実は「このままでいいんだろうか?」という思いながら、一歩踏み出したいけど一歩踏み出せない人の中で起きていること

一歩踏み出したいけど、不安やネガティブなことばかり浮んでしまって一歩踏み出せないという声を聞きます。

 

「ライフシフト100年時代の人生戦略」が話題になったように、人生を学校→会社→引退という3つのステージで捉えてきた前提自体が変わっていくと多くの人が感じとっている、

 

だからこそ、「このままでいいんだろうか」「なにか新しい可能性に挑戦したい」という意識が社会全体的に高まっているという背景もあるようです。

 

しかし、自分の方向性を見つけていく過程は、すぐに答えが見えないので「今自分が向かっている方向はあっているんだろうか」と悩むことは尽きないし、自分の判断基準をもつこと、自分の感覚を信じることが何度も問われます。

 

「こんなに努力しているのに。。。」「どうせわたしは無理なんじゃないか」「なんか自信をもてない。。。」と自信も失っていくこともあるでしょうし、あまりにもそうした体験が続くと、自分にとって明るい展望を信じることも難しくなってきて、周りの人にも「懐疑的」になっていくこともあるかも知れません。

 

一生懸命に努力しているのになかなか成果が見えず、グルグルと回りをまわっているように感じる時は本当に辛いです。

 

途中でやめたくなることもあると思います。

 

または、幸いにずっと望んでいたような仕事についたり、ある程度やり遂げたし、成功も体験したのに、相変わらず心の奥底には、自信のなさや劣等感があるのに気づいて、がっかりしたり、または、ある程度何かに取り組んだからこそ次の壁に直面して、自分の無力感や虚無感を感じることさえあります。

 

週末はカフェにいったり、ジムに行ったり、友人とワインを飲んだりそれなりに楽しいことがあるので、そんなこと「ないふり」もできるのですが、

 

実は「このままでいいんだろうか?」という思いを感じている人は少なくないようです。

 

そして、そうした嫌な気分を埋めるためには「頑張ること」が大切だと思って、何かに対してがんばろうとします。

 

この資格がとれたら、

大学院を卒業したら

MBAをとれたら

昇進したら

転職したら

。。。

 

と考えてみるのですが、こんな思いも時々頭をかすめます。

「こういうものを表面的に埋めようとするのは無理なのかもしれない。。。」

でも、それを認めるのはこわいし、でも、どうしたらいいのか分からないから多くの人がそこで思考停止状態になってしまいます。

 

そんな時に役に立つことは、まずは、自分の中の「葛藤」に気付くことです。

 

この場合の葛藤とは、

「自分はこうあるべきだ」という理想の自分像と、「ほんとうの自分」との葛藤です。

 

『ほんとうの自分』とは、「こう見せようとしているけど、実は自分ってこうなんだ」と自分で気づいている部分のことです。

 

一生懸命に鎧でおおって、埋め合わせしようとしている部分のことです。

 

たとえば、

かっこ悪い自分

みえっぱりな自分

「私ってたいしたことないな」と感じる自分。

恥ずかしがり屋な自分

批判に過度に反応してしまうジブン。

実はこわがりな自分。

本当はなまけもののワタシ。。。

実はわがままなジブン。。。

実はできないワタシ。。。

傷つきやすいワタシ

などです。

 

誰もがこうした部分を自分の中にもっています。

 

でも、私たちは、「自分はこうあるべきだ」という理想の自分像を信じたいので、

こうしたありのままの自分を受け入れ、認めるのが難しくなってしまうのです。

 

「一歩踏み出せない」という人の多くは努力家で勉強熱心で、能力もスキルも高い人が多いと思います。

 

おそらく能力やスキルという観点から言うとそれぞれの分野で十分に準備ができている人は多いのではないかと思います。

 

でも、一歩踏み出すのがこわい、と言うのです。

 

やってみないとわからないし、やりながら進んでいくものだよ、と頭でわかってはいても、やっぱり「こわい」のです。

 

でも、何がほんとうに「こわい」のか?

実は本人の自覚がないことも珍しくありません。

 

もう一度聞きますね。

 

何がほんとうに「こわい」の?

「こわい」の正体はなあに?

