議論と対話は違うーじゃあ「対話」ってなあに?ほんとうの理解や新しい発想を生みだす対話とは?

前回、無理にこちらが話そうとして相手にとって面白いのかわからない話題を続けるよりも、質問をして相手に話してもらった方がいい、と言いました。

 

そして、

会話を広げる質問として、「対話的な質問」というのを挙げました。

今回はこの対話的質問というものもっと詳しく取り上げたいと思います。

 

対話は大事ということを反対する人はほとんどいないと思いますが、でも対話が何かということを理解していたり、実際の会話の中で「対話」をしている人はあまり多くないようにと思います。

 

ここで言う「対話的な質問」とは、相手に対するほんとうの理解や相互理解に基づいた会話、新しい発想を生むための土台とも言えます。

 

まず対話的な質問をするための「対話的メンタリティー」について触れたいと思います。

 

「対話的メンタリティー」とはどういうものでしょうか?

 

それは、

 

自分の視点や価値観を押し付けずに、いったん相手の意見を受け止め、なぜ相手はあのような事を言うのかと相手の視点で物事を見ること

 

自分の視点と考えから一旦距離をおいて、

 

相手の視点と立場に立ち、相手の相手の思考のフレームワーク、価値観や感情を理解する姿勢を持つこと

 

相手と見ている全体像が違ったとしても、同意するかは別として、相手の立場から状況を捉えていくこと

 

相手の視点と立場から物事を見て、相手の考え方や感情を理解しようとする姿勢です。

 

ここで言う理解するとは同意するとは違います。同意する必要はありません。

でもこの人はこういう発想をしてこう考える人なんだ、という理解をする、という意味です。

 

時にはこの人のことさっぱりわからない!

と言いたくなる人も人生においては何人かはいるでしょう。

実際、どうがんばってもこの人とは分かり合えないという人も存在しますが、

わかり合う必要もないので、相手の視点を理解してみようという姿勢です。

 

 

コミュニケーションの種類: 議論(discussion)と対話(dialogue)

 

では、対話(dialogue)は、議論やディベートとはどう違うのでしょうか?

コミュニケーションは大きく3つの種類に分類されます。

 

① 伝達 = 情報のA地点からB地点への移動(ほとんどの情報発信、通達はここに分類される)

 

② 議論(discussion)=互いに自説の優位性を主張し、相手を説得する。すでにある選択肢の中から、問題解決のためにどの意見が優れているかを検討し、最も妥当性の高い結論を導きだす。提示されている選択肢が適切であれば、適切な答えが導きだされるが、基本的にはその範囲内で、説得と譲歩を繰り返しながらなんらかの結論が導き出される。

 

③ 対話(dialogue)=選択肢として挙げられている考えそのものの前提や評価の基準を再吟味する。誰も一人では理解を深めることは出来ないという前提の上で、意見を交わし、自らの理解と発想をオープンにすることによって生まれる創造的な相互作用のプロセス。

 

ここにおいて、コミュニケーションの種類を大きく分けるのは、話し手が発したものが最終地点の受け手にどう伝わり、どのような結果や行動を生んだのか、そして、発し手と受け手の双方にどんな結果を生んだのか?の点です。

 

コミュニケーションの種類と創造性 (creativity)

 

ではこうしたコミュニケーションは組織や創造性にはどう影響するのでしょうか?組織においては、コミュニケーションが一方的であればある程、通達スタイルであればある程、受け手は上司や強力なリーダーが「何をすべきか」を「指示」、または「命令」してくれるように依存する傾向が高くなります。別の言い方をすると、メンバーはより受け身になります。

 

対話は、それぞれの参加者は、それぞれが互いに補完し合うものという前提を持つので、コミュニケーションスタイルが対話型になればなる程、メンバーの向上心と自主性が高まり、それぞれが自ら課題を発見していくことに繋がります。

 

結果、対話的な会議や話し合いでは、リーダーは「答えを持った人」というよりも全体のプロセスの世話人としての役割を担うようになります。

 

いわゆる一対一の「コーチング」では、答えは相手の中にすでにあるという前提で、それを引き出すような質問をなげかけていきます。

 

ハーバード・ビジネススクールのデイビッド・ガービン教授は、組織がより創造的に機能するためには、「コミュニケーションの回数が多いよりも、むしろコミュニケーションがオープンに行えるかどうかが重要である」と指摘し、以下の三点を創造的な組織を支える要因として挙げています。

 

1.精神的な安全(思ったことを自由に発言できる)

2.違いの尊重(意見や考えの食い違いが起きても建設的な対話ができる等)

3.新しいアイディアの許容度(新しいアイディアが尊重される)

コミュニケーションの種類と創造性には相関関係があるのです。

 

対話が注目される背景とは?

