邦題「愛を伝える5つの方法」 )は、なんと世界1100万部!だそうです。

 

やはり、豊かな人間関係を築き保つためにはやはり理解や工夫がいるということなのだと改めて思います。

 

5つの愛の言語(人が愛されていると感じる方法)があると言われていますが、「愛を伝える5つの方法」を参考に、5つのタイプを簡単に紹介したいと思います。

 

人それぞれ、愛を感じる点があって、大きく以下の次のタイプに分類されます。

  1. Words of Affirmation(肯定的な言葉)
  2. Quality Time(クオリティータイム)
  3. Receiving Gift(贈り物)
  4. Acts of Service(サービス行為)
  5. Physical Touch(身体的なタッチ)

 

1肯定的な言葉(Words of Affirmation)

思いを言葉にして表すこと。感謝、賞賛、励まし。勇気を与える言葉、優しい言葉をかけること。

相手を尊重する気持ちを言葉にして伝えること。このタイプは、単純な励ましの言葉一つで安心感や絆を感じます。肯定的な言葉を聞くたびに愛を感じ、リラックスします。逆に声のトーンが否定的だったり、批判的だったりすると、不安レベルが上がやすいので、何かを伝える時には必ず愛のある優しい言葉でフィードバックを挟むことが大事です。

 

2クオリティ・タイム(Quality Time)

相手のために時間を作り、いっしょに過ごすこと。いっしょに楽しむ。目の前の相手に関心と注目をそそぐこと。

このタイプの人は、どんな1日を過ごしたか、など、相手の人が自分に関心を向けて聴いてくれると理解され、気遣われていると感じます。

その人のために時間をつくってあげないと、あなたはその人に対して無関心だと捉えられてしまう傾向が高いので、長い時間でなくていいので、5分だけでも完全に相手に関心と興味を向けて会話をしたり、一緒に行動してあげることが大切です。

 

3贈り物(Receiving Gifts)

相手を思っていること、考えていることを表現するプレゼント。品物の金額ではなくて、それが象徴する思いが重要。

贈り物によって愛を感じる人は、贈り物を受け取ることでその人が自分のことを考えていてくれたと感じます。「君を理解しているよ、考えているよ、君のことを研究しているよ」というメッセージを贈り物という象徴に感じます。このタイプの人は誕生日や記念日に贈り物をあげることを好みます。自分がそこに価値を置いているからです。でも、このタイプが期待するプレゼントは必ずしも値のはるものである必要はありません。あなたのことを理解していますよ、あなたのことをわかっていますよ、というメッセージが伝わればいいのです。また、とても高価なものを一回贈るよりも、小さいプレゼントを何度もこまめに贈る方が喜ばれます。

 

4何かをしてくれる・何かをしてあげる行為(Acts of Service)

勉強や仕事を手伝う。猫の世話、花を活ける。料理や掃除など、ほとんどの家事や雑用はAct of Service。

親切な行為や身の回りのことをしてもらうと愛を感じる人がいます。

例えば、家事を手伝ったり、料理を作ってあげたり、文字通り、相手に何かをしてあげる事で愛情を感じるタイプです。

このタイプにとっては、散らかった状態の部屋やキッチンなどは「災いのもと」となります。その人がやって欲しいこと、自分が相手にやって欲しいことをお互い丁寧にコミュニケーションをすることが大切になります。

 

5スキンシップ(Physical Touch)

手をつなぐ、抱きしめる。性的なふれあい。パートナーといっしょにソファでくっついて座るなど、身体的なふれあい。

スキンシップタイプの人は、触れてもらうことで安心感を覚え、気遣われていると感じ、そして、それによって愛されていると感じます。このタイプには、優しい抱擁をされることは100回優しい言葉をかけられるよりも勝ると感じる人もいます。

そっと相手の肩に手をおいたり、さりげないタッチや外を歩く時に手をつなぐこと、触れ合って座ることに安心と愛を感じる人もいます。

ただ、相手に聞かずに自分のやり方で決めつけて相手に触れることは逆の効果となりかねません。

スキンシップは相手の空間に入り込むことでもありますから、相手の人と丁寧にコミュニケーションをとりながら相手によって心地よいスキンシップをみつけましょう。

 