 

 

一つの理由は、

たいしたことのない自分

思ったよりもできない自分がこわいのです。

 

そして、一生懸命にやったとしてもできない分野があること

に直面するのがこわいのです。

 

でも、そこからがほんとうの始まりなのです。

 

「一生懸命にやったとしてもできない分野があること」とは努力を否定するわけではありません。

 

人にはそれぞれの分野や役割があるということです。

 

人との競争ではなく、ほんとうの自分の強みをみつけることを求められていたり、人生の方向転換を求められてる場合もあるでしょう。

 

または、自分が努力しても人生のすべてをコントロールできるわけではない、という事実を受け入れる、という学びである場合もあるでしょう。

 

かくいう、私も国連時代も含め、とくに新しい分野に挑戦し始めたばかりの時は、まさにこれに直面しました。

 

自分の強みを知っている人

本当の自信がある人

自分の軸がある人

自分の役割・使命を知っている人、は、

 

すごいスキルを持った人でも

完璧な人でもなく

等身大の自分を知っている人です。

 

逆説的に聞こえるかもしれませんが

「ああ、この分野ではとうてい自分はかなわない」

「自分ってたいしたことないな」という事実に直面するからこそ、

 

だからこそ

 

人は死ぬ気で必死になって自分の強みや自分の方向性・使命をみつけだそうとするのです。

 

もし、自分は準備のために多くの時間を費やしてきたけど、

なんか周りをグルグルと周り続けているなあ、と感じている人へ。

 

もしそうだとしたら、前に進むために役に立つ方向性は、

 

自分を守るための「鎧」をさらに増やすのではなく、

そういう「自分」を拒否するのではなく、

そんな自分も丸ごと受け入れることです。🙆🙆🙆

 

グッドニュースは、仮に「自分ってたいしたことなくても」死ぬわけじゃないこと(笑)

 

しかも、実は周りの人はとっくに気づいているし、みんなも同じだから。

 

そして、「たいしたことのない自分」を受け入れた自分って愛らしいのです。

 

「自分はこうでなければいけない」と鎧で覆っている自分よりも「楽チン」なのです。

 

「たいしたことのない自分」ーそれでもあなたは愛されてます!💛💛💛🙆🙆🙆

 

 

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無関心や孤立、寛容性が下がる「社会的なトラウマ」 という現象ーその連鎖と国連関係者が学ぶ「どうしたら憎しみの連鎖を防げるのか」という理論

先日はトラウマとは単に「心の病」というよりは、「身体に残り外に出切れていないエネルギーである」とお伝えしました。

 

アメリカでは10人に一人がPTSDと言われるくらい、トラウマやPTSDが過剰に診断される状態があるとも指摘され、

 

すべてを「トラウマ化」する必要はない、と断っておいた上で、

 

トラウマと暴力の連鎖のメカニズムと、それを乗り越える過程を理論化したものして知られる

 

The Center for Justice and Peace-buildingの Strategies for Trauma Awareness and Resilience(STAR)より、トラウマが日常的にどういう風に現れるのかお伝えしたいと思います。

 

cycles-of-violence.jpg

⏫  The Center for Justice and Peace-building, Strategies for Trauma Awareness and Resilience: STAR)より

 

一般的にはこのような状態がみられます。

 

・判断能力が低下し、何かに対する事象を恐れとして認知しやすくなる。

・コミュニケーション能力が低下し、特に共感性が下がる

・柔軟性や寛容性が下がる

・直接何かが起こったわけでもない個人との関係において緊張や対立がおこる

・無関心や孤立

・自分の被害ばかりに目がいき、他者の視点で見ることができなくなる(歴史、係争、関係性)

 

さらに、そのエネルギーが内に向けられるか(acting-in)、または外に向けられるのか(acting-out)?に分けられます。

 

内に向けられた場合には、以下のような症状が見られます。

 

内に向けられた場合:

・依存 (インターネット、薬物、買い物、セックスなど)

・過食症・拒食症

・仕事中毒

・自傷行為

・うつ

・不安

・頭痛や身体の緊張など・慢性的な痛み

・病気(身体的症状)

・自殺

 

外に向けられた場合には、以下のような症状が見られます。

 

外に向けられた場合:

・ドメスティックバイオレンス(DV)

・虐待

・犯罪行為

・リスクを犯したがる

・攻撃的な行為

・暴力行為

・戦争

 

社会的・集合レベルでは次のようなトラウマのサインを見ることができます。

 

・無関心(国の政策や政治や社会に対する無関心)

・黙る(表現の自由の抑圧、真実が語られなくなる)

・共感や寛容性のうすれ

・二元論(ゼロか100か、こちら側かあちら側か)

・ 人との繋がりが希薄になり信用できなくなる

・環境の悪化

・性の軽視や売春の増加

・薬剤の使用量の増加

 

 

トラウマはそれに苦しんでいる当事者が自分で心の痛みを癒し、その体験を完了させなければ、さまざまな 形で次の世代や社会に引き継がれると言われています。

 

最近は、トラウマと暴力の連鎖だけでなく、それを乗り越える過程も理論化されています。

 

これは、9.11をきっかけに始まった「どうしたら憎しみの連鎖を防げるのか」という研究から生まれまし た。

 

今では、「Strategies for Trauma Awareness and Resilience: STARプログラム」として知られ、私も国連の研修の一環で参加したことがありますが、米政府や国連関係者、アフガニスタ ンやイラク従事者をはじめ、ドイツ、ケニア、レバノンなど世界60ヵ国から参加者が集まるプログラムとして知られています。

