字が読めないのに英語を話す人たちから学ぶ英語の覚え方ー英語を⭕️⭕️⭕️として捉えてみる

国連職員としていろいろな国を訪れる中で驚いたのが、字が読めない人の割合が9割を超える国でも(南スーダンの女性の場合)、英語を話す人がたくさんいたということです。

 

2017年の国際連合教育科学文化機関 (ユネスコ)の報告書によると、南スーダンの非識字率は75%で(女性は92%)、2018世界の中でも最も非識字率が高い国だそうです。

 

非識字率とは字が読めない人の割合を意味しますが、その割合が国平均で75%、女性の間では92%なのです。

 

逆の言い方をすると、国全体で字が読める人は25%、女性の場合はたったの8%しかいないということです。

 

そんな南スーダンですが、それなのに英語を話す人がそれよりもはるかに多いのです。

 

以前「学校へ行ってから死にたい」と言った元兵士の人のお話しを書いたことがありますが、彼は小学校さえも終えていなかったのに英語をスラスラ話しました。

 

つい最近タイへ行った時も似たようなことを体験しました。道沿いのローカルな食堂を切り盛りしているタイ人のお母さん達は元気いっぱいに堂々と英語を話します。

 

タイの女性は働きもので、子どもをいい学校へ行かせるために一生懸命に働きますが、タイ南部のその世代のお母さんたちにとって学校へ行く機会は限られたと想像します。

 

なぜ識字率が世界一位の識字率をほこり、学校で英語を習う日本人が英語で苦労して、彼らは英語を話すのでしょうか?

 

一言だけ結論を先に言うと、字が読めないからこそ英語を覚えやすい面がある、ということです。

 

それは、英語をイメージとして捉えるからです。

 

第二に、⭕️⭕️⭕️が高いからです。⭕️⭕️⭕️については最後まで読んでくださいね。

 

まずは、「英語をイメージとして捉える」という意味を説明します。

 

私たちが知らない言語に初めて接する時、それをどう認識するでしょうか?

例えば、The market is over there. (市場はあっちだよ。)という文があるとします。

 

最初は文字・言葉として認識しないので、☁️☁️☁️    is  ☁️☁️☁️といったようになんらかの「音のかたまり」として聞こえます。

 

その「音の塊」が目の前のものを結びつけられるに従って、☁️☁️☁️ は🍅(tomato)となったり、🍌(banana)となって、語彙が増えていきます。

 

もし、🍅が3つになったら、three 🍅🍅🍅となって、threeという単語が新たに認識されます。

 

tomatoの複数形はtomato(es)ですが、こういう場合のストリート英語は、単数形も複数形もみんなtomatoで表現します。

 

通じること、シンプルなことが優先で、逆に正しい英語や複数形を話すと通じなくなってしまうので、たいていわざと過去形も過去完了も吹っ飛ばします(笑)

 

私たちが日本語を習得してく際に辞書を使わないように、それが言語を学ぶ自然な過程なのですが、字を介するとトマト=tomato、きゅうり=cucamberといったように、字の塊として覚えようとします。

 

すると突然イメージや日常の文脈から切り離されて、文字の変換作業、またはともかく覚える記憶術のような無味乾燥な作業になってしまうのです。

 

右脳的な作業から左脳的な作業になってしまう、という言い方もできるでしょうか。

 

私たちは字を読めるという利点も最大限に活かしながら、英語(文全体)を「イメージとして捉える」というやり方を取り入れることができます。

 

英語(文全体)を「イメージとして捉える」ということは、文字通り🍅を見たら、

 

tomato=トマトと日本語に変換するのではなく、🍅をtomato[təméɪṭoʊ]という音で覚えるということです。

 

私がカザフスタンに赴任した時に、ロシア語を覚えるのに使ったロゼッタストーンという教材では、文字通り🍅の絵がパソコンの画面に何回も現れて、トマトという意味のロシア語の音声が何度も流れました。

 

そして、やっぱり「通じるって楽しい!」という体験は大事だと思います。

 

私は大学生の頃、大学の交換留学プログラムで9ヶ月ほど香港へ留学したのですが、ハロー(你好ネイホウ)とありがとう(唔該 ムゴーイ)の次に覚えたのは、「魚香茄子」(四川料理の代表的な味付けをした茄子と挽肉の四川風煮込み)という料理の名前でした。

 

留学先の香港中文大学は香港の中でも名の知られた大学でしたが、びっくりしたのは、構内に飲茶をする立派な食堂やレストランが何件もあって、学生も週に一度は飲茶をするのです。

 

CUHK

⬆️香港中文大学 (The Chinese University of Hong Kong)

 

さすが香港。大学内のレストランでも北京ダックからロブスターまで立派なフルコースの料理が出てくるのです。

 

学生なので毎週北京ダックを食べるわけではありませんが、香港人のルームメートと寮の友人たちと毎週飲茶へ通ううちに、彼らが注文する美味しいメニューを次から次へと覚えて、私の広東語のボキャブラリーは料理の名前がトップ10を占めるようになりました(笑)

 

yamcha

 

今でも、ときどき無性に飲茶をしたくなります。(笑)

 

では最後になぜ字を読めない南スーダンや中学校しか出ていないタイ人の人たちが英語を話すのでしょうか?

 

英語を理解し話すことは、彼らの安全や生活に直結するからです。

 

別の言い方をすると優先順位が高いからです。

 

この数年内戦が続き今でもウガンダへ避難する南スーダンの人たちのおかれた状況は厳しく、けっして軽い意味で言うわけではありませんが、彼らの生き抜く力に学ぶことは多々あります。

 

それ位の潜在能力が人間にはあるのですね。

 

では、自分にとっての英語の優先順位をあげる質問です。

 

自分が大切だと思っていることややりたいと思っていることをより満たすために英語はどのように役に立つでしょうか?

 

楽しく美味しく、優先順位たかく英語を覚えていきましょう。(*^-^)ニコ

 

 

キャリアと人生の法則【⑤】あなたに反対する人はあなたを助けるためにいる

留学したい!

海外で働きたい!

途上国で働きたい!

 

本当はやってみたいことがあるけど、親に反対されている。。。

 

おめでとうございます!!!

なぜなら、あなたが自分の人生を生き始めている証拠だからです。

 

ある意味、親はあなたに反対することであなたの本気度を試しているとも言えます。

 

これが映画ならば、親は「悪役」。

心配性な親、頑固な親、わからんちんな親、強権的な親、「そんなの無理だ」 とあなたを否定するような親ーともかくあなたを「カチン!」とさせる役。

 

この映画の主人公であるあなたは、この「悪役」に対峙して、これから新しい旅に出るのです。

親というのは未知なことには反対するもの。だって、自分が体験したこと以上のことは分からないからです。

 

南スーダンを含め8カ国で働いたり留学した私ですが、 実は、最初の留学も夏休みのタイ旅行でさえ最初は親に反対されました。最終的には友達が案内してくれること、1週間に一回電話をすることで「交渉」は落ち着きました。 ただの旅行なのに、母と妹が成田空港に迎えに来たこともありました 。。。(汗)

 

「国連で働きたい」と言った時には、「そんなバカなこと言わないの」と 叱られて、同じ屋根の下で暮らしながらほぼ半年間も口をきかなかったこともありました。。。

 

確かに、身近な人や一番理解して欲しい人に反対されるのは苦しいです。

プロジェクトしかり、会議しかり、新規事業アイデアしかり、あなたの意見が毎回サポートされるとは限りません。

 

でも、その人はあなたに反対することであなたを助けているとも言えます。

 

「そんなの無理に決まっている」

あなた本気で言ってるの?