まず、自分のタイプを知ることが大切ですね。

 

さて、自分の言語をみつける診断サイトもみつけたので、ぜひ、やってみてください。

きっと、自分のパターンについて発見があると思います。

 

http://ur2.link/PZuQ

 

ちなみに、これの5 Love Languagesは、世界的に結婚カウンセリングで使われているそうですが、家族のタイプを知ったり、上司のタイプを知ったり、ビジネスやプロジェクトのチームビルディングでも使われているそうです。

 

個人的に面白いと思うのは、これが人間関係に関する愛の「言語」と呼ばれていることです。

 

同僚やチームメートでも国や母国語が違う人とは、お互いに違うことを前提として相手を知ろうとしたり、言葉で伝えようとする努力をもっと意識的にしますが、たとえ同じ日本語を話す人同士であっても、やはり基本的には違う人とコミュニケーションをとると考えて、お互いを理解しようとする姿勢が大切なんだと改めて思います。

 

私たちの人間関係が恵まれ豊かなものでありますように!

私は私ー大阪選手に学ぶ「誰も自分以外に自分が誰かということを決めることはできない」

大阪選手が日本人で初めて4大大会で優勝したことが話題になりました。

 

男子では錦織選手が世界第四位になっていますが、日本人で優勝は初めてだそうです。

 

大阪選手はハイチ系アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんから生を受け、4際以降米国で生まれ育ったので、国籍は日本であるものの、はたして彼女は「日本人」と言えるのか?という議論が一部でおきたそうです。

 

すると、そもそも「日本人」とは何か?という問いが生まれます。

 

そんな反応に対する大阪選手の発言に注目が集まりました。

 

ちょっとシャイで言葉少なめな彼女ですが、彼女が言ったのは「私は私」でした。

 

短い言葉ですが、すごく核心をついていると思って、すごく共感してしまいました。

 

私たちは思春期のときや就職活動のときに、自分はいったいどんな人で、自分の強みはなんだろう?という問いかけに直面します。

 

エントリーシートを埋めたり、面接に通るためにとりあえずの「答え」を埋めることはなんとかできるものですが、

 

「わたしは⭕️⭕️だ」と言うのは案外難しいものです。

 

わたしは

〜の社員だ

母親だ

わたしは料理人だ

わたしは姉だ

 

というように職業や所属する組織をあげることは簡単ですが、

 

わたしは

 

自分はこういう人だ、

 

と堂々と自分のことを言える人はあまり多くないと思います。

 

わたしたちは、親や学校や周りの人たちから言われることに影響を受けて大きくなります。

 

「あなたってこういう人ね」と。

 

信じてしまう場合も流せる時もあると思いますが、それらの影響からまったく無縁な人はなかなかいないと思います。

 

でも、けっきょく、

 

自分はこうだ!と受け入れるかどうかを決めることができるのは自分です。

 

自分がどんな人間なのか、を決める権利は他の人にはありません。

 

そして、究極的には、世界でそれを決めることができるのは、あなたを創ってくださった万物の被造物の創造主である神様だけです。

 

聖書の創世記には、神は人を創造されたとき、「神に似せて彼を造らた」とあります。

 

だから、わたしたちにはよい性質が備えられているのです。

答えを言うのも求めるのも簡単だけれども、自分で答えをみつけるようにサポートすること

先日、都内のある有名な老舗のお米屋さんの方とおしゃべりすることがありました。

 

こちらのお米屋さんの扱うお米はとても美味しくて、引っ越した先でもわざわざ送ってもらう人も多いそうです。

 

地元でも評判のお米屋さんです。

 

先日、「どのお米がお勧めですか?」何気なく聞きました。

 

すると答えはこうでした。

 

「うちはね、まずお客さんに数種類のお米の値段帯のお米を試すことをお勧めしているんですよ。」

 

