自分のアイデンティティー(セルフイメージ、自己価値)が変わり相手のこちらへの態度が変わるとき

学生はほんとうに敏感です。

 

アカデミックにやるのをやめて自分が楽しいと思っていることを伝えようと割り切ったら、学生がいつにもなくよく聞いているのがすごくわかる時がありました。

 

理論というよりも、自分が東ティモールで働いていた時どんなことが大切だと思ったのか自分の言葉で話そうと思って臨んだら、授業の後、一人の学生が「先生のお話し面白かったです」とわざわざ伝えに来てくれました。

 

ありのままでいこうと思ってたら、プリントを配るのにまごついて、学生に「せんせい、かわいい」と言われました。(笑)

 

先生っぽい格好じゃなくてもいいじゃんと思って、ピンクのピアスをつけて行ったら、「先生、ピアスかわいい」

 

最近暗めの色の服が多かったなあと思って、今日はスカートを履いて行こうと思ったら(変な意図ではありませんよ)学生が一言。「せんせい、スカートかわいい」(笑)

 

ボキャブラリーが貧弱なのは若干気になりますが、学生って素直だなと思います😊

 

一昨日は、「先生、ホワイトハウスで働く人みたい!」と言われました。何故か、ホワイトハウス(笑)

 

確かに、あるイギリスのブランドのロイヤルブルーのジャケットを着ていたのだけど、それだけでもないかもと思ったのです。

 

こちら側の相手への思いが変わると、特に何も言ってないのに、相手のこちらへの態度が変わることがありますね。

 

例えば、自分の中の判断や裁き(judgement)を相手に貼り付けていたことに気がついたり、心の中で相手のこと(態度やふるまい、言葉など)をゆるした後などです。

 

同じ様に、自分の自分に対する理解や自己認識、アイデンティティー(自己価値)が変わると、相手のこちらへの態度が変わることもあるように思います。

 

学生から「先生、ホワイトハウスで働く人みたい!」と言われた時、心の中で思ったのはこんなことでした。

 

それは、「孤児の霊」ではなく「王の娘」という世界に触れ、新しいアイデンティティーが私の中に根付き始めたからかも😊と思ったのです。

 

「王の娘」または「王の息子」というアイデンティティーとは何か?を理解するために、その反対の「孤児の霊」(orphan’s spirit)というものについて簡単に触れたいと思います。

 

「孤児の霊」とは、文字通り、なんでも自分で生き延びていかなければならないような、親がいないようなサバイバルのメンタリティーで生きている、自分がどこに属しているのかわからない、自分が何者なのか分からず、さまよい、物理的にサバイブしないけいけないだけでなく、不安の中で生きているというような状態です。

 

その大きな特徴は、何かをしてこそ、何かの成果をあげてこそ、愛されると思っているので、常にがんばることです。

 

しかも、がんばることで成果や結果を出してきたので、その何が悪いの?と思います。

 

誤解のないように付け加えますが、努力をすること、勤勉であることはとても大切なことです!

 

しかし、わたし自身もそうでしたが、自分の存在価値を業績や成果で証明し続けなければならず、心が休まらないのです。

 

これは本当に本当に大変なことです。

 

なにより、より本質的な問題は、すべてをコントロールしたくなる、権威(学校、先生、政府、上司、リーダー)に対して、批判的な見方を持っている、(ゆえに)神様に対しても誤解した見方を持ってしまう(神様からの無条件の愛を素直に受け取れない)ということにも関係している場合があります。(E1 Life Renewal Camp Textbook, 21st Century Christ Church p.48)

 

日本人は真面目なので、すべてを捧げた末に先の戦争に負け、屈辱的な占領期を迎えた際に、それがあまりにもショックで、見放されたように感じて(実際の孤児も多くいました)この孤児の霊の影響を受けるようになったという見方もあります。

 

そして、日本社会で、父性不在という問題があること(実際に父がいないこととは違います)も指摘されています。

 

