「やめてよ」と言える子はいじめられない!パラハラは人間関係のやり直し

最近、パワハラの相談が増えています。

 

厚生労働省が2016年に行った「職場のパワーハラスメントに関する実態調査」によると、過去3年間でパワハラを受けたり、見た・相談を受けたという人は、およそ3人に1人となっており、前回の平成24年調査から大きく上昇しています。

 

労働相談に寄せられる相談では2番目の「解雇」を超えて、4年間連続でパワーハラスメントが一番に挙がっています。

 

どの程度を「パワハラ」というのか、最近の子は打たれ弱いんじゃないか?という疑問を持たれる方もいるかもしれません。

 

私が相談を受ける中で感じるのは、確かにそういう面もあるかも知れないけれども、

 

社会や国全体がこれまでのやり方や価値観を抜け出せない中で、社会の「ひずみ」がそのまま会社や組織に反映され、中間管理職による「パラハラ」という形で現れているんじゃないか、と感じます。

 

じゃあ、パワハラって何がほんとうの課題なの?と考えていたら、姪っ子のお迎え先でみつけた本でこんなくだりを見つけました。

 

「『やめてよ』と言える子はいじめられない」

 

なるほど〜。

 

子育てについての本ですが、そのまま大人に当てはまるな、と思いました!

 

私たちが本能的に気づいているように、大人になってもにんげんの基本的な行動心理やパターンは変わりません。

 

にんげんは、二人以上揃えば、どっちが「上」か判断しようとしますし、序列をつくりたがります(特に男性)。

 

「いじめっこ」は弱そうな人を探します。

オドオドしてる子、自信のない感じの人、ビビる子を敏感に感じとります。

 

彼ら(いじめっこ)は、自分の「支配下」に置ける自分よりも弱い人を見つけることで、自分の「パワー」を確認したいのです。

 

私は、国連という組織で、または軍隊という組織で、または、紛争地で、国籍や人種とわずまったく同じような力学をあちこちで見てきました。

 

実は、「いじめっこ」やDVの「加害者」は、気が弱いタイプであったり、劣等感やコンプレックスを抱えていることが多いのですが、大人になると、そこに役職や契約の更新等がからみ、時に相手がもっともらしいい理屈を述べてくるのがやっかいなところです。

 

そして、会社でもみんなパワハラが起こっているのを知っていても、何をしていいかわからない、というか、声をあげたり、誰かに何かを言うような勇気もないのも残念ながら実情です。

 

派遣社員の方から、周りの人がなにもしてくれなかったことがさらにショックだった、という相談を受けたことがありますが、そういうケースが実際にあるのも残念ながら事実です。

 

そして、職場全体のモラルやモーチベーションがさらに下がるという悪循環を起こしています。

 

日本人の和を重んじる面は素晴らしい点だと思いますが、私たちはそうした時に集団ででも声をあげていくことも学ぶ必要があると思います。

 

さて、もうこんな職場辞めたい!と思うことと思います。

 

自分の健康を害してまで続ける価値のある仕事など存在しませんし、なにより、そんな仕打ちを受ける必要もありません。

 

ただ、もし一言お伝えできることがあるとしたら、仮に辞めるとしても、自分の次への成長のために「もうひとふんばり」して欲しいと思います。

 

それは、我慢するのではなく、むしろ逆で、

心の中で思い切り!「やめてください!!!」と言うことです。

おそらく、実際の心の声は、そんな礼儀正しい言い方ではなく、

ふざけんじゃねー!!!

私に指一本ふれるんじゃねー!!!

みたいな雰囲気でしょうか。

 

もちろん、職場には役職や上下関係が存在します。

 

でも、私たちにはにんげんとしての尊厳があり、人格を持つ存在としてはみんな平等です。

 

そのような仕打ちや扱いを自分に受けさせることはない!のですから、そのようにはっきりと相手に(心の中でいいので)言うことです。

 

 

不思議とこっちが腹をくくり、こちらの態度がぶれなくなると、相手の態度が変わることがあります。

 

そして「辞める前」にぜひ一回ご相談ください。

 

その上司との関係やその職場での体験が自分の中で「嫌な状態」のまま「未完了」終わると、その体験がトラウマとなって、自分では気付かなくても無意識に仕事を制限したり、やる気や集中力がなくなったりと、メンタルに影響することがあります。

 

その上司との関係や今の職場の状況について心の整理をしておくことと、次の転職や次の仕事をみつけるのがよりスムーズになります。

 

さらに言うと、その体験をきっかけに逆に人生が上向く人さえいます。

 

そんな時ほど、人間は自分のことや自分のコミュニケーションスタイルについて振り返らずをえなくなるからです。

 

パワハラをただのパワハラで終わらせたくない人へ!