なので、「このお米がいい」という銘柄を断定するような「答え」はありませんでした。

 

でも、その人にとってベストな「お米」をみつけられる方法を教えてくれたのだと思います。

 

そうなんです。

 

答えを言うのも求めるのも簡単ですが、いい先生は、その人が自分で必要な答えをみつける方法を教えてくれます。

 

わたしもそのような導き方でありたいと思っています。

神さまに応援されるお願いの仕方ー「これじゃないと幸せになれない」ではなく⭕️⭕️とお願いすること

ここ数回、人生での選択は究極的にはたった二つしかないー「愛」か「おそれ」かーということについて書いています。

 

選択とは仕事だけでなく、人生のあらゆるところであります。

 

1日の中でも何十(百)回という選択の瞬間があるとも言われています。

 

日々の選択が人生の質にも直結しているとも言えます。

 

愛からの選択がどういうものかピンとこないと感じる人も多いと思うので、わたしの友人の愛の選択の例を少しお話ししたいと思います。

 

彼女にはガーナで育った二人の男の子がいます。

 

この8月から日本で一緒に暮らすことになり、東京で新しい住まいを探していました。

 

日本語を学んでいる子どもたちがアットホームに感じられる街がいい

 

日本語学校に通いやすいところがいい

 

日本語を学んでいる子たちの受け入れ体制が整っている区(市)がいい

 

職場への通勤が楽なエリアがいい

 

家族全員が暮らせる広さが欲しい

 

子どもたちの教育費がかかるので、家賃はできるだけ抑えたい

 

マンションの管理体制がしっかりしていてできればコミュニティーの雰囲気があるところがいい

 

毎日ご飯を楽しくつくれる快適なキッチンが欲しい

 

仕事から帰ってきて落ち着ける雰囲気の部屋が欲しい

 

というのが彼女の希望でした。

 

子を持つ母として、また仕事を持つ人としてごくごく当然の望みだと思います。

 

同時に、東京の家賃は高いし、ご存知のように2020東京五輪で首都圏のマンション価格は高どまりしています。

 

そんな物件はいったいどこにあるのだろうか?と、あてもないまま物件探しが始まりました。

 

気になるエリアに足を運んで街の様子を見てみたり、数件回ったのですが、ピンと来るものはなく「どうしよう」と落ち込んでいました。

 

さらに数件内見をしましたがまだみつかりませんでした。

 

すると、心配がとまらなくなってしまいました。

 

「このままみつからないんじゃないだろうか?」

「息子たちは日本の生活に慣れてくれるのだろうか?」

「いじめられたらどうしよう?」

 

そんな不安が押し寄せてきて止まらなくなった、と彼女は言います。

 

ただ、ちょっと心を落ち着けて、自分の心の状態に意識を向けてみると、彼女は自分の心の状態が「おそれ」にはまっていることに気づきました。

 

彼女は自分の心の方向を愛に向け直しました。

 

「心配に目を向けだしたらきりがないし、かといっていくら心配しても将来がよくなるわけでもない」と思って、「どうなるか分からないけれども息子たちを信頼すること」そして「全員にとっていい方向にいく」ためのサポートをお願いしました。

 

それからの展開は奇跡の連続でした。

 

評判のいい日本語学校がみつかり、見学へいくと先生たちの雰囲気もよく息子をここに通わせたい、と直感的に思ったそうです。

 

学校にも下見へ行き、評判のいい学区であることを確認しました。

 

その一点が決まると、次には考えていなかったエリアが頭に浮かびました。

 

そして、内見へいくと、とても協力的で業界に詳しい仲介の人に巡り会い、すごく親切に管理組合の様子など最終決断のためのポイントや見極め方などを教えてくれました。

 

その人のお陰で審査もスムーズに進みました。

 

首都圏で家族で暮らす住まいを探したことのある方ならわかると思いますが、「自分にとっての基準」や「優先順位」がわかっていなければいったいどこから始めていいのか途方に暮れてしまいます。

 

それこそ検討することも調べることも山のようにあります。

 