でも、神様はそんな私たちの社会にあるかもしれないそのような要因さえも癒すことができるお方なのです。

 

王の娘というのは、文字通り王の娘です。

ですから、孤児ではありません。孤児とはまったく違います。

王の娘には、天のお父さんがいます。

天のお父さんは自分の子どもである娘にこう言ってくれています。

 

「あなたの神であるわたしがいつもあなたと一緒にいますよ。

神の力があなたにあるので、戦いはすでに勝利しています。

わたしはあなたのことを思って喜んでいます。

神の愛によって、あなたのいのちはいつも新しくされています。

わたしはあなたのことをとても喜んでいるので喜びの歌を歌います。」

(Good News Translation (GNT)より意訳 ゼパニヤ3:17;)

 

The Lord your God is with you;

his power gives you victory.

The Lord will take delight in you,

and in his love he will give you new life.[a]

He will sing and be joyful over you,

Zephaniah 3:17 Good News Translation (GNT)

 

「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、あふれる流れのように国々の富を与える。あなたがたは乳を飲み、わきに抱かれ、ひざの上でかわいがられる。」(イザヤ66:12)

 

「あなたは祝福される。あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。

あなたのかごも、こね鉢も祝福される。あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。

主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。

主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。」

(申命記 28:2-7、13)

 

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。(詩篇23:6)

 

この内容も素晴らしいですが、すごいと思うのは、これは、何をやったからでも、頑張ったからでもなくて、文字通り娘(息子)だから無条件に与えられていることです。

 

こういうよい言葉に触れていくと、自分の頭の中の思いがネガティブな思いからよい方向へ向きが変えられていくのを感じます。

 

わたしたちの戦いは頭の中の思考・考え方にあるという世界的ベストセラーの本もあります。

 

だから、予防策のように、聖書からよい言葉を書き出したノートを用意して鞄に入れてあります。

 

そのノートをいつも開いているわけではなくても、守りが共にあるような安心感と心の落ち着きを感じます😊

 

”The Lord will make you the head and not the tail, and you shall only go up and not down.” 「主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。」(申命記 28:13)

 

これを読んでくださっている方々にたくさんの祝福がありますように!

 

May peace and blessings be with you!

それを待ち望む体験があるからこそ、それを心から求め、それを祝い感謝することができる

クリスマスが終わりました。

みなさんのクリスマスはいかがだったでしょうか?

 

私の場合、高校生の時にハレルヤコーラスをみんなで歌ったのがとても気持ちよくて、今でもクリスマスシーズンになるとハレルヤコーラスを歌いたくなります。

 

今年は、久しぶりにハレルヤコーラスを聞く機会があって、改めて感じたことがありました。

 

クリスマス(Christ-mas)は、ご存知の通り、イエスキリスト(Christ)の誕生(降臨)を祝う日です。

 

私は特定の宗教をやっていませんが、

 

ハレルヤコーラスとイエスキリストの誕生の場面が描かれた聖書の箇所の朗読を聞きながら、心を静める時を持つと、

 

多くの人がその誕生を何百年も待ち望んでいて、その待ち望む想いがあったがゆえに、その誕生がいかに喜ばしいことなのかが改めて心に沁みて感じられました。

 

そして、こんな気づきが訪れました。

 

もし、これを一つの「比喩」としてとらえるとするならば、求める、待ち望む気持ちがあるからこそ、または、チャレンジや試練があるからこそ、ほんとうに大切なものの価値を受け取り、味わうことができる、ということです。

 

クリスマスの情景に戻ると、聖書には、その時の喜びの様子がこのように描かれています。

 

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。

すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

天使は言った。

『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。…

 

あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』

 

すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

 

『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」

 

何百年もの間その誕生が予言され、飢饉などがあり、その誕生を待ち望む人々の心の中で、ある日、天使のお告げによって羊飼い達がイエス・キリストの誕生を知らされます。

 

