「やめてよ」と言える子はいじめられない!パラハラは人間関係のやり直し

最近、パワハラの相談が増えています。

 

厚生労働省が2016年に行った「職場のパワーハラスメントに関する実態調査」によると、過去3年間でパワハラを受けたり、見た・相談を受けたという人は、およそ3人に1人となっており、前回の平成24年調査から大きく上昇しています。

 

労働相談に寄せられる相談では2番目の「解雇」を超えて、4年間連続でパワーハラスメントが一番に挙がっています。

 

どの程度を「パワハラ」というのか、最近の子は打たれ弱いんじゃないか?という疑問を持たれる方もいるかもしれません。

 

私が相談を受ける中で感じるのは、確かにそういう面もあるかも知れないけれども、

 

社会や国全体がこれまでのやり方や価値観を抜け出せない中で、社会の「ひずみ」がそのまま会社や組織に反映され、中間管理職による「パラハラ」という形で現れているんじゃないか、と感じます。

 

じゃあ、パワハラって何がほんとうの課題なの?と考えていたら、姪っ子のお迎え先でみつけた本でこんなくだりを見つけました。

 

「『やめてよ』と言える子はいじめられない」

 

なるほど〜。

 

子育てについての本ですが、そのまま大人に当てはまるな、と思いました!

 

私たちが本能的に気づいているように、大人になってもにんげんの基本的な行動心理やパターンは変わりません。

 

にんげんは、二人以上揃えば、どっちが「上」か判断しようとしますし、序列をつくりたがります(特に男性)。

 

「いじめっこ」は弱そうな人を探します。

オドオドしてる子、自信のない感じの人、ビビる子を敏感に感じとります。

 

彼ら(いじめっこ)は、自分の「支配下」に置ける自分よりも弱い人を見つけることで、自分の「パワー」を確認したいのです。

 

私は、国連という組織で、または軍隊という組織で、または、紛争地で、国籍や人種とわずまったく同じような力学をあちこちで見てきました。

 

実は、「いじめっこ」やDVの「加害者」は、気が弱いタイプであったり、劣等感やコンプレックスを抱えていることが多いのですが、大人になると、そこに役職や契約の更新等がからみ、時に相手がもっともらしいい理屈を述べてくるのがやっかいなところです。

 

そして、会社でもみんなパワハラが起こっているのを知っていても、何をしていいかわからない、というか、声をあげたり、誰かに何かを言うような勇気もないのも残念ながら実情です。

 

派遣社員の方から、周りの人がなにもしてくれなかったことがさらにショックだった、という相談を受けたことがありますが、そういうケースが実際にあるのも残念ながら事実です。

 

そして、職場全体のモラルやモーチベーションがさらに下がるという悪循環を起こしています。

 

日本人の和を重んじる面は素晴らしい点だと思いますが、私たちはそうした時に集団ででも声をあげていくことも学ぶ必要があると思います。

 

さて、もうこんな職場辞めたい!と思うことと思います。

 

自分の健康を害してまで続ける価値のある仕事など存在しませんし、なにより、そんな仕打ちを受ける必要もありません。

 

ただ、もし一言お伝えできることがあるとしたら、仮に辞めるとしても、自分の次への成長のために「もうひとふんばり」して欲しいと思います。

 

それは、我慢するのではなく、むしろ逆で、

心の中で思い切り!「やめてください!!!」と言うことです。

おそらく、実際の心の声は、そんな礼儀正しい言い方ではなく、

ふざけんじゃねー!!!

私に指一本ふれるんじゃねー!!!

みたいな雰囲気でしょうか。

 

もちろん、職場には役職や上下関係が存在します。

 

でも、私たちにはにんげんとしての尊厳があり、人格を持つ存在としてはみんな平等です。

 

そのような仕打ちや扱いを自分に受けさせることはない!のですから、そのようにはっきりと相手に(心の中でいいので)言うことです。

 

 

不思議とこっちが腹をくくり、こちらの態度がぶれなくなると、相手の態度が変わることがあります。

 

そして「辞める前」にぜひ一回ご相談ください。

 

その上司との関係やその職場での体験が自分の中で「嫌な状態」のまま「未完了」終わると、その体験がトラウマとなって、自分では気付かなくても無意識に仕事を制限したり、やる気や集中力がなくなったりと、メンタルに影響することがあります。

 

その上司との関係や今の職場の状況について心の整理をしておくことと、次の転職や次の仕事をみつけるのがよりスムーズになります。

 

さらに言うと、その体験をきっかけに逆に人生が上向く人さえいます。

 

そんな時ほど、人間は自分のことや自分のコミュニケーションスタイルについて振り返らずをえなくなるからです。

 

パワハラをただのパワハラで終わらせたくない人へ!