どうやってやるつもりなの?

 

そうやって、相手が直接的にも間接的にも言ってくれることで、こちらも悔しいけどより具体的に考え行動せざるを得ないからです。

 

なにより、その登場人物を自分の親として選んで生まれてきたのもあなたです。

 

なぜなら、自分の魂の成長のためにこのチャレンジが役に立つと思ったからです。

ある意味「比喩」だと思って、ほんの少しでもいいので、相手はあなたを助けるために反対しているかも、と思ってみて下さい。ほんの少しでもそのスペースが生まれるだけで、少し余裕を持つことができます。

 

運を下げる人は、相手が自分を応援してくれるのなら、自分に賛成するべきだと思います。

運を上げる人は、相手は反対することで自分を応援してくれていると捉えます。

 

キャリアと人生の法則ワーク⑤】

今まであなたに対して、反対意見を言ってきた人、何かしらに対して、「そんなことは無理だ」と言った人たちを思い出してください。もしかしたら、自分を助けてくれていたのかも知れないと少し思いを馳せてみて下さい。

 

⭐️キャリアと人生の法則【⑤】あなたに反対する人はあなたを助けるためにいる⭐️

 

⬆️ 運を下げる人は、相手が自分を応援してくれるのなら、自分に賛成するべきだと思います。

 

⬇️ 運を上げる人は、相手は反対することで自分を応援してくれていると捉えます。

突然中国語で呼び止められた! 語学力よりも大切なことー◯◯を持つこと

突然中国語で呼び止められた。
ウェイ!
迷子になったらしい
おばあちゃんとお孫さん。

周りもすっかり
暗くなっていたし、

抱っこされてる
男の子は
今にも
泣きだしそう。。。

おばあちゃん
ともかく
早口で
しゃべりまくる。

私少しは
中国語
分かるけど、

彼女の口から
繰り出される
弾丸中国語は

すでに私の
レベルを超えてる。

しかも、
ウオーキング中で
携帯持ってない
。。。

ふー。

ちょっと
深呼吸して

相手の状況を
想像してみた。

そういえば、
英語が
ほとんど通じない
カザフスタンで

私つたない
ロシア語しか
話さないのに

なぜか
何度も
おばあさんに
道を聞かれた。

語学力が先じゃなくて
まず、
相手と通じる意図を
持つこと。

通行人の
サラリーマンの人から
紙とペンを借り、

筆談と想像力?で

なんとか
家族に
再開しましたとさ!

 

会って5分も

経ってないのに

あなた
結婚してるの?
って、

世界共通
ばあちゃん必殺技を
繰り出し、

こっちはほとんど
しゃべってないのに
あなた中国人?って、

ばあちゃん、

ツッコミどころ

満載だったけど

おばあちゃんとは

ゆるされてしまう生き物です。

(笑)

 

すぐに何でも調べられる時代ー大学で何を学べばいいの?

スマホですぐに何でも
調べられる時代。
じゃあ大学で
何を学べばいいの???

リーマンショック後の
アメリカでは、

私大の授業料の高さと
学生ローンを
払い続ける人達から

学位にそれだけの
価値があるのか?
との声が上がり続け、
社会問題になっています。

リーマンショック後は、
ペイしないなら
自分の好きなことを
しようと

ハーバード
ロースクールへの
志願者は減り、

アートスクールへの
志願者が
増えているそうです。

もちろん、

実験やら
研究室が
必要な分野もあるけど

「知識」だけなら
かなりの範囲で
大学に行かなくても
身につけられる時代。

じゃあ大学で
何を学べばいいの???

大学に行くか
行かないかは
別にして

姪っ子たちには
どこかの時点で
体験してもらいたいなあ〜😊
と個人的に思うのは、

「考える力」を
身につけることと
https://chikaonaka.com/2016/02/19/

いろんな国の人達と
一緒に学ぶ体験。

例えば、

夜になると元気になるブラジル人と
早く結果を出したい中国人と
タイプできないのに
口は達者なナイジェリア人と
パキスタン系イギリス人と

一緒に何かを
やり遂げるには
どうしたらいいの ⁉️

日本で暮らす
私達の価値観だって
多様化してるし、

少子化にしろ
移民受け入れにしろ

多様な考えや価値観を
理解し、
合意を探っていく
能力はますます
求められていく。

こればかりは、
体験しないと
分からないもの。

分かりあえない時も
あるけど

そんな体験こそ
人生の幅や視点を
広げてくれる

醍醐味の一つ
じゃないかと
思うので〜す
(*^-^)ニコ

弱みと克服しようとする日本人vs 強みを信じるアメリカ人

強みを伸ばす or  弱みを克服するーどっちが才能を開く?

 

 

強みを伸ばす or  弱みを克服する

どっちが才能を開くのでしょうか?

 

 

 

私たちは、教育システムをはじめ、
強みよりも弱みを克服しよう
とする文化に住んでいるようです。

 

 

ギャラップ社の調査による

 

子供を持つ親ごさんに行われた質問です。

 

「国語5、社会5、理科3、算数1という
成績を子供が持って帰ってきたとしたら、

 

子供と成績を話し合う時に
どの教科に最も時間を割きますか?」

 

 

世界平均で77%の親が算数と答え、
国語の5が6%、
社会の5は1%だったそうです。

 

日本人は世界の中でも
弱みを克服しようとする
傾向が強いそうです。

 

 

強みを知ることと弱みを知ること
どちらがあなたを
成功させると思いますか?
という質問に対しては、

 

アメリカ、イギリス、フランス、

カナダ、中国、日本の中で

 

 

アメリカでは41%が「強み」と
答えているのに対し、

 

強みに対する注目度が
最も低かったのは
日本と中国でわずか24%でした。

 

 

ただ、55歳以上になると、
世界共通で強みを伸ばす方がいいとの
回答が高くなるそうで、

 

自分の弱みをなんとかするよりも
受け入れる方がいいと悟るからでは
ないかと指摘されています。

 

 

似たような例で、
うつ病に関する研究は
4万件以上あるけれども、

 

幸せや達成感に関する研究は
わずか40件だという数字もあります。

 

 

上手くいってないことには
すぐ目がいくけれども、
上手くいっているところは
「当たり前」すぎて
なかなか気づかない。

 

 

弱みを補おうという努力も
必要ではあるけれども、

 

 

上手くいっているところ、

自分の強みや

秀でているところに対して

もっと目を向けていいのです。

 

世界の悲惨なニュースに

注目することもできれば、

その中にきらっと光る
世界で起きつつある
ポジティブな変化を
みつけることもできます。

 

 

コミュニケーション、
語学
人間関係に対しても
同じことが言えますね。

 

コミュニケーションや
人間関係で得意なところ、
上手くいっているところは
どんなところですか?