そして、天使に言われたとおりにその子を探しに行くと、羊飼い達はかいばおけに寝ている子をみつけるのです。

 

また、真実の光がやってきたとも書かれています。

 

The true light that gives light to everyone was coming into the world. (John 1:9)

 

その光は、愛、真理、ゆるし、和解、いのちを象徴していると言われ、その光が世界にもたらされたことの意義は、

 

キリスト誕生の前と後で、イエス・キリストの前を意味する「Before Christ」BCと「イエス・キリストの年に」を意味するAD(アンノドミニ =Anno Dominiの略)と、時代(西暦)の表記が、変わることに示されていることにも見ることができます。

 

そして、その光を待ち望む体験があるからこそ、それを心から求め、それを祝い感謝することができるのです。

 

christmas

 

 

わたしたちは自分が望むものに一直線でたどり着きたいと思います。

 

でも、人生ではいろんなチャレンジや試練を体験します。

それがなかなか叶えられなかったり、道に迷ったり、時に葛藤を体験することもあります。

別の言い方をすると、だからこそ、そのような体験があるからこそ、愛、ゆるし、和解、真理、いのちというものの価値をほんとうに受け取り、味わうことができるとも言えるのです。

 

さて、あなたが待ち望んでいる「誕生」は何でしょうか?

 

あなたが待ち望んでいる光とは何でしょうか?

 

愛も真理もゆるしも和解も真理もいのちもすでに存在し、誰にでももたらされています。

 

The true light that gives light to everyone was coming into the world.

 

光を求めましょう。

 

光を、愛を、ゆるし(和解も真理も)を自分の人生に招き入れましょう。

 

宣言しましょう。

 

「わたしは光を求めます。光よ、わたしの人生に来てください。光をわたしの人生に招き入れます。光を受け入れます。」

 

わたしたちは光と愛に包まれる存在です。

仕事やスキル、人生全体を数段階上げてくれる人生の「コアスキル」は「嫌われるおそれを超えてほんとうのことを言えること」!

昨日「コアスキル」という「業種や職場を超えて通用するスキル」についてお話しをしました。

 

日本の雇用システムは学びとモーチベーションを失わせるー業界や職場、企業が変わっても通用する「ポータブルスキル」を身につけよ❗️

 

業種や職種を超えても、これを身につけるとその人の仕事やスキル、人生全体が数段階上がると思われる「コアスキル」の一つは、「嫌われるおそれを超えてほんとうのことを言えること」だと思います。

 

そんなことを今日の夕方、多摩川河川敷をジョギングしながら、野球を指導している大人を見ながら思いました。

 

小学生低学年向けの野球教室なのか、ユニフォーム姿がまだあどけなくて可愛いかったのですが、フライをとる練習を指導していた大人がちょっと遠慮しすぎているように見えました。

 

野球は詳しくありませんが、中学校でソフトボールをやっていたのでフライをとるなら、真下でどっしりと構えていることが大切だということはわかります。

 

構えていて、それで外してしまったらそれはしょうがないですが、でもその構える姿勢が中途半端だったのです。

 

だとしたら、大人はその点について指導をしないといけないのですが、それに対する大人の反応もなんだか中途半端な感じでした。

 

野球を上手にするよりも伸び伸び遊ばせようという趣旨の野球教室なのかも知れません。

 

でも、中途半端な指導はそれがどんな勉強であっても、どんな内容であっても、「人生を生きる上で大切なこと」を学ぶ機会を逃してしまいます。

 

それがなんであれ、適当でもよければ、その子供はそんな姿勢で人生を歩むことになってしまうでしょう。

 

わたしたちの中には、「こんなことを言ったらどう思われるんだろう」という人の目を心配する部分があります。

 

もしかしたら、野球の指導者たちは、今どきの子たちにはあんまり厳しいことを言ってはいけない、とか、親御さんの反応を心配したのかも知れません。

 