 

STARは、米国で起きた1995年のオクラホマシティ連邦政府爆破事件の被害者が「和解」へ向かっていた 過程などを理論化し、紛争を根本から解決するには、個人が心の傷やトラウマの体験を癒すことが重要だとしています。

 

STARに理論によると、寛容性の低下や排他主義といった排除型の暴力も、トラウマと暴力の連鎖の一つだと説明することもできます。

 

報復の「連鎖」を根本的に解決するためにも、こうした連鎖のメカニズムとそれを断ち切るのは何か?と理解することは役に立つと思います。

 

STARの理論では以下のステップが説明されています。

 

STAR 和解.001

 

(#1)身の安全

(#2)なげく・自分のストーリーを話す

(#3)Why me? ⇒ Why them?なぜ私?からなぜ相手?への視点

(#4)相手の「ストーリー」を理解する

(#5)ストーリーが書き換わる

(#6)ゆるし

(#7)正義(restorative justice)

(#7)和解

 

こちらについてはまた説明したいと思います。

 

個人的なトラウマやPTSD(援助従事者による二次受傷、セカンダリートラウマも含む)の回復プロセスについてはこちらで説明しています。

 

トラウマとまで言わなくても、人生では自分の思うようにならない時もあれば、理不尽なことも起こります。一人ではどうしたらいいのか分からなくなることもあるでしょう。

 

そんな波の中にいる時にどうしたいいのか?

 

少しでもそんなヒントになるように、トラウマやPTSDの回復理論やレジリエンスに関する研究と私自身の燃え尽き症候群やPTSDからの回復体験を質問形式にしてまとめました。

 

ここで挙げている質問は、リラックスして、まずは眺めてみて、思い浮かぶことをありのままに観察してみるというアプローチをオススメします。

 

質問を読んでもに何も思いつかなくても、ふとした瞬間に何か思い浮かぶ事もあるでしょう。

 

自分が前に進んだからこそ、意味を持ってくる質問もあるので、ぜひ定期的に眺めてみて下さいね。

 

ダウンロード・登録⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

 

目次

あ、今の自分の状態について把握する

い.自分の「ストレス反応」を知る

う.今気になっていることについて観察する

え.喪失 (後悔、自責、サバイバーズギルト)に気づく

お.自己像、自己肯定感、自己受容度に気づく

か.自分の中の「不安」を意識化・言語化する

き.自分のコーピングスタイルを知る

く.自分と相手との優先順位(境界線)と当事者レベルを知る

け.自分のストーリー(解釈・認知)に気づく

こ.回復のストーリーをみつける

さ.試練の中の「意味」について知る

し.再結合・新しい自己の創造

す.回復・再生のためのステップ 

せ.トラウマからの回復・再生のプロセスで体験しうること

そ.トラウマからの回復の三段階

 

ダウンロードは⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

 

⭕️⭕️がないと 受験だ、就活だ、婚活だとベルトコンベアに乗せられていくだけ「これでは薄っぺらい自分のない人間しかできあがりません」

自分で考えたことがないと、「受験だ、就活だ、婚活だと、『そんなものだ』とベルトコンベアに乗せられていくだけ。これでは薄っぺらい自分のない人間しかできあがりません。」

 

 

「『自分のアタマで考える子』の育て方」の中で、子どもの能力を伸ばす教育で知られる高濱正伸さんはさらに続けます。

 

「『生きるってなに』『私ってなに?』『何のために学ぶの?』『就職ってしないといけないんだろうか?』とさまざまに悩み、本を読み、誰かと議論する中で、「生きていくための軸」となるものを掴んでいくのです。

中略

それ(自分で考えること)をしなければ、根なし草のような自分しか持てなくなります。

 

そんな状態でいくら自分探しをしたところで見つかるわけがありませんし、聞こえのいい言葉を並べるだけの中身のない人間にしかならないでしょう。

 

それは『自分で考える』ところからしか生まれてこないものなのです。」

 

そもそも人間は思春期から青春記にかけては、人間は本来「哲学」するものとも言っています。

 

わざわざ「哲学」という言葉を使わなくても、子供は小さいながらにいろいろなことを感じています。

 

それを口にするかどうかは別にして、例えば、なんで戦争は起こるの?なんで戦争はなくならないの?環境問題はどうしたらいいの?