こうした点から、対話が注目される背景には以下のような点が挙げられます。

  • 環境の変化が早く、組織が抱える問題はより複雑化し、リーダー一人だけでは解決できない
  • 今までとは違う考え方やアイデア、多様性が必要とされている
  • 成果を上げるチームを迅速に育成するニーズ
  • 新しいリーダーシップのスキルと能力の必要性
  • 学びを促し、継続させるスキル、場と組織文化の育成

 

では、何を対話と言うのでしょうか?次にそれを見ていきます。

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12/10(日)開催❗️答えがない時代なら、自分の答えをみつけよう!考える順番と型を学んでつける本当の力

この講座では、「自分のとっての答え」を導きだすための考えるステップを学びます。

 

なぜ「自分にとっての答え」かと言うと、今の時代においては、答えはたった一つでは ないからです。一つの答えが全員に当てはまらるとは限らないからです。

 

考えるステップには次の三つの効果があります。

 

1、考える向きを整えてくれる

2、考える順番を教えてくれる

3、考えるための質問(型)をくれる

 

 

今時代が大きく変化しています。

 

いろんな面で激動の一年でした。

時代が今までとは違うことを感じてらっしゃる方も多いかも知れません。

みなさんは最近どんな体験をされていますか?

 

 

時代が大きく変化している時に大切なことは、自分で考えて、自分で判断できることだと思います。

 

そうした力があって、本当に大切なことを大切にできると思うからです。

 

考える力というと、ロジカルシンキングを思い浮かべるかも知れませんが、この場合の「考える力」とは、何がほんとうの問題なのかを自分で理解できて、目の前の状況を整理できることです。

 

もし決められないのならどうしてなのか何について迷っているのか、など、自分の中で起きていることを理解できることです。
 

私たちはいつも何かを選んで決めています。

 

自覚がある場合もあれば、自覚がない場合もあるでしょう。

 

いつでも完全に自信を持って決められるわけでもありません。

 

自分の体験を振り返っても、南スーダンや東ティモールに行く時など、不安で胸が押しつぶされような時もありました。

 

完全に自信があるから前に進めるわけではありません。決めた後でさえ、迷いがよぎる時もあります。

 

自分を信じるということは、自分の直感や内なる声に全身で耳を傾けて、神経を研ぎ澄ませていくと同時に、

 

自分で目の前の状況を整理して、判断する力もあってこそ前に進めていけるのです。

 

そのために、何をどの順番で考えていったらいいのかを学ぶことができます。

 

「考える」には順番があります。

 

「頭がいい人」とは、考える順番を知っているだけです。

 

なんらかの課題や問題について考えようとしても、思考がそこで止まってしまう時、なんとかしなきゃいけないと焦るばかりで、何をどうしたらいいのか分からなくなっています。

 

または、なんらかの感情が考えることを邪魔をしても気づかずに、同じところをグルグルと
回っているのかも知れません。

 

自分の思いぐせや思考プロセスを理解できると、

 

よりはっきりと

わかり、

考え、

自分で答えを出すことができます💡💡💡

 

直観.jpg

 

自分で決めることができると自信が生まれます。

閃きやインスピレーションも「考える型」を知ってこそやってきます。
 

この講座では、講師の国連や紛争地での体験を通じて体験したことや、オックスフォード大学のチュートリアル(教授との一対一対話)体験を基に、「思考プロセス」と呼ばれる「考えるステップ」をより日常的に使えるようにして学んでいきます。

 

効果的に「考えるため」の順番について学びます。どんな問題にも当てはめることができ、自分のとっての答えを導きだすため「5つの質問」を学びます。

 

思考プロセスを学ぶことには、次の三つの効果があります。

1、考える順番を教えてくれる

2、考える向きを整えてくれる

3、考えるための「型」をくれる

 

 

《この講座をお勧めする人》

⭕️プレゼン力や伝える力を伸ばしたい人

⭕️ チームメンバーの意見を引き出し、お互いの強みが活かされるような場を設けたい人

⭕️コーチやカウンセラーや教える人など、人を依存させずに援助し、効果的にサポートするための力を身につけたい人

⭕️落ち込んでしまう時に、自分で元に戻れるようになりたい人

⭕️今の仕事とやりたい方向性にギャップを感じている方

⭕️やりたいことはあるけれど、自信が持てずに前に進めなくなってしまう人

⭕️自分が何をやりたいのか、落ち着いて考える時間を持ちたい人

⭕️今までそれなりに成果を出してきたが、別の発想ややり方が必要だと感じている人

⭕️これまでの体験を整理し、未来に向けた方向性を明確にしたい人

 

