「自分が望んでいることを本当はもう知っていると気づきました。」 会社を辞めようと思っていた人がたったの数週間で体験した「そこに向かっているという充実感と自信」

わたしは国連職員と米軍のコンサルタントを経て、コーチングを仕事とするようになりました。

 

日本ではコーチングやカウンセリングを受けに来る人は、メンタルヘルスの問題があったり、なにか「問題ある人」のように思われるかもしれません。

 

でも、アメリカでは企業の幹部の人たちがコーチをつけ、自分の課題を整理したり、スピーチを練習したり、優先順位を確認したり、次のステップをみつけるための「伴走役」としてコーチをつけることは珍しくありません。

 

ニュヨーク時代の私の同僚の中には、自分の使命やミッションステートメントを作成するためにコーチをつけていた人がいましたし、現場に派遣されている国連職員でもストレスも仕事量も大きい環境の中で自分のやるべきことに集中できるように、とコーチをつけていた人もいました。

 

そして、コーチングやカウンセリングは、何かを「解決」するために受けるもの、と思われるかも知れませんが、コーチング(カウンセリングも含む)は短期的な「対処的」な方法だけでなく、より「根源的」な解決をサポートするという目的をもっています。

 

なにが「対処的」でなにが「根源的」かというと、前者は「問題解決」というベース。

 

問題を解決するというパラダイムにいるので、一つの問題があって解決ししてもすぐ次の問題がやってくるので常に忙しいが、何が本当の問題なのか、ということは問われない。

 

根源的というのは、なにが本当の問題なのかと見極めたり、自分で問題を解決していくための力をつけること。

 

この場合の問題を解決するための力とは、自分の状態(感情、気力、身体、モーチベーションなど)を把握し、よりよい状態に保てること、事実と自分の感情を区別できること、何が取り組むべき本当の課題なのかわかるようになること、そのための対処法を自分でみつけ実際に対処でき、その出来事から学ぶことができる、などです。

 

そして、問題を解決するにしろ、人生の方向が「上向き」になっています。

 

自分が本当に望むことも段々とわかるようになっていき、そこに向かっているという充実感や自信を静かにも感じています。

 

前者がいつも雑草とりに追われているようなイメージなのに比べて、後者は土を耕したり、種を植えたり、水をやったりというイメージ。目指すところは「自分というお花」が咲くことです。

 

そして、「何がやりたかったのかわかるようになった」ということが実際におこります。

 

会社を辞めようかと思っている、という方がいらっしゃいました。

 

あるプロジェクトに配置されたのだけど、担当部長は物の言い方も進め方も「強圧的」。

 

他のメンバーもけっしてチームを尊重するやり方でもなく、ある時には「いやがらせじゃないか」と捉えられてもおかしくないような言動もあったそうです。

 

しかも、会社は合併したばかり。

 

合併後は、なんでも紙で報告を求められたり、とくに理由もないのに残業を求めらたりと「旧態依然」とした旧B社の社風が浸透していきました。

 

それもあって、旧A社と旧B社のメンバーには目に見えない「バリア」が存在して、会社の雰囲気はギスギス。。。

 

そんな環境もあってさらにやる氣もそがれ、ついには原因不明の発疹さえできて、自分でも「おかしいな」と思いはじめたそうです。

 

最初の数回のセッションは、会社のそのような状況がいかに自分にとっていかにストレスで身体に負担をかけていたのかを受けとめ、そうした体験によるショックを解放していきました。

 

最初は身体にかなり「緊張」や「怒り」があるのが伝わってきましたが、感情も解放されていくにしたがって、どんどんと顔の表情も明るくなってきました。

 

自分の心や身体にどんな影響があったのかを受けとめ、自分の状態や心境を「理解」できていくと、症状が和らぐことは珍しくありません。

 

幸いに発疹も収まり、3回くらい集中的にセッションを終えた辺りから彼女の表情はまったく変わっていました。

 

肩に力が入っていたような緊張感がなくなり、印象がとてもソフトになりました。

 

そして、彼女はこんなことを伝えてくれました。

 

