才能は能力じゃないー才能の語源(talent,gift)が意味する本当に大切なこと

前回、Studying (勉強)と、Learning? (学び)という意味がまったく違うということ、ビジネスパーソンにとっては、学び(発見、知恵)こそが大切だとお伝えしました。

「学び」には新しい発見があります。新しいことを知る喜びがあります。

やはり、人間の中には、成長したい、知りたい、出来るようになりたい、という根源的な欲求があるのだと思います。

人間の持つ根源的な欲求の一つは、自分の適性、性格、才能、強みを知りたい、ということだと言えます。

このご時世の中、生活をしていくだけで、生計をたてるだけで精一杯なのに、「自分の適性や才能を知りたい」なんて贅沢だと思う方もいるかも知れませんが、もしそうだとしたら、才能の意味についての誤解があるからだと思います。

才能と言うと、なにか最初から誰の目にもわかるくらいに秀でている能力といったイメージを持っている人が多いかも知れませんが、才能の語源は、古代ギリシャでタラント(talant)、英語でいうとtalentやgiftです。

タラントという言葉は元々、ギリシャ語で金・銀の重さを示す単位でした。その単位が、一生涯分の賃金に相当する金・銀に値する量であったことから、その人の性格や資質、技量、人生の役割など全てを含めてすべてを活用していくことによって一生の糧を十分に得ることができるように、と「その人にすでに分け与えられている資源」という意味も表しました。

「ギフト」という単語は、神から授けられた贈り物というニュアンスがあります。

つまり、ここから分かることは、才能とは能力だけを指すのではなくより全体的なものであること、誰にでもすでに貴重な資源である才能が分け与えられていること、それは人や社会のために役立つために授けられているものである、ということです。

こうした視点から見てみると、究極的な学びとは、自分がまだ気づいていない才能や強み、資質(性格)、人生の方向性を発見していくこととも言えるかも知れません。その意味で、仕事とは、人とのかかわりや具体的な職務やさまざまな体験を通じてそうした発見や確認を積み重ねていく「場」と言えるかも知れません。

人は一人では自分を知ることができませんし、他者の存在とそうした場があることで発揮される能力というのもあるからです。

また、時には難しいと感じる仕事を通じて自分の中から引き出される能力もあります。私自身も、南スーダンといったチャレンジのある国での職務を通じてこれまではわからなかったような力が引き出されたのを体験しました。

もちろん、仕事は楽しいことばかりではないですし、最初から自分のやりたいことができるというのも稀だと思います。

そんな時には、ぜひ「この仕事を通じて自分について新しく発見したことはなんだろう?」と問いかけてみてください。意外なことで人から褒められることで、自分はこんなことが向いているかもと新しい発見があるかも知れません。

逆にやる気が削がれることを体験しているとしたら、それだけで終わらずに「自分がやる気になる時はどういう時だろう」、「自分がほんとうに望む仕事はなんだろう」と問いかけてみてください。

いつも上手くいっていることが「成功」ではなく、日々発見や学びがあり、自分が自分について知り、成長している人に成功がついてこない訳はありません。

どんな状況であれ、学びの視点があれば、自分についての発見や成長のための視点を得ることができると思います。

勉強と学びは違うものー私たちは神に似せてつくられたので成長したい、良い働きをしたい

2018年、リクルートワークス研究所発行の「どうすれば人は学ぶのか ―『 社 会 人 の 学 び』を解析する ―」という報告書があります。

 

一年間の授業が終わって、教える立場で学びについて振り返っているのもあって、そのヒントのための資料としてシェアしたいと思います。

 

「どうすれば人は学ぶのか ―「 社 会 人 の 学 び 」を 解 析 す る ―」の全国就業実態パネル調査 2018( 有効回収数 50,677サンプル )によって一つ明らかになった点は、社会人になっても学びの習慣を持っている人は約16.7%ほどで、それ以外の人たちは、「時間がない」、または「忙しいから」という理由よりは、何を学んでいいのか、どうやって学んでいいのかがわからないから、という理由によって学びがあまり促進されていないということでした。

 

多くの人が、何を学んでいいのか、どうやって学んでいいのかがわからないから回答した、とありますが、日本では、「勉強」と「学び」が混合されている面があるように思います。