何年も引っ越しを考えながら、それこそ物件や環境など条件の比較表をつくっても、まだ気に入ったところがみつからない、決められないという人も知っています。

 

最後に決め手になったのは「ここなら家族で幸せそうに暮らせると感じた」という直感的な感覚と、この人なら任せられると思ったという仲介の人との出会いなど、大きな流れの中にいるというようなサポートを感じたことでした。

 

そして、実際に息子さんたちが来日してみると、マンションの人たちがフレンドリーでよかった、といった「あの直感はあっていた」と確認するような出来事が続いています。

 

もちろん、新しい国での生活ですからまだまだ慣れることはたくさんありますが、守られているような感覚があって、やっぱりあの直感を信じてよかったといいます。

 

これは住まい探しの例ですが、「自分に合う仕事探し」にもまったく同じことが当てはまりますね。

 

そして、彼女の件から「選択すること」についてわたしたちが学ぶことはたくさんあります。

 

① 絶対にこの物件に住まわせてください、というお願いの仕方ではなく、「全員が幸せに暮らせる場所」を願った

 

(これじゃないと幸せになれない、というのではなく、それがどこかわからないけど全員が幸せに暮らせる場所を教えてください、というお願いの仕方)

 

② 自分にとって重要な点、優先順位が明確だったこと(日本語学校に通いやすく、受け入れ体制があること)

 

③ いろんな場所に足を運んで、物件を何件も見た中で実際に自分で見て感じて場所や物件についての直感的な感覚を磨いた

 

④ 自分のライフスタイルや性格がわかっていて、これまで何度か首都圏に住んでいるので自分がどんなところに住めば幸せに感じるのかある程度わかっている

 

⑤ 大きな力のサポートを求め、お願いをした

 

⑥ 焦りや不安、心配につかまりそうになったら、それに気づいて愛を選択し続けた

 

⑦ 自分がどういう状態を望んでいるのかという状態に意識を向けてそれを感じた

 

最後の点は彼女が今回意識した点としてわざわざ教えてくれました。

 

 

こういう「いい事例」・「奇跡体験」を聞く人は、自分も同じ体験をするという原則があります。

 

そして、サポートや奇跡を体験した人は他の人にもその体験を伝えていくことができます。

 

「あなたにもできますよ」「あなたにも奇跡が与えられていますよ」と伝えていくことで、さらに多くの愛と奇跡を広げていくことができるのです。

 

「与えること」は「受け取ること」ですから、そうやってさらに愛と奇跡の循環がひろがっていくのです。

 

そういう意味では、「愛」と「奇跡」ををたくさん体験することは人の役にも立つのですね。

 

愛を選択しましょう。

 

サポートと導きを求めましょう。

 

すでにある奇跡に気づきましょう😊

自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい

先週末、ガーナから日本にやってきたばかりの友人の子どもたち二人がうちに遊びにきてくれました。

 

簡単なご飯をつくったのですが、中一と高三の男の子なので、びっくりする位にたいらげるよ!と聞いてはいたものの、わたしの用意した分があっという間になくなって、びっくりしました(!)😆

 

みごとな食べっぷりでした!

 

それを見ながら、高校二年生のときにニュージーランドに留学したときのホストファミリーを思い出して、一年間もほんとうによく毎日ご飯をつくってくれたものだと感謝の気持ちで思い出しました。

 

私が帰国した後、わたしの両親が今度はうちの番だといって、一年間フランス人の男の子を迎えホストファミリーになりました。

 

わたしが大学一年生のときで、妹とわたしは部屋を彼に渡して、和室に布団を敷いて寝たりしたのですが、彼がきっかけでうちの家族はワインとチーズにはまり始め、その後、両親は彼の家族に会いにフランスに旅行をしたりしています。

 

父はもう30年以上も毎週末ある電話当番のボランティア活動をしています。

 

ガーナの子たちの食べっぷりを見ながら、わたしは両親から「与えるのは受け取ること」という原則を教えてもらっていたなと思います。

 