「今まで何を見てたんだろうと思いました。⭕️⭕️さんがなぜああ言う言い方をするのか、ただ理解して落ち着いて見れるようになりました。こちらの見方も変わったからか、不思議と相手の私に対する対応も変わりました。」

 

それまで会社を辞めようと思うほどのストレスの元だったものが変わってしまったのです。

 

しかもそれだけではありません。

 

今年の8月の夏休みをご両親の田舎のある山のなかで過ごされたとうですが、その時間がとても心地よかったそうです。

 

自然が要らないものをそぎ落としてくれたのか、ある気持ちが自然と湧いてきたそうです。

 

「自分が本当に望んでいることを本当はもう知っている」と。

 

「ずっと長年蓋をしていたこの気持ちをただ受けとめています。」

 

そう伝えてくれた彼女は、とても「すっきり」した顔をされていました。

 

より根源な部分をほんとうに自分が理解できると、無理やり自分にムチを打って自分を駆り立てなくても、ただ「理解」ができ、やるべきことや「解決策」が見え、身体も自然と動きやすくなります。

 

いつでもそんなことが起こるとは限りませんが、

 

「もう無理」「大変」と思ったことでも、その状況になんらかの変化が起こることは十分に可能です。

 

コーチングの目的は、ある問題の解決や「メンタルヘルス」の回復だけではありません。

 

その目的は、より根源的に人間として成長、成熟することです。

 

その一つは、「自己認識力」を体得することです。

 

「自己認識力」とは、ある出来事に対して自分はどう「反応」するのか、自分がなぜこういう行動や言動をしているのか、自分の反応を客観的に観れることです。

 

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実は「このままでいいんだろうか?」という思いながら、一歩踏み出したいけど一歩踏み出せない人の中で起きていること

一歩踏み出したいけど、不安やネガティブなことばかり浮んでしまって一歩踏み出せないという声を聞きます。

 

「ライフシフト100年時代の人生戦略」が話題になったように、人生を学校→会社→引退という3つのステージで捉えてきた前提自体が変わっていくと多くの人が感じとっている、

 

だからこそ、「このままでいいんだろうか」「なにか新しい可能性に挑戦したい」という意識が社会全体的に高まっているという背景もあるようです。

 

しかし、自分の方向性を見つけていく過程は、すぐに答えが見えないので「今自分が向かっている方向はあっているんだろうか」と悩むことは尽きないし、自分の判断基準をもつこと、自分の感覚を信じることが何度も問われます。

 

「こんなに努力しているのに。。。」「どうせわたしは無理なんじゃないか」「なんか自信をもてない。。。」と自信も失っていくこともあるでしょうし、あまりにもそうした体験が続くと、自分にとって明るい展望を信じることも難しくなってきて、周りの人にも「懐疑的」になっていくこともあるかも知れません。

 

一生懸命に努力しているのになかなか成果が見えず、グルグルと回りをまわっているように感じる時は本当に辛いです。

 

途中でやめたくなることもあると思います。

 

または、幸いにずっと望んでいたような仕事についたり、ある程度やり遂げたし、成功も体験したのに、相変わらず心の奥底には、自信のなさや劣等感があるのに気づいて、がっかりしたり、または、ある程度何かに取り組んだからこそ次の壁に直面して、自分の無力感や虚無感を感じることさえあります。

 

週末はカフェにいったり、ジムに行ったり、友人とワインを飲んだりそれなりに楽しいことがあるので、そんなこと「ないふり」もできるのですが、

 

実は「このままでいいんだろうか?」という思いを感じている人は少なくないようです。

 

そして、そうした嫌な気分を埋めるためには「頑張ること」が大切だと思って、何かに対してがんばろうとします。

 

この資格がとれたら、

大学院を卒業したら

MBAをとれたら

昇進したら

転職したら

。。。

 

と考えてみるのですが、こんな思いも時々頭をかすめます。

「こういうものを表面的に埋めようとするのは無理なのかもしれない。。。」

でも、それを認めるのはこわいし、でも、どうしたらいいのか分からないから多くの人がそこで思考停止状態になってしまいます。

 

そんな時に役に立つことは、まずは、自分の中の「葛藤」に気付くことです。

 