 

 

***まとめ***

コミュニケーションや
人間関係で得意なところ、
上手くいっているところは
どんなところですか?

 

日々注目するものが
私たちの体験をつくる。

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

「ガツガツと自己主張しなくても世界の人と通じる方法を知りたい」

「もっとのびのびと自分の言いたいことを言えるようになりたい」

「海外で働きたい!」

「会社名や職種に限らず仕事を探したい」

「世界で通じる本物のプレゼン力を身につけたい」

 

 

そんな方により自信を持って堂々と世界で活躍してもらうこと、

そして、日本の力を世界の力を共に活かし、

民族や宗教を超えて人をつなぐことのできるリーダーを育てることが

私のミッションです。

 

ここで言う「世界」とは
海外に限りません。

 

知らないことは見えない。

 

世界が広がること=

視野が広がること=

可能性が広がることの

お手伝いになったら幸いです。

 

今日もありがとうございました。

人は自分が見ると予想していることしか見えない

 

「ありのままの姿見せるのよ〜」が流行ったのは2014年。

流行りの歌や映画はその社会の集合無意識を示している、とも言われています。

 

誰でも「ありのまま」でいたいと願うように、「ありのまま」に理解されたいという欲求ももっています。

 

では、私たちは目の前の相手のことをありのままに見ているか?というと。。。

 

私たちは、自分が見ると予想していることしか見えない、のです。

 

なぜなら、私たちが目の前のことをどう理解するのかという認知プロセスが自動的に働くからです。

 

社会心理学によると、私たちが目の前の相手を理解しようとする時は3段階のプロセスを経るそうです。

 

第一段階:

私たちは、自分の目の前で起きている出来事を理解するために、脳はまず自分と相手との関係を判断しようとする。脳が相手と自分との関係を判断するために脳がとる方法は、相手を分類すること。

人間に本能的に備わった最も基本的な分類方法は、「この目の前の人は自分の敵か味方か?」という分類(カテゴリー化)。

 

第二段階:

次に脳は「カテゴリー」を使ってさらに詳しく判断しようとする。会社員、〜屋さん、〜の先生、社長、会計士といった職業から、〜に住んでる人、アメリカ人、フランス人、インド人(国籍)、性別や宗教などカテゴリーはたくさんあります。

 

 

第三段階:

「初頭効果」というものが働くため、第一印象が修正されるためには意識して努力をする必要があります。

 

つまり、私たちは言葉を発する前からたくさんの推測を瞬時にしていて、たとえ初対面でも、自分の目の前にいる人に対して、まったくゼロベースで見ていることはほとんどない、のです。

 

特別な人がステレオタイプや偏見を持っているのではなく、誰もがなにかしらのステレオタイプをもって相手を見ているのです。。ストレスが高い時にはさらにステレオタイプが強くなります。

 

ひょえ~

改めて聞くと私たちはどれだけ相手の本当の姿を見ているものかと思ってしまいます(汗)。

 

 

ではどうしたらいいのでしょうか?

 

人は自分が見ると予想していることしか見えないのだとしたら、それを逆手にとりましょう!

 

つまり〜〜〜♪♪♪

 

 

これから会う相手に対して、見ることを先に決めること、です。

 

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

相手の「真の美しさ」を見ると決めること、です。

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

 

① 自分の中のバイアスや判断に気づき

② 自分の中のバイアスや判断をいったん脇に置き

③ 相手の「真の美しさ」を見ると決めること

 

です。

 

 

そして面白いことに、そうした姿勢は相手に伝わります。

人は基本的に自分を理解してくれようとする人に好意をもちます。

すると、お互いの心の扉が開くのですね。

 

 

「えっ?!この人ってこんな人だったっけ???」

 

そんな驚きこそ、言葉にできない喜びです。

 

「人は自分が見ると予想していることしか見えない」なら相手の真の美しさを見ると決めましょう。

 

 

(まとめ)

・人は何かしらの思い込みで相手を見ている

・自分が見ると予想していることを相手に見る

・相手を理解するという作業のためには、見ることを先に決めること

① 自分の中のバイアスや判断に気づくこと、

② いったん脇に置くことができること、

③ 相手の「ありのままの姿」を見ると決めること

変化の激しい時代こそいかに学ぶか②: オックスフォード流「考えるステップ」

 

この変化の早い不確実性の高いこれからの時代においてはもはや決まった正解はなく、正解のないような問いに対してどうやって考えるか・アプローチするかがますます問われるようになること、

そういう時代においては、一つの正解を求めるのではなく、

新しい解を導き出すための「考え方」(思考プロセス)を学ぶことがますます大切になるだろうとお伝えしました。

 

ではその考えるステップとはどういうものなのでしょうか?

例えば、オックスフォード大学のチュートリアルでは実際に何をどのように学ぶのでしょうか?

 

チュートリアルは、週に1回1時間程度、教授と学生が1対1もしくは1対2になって行われ、学生が、毎週与えられたテーマについて事前に調べ、そのテーマに対する回答を小論文として書いて臨みます。

 

チュートリアルでは、

そのテーマについてはすでにどういう事が言われていて(先行理論のレビュー)、

その点で大切だとされていることは何かをまとめ(論点の整理)、

課題の質問に答えることになります(議論の結論)。

 

1、これまでの論点をを理解し・整理し、結論を出す

 

毎週新しいテーマが与えられ、毎回新しい文献を読み、新しいテーマを理解し、整理し、言語化します。そのテーマに関する、それまでの何十年もの(何百年、何世紀もの)洞察の積み上げを、自分の言葉で表現していく作業です。小論文を通じ、これまでの研究では何がすでに明らかになっていて、何が重要なのか、まだどんな課題があるのか、について全体を構成し、結論を出します。

この作業を一年で、一学期8週間×3学期=計24回を繰り返します。

 

2、その結論にいたったプロセスを確認する

完成した小論文を教授に渡し、チュートリアルが始まります。教授に質問されたことは主に三点でした。

 

「それはどういう意味なのか?」

「そこをもう少し説明してくれる?」

「どうしてそういう結論になったのか?」

(私、もしくは、もう一人の学生に対して)

 

「どうして」「なぜ?」と質問されることによって、

または説明を求められることによって、

 

不明確なところは明確にし、

意見の根元にある前提を確認し、

その結論にいたったプロセスを確認しています。

 

 

3、洞察を深める

その上で、一つの意見を掘り下げ、洞察を深めていきます。

このテーマに関して言えば、今の時点ではこうだけど、この点に関してはまだ足りない、という認識の上で、あなたはどう思う?「こういう意見もあるけど、それ対してはどう思う?」と、自分の意見が求められ、時には、自分とは異なる意見に対する意見が求められます。

 

4、何が分かっていて何が分かっていないのか?

