頭ではわかっているけど、身体が動かない時どうしたらいいですか?

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私のコーチングセッションにいらっしゃる方の中で、「頭ではわかっているけれども身体が動いてくれない」とおっしゃる方がけっこういます。

 

そういう時ほど、頭が常に忙しく回転しているのですが、「考えている」つもりでも、実際には思考が頭の中でグルグルしているだけで、実際には「思考停止状態」になっている場合もめずらしくありません。

 

そういう方が自分の状況を説明する時には、話しが同じところをグルグル回り始めるのでわかります。

 

でも、上司が。。。これも問題で。。。でもでもでも。。。

 

そのループで考えている限り、表面的な改善はありえても、おそらく根本的な解決はないのが実情です。

 

同じように、なんだかいつも忙しいし、がんばっているのだけれども、いったい前に進んでいるのかどうか分からない、という場合もあります。

 

そして、そういう時ほど、思うように動けない自分に対して「自分はダメだ」と自分を責めがちですが、それもまた効果的ではありません。

 

ハーバード大学のロバートキーガン教授の研究によると、何か問題があった時、8~14%の人は自分の知識・情報・経験の範囲で解決策を組み立てようとし、42%~49%の人が自分の判断ではなく周りの意見で判断をする(日和見主義)、そうです。これは、アメリアでの研究結果ですから、日本での数字はかなり高いでしょう。

 

つまり、ほとんどの人は自分の体験や限られた範囲での体験でしか解決策を想像することができない、と言っているのです。

 

コーチングの目的の一つとは、

自分のおかれた状況を客観的に見れるように整理するお手伝いし、

何が本当の課題なのか?では、具体的にどうしたらいいのかを一緒に考えていくこと、です。

 

 

それだけを聞くと、ロジカルシンキングのようにも聞こえるかもしれませんが、たとえ「ロジカル」でもそれが単にロジカルだけでも終わると、モヤモヤが残ることがあります。

 

なぜなら、人間は感情の生き物だし、ときには、ある課題は魂の成長のために起きていることがあります。

 

それは、本来はこうあるべきだ、とか効率とった面だけでは説明できない領域があるからです。

 

または、そういうときには、一生懸命に頭で考えた答えであっても、本当にハートが望んでいることとは必ずしも同じとは限りません。

 

私のコーチングセッションの特徴の一つは、頭と心・身体をつなげるメソッドを持っているということです。

 

実際に、数人の方のコーチングを受けたけれどもモヤモヤ感が残ったけれども、大仲さんのセッションは違う気がする、と言って申し込まれた方がいらっしゃいました。

 

ところで、国連職員だった私が、なぜコーチング・カウンセリングを始めることになったのかと言うと、それは自分自身の体験から来ています。

 

私が4年を超える南スーダンでの国連勤務から日本に帰国して体験したのは、「身体が言うことをきいてくれない」という状態でした。

 

身体から気力と魂がすっかり抜け出てしまったように、身体は空っぽ。

ともかく、身体が重いのです。。。

疲れていたから、しばらく休もうとは思っていたものの、数ヶ月休んでも身体に力が入りません。

気がついていたら季節は冬から春に、そして夏を過ぎ、秋になっていきました。

 

枯葉を見ると、どうして?心は焦るばかりで、それでもやはり同じ状況でした。

 

カウンセラーも含め、何人かの方に会いましたが、なにか根本的な解決が必要だと感じていたとき、ある方の説明が直感的に腑に落ちました。

 

「あのね、あなたの身体はまだ南スーダンにいると思っているのよ。だから、身体に今はすでに安全なところにいる、ということを伝えないといけないの。」

 

身体は、「過去の出来事」を「たった今の起きていること」だと認識しているから、身体にそれはすでに「過去の出来事」だよ、ということを伝えることが役に立つかも知れない、ということでした。

 

身体には人間の原初的な知恵が保存されていると同時に、ネガティブな出来事や緊張などのすべての体験を記憶しているとのことでした。

 

例えば、むかし、パワハラ系上司から怒鳴られたことがあって、頭ではもう関係ないとわかっているのに、なんだか身体にその時の緊張が残っているのか萎縮してしまう、といった具合です。

 

これを読まれている方の中には、え?そんなことが?と思われる方もいらっしゃるかも知れません。

 

でも、おそらく誰でもそのような体験は大なり小なり持っているのです。

 

私は効くものならなんでも試してみようと感じていたので、そのアプローチを試してみることにしました。

 

私の場合回復するまでには数回のセッションが必要でしたが、その効果は直感的に分かりました。

自覚はありませんでしたが、身体は自分が思っていた以上に緊張していたのが感覚的に分かり、同時にその緊張や重さや解放されていくにつれて、視界が明るくなっていくような身体が軽くなっていくのが感じられました。

 

私の例は少し極端のように聞こえるかもしれませんが、私のセッションにいらっしゃる方でも「頭ではわかっているけれども身体が動いてくれない。」という方はけっこう多いです。

 

同時に、自分の心の状態を整理し、意識をハートと身体に向け直し、それぞれが繋がってくると、無理をしなくても自然に身体が動くということも実際に体験しています。

 

「心」と「身体」をつなげていくことで、問題や悩みが、まったく違うように見えるようになった、問題じゃなくなったという体験の報告を実際にたくさんいただいています。

 

頭ではわかっているけど、身体が動かない方、いらっしゃいますか?