 

人生には波があります。

波のてっぺんにいる時を人は成功と呼びます。

波の下がっている時にいる時のことを、人は挫折と呼びます。

 

でも、波は常に動いていて次の波が来ます。

 

下がったと思っても、方向が上向いていればいいのです。

次の波がまた先に連れていってくれるからです。

 

私はメンターの先生にこう言われたことがあります。

 

「波のてっぺんにいる時も波の底にいる時も違いはないのよ。

ただ、目の前に学ぶことがあるだけ」、と。

 

多くの人は(私も含めて)波の底にいる時にこそ謙虚に学ぼうとします。

 

なんでも物事が上手くいっている時に人は他の人に耳を傾けないからです。

 

自分の思うようにならないからこそ、理不尽なことがあって初めて自分はどうしたい?

と考えるようになるからです。

 

また、仮に職場が変わってもなぜか同じような課題に直面することがあるからです。

 

「辞める前」にぜひ一回ご相談ください。

 

もし、勇気がほしい、
そのために誰かにサポートして
ほしいと思うのなら、ぜひご連絡ください。

ご相談受け付けています。

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人生から成功も幸せも奪う「いい人」という病──国連ニューヨーク本部で学んだ真実|大仲千華 「答えを求めない勇気」

「人から認められたい」「誰からも嫌われたくない」という思いから、ついつい「いい人」を演じてしまう人は多いのではないだろうか。だが、他人から高評価を得るためのこの行動が、実は成功や幸せを遠ざける原因になっているという。

「いい人」は損もしないが得もしない

 

「『いい人』のままでは、誰にも君のことを覚えてもらえないよ」

 

これは、私が国連のニューヨーク本部で働いていたときに当時の上司に言われた言葉です。いい人は無難な意見ばかりを口にするけれど、そんなものは国連では何の役にも立たないし、誰の記憶にも残らない。彼にそう言われて私はかなりショックを受けましたが、「確かにその通りだ」とも思いました。

 

当時、私は国連平和維持活動(PKO)に携わっていました。国連が扱う業務のなかでも最も直接的に紛争にかかわり、国際政治や人の生死にも影響を与える仕事が単なるいい人に務まらないことは、私にも本能的にわかっていました。

 

しかしながらいい人を否定することは、私にとっては大きなチャレンジでもありました。日本で生まれ育った私に、「いい人であることは悪い」という発想はまったくなかったからです。けれども上司のその一言によって、いい人でいることは、大きな損はしないけどその代わり得もしない、いわば「守りの姿勢」ではないかと考えるようになりました。

 

いい人を演じれば、自分の本当の意見や立場を明らかにする必要がないので、自分が受け入れられなかったり、批判にさらされたりする危険を避けることができます。

 

実際、国連本部で働きはじめてからまだほんの少ししかたっていないにもかかわらず、気がつけば私は発言を求められると公式見解を繰り返すようになっていました。官僚の答弁のような物言いをすることによって、私は自分が傷つく事態を懸命に防ごうとしていたのだと思います。

「いい人」ほどトランプに怒りを感じる

 

私には米国やカナダで暮らすコーチ・カウンセラー仲間が何人かいるのですが、彼らに言わせると、いい人ほどトランプ氏が米大統領選に勝利したことに失望を感じていたそうです。

 

この場合のいい人は、「自分はいい人であるべき(はず)」、または「自分は正しい」という思いが強い人を指します。たとえば、社会的な役割が多い人、仮面(ペルソナ)を何重にもかぶっている人、公的な立場と自分のアイデンティティが一体化している人などがこれに当たります。

 

特に欧米では、社会的地位の高い人ほど「ポリティカリー・コレクト」(発言やふるまいに差別や偏見がなく、道徳的)であることが求められるので、 肩書きや社会的役割と自分のアイデンティティが同一化されていく傾向が強くなります。

 

もちろん、トランプ大統領の乱暴な物言いや、移民・イスラム教徒に対する差別的な発言に、純粋に怒りや不快感を覚えた人も多いでしょうが、「自分はいい人で正しい」と思っている人ほど、トランプの傍若無人な言動が許せないと感じたそうです。

 

人間には誰でも強みと弱みがあります。自分のなかにはいい部分もあれば、嫉妬や無力感に苦しむ嫌な部分もあることをみんな理解しています。しかし、「自分はいい人で正しくなければいけない」と思い込んでいる人ほど、人間の性質をありのままに受け入れることが難しくなってしまうのです。