《講師 大仲千華 プロフィール》

国連ニューヨーク本部、東ティモール、南スーダン等で現地国政府の人材育成や元兵士の社会復帰支援に約10年従事に従事。国連の平和支援の最前線である南スーダンでは80人強の多国籍チームのリーダーを務める。紛争国での体験から、リーダーシップや仲裁について研鑽を積む。

米軍の専門家として、世界的な研修プログラムにおいて唯一の日本人女性として講師を務める。帰国後、PTSDと燃え尽き症候群になり、起きれなくなり、心理学やカウンセリングを学び始める。

海外でトラウマケアのトレーニングを受け回復。直観能力とヒーリング能力が飛躍的に開花。

日本人がもっと自由に生きること、個人として生きる人を増やしたい、世界の役に立ちたい人たちをサポートしたいと思い、コーチングとカウンセリングを始める。

 

《日時》

2017年12月10日(日)9:30-12:00

 

《場所》

スクエア荏原第2会議室

アクセス➡️http://www.shinagawa-culture.or.jp/hp/page000004000/hpg000003907.htm

 

《参加費》

3,000円(税込み)

 

⭐️お申込み⭐️

定員に達しましたのでお申込みを締め切りました。

⭕️お申込み⭕️ありがとうございました!

 

「内なる声に従っている人が一人いる方が、そうでない人を何百万人も集めたよりも大きな力になる」

 

この講座は、新しい時代をつくるリーダー育成事業の一環です。

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日本人はいつからロボットのようになってしまったのか?!ー言われたことはできるけどマニュアル外のことができない人の本当の理由

ベジタリアンのカナダ人の友人と一緒に出かけた時のことです。

ベジタリアンなので、食べる場所を選ばなくてはいけません。

 

カフェメニューで、アボガドサーモン丼というものがあったので、そこからサーモンを除いていただいて、アボガドとサラダだけ出していただくことはできますか?

と聞きました。

 

ご飯の上にそれを盛るだけだから、単純にできそうだと思います。

 

こういう時、お店(店員さん)の対応は見事に二極化します。

キッチンも店員さんも、「できません」というケース。

 

なんとか考えてごめんなさいね、というのではなく、マニュアに書かれたことは出来るけど、そこをちょっとでもずれると自分で考えて対応できない、という態度がくっついています。

 

そして、「今あるものでなんとかしたいと思います」と言ってくれるケース。

 

時には、シェフの方がわざわざ出てきて、今あるのはこういうものですが、こちらは大丈夫ですか?と聞いてくれることもありました。とうぜん、こういうお店の印象はアップ。次回も寄りたいなと思います。

 

けっこう前者が多いのでびっくりします。

 

しかも、ロボットのように「できません!」と言う人が(けっこう)いることに驚きます。

 

ランチ時の忙しい時でもないし、スーパー難しいことを頼んでるわけでもないのに、何がどう「できない」のでしょうか???

 

マニュアル的な決められたことはできるけど、自分で対応できない人が増えてる、とは聞いたことがあるけど、まさにこういうことか!と思いました。

 

できない!とパニクったり、いっぱいいっぱいになってしまうのかもしれません。

 

常に携帯でググれば「答え」がでてくることに慣れてしまって、やり方が一から最後まで書いてあるのをなぞることは出来るけど、

 

自分で判断する機会があまりないのかもしれません。

 

こういう場合に求められているのは、

お客さんは何を求めているのか?ちゃんと聞く・理解すること

キッチンに伝えること

または自分がシェフだったらアボガド(または何が出せるのか判断する)を出す

ということです。

 

 

イレギュラーな件にパニクる人たちは、

極点に失敗を恐れているにも感じます。

 

自分で考える=判断する=間違うのが怖い

 

でも、そもそも、「正解」も「間違い」もないのです。

 

そして、「正しくやること」に価値があるという誤解をしています。

 

「完璧」「ちゃんと」やらないといけない、と思ってます。

 

客が求めているのはそんなことじゃないのに。

 

自分に意識が向いている典型的な守りの姿勢です。

 

お客の立場をして感じたことですが、こちらの要望・言っていることをほとんど聞いていない人さえ多いのです。

ベジタリアンだって人間なんだから、ただご飯が食べたいのに、でも困ってるんだよ、というだけなのに。

 

そのことをただ理解してくれて、もし少しでも共感してくれたなら、お店の印象がどれだけアップすることか!