 

日本語だと分かりにくいのですが、それぞれ英語にして類語を書き出してみるともう少し違いが明らかになると思うので、いくつか書き出して見たいと思います。

 

まずは、勉強(study)です。

Knowledge,

information,

course

examination

exercise

inquiry

inspection

investigation

research

review

subject

survey

analyzing

cramming

lesson

memorizing

 

記憶する、調査する、課題、詰め込む、というようなニュアンスです。

 

他方、「学び」です。

 

Advancement

Research

Literature,

Intellect,

Education,

Culture,

Enlightenment,

Illumination,

Insight,

Understanding,

Wisdom

Cultivation

 

知恵(wisdom)、洞察(insight)、文化(culture)、耕す(cultivate)といった言葉が並びます。文化(culture)と耕す(cultivate)は、同じラテン語を語源としていて、文字取り耕す、文化的なものを育てるというニュアンスです。

 

 

勉強では知識や記憶記、課題といった単線のタスクですが、学びは、敢えて表現するならば球体的で重層的な成長の営みでしょうか。

 

ですので、学びというのは科目と勉強したり、資格をとったりすることとイコールではありません。

 

「私たちは神に似せて」つくられたので、私たちの中には「成長したい」「良い行い」を行いたいという強い欲求が埋め込まれています。

 

「良い行い」とは世間的に評価される立派な行い、という意味ではなく、神に似せてつくられたとあるように、本来つくられた姿に戻りたい、そのようになりたい、という、しゃけが川を一生懸命に泳いで上がってくるようなものだと思います。

 

ですから、学びとは、自分の仕事、日々の生活の中で人に愛を示すことができたり、親切にすることができたり、一見退屈そうな仕事に自分にとっての成長の意義を見つけることができたり、これまでできなかったことができるようになったり、人を助け導くことができるようになったりと、自分が成長をしていることが感じられる、「資格」や「勉強」よりも、より大きい捉え方だと思います。

 

ですから、勉強が得意ではなかった、好きではなかったからといって、新しいことを学んだり、自分が成長することをやめないでください。これは全く違うものです。

 

自分はどこに向かっているのか、

 

自分が成長しているかどうかを定期的に振り返る習慣が持てるとさらにいいと思います。

 

 

verse 2

 

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」ピリピ2:13

2万人の幸せにかんする調査結果が発表!ー所得や学歴より⭕️⭕️が幸福度を上げる

国連は2018年3月14日、最新の「世界幸福度報告書2018」を発表しました。

 

幸福度ランキングの第1位はフィンランド、最下位はブルンジで、日本は54位で、昨年の51位から後退しました。

 

同報告書は、国連の「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)」がまとめたもので、156カ国を対象に、1人当たり国内総生産(GDP)、社会支援、健康余命、社会の自由度と寛大さ、汚職の頻度などについて分析し、一位にあげられたフィンランド人は暗く厳しい冬にもかかわらず、自然、安全、児童の保育、良い学校へのアクセスの良さと、ヘルスケアが無料であることなどが高い評価となりました。

 

経済大国3位の日本がなぜ幸福度ランキングでは54位なのか?という問いに関してはいずれ取り上げたいと思いますが、

 

今回フォーカスしたいのは、ここでの幸せを指標化する要因としてあげられている幸せにかんする公式な指標は何か?という点です。

 

所得?

学歴?

健康?

人間関係?

 

ほかには何でしょうか?

 

神戸大学の西村和雄特命教授と同志社大学の八木匡教授による国内2万人に対する幸福にかんするアンケート調査の結果があります。

 

この研究は、オックスフォード式の心理的幸福感を測る質問を用いて、所得、学歴、自己決定、健康、人間関係の5つについて幸福感と相関するかについて分析を行いました。

 

この、2018年8月31日に発表された研究によると、

http://www.kobe-u.ac.jp/research_at_kobe/NEWS/news/2018_08_30_01.html

 

一番にあげられたのは、(1位)健康、次に(2位)人間関係でした。

 

そして、個人的に面白いと思ったのは、3位には、所得よりも学歴でもなく「自己決定」挙げられたことでした。

 

自己決定とは「自分で決めること」です。

 