そうした心配もわかるのですが、米海軍大学院の講師として軍人の講師を務めた体験、世界的カウンセラーの先生の通訳をした体験と自分のコーチングの体験から言えるのは、

 

相手のことを真摯に思って紡ぎ出される言葉を愛を持って伝えるとき、伝わることは伝わるのです。

 

ここはとくに、先生や講師、コーチ、カウンセラー、教える人や指導する人が超えないといけない関門です。

 

最近、人の相談にのる立場にあり、けっして簡単でないケースを扱われるクライアントさんが伝えてくれたのですが、

 

彼女はコーチングを受け始めてから、相手の相談にのりながら、言うべきことが前よりもはっきりわかるようになったそうです。

 

職業柄、時には厳しいことを言わないといけないこともあるのですが、「それでいい」と自分が発することに対して自信が持てるようになったそうです。

 

そんな時、職場に電話がかかってきて、どうやら彼女が担当した件にかんしてだったのですが、上司が「それはあなたの問題ではないでしょうか?」とはっきり伝え、彼女の仕事ぶりをきちんと理解して、信頼して上手に対応してくれたそうです。

 

「誠実に仕事をしていると、全員とはいわなくても、どこかに必ず理解してくれる人がいますよね」とお伝えしました。

 

教える人やコーチやカウンセラーといった人たちだけでなく、どんな業種でも、とくに、上司など人をまとめたり指導する立場にある人にとっては、

 

大事なところでごまかさずにきちんと大事なことを伝えてくれることは、対人援助職の仕事をしているかどうかにかかわらず、人生のレベルを数段階あげてくれる「コアスキル」だと思います。

 

わたしも改めてそう自分に思います。

 

そして、そんな人がもっと増えて欲しいと思っています!

 

 

プロフィール

米海軍大学院 (the US Naval Postgraduate School, the Center for Civil-Military Relations)の専門家として世界的な研修プログラム(the Global Peace Operations Initiative :GPOI)で唯一の日本人女性として講師・教官を務め、中東8カ国の軍人のべ400人に対して教鞭をとる。

 

100年時代を大胆に生きるための本質的な学びをサポートします!

 

https://chikaonaka.com/coaching/

今の時代が求めている人とは?ー自分が幸せで周りの人たちの幸せを願う人、 人に勇気を与えたいと思っている人が変革をおこす❗️

最近、ある勉強会に参加して、自分のギフトや方向性について改めて発見したことがあります。

 

コーチやカウンセラー、コンサルタント、ソーシャルワーカーといった人をサポートすることに関わる人でも、人それぞれのアプローチや得意分野、ギフトやミッションが違います。

 

わたしの周りを見ていても

ある人はとても優しく受け止める人で

慰めをもたらす役割があったり、

ある人はティーンエージャー特有のお年頃のお悩みを聞くのが得意で

ある人は癒しのギフトを持っていて

ある人は論理的に整理するのが得意で、

ある人はインスピレーションを与えるタイプで

ある人はより大きな視点で方向性を示すというギフトがあります。

 

わたしは、慰めというよりは、目の前の課題をより大きな視点でとらえ直して、方向性を示してインスピレーションを与えるタイプです。

 

 

最近、ある勉強会に参加して、自分のギフトや方向性について改めて発見して腑に落ちたのは、ヒーリングのギフトも与えていますが、わたしの場合、ギフトの中でも特徴なものは、変革(transformation)のギフトだということです。

 

 

国連職員の中でも東ティモールと南スーダンで独立国の誕生に立ち会うという稀有な体験をさせていただきましたが、そのことを思い出して、そこには自分の中の「変革」にかんするギフトが関係していたことに気付きました。

 

そして、自分にとっての「コーチング」の意味を改めて受け取りました。

 

コーチングでは、その方がほんとうに望む方向性や強みや方向性をみつけていく過程にとくにワクワクします。

 

わたしはコーチングをリーダーの育成として取り組んできました。

 