 

人生には波があります。

波のてっぺんにいる時を人は成功と呼びます。

波の下がっている時にいる時のことを、人は挫折と呼びます。

 

でも、波は常に動いていて次の波が来ます。

 

下がったと思っても、方向が上向いていればいいのです。

次の波がまた先に連れていってくれるからです。

 

私はメンターの先生にこう言われたことがあります。

 

「波のてっぺんにいる時も波の底にいる時も違いはないのよ。

ただ、目の前に学ぶことがあるだけ」、と。

 

多くの人は(私も含めて)波の底にいる時にこそ謙虚に学ぼうとします。

 

なんでも物事が上手くいっている時に人は他の人に耳を傾けないからです。

 

自分の思うようにならないからこそ、理不尽なことがあって初めて自分はどうしたい?

と考えるようになるからです。

 

また、仮に職場が変わってもなぜか同じような課題に直面することがあるからです。

 

「辞める前」にぜひ一回ご相談ください。

 

もし、勇気がほしい、
そのために誰かにサポートして
ほしいと思うのなら、ぜひご連絡ください。

ご相談受け付けています。

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上司に相談12.7%、12.9%の人が会社を退職ー多くは仕事の悩みを安心して相談できる相手がいない という実情

Peace Blossomのコーチングサービスが取り上げられています。

http://jimococo.mag2.com/pr_feed/海外でトレーニングを受けた元国連職員が燃え尽

http://getnews.jp/archives/1837896

 

燃え尽き症候群やパワーハラスメントの相談件数が年々増えています。

 

厚生労働省が平成28年に行った「職場のパワーハラスメントに関する実態調査」によると、

 

過去3年間でパワーハラスメントを受けたり、見た・相談を受けたという人は、およそ3人に1人となっており、前回の平成24年調査から大きく上昇しています。

 

このように、燃え尽き症候群やパワーハラスメントは誰にも起こりうることです。

 

同時にパワーハラスメントを受けた人で、上司や社内の相談窓口に相談した人は12.7%にとどまり、家族や社外の友人に相談した人が20.3%と一番多く、12.9%の人が「会社を退職した」と回答しています。

 

この調査結果からも伺えるように、働いている人の多くは仕事の悩みを安心して相談できる相手がいない という実情があります。

 

自身が紛争地での勤務を経て燃え尽き症候群になり、トラウマと感情を解放するメソッドを習い回復した体験から、似たような体験をされた方のサポートをしたいと思いコーチングを行っています。

 

 

《代表 大仲千華プロフィール》

 

国連ニューヨーク本部、南スーダン、東ティモール等で現地国政府の人材育成や元兵士の社会復帰支援に約10年従事。紛争国の現場でリーダーシップや仲裁について研鑽を積む。米軍の専門家として、世界的な研修プログラムにおいて唯一の日本人女性として講師を務める。

 

帰国後、燃え尽き症候群とPTSD(二次的外傷性ストレス)になり、海外でトレーニングを受け トラウマと感情を解放するメソッドを習い回復。

同じ頃、似たような体験を持つ人たちから相談を受けるようになる。

医師、医療従事者、国連職員、ビジネスパーソン、政府機関職員、地方公務員、NGO職員、通訳、カウンセラー、ソーシャルワーカー、クリエーター、学生などから支持を得ている。

 

新オープン・リニューアル日

2017年7月21日(金)URL

https://peraichi.com/landing_pages/view/krgi1

問い合わせ先 メールアドレスinfo@peaceblossom.net

沖縄西表島での新プログラム始めました!