そのような質問をされると、自分の中で理解できている時には答えることができても、理解が足りない時には上手く言語化できなかったり、説得力のある答えができなかったものでした。こうした質問のやりとりによって、どこを分かっていてどこを分かっていないのかが明らかになっていきます。

 

5、理解を「積み上げる」

オックスフォードでのチュートリアルでは、ある問いに対する答えや解が一つでないこと自体は問題にされません。

 

むしろ、

解は一つとは限らないこと、

誰も一人では理解を深めることは出来ないという前提の上で、

 

お互いに意見を交わし、自分とは違う意見についても聞くことによって、自分はなぜその結論にいたったのか、という自分の思考プロセスを確認する、という作業が求められました。

 

オックスフォード David Parkin.jpg

⬆️ デービッド・パーキン学部長とクリスマスパーティーにてー授業がパブで行われたことも

 

理解や解はある日突然やってくる訳ではありません。「閃き」も、何千回、何万回もの地道な作業の延長にやってくると言われるように、この時の体験から「理解」とは「積み上げる」ものなんだと学んだように思います。

 

「考える」という作業にも「型」があり、

新しい解やオリジナルな解も「型」を経て到達すること、

一つ一つ成功体験を積み重ねていくこと、

 

そして、

多様な意見があってよいこと、

誰も一人では理解を深めることができないという前提は、

 

変化が激しく、不確実生の高い時代に生きる私たちに大きなヒントを示してくれているように思います。

 

(まとめ)

⭐️解はまったくゼロの状態から導き出すのではない。

⭐️ 新しい解やオリジナルな解にも「型」を経て到達する。

⭐️理解を積み上げる先に解がある。

⭐️解は一つとは限らない。

⭐️ 誰も一人では理解を深めることは出来ない。

main_oxfofrd

マイストーリー②友達に出稼ぎ労働をしたいと頼まれる

その後、小浜島では何回か夏休みを過ごすと同時に、小学校では、ローラースケートとバレーボール三昧。バレー部では、背は低かったけどレシーブが上手で都大会の地区予選ベスト8まで進みました。

洋楽が大好きで、フィルコリンズ、ジェネシス、マドンナ等80’sはほぼ網羅。マイケルジャクソンのコンサートのビデオは毎日みていたのでビデオが擦り切れる程でした。

中学校に入り、どうやらそろそろ勉強というものをしないといけないらしいと子供ながらに感じ名案を思いつきます。

 

私:「ねえ、5を5つとったらマイケルジャクソンのコンサートに連れて行ってくれる?」

母:「いいわよ」(理由はなんでもいいわ!)ー即答。

交渉は即決でした。(笑)

母はまだ塾なんて行かなくていいわよーというマイペース派だったので、塾に行かせてーとお願いしました。

 

制服を着るのは苦痛で、中学校の授業はつまらなくて、退屈だったけど、

塾の先生がやさしくて、

解けなかったのが解けるようになる体験、

チャレンジさせてくれる体験が楽しくて、成績は自然に上がりました。

 

ただ、中学校2年生後半位から、塾の先生が偏差値の話しをはじめた時から

なんのために勉強をするのか?私はしばらく、なんのために勉強をするのか?クライシスにおちいってしまいました。

 

面白しろいテーマでも、先生の教え方が一方的だったり、

「こっちが権威だから言う事を聞け」や「これが規則なんだからそうしなさい」みたいな態度の人に対しては、嫌なことを無理にさせられると、頭で納得させようと思っても、身体がストライキを起こしました。

そして、ある分野での能力は高いのだけど、

必ずしも全体的に成績がいいわけでもなく、好きな科目と好きでない科目の差や得意と不得意分野(認知や才能の)差が激しいという傾向がありました。

こうした傾向は「ギフテッド」と呼ばれる子供たち・大人たちの間で見られる共通した特徴であるということを知ったのはずっと後のことです。(ギフテッドについてはこちら→ギフテッド8つの強み②ギフテッドの子の強みとチャレンジ)

なんのために勉強をするの?と誰かに聞くこともできず、「学校へ行きたくない」とも言えず、毎朝マイケルジャクソンの曲を大音量でかけながら、なんとか自分を学校に向かわせるものの、たぶん、心の中はほんとうにギリギリだったと思います。

 

公立校でしたが、素晴らしい先生方が何人もいらして、

とても恵まれた方だと思うのですが、

正直、卒業式の日には心からホッとしたのを覚えています。

 

当時を振り返ると、

私みたいなタイプには、

学ぶ体験自体が楽しいという事と、

なんのために勉強をするのか?に自分が納得している事が、

とても重要なのだと思います。

 

そして、同じ頃、世界では大異変が起きようとしていました。

ベルリンの壁の崩壊と湾岸戦争の勃発です。

今まで人々を分断していた壁が破られ人々が歓喜に沸いている!

たった数年前までは考えられなかったことが目の前で映し出されている。

そうかと思えば、テレビ画面には砲弾が撃ち込まれる様子が映っている。

ルワンダでの大虐殺は特にとてもショックな出来事でした。

 

これってどういうこと???

民族が違うとなんで殺しあうの?!

もっとこういう事を勉強したい!!!

 

こうした漠然とした思いが具体的に繋がってきたのは高校二年生の時でした。

同じクラスの子が一年間アメリカへ留学することになったのです。これまで漠然と感じていた、留学や海外をはじめて具体的に意識し始めた瞬間でした。

 

結果的に南スーダンでも働いた私ですが、一番初めに留学したいと言った時は母に反対され、大学一年生の時にはじめてタイに旅行に行った時には、帰国の日には私を迎えに成田空港に来る程でした。(バックパック旅行の話しです。。。(汗))

 

一番初めに留学が反対された時の理由は「治安が心配だから」でした。

「もし安全だったらいいの?