母としては4人分つくるのも5人分つくるのも変わらないと思っていたのかもしれないけれども、たった一回ご飯をつくるのは簡単だけど、一年になるとまったく違いますよね。

 

日本語のわからないときには、気をつかうこともありますし、病気になったら病院に連れていったり、保護者会にも出席します。

 

でも、新しく誰かを家族として迎えるという体験、彼の家族とのフレンドシップ、その後も続いている手紙、その後妹が留学したこと、などなどすぐに思い出す思い出や恩恵だけでもたくさんあります。

 

でも、もっと感じるのは、これは直感的に感じることなのですが、それ以上に何十倍もの恩恵を両親、そして家族全体に与えていただと感じることです。本当に感謝です。

 

それは、何をしたというよりも、見返りを求めないあり方に対してだったと思います。

 

やはり、与える人には返ってくるのだと思いました。

 

与えるとは「なにかをすること」とは限らないですね。

 

例えば、

誰かにあいさつをする。

笑顔をかえす。

目の前の人のいい点をみつける

相手をほめる

家族、友人、知人に思いやりのある言葉をかける

相手の健康や幸せ、成功を祈る

 

などです。

 

4歳の姪っ子は与えるのがとても得意です。

 

近所の電気屋さんのおじさんに満面の笑顔でニコニコと笑顔をふりまきます。

 

わたしは思い立ったら「元気?暑いけど元気でね」と頭に浮かんだ人にLINEメッセージを送ります。気持ちは四歳児のようにね!😊(笑)

 

喜んで与える人を神は愛してくださるからです。Ⅱコリント:9-7

 

自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。ルカ 6:31

 

 

 

これからの時代に仕事を選んではいけない基準ー日本人の弱み克服主義と「普通じゃなきゃ幻想」を超えるとき❗️

私たちは今変化の時代を生きている、というニューヨークタイムズの記事を紹介しました。

 

「 繰り返しを必要とする仕事は、もはや機械に任せておけばいいと言う時代が始まっている。『新しい時代』が必要としているのはこれまでとは違う能力を持つ人間だ」という記事です。

 

関連記事→ 映画グレーテストショーマンの主題歌「This is Me!」はなぜ私たちの心に響くのか?時代の転換期を生きる私たちへのメッセージとは?

 

ではそのような時代を生きる私たちは何を基準にして仕事を選べばいいのでしょうか?

 

それを説明するために、今日は逆に「何を基準にしてはいけないか」、という観点からお伝えしたいと思います。

 

それは、「コンプレックスを克服すること」を基準にすることです

 

日本人は世界の中でも弱みを克服しようとする傾向が強いと言われています。

 

その理由の一つとして、例えばセンター試験が課す試験項目が象徴しているように幅広い科目の習得が求められること、また出来ている部分よりも出来ていない部分に目を向ける性質も関係していると思います。

 

イギリスの大学を卒業し、外資系のホテルで働く30代後半の女性の方の転職相談にのったことがあります。日本で当時進出し始めたばかりの外資系の5つ星ホテルでのリサーチにも関わったことのあるとても優秀な方なのですが、転職エージェントの方に「業界としてはPCスキルが低いと見なされる」と言われたことをとても気にされていました。

 

たくさんの強みを持っている方でしたが、それは本人にとっては当たり前になってしまって気付かず、逆の面で指摘された点ばかりが気になってしまったのです。

 

それでPCスキルを改善できる業界へ転職しようかと考えている、と言うのですが、私は「弱みを補う努力ももちろん必要ですが、それ自体はがんばっても平均値のちょっと上になる位で、それ自体が今後大きな武器になるとは考えられません」とお伝えしました。

 

「そしてこの場合の本当の問題はおそらく、PCスキルというよりは、自分の中のコンプレックスや自分の中の『弱み』というものとの付き合い方の問題であって、弱みというものに対する誤解だと思います」と、コンプレックスを克服することを基準をした選び方はおすすめしない、という私の考えをお伝えしました。

 

弱みというものはなくなりません。なぜなら「弱み」の存在意義があるからです。

 