 

いい人でいることのもう一つの恐ろしい弊害は、いい人を演じ続けなけばいけない義務感、そしてこうすれば人から評価されるという期待感に囚われてしまうことです。

 

「いい人」ほど怒りをため込む

 

私たちは子供の頃から勉強ができるとかスポーツが得意とか、行儀がいいとか褒められた体験を通じて、「こうすれば認められる」という観念体系を学んでいきます。そしてその経験は、大人になってからも私たちを「人を喜ばせよ、有能であれ、完璧であれ」と煽りたてます。

 

そこには、「自分の価値は、残した実績に対する他人からの評価によって決まる」という思い込みがあります。内なるモチベーションよりも、他人からどう見られるかに意識が向いてしまうのです。

前回の記事で、ニューヨークで働いていたときの私は、能力も努力も常に足りない気がして焦燥感とストレスに悩まされていたと書きました。いま思うと当時の私を苦しめていたのは、「国連の本部で働く人はこうあるべき」という思い込みと、「自分をそう見せなければ」と自ら課したプレッシャーでした。

 

このように、私たちは人に認められたいあまりにヘトヘトになり、心をすり減らしてしまうのです。しかも、そんな人ほど実は心のなかで怒っているのです。

 

彼らは「自分はこんなに我慢しているのに」「自分はこんなに尽くしているのに」と思う一方で、相手からは期待するような反応や評価が返ってこないことに対し、常にイライラや不満をためているのです。自分の満足が、コントロールの及ばない他人の反応に左右される状況は、当然、人に非常に大きなストレスを与えます。

日本人特有の「受動攻撃性」とは

 

私が長年の海外生活を経て日本に帰国して驚いたのは、日本人の受動攻撃性の高さでした。

受動攻撃性とは、あからさまに怒りをぶつけて攻撃をするのではなく、無視、無関心、連続して遅刻やミスをするなどの無気力な態度で「抗議」することを指します。私は日本人特有のこの性質を、満員電車の乗り降りのときに特に強く感じました。これも恐らく普段からいい人を演じていることからくる弊害なのでしょう。

 

いい人は、自分の意見を持たない、もしくは自分よりも他人の意見や価値観を優先させることによって、自分で自分を傷つけています。我慢し過ぎて自分の希望がわからなくなったせいで、無気力に陥り、鬱を発症するケースさえあるのです。

 
また、必要以上にいい人になろうとすると、期待に応えられなかったらどうしようという不安にとりつかれ、失敗や批判が怖くてたまらなくなります。その結果、ちょっとした失敗に対しても自己嫌悪を感じる状態に陥ってしまいます。つまり、いい人でいることは、成功の妨げにもなるのです。

 

このような状況から抜け出すには、自分で自分に課しているハードル、そして、社会やメディア、学校や親から植え付けられた以下のような「理想像」に自分が無意識に囚われていることにまず気づかなければなりません。

 

男性は「弱み」を見せてはいけない。
いつもいい成績をとらなければいけない。
絶対に失敗をしてはいけない。
周囲の人に賞賛されなければいけない。
やるからには成功しならなければいけない。
誰よりも優れていなければいけない。
スマートでなければいけない。
もっと痩せなければいけない。
人気者にならなければいけない。
かっこよくなければいけない。
おしゃれでなければいけない。
女性は若くなければいけない。
母親は常に子供思いで優しくなければいけない。

 

私がこうした「いい人」の呪縛から逃れられたのは、ニューヨークでストレスのピークを体験した後にPKOで南スーダンに赴任したことがきっかけでした。

まず、灼熱の南スーダンで、私はスーツを着なくなりました。

 

そして、国連で働く人はこうあるべきだという思い込みを実現するためではなく、現地の状況に合わせて最善を尽くすことに自分の目的がシフトしたとたん、変化が起きました。このとき初めて私は、自分のエネルギーが内から外に向かうのを感じました。

 

人の評価を求めてストレスにさらされるよりも、少しでもいいから毎日自分が成長したと感じられるほうが、自分の力で人生を歩んでいる実感が得られます。南スーダンでは別の意味でのチャレンジがたくさんありましたが、これに気づいたおかげでどれだけ気持ちが楽になったかわかりません。

 

それからは、多国籍チームのリーダーに抜擢され、国連の幹部に「うちの部署で働かないか」と誘われたこともありました。南スーダン政府や南スーダン人民解放軍との会合では、私が話しはじめると白けていた人たちが耳を傾けてくれるようにもなりました。

 

