「自分が望んでいることを本当はもう知っていると気づきました。」 会社を辞めようと思っていた人がたったの数週間で体験した「そこに向かっているという充実感と自信」

わたしは国連職員と米軍のコンサルタントを経て、コーチングを仕事とするようになりました。

 

日本ではコーチングやカウンセリングを受けに来る人は、メンタルヘルスの問題があったり、なにか「問題ある人」のように思われるかもしれません。

 

でも、アメリカでは企業の幹部の人たちがコーチをつけ、自分の課題を整理したり、スピーチを練習したり、優先順位を確認したり、次のステップをみつけるための「伴走役」としてコーチをつけることは珍しくありません。

 

ニュヨーク時代の私の同僚の中には、自分の使命やミッションステートメントを作成するためにコーチをつけていた人がいましたし、現場に派遣されている国連職員でもストレスも仕事量も大きい環境の中で自分のやるべきことに集中できるように、とコーチをつけていた人もいました。

 

そして、コーチングやカウンセリングは、何かを「解決」するために受けるもの、と思われるかも知れませんが、コーチング(カウンセリングも含む)は短期的な「対処的」な方法だけでなく、より「根源的」な解決をサポートするという目的をもっています。

 

なにが「対処的」でなにが「根源的」かというと、前者は「問題解決」というベース。

 

問題を解決するというパラダイムにいるので、一つの問題があって解決ししてもすぐ次の問題がやってくるので常に忙しいが、何が本当の問題なのか、ということは問われない。

 

根源的というのは、なにが本当の問題なのかと見極めたり、自分で問題を解決していくための力をつけること。

 

この場合の問題を解決するための力とは、自分の状態(感情、気力、身体、モーチベーションなど)を把握し、よりよい状態に保てること、事実と自分の感情を区別できること、何が取り組むべき本当の課題なのかわかるようになること、そのための対処法を自分でみつけ実際に対処でき、その出来事から学ぶことができる、などです。

 

そして、問題を解決するにしろ、人生の方向が「上向き」になっています。

 

自分が本当に望むことも段々とわかるようになっていき、そこに向かっているという充実感や自信を静かにも感じています。

 

前者がいつも雑草とりに追われているようなイメージなのに比べて、後者は土を耕したり、種を植えたり、水をやったりというイメージ。目指すところは「自分というお花」が咲くことです。

 

そして、「何がやりたかったのかわかるようになった」ということが実際におこります。

 

会社を辞めようかと思っている、という方がいらっしゃいました。

 

あるプロジェクトに配置されたのだけど、担当部長は物の言い方も進め方も「強圧的」。

 

他のメンバーもけっしてチームを尊重するやり方でもなく、ある時には「いやがらせじゃないか」と捉えられてもおかしくないような言動もあったそうです。

 

しかも、会社は合併したばかり。

 

合併後は、なんでも紙で報告を求められたり、とくに理由もないのに残業を求めらたりと「旧態依然」とした旧B社の社風が浸透していきました。

 

それもあって、旧A社と旧B社のメンバーには目に見えない「バリア」が存在して、会社の雰囲気はギスギス。。。

 

そんな環境もあってさらにやる氣もそがれ、ついには原因不明の発疹さえできて、自分でも「おかしいな」と思いはじめたそうです。

 

最初の数回のセッションは、会社のそのような状況がいかに自分にとっていかにストレスで身体に負担をかけていたのかを受けとめ、そうした体験によるショックを解放していきました。

 

最初は身体にかなり「緊張」や「怒り」があるのが伝わってきましたが、感情も解放されていくにしたがって、どんどんと顔の表情も明るくなってきました。

 

自分の心や身体にどんな影響があったのかを受けとめ、自分の状態や心境を「理解」できていくと、症状が和らぐことは珍しくありません。

 

幸いに発疹も収まり、3回くらい集中的にセッションを終えた辺りから彼女の表情はまったく変わっていました。

 

肩に力が入っていたような緊張感がなくなり、印象がとてもソフトになりました。

 

そして、彼女はこんなことを伝えてくれました。

 

「今まで何を見てたんだろうと思いました。⭕️⭕️さんがなぜああ言う言い方をするのか、ただ理解して落ち着いて見れるようになりました。こちらの見方も変わったからか、不思議と相手の私に対する対応も変わりました。」

