混乱と聞くとどういうイメージでしょうか?
日本で教育を受けた私たちにとって「混乱」は、失敗と同じくらい避けるべきものだ、とされているようです。
ただ、いい混乱というものがあります。
自分の中の考えの幅が広がって、新しい発想が浮かぶとき、私たちの脳は一度混乱するからです。
それは、今までにないような考え方ややり方、価値観に触れたときに体験する頭の混乱です。
これまでの自分の中の常識や前提がくつがえされるような感じがするからです。
脳の中で今までとは違う回路(シノプシス)が刺激されている状態です。
今までとは、違う回線を通じた感覚なので心地が悪いのです。
例えるならば脳の回線が新しいOSに転換しているような状態です。
ただ、これまでの自分の中の常識や前提がいったんくつがえされるということは、思考の幅が広がるという意味でもあります。
まったく新しい考え方に触れるとき、または、まったく新しいレベルでの知識や世界観に触れるときに、私たちはこのような体験をします。
例えば、旧ソ連圏の国カザフスタンに初めて赴任した時、私はしばらく脳の中が落ち着かない感覚を感じていました。
カザフスタンに赴任した最初の数週間には、挨拶とその国を理解するために、旧ソ連時代に教職や要職に就いていた人たちに会いました。
私の中では、統制社会で表現の自由も職業の選択も限られていたソ連時代から自由になってよかっただろうと単純に思っていましたが、ソ連時代はよかったと言う人たちがけっこう多いことに最初はびっくりしました。
しばらく経ってから、それが不自由でも、一度慣れた秩序や安定の方が人は楽だと感じるのだろうなと理解しましたが、ソ連(共産圏)というこれまで歴史の教科書の中でしか聞いたことのなかった制度とそこで生きてきた人たちのメンタリティーに実際に触れた瞬間でした。
国連で勤務を始めた最初の数ヶ月間は、イスラム圏出身やアフリカ出身の同僚、警察官の同僚など、それまでの私の人生の体験の中であまり触れたことのない人たちと一緒に働くことになり、打ち合わせの仕方など一つとっても慣れないことが続きました。
難しい課題に対する答えや新しい発想を求める時、私たちはこのような「落ち着かない」状態を通ります。
少し居心地は悪いかも知れませんが、こうした体験をつうじて、文字通り経験と思考の幅が広がっているのです。
日本人は考えるのが苦手だと言われますが、私はそうは思いません。
考える力が苦手というよりも、答えがでる前のこのような途中の状態に耐えるのが苦手なのだと思います。
それは暗記や答えありきの問題を解くのが勉強だとされてきたこと、そして、電車は1分も遅れることなく到着し、注文すればなんでもすぐにでてくる世界一の便利な環境とも関係していると思います。
それ自体はとても有り難い感謝すべきことですが、「耐性」という点からすると私たちの能力を甘えさせている面があります。
自分にとって新しい課題に対して自分の答えを出そうとする時、混乱を感じることがあります。
でも、そのような混乱はけっして悪いことではないのです。
そして、答えのない状態も悪いわけではないのです。
大人になってから体験する問題というのはすぐに答えがでないものばかりです。
これは人間関係でも同じです。
同じ日本人だから理解し合えるだろう、という訳でもありません。
だからこそ、自分とは違う考え方に耳を傾けてみようと思います。
そして、自分の中の考えの幅が広がります。
新しい発想が浮かぶ前に、脳は一度こうした状態を通るのです。
頭が落ち着かない感じがしても、新しい発想が浮かぶ前の状態だと思って楽しんでみてください。