といった疑問を純粋に持ちます。

 

「生きる」とは真逆のことをなぜするのか?、

お互いになぜ殺し合い、傷つきあう行為をするのか?、と単純に思うのです。

 

「考えること」の本質は「疑問を持つこと」なので、子供の方が本能的に物ごとの「核心」をわかっていることも珍しくありません。

 

なので、

こうした疑問を持つことは、考えること、そして、なにより人生の中でもとても重要な問いである、自分にとって大切なことは何なのか?と同義語です。

つまり、自分はどう生きたいのか?何をしたいのか?の土台となる部分です。

 

今思えば、高校の時に「本質的なことを追求することをよし」とする校風で学ぶことができたのはとても幸運でした。

 

校長先生や倫理の先生が「人として生きるとはどういうことか?」と毎週本気で伝えようとしてくれました。

 

国連での勤務などを経て、10数年ぶりに先生を訪ねた時に改めて気づいたのは(今は校長先生になられています)、当時私たちが見せてもらっていたことは、人生には常に続く「問い」が存在すること、同時に、問いや自分の価値観をもって生きている人は美しいという姿でした。

 

こうした時期に、自分にとって大切なことは何なのか?=つまり、自分はどう生きたいのか?と考え、模索した体験がなかったら、南スーダンなどの紛争地で働くことも、紛争という事実に直面するような「ふんばり」も持てなかったかも知れません。

 

ただ、

そうした課題意識や探求心が尊重され評価される欧米と違って、日本ではそうしたことを話しあえるような場も機会も限られていて、ニュースは表面的な出来事しか伝えません。

 

テレビにしろ、必ずしも本当に重要なことが話されている訳でもなく、そもそも関心がない、またはどう答えていいのか分からない、大人が諦めてしまっているという事実に子どもはショックを受けます。

 

大人の社会にはがっかり、失望、無力感や諦めさえも蔓延しています。

(日本社会は残念ながらこの感覚が世界の中でも強いように感じます。)

 

そんな体験を重ねるうちに、そんなことを考えても無駄だ、無意味だ、とショックや落胆、失望が深く抑圧されていきます。

 

ただ、人間にとって、「理解されない痛み」は実はとても大きいものです。

「理解されないと人は生きていけない」と指摘する人さえいます。

 

もちろん、表面的には生きていけます。

 

これは、クライアントさんとのセッションで見せていただいたことですが、

 

例えば、医師としてプロフェッショナルに活躍されておられる方でさえ、

(そしてある意味、そうした体験や問題意識こそが、その人を医師にさせた言動力となった面もあるのですが)

ある段階になると、そうした体験が人生において「重荷」として浮上してきます。

 

わざわざ「重荷」という表現を使ったのは、

 

プロフェッショナルとして活躍され、尊敬もされる立場にあり、日常的には問題なくコミュニケーションがとれている人でも、

 

理解されない・わかってもらえないという体験や思いから、無意識に自分の意見を正当化しようとしたり、相手を説得しようとしたりすることがあったり、

または、ある部分が「満たされない」ような感覚として体験する人もいます。

 

人間にとって、「理解されない痛み」はそれ程までに大きいのです。

 

そして、これもまたセッションで見せていただいたことですが。そうした体験や想いが受け止められ、「理解される」体験をすると、文字通りその人の中の大きな「重荷」が解放され「次の扉」が開きます。

 

力がみなぎるのを感じて、身体が自然と動くようになったり、今までできなかったことができるようになった人もいます。

 

おそらく「理解されない痛み」によって奪われていたエネルギーや本来の力が戻ってきたのでしょう。

 

そして、理解されると、人を受け止める「器」が大きくなっていくのです。

 

そうした「重荷」が受け止められ、解放されると、今度は、その方自身が周りの似たような体験や想いを持つ人を受けとめ、理解していくことができるのです。

 

そうして個人から「平和」が周りに広がっていくのですね。

 

「理解されたかったらまずは相手を理解せよ」とはよく言われることですが、

 

相手を「理解する」ためにも、その余裕を持てるためにも、まずは自分が「理解される」ことを満たしてあげてください。

 

「『だからこそ』あなたが輝くための55の質問」配布中です!

 

ダウンロードは⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

だからこそあなたが輝くための55の質問目次.001

 

目次

あ、今の自分の状態について把握する

い.自分の「ストレス反応」を知る

う.今気になっていることについて観察する

え.喪失(後悔、自責、サバイバーズギルト)に気づく

お.自己像、自己肯定感、自己受容度に気づく

か.自分の中の「不安」を意識化・言語化する

き.自分のコーピングスタイルを知る

く.自分と相手との優先順位(境界線)と当事者レベルを知る

け.自分のストーリー(解釈・認知)に気づく

こ.回復のストーリーをみつける

さ.試練の中の「意味」について知る

し.再結合・新しい自己の創造

す.回復・再生のためのステップ 

せ.トラウマからの回復・再生のプロセスで体験しうること

そ.トラウマからの回復の三段階

 

ダウンロードは⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

日本人は自分だけが儲かればいいだけではがんばれない民族。世界のために果たすべき意義があってこそ日本本来の力が発揮される

日本人は元々自分たちだけがよければいい、儲かればいい、というようなレベルではがんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、より根源的なレベルで自らを奮い立たすことのできる「存在意義」が必要なんじゃないか?