同じクラスのミエはアメリカに留学するんだよー。

アメリカじゃなくてニュージーランドとかオーストラリアならいいの?」

 

身近に短期留学に行った友達がいたこと、高校自体に交換留学プログラムがあってそれにも応募したけど落ちた事を伝えながら、 資料請求をし、書類を揃え、担任の先生にも推薦書の作成をお願いをし、そして、試験の日が来て、面接にも行き、ついに合格通知が届きました。

その後、いろいろな国で働いた私ですが、高校2年生でニュージーランドに留学をするのを決めた時が一番勇気がいったような気がします。行き先というよりも、当時インターネットもEメールもない時代に海外に行くことの意味がもっと大きかった時代、日本人がいない日本語もまったく通じない環境へ飛び込むと決めた一歩の「一歩」は文字通り大きかったのだと思います。

 

さて、私は晴れて1年間ニュージーランドの高校に交換留学しました。

ああ、日本で勉強したはずなのに英語が話せない。。。悔しい。。。

正直、留学先の高校ではあまりいい思い出がありません。

 

ただ、人より羊が多い国。そのせいかとてものんびりと時間が流れる国で。日本とはまったく違った価値観があるのだと肌で感じたのを覚えています。

sheep

 

そんな中で、私の心に影響を残した出会いがありました。

ブラジルから来ていた留学生のアマンダです。

一緒にアイスクリームを食べて帰ろうと言うと、彼女はこう言います。

 

「あのね、食べたいんだけど、あのね、もうあんまりおこずかいが残ってないんだ。」

「そっかあ。。。」

 

彼女は一年に3回くらい一回に一万円ほどブラジルの両親から送られてくる「おこずかい」を受け取っていたのですが、それがニュージーランドまで届かず途中で紛失してしまうのです。

 

「たぶん、盗まれたんだと思う。ブラジルではよくあることなの。」

「そっかあ。。。」

(一緒にアイスクリームを食べたいし、もう一人分のアイスクリーム代くらいは私も持っているけど、だからと言って私が彼女のアイスクリーム代を払うのも変だよなあ。。。こういう時はどうしたらいいんだろう?)

 

答えは出ないまま、私たちはけっきょく何度かアイスクリームを食べることを諦めて帰ることになりました。

知識としては知っていた世界の格差や貧困というものを目の前の友人を通して垣間見た瞬間でした。

 

そして、彼女はさらに続けます。

 

「CHIKA、私、いい考えを思いついたの!あのね、私、ここからあなたと一緒に日本に行って働きたいと思うの。ほら、日本で働いているブラジル人のコミュニティーがあるって聞いてるし。私、高校は休学して、日本から帰ったら終えるようと思うの。そんなこと考えたこともなかったんだけどね、あなたと友達になって思いついたのよ。ねえねえ、どう思う?」

 

彼女はいたって無邪気な口調で、ちょっと興奮気味でした。

「そうね。。。」

私はしばらく言葉がでてきませんした。

この事実を受け入れることに時間がかかったのです。

 

えーーーと、整理をすると、

 

彼女は私の大事な友だち。

彼女は私と同じ年(高校生)。

高校を休学して日本で働きたいと言っている。

えーと、いわゆるブラジル人を受け入れている工場があるらしい。

いわゆる「出稼ぎ労働」に当たるものだと思う。

でも、「出稼ぎ労働」って家族や自分の国から離れて働く寂しいイメージ。。。

 

出稼ぎ労働者って、この目の前の友人みたいな普通の人がなるんだ。。。

 

 

「そんなに簡単でもないように思う。。。」

そんな答えしかできなかった。

 

私は単純に、この目の前の友達にそんな大変そうなことをさせたくない、と思うと同時に、私は帰国したら当たり前のように大学に進学する予定の一方で、目の前の友達が自分の国から地球の反対側にある国で出稼ぎ労働をしたいと言っている事実を受け入れられなかったんだと思う。

 

 

でも、それはこっちの言い分。私が勝手に大変だろうと思っているだけで、彼女は持ち前の前向きさで、苦労はあってもなんとかやっていくかも知れない。

なにより、それだけのお金を稼ぐことができるという機会自体が地球上の一部の人にだけ与えられた特権とも言えるとしたら、私はそのせっかくのチャンスを断ってもいいんだろうか?

 

同じ人間だけどどこに生まれるかでこんなにも環境も機会も違う。。。

 

けっきょく、どうしたら一番よかったのか答えは分からなかったけれども、貧困や世界の格差をとてもリアルに感じた体験だったのでした。

 

マイストーリー③就職活動で落ち込みミャンマーへ行くー私ってすっごいバカかも?!

私は恋に落ちていました。相手は大学のクラスメートの留学生でした。日本での留学を終え自分の国に帰った彼でしたが、私は学期中にアルバイトしたお金で、彼に会いにも行き、ご両親に好かれようと彼の国の言葉まで一生懸命練習しました。

「私、大学中退してここの大学に通うね!」と息まいて帰ってきたこともありました。

結局、「大学を卒業したらどこでも行っていいから大学は日本で卒業しなさい」、という親の助言に従いましたが、自分が逆の立場だったら本当に冷や汗ものです(笑))

 

そんな私も、もうすぐ大学4年生になろうとしていました。

 

さて、私は何をしたいのだろう?

 

リクルートスーツとバックといった外見はまず揃いました。

「とりあえず」エントリーシートを数十件記入し、筆記試験も受けに行き、面接も受けました。

「なぜ弊社に興味を持っていただいたのですか?」

採用の面接なら必ず聞かれるであろう質問なのに、上手く答えられなかったり、それなりに答えたと思ったのに不合格の通知を受け、さっぱり分からなくなってしまいました。。。

 

周りのクラスメートが内定をもらい始める中、日々「焦り」がつのる日々でした。

ここならと望みをかけていたJICAや協力隊にも落ち、自信はさらにガラガラと崩れ落ちていきました。。。

 

就職スーツを初めて着た時には紅葉深まる秋だったのに季節は一週しようとして、秋から冬に、桜が咲き、内定が一件もないままついに夏になりました。

 

一人取り残されたような気持ちで、日本から逃げ出し気持ちで、ミャンマーに出かけました。

ともかくどこか違うところに行きたいー心の中は泣きそうな気持ちで一杯でした。

 

行きたかったパガンというクメール遺跡の地で、美しい遺跡がポツポツと目の前にいっぱいに拡がっているのを毎日一日中ただ眺めていました。

 

一日ただ遺跡を眺めていました。

次の日もただ遺跡を眺めていました。

次の日もただ遺跡を眺めていました。

 

3日を過ぎたくらいの時に何か特別大きなことが起きたわけでもなんでもないのだけど、

ふと気づいたのです。。。

 

ああ、私国連で働きたい。。。

ただ自信がないのでそれを「封印」したまま就職活動を始めたものの、落ちてすっかり自信をなくしてしまったことを。

 

単純に思いました。

国連で働くなんてどんな確率で可能なのかさっぱり分からないけど、そんな叶うかどうかも分からないことにチャレンジしてみたい。

ハハハ、私ってすっごいバカかもしれない。

しかも、すっごい頑固。

でもなんかしょうがないな。

南国の風に助けられたからか、いい意味で「諦める」ことにしました。

 

ミャンマーから帰ってきて、すぐに親に伝えました。

国連で働きたいと思ってること、国連で働くには大学院に行く必要があるからイギリスの大学院を目指すこと、日本で就職はしないこと、ただ、国連という組織はいろいろな国の人が働いているところなので、海外で働くという体験が将来ぜったいに役に立つと思うので、大学院に入る前に海外でのインターンを探す、と。

 

緊急会議が開かれました。

周りに国連で働いてる人はいるのか?