沖縄には、人がその人本来の姿でない状態を表わすのに「魂が抜けている」と言うことがあります。

 

人間は、その人の自然な想いや本当の気持ちに繋がるとき、その人本来の力と輝きを取り戻します。

 

自分の人生について改めて考えたい、前に進みたいという時に、普段の環境と切り離されることはとても役に立ちます。

 

普段無意識に感じている「こうでなければならない」という囚われや集合意識、過去の経験から物理的に離れることができるからです。

 

この特別プログラムでは、世界の中でも自然がピュアで、生命エネルギーが高い形で残る沖縄の西表島へ行きます。

 

沖縄・西表島の太陽エネルギーと生きる力に満ちた大自然のエネルギーは、まさにエネルギーは「湧き上がり」、「循環」するものだということを思い出させてくれます。

 

西表島の海や自然に浸る中で、要らないものが浄化され、自然と本来の自分の想いと力とつながる機会があります。

 

ゆったりとしたスケジュールを組みますので、自然の中で自分の本当の気持ちとつながるセッションをしたり、世界有数の透明度を誇る西表島で海に入ったり、シュノーケリングをしたり、海と夕日の見えるテラスでのんびりすることも自由です。

 

いつも忙しいあなたに、ゆっくりと充電をさせてあげてください。自分のこころと身体、魂を十分に満たしてあげてください。

 

詳しい内容や日程は、お一人お一人のニーズやご希望や予算を聞きながら決めていきます。

お気軽にご相談・お問い合わせください!

 

料金:15万円

 

*2泊3日間のリトリート、コーチの航空券と宿泊、石垣島ー西表島間の船代、手配、コーディネート代を含みます。
*航空券(3万円位〜)と宿泊費は実費です。
*お部屋から海のみえるビラを手配・ご紹介いたします。

*海へはお部屋から徒歩3分です。手付かずのプライベートビーチです。
*奥西表島でのシュノーケリング手配します。

*石垣空港集合。空港までお迎えに参ります。

 

神へ三日間踊りと歌をささげる小浜島にルーツを持ち3歳の時から通った大仲千華のオススメ特別プログラムです!

 

記事⇨ 小浜島のおばあの生きる知恵

 

info(あっと)peaceblossom.netまでお気軽にご相談・お問い合わせください。

 

オックスフォードで学んだ「一流」とは悔しい思いをたくさんした人ーみんな何者かになりたくて悩みもがく日々

「考える力」という視点から最近、オックスフォードで勉強してきたことを書いています。

 

オックスフォードで勉強したのは、私にとってはもう随分と前のことですが、改めて書いてみると、「一流」ってどういうことなのか?何がどう一流なのか?

 

それをどう日常的なことに応用できるのか?という視点で振り返るいい機会になっています。

 

今日のテーマは、何が「一流」を「一流」にたらしめているのか?です。

 

オックスフォードやハーバードと聞くと、どんなイメージでしょうか?

 

きっとみんな自信満々の天才なんだろう、と思いますか?

 

頭脳明晰で自信に満ち溢れた人たちを想像するかも知れません。

 

でも、私の知っている等身大のオックスフォード大の学生たちはそうではありませんでした。

 

 

むしろ、私も含め、みんな何者かになりたくて悩み、もがいていました。

 

そして、自分の能力の限界や無力感に打ちひしがれていました。

 

なぜなら、できる人たちが一杯いるからです。

 

ちょっと努力しただけではとてもかないそうもないことをすぐに発見するからです。

 

 

これまでの環境では、自分はある程度できる人だったかも知れないけれども、オックスフォードに入ったらそれは当たり前になります。

 

そして、自分にはできないことを簡単にやってしまう人たちがいるのをまさに目の当たりにします。

 

入学してまず私がびっくりしたのは、クラスメートの経験でした。

 

 

私が学んだ人類学部は、学問の内容から旧植民地出身の人たちが多く、オックスフォードのなかでも特に多様性の高い学部の1つでした。

 

2015年度の留学生の出身国は約140ヵ国・地域にものぼり、大学院では62%を留学生が占めています。

 

クラスメートの出身国はフランス、アメリカ、エジプト、トルコ、南アフリカ、ジンバブエ、マリ、パキスタン、インドなど本当に多種多様でした。

 

私がチュートリアルのペアを組んだ女性は、インド系3世の南アフリカ人でした。1994年にアパルトヘイトが終わって、ようやく英国で学ぶ機会を得たのだそうです。

 