当時の南スーダンは、いつ紛争が再発してもおかしくない状況でした。そんななか、「たったいま、私がここにいる人たちに届けられる一言は何だろう?」と私なりに必死に考え、それを伝えようとしたことによって、気持ちが相手に伝わったのだと思います。

 

人は「正論」では動きません。なんらかのメッセージが人の心に届いたとしたら、それはその意見が立派だからでも正しいからでもありません。伝える人間が心の奥から湧き出るものを表現しようとするときにこそ、言葉を超えた思いが相手に伝わるのです。自分の保身のためにいい人を演じ続けていたら、言葉さえ力を失ってしまいます。

 

「どんなときでもあなたは一人しかいない。だから、あなたの表現は必ずユニークなものになる。もしそれを表現しないのならば、それは世界にとっての損失である。自信を持って踏み出しなさい」──これは、モダンダンスを開拓した米国の舞踏家マーサ・グラハムの言葉です。

 

彼女の言う通り、あなたという存在からしか伝えられないものが必ずあります。

 

私たちはもっと自分が自分であることを表現し、もっと正直にわがままに生きていいのです!

 

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《新プログラム》開始しました❗️

 

沖縄には、人がその人本来の姿でない状態を表わすのに「魂が抜けている」と言うことがあります。人は、その人の自然な想いや本当の気持ちに繋がるとき、その人本来の力と輝きを取り戻します。

 

自分の人生について改めて考えたい、前に進みたいという時に、普段の環境と切り離されることはとても役に立ちます。

 

普段無意識に感じている「こうでなければならない」という囚われや集合意識、過去の経験から物理的に離れることができるからです。
この特別プログラムでは、世界の中でも自然がピュアで、生命エネルギーが高い形で残る沖縄の西表島へ行きます。

 

https://peraichi.com/landing_pages/view/krgi1

 

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内なる「才能」を呼び覚ましたいなら一流との「同期現象」を活用せよ!

長年、破られていなかったスポーツの記録が更新されると、次々とそれに続く新記録が樹立することがある。この「同期現象」を利用すれば、誰でも眠っていた才能を目覚めさせ、「一流」を極めることができるという。

 

一流になるための近道「同期現象」

 

メキシコオリンピック(1968年)の100m走で米国のジム・ハインズが9秒95の記録を出して以来、長らく「10秒の壁」が破られることはありませんでした。ところが、1983年にカール・ルイスが9秒台を出すと、それに追随する選手が次々と現れました。

 

スポーツ競技では、このようなことがときおり起こります。これは以下のような現象と原理を同じくしています。

 

●心臓をつくっている筋肉(心筋細胞)がリズムをそろえて、心拍数を一定に保つ。

●臓器が互いに影響しあって、起床や就寝時間などの体内リズムを作る。

●何万匹もの蛍がいっせいに発光を始める。

●フラストレーションや不安を感じている人が、感謝や慈愛を感じている人のそばにいるだけで、落ち着く。

●一緒にいる女性の生理周期が同じになる。

 

また、スキップができない人ができる人に挟まれて練習を始めると、スキップができるようになるという実験結果もあるそうです。

 

このように個々はバラバラに動いているのに、全体がなぜかそろってしまうことを「同期現象(synchronization)」と呼びます。

 

科学的な説明はハーバード大学のサイトに詳しいのですが、論より証拠で、ぜひこちらの動画を2~3分ご覧になってみてください。

 

最初はバラバラに動いていた32個のメトロームが、次第にそろっていきます。

 

同期現象のメカニズムは、生物学、物理学、数学の研究対象として、さまざまな分野で研究・応用されているそうです。

 

これと同じ原理で、私たちは一流の人たちに触れることによって、自分のなかに眠っている才能を目覚めさせることができます。

 

最近、世界的指揮者のズービン・メータ(81歳)の指揮に触れたとき、私は身体全体が震えるような衝撃を体験しました。

 

メータは、世界最高峰のオーケストラ「ウィーン・フィル管弦楽団」のニューイヤーコンサートで、最も多く指揮を振ったことで知られています。

 

また、2016年のウィーン・フィルの日本公演では、小沢征爾氏と共に指揮をつとめました。彼の指揮する演奏を聴いた後、「『巨匠』ってこういう人のことを言うんだ」と感動し、しばらく恍惚状態に陥ったことを覚えています。

 

 

メータはどうやって、あの域に達することができたのか? ──どうしてもそれを知りたくなり、私はメータが登場するインタビューの動画を片っ端から視聴しました。

 

彼の指揮に触れた1週間後、今度はある英国人指揮者の演奏を聴く機会がありましたが、私の心にはまったく響かず、かえって巨匠メータの演奏がいかに「別格」だったかを再認識することになりました。