この場合の葛藤とは、

「自分はこうあるべきだ」という理想の自分像と、「ほんとうの自分」との葛藤です。

 

『ほんとうの自分』とは、「こう見せようとしているけど、実は自分ってこうなんだ」と自分で気づいている部分のことです。

 

一生懸命に鎧でおおって、埋め合わせしようとしている部分のことです。

 

たとえば、

かっこ悪い自分

みえっぱりな自分

「私ってたいしたことないな」と感じる自分。

恥ずかしがり屋な自分

批判に過度に反応してしまうジブン。

実はこわがりな自分。

本当はなまけもののワタシ。。。

実はわがままなジブン。。。

実はできないワタシ。。。

傷つきやすいワタシ

などです。

 

誰もがこうした部分を自分の中にもっています。

 

でも、私たちは、「自分はこうあるべきだ」という理想の自分像を信じたいので、

こうしたありのままの自分を受け入れ、認めるのが難しくなってしまうのです。

 

「一歩踏み出せない」という人の多くは努力家で勉強熱心で、能力もスキルも高い人が多いと思います。

 

おそらく能力やスキルという観点から言うとそれぞれの分野で十分に準備ができている人は多いのではないかと思います。

 

でも、一歩踏み出すのがこわい、と言うのです。

 

やってみないとわからないし、やりながら進んでいくものだよ、と頭でわかってはいても、やっぱり「こわい」のです。

 

でも、何がほんとうに「こわい」のか?

実は本人の自覚がないことも珍しくありません。

 

もう一度聞きますね。

 

何がほんとうに「こわい」の?

「こわい」の正体はなあに?

 

 

一つの理由は、

たいしたことのない自分

思ったよりもできない自分がこわいのです。

 

そして、一生懸命にやったとしてもできない分野があること

に直面するのがこわいのです。

 

でも、そこからがほんとうの始まりなのです。

 

「一生懸命にやったとしてもできない分野があること」とは努力を否定するわけではありません。

 

人にはそれぞれの分野や役割があるということです。

 

人との競争ではなく、ほんとうの自分の強みをみつけることを求められていたり、人生の方向転換を求められてる場合もあるでしょう。

 

または、自分が努力しても人生のすべてをコントロールできるわけではない、という事実を受け入れる、という学びである場合もあるでしょう。

 

かくいう、私も国連時代も含め、とくに新しい分野に挑戦し始めたばかりの時は、まさにこれに直面しました。

 

自分の強みを知っている人

本当の自信がある人

自分の軸がある人

自分の役割・使命を知っている人、は、

 

すごいスキルを持った人でも

完璧な人でもなく

等身大の自分を知っている人です。

 

逆説的に聞こえるかもしれませんが

「ああ、この分野ではとうてい自分はかなわない」

「自分ってたいしたことないな」という事実に直面するからこそ、

 

だからこそ

 

人は死ぬ気で必死になって自分の強みや自分の方向性・使命をみつけだそうとするのです。

 

もし、自分は準備のために多くの時間を費やしてきたけど、

なんか周りをグルグルと周り続けているなあ、と感じている人へ。

 

もしそうだとしたら、前に進むために役に立つ方向性は、

 

自分を守るための「鎧」をさらに増やすのではなく、

そういう「自分」を拒否するのではなく、

そんな自分も丸ごと受け入れることです。🙆🙆🙆

 

グッドニュースは、仮に「自分ってたいしたことなくても」死ぬわけじゃないこと(笑)

 

しかも、実は周りの人はとっくに気づいているし、みんなも同じだから。

 

そして、「たいしたことのない自分」を受け入れた自分って愛らしいのです。

 

「自分はこうでなければいけない」と鎧で覆っている自分よりも「楽チン」なのです。

 

「たいしたことのない自分」ーそれでもあなたは愛されてます!💛💛💛🙆🙆🙆

 

 

「最初の2秒」はやっぱり正しい ー 直感がわかる人とそうでない人の違いはなあに⁉️

人は自分の直感につながっている時、より高い視点で自然に「決断」や「コミュニケーション」ができると言われています。

 

世界累計200万部のベストセラー作家、マルコム・グラッドウェルは、34カ国で翻訳された「『最初の2秒』の『なんとなく』が正しい」で、「長時間考えてたどり着いた結論よりも、人は『最初の2秒』でもたらされた直感やひらめきによって、人は物事の本質を見抜いている」と言います。

 

最近では、直感力とは一部の人だに与えられた特別な能力なのではなく、誰もがトレーニングによって磨いていくものであると認識されています。

 

だとしたら、直感力のメッセージを認識できる人とそうでない人との違いとは何でしょうか?