当時はまだ、アパルトヘイトが終わって数年しか経っていない時期で、彼女は母国の現状を次のように話してくれました。

 

「マンデラ大統領は、黒人と白人の間で衝突が起きてもおかしくなった状況の中で国を一つにまとめるという偉業を成し遂げてくれた。ただ、私の国では人種の断絶や暴力の種がまだまだ大きいの。南アフリカの未来はこれからよ。」

 

 

パキスタン出身でジャーナリストの女性は、長年パキスタンの女性の地位について関わり、研究してきました。

 

オックスフォードでは、婚前交渉・婚外交渉を行った女性は家族全体に不名誉をもたらすという理由で、家族の名誉を守るために女性が殺される慣習(オナーキリング=honor killing)をテーマにしていました。

 

 

さすがに、奨学金をもらえないと留学できないという国から選ばれただけあって、みんな優秀で賢明なだけでなく、とても勇気のある人たちばかりでした。

 

日本ではほとんど聞いたことがなかったようなリアルな「世界」が、クラスメートの口から次から次へと語られることに私は圧倒されました。

 

 

そして、そんな彼らの姿に触れると、私はそんな問題に直面することもなくぬるま湯につかっ過ごしてきた世間知らずの日本人のようにさえ感じました。

 

 

そして、そんな彼らの姿に触れることで、「じゃあ、あなたは何をしたいの?」という常に問われているように感じたものでした。

 

こんな大きな問題に私ができることことなんていったいあるんだろうか???

 

民族紛争について研究したいと思っていたのに、彼女たちのように自信をもって答えられない自分がいました。

 

自分の能力の限界と同時に、無力感さえ感じたことは一度や二度ではありません。

 

オックスフォードやハーバードの学生と聞くと、頭脳明晰で自信に満ち溢れた姿を想像するかも知れません。

 

でも、人が自分の専門分野やなんらかのテーマを追求していく過程では、誰もがなんらかの形で自分の限界や無力感を感じるのではないかと思います。

 

ただ、今になって振り返ると、こうしたプロセスこそが、私が後に国連や米軍で働くために必要な土台をつくってくれたとわかるのです。

 

他の人にかなわないことを痛感してこそ、または、限界や無力感を感じるからこそ、自分にしかできない分野やテーマを探すようになるからです。

 

自分にできないことが分かって自分にできることを必死に求めるからです。

 

そして、自分の限界や無力感に触れると、「表面的な理由」や「にせものの理由」がはぎ落とされていきます。

 

「なぜあなたはそのテーマに興味があるのか?」「それでもあなたはやりたいのか?」と問われ続けても、イエス!と言えることだけが残るからです。

 

私は、オックスフォードといった一流が集う環境に身を置く一番の価値はまさにここにあると思っています。

 

本当に悔しかった。何度も泣きそうにもなった。

 

それでも、誰かに当時の体験を取り上げるよ、と言われたら私はきっと必死になって抵抗するでしょう。だって、そんな体験を通じて自分を発見し、自分を知るのだから。

 

一流とは一部の才能に恵まれた人ではありません。

 

一流とは、悔しい思いをたくさんした人なのです。

 

そういう意味では、自分の弱みも強みもわからない人というのは、ぬるま湯に浸かったままなのかも知れません。

 

 

そして、私はそんなオックスフォードでの一年間を経て、ある思いがさらに強くなっているのに気がつきました。

 

 

人類学という視点が民族紛争の解決に役に立つことは確信した。

では現場ではどんなことが議論されていてどう扱われているのだろうか?

南スーダンの部族について書かれた民族誌についてはたくさん読んだけれども、今現在南スーダンで起きていることが知りたい!