もし自分がなんでもかんでも出来る人だったら、全ての分野で自分が「勝っていたら」逆に自分の「強み」が分からなくなってしまいます。

 

ある分野で「ああこの人たちにはかなわないな」、「自分はこれはあまり得意じゃないな」と思ったら、それはいいサインでもあります。なぜなら、それは、自分の「強み」を真剣に模索し認める時ですよ、というサインとも言えるからです。

 

そして、日本人は、

「普通がいい」幻想、

「普通じゃないといけない幻想」に囚われていると思います。

 

「普通」はそもそも存在しません。

「普通」とは幻想です。

 

人間誰もがコンプレックスをもっています。

(一見なんでもできて悩みのなさそうな人もです)

 

誰もが強みも弱みも持っています。

両方合わせて存在意義があるからです。

 

もちろん弱みを補う努力も必要でしょう。

 

でも、これからの機械化の時代では、機械ができることは機械が替わりにやってくれるのですから、コンプレックスを克服するよいう消去法的な選び方では自分の能力を発見することも、伸ばすこともできないので、自分の強みや秀でている点を伸ばすアプローチがより求められていくでしょう。

 

私自身、高校時代には好きな科目と嫌いな科目の差が大きいことにコンプレックスを持っていましたが、中学校から作文は比較的得意な方でした。

 

私は、大学卒業後にドイツで働いた後、イギリスのオックスフォード大学大学院へ進学し、授業料と生活費、渡航費を含む全額奨学金を授与され修士課程を終えましたが、その審査のための主な判断材料となったのは志望動機のエッセイと英語の小論文、そして面接でした。イギリスの大学院進学には筆記試験がありませんから、まさに自分の強みを活かす選択だったと思います。

 

上手くいってないことにはすぐに目がいくけれども、上手くいっているところは「当たり前」だと思っていてなかなか気づきません。

 

普段何気なくやっていること、上手くいっているところ、自分の情熱や強み、秀でているところに対してもっと目を向けていいのです (*^-^)ニコ

 

 

普通であるよりも、何か一つでいいので「これはあの人に任せよう」「これはやりたい!」「これは好き!」を持っている人になりましょう。

 

それがすぐに仕事上のスキルにならなくても、人生100年時代にきっとあなたを長く導いてくれるでしょう!

 

 

 

究極の弱肉強食の世界でも「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではない❗️ーケニアでみたライオンといぼいのししの勝負

ケニアに野生動物を見にいった時に

とても印象に残っているシーンがありました。

 

目の前でイボイノシシの親子たちがのどかに草をはんでいました。

イボイノシシとは、一見ぶたのようなちょっと短足なちょっと

「かわブサイク」な子です(失礼!)

 

子供たちはまだ産まれて数ヶ月なのでしょう。

母イノシシの周りで草をはんでいます。

 

そんなのどかな風景がありました。

それが一転緊張状態に!

 

数百メートル先にいたライオンが急にむくっと立ち上がり、イノシシたちに狙いを始めたのです。

 

野生の動物を見るということは、自然界のなりたちを見るということ。

 

それこそが見る価値があるということなのでしょうが、ライオンが一気にダッシュを始めた時には私は思わず一瞬息を止めてしまいました。

 

イボイノシシママはライオンのダッシュを察知するやいなや、一斉に号令を出したようでした。「散らばれ!」と。

 

子供たちは四方八方に散らばりました。

 

すると❗️

 

ライオンはイボイノシシの子供たちが四方八方に逃げていくのについていけず、「捕獲」は失敗したのです。

 

身体の大きさも足の長さも速さもすべての面で「勝っている」と思ったライオンでしたが、小回りは苦手だったのです。

 

これを「勝敗」とするならば、イボイノシシがライオンに勝ったのです。

 

究極の弱肉強食の世界でも、「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではありません。

 

誰にもどんなものにも長所と短所の両面あります。

 

例えば、きりんは優雅に歩き、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、

敵の動きをいち早く察知できますが、水を飲むのは大変です。

 

 

ライオンはライオン。シマウマはシマウマ。イノシシはイノシシ。

ライオンだけがいても自然じゃないし面白くありません。

 

