今の時代が求めている人とは?ー自分が幸せで周りの人たちの幸せを願う人、 人に勇気を与えたいと思っている人が変革をおこす❗️

最近、ある勉強会に参加して、自分のギフトや方向性について改めて発見したことがあります。

 

コーチやカウンセラー、コンサルタント、ソーシャルワーカーといった人をサポートすることに関わる人でも、人それぞれのアプローチや得意分野、ギフトやミッションが違います。

 

わたしの周りを見ていても

ある人はとても優しく受け止める人で

慰めをもたらす役割があったり、

ある人はティーンエージャー特有のお年頃のお悩みを聞くのが得意で

ある人は癒しのギフトを持っていて

ある人は論理的に整理するのが得意で、

ある人はインスピレーションを与えるタイプで

ある人はより大きな視点で方向性を示すというギフトがあります。

 

わたしは、慰めというよりは、目の前の課題をより大きな視点でとらえ直して、方向性を示してインスピレーションを与えるタイプです。

 

 

最近、ある勉強会に参加して、自分のギフトや方向性について改めて発見して腑に落ちたのは、ヒーリングのギフトも与えていますが、わたしの場合、ギフトの中でも特徴なものは、変革(transformation)のギフトだということです。

 

 

国連職員の中でも東ティモールと南スーダンで独立国の誕生に立ち会うという稀有な体験をさせていただきましたが、そのことを思い出して、そこには自分の中の「変革」にかんするギフトが関係していたことに気付きました。

 

そして、自分にとっての「コーチング」の意味を改めて受け取りました。

 

コーチングでは、その方がほんとうに望む方向性や強みや方向性をみつけていく過程にとくにワクワクします。

 

わたしはコーチングをリーダーの育成として取り組んできました。

 

この場合のリーダーとは、

人生をよりよくしたいと思っている人

自分が幸せで、周りの人たちの幸せを願う人、

人に勇気を与えたいと思っている人、

社会や世界の役に立ちたいと思っている人

のことを指しています。

 

その人が誰かに笑顔で挨拶して、たった一人にでもよい影響を与えることができればその人はリーダーシップを発揮しています。

 

不安や不平不満をいうことは簡単だけれども、自分がよりよく生きることで人に勇気や希望を与えることのできる人のことです。

 

今の時代が求めているのはそういうリーダーです。

 

わたしはコーチングを、課題やチャレンジを通じて(たいていそういう形で機会はやってくるからです)その人のほんとうの自分の役割を発見することをガイドするものとして捉えてきました。

 

それは「変革」なのです!

 

そして、自分の役割を自覚し生きている人が増え、そういう人たちがつながることで、新しい時代をつくっていくような価値やサービスも生まれると信じています。

 

 

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マイストーリー⑦ 一から新しい国を創る

国連の理想と現実のギャップをしばらく受け入れられず、ふてくされていた私でしたが、

今思えば、

150以上もの国籍もの人たち、バックグラウンドも文化背景も違う人たちが一緒に集まって働くことを成り立たせるにはどうしたらいいのか、というリアルな現場への「イニシエーション」のようなものでした。

 

それは、

自己主張をしないといけない時を知り、

「アサーティブ」(効果的に意見を伝えること)であること、と同時に

チームとして何かを成し遂げていくことの体験そのものだったのです。

 

 

いい仕事やってやる!私の中で「スイッチ」が入りました。

 

私の初仕事は選挙の支援でしたが、東ティモールには選挙を実施するための「当たり前」がまずありません。

選挙名簿です。

まず、役所の書類がすべて焼けてしまっています。そして、国境を超えて難民となった人もいるので、誰が残っているのか人口も有権者の人数もわかりません。

なので、文字通り担当地域の村々を一つづつ訪問して、村長さんと一緒に選挙名簿をつくることからはじまります。

 

「これから東ティモールは新しい独立国となります。

みなさんの国の代表を選ぶために選挙というのを行います。

新しい国の自分たちの代表を選ぶ機会です。

この人たちが行う一番はじめの重要な仕事は憲法を決めることです。

憲法とは東ティモールという国がどんな国になるのか、何を大切にするのか、を宣言する一番重要な国の決まりです」。

 

東ティモール人のスタッフが教えてくれ、こうした説明を全部現地語のテトン語で言えるようになりました。

 

選挙名簿をつくる際には、生まれた場所や今住んでいるところ、生年月日などを登録していくのですが、年配の方は自分が何歳なのか知らない人がほとんどです。その場合はこういう質問をします。

 

「おばあちゃん、こんにちは。

おばあちゃんが生まれたのいつですか?