今の世界で起きていることに関わりたい!!!と。

 

 

一流との交わりは、自分の奥深くにある思いを揺さぶるのです。

 

 

その後、4年間も南スーダンで働くことになるとは全く想像もしてみなかったのでした。

「千と千尋の神隠し」のモデルの村に行ってきました❗️ー人間の弱さは神さまの強さ

先日、日本三大秘境のひとつに旅行をしてきたお話しをしました。

 

長野県の遠山郷、南アルプスに囲まれた標高1200mの地で日本のチロル(オーストリア)と呼ばれる下栗の里というところです。

 

高速道路を使っても、片道7時間かかりました。

 

さて、この地域は、宮崎駿監督が「千と千尋の神隠し」のインスピレーションを受けた地域だそうです。

 

霜月祭といって、日本中の神様を呼び出してお風呂に入れて元気にするというとても面白いお祭りがあるのです。

 

長野県南部の天竜川流域、南信濃村と天龍村に伝わる霜月祭(地域によっては違う名称で呼ばれる)というもので、宮崎駿監督はテレビでこの祭りの存在を知って強い影響を受けたのだそうです。

 

今は「かぐらの湯」として親しまれている温泉に私も行ってきました。

 

とてもお湯がよくて、お肌がツルツルになりました。

 

場所のエネルギーもとてもよくて、お湯に浸かった瞬間に疲れもふっとんで、これだけでも遠路はるばる来た甲斐があったと思いました。

 

さて、そのお祭りには、「神さまから湯を浴びて穢れを祓い、魂を清める」という儀式があるそうです。

 

冬を迎える前に無事に冬を越せること=「再生」を願う、という意味が含められています。

下栗⑤

 

 

その標高1200mの村は車があってもたどり着くのが難しい険しい山を登っていくところです。

 

少し前だったら、冬はまさに交通が遮断されたところだったのしょう。

 

 

だから、もっとも人間の力が弱くなるこの時期を、どうか無地に生きて冬を越せますように、と神々に祈ったというのです。

 

 

それを聞いて思いました。

 

人間にとって弱い時こそ、謙虚になれる時なのだ、と。

 

 

人間の弱さは神さまの強さなのだと。

 

もし、一人でなんでもできると思ったらそれは傲慢なことなのだ、と。

 

 

下栗①

 

下栗②.jpg

 

下栗④.jpg

 

そう、人間というのは自然のリズムと一緒に生きて来たのですよね。

 

秋には収穫し、豊穣を祝い、感謝して、冬に備える。

そして、冬は人間の活動もゆっくりになり、自らのエネルギーを蓄え、

そして春に活動を再開して、夏にはもっとも活動的になる。

 

 

人間にはそんなリズムがあるのですね。

 

 

都会に住んでいると、一年間をあたかも全速力で疾走するものだと思いがちですが、一年をもう少し自然のリズムと共に身体のペースを持てるといいなと思いました。

レストランや入った先でうん?と思ったらーいつも我慢しすぎだからこそその一言を言うチャンス

ランチやレストランで入った先での接客で、うん?と思ったことはありませんか?

 

こっちはお金を払う側なのに、なんで?

 

私もつい最近入ったところで、目の前のシェフとウェイターの人が「最近、ぜんぜん休みがないよなー」と文句と言い始め、ため息をつきながら準備を始めました。

 

ため息をつきながら作られるものは食べたくありません。

私たちが取り入れるのはそのエネルギーだからです。

 

うん?なんかおもかしいと思いました。

 

でも、言うのも面倒くさいなという考えも一瞬よぎりました。

 

でも、やっぱり、そんなものをお金を払って自分の体に入れるなんて理由はありません。

 

パスタがすでに茹で始められたのが目に入りましたが、出ることにしました。

 

ウェイターの方を呼んで、「ため息をつきながら作られるものは食べたくありません。ドリンク代は払うのでお会計をお願いします。」と言いました。

 

相手は少し驚いたように、私の顔をじーっとみました。

すぐ側にいた二人組みも私と二人の様子を見ていました。

 

私は例え、ドリンクはまだほとんど飲んでなかったけれども、それでもドリンク代を払ってでも、そんな空間に身を置きたくない、と思いました。

 

自分の体に取り入れるものの方が大切です。しかもそんな振る舞いやエネルギーを受ける必要はありません。

 

私にとってははっきりしていました。

 

そんな様子が伝わったのか、シェフが謝り、ドリンク代はけっこうです、ということになりました。

 

周りのお客さんは、「どうぜ、そんなものだ」と受け入れていたのでしょうか。

もし、そうだとしたら、自分も相手も甘やかしています。

なにより、自分を大切にしていません。

だって、そんな空間もサービスも振る舞いも受ける必要はないのです。

 