 

8月になって戦争関連のテレビ番組や新聞記事に触れながら、そんな想いを強くしています。

 

そして、この数日である問いが私の頭に浮かび続け、ある種のインスピレーションを受け取っています。

 

それは、なぜ日本はあんな焼け野原から世界第3位の経済大国になるまでの奇跡的な復興を成し遂げることができたのか?という問いです。

 

そして、その問いこそに、この閉塞感で行き詰まりの今の日本を抜けさせてくれるヒントがあるんじゃないか、ということを感じるのです。

 

日本の戦後の復興がいかに奇跡的であるかは、国連で紛争後の復興に関わった時改めて痛感しました。

 

例えば、東ティモールと南スーダンにおいては、国連は紛争の停戦だけでなく、その後の国の独立そして「国づくり」にまで関わりました。

 

特に南スーダンは、アフリカ(世界)最長の紛争からの独立だけあって、独立後の国づくりには、国連だけでなくEUや世界中の学者や政策アドバイザーが、それこそ復興のための最善の政策を考え、国連の活動の中でも特段大きな予算も注目もつけられました。

 

そうした外部の支援があっても、一番肝心なのは当事者たちの意思(特に新しく国づくりを担う国のリーダーたち)であるのは改めて指摘するまでもないのですが、南スーダンでは復興が進んでいないどころか、残念ながら内戦が再発し、以前よりもひどい状態になっています。

 

では、自然災害からの復興はどうでしょうか?

 

2006年12月に発生したスマトラ沖地震の津波で壊滅的な被害を受けたスリランカやインドネシアのアチェを例にとっても、その復興は日本の戦後の復興とはまったく程度が違います。

 

東日本大震災の後に、フィリピンやバングラデシュ、スリランカに出張した際には、「戦後の焼け野原から復興を遂げた日本は私たちにとっての希望。だから復興を応援している」という声をたくさん聞きました。

 

東日本大震災の時に日本が受け取った支援額の総額は個人と組織からの寄付を含め、ソマリアやスーダンの支援額を3倍も超え世界一位でしたが(2011年度)、そこには日本の支援(ODA)に対するお礼だけでなく、戦後の奇跡的な復興への「敬意」とさらなる発展に対する希望という意味合いもあると感じました。

 

日本の戦後の復興の要因としては、高い教育水準(識字率)とモラル、朝鮮戦争による特需や冷戦時代に米軍の傘の下に入りながら経済発展に邁進したこと(軍事・政治面での米国依存に引き換えという構図と引き換えに)などが一般的に挙げられてきましたが、果たしてそれだけで説明になっているのか?という指摘は根強くありました。

 

東日本大震災の時にも、今回の震災からの復興を見ることで(もしそれが再現されたなら)、日本の戦後復興の本質がより明らかになるだろう、と指摘した海外の大学教授の声もありました。

 

官僚主導による東日本大震災の復興は残念ながら成功とは言えませんが、それが逆に日本の閉塞状況を象徴するかのようで、同時に、戦後の復興の「特異性」を改めて際立たせることになったとも言えます。

 

そこで冒頭の質問に戻りますが、あらためて、なにが戦後の日本の奇跡的な復興の原動力となったのでしょうか?

 

今、改めてそこに想いをはせるとき、このような見方もできるのではないかと思うのです。

 

より根源的な原動力としては、なぜあのような戦争をゆるしてしまったのか?という悔しさと戦争・敗戦の屈辱を越えて誇りと尊厳を取り戻したいという大きな想いがあったということ、

 

だからこそ、軍事とはまったく違う力で(日本の場合、経済の力で)世界に尊敬される国として地位を再び確立したい、戦争をしたからこそ今度は平和に貢献できる国になりたい、という想いが根底にあったのではないか?と思うのです。

 

バブル崩壊以降、日本の企業や社会は、ますます内向きになり減っていくばかりの内需(人口)のパイを奪いあっています。

 

それは本当に幸せの道なのか?と確信を持てない人たち、これから何を目指したらいいのか?と違うものを求める人たち産みだしています。

 

日本人は元々自分たちだけがよければいい、もうかればいい、というようなレベルでは立ち動けない・がんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、世界の平和というより根源的なレベルの「存在意義」があってこそ、本来の日本の力が引き出され、発揮されるのではないか?と思うのです。

 

もっと言うと、「戦争をしたからこそできる日本の貢献分野」があると思うのです。

 

これまでは、戦争をしたからこそ世界で目立ってはいけないという力学が無意識レベルで作用していたようにも感じます。

 

それが、昨年5月末のオバマ元米国大統領による広島訪問と、謝罪を求めないという広島のそれぞれの決断により、両者の和解と「日本の戦後」が大きく一歩前に進みました。

 

オバマ元米国大統領が広島を訪問して以来、日本での戦争に関する記事やテレビ番組も視点が国内だけでなくより世界へ視野が広がったような印象を受けています。

 

戦争をしたからこそできる日本の貢献分野は何か?