ポルトガル時代ですか?

日本時代ですか?

インドネシア時代ですか?」

 

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有権者を登録していく作業は順調に進んで行きましたが、雨期になると川の増水で孤立する村があることが分かりました。

誰もその村にたどり着いていないので、詳しいことは分からないけれども、年寄りのおばあさんなどは川を渡るのは無理だろうから、選挙に参加したくても有権者登録から漏れている人がいるんじゃないか?

深い山の中に位置するその村に着くために、車で行けるのは最初の3分の1くらい。私は東ティモール人のスタッフと相談して、いくら時間がかかってもいいから、歩いてその村まで行くことを決めました。

 

目の前にはひざ上までの川もあります。こんなこともあるかも知れないと、軍人の人にも一緒に来てもらったのですが、誰かが抱えてくれるわけでもありません。

えい!と私が懸命に勇気を振り絞って渡ろうとするすぐ側には、赤ちゃんを抱いたお母さんも一緒にいました。毎回こうやって川を渡るのだと言っていました。

東ティモール川を渡る

東ティモール川を渡る②

 

川を越え、岩を越え、山をを越えて

私たちはようやくそこに無事にたどり着きました。

案の定そこには有権者登録から取り残された人たちがいました。

 

乾季になるのを待ったら、この人たちは有権者登録が間に合わない。有権者登録ができなかったら、この人たちは人生ではじめての選挙に参加できなくなってしまう。私は迷わず、選挙登録作業をするためにヘリコプターに出動してもらうことを提案しました。

幸い、同僚も東ティモール人スタッフも賛成し、協力をしてくれました。

 

私たちは先に歩いていって、ヘリコプター降り場もない、パイロットも初めて降りる山奥でなんとかヘリコプターが着地できそうな平地を探しました。

そして、私は、ヘリコプターが見え始めると、下から思いつくままに旋回するヘリコプターに向かって夢中になって手を振りました。布かなんかの「旗」があると分かりやすいと知ったのはその後のことでした。

 

東ティモールヘリコプター積み込み

東ティモールヘリコプター積み込み②

⬆️ ヘリコプターへ積み込みを一緒にしてくれた同僚たち

 

そんな中、私達もパキスタン人のチームリーダーの発言に対して、私たちも意義を唱えることになっていきました。

 

「そうは思いません。」

最初は、ともかく反論することが私の目的でした。

 

黙っているよりは一歩進んだと思ったのですが、こちらが反論すればする程、相手はカチンとくるのでしょう。相手は防御的になっていきます。

言葉の応酬はあっても、コミュニケーションが成り立った感じもしないし、お互いの理解が進んだようにも感じられません。しばらく、相変わらず、同じ状況が続いていました。

 

記録をとり、男性の同僚からも証言をもらうことになりました。

国連のような官僚組織では記録をとり、書類を準備することは非常に重要になります。非公式に仲介役の人が入ることになりました。

 

私たちはその仲介役の人を挟んで向かい合わせに座っています。それまでの事実関係が確認がされてから、感情が高まった私はこう言いました。

「この人は、まったく人の気持ちがわかっていない!」

仲介役の人は、一旦こちらの言い分を聞いた上で、落ち着いてこう言いました。

 

「『人』と『行為』を分けてください。」

 

はっ!確かにその通りでした。

相手の行為には同意できなくても、相手が人として間違っている訳ではないのです。

 

相手はあたかも人格を攻撃されたかのように感じ、必死に言い訳を繰り返し、

それでこちらはカチンとくるという悪循環が続いていたのです。

 

あくまでも行為自体を指摘することー人と行為を別けるということの大切さを実感したリアルな体験でした。

 

国連という組織ではこちらが黙っているだけでは、誰かが助けてくれるわけでもありません。

私のコミュニケーションには足らない点がたくさんあったのですが、

今思えば、150以上もの国籍もの人たち、バックグラウンドも文化背景も違う人たちが一緒に集まって働くことを成り立たせるにはどうしたらいいのか、という点で大事なことをこの時にたくさん学んだように思います。

 