この場合のリーダーとは、

人生をよりよくしたいと思っている人

自分が幸せで、周りの人たちの幸せを願う人、

人に勇気を与えたいと思っている人、

社会や世界の役に立ちたいと思っている人

のことを指しています。

 

その人が誰かに笑顔で挨拶して、たった一人にでもよい影響を与えることができればその人はリーダーシップを発揮しています。

 

不安や不平不満をいうことは簡単だけれども、自分がよりよく生きることで人に勇気や希望を与えることのできる人のことです。

 

今の時代が求めているのはそういうリーダーです。

 

わたしはコーチングを、課題やチャレンジを通じて(たいていそういう形で機会はやってくるからです)その人のほんとうの自分の役割を発見することをガイドするものとして捉えてきました。

 

それは「変革」なのです!

 

そして、自分の役割を自覚し生きている人が増え、そういう人たちがつながることで、新しい時代をつくっていくような価値やサービスも生まれると信じています。

 

 

https://chikaonaka.com/coaching/

「幸せの扉を開く29のカギ」幸せだから感謝するでのはなく、感謝するから幸せになる

ユダヤ人の人生読本であるタムルードには、「世界で一番知恵のある人は学ぶ人であり、世界で一番幸せな人は、感謝しながら生きる人である」ということばがあるそうです。

 

私自身、最近、感謝できることの価値、とくに、直接的に金銭的に測ることのできないものの価値に気づける感性を持てることの価値を改めて受け取っています。

 

それはいろいろなところで感じるのですが、一つは音楽祭でした。

 

先週は、辻井伸行さんのピアノ演奏でベートーベンの月光を聞く機会に恵まれました。

 

2年前ウィーンフィルによる30周年記念コンサートで巨匠ズービンメタ指揮による演奏をきいて、とても感動しました。

 

近くにシェアオフィスがあるので、よくサントリーホール前の広場でお茶するのですが、あまりに素晴らしかったので、お茶を飲みながらサントリーホールに向かって、「素晴らしい演奏をありがとうございました」と心の中でお礼を言っていました。

 

何度か瞑想のようにお礼を心の中でつぶやいていたかも知れません。

 

お金を払ってチケットを買い、オーケストラが揃ったからとって、心が揺さぶられるような演奏を聴けるとは限らないので、自然とそういう気持ちだったのだと思います。

 

すると、なんと、その3週間後にサントリーホール主催のバックオフィスツアーにお誘いを受けることになりました。

 

なんと、指揮者や演奏者がリハーサルをしたり、待機する部屋を見れるというのです!

これは音楽ファンにとってはたまりません。

興奮して当日を迎えました。

 

IMG_7071.JPG

 

IMG_7021

 

バブルの頃、東京に足りないものは文化だ!と言って、採算度外視で、サントリーホールをつくったサントリー創業者・佐治元会長のホールに対する想いを知ったり、世界的指揮者のサインコーナーではズービンメタのサインもみつけました。

 

IMG_7078.jpg

 

指揮者の部屋ではズービンメタも座っただろうソファーに座りました。

 

 

観客のいないサントリーホールで指揮台にたって、ズービンメタのような気持ちで指揮棒を持つことができました。(感動😂。。。)

 

ファン・会員限定のイベントで、次回の開催が決まっているわけでもない、お金を払っても買えないものでした。

 

このままでは、音楽オタクの記事のようになってしまいますが(笑)、伝えたかったのは「感謝をすることでさらにいい体験を呼び寄せる」という原理です。

 

サントリーホールに向かって心の中でお礼をしていたら、こんな貴重な機会に誘われる機会に恵まれました。(と本人は思っています笑)

 

ニューヨークで働いていた時、マンハッタンの五番街にある高級店で時計を買ったり、バッグを買ったことがありました。

 

それなりに給料をえていたはずなのに全然お金が貯まらなかったのもニューヨーク時代でした。

 

一度やってみたかったのだと思いますが、あ、「こんなもんか」と思い、なんだか虚しいというか、一瞬得たはずの満足もすぐに消えさってしまい、なにより嫌だったのは、自分の中でたいした感謝も感じられないことでした。