 

ロボット人間じゃなくて、人間が増えてくれることを願います!

子どもがオックスフォード大学から奨学金をもらうか or そんなの関係ないと思うか? ー中学生165名にお話しして気づいたこと💡💡💡

今回、初めて中学生にお話ししました。

 

中学3年生総勢約165名。「総合的な学習」の時間です。

 

大学生に話すのとほぼ同じピッチで、

 

しかも、たぶん、ノーベル賞受賞者の方とお話しさせていただいた時とあまり変わらない次元で(笑)お話ししていました。

 

だって今の若い子たちはとても賢くて、本質をわかっているし、知りたいと思っているから。

 

私が話すテーマは表面的には、

 

南スーダンをの事例を中心に、世界の平和のために行われている国連などの活動・取り組みや紛争はどうしたら防げるのか?

 

だったりしますが、

 

本当にお伝えしているのは、

 

もっといろんな生き方があるし、正解はないし、答えはひとつじゃないんだから、自由に探求していい!

 

もっと世界(視野)を広げようよ、世界は楽しいよ!ということ、だと思っています。

 

 

6年続けて年末に大学で講義をして、上智大学で講義をして、就活生のコーチングもしたりとミレニアル世代と接した体験から確信をもって言えるのは、

 

彼らもそういうことをもっと知りたいし、探求してみたいのです。

 

彼らが知りたいのは、彼らが疑問に思っていることに、一人の大人がどう向き合ってきて、何を感じ、何を体験し、何が大切だと思っているかというその人自身の言葉です。

 

 

大人の正直な感想を聞きたいのです。

 

 

私はみなさんの前に立っているけど、答えを知っているわけではありません、と先に言うし、

 

すごい人である必要もないし、実際、「答え」を知っているわけじゃない。

 

そして、いろんな国の同僚の写真を見せたり、南スーダン軍とスーダン軍と一緒に座ってとった写真を見せたりします。

 

軍や国は争いあっていても、個人同士では信頼関係ができるのを見たよ、という仲裁のお話しは興味を引くようです。

 

今は、YuutubeとかFacebookとかこれまで大きな組織しかできなかったことが個人でもできるようになったから、アイデア次第ではいろんなことができるよね。

 

そのためにも、いろんな人の意見がいるよね。 

 

 

だから、みんなも自分の目で見て、感じて、たくさんのことを体験してきてね、

というようなことを言います。

 

 

彼らは、実際、今の自分の勉強がどんな意味があるのか知りたいし、社会の役立つことに関わりたいと思っています。

 

 

先日、Facebookの創業者マークザッカーバーグがハーバード大学で行ったスピーチが、スティーブジョブスのスピーチを超える!と話題になりましたが、その中でも注目されたのは、「ミレニアル世代は、Purpose(目的、意義)を大切にする、そしてそれを全員に広げること」というPurpose(目的、意義)という単語でした。

 

マークザッカーバーグのハーバード卒業式スピーチに何度も出てくる単語「Purpose」ーこれこそ日本の問題を解決する鍵だ!

 

 

 

ミレニアル世代にとって、「Purposeが大事」と世界的にはこの数年よく語られるところですが、日本でも同じことが起きていることを肌で実感します。

 

 

彼らが必要としているのは、

 

ー今自分が勉強していることがどうより大きな世界と繋がるのかという動機づけ

 

ー何をどう調べてたらいいのか、というきっかけ

 

ー「答えはひとつじゃないからいいんだよ」自由に考えて感じていいんだよ、と言ってくれる人

 

ー彼らの問いを受け止めてあげて、一緒に興味を持ってくれる人

 

ーそんな疑問を「おかしい」と言うのではなく、それを励ましてくれる人

 

ー問いを追求する楽しさを教えてくれる・一緒にやってくれる人

 

ー問いを探求していい!という、奨励されるような環境

 

ーかわいそうな人でも悲惨な世界でもなく、それを超越して世界のことを見ることのできる人の視点

 

ーそして、「職業も可能性も世界に視点を広げてみたら。だってそれ思ってるより簡単だよ」と言ってくれる人

 

 

そういえば、今回、オックスフォードでのチュートリアルでは、「答えは一度も言われなかった」というお話しをしました。

 

変化の激しい時代こそいかに学ぶか①: オックスフォード流「考えるステップ」

 