◎「アサーティブ」(効果的に意見を伝えること)であること、

◎ 自己主張をしないといけない時を知ること、

◎ ノーという時をを知ること、

◎ 事実(facts)と人(person)を分けること、

◎ 周りの人に協力してもらうこと

 

パワハラやセクハラに関して言えば、

◎ 記録をとること、

◎ 事実関係を客観的に説明できるようになること、

◎ こういう類いのことは一人ではなく他の女性や特に男性と共に訴えること、

が役に立ちました。

 

後に、国連という組織では上司や部下、または、チームメンバー間のハラスメントに対する異議申し立てが極めて多いこと、それが時には、国籍や人種にからめれて捉えられることを知りました。

ニューヨーク本部の人事部が年間を通じて「効果的なフィードバックの仕方」や「仲裁」に関する研修を実施している事を考えると、180以上もの国籍もの人たち、バックグラウンドも文化背景も違う人たちが一緒に集まって働くことはけっして当たり前のようになされる訳ではなく、それを成り立たせるには大きな努力が必要なのだと改めて思ったものでした。

結局、パキスタン人のチームリーダーは選挙の2月前位に別の地域に移動となりました。

 

そして、気づけば選挙まで後1ヶ月となりました。民兵グループによる選挙に対する妨害の可能性が心配されており、緊張が生まれてくるのも感じました。

 

私の担当の村は住民投票後に東ティモールを破壊する側に周った民兵の出身者が多い村でした。選挙の準備が進んでいくうちに村の人たちがこんなことをポツポツと言い始めました。

 

「選挙はいいけれども、東ティモールが独立した後、民兵側についた人たちをどうやって受け入れたらいいんだろうか。。。」

 

紛争という状態の中で人々は生き残るためにぎりぎりの選択を迫られ、同じ民族・国民同士が敵対関係につくことを迫られることがある。

今までは東ティモールの人たちはインドネシアという「共通の敵」から独立を勝ち取るために団結していた。

 

確かに、彼らが言うように、これから、この人たちは自分の村を破壊した人たちをどんな気持ちで受け入れていくんだろう?

いわゆる「少数派」の人たちが「多数派」になった時、同じことを繰り替えさないためにはどうしたらいんだろう?

「共通の敵」がいなくなった後、何が国をまとめていく力になるんだろう?

 

 

選挙は大きな出来事ではあるけど、これからの長いプロセスのたったはじめの一つにすぎない。これからが東ティモールの人たちにとっての「本番」なんだろうなあ。

東ティモールでの体験は、私に大きな宿題をくれたように感じました。

 

実際、これらの質問がその十年後、南スーダンでも未だに大きな意味を持っていること、南スーダンだけでなく、その後に続いていくアラブの春以降の世界情勢の中で、いまだに本質的な質問であることに気づきます。

 

さて、待ちに待った選挙の日がやってきました。

 

始めて自分の国の代表を選ぶ「晴れ舞台」に、おばあちゃんたちが朝の4時から一張羅を来て列に並んでいました。

自分の国の将来を自分で決めるこの一票を投じるために、何十年も待たなくてはならなかった人たちの一票にかける想いがひしひしと伝わってきました。

東ティモール2001選挙

 

民兵グループによる選挙に対する妨害はまったくなく、その際の想定訓練もしてはいたのですが、蓋を開けてみれば何もなく無事に投票は行なわれました。

投票率%は、91.3%でした。

その日を境に国全体のエネルギーが変わったのをはっきりと覚えています。

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⬆️ 選挙を無事に終え誇らしげな選挙スタッフ。

私が最初に赴任してから独立するまでのたった一年4ヶ月の間に警察ができ、憲法ができ、学校が再開されました。

東ティモールは2002年5月に独立国家として正式に独立を果たしました。

 

マイスト−リー⑦なぜそこまで学校に行きたいの?

 

何もなかったのに一年半後に国ができた!

何もなかったのに、一年半後に国ができた!

学校ができた。憲法もできた。政府ができた。

人間ってすごい!!!

おばあちゃんが生まれたのはいつですか?
ポルトガル時代ですか?
日本時代ですか?
インドネシア時代ですか?

私の国連での初仕事ー

村々を周って
有権者名簿を作ること。

生年月日の分からないおばあちゃんには、

おばあちゃんが生まれたのはいつですか?
ポルトガル時代ですか?
日本時代ですか?
インドネシア時代ですか?