その国連っていうのはどうやって入る仕組みがあるのか?などと質問をされました。

 

質問をされても、科学的にも理論的にも説得力ある説明ができません。

当時はFacebookもなく、ネット上の情報も限られていて、

今ほど「国連」がキャリアの一つとして認識されているわけでもなく、

大学の就職課でそんな話しができる感じでもなく、

 

私にとっての唯一の頼りだったのは、

「明石康国連に生きる」と「カンボジア元気日記」という国連ボランティアの人の手記とアルク出版の「国際協力ガイド」だけだったのです。。。

 

IMG_1334

 

「緊急家族会議」が結論に近づいてきました。

「そんな夢みたいな事を言ってないで就職しなさい」。

 

 

かくして、

娘と両親は、同じ家に住みながら卒業までほぼ半年も口を聞かなくなってしまったのでした。

 

さて、私の方は、さっそくアイセックという団体での海外インターンに申し込むことにしました。

 

アイセックとは元々ドイツで始まった学生団体で、世界中にある受け入れ企業と、世界中にいるインターンを希望する学生をマッチングさせる団体でした。

 

インターンと言っても、数ヶ月~一年以上フルタイムでその企業の一員として働き、生活費ももらえるので職種や業界によってはかなりやりがいのある仕事ができるという仕組みでした。

 

英語の試験を受け、

異文化の適応力があるかなど簡単なインタビューの要件を満たしたら、

こちら側のバックグランドや希望を伝え、

企業のオファーを待ち、

互いに希望がマッチングするかを確認するという流れです。

 

私が応募していた時期はちょうどインドのITブームが始まりかけていて、

インドのバンガロールがいいとか、IT系・技術系の人も多かったのですが、

私の目的は多国籍な環境で働くための体験だったので、

「対人的な仕事」であれば国はどこでもよい、というなんとも大雑把な希望を出しました。

 

さて、再び季節は巡って再び秋です。風が冷たくなってきたなあと思えばもう卒業まであと3ヶ月半しかありませんでした。

就職活動に落ち「退路」を断たれた状況でもあったので、私にとって、大学院入学が「最後ののぞみ」をかけた「一大プロジェクト」になりました。

 

まず、直面した現実。

今のままでは成績がギリギリなので今期はなんとしてでも成績をかなり上げる必要があること、

苦手なマクロ経済が必須科目として残っていること、

英語力(スコア)を短期で上げる必要があること、

合格するには小論文と志望動機が重要であること、です。

 

もうかっこつけてる場合じゃありません。

私は毎日大学の図書館に通い詰めました。

 

最近まで教室の後ろの方でつまらなそうに授業を受けていた人が、

突然、まるで別人のように最前列に座り質問までし始めるのです。

苦手だったマクロ経済を最優先にして必死にがんばりました。

(やればできるじゃん、と自分で自分にツッコミを入れたくなりそうです(笑))

 

大学院に行くためにモーチベーションを保つことも大切でした。

この時に考えた私の「作戦」は、面白しろそうな大学院の科目を聴講させてもらうことでした。

あるイギリス人の先生を訪ね、断られるのを覚悟で直談判に行きました。

 

「私、今度イギリスの大学院に行こうと思っています。

以前受けた先生の授業が面白しろかったので、出来たら大学院の授業を聴講させていただきたいと思っています。課題もちゃんと読んで参加します。」

 

。。。

 

一瞬間が空いた後で、「いいよ。」とのお返事。(ほっ)

 

この先生の授業は面白く、合格するかどうかも分からない大学院応募のモーチベーションを保つのにとても役立ちました。

同時に、留学生も交じりながら少人数で議論が行なわれていく空間に身を置きながら、もしかしたら私でも大学院に行けるかも。。。段々とそんな気がしてきたのでした。

 

大学院の相談にものって頂きました。

ある日、志望動機を見てもらった時のことです。

 

「なんでオックスフォードには願書を出さないの?

ロンドン大学もオックスフォードもそこまで変わらないし、受験料はタダだよ。」

 

へっ、そうなの???

オックスフォードってあの皇室の方が行くところじゃなかったっけ?

 

まず、海外の大学院に行こうと思った時に、アメリカではなくてイギリスを選んだ大きな理由は「期間」と「費用」でした。

アメリカで大学院を終了するのは2年間かかるのに対し、イギリスでは一年で終わること。授業料も生活費も一年多いだけで全然変わるので、資金面での理由でした。

そして、次の選択ポイントは学部でした。

国連で働くには、国際関係が有利なのか、経済学が有利なのか?そんなことも考えましたが、私は好きな科目と苦手な科目の成績の差が激しいタイプだったので、有利そうだけど苦手そうな科目を選ぶという選択はあまり合いそうもなく、勉強した分野は仕事には直接あまり関係ないので自分が好きで得意な科目を選べばよいというアドバイスに従い、社会学・人類学を選びました。

 

 

そして、大学院の入学のために大切な一つが志望動機でした。

ボスニアでの民族紛争やルワンダでのジェノサイドがショッキングだったこと、私の中には「民族」や文化の差が紛争になる時はどんな時で、それはどうしたら防げるのか?という関心がありました。

「民族」や「紛争」という現象について人類学・社会学的な視点から検証することはきっと必要とされると思う。そして将来、国際機関で紛争予防にかかわれる専門性を身につける事が私が大学院で勉強する目的ですーそれがそのまま志望動機になりました。

 

英語の筆記テストのスコア、英文成績表、推薦証、小論文、志望理由の一式が揃った時には、思わず封筒に向かって手を合わせました。

 

後は結果を待つだけ。

卒業まであと3ヶ月でした。

さて、大学院の通知とインターンの結果を待ちながら最後の学期の試験とレポートの季節がやってきました。

以外なところから「最後の関門」がやってきました。

15年も飼っていた愛犬が、急に体調を崩しはじめ、動物病院の先生から「もう先は長くないかも知れない」と言われたのです。

最後のレポートを提出しないといけない、それでないと卒業できないというまさにそういうタイミングで、側で見守る中亡くなりました。。。(涙)

泣きはらした顔のままなんとかかろうじて書き終えたレポートを提出して、ホッとしたのを覚えています。

 

そして、朗報とは突然やってくるようです。

 

インターンの受け入れ先として興味を持ってくださったドイツの会社の社長さんが日本に来るので面接がてら会いたいとの連絡を受けました。きさくにおしゃべりが進み、ぜひお越しくださいとのこと。採用決定です!

そして、大学院からも合格通知が届きました!

なんと「奨学金の受給候補者になったので、数日中に面接を受けてください」とのニュース付きでした。

 

全く予想外の展開でした。

 

なんで人類学を勉強したいのですか?

なんでオックスフォードで勉強したいのですか?

卒業後は何をしたいのですか?