 

まだ暗記式の受験勉強の世界にいる中学生たちは、みんなびっくり!😆していましたが、

 

一度学校を卒業したら、答えのある問題なんてないし、そういう課題にも向き合えるようになるための土台を身につけようね、と言いました。

 

 

問いを持つことが、

私にオックスフォードで勉強する機会(奨学金)をくれ、

国連で働き紛争地へ行く言動力となってくれたので、

「問い」を持つことが私の人生を引き上げてくれたと言っても言い過ぎはないと思います。

 

そんな話しをしたら、こんな感想をいただきました。

 

「答えを提示するわけでもない」という言葉に触れて、「自分の考えが間違いでも答えが一つだけではないと教えてもらい、私の支えとなりました。」

 

 

「私が使っている教科書には、紛争が起こる原因として宗教の違いと書かれて、私もそうだとずっと思っていました。

 

でも、大仲さんのお話しの中で、ケニアの難民キャンプでは宗教が違くても普通に暮らしていたと伺いました。それを聞いて、紛争が終わらない理由は、みんなが宗教の違いが原因だと思い込んでいるからだと思いました。」

 

 

「一番印象に残っているのは、『大人になったら答えのない問題に立ち向かわないといけなくなる。だから、学生のうちから答えのない問いに立ち向かっていく勇気を持つことが大切』というお話しです。これからはこのことを意識して生活していきたいと思います。」

 

 

「現代社会の先端を生きる大仲様の話しはとてもおもしろかったです。」

(笑)

 

 

子どもの好奇心の芽をつぶさない為にも、ぜひ以下のことを意識していただきたいと思います。

 

大人が言ってはいけない言葉

(子どもの好奇心をつぶしてしまう言葉)

ーそんなの無理

ーそんなの無駄

ーそんなことやって何になるの?

 

そして、もしそう言いたくなったら、それはあくまでもあなたの世界や体験の中での考えや思い込みであると気づいてください。子どもの可能性は本当に測りしれないのです。

 

そして、子どもが自分とは違った分野で、チャレンジをしてくれる、違う世界を見せさせてくれる(「成果」や「結果」があろうとなかろうと)と思いましょう。

 

オックスフォードは別に一つの例に過ぎませんが、

 

大人自身が、「どうせ無駄」「そんなの無理」といった心の中にある諦めや失望感、無力感を下の世代へ受け継ぐのではなく、一人一人がそれに気づき、癒し、自分ができることを選ぶことができます。

 

 

例えば、少額の寄付でもなんでもいいから自分も「参加する」ことは、自分自身をあきらめや無関心、無力感から救うことにもなります。

 

 

そういう意味では寄付でもなんでも、自分のためにやっているとも言えますが、それでもいいんです。

 

 

世界を大切にすること=自分を大切にすること

自分を大切にすること=世界を大切にすること

だから。

 

 

ただ、その時は義務感ではなく、自分で調べて納得して、心から応援したいものを選びましょう!

 

 

 

講演の依頼受け付けています。(^^)ニコ

 

講演テーマ例

 

ー子どもの好奇心を引き出す対話術

ー紛争の話しなのに気分があがる大人が学ぶ戦争と平和についてのなぜ?

ー日本にいながら海外の教育を取り入れる方法

ーオックスフォード式 本当の考える力を身につける方法

ーすべての考えは「問い」から始めるー自分の答えを引き出す「問いの力」

 

 

お問い合わせは以下までお気軽にどうぞ❗️

info(at)peaceblossom.net

2ヶ月で10倍の資料をこなせるようになったお話しー自分の中の「基準」と「当たり前」がまったく変わること

オックスフォードの学生がチュートリアルで習得することは、自分の中の「基準」と「当たり前」がまったく変わることです。

 

「こんな量どうしたらこなせるんだ?」と感じられたことが、いつの間にか「出来そう」に変わっていくことです。

 

オックスフォードのチュートリアルで読む文献の量は、1週間で20冊~50冊位の量に及びます。

 

もちろん英文です。

しかも、難しそうに書いてあります。

 

最初は、まずこの大量の文献の量に圧倒されることになります。

 

いったいこの量をどうやって読めばいいんだろう?と途方にくれそうになります。

 

どこから手をつけていいか分からなくなって何度も泣きそうになりました。

 

しかも、読んでも簡単に分かるようなものでもありません。

 

私は、18世紀に建てられた寮の一室で、分からないのは自分だけなんじゃないか?と落ち込みました。

 