 

それまで会社を辞めようと思うほどのストレスの元だったものが変わってしまったのです。

 

しかもそれだけではありません。

 

今年の8月の夏休みをご両親の田舎のある山のなかで過ごされたとうですが、その時間がとても心地よかったそうです。

 

自然が要らないものをそぎ落としてくれたのか、ある気持ちが自然と湧いてきたそうです。

 

「自分が本当に望んでいることを本当はもう知っている」と。

 

「ずっと長年蓋をしていたこの気持ちをただ受けとめています。」

 

そう伝えてくれた彼女は、とても「すっきり」した顔をされていました。

 

より根源な部分をほんとうに自分が理解できると、無理やり自分にムチを打って自分を駆り立てなくても、ただ「理解」ができ、やるべきことや「解決策」が見え、身体も自然と動きやすくなります。

 

いつでもそんなことが起こるとは限りませんが、

 

「もう無理」「大変」と思ったことでも、その状況になんらかの変化が起こることは十分に可能です。

 

コーチングの目的は、ある問題の解決や「メンタルヘルス」の回復だけではありません。

 

その目的は、より根源的に人間として成長、成熟することです。

 

その一つは、「自己認識力」を体得することです。

 

「自己認識力」とは、ある出来事に対して自分はどう「反応」するのか、自分がなぜこういう行動や言動をしているのか、自分の反応を客観的に観れることです。

 

「最初の2秒」はやっぱり正しい ー 直感がわかる人とそうでない人の違いはなあに⁉️

人は自分の直感につながっている時、より高い視点で自然に「決断」や「コミュニケーション」ができると言われています。

 

世界累計200万部のベストセラー作家、マルコム・グラッドウェルは、34カ国で翻訳された「『最初の2秒』の『なんとなく』が正しい」で、「長時間考えてたどり着いた結論よりも、人は『最初の2秒』でもたらされた直感やひらめきによって、人は物事の本質を見抜いている」と言います。

 

最近では、直感力とは一部の人だに与えられた特別な能力なのではなく、誰もがトレーニングによって磨いていくものであると認識されています。

 

だとしたら、直感力のメッセージを認識できる人とそうでない人との違いとは何でしょうか?

 

その一つは、自己価値だそうです。

 

自分には価値があると思えるとき、それがどんなメッセージだったとしても、ただそのまま受け取れるそうです。

 

きっと、なんとかなる、自分はできると思える自己信頼につながっているのでしょう。

 

逆の場合はどうかと言うと、いろんなメッセージが来ているのにもかかわらず、「でも、できなかったらどうしよう?」「もしあんなことがあったらどうしよう?」とやる前から心配や疑いが頭の中で瞬時に回り始め、メッセージを無意識にシャットダウンしてしまうのです。

 

直感力を磨くトレーニングを私の先生が開催したときに、通訳として立ち会ったことがあります。

 

その時に習ったのは、私たちは普段基本的に二つの方向にアンテナ(意識)を向けている、ということです。

 

簡単に言うと、「自分」と「社会」です。

 

人間は社会的な生き物なので、誰もが自分と社会との関係とのバランスをみつけてくのですが、

日本の社会の場合は少し特殊で、

例えばアメリカでは「自分」が8割で「社会」2割の割合だとすると、

日本では「自分」に向けられている部分がとても少なく、圧倒的に「社会」に向けられているのだそうです。

 

その結果見られる現象としては、

 

自分で判断できない、他人やメディアの価値観に翻弄されがち、焦る、みんながやるからやる、等です。

 

困ったことに、この場合の「社会」というのはまったく実態がないあいまいなものであるばかりか、愛ではなく、人のおそれや心配や見栄などの集まりが、文字通り「集合無意識」(collective counsciousness)をつくっている点です。

 

私もそうした集合無意識をはっきりと感じたことが何度もあります。

 