 

就職活動の面接も無駄じゃなかったかも知れません。

今度はスムーズに応えることができました。

結果は合格。

 

あまり知られていませんが、外国人にとっては、オックスフォード大学は大学院に入る方が門戸が広くなります。世界的な大学として、多くの国からの学生が集まることを一つの大きなアピールポイントとしているため、奨学金を出して各国から留学生を集めるためです。ちなみに、2006年度で138カ国から学生が集まり、大学院では63%が外国人留学生です。

オックスフォード大学留学生比率

 

さっそくイギリス人の先生に報告をしました。

とても喜んでくれました。

 

そして、ようやく両親にも報告できました。

今なら分かります。

親は自分たちの体験や想像を超えたことは単純に分からないこと。

そして、ある意味「通過儀礼」だったと。

反対することを通じて、親はあなたはどれだけ本気なの?と私にチャレンジを課すという「役割」だったこと。

 

私はこの体験を通して、

仕事の場や機会は日本だけを見ていたら「ない」ように見える時でも、

日本の「当たり前」は世界では必ずしも「当たり前」ではないこと、

世界に目を拡げたら全く違う大きな機会が目の前に開けること

そして、

道は拓けることを体験したのでした。

oxford-university-aerial.storyimage

 

 

マイストーリー④ 日本生まれ日本育ちの私がオックスフォードに入る

ボスニアやルワンダで民族紛争と虐殺が起きた5年後、私はオックスフォード大学院に入学しました。

専攻は社会人類学(Social Anthropology)です。

オックスフォード大学と言えば、数々のノーベル賞受賞者や首相や哲学者を生んだところ。大学内には博物館のようなところさえあります。

 

わたし授業についていけるんだろうか?

どんな人達がいるんだろう?

どんな勉強するんだろう。(ドキドキ)

 

緊張と興奮が混じり合った気持ちで、9月のある日、ロンドンのヒースロー空港からバスに乗って、オックスフォード大学のキャンパスに到着しました。

ここはどこ???

目の前には、まるで中世にタイムトリップしてきたかのような世界が広がっていました。

 

Sheldonian_Theatre_Oxford

 

オックスフォードにはいわゆる大学の校舎というものがありません。キャンパス一体には、学部とカレッジなどの石作りの建物と普通の家が研究室になったような建物が点在しています。学生はカレッジと学部の両方に所属し、基本的にはカレッジが提供する寮で暮らし生活をしながら、研究をしに学部に通います。

古いカレッジになると創立は12世紀とされ、それはまさに「ハリーポッター」の世界です。

 

その象徴の一つが、カレッジのホールで食事をするというフォーマルディナーと呼ばれるものでした。そのディナーでは、教授たちが「ハイテーブル」という一段高いテーブルに並び、全員がガウンを着て、食事の前には、ゴーンとゴングが鳴り、ラテン語で「グレイス」と呼ばれるお祈りをしてから食事をするという伝統がありました。全員が横長いテーブルに席に着き、スープからメインからデザートからコーヒーまで付くフルコースです。

 

 

ドレスコードはガウンと以下のようなものでした。

男性: 白蝶ネクタイ、白シャツ、黒スーツ、黒靴下、黒靴。

女性: 黒リボン、白ブラウス、黒スカート又はズボン、黒タイツ、黒靴。

オックスフォード入学式②

⬆️ 入学式にて。フォーマルディナーにはこのガウンを着て参加する。

 

このディナーはオックスフォードの特徴の一つで、いろいろな学部の教授や学生(修士と博士課程)たちが隣合わせで食事をすることで、自分の研究に多様な視点を取り入れることができる効果があると言われています。

教授と学生が一緒に食事をすることも、多様な視点を取り組むこともおおいに賛成!

 

ただ、あのー、もう21世紀だという時代に学ぶ私としては、ぶっちゃけ「違和感」もあります。

 

あのー、「ハイテーブル」って今でも必要なんでしょうか?

あのー、ガウンぶっちゃけ面倒くさくないですか?

もう制服とは一生おさらばしたと思ったのに。。。やれやれ。

 

実際、そう思う現代人は少なくないらしく、彬子女王殿下でさせ「赤と青のガウン オックスフォード留学記」の中で、もっと表現はもっと穏やかでも似たようなニュアンスのことをおっしゃられているのを発見した時、わたしは皇室に大きな親近感を覚えたのでした(笑)。

 

これでも私の所属していたカレッジはかなり簡素化されていたらしいですが、よくも悪くも「伝統」というものの力を感じたものです。

 

ただ、多様な視点をお互いに交換できる環境や仕組みがあるというのは学校や学生全体にとってとても大きなメリットだと思いました。

 

私がとてもワクワクしたのは、学部と寮がまさに「多様性」だった点でした。

オックスフォードの教員の41%は100ヶの国や地域の出身者で、留学生の出身国は140の国(と地域)にのぼり、大学院では62%がイギリス以外の国からの留学生です。

 

4階建ての一軒家が「寮」となりました。ハウスメートは、ポルトガル系アメリカ人、インド系イギリス人、中国人、タンザニア人、スリランカ系イギリス人とイギリス人夫婦、そして日本人の私でした。

オックスフォード寮

⬆️ 寮のハウスメートたち。楽しみは一緒にご飯を食べること

毎日、本を読んで小論文を書くことの繰り返しの生活。私たちの大きなの楽しみは一緒にご飯を食べたり、外に食べに出かけることだったのですが、これだけの人たちが共同生活をするのです。時には、キッチンの使い方でけんかもありました。

「また、『あのタンザニア人』キッチン汚しっぱなし。」

「なに、『あの日本人』いつもうるさい」

かくして、私の「民族紛争」に関する研究は寮のキッチンが現場の一つになりました。(笑)

 

私が所属した社会人類学学部(Faculty of Social Anthropology)は、学部の性質上、おそらくオックスフォードの中でも一番多様性(国籍)が高い学部の一つだったと思います。人類学部のクラスメートは、トルコ人、エジプト人、パキスタン人、マリ系フランス人、イギリス人、日本人、インド人、インド系南アフリカ人などでした。

 

学問柄、旧植民地の人たちが多く、そして、当時わたしが日本では聞いたことのないような、リアルなその国の問題が議論されることが多く、最初は日本では聞いたことのない話しばかりで本当にびっくりしたのでした。

 

パキスタンから来た二人の女性の留学生は、奨学金をもらえないと留学できないという国だけあって、二人とも優秀かつ賢明な女性で、一人は、「honor killing」と呼ばれる、婚前交渉・婚外交渉を行った女性は家族全体に不名誉をもたらすという理由で、この行為を行った女性の父親や男兄弟が家族の名誉を守るために女性を殺害する風習についてをテーマにしていました。

(うわー、すごい勇気あるなあ)

インド系の南アフリカ人の女性は、アパルトヘイトが終わり、マンデラ大統領が大統領任期を終えたばかりの南アフリカのことを、「大統領は素晴らしい成果をたくさん残してくれた。ただ、南アフリカでの人種の断絶や暴力の種はまだ大きいの。私たちの国の本当の将来はこれから。」と言っていました。

 

私が人類学を志望した理由ー

それは、ボスニアでの民族紛争やルワンダでの虐殺がショッキングだったことから、民族や人種が違うとなんで争うのか、民族の違いが紛争になる時はどんな時で、それはどうしたら防げるのか?ー「民族」や「紛争」という現象について人類学・社会学的な視点から検証すること、そして民族や宗教の違いを争いの素にするのではなく、多様性にすること。