 

モノに何かを求め始めるともっと高いものが欲しくなってかえって欠乏感を生み出す構造があるのですね。

 

なんとなくわかっていたものの、やっぱり、モノだけでは人が心の奥底に持つ「心の乾き」を満たすことはできませんでした。

 

「自分にないもの、ほかの人と比較して人生を送る人は不幸である。自分にあるものは見えず、ほかの人と比較して幸せをはかる。軽自動車に乗っていれば中型車に乗っている人を羨ましく思い、中型車に乗っていれば大型車に乗っている人を羨ましく思う。

 

。。。

 

一生懸命働いて素晴らしいアパートを購入しても、友人がもっと広いアパートに住んでいることを知って相対的な貧困を感じたりする

 

。。。

 

とは、「幸せの扉を開く29のカギー一生感謝」という本の一節です。

 

でも、この本は続けます。

 

「幸せだから感謝するでのはなく、感謝するから幸せになる」と。

 

ほんとうにその通りだと思います。

 

「いいことがある時に感謝するのは簡単だけれども、小さいことに感謝をみつけること、そして、一見感謝するような状況じゃないことにも感謝できることは『謙遜のこころを持つ人の特権です』」という本の一節が最近こころの中をめぐっています。

 

そんな境地に向かって、一つ一つ感謝の気持ちを育てています。

 

「幸せの扉を開く29のカギー一生感謝」オススメです♡

 

https://www.amazon.co.jp/一生感謝―幸せの扉を開く29のカギ-吉田英里子/dp/4904308050

 

 

 

 

 

環境や仕事は変わったのになぜか同じようなことを繰り返し体験するときー⭕️⭕️の連続こそが、人生をその先に進ませることを避けていることがある

もし本気で人生をよくしたいと思うならば、わたしたちは「原因」と「結果」についてより高い視点から理解することが必要です。

 

宇宙の視点からみると、人生の目標とは、私たちが人格的に成長することなので、人生ではいろいろな出来事や課題を体験します。

 

宇宙の視点からみると、私たちが愛する子供たちにできることならなんでも与えてあげたいと思うように、それは愛する我が子に体験を積ませるための機会とも言えます。

 

そして、一つづつ課題をクリアすると自分の経験値と総合的な実力があがっていることに気づき、それに合わせて仕事の機会も広がり、影響力もあがっていきます。

 

なので、その時々に現れる自分の課題に向き合うことはとても大切です。

 

同時に、環境や仕事は変わったのになぜか同じようなことを繰り返し体験する、ということがあります。

 

その時には、一度落ち着いて、自分の「内面」に、なにかそうした体験を生み出す考え方やパターンがあると疑った方がいいでしょう。

 

または、なぜか、いつも問題解決ばかりに追われているような気がする、ということがあります。

 

その場合には、その先に進むのが「こわい」ために問題をつくり出し続けている可能性があります。

 

人は潜在意識レベルで「問題をつくる」ことがあるのです。

 

そんなバカな?!と思うかも知れません。。。

 

でも、ほんとうなのです😅

 

人間って時どきそういうことをすることがあります(潜在意識レベルでの話しです)

 

そんな時には、問題を解決しようとがんばるだけでなく、

 

「そもそもこの問題は必要なんだろうか?」と聞いてみてください。

 

そして、なにより重要なのは、自分はこの人生でどんなことを望んでいるのか?という自分の人生の方向性(ビジョン)を持つことです。

 

問題解決によって、懸命に努力をしているつもりなのですが、時にその問題解決の連続こそが、人生をその先に進ませることを避けていることがあるのです。

 

しかも、そのパターンに気づきにくいのは、自分は一生懸命に努力している、がんばっている、という感覚が仮に同じところをグルグルと周っていたとしても、それを見させにくくしてしまうのです。

 