 

その一つは、自己価値だそうです。

 

自分には価値があると思えるとき、それがどんなメッセージだったとしても、ただそのまま受け取れるそうです。

 

きっと、なんとかなる、自分はできると思える自己信頼につながっているのでしょう。

 

逆の場合はどうかと言うと、いろんなメッセージが来ているのにもかかわらず、「でも、できなかったらどうしよう?」「もしあんなことがあったらどうしよう?」とやる前から心配や疑いが頭の中で瞬時に回り始め、メッセージを無意識にシャットダウンしてしまうのです。

 

直感力を磨くトレーニングを私の先生が開催したときに、通訳として立ち会ったことがあります。

 

その時に習ったのは、私たちは普段基本的に二つの方向にアンテナ(意識)を向けている、ということです。

 

簡単に言うと、「自分」と「社会」です。

 

人間は社会的な生き物なので、誰もが自分と社会との関係とのバランスをみつけてくのですが、

日本の社会の場合は少し特殊で、

例えばアメリカでは「自分」が8割で「社会」2割の割合だとすると、

日本では「自分」に向けられている部分がとても少なく、圧倒的に「社会」に向けられているのだそうです。

 

その結果見られる現象としては、

 

自分で判断できない、他人やメディアの価値観に翻弄されがち、焦る、みんながやるからやる、等です。

 

困ったことに、この場合の「社会」というのはまったく実態がないあいまいなものであるばかりか、愛ではなく、人のおそれや心配や見栄などの集まりが、文字通り「集合無意識」(collective counsciousness)をつくっている点です。

 

私もそうした集合無意識をはっきりと感じたことが何度もあります。

 

とくにいろんな国を経て、その国のハブ空港に降り立った瞬間です。

例えば、南スーダンからスーダン・ハルツームとドバイを経由して成田に降り立つとします。

ハルツームでは独裁政権とアフリカ・イスラム文化のまざったようななんとも言えない集合無意識を感じました。

ドバイに降りると、今度は、イスラム圏でありながらも、西洋のビジネスプラクティスも取り入れる融合性を感じ、

成田に降り立つと、清潔で整然とした空港に安心するのですが、同時に、なにか気をつけないといけないというか、間違えてはいけない、遊びがないというか、ちゃんとしないといけない、といった雰囲気を即座に感じたものでした。

 

しかも、自毎回驚いたのは、長時間のフライトを経て疲れているはずなのに、成田に着いた瞬間に早足になる自分がいるのです。

 

みんなが常に「追われている」ような集合無意識を身体が感じ取るのだと思います。

 

もし、自分が何か得体の知れないおそれや心配や焦りを慢性的に感じているとしたら、「集合無意識」に引っ張られている可能性があります。

この場合の、「集合無意識」というのは少し前の世代の人のいうところの「世間」、または、最近のネット社会も含まれるでしょう。

 

文字通り、そこに暮らす人たちの意識の集合体です。

 

最近はテレビを見ない人が増えていますが(私もほとんど見ません)、

そうした影響からより自由になりたいという理由で見ない人も多いようです。

 

他にはどんなことが役に立つでしょうか?

 

一つは、他人でもない世間の意見でもない、自分の意見・考えにアンテナ(意識)を向ける訓練をすること

 

二つ目は、より高い周波数に自分のアンテナを合わせること(心配ではなく、軽やかで周りにある豊かさに気づき楽しんでいる状態、幸せや感謝)

 

三つ目は、日本の集合無意識から離れた環境に自分の身をおくことです。

 

海外に行って始めて、自分や日本のことを知ることになった、という人がいますが、いつもの環境から離れて始めて、何が自分の意見で何がそうでないのかがわかるという面は実際に大きいのです。

 

 

8月29日~沖縄へ行きます。

詳細はこちら⇨goo.gl/4vU1sk

 

集合無意識から自由になるチャンスです。

大自然の力をかりて、自分の本当の気持ちにつながる機会があります。

この内容は今回だけです!