一般的には所得が多いとより幸せになると思われがちですが、所得よりも「自分で決めること」の方が、幸福度への影響は強いという調査結果が明らかにされたのです。

 

自己決定度を評価するにあたっては、「中学から高校への進学」、「高校から大学への進学」、「初めての就職」について、自分の意思で進学する大学や就職する企業を決めたか否かを尋ね、幸福感に対して「自己決定」が強い影響を与えることが分かりました。

 

その結果に対して、この研究は、「自己決定によって進路を決定した者は、自らの判断で努力することで目的を達成する可能性が高くなり、また、成果に対しても責任と誇りを持ちやすくなることから、達成感や自尊心により幸福感が高まることにつながっていると考えられるため」と結論付けています。

 

コーチングを通じて接する方との体験を通しても、自分で決めると納得感があり、自分で決めたので多少の困難があっても、ふんばれるということ、そして、自分で決められるかどうかは、長い人生の質に大きな「差」がでるだろうと感じます。

 

ま逆に自分で決めないと、誰かのせいにしたくなる気持ちがでてきて、目の前の状況や自分の人生に対してどこかで他人まかせにすることがあるようにも思います。

 

これが幸福についての調査から、統計的にも、実証的に証明された形となりました。

 

日本は世界的にも「人生の選択の自由」の値が低い=自分で決めていない人が多いとされ、それが幸福度を下げていること、そして、そういう社会でこそ、自分で決められる人、つまり、「自己決定度」の高い人が、幸福度が高いとされるという結論は、改めて注目に値します。

 

 

参考資料:神戸調査ー大学所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる 2万人を調査

 

なぜ社会人の学びが大学卒業時のままでストップしてしまうのか?何を学ぶべきかわかっていないから

2018年、リクルートワークス研究所発行の「どうすれば人は学ぶのか ―『 社 会 人 の 学 び』を解析する ―」という報告書があります。

 

なかなかショッキングな結果が発表されています。

 

① 時間ができても 人は学ばない

 

なぜ学ばないか?忙しいから。時間がないから。。。。

 

もちろん、長時間労働を余儀なくされていて、あまりに時間の余裕がなければ、自己学習を する余裕はないでしょう。

 

しかし、労働時間が減れば、人は積極的 に学ぶのか?と言うと、一 年前と比べた週の労働時間の変化を「大きく減少( 時間以 上減少)」から「大きく増加( 時間以上 増加)」まで、段階的にいくつかのグルー プにわけて、自己学習を始めた割合を比 較してみたところ、週の労働時間の増減と自己学習を始める割合には 明らかな関係性はみられないことが明らかになりました。

 

労働時間 が減っても自己学習を始める人が増えるわけではない、ということでした。

 

 

②学ばない理由は、何を学ぶべきかわからないから

 

さらに、「どうすれば人は学ぶのか ―「 社 会 人 の 学 び 」を 解 析 す る ―」の全国就業実態パネル調査 2018( 有効回収数 50,677サンプル )は、「時間がない」とか「忙しいから」は学ばない理由ではなく、「何を学ぶべきかわかっていない」ことが一番の理由である、とも言っています。

 

③学びの習慣がある人は12.6%しかいない

 

さらに分かったのは、「仕事上わからな いことがあるとき、すぐに学び行動をとる、たいていそうすると答えた人は、12.6%でした。

 

 

学びの習慣を持っていない83.3%の人は、何を学んでいいのか、どうやって学んでいいか、わからない傾向があるとのことです。

 

 

さらに同報告書は、「日本の雇用システムは、特段、学ばなくても定年まで企業にい続けることができ、給料も年齢に応じ一定レベルで増加するため、学び 続けるためのインセンティブが弱い」と指摘しています。

 

 

また、退職経験のない人は同 2 回の人と比較して、学びの習慣を持っている確率が 4.0%低いとされ、転職経験が3回以上ある人と同2回の人を比べ ると前者のほうが 4.3%高く、転職を通じて、新しいスキルを身につけたり、新しい環境に対応するた めに学びが促進されることが示唆されています。学びの習慣のある人ほど転職しやすい という逆の因果関係も指摘されています。

 

そして、改めて読むとショックだったのは、大学(または高校)卒業時のままで、学びが止まってしまう可能性もあるということでした。

 