そんな時には、人生に問題解決や受動的で決まりきった行動パターンだけでなく、なんらかの新しい体験や創造(creation)の体験を取るこむことが役立ちます。

 

自分のこころに正直になって、自分に問いかけるならば、何十時間も、何百時間も、または、何千万円、何億円もの損失を防ぐくらいの価値があると言ってもいい過ぎではないかもしれません。

 

どんな体験を望んでいるのか、自分の理想のライフスタイルとはどういうものなのか?と改めて問いかけてみてくださいね。

(*^-^)ニコ

 

あなたの人生を生きるためのライフコーチング

⇨ https://chikaonaka.com/coaching/

私は私❗️ー大阪選手に学ぶ「自分の ことを決められるのは自分しかいない!」ということ

大阪選手が日本人で初めて4大大会で優勝したことが話題になりました。

 

男子では錦織選手が世界第四位になっていますが、日本人で優勝は初めてだそうです。

 

大阪選手はハイチ系アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんから生を受け、4際以降米国で生まれ育ったので、国籍は日本であるものの、はたして彼女は「日本人」と言えるのか?という議論が一部でおきたそうです。

 

すると、そもそも「日本人」とは何か?という問いが生まれます。

そんな反応に対する大阪選手の発言に注目していました。

 

ちょっとシャイで言葉少なめな彼女ですが、彼女が言ったのは「私は私」でした。

 

短い言葉ですが、すごく核心をついていると思って、すごく共感してしまいました。

 

わたし自身、大学を卒業して以来、組織人としてのキャリアをほとんどを国際機関で働いて過ごし、英語で仕事をしてきたので、思考プロセスも文章の書き方もかなり英語脳的です。

 

国連で働く際には、「どの国の利益も代表することなく国連憲章の理念に従います」、という宣誓書に署名をしましたが、今でもそのメンタリティーは変わっていません。

 

(というか、元々そういうメンタリティーを持っていたので、国連で働くことに魅力を感じたのだと思います)

 

「日本人」というのは、だいたいこういう行動やメンタリティーを持つものだという「日本人像」が存在するのは理解していますが、個人的には彼女の発言こそが、今の時代の特徴を示してくれているような気がして面白いなあ、と思いました。

 

それは、「究極的に自分がどんな人であるのか決められるのは自分しかいない」という点です。

 

私たちは思春期のときや就職活動のときに、自分はいったいどんな人で、自分の強みはなんだろう?という問いかけに直面します。

 

エントリーシートを埋めたり、面接に通るためにとりあえずの「答え」を埋めることはなんとかできるものですが、

 

「わたしは⭕️⭕️だ」と言うのは案外難しいものです。

 

わたしは

〜の職員だ

母親だ

わたしは料理人だ

わたしは姉だ

 

というように職業や所属する組織をあげることは簡単ですが、

 

わたしは

 

自分はこういう人だ、

 

と言えるかどうかは自分について知るという時間と努力が要ります。

 

でも、もしそれが言えるようになり始めたら

 

自信というものが生まれてくるように思います。

 

 

親や学校や周りの人はそれぞれお互いのことを「あなたってこう」というようなことを言うでしょう。

 

そして、いろんな診断を受けることもできるし、

そしてもちろんある程度の客観性は必要ですが、

 

自分はどういう人間なのか

自分の長所はどういうところなのか、

自分は自分のことをどう思っているのか

 

けっきょく、

自分はこうだ!と決めることができるのは、究極のところ自分しかいないのです!

 

人の意見は人の意見。

これは客観性やデータの問題ではなく、

自分の意思やセルフイメージについてです。

 

誰がなんと言ってもそれを信じる必要はありませんし、

人の承認も意見も待つ必要はありません。

(人からの承認はもろくほんとうの自信にはなり得ません)

 

自分はどんな人間なのか、を決める権利は他の人にはありません。

 

 

私は私!

私はこういう人です。

誰がなんと言おうとも自分で決めればいいのです!

(*^-^)ニコ