とくにいろんな国を経て、その国のハブ空港に降り立った瞬間です。

例えば、南スーダンからスーダン・ハルツームとドバイを経由して成田に降り立つとします。

ハルツームでは独裁政権とアフリカ・イスラム文化のまざったようななんとも言えない集合無意識を感じました。

ドバイに降りると、今度は、イスラム圏でありながらも、西洋のビジネスプラクティスも取り入れる融合性を感じ、

成田に降り立つと、清潔で整然とした空港に安心するのですが、同時に、なにか気をつけないといけないというか、間違えてはいけない、遊びがないというか、ちゃんとしないといけない、といった雰囲気を即座に感じたものでした。

 

しかも、自毎回驚いたのは、長時間のフライトを経て疲れているはずなのに、成田に着いた瞬間に早足になる自分がいるのです。

 

みんなが常に「追われている」ような集合無意識を身体が感じ取るのだと思います。

 

もし、自分が何か得体の知れないおそれや心配や焦りを慢性的に感じているとしたら、「集合無意識」に引っ張られている可能性があります。

この場合の、「集合無意識」というのは少し前の世代の人のいうところの「世間」、または、最近のネット社会も含まれるでしょう。

 

文字通り、そこに暮らす人たちの意識の集合体です。

 

最近はテレビを見ない人が増えていますが(私もほとんど見ません)、

そうした影響からより自由になりたいという理由で見ない人も多いようです。

 

他にはどんなことが役に立つでしょうか?

 

一つは、他人でもない世間の意見でもない、自分の意見・考えにアンテナ(意識)を向ける訓練をすること

 

二つ目は、より高い周波数に自分のアンテナを合わせること(心配ではなく、軽やかで周りにある豊かさに気づき楽しんでいる状態、幸せや感謝)

 

三つ目は、日本の集合無意識から離れた環境に自分の身をおくことです。

 

海外に行って始めて、自分や日本のことを知ることになった、という人がいますが、いつもの環境から離れて始めて、何が自分の意見で何がそうでないのかがわかるという面は実際に大きいのです。

 

 

8月29日~沖縄へ行きます。

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集合無意識から自由になるチャンスです。

大自然の力をかりて、自分の本当の気持ちにつながる機会があります。

この内容は今回だけです!

 

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トランプ大統領の当選を予測できなかった時代を生きる私たちが自分の「判断基準」を持つために

トランプ大統領が当選したのを知った時に真っ先に思ったこの一つは、これからは「自分で考えなきゃいけない」時代なんだなということでした。

 

なぜなら、メディアや予測もあてにならないし、誰かの意見を一方的に信じていればいいという時代が終わりつつあるのを感じたからです。

 

自分の「判断基準」がより求められる時代なのでしょう。

 

そもそも判断基準ってどうしたら養うことができるんだろう?と考えていたら、

ある人の記事でこんな「くだり」をみつけました。

 

判断基準の一つは、「自然」か「自然じゃないか」ということ。

 

それで思い出したのは、ケニアのサファリに行った時のことです。

 

なぜなら、ライオンがいつでも「勝つ」わけではないからです。

 

 

目の前で野生の象やキリン、ライオンを目の前に見れるのは本当に感動です。

遠く感じるかも知れませんが、ヨーロッパへ行くのと飛行時間がそこまで違いません。

一度は行く価値はあります。

 

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私たちの方はオリがついている専用のジープに乗ります。

相手から見たら、人間て「きゅうくつ」そうだなあと思うのかも知れません。

 

 

その時にとても印象に残っているシーンがありました。

 

目の前でイボイノシシの親子たちがのどかに草をはんでいました。

イボイノシシとは、一見ぶたのようなちょっと短足なちょっと「かわブサイク」な(失礼!)動物ちゃんです。

 

子供たちはまだ産まれて数ヶ月なのでしょうか。母イノシシの後で草をはんでいます。

 

そんなのどかな風景でした。

 

 

それが一転緊張状態に!