どうして学者という人たちはもったいぶったように難しく書くんだ。

もっと簡単に書いておくれー!と何度も言いたくなりました。

 

本を読む量が追いつかない。気持ちは焦るばかり。

 

それでも教授とのチュートリアルの日は刻々と迫ってきます。

 

大人数の講義だったらなんとかごまかせるだろうことでも、一対一なのでごまかせません。

 

ただ安心したのは、そのように悩んでいたのは私だけではなかったという事実でした。

 

私が当時暮らしていた寮では、ポルトガル人、インド系イギリス人、スリランカ系イギリス人、タンザニア人、中国人、イギリス人と日本人の私が一緒に住んでいました。

 

この文献の量に誰もが戸惑い、文字通り格闘していました。

 

そして、自分に問いていくのです。

 

どうしたら、これを時間内でできるのか?と。

 

そして、自分の方法をみつけていくのです。

 

なんとか最初の学期の8週間が終りました。

最初の8週間を乗り切って、心底ホッとしたのを覚えています。

 

文字通りなんとか乗り切ったという感覚で、ともかく終えられてよかった、と思いました。

 

そして、クリスマス休暇に入り、束の間の休憩を過ごしました。

 

年が明けて、再びオックスフォードのキャンパスに戻りました。

 

二学期目を迎えようとしている自分の心境の変化に気がつきました。

 

その文献の量を目の前にしても、前よりも落ち着いている自分がいたからです。

 

文献の量は相変わらず多く、課題の答えもすぐに分かりそうなものではありません。

 

 

内容に手応えをつかんだとまではいきませんでしたが、チュートリアルとはこういうものなのだ、と、思っている自分がいました。

 

「こんな量どうしたできるんだ?」と感じられたことが、この量が「当たり前」になっていたのです。

 

そして、その量が当たり前と感じられると、最初はただただ圧倒されていた量を目の前にしても、「出来そう」だと感じられたのです。

 

1983年に陸上のカール・ルイス選手が100メートル走で9秒台を出し、「10秒の壁」を破った時に彼は超人と言われました。

 

ただ、「10秒の壁」を一人が超えると、人間の身体能力自体はそれほど変わっていないはずなのに、その数年内で9秒台で走る人が続出しました。

 

「できる」ことが当たり前になってくるからです。

 

オックスフォードのチュートリアルで体験したのは、自分の基準が上がることでした。

 

私たちは自分の中で「もう無理」「もう限界」だと感じた時点で、人間としての潜在能力の2割も使っていないと言われています。

 

スポーツ競技だけでなく、そのような環境に身をおくことでそのようなことが起こります。

 

あなたの中の「もう無理」や「もう限界」は本当にそうですか?

 

ほとんどの人は、自分の能力の1割か2割も使っていないのです。

 

 

ちょっと想像してみてください。

 

今の自分の能力の10倍のことができるとしたら、どんなことができると思いますか?

 

どんなことが可能だと思いますか?

 

なんだかそっちの方が楽しそうだと思いませんか〜? ^^

 

 

オックスフォードで学んだ「一流」とは悔しい思いをたくさんした人ーみんな何者かになりたくて悩みもがく日々

「考える力」という視点から最近、オックスフォードで勉強してきたことを書いています。

 

オックスフォードで勉強したのは、私にとってはもう随分と前のことですが、改めて書いてみると、「一流」ってどういうことなのか?何がどう一流なのか?

 

それをどう日常的なことに応用できるのか?という視点で振り返るいい機会になっています。

 

今日のテーマは、何が「一流」を「一流」にたらしめているのか?です。

 

オックスフォードやハーバードと聞くと、どんなイメージでしょうか?

 

きっとみんな自信満々の天才なんだろう、と思いますか?

 

頭脳明晰で自信に満ち溢れた人たちを想像するかも知れません。

 

でも、私の知っている等身大のオックスフォード大の学生たちはそうではありませんでした。

 

 

むしろ、私も含め、みんな何者かになりたくて悩み、もがいていました。

 

そして、自分の能力の限界や無力感に打ちひしがれていました。

 

なぜなら、できる人たちが一杯いるからです。

 

ちょっと努力しただけではとてもかないそうもないことをすぐに発見するからです。

 

 

これまでの環境では、自分はある程度できる人だったかも知れないけれども、オックスフォードに入ったらそれは当たり前になります。

 

そして、自分にはできないことを簡単にやってしまう人たちがいるのをまさに目の当たりにします。

 

入学してまず私がびっくりしたのは、クラスメートの経験でした。

 