 

日本の強みや弱みは改めて何か?

 

そして、自分の役割は何か?

 

このお盆休みには、あえて視点を広げてそんな大きな問いかけをしてみてもいいんじゃないかな?と思います。

 

素敵なお盆休みを!

「最初の2秒」はやっぱり正しい ー 直感がわかる人とそうでない人の違いはなあに⁉️

人は自分の直感につながっている時、より高い視点で自然に「決断」や「コミュニケーション」ができると言われています。

 

世界累計200万部のベストセラー作家、マルコム・グラッドウェルは、34カ国で翻訳された「『最初の2秒』の『なんとなく』が正しい」で、「長時間考えてたどり着いた結論よりも、人は『最初の2秒』でもたらされた直感やひらめきによって、人は物事の本質を見抜いている」と言います。

 

最近では、直感力とは一部の人だに与えられた特別な能力なのではなく、誰もがトレーニングによって磨いていくものであると認識されています。

 

だとしたら、直感力のメッセージを認識できる人とそうでない人との違いとは何でしょうか?

 

その一つは、自己価値だそうです。

 

自分には価値があると思えるとき、それがどんなメッセージだったとしても、ただそのまま受け取れるそうです。

 

きっと、なんとかなる、自分はできると思える自己信頼につながっているのでしょう。

 

逆の場合はどうかと言うと、いろんなメッセージが来ているのにもかかわらず、「でも、できなかったらどうしよう?」「もしあんなことがあったらどうしよう?」とやる前から心配や疑いが頭の中で瞬時に回り始め、メッセージを無意識にシャットダウンしてしまうのです。

 

直感力を磨くトレーニングを私の先生が開催したときに、通訳として立ち会ったことがあります。

 

その時に習ったのは、私たちは普段基本的に二つの方向にアンテナ(意識)を向けている、ということです。

 

簡単に言うと、「自分」と「社会」です。

 

人間は社会的な生き物なので、誰もが自分と社会との関係とのバランスをみつけてくのですが、

日本の社会の場合は少し特殊で、

例えばアメリカでは「自分」が8割で「社会」2割の割合だとすると、

日本では「自分」に向けられている部分がとても少なく、圧倒的に「社会」に向けられているのだそうです。

 

その結果見られる現象としては、

 

自分で判断できない、他人やメディアの価値観に翻弄されがち、焦る、みんながやるからやる、等です。

 

困ったことに、この場合の「社会」というのはまったく実態がないあいまいなものであるばかりか、愛ではなく、人のおそれや心配や見栄などの集まりが、文字通り「集合無意識」(collective counsciousness)をつくっている点です。

 

私もそうした集合無意識をはっきりと感じたことが何度もあります。

 

とくにいろんな国を経て、その国のハブ空港に降り立った瞬間です。

例えば、南スーダンからスーダン・ハルツームとドバイを経由して成田に降り立つとします。

ハルツームでは独裁政権とアフリカ・イスラム文化のまざったようななんとも言えない集合無意識を感じました。

ドバイに降りると、今度は、イスラム圏でありながらも、西洋のビジネスプラクティスも取り入れる融合性を感じ、

成田に降り立つと、清潔で整然とした空港に安心するのですが、同時に、なにか気をつけないといけないというか、間違えてはいけない、遊びがないというか、ちゃんとしないといけない、といった雰囲気を即座に感じたものでした。

 

しかも、自毎回驚いたのは、長時間のフライトを経て疲れているはずなのに、成田に着いた瞬間に早足になる自分がいるのです。

 

みんなが常に「追われている」ような集合無意識を身体が感じ取るのだと思います。

 

もし、自分が何か得体の知れないおそれや心配や焦りを慢性的に感じているとしたら、「集合無意識」に引っ張られている可能性があります。

この場合の、「集合無意識」というのは少し前の世代の人のいうところの「世間」、または、最近のネット社会も含まれるでしょう。

 

文字通り、そこに暮らす人たちの意識の集合体です。

 

最近はテレビを見ない人が増えていますが(私もほとんど見ません)、

そうした影響からより自由になりたいという理由で見ない人も多いようです。

 

他にはどんなことが役に立つでしょうか?

 

一つは、他人でもない世間の意見でもない、自分の意見・考えにアンテナ(意識)を向ける訓練をすること

 

二つ目は、より高い周波数に自分のアンテナを合わせること(心配ではなく、軽やかで周りにある豊かさに気づき楽しんでいる状態、幸せや感謝)

 

三つ目は、日本の集合無意識から離れた環境に自分の身をおくことです。

 

海外に行って始めて、自分や日本のことを知ることになった、という人がいますが、いつもの環境から離れて始めて、何が自分の意見で何がそうでないのかがわかるという面は実際に大きいのです。

 

 

8月29日~沖縄へ行きます。

詳細はこちら⇨goo.gl/4vU1sk

 

集合無意識から自由になるチャンスです。

大自然の力をかりて、自分の本当の気持ちにつながる機会があります。

この内容は今回だけです!