私は、さっそく、彼女たちの口から語られるリアリティーに圧倒されそうになりました。

 

そして、オックスフォードで、もう一つびっくりしたのは、学生と教授が1対1もしくは1対2で議論をしながら学んでいくチュートリアル(個人指導)というシステムでした。アメリカの大学や大学院が授業(議論)への参加と小論文の提出など授業と課題中心で進んで行くのに対し、オックスフォードでは一対一の指導が授業そのもので、授業の数自体はそんなに多くなく、チュートリアルを補完するものと考えられています。

チュートリアルには、週に1回、1時間程度、学生は、毎週与えられたテーマについて調べ、小論文を書いてのぞみます。

 

1週間で20冊位の文献リストが渡され、

そのテーマについてはすでにどういう事が言われていて(先行理論のレビュー)、

何がその点で大切だとされていることは何かをまとめ(論点の整理)、

課題の質問に答えることになります(議論の結論)。

 

言うは易し。

学期が始まるやいなや、キャンパスでは一斉に「メンタル・アスリート」のような生活が始まります。

①メンタルアスリート的生活: 読む・考える・書く

まず、20冊以上もの文献を読まないといけません。まず、図書館に行き、コピーマシーンの前に立ち続けながら、黙々とコピーの作業を始めるのが日課になります。当時はまだデジタル化されておらず、大量なのですぐに5千円のコピーカードが終わってしまうのにはびっくりしました。そして、課題のテーマについて読み始めます。

時には、何度も何度も何度も読み返します。だって、意味が分からない。。。でも、この本だけに時間はかけられない。。。ここのポイントは何なんだ?!今から残りの時間でどの本を読んで、どの部分に時間をかけて、何て結論をしたらいいんだろう。時には、自分だけが分からないんじゃないかと落ち込みながら(みんな一緒なのですが)、百年、何十年にもわたる引用と洞察の積み上げを自分の中で理解し、言語化するという作業の始まりでした。

②メンタルアスリート的生活: 伝える・議論する「なぜそうなるの?」

週一回のチュートリアルの日、徹夜明けの目をこすりながら、教授の部屋に行きます。自分の書いた小論文を読んでと促され、声に出して読みます。読み終わると、私の担当の先生は、あまり多くを語らない方でしたが、ぼそっと「これはどういう意味?」「そこをもう少し説明してくれる?」と一つか二つの反応が返ってきます。課題に対する洞察が足りない場合や全体の展開が甘い場合はその点を指摘されたりもしました。

③メンタルアスリート的生活: 私は今何が分かっていて何が分かっていないのか?

先生によってチュートリアルの雰囲気も内容もかなり変わるらしいのですが、一旦その週の課題を終えて、ホッとするも、答えがあったようななかったような、自分の中で理解が進んだような進んでいないような、大きな雲をつかむような作業が果てしなく続くように感じたものでした。

私は、「解のない問い」に向き合い自分なりの解を導き出すために必要な、「理解を積み上げるための作業」の真っ只中にいました。

そんなチュートリアルをこなしながら、同時に自分で試験の準備をしないといけません。年度末の試験で不合格になった場合、追試はなく、退学しかないという制度は私に大きなプレッシャーとしてのしかかりました。

 

毎週「本の山」と格闘。毎回ぎりぎりまでこの抽象的な議論をどう結論づけるのかに頭を悩ませ、徹夜で仕上げるのも珍しくなく、チュートリアルを楽しむ余裕はなかったのですが、

このチュートリアルは、文献や理論にもとづき議論を展開するという訓練であると同時に、

 

基本的には、正解を求めるというよりは、先人の歩みを追いながら自由に考え、新たな考えを導き出す考える過程(思考プロセス)を習っていたのだと思います。

 

今思えば、「どんなテーマでも本質的に考えることを常に追及して良い」というオックスフォードの雰囲気は、私に「自分でテーマを切り開き追求する楽しさ」、「多様な視点があってよいこと」、「解のない課題に対して考える姿勢」の土台を身につけさせてくれたように思います。

 

そして、授業が始まりました!

まず、基本課題の文献リストにびっくりです。

 

ほとんどが20世紀の文献で始まるのです。

オックスフォードの人類学は、20世紀はじめに南スーダンの部族を研究し有名になったイギリス人の人類学者であるエバンス・プリチャード(後に伯爵)が学長をつとめていた所ですが、彼の書いた南スーダンのヌエル族に関する民族誌が必須文献の一つでした。

ただ、これが1940年に書かれたとは思えない位、今現在の世界での現象にも本質的に当てはまることに驚きます。エバンス・プリチャードの著書「ヌエル族」にこうあります。

「集団との対立においてのみ、彼は自分がある集団の成員であることを認識する。」

自分たちに近ければ近いほど、ヌアーは相手の民族に近親感を抱くと同時に、容易に敵対関係にも入り、また融和することもできる。

 

簡単に言うと、部族や集団のアイデンティティーというのは、一人で確立されるものではなく、誰かとの関係において決まるものであり、人がどの集団のアイデンティティーを強調するかどうかは、その時の政治的な状況によって決まる、という訳です。

なるほど(!)、今、世界で見られる民族や宗教対立にも当てはまるように思います。

 

そして、同じ頃、前年に経済の分配と貧困・飢餓に関する研究でノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センがオックスフォードに講演にやってきたのでした。ホールはいろいろな学部の学生と教授で満席でした。

9歳の時に、200万人を超える餓死者を出した1943年のベンガル大飢饉でセンの通う小学校に飢餓で狂った人が入り込み衝撃を受け、同じ時期、ヒンズー教徒ととイスラム教徒との争いで多数の死者が出た記憶と、インドはなぜ貧しいのかという疑問から経済学者となる決心をしたと言われるセン。

経済学の中でも高度な数学論理学を使う牽引者でありながら、彼が言ったことはとてもシンプルながら、私の心に響きました。

 

経済学は数字だけを扱うのではなく、「共感性・関わり合い・利他性」(コミットメント)を重視し、弱い立場の人々の悲しみ、怒り、喜びに触れることができなければそれは経済学ではないと。

 

学生から出た質問に丁寧に応え、どこからの教授から出た難しい質問にはとても単純に応えていたのが印象に残りました。

 

真実や本質というのは多分とてもシンプルなものなんだー

 なぜかそう感じました。

 

Amarthya Sen.jpg

 

そして、私の中である思いがさらに大きくなっていました。

さて、人類学や社会学という視点が民族紛争の解決や予防に役に立つことは自分の中で確信した。

 

では現場ではどんなことが議論されていてどう扱われているのか?

20世紀始めの出来事じゃなくて、今現在南スーダンで起きていることが知りたい!

今の世界で起きていることに関わりたい!!!

 

その後、4年間も本当に南スーダンで働くことになるとは全く想像もしてみなかったのでした。

 

マイストーリー⑤初めての国連面接ー電気のないところで暮らせますか?

マイストーリー③私ってすっごいバカかも知れない!