と聞いて、有権者であることを確認(笑)

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何度もやってる内に現地語覚えちゃった。

人生初めての投票。
憲法って何?選挙って何?説明して村々を周る。
字が読めないおばあちゃんとは投票の練習。

選挙スタッフの公募をし、面接して、採用手続きを進め、

人生で初めての選挙というものに対し、選挙っていうものを理解してもらう。

治安の不安のある中、当日の選挙の手順を何度も何度も練習。

待ちに待った独立国に向かうための初めての選挙だから、みんな気合いが入る!

選挙は無事に終了!

 

 

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選挙が無事に終わって誇らしげな東ティモール人スタッフ。

2002年5月東ティモールは独立。

なんでそういう仕事をしようと思ったのか?
それは6歳の時に過ごした沖縄小浜島での衝撃。。。
国際結婚コンサルタントの塚越悦子さんのポドキャストです!

http://ameblo.jp/mypeacefulfamily/entry-12055853715.html

字が読めない人はどうやって投票するの?!ガッテン!なその仕組み

わたしの一番はじめの国連での仕事は東ティモールでの選挙支援でした。紛争の直後で人口が何人かも分からないからまず、選挙名簿をつくるのが仕事でした。では、選挙名簿をつくって、選挙教育をします。次はどんな準備が必要でしょう?

投票の「練習」です。

投票所に行って投票用紙をもらい、候補者を選び、投票箱に入れるという一連の作業は字が読めない人にっては、とても複雑な作業だからです。

だから、字が読めない人(特に女性)でも分かるように、個人の候補者は写真付きで、各政党は絵で表されます。そして、字を書く変わりに候補者や政党に釘で穴をあけて、投票の意思を示します。その一連の作業を模擬投票用紙を使って村々で「練習」します。

 

East Timorese election commission shows ballot paper during ballot counting for the second round of presidential election in Dili

⇧ 大統領選挙の投票用紙(候補者の写真付き)

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⇧ 政党を選ぶ投票用紙(政党のシンボル付き)

 

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⇧ 1999年 東ティモールの独立を問う住民投票(上はインドネシア併合、下は独立)

そして選挙当日。東ティモールという独立国としてのはじめての自分の国の代表を選ぶ「晴れ舞台」に、おばあちゃんたちが朝の4時から一張羅を来て列に並んでいました。

自分の国の将来を自分で決めるこの一票を投じるために、何十年も待たなくてはならなかった人たちの一票にかける想いがひしひしと伝わってきました。

1999年にインドネシアが撤退する際に国を破壊した民兵グループによる選挙に対する妨害の可能性はあり、もしもの際の想定訓練もしてはいたのですが、結果何もなく無事に投票は行なわれました。

投票率は、91.3%でした。

こうして、はじめての選挙(政権議会選挙)が無事に終わったのでした。

その日を境に国全体のエネルギーが変わったのをはっきりと覚えています。これからは国連じゃなくて、独立国として自分たちで国を運営するんだー!という明らかなターニングポイントでした。

自分の意思で選択をする力というのは、国全体の雰囲気まで変えることができる!そんなことを見せてもらった日でした。

ヘリコプターを地上から素手で誘導:仕事は行ってみないと分からないの訳

わたしの国連での一番はじめの仕事は選挙支援でした。

役所の書類がすべて焼けてしまっていたり、紛争中に国境を超えて難民となった人もいたりと、まず人口も有権者の人数がわかりません。なので、担当地域の村々を一つづつ周って、村長さんにだいたいの人口を聞き、選挙名簿をつくることからはじまります。

選挙名簿をつくる際には、生まれた場所や今住んでいるところ、生年月日などを登録していくのですが、年配の方は自分が何歳なのか知らない人がたくさんいます。なのでこんな質問をします。

「おばあちゃんが生まれたのいつですか?

ポルトガル時代ですか?

日本時代ですか?