 

西表島で見つける新しい自分「私はこれでいい!」詳細はこちら⇨goo.gl/4vU1sk

頭脳中心から ハート中心の文明へーメンターの先生と「ハートメタ」が雑誌で紹介されました!

メンターの先生と「ハートメタ」が雑誌で紹介されました!

今月号の特集の一つは、

「頭脳中心からハート中心の文明へ」です。

 

ハート中心の文明へ②

 

ハート中心の文明へ③

 

頭脳中心からハート中心の文明へという意味は、すごく簡単な言い方で言うと、頭で考えることからより感じることへ、という意味だと思っています。

 

または、複雑で分断された世界から、本質をつかみつながる世界へ、みたいな方向性でしょうか。

 

本当に大切なものを豊かにみんなで一緒に味わいましょう、というニュアンスだと思います。

 

以下の記事より引用です。

 

「ハートメタは施術をする人を通して、施術を受ける相手のコアな部分につながっていきます。

 

すると、自分でも気づかない奥深くにあるブロックや制限が浮上し、内なる自分の最も深い部分からいま自分に降りかかっている問題の理由や原因が伝えられるのです。

 

その人自身が、「自分の中にすでに答えがある」という感覚にたどり着くことができるので自分で自分を癒すツールと言えるでしょう。

 

また、すでに科学的にも証明されていることですが、肉体の細胞にもさまざな記憶があります。

 

これらの記憶を変容させることで、感情レベル、メンタルレベル、スピリチュアルレベル、肉体レベルの4つから根本的な変化をもたらすことも「ハートメタ」の特徴です。

 

その人の細胞レベルでの周波数を変えることができるのです。

 

 

。。。

 

中略

 

ハートメタトレーニングは日本から始まりました。

 

香港、アメリカと続いています。

 

日本から始めたのは、あるときそういうメッセージが届いたからです。

 

日本という国はピュアなエネルギーを持っているのです。

 

私は、東日本大震災の直後の2013年に初来日したのですが、その時に受け取ったメッセージは、フェニックス(不死鳥)が灰から起き上がるという内容でした。

 

このメッセージからも、日本は純粋性が高く、力強く、不屈の精神にあふれている国だとわかります。

 

そして、日本という国は感情を解放する準備ができていて、それがすでに始まっています。

 

日本では何世紀も感情というものは内側に隠されてなければいけないという美徳や教育がありました。

 

しかし、今こそさまざまな感情に気づき、外に出していくべきだと気付き始めた人、目覚め始めた人がとても増えてきています。

 

感情を解放するためにも、この「ハートメタ」のツールは非常に役立つものになるでしょう。

 

引用終わり

***

 

ハートメタセッション受付け中です!!!

 

https://chikaonaka.com/ハートインテリジェンス/

 

宇宙の視点から奇跡を科学するー身近なことで「テスト」に合格しないと大きなことは任せてもらえない

昨日、「奇跡が起きました。嫌いな経理作業を1日15分続けていたら楽しい!今日も早くやりたい!と感じられるようになった。」と書きました。

 

ところで、「タイトルに奇跡ってあるから、もっともっとすごいことかと思った」、「なんだそんな小さなことか」と思った人がいるかも知れません。

 

もし、奇跡はもっと大きいこと、と思っていたら要注意です。

 

もし、「今の仕事は適当にやればいい。だって好きな仕事じゃないから」「大きな仕事を任せられたら、本気になる・がんばる」と思っている人がいたらこれもまた要注意です。

 

宇宙の視点からみると、「大きなこと」も「小さいこと」にも価値に違いはないからです。

 

宇宙の視点からみると、大事なのは態度(それにどう取り組んでいるのか)と、そして動機(なんのために)です。

 