 

私が学んだ人類学部は、学問の内容から旧植民地出身の人たちが多く、オックスフォードのなかでも特に多様性の高い学部の1つでした。

 

2015年度の留学生の出身国は約140ヵ国・地域にものぼり、大学院では62%を留学生が占めています。

 

クラスメートの出身国はフランス、アメリカ、エジプト、トルコ、南アフリカ、ジンバブエ、マリ、パキスタン、インドなど本当に多種多様でした。

 

私がチュートリアルのペアを組んだ女性は、インド系3世の南アフリカ人でした。1994年にアパルトヘイトが終わって、ようやく英国で学ぶ機会を得たのだそうです。

 

当時はまだ、アパルトヘイトが終わって数年しか経っていない時期で、彼女は母国の現状を次のように話してくれました。

 

「マンデラ大統領は、黒人と白人の間で衝突が起きてもおかしくなった状況の中で国を一つにまとめるという偉業を成し遂げてくれた。ただ、私の国では人種の断絶や暴力の種がまだまだ大きいの。南アフリカの未来はこれからよ。」

 

 

パキスタン出身でジャーナリストの女性は、長年パキスタンの女性の地位について関わり、研究してきました。

 

オックスフォードでは、婚前交渉・婚外交渉を行った女性は家族全体に不名誉をもたらすという理由で、家族の名誉を守るために女性が殺される慣習(オナーキリング=honor killing)をテーマにしていました。

 

 

さすがに、奨学金をもらえないと留学できないという国から選ばれただけあって、みんな優秀で賢明なだけでなく、とても勇気のある人たちばかりでした。

 

日本ではほとんど聞いたことがなかったようなリアルな「世界」が、クラスメートの口から次から次へと語られることに私は圧倒されました。

 

 

そして、そんな彼らの姿に触れると、私はそんな問題に直面することもなくぬるま湯につかっ過ごしてきた世間知らずの日本人のようにさえ感じました。

 

 

そして、そんな彼らの姿に触れることで、「じゃあ、あなたは何をしたいの?」という常に問われているように感じたものでした。

 

こんな大きな問題に私ができることことなんていったいあるんだろうか???

 

民族紛争について研究したいと思っていたのに、彼女たちのように自信をもって答えられない自分がいました。

 

自分の能力の限界と同時に、無力感さえ感じたことは一度や二度ではありません。

 

オックスフォードやハーバードの学生と聞くと、頭脳明晰で自信に満ち溢れた姿を想像するかも知れません。

 

でも、人が自分の専門分野やなんらかのテーマを追求していく過程では、誰もがなんらかの形で自分の限界や無力感を感じるのではないかと思います。

 

ただ、今になって振り返ると、こうしたプロセスこそが、私が後に国連や米軍で働くために必要な土台をつくってくれたとわかるのです。

 

他の人にかなわないことを痛感してこそ、または、限界や無力感を感じるからこそ、自分にしかできない分野やテーマを探すようになるからです。

 

自分にできないことが分かって自分にできることを必死に求めるからです。

 

そして、自分の限界や無力感に触れると、「表面的な理由」や「にせものの理由」がはぎ落とされていきます。

 

「なぜあなたはそのテーマに興味があるのか?」「それでもあなたはやりたいのか?」と問われ続けても、イエス!と言えることだけが残るからです。

 

私は、オックスフォードといった一流が集う環境に身を置く一番の価値はまさにここにあると思っています。

 

本当に悔しかった。何度も泣きそうにもなった。

 

それでも、誰かに当時の体験を取り上げるよ、と言われたら私はきっと必死になって抵抗するでしょう。だって、そんな体験を通じて自分を発見し、自分を知るのだから。

 

一流とは一部の才能に恵まれた人ではありません。

 

一流とは、悔しい思いをたくさんした人なのです。

 

そういう意味では、自分の弱みも強みもわからない人というのは、ぬるま湯に浸かったままなのかも知れません。

 

 

そして、私はそんなオックスフォードでの一年間を経て、ある思いがさらに強くなっているのに気がつきました。

 

 

人類学という視点が民族紛争の解決に役に立つことは確信した。

では現場ではどんなことが議論されていてどう扱われているのだろうか?

南スーダンの部族について書かれた民族誌についてはたくさん読んだけれども、今現在南スーダンで起きていることが知りたい!