私はカザフスタンという旧共産圏で働いたことがありますが、ソ連から独立してまだ10年も経っていない時でしたので、まだサービスという概念もお店の種類もまだまだ限られていました。

 

私たちが住んでいるのは日本です。

私たちには選べる自由があります。

 

それはお金を大切にするということでもあります。

自分がお金と交換に受け取る価値に納得してその使い方に責任をとるということです。

そして、自分を大切にするということです。

 

もし、そんな体験をしたら、自分が自分を大切にする、ということを意思表示するチャンスをもらっています。

 

いつも我慢し過ぎ、または半分あきらめて「どうせそんなものだ」だと思っているのかも知れません。

 

だからこそ、声に出して「やっぱりやめます。」「帰ります。」「やっぱりけっこうです。」と言うのです。

 

不快だった感覚がその一言を口にした途端たった1分で快感になりました。

 

その一言で自分に力を取り戻します。

好きなことをやるのに自信はいらないーなぜ日本人は自信がないのか?

自信がないとはやっかいだ。

 

自信がないのがやっかいなのではなく、「自信がない」の本当の理由がわかっていないから。

 

「自信がない」とは不思議だ。

 

人が「自信がない」と言うと、科学的であたかももっともな理由のように聞こえるから。

 

「自信がない」現象はあまりにも漠然としていて、何をしたら自信がつくのか?本人もはっきりと分かってないから。

 

 

そういう私も3月末に突然霧がかかったように、前が見えなくなってしまって、さっぱり書けなくなってしまいました。

 

一文字も。。。。

ぜんぜん。

まったく

 

 

スランプ?という言葉が頭をよぎるものの、原因がよくわからない。。。

 

連載をしている先の編集者さんからは、「大仲さんの記事は安定的なアクセスがありますよ。どんどん書いてください」とも言っていただいたし、書くネタはたくさんあるはずなのに。

 

これはつらいです。

 

そんな状態が1ヶ月以上続いて、もうやだ!こんな状態抜け出したい!、と思った時に、ふとわかった気がしました。

 

「自分ってたいしたことないな」って認めるのが怖かったんだって。

 

なにか新しいことや新しい分野に挑戦しようとする時、私たちは無意識的にいろんな「シュミレーション」をします。

 

もしこうだったらどうしよう?

もしああだったらどうしよう?

 

という「もし~だったら」「もし~だったら」が何個もあります。

 

 

あるレベルにおいては、すでに次のステップややりたいことは先に見えているのに、それがモヤモヤとなって目の前に「きり」をかけてしまうのです。

 

でも、そんな時こそ大抵誰かと比べています。

 

というか、その分野の先駆者や成功者と比べています。

 

その人がどれだけ苦労や努力をしたのかも知らずに、

 

「私はあんな才能がない」と、

 

 

または

 

誰かと比較して、もし~だったらどうしよう?と足をすくめているのです。

 

 

日本人の選手の中にはせっかく銀メダルをとったのに、人によっては顔面蒼白に世界一の失敗者であるかのような顔をしている人がいます。

 

数年前なでしこジャパンがW杯で準優勝した時がそうでした。

 

ブラジル人はオリンピックに出るだけで、踊って大騒ぎしてお祝いします。それだけで町・村中あげてのヒーローでしょう。

 

逆に、オリンピックで計22個ものメダルを獲得する偉業を成し遂げたマイケルフェルプス選手(競泳)は、3回もオリンピックにでて何個もの金メダルをとりながら、ようやく最後(リオ五輪)で心から納得できてもう悔いはない、と言った選手もいます。

 

日本は競争や比較の意識が強い国です。

 

でも、それがオリンピックの決勝だろうが、フルマラソンだろうが、3キロランだろうが、中学生バレー大会だろうが、「負けて」悔しかったけど清々しい顔をしている人もいます。

 

もちろん、勝負はつきますが、本人の中では勝ちだったのでしょう。

 

負けたのは確かに悔しい。でも一生懸命やった。だから、悔いはない。

 

本人は納得して、晴れ晴れしています。

 

一番悔しいのは「スタートライン」に立つことさえもやめてしまった人です。

 

 

誰かの意見や他人の指標で自分の可能性や結果を判断させてはいけません。

 

自分さえ納得すればいいのです。