「小さいこと」も「大きいこと」も同じように、自分に正直に、心をこめて取り組んで喜んでいると、より大きなことを与えられるようになります。

 

身近なことで「テスト」に合格しないと大きなことは任せてもらえないのです。

 

そういう意味では、周りの人たちに対して親切にしたり、ゴミをみつけたら拾ったり、小さいことで自分が気付いたことをやっていくのは大切ですね。

 

 

そして、上手くいっている人は日常の中にある「上手くいっている部分」をみつけるのが上手です。小さな成功や奇跡を大事にするから、さらにそれが拡大していくのです。

 

宇宙の法則には「注目の法則」(Law of Attention)というものがあります。

 

注目するものが大きくなる、という意味です。

 

ネットニュースをみていて、だんだんと気持ちが落ち込んできたという体験はありますか?ネットニュースは読者のクリックを引くためによりセンセーショナルな切り口にする傾向があります。そういうものを見ていると、だんだんと気持ちまでそっちに引きづられてしまいがちです。

 

これは気のせいではなくて、物理の法則からも説明がつきます。

 

せっかくなら、自分の気持ちを穏やかにしてくれたり、インスパイアーしてくれるものに触れたいです。

 

もしすごい大きな成果や出来事ばかりを求めている、または、小さい喜びを味わえいないとしたら、「もっともっと病」にかかっているか、心が少しマヒしているかも知れません。

 

または、もし、今の仕事が好きじゃない、またはブラック企業にいる、パワハラ上司がいるとしたら、じゃあ自分はどうしたい?どうする?という部分が大事になります。

 

世の中に当たり前のことは一つもありません。

 

日常にたくさんの奇跡を見つけたいですね!

「大変で楽しくない」と感じている人と「大変さも楽しさもある」と感じている人の違いはなあに?ーアスリートの練習日誌を調査したら

米国内で「天才賞」とも称されるマッカーサー賞を受賞したペンシルベニア大学で心理学教授、アンジェラ・ダックワースは、著書「やり抜く力ー人生のあらゆる成功を決める『究極の能力』を身につける」の中で、人が成功して偉業を達成するには、「才能」よりも「やり抜く力」(GRIT)が重要である、と言います。

 

「やり抜く力」は「情熱」と「粘り強さ」という要素でできていて、自分にとって最も重要と定めた目標に対して不変の興味を抱きながら粘り強く取り組む「情熱」と、困難や挫折に負けずに努力を続ける「粘り強さ」がそろっていれば、誰もが目標を成し遂げられるとダックワースは言います。

 

ダックワースは、オリンピック選手から音楽家からチェスのプレーヤーまで、一流選手がどうやって練習を続けられるのかを研究し、どうしたら練習を続けられるのかを調査しました。

 

アスリートの練習日誌を検証したり、聞き取り調査をする中である点に気づきます。

 

練習は「大変」で「楽しくない」という意見も多かった一方で、「楽しさ」も「大変さ」も両方強く感じていた人たちがいました。

 

金メダリストのローディ・ゲインズ選手は、オリンピックで金メダルを勝ち取るために自分がどれだけの猛練習を積み上げてきたかー8年間で練習のために少なくとも、32189キロ(フルマラソン766周分)を泳いだと話しました。

 

「朝の4時に起きる練習はいつも楽しいわけではありません。」ゲインズは言います。

 

ゲインズ選手のこのコメントは一流の結果を残す人たちの練習量とそれに対する正直な気持ちを代弁しているのでしょう。

 

同時にダックワースが注目したのは、多くの選手から寄せられた次のコメントでした。

 

「ただ、何も考えずにただ練習をこなすだけで進歩のない『マインドレス(目的のない)な練習』は苦痛だと思います。」

 

では、「大変で楽しくない」と感じている人と「大変さも楽しさもある」と感じている人の違いは何だろう?とダッグワースはさらに調査を続けていきました。

 

そして、練習をする時に、明確な「意図」を持って練習に臨んでいるかどうかにに注目しました。

 

その調査の結果、「やり抜く力」の強い人は、他の人よりも単に練習量が多いだけでなく、練習を「意図的」にやっている、と指摘します。

 