ぜんぶの存在があることが「自然」。

 

人間も自然界の一部です。

 

ps. ちなみに、目の前で見る野生の象やキリン、ライオン、チーターの迫力満点です。動物園で見るのはまったく違う感動があります。

 

ドバイ経由で行くとヨーロッパに行くのとフライト時間はほぼ一緒です。

 

おすすめです!!!(*^-^)ニコ

 

Mpata 238

 

Mpata 245

Photo: Chika Onaka

 

 

「いい面」だけが才能ではない❗️最初は自分の「強み」のネガティブな面を体験することが多いということについて

人の強みや才能に関しては、たくさんの誤解があるようです。中でも大きな誤解の一つは、「いい面」だけを才能や強みだと思うことです。

 

 

ただ、どんな資質にも両面があって、同じ資質の「いい面」もあれば「チャレンジな面」もあります。いわば、「同じコインの表と裏」のような関係です。

 

例えば、動物を例にすると、きりんは、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、敵の動きをいち早く察知できます。

 

私はケニアのサファリで目の前で野生のきりんが歩くのを見たことがありますが、

長い足でリズミカルに歩くきりんの姿は優雅でとても感動しました。

 

同時に、もしキリンが人間の言葉をしゃべることがあったら、こう言ったかも知れません。

 

「あのねー、優雅に見えるかもしれまないけど水飲むのは大変なんだよー」

 

なるほど〜

 

まさに、「同じコインの表と裏」です。

 

同じように、誰にも長所と短所の両面があります。

 

そして、自分の持つ資質が幼少期から強みとしてわかりやすく開花しているのは稀で、最初は同じ資質のチャレンジの面の方を体験することの方が多いのです。

 

どういう意味なのか説明していきます。

 

例えば、高い知能、活発である、意思や信念が強い、 共感力、創造性という資質があるとします。

 

これらの資質のポジティブな側面はどんなものでしょうか?

ネガティブな側面はどんなものでしょうか?

 

高い知性=頭がいい?に越したことはないじゃないか?と思うかも知れません。

 

でも、どんな資質にも両面あるのです。

 

以下に例を挙げてみました。

 

《高い知能》

このポジティブな側面:

新しい考え方や概念を素早くつかむことができる

同じ年齢の子供たちよりも深く理解する

複雑な現象の下にあるパターンをみつけることができる

新しい考え方や概念を発見するのが好き

壮大な考えや計画に惹かれる

 

ネガティブな側面:

•すぐに飽きる

•全容がわからないと納得できない

•他の人たちが「遅い」ことに忍耐強くない。

•他人の意見に対して批判的であったり、寛容的でない。

•手が頭についていけないので、手元の作業が雑になる

・細かい数字を確認する作業は得意ではない、などです。

 

 《活発である》

ポジティブな側面:

・新しい体験をすることに意欲的

・一度にいろんなことができる

 

ネガティブな側面:

・常に刺激を必要とする

・動き回る(多動である)

・頭も体も常に忙しい

・簡単にフラストレーションを感じ、それを撒き散らしがちである

・寝付くのが難しい時がある

 

 

《意思や信念が強い》 

 

ポジティブな側面:

・自分でゴールを設定し、それを達成するための努力を厭わない

・課題に対する答えをみつようとしたり、自分の興味をさらに追求する

・粘り強い

 

ネガティブな側面:

・頑固になる

・視野が狭くなる

・自分の興味のないことを忘れたり集中するのは得意ではない

 

《共感力》

 

ポジティブな側面:

・周りの人たちが考えていること、感じていることを察し彼らの視点から理解することができる

・他人の感情に対して敏感であり、他の人たちが気づかない点に気づく

・人の感情の機微を繊細に感じとり、人がなかなか言葉にして表せられない感情的な面を表現する手助けをすることができる

・書くことやアートなどの表現、創作活動を通じて感情の力を表現の力にすることができる

 

ネガティブな側面:

・体験を個人的にとらえる傾向がある

・ある状況にたいして事前に感じたり察してしまうので、自分には対応できないのではないかと心配になる

・不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち

・批判されたり拒否されたりする体験をなかなか処理できない

・周りの人の感情によって自分も影響を受ける

・簡単に泣いたり興奮する

 

《創造性》 

 

ポジティブな側面:

・目の前の現象や題材を新しくユニークな方法で見る

・たくさんアイデアがある

・新しいものを創るのが好き

 

ネガティブな側面:

・ファンタジーに逃避しがち

・拡げたアイデアをまとめるのは得意ではない

・言われたことに従うよりも自分のやり方で進めることがある。

 

つまり、ここでお伝えしたいのは、どんな資質にもポジティブとネガティブの両面がある、ということです。

 

そして、あなたの強みが眠っている分野こそ、最初はチャレンジの側面を体験することが多いということです。

 

私の例で言うと、

私の大きな強みの一つは、

自分の視点と考えから一旦距離をおいて、相手はなぜあのような事を言うのか、と相手の視点で物事を見ることができることです。

 

相手の視点と立場に立ち、相手の思考のフレームワーク、価値観や感情を理解することは「パースペクティブ・テイキング(perspective taking)」と呼ばれます。共感力の大きな要素の一つです。

 

相手と意見が違ったとしても、同意するかは別として、相手の立場から状況を見ることができること、そこから互いの共通点を探っていくは、南スーダン軍との交渉、信頼構築などで大きな力となってくれました。

 

世界で活躍したいと願う人にとってはとくに大切な資質の一つと言えます。

 

またこの共感能力は、アジア中東の軍隊に国連PKOに関してトレーニングをする教官・講師を務めていた時も、こちらが伝えることに対して相手が何を感じているのかをその場で察しながら、同じ講義の内容であっても相手に合わせてエピソードやたとえ話を変えていく対応力になってくれました。

 

また、コーチングをする時には、相手の方が自分の状況や課題をうまく言い現すことができない時でも、その方のほんとうの想いに一緒に想いを寄せることで、目の前の状況を整理して、新しい解決策や眠っていた力を引き出すサポートをしてきました。これも共感力の資質です。

 

同時に、ここでお伝えしたいのは、こうした資質が最初から強みとして発揮されるとは限らず、最初は同じ資質のネガティブな面をより強く体験することが多い、ということです。

 

例えば、私の場合には、「体験を個人的にとらえる傾向がある」「ある状況にたいして事前に感じたり察してしまい自分には対応できないのではないかと心配になる」「不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち」といった共感力のネガティブな側面としてあげられた点をすべて体験しましたし、今でも体験することはあります。

 

「簡単に泣いたり興奮する」というのもほんとうにその通りで、映画を見て感動して涙を流すことはしょっちゅうなので妹からはよく笑われるほどです。

 

前はネガティブな面しかわからずなんで私はこんなに繊細なんだろう?と悩んだこともありましたが、今ではコインの両面を理解しているので、ポジティブな面を尊重しつつ、ネガティブな側面とも上手く付き合えるようになり、大きな影響を受けなくなりました。

 

自分の資質をポジティブに活かすには、自分の普段の行動を観察して、自分の資質をよく知ることです。

 

ネガティブな面ばかり体験するなと思ったら、そのネガティブと同じ分だけポジティブな資質があると考えましょう。

 

「なんで自分だけ不器用なんだろう」、「なんでなんで自分だけ普通にできないんだろう」、「なんで自分はこんなに繊細なんだろう」と思ったら、「普通がいい」という幻想から覚めましょう。

 

「普通」はつくられた幻想でしかありません。

 

これからは普通に生きようと思っても基準を「普通」に合わせていたら、普通にさえ生きることができない時代です。

 

自分の資質をネガティブにしか思えないとしたら、今生での課題の一つは、その「思い込み」からまず自由になることかもしれません。

 

そして、ポジティブな脳の配線(シナプシス)を強化することです。

 

その資質が自分にとってどう役に立つのか、ポジティブな資源として活かす方法を考えましょう。