 

西表島で見つける新しい自分「私はこれでいい!」詳細はこちら⇨goo.gl/4vU1sk

ビルゲイツが支援している大学でMBAも授業料完全無料!194カ国の学生とタダで一緒に勉強できるのに、なぜ日本の大学なのか❓❓❓

なぜ日本の大学なのか?

海外の大学ではなくなぜ日本の大学なのか???

日本の大学を出ると、どんなスキルが身につけることができてどう役立つのか???

 

 

これまで、海外(アメリカやイギリス)の大学を出ることことの一番のネックは学費と語学力、そして、治安(実際の治安状況というよりは親の心配)でした。

 

授業料は高いし、生活費もかかります。

 

オンラインで、アメリカの大学卒業資格が無料(試験料あり)で得られる時代になった、とお伝えしました。

 

オックスフォードやハーバードの教授たちが軒並み顧問に就いていている、University of the Peopleです。

 

ビルゲイツが、アメリカの教育費が高すぎることが問題だとして、しかもオンラインの時代にあった教育改革をしようという試みの一つとして、支援しています。

 

なぜ無料でできるかというと、ハーバードやMITなどの無料公開講座を講義コンテンツとして利用しているからです。

 

無料公開講座とは言え、質はかなり高いです。

 

しかも、名門ニューヨーク大学(NYU)とも提携をしています。

すでに、3千人以上の卒業生がいて、世界194カ国❗️以上もの学生が学んでいるそうです。

 

2009年に事業開始、卒業はアメリカの四年制大学の卒業資格として認められます。

 

入学条件は高校を卒業していること、英語で授業を受けられること。

 

面白いのは、世界194カ国から参加するクラスメ-トが20名前後でクラスを組み、
オンラインで課題を提出しながら、互いに学び合う仕組みです。

 

ビルゲイツも応援する授業料が無料の大学が開講 !

University of the Peopleに入ってみました

 

そもそも大学を出ることは必要なのか?という議論もありますが、

 

いろんな国の人たちと一緒に学ぶこと、多様性に降れることはそれだけでも十分に価値があると個人的には思います。

 

そして、この大学では科目は主に、Business Administration(MBAの大学版)とMBA、そしてプログラミングとHealth Scienceに特化しています。

 

3年前に初めて聞いた時には、MBAはありませんでしたが、MBAも始まっていました。

こちらも無料です!

 

大学ではもっと幅広い教養を身につけるべきだ、という意見もあります。

 

私個人は、大学では考える力を身につけることが大事だと思っていますが、実業に近いものを学ぶという選択は理解できます。

 

 

さて、では次の質問です。

日本の大学を出ると、どんなスキルが身につけることができてどう役立つのでしょうか❓❓❓

 

この数年、このギャップがかなり深刻な問題として認識されてきています。

 

最近もある現役女子大生の方から、大学で勉強していることと自分が知りたいことが全然違う、という声を聞きました。

 

 

もう一つ、海外の大学卒業生は日本の企業の就職に不利だと言われてきました。

 

4月一斉入社前提で大企業に雇われることを最優先としたら、10年間にはそういう面も確かにあったでしょう。

 

でも、グルーバル人材をなんとしても欲しいという企業にとってそういう人は即戦力になります。

 

ちなみに、イギリスの大学を卒業をした友人で、通常の採用プロセスを経たら倍率何十倍だったであろうところを、外国人のマネージャーとの面接たった一回で、五つ星ホテルに就職を決めた人がいます。

 

しかも、これまで日本のホテル業界の慣習だった、専門学校をでて、ベッドメイキングから修行をするというコースを、ベッドメイキングもドアベル(玄関でお迎えする人)も各一日で終え(人事がそうしてくれたそうです)、一気にそれを飛び越して、フロントを経て希望だったマーケティング部署に一気に行ってしまいました。

 

彼女は、イギリスの大学で勉強していたのですが、最終学年在籍中に、ロンドンの「ザ・サボイ」でアジア人女性初のインターンとして雇われました(ちょっと時代錯誤に聞こえますが、本当の話しです)。

 

彼女は学校から奨学金をもらい、インターン最終段階でサボイに属したまま日本へ調査に来ます。

 

当時、東京で外資系の5つ星ホテルがちょうど進出ラッシュだった時期で、「世界のホテルの中のホテル」と言われる「サボイ」ブランドの力はすごくて、どこも快く調査に協力してくれたそうです。

 

それだけでなく、5つ星ホテルの人事担当者からそれとなく採用の話しをもちかけられたそうです。

 

そして、すでにお話したように、採用されただけでなく、これまでの日本の慣行とされてきたベッドメイキングから修行をするというコースさえも一気に飛び越えていってしまいました。

 

Savoy

Reardon-Savoy

London Hotel Savoy

 

この話しをしたポイントは、「そもそもなんで?」という質問をあえて提起したかったからです。

 

そもそもなんで日本の大学なのか?