そして「意図を持つ」ことが「結果を生むこと」と「続けられること」の相乗効果を生むと言います。

 

練習に明確な意図をもってのぞむにつれて、次第に結果が出るようになります。努力の結果が出た時の高揚感がくせになります。結果がでると、努力が報われることを実感でき、より主体的にかかわる意欲が湧きます。やる気がでるので、努力は続けやすくなります。

 

私自身も意図をはっきりさせることを始めてから、資料の作成やプレゼン、または同僚や上司とのコミュニケーションまで、「結果」が分かりやすく出た体験を持っています。

 

私たちのほとんどはアスリートではありませんが、私たちが仕事に費やす時間を仮に「練習」としてとらえるとしたら、その時間をどんな「意図」をもって過ごすかはとても重要になるでしょう。

 

トランプ大統領の当選を予測できなかった時代を生きる私たちが自分の「判断基準」を持つために

トランプ大統領が当選したのを知った時に真っ先に思ったこの一つは、これからは「自分で考えなきゃいけない」時代なんだなということでした。

 

なぜなら、メディアや予測もあてにならないし、誰かの意見を一方的に信じていればいいという時代が終わりつつあるのを感じたからです。

 

自分の「判断基準」がより求められる時代なのでしょう。

 

そもそも判断基準ってどうしたら養うことができるんだろう?と考えていたら、

ある人の記事でこんな「くだり」をみつけました。

 

判断基準の一つは、「自然」か「自然じゃないか」ということ。

 

それで思い出したのは、ケニアのサファリに行った時のことです。

 

なぜなら、ライオンがいつでも「勝つ」わけではないからです。

 

 

目の前で野生の象やキリン、ライオンを目の前に見れるのは本当に感動です。

遠く感じるかも知れませんが、ヨーロッパへ行くのと飛行時間がそこまで違いません。

一度は行く価値はあります。

 

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私たちの方はオリがついている専用のジープに乗ります。

相手から見たら、人間て「きゅうくつ」そうだなあと思うのかも知れません。

 

 

その時にとても印象に残っているシーンがありました。

 

目の前でイボイノシシの親子たちがのどかに草をはんでいました。

イボイノシシとは、一見ぶたのようなちょっと短足なちょっと「かわブサイク」な(失礼!)動物ちゃんです。

 

子供たちはまだ産まれて数ヶ月なのでしょうか。母イノシシの後で草をはんでいます。

 

そんなのどかな風景でした。

 

 

それが一転緊張状態に!

 

数百メートル先にいたライオンがイノシシたちに狙いを始めたのが見えたのです。

 

野生の動物を見るということは、自然界のなりたちを見るということ。

 

それも含めて、見る価値があるということなのでしょうが、ライオンが一気にダッシュを始めた時には私は思わず一瞬息を止めてしまいました。

 

イボイノシシママもライオンを察知するやいなや、一斉に号令を出したようでした。「散らばれ!」と。

 

そして、子供たちは四方八方に散らばりました。

 

すると❗️

 

ライオンはイボイノシシの子供たちが四方八方に逃げていくのについていけず、「捕獲」は失敗したのです。

 

身体の大きさも足の長さも速さもすべての面で「勝っている」と思ったライオンでしたが、小回りは苦手だったのです。

 

これを「勝敗」とするならば、イボイノシシがライオンに勝ったのです。

 

そして、さらにそこから数百メートル先のところでは、おなかいっぱいの別のライオンは昼寝をし、シマウマや別のイノシシがその周りをウロチョロしています。

 

ライオンは、おなかが一杯の時には、むやみに他の動物を襲うことはありません。

 

自分が必要な分以外は求めないのです。

 

 

たとえ弱肉強食でも、強いものがいつも弱いものに「勝つ」わけでもない。

ライオンはライオン。シマウマはシマウマ。イノシシはイノシシ。

ライオンだけがいても自然じゃないし面白くありません。

 

ぜんぶの存在があることが「自然」。

 

人間も自然界の一部です。

 

私にとって忘れられないシーンの一つです。

 

Mpata 238