今の世界で起きていることに関わりたい!!!と。

 

 

一流との交わりは、自分の奥深くにある思いを揺さぶるのです。

 

 

その後、4年間も南スーダンで働くことになるとは全く想像もしてみなかったのでした。

なぜ日本人は世界一高い携帯電話料金を払ってきたのか? ー地方衰退と世界一高い携帯電話料金がつながっているわけ

先日、日本三大秘境のひとつに旅行をしてきました。

 

長野県の遠山郷、南アルプスに囲まれた標高1200mの地で日本のチロル(オーストリア)と呼ばれる下栗の里というところです。

 

 

高速道路を使っても、片道7時間かかりました。

 

 

飛行機に乗ったら、沖縄の石垣島でも3時間で着いてしまう時代に、片道7時間。

 

しかも文字通り細~い山道を登っていく道中はけっこうびっくりしました。

 

 

でも、だからこそ「秘境」と呼ばれる地が残っているのですね。

 

そこまで行ったかいがあって、標高1200mの地の空気は澄んでいてとてもリフレッシュできました。

 

 

芝生の上に裸足になって寝っ転がっているだけで、身体が南アルプスのエネルギーに満たされるようでした。

 

 

さて、観光客にとってはそんな有り難い村でしたが、その村も人口減少の例外ではなく、今の小学校の人数は9名だそうです。

 

先生の数の方が多いそうです。

 

7名になると廃校になってしまうらしいので、村の存続のためにも喫緊の課題です。

 

 

人口減少と地方衰退という日本の問題がそこでもはっきりと現れていたのですが、

 

 

その帰り道の東名高速(第二東名)で寄ったサービスエリアでは、その構図の続きである大企業主義(癒着体質)をさらに目の当たりにしました。

 

 

南アルプルの山道を2時間ほど超えて、長野県の山中から静岡県の太平洋側に降りてきました。

 

浜名湖の近くで高速に乗ったので、ランチはうなぎにしよう、という話しになりました。

 

しばらく走ってから、サービスエリアに入りました。

 

うなぎがないどころか、地域の名産もほとんどなく、お店の9割は東京で見るチェーン店ばかりでした。

 

旅行者としては地域の名産が食べたいのになあ、と思いながら、今度はトイレに入って唖然としました。

 

ドアにはピンクと青に光るランプ、そして豪華パウダールームです。

 

これって必要なわけ???

 

 

癒着と天下り体質が即座に頭に浮かびました。

 

 

私は海外で10年以上暮らしていたので、日本の高速代金が世界で一番高いことを知っています。

 

こんなに高い国はありません。

アメリカでも10分の1以下です。

 

高速道路財団のビルが目に入りました。

 

 

そんなものを他の国で見たことはありません。

 

 

 

こんなの要らないから、高速代もっと安くしておくれー、と単純に思いました。

 

そして、日本の携帯料金がやはり世界で一番高いことともまったく同じ構図だと思いました。

 

海外ではもう10年以上も前から現地でSIMカードを調達して、端末にSIMを入れて使うのが当たり前でした。

 

私は国連で働いてきましたが、あちこちの国を出張する国連職員はいろんな国のSIMカードをいくつも持っていました。

 

そして、けっこう通話しても携帯の代金は3千円を超えることはほとんどありませんでした。

 

なので、日本の携帯電話料金がいかに高いか、ということは常に感じていました。

 

2年たたないと解約料をとられる制度も日本だけです。

 

ようやく日本でもSIMフリーが始まりましたが、もし東京オリンピックがなかったら、そんな体制をもっとゆるしていたんじゃないかと思うと、ゾっとします。

 

これは、電気代、ガス代、電車料金にも当てはまります。

 

決められたままの料金を疑うこともなく、私たちは「そういうものだ」と支払い続けているのです。

 

スウェーデンでは電力会社も選べます。

 

自然発電かどうかといった電気の発電方法にしたがって電力会社を選べます。

 

日本でもようやく電力の自由化解禁になりましたが、各社似たり寄ったりのサービスで、肝心の電気の発電方法にかんする情報もがまったく十分ではありません。

 

私たちはもっと単純な疑問をぶつけてもいいと思うのです。

 

そもそも電気代って最近高くない?

これってどういうこと?

どうしてそれしか選択肢がないの?

このサービスって必要なわけ???

 

「そういうものだ」というのも思考停止状態なのですよね。

 

 

だって、私たちが「そういうもの」と思っているものは、ほとんどが「そうじゃない」ってことが、日本の外に出ればすぐにわかるから。

 

 

考える力を持つことーこれは私たちの日常生活の質をつくっている、と痛感します。

 

どうして?ーやっぱり疑問を持つことをやめてはいけません!