もちろん、会社に入り、毎日仕事をすれば、まったく学ばないということはあり得ないと思います。

 

そして、個人主義だけというのも日本人には合わないと思うので、終身雇用制による安心感と安定感のメリットも、非常に大きいと思います。

 

ただ、これが転職サービスを扱っているリクルートの研究所による報告書であるということを加味しても、気になる結果です。

 

ただ、学びというのは科目と勉強したり、資格をとったりすることとイコールではありません。

 

学びには、自分の仕事、やっていることに、日々の生活の中に意義を見つけることができたり、これまでできなかったことができるようになったり、自分が成長をしていることが感じられることも含む「資格」や「勉強」よりも、もっと大きい考え方だと思います。

 

ですから、学生時代に学びの方法や習慣を習得できたら大きな財産になるでしょうが、「勉強」と「学び」とはまったく違うものなので、逆に社会人になって目覚める人もいると思います。

 

自分はどこに向かっているのか、

 

自分が成長しているかどうかを定期的に振り返る習慣が持てるとさらにいいのではないかなと思います。

 

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」ピリピ2:13

 

verse 2

 

いい混乱をすると頭がよくなる ー日本人に必要なのは「考える力」じゃなくて「答えがない状態」に慣れること❗️

 

混乱と聞くとどういうイメージでしょうか?

 

日本で教育を受けた私たちにとって「混乱」は、失敗と同じくらい避けるべきものだ、とされているようです。

 

ただ、いい混乱というものがあります。

 

 

 

自分の中の考えの幅が広がって、新しい発想が浮かぶとき、私たちの脳は一度混乱するからです。

 

 

それは、今までにないような考え方ややり方、価値観に触れたときに体験する頭の混乱です。

 

これまでの自分の中の常識や前提がくつがえされるような感じがするからです。

 

脳の中で今までとは違う回路(シノプシス)が刺激されている状態です。

 

今までとは、違う回線を通じた感覚なので心地が悪いのです。

 

例えるならば脳の回線が新しいOSに転換しているような状態です。

 

 

ただ、これまでの自分の中の常識や前提がいったんくつがえされるということは、思考の幅が広がるという意味でもあります。

 

 

まったく新しい考え方に触れるとき、または、まったく新しいレベルでの知識や世界観に触れるときに、私たちはこのような体験をします。

 

 

例えば、旧ソ連圏の国カザフスタンに初めて赴任した時、私はしばらく脳の中が落ち着かない感覚を感じていました。

 

 

カザフスタンに赴任した最初の数週間には、挨拶とその国を理解するために、旧ソ連時代に教職や要職に就いていた人たちに会いました。

 

 

私の中では、統制社会で表現の自由も職業の選択も限られていたソ連時代から自由になってよかっただろうと単純に思っていましたが、ソ連時代はよかったと言う人たちがけっこう多いことに最初はびっくりしました。

 

しばらく経ってから、それが不自由でも、一度慣れた秩序や安定の方が人は楽だと感じるのだろうなと理解しましたが、ソ連(共産圏)というこれまで歴史の教科書の中でしか聞いたことのなかった制度とそこで生きてきた人たちのメンタリティーに実際に触れた瞬間でした。

 

 

国連で勤務を始めた最初の数ヶ月間は、イスラム圏出身やアフリカ出身の同僚、警察官の同僚など、それまでの私の人生の体験の中であまり触れたことのない人たちと一緒に働くことになり、打ち合わせの仕方など一つとっても慣れないことが続きました。

 

難しい課題に対する答えや新しい発想を求める時、私たちはこのような「落ち着かない」状態を通ります。

 

 

少し居心地は悪いかも知れませんが、こうした体験をつうじて、文字通り経験と思考の幅が広がっているのです。

 

 

 

日本人は考えるのが苦手だと言われますが、私はそうは思いません。

 

 

考える力が苦手というよりも、答えがでる前のこのような途中の状態に耐えるのが苦手なのだと思います。

 

それは暗記や答えありきの問題を解くのが勉強だとされてきたこと、そして、電車は1分も遅れることなく到着し、注文すればなんでもすぐにでてくる世界一の便利な環境とも関係していると思います。

 