 

「頭」と「ハート」をつなげるメソッドについてはこちら

 

どうぞお気軽にご連絡ください^^

 

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国連職員だった私がなぜコーチング・カウンセリングを始めたのか?

国連職員だったのになぜコーチング・カウンセリングを始めたのですか?と聞かれることが多いので、最近少しづつ文字にし始めてます。完璧に表現できていない部分もあるけれども、どうしたらより通じるのか、表現することで学んでいっています。

 

長年の紛争地での国連ミッションから日本に帰国して気づいたことがありました。それは日本人の共感能力の高さです。

 

もしかしたら、「当たり前」のように思われているかもしれませんが、これは世界的に見ても非常に稀有な能力です。

 

これからの時代、こうした「感じるとる能力」はますます求められていくと思います。

 

ただ、同時に、あまりに課題が大きいと感じる時、自分が思うように出来ないことに無力感を感じて、その感覚に圧倒されるばかりに「無感覚」になっている人も多いんじゃないか?とも感じました。

 

また、空気を読むばかりに、いつの間にか、自分の価値観よりも他人の価値観が優先になってしまって、でも内心は実は「怒っている」人も多いように感じました。

 

いかにもわかり易く、怒ったりする人もいますが、日本社会では、一見おとなくしくて礼儀正しいように見えても、例えば、朝の満員電車で、周りにぶつかって降りていくような人を見かけるように、黙ってはいても密かに「怒っている」人たちです。

 

遅刻したり、ミスをしたりといった形で怒りを表現すること(本人の自覚があるかないかは別にして)は、「受動攻撃」と言われますが、日本は「受動攻撃性」が強い方だそうです。

 

だとしたら、もしかしたら、私が南スーダンなどで見てきた紛争とは形は違えど、「根っこ」は一緒かもしれない。

 

私自身、帰国して気がついたら燃え尽き症候群になっていましたが、何のやる気も感じられず、働けなかった状態から、少しづつ気力を取り戻していくに従って、要らないものが「削げ落ちていった」のでしょう。

 

自分が自分を受け入れ始めていくにしたがって、外からの評価を求めるのではなく、自分がただ自分でいることによる安心感や自由を伝えたいと思い始めました。

 

自分が自分であること。

誰かと比べる必要もなく、ただ自分であること。

その安心感とエンパワーメントが広がっている世界。

 

そんな人が一人でも増えたら世界はもっと優しいところになると思う。

 

これが私がコーチングを始めた理由です。

 

コーチングについて・お申し込みはこちらから⇨大仲千華のコーチング

自分のストレスパターンを知る①ー爆発型?それとも内心怒ってる人の場合は?

何か勇気を出して相手に伝えなきゃいけない時、新しいことを始める時、昇進したいけど自信がない時、初めてデートをする時。。。

 

そうでなくても、ともかくストレスを感じる?!

 

現代人のストレスレベルは高いようですが、ストレスを感じる時、私たちはいつもの「行動」や「ふるまい」をほぼ意識することなく自動的に繰り返しているそうです。

 

なにか「心地悪さ」を感じる時、自分に負荷がかかっている時、私たちはどういう風に反応しているのでしょうか?

 

まずは、自分はストレスを感じた時にどう振る舞うかという自分の「ストレス反応」を知ることができます。

 

 

ストレス反応のパターンについて以下の5つの視点から一緒に見ていきたいと思います。

 

①ネチネチ型 vs 感情爆発型

② 外に出す vs. 内にこめる 

③ 向き合う vs 避ける

④自分優先 vs 相手優先

⑤ セルフエンパワーメント  vs 無力感

 

以下の質問に3段階(a)ほとんどそう、(b)ときどき、(c)まったくない、で答えて下さい。

 

①ネチネチ型 vs 感情爆発型

ーすぐにイライラする

ー一度怒り始めるとなかなか収まらない

ー誰かに怒りをぶつけてしまう・爆発してしまう

ー人や社会に対して批判的だと思う

ー政治家とか政府とか誰かを責めたくなる

ー笑顔を装いながら心の中で舌打ちしてる

ーある人やある仕事に対して、遅刻したり、ミスが増えるたり、どうしてもモーチベーションがあがらない

 