 

そもそもなんで日本の企業なのか?

 

 

日本の企業には、どこに配属されるのか分からない、そしてどんなキャリアパスがあってどんなスキルを身につけられるのか分からない、という点があります。

 

専門家よりも、その会社特有のやり方や会社人間を育てることに重点がおかれます。

 

だからこそ、入る方も目的意識をもたないといとも簡単に目的を見失ってしまいます。

 

 

いちおう大学はいこう。

とりあえず塾はいこう。

とりあえず受験勉強はした方がいいだろう。

 

 

「とりあえず」、「いちおう」ばかりに時間を費やすほど人生は長くありません。

 

 

受験勉強⇨大学⇨流企業

 

このモデルの限界をどこかで知りつつあるのに、そうでない自分にとっての幸せのモデルがわからないという面もあるのでしょう。

 

日本全国とりあえず受験勉強、いちおう大学、やっぱり一流企業という「思考停止」状態に陥っているように見えます。

 

受験勉強に向かって努力をしていれば、がんばっている感も得られるので、それ自体がそれなりの安心や満足感にもなるのでしょう。

 

 

でも、今こそ「そもそも」が大切な時代です。

 

そもそも何のために、この勉強をしているのか?

そもそも何のためにそれを目指しているのか?

そもそも、それをすると自分は幸せになれるのか?

 

 

そういう「そもそも」に一人一人が向き合う時代なのです。

なぜ一流は先に目的を決めるのか?ー情報も人も運も引き寄せる脳の活かし方

 

エネルギーは意図に従う、という表現があります。

 

 

何かを検索するときに、集中している時ほど、一番初めに開いたサイトでまさに探していた情報をピンポイントでみつけることがあります。

 

 

逆になんとなくネットサーフィンをしている時には、最初何を見ていたのか忘れてしまうくらいに、気が付いたら数時間経っていたということがあります。

 

 

自分の中に目的や問いがある時、脳はそれに関連することや役立つことを常に探していると言われています。

 

 

問いや目的がはっきりしている時ほど、必要な情報や人を引き寄せやすいのです。

 

私も、連載原稿を書く時によくそういうことを体験します。

原稿を書く時、まず最初に全体のテーマを考えます。

 

内容のアイデアはあるけど、切り口や構成案はまだはっきり固まっていないなあという時があります。

 

さて、どういう切り口にしよう?とアイデアを紙に書き出したりしながら、構成案を考えます。

 

すると、

 

たまたまその時にセッションにいらしたクライアントさんからそのテーマに関して質問されたり、たまたま会った人との会話が自分が頭の中で思っていたテーマに及ぶ、ということがよくあります。

 

そしてそんな会話の中からヒントをもらったり、または、この方向でいいんだ、と確認をすることがあります。

 

そういった形でもたらされる情報やヒントは本当に多いのです。

 

 

 

どうやって国連で働くことになったのですか?と聞かれることがあります。

 

登録していたメールマガジンで募集の案内を見つけたのが、初めて募集するきっかけだったのですが、正直とくに目を凝らしてメールを見ていたわけでもありませんでした。でも、そのメールは目に入ったのです。

 

 

これを偶然といえば偶然とも言えますが、私はそうは思いません。

 

問いや目的がはっきりしている時ほど、必要な情報や人を引き寄せやすいのです。

 

 

 

私たちはすぐに解決策に飛びつきたくなりますが、そうした情報に敏感になり確実にキャッチできるようになるには、まず先に目的を持つことです。

 

 

これは大きなことだけに限りません。

私たちは日常的にこの原理を応用することができます。

 

 

今日1日の「目的」を決めます。

本を読む時に「目的」を決めます。

人と会う時に「目的」を決めます。

打ち合わせの「目的」を決めます。

ブログ記事を執筆する「目的」を決めます。

プレゼンの「目的」を決めます。

 

 

この場合というのは目的とは、目標というよりもこうだったらいいなという理想の状態です。

 

 

私が記事を書く時の目的の一つは、読者を「インスパイアーすること」です。

 

新しい視点を提供することです。

 

 

新しい人と会うときの大きな目的はその人を理解して信頼関係を築くことです。

 

 

つい先週に行った講演の目的は、広い世界の楽しさを伝えること、自分で考える楽しさを伝えることでした。

 

もっと具体的な目的がある時もありますが、このような目的を先に設定することで大きな方向性(エネルギーの流れ)を作ってくれます。

 

この差は半年後に大きな効果となって返ってきますよ。

 

エネルギーは意図に従います。