 

数百メートル先にいたライオンがイノシシたちに狙いを始めたのが見えたのです。

 

野生の動物を見るということは、自然界のなりたちを見るということ。

 

それも含めて、見る価値があるということなのでしょうが、ライオンが一気にダッシュを始めた時には私は思わず一瞬息を止めてしまいました。

 

イボイノシシママもライオンを察知するやいなや、一斉に号令を出したようでした。「散らばれ!」と。

 

そして、子供たちは四方八方に散らばりました。

 

すると❗️

 

ライオンはイボイノシシの子供たちが四方八方に逃げていくのについていけず、「捕獲」は失敗したのです。

 

身体の大きさも足の長さも速さもすべての面で「勝っている」と思ったライオンでしたが、小回りは苦手だったのです。

 

これを「勝敗」とするならば、イボイノシシがライオンに勝ったのです。

 

そして、さらにそこから数百メートル先のところでは、おなかいっぱいの別のライオンは昼寝をし、シマウマや別のイノシシがその周りをウロチョロしています。

 

ライオンは、おなかが一杯の時には、むやみに他の動物を襲うことはありません。

 

自分が必要な分以外は求めないのです。

 

 

たとえ弱肉強食でも、強いものがいつも弱いものに「勝つ」わけでもない。

ライオンはライオン。シマウマはシマウマ。イノシシはイノシシ。

ライオンだけがいても自然じゃないし面白くありません。

 

ぜんぶの存在があることが「自然」。

 

人間も自然界の一部です。

 

私にとって忘れられないシーンの一つです。

 

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大舞台での原因不明の発作に苦しんだジョコビッチ選手の「自分を信じる」ということ

さて、「自分の感覚を信じる」ということをお話ししてきましたが、この例で、テニスチャンピオンのノバク・ジョコビッチ選手の体験が面白いのでご紹介したいと思います。

 

ジョコビッチ選手と言えば、2015年、ウィンブルドンや全米オープンなどグランドスラム大会3勝と、3つのグランドスラム大会を制覇。世界ランキング1位に輝き、男子史上3人目となるグランドスラム4大会連続優勝の記録を達成しています。

 

つい先月(2016年11月)のATPワールドツアー・ファイナルズでは、錦織選手が準決勝でジョコビッチと対戦しましたが、「彼(ジョコビッチ)が強すぎました。」とコメントを残すくらい、決勝と準決勝の差は大きいのかなと感じさせるものでした。

 

それだけ見ると、天賦の才能を授けられた天才プレーヤーだろうと思われる方もいるかも知れませんが、たった数年前にはここ一番という舞台で何度も何度も原因不明の症状でコートに倒れ、トイレに駆け込むほどの発作を体験していたことはあまり知られていません。

 

 

その時、彼には、すでにフルサポート体制のチームが組織されていたそうです。

 

 

日々のスケジュールを管理するマネージャー

最高のパフォーマスができるためのストレッチとスポーツマッサージをしてくれる理学療法士

食事内容をみてくれる栄養士

彼の日々の練習内容と動きを見てくれるコーチ

打ち込みなど日々の練習相手を務めてくれるアシスタントコーチ

 

 

練習内容はもちろん食事や飲み物の配分まで、すべての動きを見守る人たちがいて、例えばドリンクもその日の体調に合わせてビタミンやミネラル、電解質の配合が決められていたそうです。

 

そのような体制がすでにあったにも関わず、しかも、何人もの医師の診断を受けたにもかかわらず根本的な解決に至らず、彼の原因不明の症状はしばらく続きます。

 

また、原因不明の「発作」が起き、コート上で突然倒れてしまうのです。

 

しかも、全世界に生中継される大舞台で。

 

全米オープンで、

 

全仏オープンで。。。

 

 

そんなことが続き、対戦相手からもメディアからも「プロとしてあんな調整不足は恥ずかしい」、「どうせまた『例の発作』がでるさ」などと何度も言われたそうです。

 

その時の彼の練習量は、ジョコビッチ選手いわく、

 

「人間が起きている間にできる「ほぼベスト」の「限界に近い」メニューだった」そうです。

 

 

ヨガ、太極拳、ストレッチ

毎朝1時間半の打ち込み

ストレッチ

スポーツマッサージ

特製ドリンクとランチ

ウェイト・トレーニング

ストレッチ

90分の打ち込み(サーブとリターンの精度を高める)

ストレッチ

スポーツマッサージ

読書

瞑想

などなど

 

 

毎日そんな厳しい練習を続けながら、本番で倒れてしまう悔しい思いをし続けたジョコビッチ選手は、「藁をつかむような思いで」少しでも役に立ちようなものはなんでも試します。

 