 

② 外に出す vs. 内にこめる 

ー自分がストレスを感じていることを周りの人に知られたくない。

ー本当は怒っているかも知れないけれどもそれを人に見せることはない。

ー初めての人に会ったらその人を信用できるかどうか慎重に見極める。

ーストレスを感じていても誰かにそれを伝えることはない。

ー困難なことがあっても自分の感情について表現することはない。

ー誰かと意見が違ってもそれを言うことはない。

ー誰かとの関係で傷つくような体験があると人との関係を避けて一人になる。

 

これらの質問の意図は、ストレスを感じる時、私たちはどういう風に反応しているのかという自分のパターンや、さらにストレスを増大させる自分の中の「信念」や「考え方」に気づくということですが、それぞれの点で少しだけ補足したいと思います。

 

①ネチネチ型 vs 感情爆発型

 

いかにもわかり易く、怒ったりする人もいますが、日本社会では、一見おとなくしくて礼儀正しいように見えても、朝の満員電車で、周りにぶつかって降りていくような人を見かけるように、黙ってはいても密かに「怒っている」人たちはけっこういるようです。

 

また、だらだらと歩いたり、遅刻したり、ミスが増えたりといった形で怒りを表現している、「受動攻撃」と言われるケースも多くあります。ちなみに、私の先生は、世界中にクライアントを持っていて、世界中でワークショップをやっていますが、日本人は「受動攻撃性」が強い方だと言っていました。

 

一般的に(とくに日本では)、怒りを持つこと自体が悪いことのように思われがちですが、怒りを誰かにそのままぶつけるのは適切ではないですが、「怒り」というエネルギー自体が悪いわけではなく、怒りがない振りをするのも、ただ抑圧するのも逆効果です。

 

人間誰しも、「怒り」は感じるものなので(逆に感じない方がおかしいのです)、ただ、自分が怒りを感じる時に気づくこと、そして、何に怒っているのかに気づけばいいだけです。

 

また、怒りは、「恥」や「絶望」よりも周波数的にはより高い(喜びに近い)エネルギーです。この怒りというエネルギーを、例えば「パッション」としてクリエイティブに表現することも学ぶことができます。

 

 

② 外に出す vs. 内にこめる 

 

私たちは、社会の中で長年積みあげられてきた「~は~べきである」といったメッセージに常にさらされています。例えば、「女性はいつかは母親になるべきだ」「いい母親というものは、髪を振り乱してあくせくせずに、スマートにいつも優しくニコニコとしているものだ」「男性とは『弱み』を見せるものではない」「男性は不安になることはゆるされない」などです。

 

そして、日本社会はよくも悪くも「空気を読むこと」「和」を重んじることを重視する社会なので、そういう意味でも、ストレスを感じていることを誰か信頼できる人に個人的にこっそり打ち明けることはたまにはあっても、「どちらかと言うとそういうことは周りに知られたくない」という感覚が強いかも知れません。

 

ちなみに日本という社会は世界的にみても「恥」という感情がとても強いそうで、「自分はもっと~であるべきだ」といった観念が強いそうです。

 

その社会(自分)が求める像と実際の自分が違う時、私たちはそういう自分に対して「がっかり」したり「失望」したり、「恥」を感じたりします。

 

そして、そのイメージと現実の自分との「ギャップ」が、ストレスになります。

 

「恥」は感情の中でもとても強い感情です。絶対失敗をしたくない、失敗する可能性があることはともかく避ける人がいますが、自覚はなくても、実は深いところで、この「恥」がある場合があります。

 

リラックスできない、いつも「焦り」っている感じがある人、いつも「自分は~しないといけない」という強迫観念に追われている感じがある人は、なんらかの形でそうした観念と感情が作用している可能性が高いでしょう。

 

私自身もこれがとても強かったのですが、何か自分が思うように事が進まなかった時、または間違えた時、「だから言ったじゃないか」「そんなこともできないのか」といった「内なる批判の声」の声が発生することに気づき、「起きたこと (事実)」と「恥 (感情)」を分けることを学んできました。

 

私たちは誰かに批判されることも嫌ですが、実際のところ、もっと私たちを困らせているのは、自分の中の内なる批判の声なのです。

 

起きた事に対して、「事実」と「感情」を分けること、その事実をまず客観的に確認できること、そして、自分の中の感情に気づき、それを生じさせている自分の中の「観念・思考・ビリーフ」に気づくことができます。

 

 

次回は、

③ 向き合う vs 避ける

④自分優先 vs 相手優先

⑤ セルフエンパワーメント  vs 無力感

 

 

というパターンについて見ていきます。

 

続く