インドネシア時代ですか?」

そして、そもそも選挙ってなんですか?という「選挙教育」(Civic Education)を村でやっていきます。

「これから東ティモールは新しい独立国となります。

選挙というのは新しい東ティモールという国の代表を選ぶ機会です。

この人たちが議会のメンバーになります。

そしてこの人たちがやる一番はじめの重要な仕事は憲法を決めることです。

憲法とは東ティモールという国がどんな国になるのか、何を大切にするのか、を宣言する一番重要な国の決まりです」などなど。

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東ティモール人のスタッフとチームを組んでこれをやったのですが、何度も同じことをしゃべるので最後は現地語でも選挙のことをだいぶしゃべれるようになってしまいました。

ちなみに、2001年当時、インターネットも携帯電話回線もほとんどない時代で、選挙登録カードを発行するのにはラップトップと小さなプリンターが必要だったのですが、電気がない環境なのでそのラップトップを作動させるのためだけに発電機(ジェネレーター)が必要でした。

雨期になると川の増水で孤立する村があって、車で川を超えるのも無理そうだったので、選挙登録作業をするためにヘリコプターに出動してもらうことになりました。つまり、たった一つのラップトップを動かすためだけです。

その村まで私と東ティモール人スタッフのチームでまず歩いて行って、ヘリコプターが着地できそうな平地を探して、地上から手を降ってヘリコプターを「ナビ」しました。

国連に赴任したばかりの時、誰かから「実際の仕事内容は現場に行ってみないとわからないよ」と言われたことを覚えてます。

今なら通信事情もツールも格段に進化しているから、もっと簡単な方法があると思うし、正直それが一番いい方法だったかどうかも分からないけど、当時の私にとっては新しい国の代表を決める選挙なんだからそれ位してもいいと単純に思ってました。状況を説明して提案をサポートしてくれる同僚がいたのは幸いでした。

わたしの場合は状況がたいへんだったり緊急事態の方が力が引き出されるタイプみたいだけど(笑)、国連でもNGOでも、実際に何をするかって自分のイニシアティブでずいぶん変わってくるから、そういう機会があったらどんどんチャレンジして欲しいなと思います。

ヘリコプターを地上から素手で誘導するの、もうやらないだろうけどね(笑)

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貨幣も警察もない!「国をつくる」という仕事

私が一番最初に赴任した 東ティモールでは、市場に行ったら3種類のお金が出回っていました。 インドネシアルピー、米ドル、オーストラリアドルです。 中央銀行が機能していない状態だったのです。

トマトを一つ買うのにも毎日値段も貨幣もコロコロ変わりました。「えっ?今日は one dollar??昨日は5000インドネシアルピーだったけど?!

せっかくこの前インドネシア語で5千ルピーっていう意味の「リマリブ」(約50円)っていう単語を覚えたのに、また新しい単語覚えなきゃ(≧∇≦)しかも、ドルで払うと端数切り上げになるから、ルピーで払う方が『お得』なんだよね、と、トマト一つ買うのにも為替も影響する大変な一仕事です。(笑)

また、街では車があっちこっちを秩序なく走っていました。 警察も法律も存在していなかったのです。インドネシア政府が撤退して東ティモール自身の新しい政府ができるまで、まさに「国」の機能が崩壊していました。

軍事的なプレセンスで一時的に紛争を止められることがあっても、けっきょく国が機能しないと平和は定着しないので、紛争をしていた国では、国連が「国づくり」(state-building)の支援にかかわることになります。

紛争が長く続いた国は、建物が焼けてなかったり、政府がほとんど機能していなかったりという状態が多いので、物理的に政府のビルを建てたりということから、憲法を制定する支援という国の理念や枠組みを決める支援も含まれます。

例えば、選挙を実施すること、憲法をつくること、議会を運営すること、公務員を採用すること、カリキュラムを決めること、先生を採用すること、学校を再開することです。

東ティモールのような場合には、警察や税関の制度を決め、それを実際に運営するということまでも含まれます。国連は政府と一緒にそうした作業を行うので、面白いところでは南スーダンには刑務所の整備のためにその分野の専門家が職員としていました。

「国づくり」には山ほどの作業が伴います。

わたしの国連での初仕事は東ティモールでの選挙の運営支援でしたが、人口や状況が分からないので、選挙のための住民名簿を作成するために、村を一つ一つ訪ね、村長さんに「こちらの村の人口は何ですか?」と聞いてまわりました。私がかかわった国連の仕事の中でも一番「歩いた」仕事でした。

ちなみに、東ティモールは国連がかかわった国の中でも「成功事例」で、私がいた一年4ヶ月の間に警察ができ、憲法ができ、学校が再開され、国が正式に独立しました。

実際の仕事内容は言ってみないと分からないのわけ ⇒ https://chikaonaka.com/2015/01/15/わたしの初仕事:「実際の仕事内容は行ってみな/

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⇧東ティモールで行なわれた選挙