それ自体はとても有り難い感謝すべきことですが、「耐性」という点からすると私たちの能力を甘えさせている面があります。

 

自分にとって新しい課題に対して自分の答えを出そうとする時、混乱を感じることがあります。

 

 

でも、そのような混乱はけっして悪いことではないのです。

 

そして、答えのない状態も悪いわけではないのです。

 

 

大人になってから体験する問題というのはすぐに答えがでないものばかりです。

 

 

これは人間関係でも同じです。

 

同じ日本人だから理解し合えるだろう、という訳でもありません。

 

 

だからこそ、自分とは違う考え方に耳を傾けてみようと思います。

 

 

そして、自分の中の考えの幅が広がります。

 

 

新しい発想が浮かぶ前に、脳は一度こうした状態を通るのです。

 

 

頭が落ち着かない感じがしても、新しい発想が浮かぶ前の状態だと思って楽しんでみてください。

 

 

社会人になったら本を最初から読まなくていいーぜったいに外してはいけないポイントを先に見極めること

社会人になったら本を最初から読む必要はありません。

 

自分に必要な一文、または自分が伝えたい仮説の根拠やデータを探すためにページをめくります。

 

それを学んだのは、オックスフォード大大学院でのチュートリアルでした。

 

チュートリアルとは、教授と学生が1対1、もしくは1対2で対話をしながら学んでいく個人指導でした。

 

アメリカの大学が授業でのディスカッションへの参加と毎週出される課題を中心に進んで行くのに対し、オックスフォードではこのチュートリアルこそが日々の学びのメインであって、講義の数自体もそんなに多くなく、講義はチュートリアルを補完するものとしての位置付けでした。

 

学生は、チュートリアルの前に資料(文献)を読み、そのテーマについてどんなことが言われていて、何が大切だとされているかについてまとめ、小論文という形で課題の質問に答えます。

 

文献の量は、1週間で20冊~50冊位のリストが渡されます。

 

オックスフォードでは、この作業を一年で、一学期8週間×3学期=計24回を繰り返します。

 

それだけ聞くと、さすが頭がいい人は読むのが早いんだろう、それだけできるんだ、と思われるかも知れません。ここでお伝えしたいのは、そういうことではなく、ここで学んだことは、「必要なところだけ」を読むという読み方でした。

 

本を最初から最後まできちんと読むということはほとんどありませんでした。単純に間に合わないからです。

 

ですので、自分が知る必要があることは何か?と先に決めて、目次を読んで、あたりをつけてそこから読みます。

 

それがなんとなく分かったら次の本を手に取ります。

そして同じことを繰り返して、仮説を検証していくのです。

 

私が入学したばかりの頃は、1冊目の本にかなり時間をかけていました。

しかし、単純にそれでは間に合いません。

一冊に時間をかけ過ぎていることに気づきました。

読み方を変える必要があったのです。

 

 

最近、「考える力」に教えて欲しいと言われたので、考える力について書かれている本をまとめて15冊くらいはざっと目を通しました。

 

思考法、クリティカルシンキング、質問する力、などのタイトルでした。

 

その中の数冊はパラパラ開いて1分でおしまいになりました。

その中の数冊は一冊につき、30分くらいかけて目を通しました。(付箋が3つくらいついてメモしました)

その中の2冊はジムでバイクで6キロ走りながら30分で読みました。

ある一冊は、数時間かけてじっくり楽しみんがら読みました。

 

もちろん、カフェで本を片手にのんびりしたいという時に読む本もありますし、寝る前に読む本というものもあって、こちらは読むと精神が落ち着くような一日一章じっくり味わって読むようなものです。

 

ここでお話ししているのは、限られた時間内になんらかのアプトプットをしないといけない場合のことです。

 

これは、社会人の仕事のやり方にそのまま当てはまります。

 

大量の仕事が目の前にあるときに、これを真面目に最初から最後まで「ちゃんとやりたい」と思ったら終わりません。

 

残業が続いて、自分をすり減らすことになってしまいます。

 

これを終わらせるために、ぜったいに外してはいけないポイントは何か?を先に見極めることが大切です。

 

そして、それに自分しかできない付加価値を加えられるとしたらなにか?自分にしか言えないこと、自分にしかできないことは何か?ー自分に問い続けることです。