その結果、練習にはヨガや太極拳、瞑想を取り入れることになったそうです。

 

そんな日々が続く中、ある日、地球の反対側でジョコビッチ選手がコートで倒れてた場面をテレビで見ていたというある一人の医師から「あなたの発作の原因がわかった」という連絡をもらいます。

 

 

その博士の診断は「グルテン不耐症」でした。

 

彼はそれを聞いた時思わず叫んだそうです。

 

「先生、待ってください!だって、うちの両親はピザ屋なんですよ!」

 

 

ただ、彼はもうその時すでにどんな可能性でも試してみようという気持ちでした。

 

まずは2週間、新しい食事法を試してみることにします。

 

彼はセルビア出身。彼の周りの欧州出身のアスリートの食事と言えば、大量のパンとパスタにピザが当たり前でした。

 

そんな人たちにとって彼が新しく取り入れた食事法は摩訶不思議。しかも、アスリートならみんな摂るはずのプロテインもとらない。

 

 

「エネルギー足りなくなるぞ」「本当にそんな食事法でいいのか」「あたまが狂ったんじゃないか」などといろんなことを言われたそうです。

 

 

ただ、その効果は、冒頭で紹介した2015年ウィンブルドンや全米オープン等グランドスラム大会3勝、そして4度目の年間世界ランキング1位の「実績」がすでに雄弁に物語っています。

 

 

彼が世界一になるまでの体験と彼が取り入れた食事法が紹介されている『ジョコビッチの生まれ変わる食事~あなたの人生を激変させる14日間プログラム』(三五館)は、今年のベストセラーの一つで、彼の食事法を取り入れているアスリートが増えているそうです。

 

 

同時に、ジョコビッチ選手は、相手が、医師だろうが、栄養士だろうが、新しい食事法だろうが、「誰かの言うことをそのまま盲信してはいけない」と言っています。

 

 

ちなみに、ジョコビッチ選手は、試合中に彼を導く内なる声がある、と言っています。

 

初めて、当時の世界王者マレーを破った試合では、いつもボレーをしないジョコビッチ選手の中で、「そこで前進してボレーを打て!」という声がはっきりと聞こえたのだそうです。

 

ジョコビッチ選手は言います。

 

 

「時には何か新しいことを試してみて、自問して自分自身の答えをみつけなければならないことがある。『これは私に役に立っているのだろうか?』と。

 

…(中略)…

 

もちろん、専門家にアドバイスを求めたり他人に耳を傾けることは大切だ。でも、自分の身体が何を言わんとしているがわかるのは究極のところ自分だけだ。

 

自分に関する権威は自分なのだ。」

 

ノバク・ジョコビッチ

 

周りと違う生き方をしようとする時に知っておくと楽になる《5つの原則》

最近、ある大学4年生の方でもうすぐ卒業なんです、という方にお会いしました。

 

彼女いわく、自分にはやりたいことがあるんだけど、ある社長さんの一言でそれが「ぐらついた」んだそうです。

 

確かに、

周りと違う生き方をしようとする時、

周りとは違う意見や考えを言う時

新しいことを始める時、

そういうことは起こるもの。

 

いわば、自分の「感覚」を信じていられるかどうかが試される瞬間の一つでしょうか。

 

私も日本に帰ってきてから、「また海外に戻らないんですか?」と少なくとも100回以上聞かれ、なんで博士課程やらないんですか?ともよく聞かました。

 

「博士課程、興味ありません」と言ったら、相手が怒り始めたこともありました。(本当の話しです。)

 

最近よく聞かれるのは、「なんで国連を経てカウンセラーになったのですか?」という質問。

 

聞かれたら答えるものの、こっちが言わんとしていることが伝わる場合もあるし、伝わらない場合もあります。

 

はっきり言って、みんなに理解されることはないし、あり得ないと思う。

世の中にはどんなに努力しても理解しあえない人がいる。(たぶんお互いに)

全員に賛同されることもない。

 

もし全員に賛同されたら、逆におそらくかなり気持ち悪いだろうとも思います◕‿◕。

 

 

念のために一言付け加えておくと、私は職業柄として個人的な性格としても、仕事でもお互いが理解するために、実際にたくさんの人に耳を傾けてきたし、理解をするための努力はいとわない方だと思う。

