好きなことをやるのに自信はいらないーなぜ日本人は自信がないのか?

自信がないとはやっかいだ。

 

自信がないのがやっかいなのではなく、「自信がない」の本当の理由がわかっていないから。

 

「自信がない」とは不思議だ。

 

人が「自信がない」と言うと、科学的であたかももっともな理由のように聞こえるから。

 

「自信がない」現象はあまりにも漠然としていて、何をしたら自信がつくのか?本人もはっきりと分かってないから。

 

 

そういう私も3月末に突然霧がかかったように、前が見えなくなってしまって、さっぱり書けなくなってしまいました。

 

一文字も。。。。

ぜんぜん。

まったく

 

 

スランプ?という言葉が頭をよぎるものの、原因がよくわからない。。。

 

連載をしている先の編集者さんからは、「大仲さんの記事は安定的なアクセスがありますよ。どんどん書いてください」とも言っていただいたし、書くネタはたくさんあるはずなのに。

 

これはつらいです。

 

そんな状態が1ヶ月以上続いて、もうやだ!こんな状態抜け出したい!、と思った時に、ふとわかった気がしました。

 

「自分ってたいしたことないな」って認めるのが怖かったんだって。

 

なにか新しいことや新しい分野に挑戦しようとする時、私たちは無意識的にいろんな「シュミレーション」をします。

 

もしこうだったらどうしよう?

もしああだったらどうしよう?

 

という「もし~だったら」「もし~だったら」が何個もあります。

 

 

あるレベルにおいては、すでに次のステップややりたいことは先に見えているのに、それがモヤモヤとなって目の前に「きり」をかけてしまうのです。

 

でも、そんな時こそ大抵誰かと比べています。

 

というか、その分野の先駆者や成功者と比べています。

 

その人がどれだけ苦労や努力をしたのかも知らずに、

 

「私はあんな才能がない」と、

 

 

または

 

誰かと比較して、もし~だったらどうしよう?と足をすくめているのです。

 

 

日本人の選手の中にはせっかく銀メダルをとったのに、人によっては顔面蒼白に世界一の失敗者であるかのような顔をしている人がいます。

 

数年前なでしこジャパンがW杯で準優勝した時がそうでした。

 

ブラジル人はオリンピックに出るだけで、踊って大騒ぎしてお祝いします。それだけで町・村中あげてのヒーローでしょう。

 

逆に、オリンピックで計22個ものメダルを獲得する偉業を成し遂げたマイケルフェルプス選手(競泳)は、3回もオリンピックにでて何個もの金メダルをとりながら、ようやく最後(リオ五輪)で心から納得できてもう悔いはない、と言った選手もいます。

 

日本は競争や比較の意識が強い国です。

 

でも、それがオリンピックの決勝だろうが、フルマラソンだろうが、3キロランだろうが、中学生バレー大会だろうが、「負けて」悔しかったけど清々しい顔をしている人もいます。

 

もちろん、勝負はつきますが、本人の中では勝ちだったのでしょう。

 

負けたのは確かに悔しい。でも一生懸命やった。だから、悔いはない。

 

本人は納得して、晴れ晴れしています。

 

一番悔しいのは「スタートライン」に立つことさえもやめてしまった人です。

 

 

誰かの意見や他人の指標で自分の可能性や結果を判断させてはいけません。

 

自分さえ納得すればいいのです。

インドの字が読めない層にデザインした携帯電話は売れたか・売れなかったか?

バングラデシュの友人と一緒にダッカの博物館に行った時のことです。

バングラデシュ人の友人に聞きました。

「トイレ行かないの?」

ここで行っておかないと、今度はいつ行けるか分からないから位の軽い意味でした。

「わたしは大丈夫。バングラデシュの女性は8時間くらいトイレに行かなくても大丈夫なように訓練されているから」

「???」

「バングラデシュではね、トイレが整備されてないのよ。だからバスに乗って地方に行く時などは、水もなるべく飲まないようにするの」

えっ??!!!この、暑い中で??!!

多少なりとも途上国のことを知っていると思っていた私でしたが、ワタシ何も知りませんでした。。。

ましてや出張で5週間もバングラデシュに滞在した後の出来事です。

その時滞在していたバングラデシュ軍の研修施設には女性用のトイレは一つしかありませんでしたが、女性用トイレは存在しました。

表面的に見えること、見えないことは何で、なんでそうなっているのか?その国にいても「ただいる」だけでは気づかないことはたくさんあります。

その件以来、わたしのバングラデシュを見る視点は変わってしまいました。「ここにはトイレはありますか?」「女性はどうしているんですか?」その答えにまたびっくりしました。

意識的に「観察」し始めると、同じ国にいてもまったく見えてくるものが変わります。

ノキアがインドの字が読めない層をターゲットに携帯電話をデザインしたものの、当事者たちは字が読めない人というレッテルを貼られるが嫌で、他の人と同じように扱われたかったので結局その製品は売れなかったそうです。

しかも、同じ商品でもそれぞれの国で「意味」が違うこともある。「実際にその国でその商品はどう使われていて、どんな意味を持つのか?を理解するのが大切」と世界的なデザインリサーチャー、Jan Chipchase(ヤン・チップチェイス)は言ってます。

ソーシャルビジネス、Technology for the other 99など、ビジネスと社会的課題の解決が融合していく中で、途上国で暮らしている人たちが日々直面している課題はいったい何なのか???

この問いに対する深い洞察がますます重要になっていると感じています。