 

 

 

でも、これは悲観的な意味で言っているわけではなくて、人生は有限だから、自分のことを理解してくれる人に理解をしてもらえばいいのだというシンプルな結論に私を導いてくれているのです。

 

 

みんなに理解されたい、ということがいかに労力を要することかも体験しています。

 

 

私の場合、クーリエジャポンという雑誌(媒体)で連載を始めて、この事が自分の中でさらに腑に落ちました。

 

記事を書くにはエネルギーがいる。

 

時間も労力もかけて記事を書くのだから、出来るだけたくさんの人に読んでもらいたいし、もちろん「いい記事だった」と言われたら嬉しい。

 

でも、「万人受けしたい」という考えがふとよぎったりすると、「プッツリ」と見事に筆が止まってしまったり、頭の中で思考がぐるぐるし始めて、文章さえもグルグルし始めるのです。。。

 

 

「ああ、みんなに受けよう、理解されようなんて思ったら記事なんて書けやしない!」と実感をもって体験したのでした。

 

 

とはいえ、特に自分が大切だと思っていることを書いた時には、相手が同じように感じてくれないと「ショック」に感じることはあります。

 

でも、それをパーソナルにとらえないことも同時に学んでいます。

 

そして、だからこそ、理解し合える人や気の合う人、共鳴する人がいたらなおさら嬉しいし、そういう関係があるのは、決して「当たり前」じゃないから、その価値をよりありがたいなと思うようになりました。

 

だから、自分のメンターの先生に改めてありがとうと伝えたり、友人関係でもそう表現することは多くなったように思います。

 

だって本当に「当たり前」ではないから!^^

 

私はもうすぐ卒業だという彼女に言いました。

 

「私も最近も同じような体験があったし、そういうこと (理解されないことや、自分とはまったく違う意見を持つような人と一緒になること)はいつになってもあるよ。」

 

「でも、大学四年生の時と今との違いは何かと言うとね、そんなにぐらつかなくなること。」

 

それは本当にそうなのです。

 

 

似たように感じる人は、以下にご紹介する5つの「原則」をぜひ思い出してください。

 

 

1、誰かが何かを言う時、その人はほとんどの場合相手の事というよりは、大抵自分のことを投影して発言している。

だから「ああ、自分のことを言ってるんだね」と思えばいい。

 

2、自分の価値が評価されるところへ行こう。

ある人やあるグループにその価値を認められなくても、自分のアイデアや作品の価値を評価してくれる人が必ずどこかに存在する。

 

私は最近5人くらいの編集者さんにお会いする機会をいただきましたが、回を重ねていくうちに、自分の意図と強みがより明確になっていって、最後は自分と相手の望む方向性とアングルがマッチする方にお会いすることができました。

 

イエスキリストはこういう言葉を残したと言われています。

 

Go where invited. Stay where welcomed. If you are no longer welcomed, leave the dust behind and leave immediately.

 

招かれているところへ行きなさい。歓迎されたところに留まりなさい。歓迎されなくなったらすぐに去りなさい。

 

だからこそ、自分と共鳴する人や先生、仲間と出会うことの価値もより分かりますね。

 

 

3、自分と違う意見を言われても、それをパーソナルにとらえないこと。

自分と違う意見が存在し、その意見をただそのまま受け入れられることができるのは誰もがどこかの段階で学ぶレッスンのように感じます。

 

 

4、自分が自分を認め、自分が自分の一番の理解者になること。

自分が自分を認め、自分が自分の一番の理解者になると、他人に認めて欲しい、理解して欲しいという他人に対する欲求が少なくなってきます。

 

 

5、自分だけが自分に関する最終的な権威

究極のところ、誰が何と言おうとも自分の人生を生きるのは自分です。誰かの意見は参考にはできるけど、当然ながら、その結果を生きるのは自分です。

 

自分の内なる声に耳を澄ませ、自分の感覚を信じることを学ぶと人生に対する余裕と自信が生まれてきます。

 

テレビとスマホの電源を切って、自分の中の直感に耳をすます時間をとって、瞑想をしたり、自分の内なる声とのつながりを育む時間を持ちましょう!