 

一流を通じてより高い世界を見ることができる

 

フランス人の指揮者シャルル・ミュンシュが書いた『指揮者という仕事』(春秋社)という本があります。彼は小沢征爾が影響を受けたことでも有名で、同書はリーダーシップ本の名著でもあります。

 

ミュンシュは、指揮者という仕事の本質についてこう語っています。「壇上に立ち、第一拍を振り始める瞬間、あなたには無数のまなざしが向けられ、観客はそれぞれが自分の光と熱をそこから汲み取ろうとする。

 

(中略)

 

指揮者(conductor)という言葉自体には統率するという意味も含まれていますが、大事なのは、命令を与えるというよりも、自分自身がそれを身振り、態度、そして抗じ難い放射によって、表すことです。」

 

つまり、人は、指揮者のように自分の前に立つ人を「鏡」と捉え、その人物のなかに自らの顕在化していない才能や可能性を見ることができるのです。

 

ミュンシュはこうも言っています。

 

「指揮者が楽曲を忠実に再現することによって、聴いている人の思考や感情が指揮者の思考や感情と同時に再創造される」

 

確かに、ときに演奏会で演奏者と会場があたかも一体になることがあります。ジャズピアニストのキース・ジャレットや盲目のピアニスト辻井伸行さんの演奏会などがそうでした。

 

そんな演奏に触れると、何かが腑に落ちたり、それまで分からなかったことが突然わかったり、悩んでいたことが些末に感じたり、視点が高くなってまったく違う世界が見えたりといった、洞察やインスピレーションを受けることがあります。

 

音楽や数式は、言語よりもより抽象度の高い情報形態です。別の言い方をすると、音楽は、言語や思考に伴う偏見や日常的な制限を超えさせてくれます。

 

音楽には瞑想と同じような効果があり、脳の前頭前野が刺激されることがわかっています。音楽を通じて創り出されるコヒアランスや調和の状態が、誰のなかにもある直感や内なる声とつながりやすくしてくれるのでしょう。

 

そもそも私がクラシック音楽に魅了されるようになったのは、南スーダンなどの紛争国で働いた後、一瞬にして言語や理屈を超えて人をつなげてくれる音楽の力を実感したからでした。

 

まったく個人的な感覚ですが、メータから醸し出される音色からは「人類への祝福」すら感じました。こうした超一流音楽家、作家、表現者などが作り出す世界を通じて、私たちは、より高い世界や景色を垣間見ることができるのです。

 

一流の「周波数」に共鳴する

私は5人のノーベル賞受賞者の方と会議などで同席して、直接質問をする機会をいただいたことがあります。

 

そこで改めて確信したのは、それがどんな分野であろうが一流は「一流の周波数」を持っているということでした。音楽家でも料理人でもアスリートでも、私たちが彼らから吸収するのは技術でもなければ専門知識でもありません。

 

私たちは彼らの作り出す、「一流の波動」を感じとっているのです。

 

それを自覚していなくても、人間の体の70%は水分でできているので、身体の細胞が自然と「一流の周波数」に共振するのでしょう。

 

「100年に一人の天才指揮者」からわかること

 

「もう限界」だと感じた時点では、人間は潜在能力の2割も使っていないと言われています。

 

カール・ルイス選手が100m走で「10秒の壁」を破ったとき、彼は「超人」と呼ばれました。しかし、人間の身体能力はそれほど変わっていないはずなのに、その後9秒台で走る選手が続出。「できる」ことが当たり前になってくるからです。

 

私たちは身体全体で、一流の考え方や世界観をどんどん吸収することができます。また、一流に触れていると「そうでないもの」に触れたときに「気持ち悪い」と感じるはずです。自分に合うものや必要なものに対する感覚が研ぎ澄まされていくからです。

 

最後に、「100年に一人の天才指揮者」と呼ばれるベネズエラ出身の指揮者、グスターボ・ドゥダメルをご紹介したいと思います。

 

ドゥダメルは、2009年に米誌「タイム」の「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれ、 史上最年少でウィーン・フィルやベルリン・フィルを指揮して、世界的に注目を集めています。

 

プロの指揮者や音楽家は、エリート音楽教育を受けているのが当然だと思われています。そんな業界で彼がユニークなのは、貧民街で音楽を習ったというバックグラウンドです。

 

ドゥダメルは暴力や貧困から若者を守るために音楽を教える「エル・システマ」というプログラムで音楽を学び、ウィーン・フィルを指揮するまでになりました。

 

クラシックにラテンのリズムを融合させるなど、これまでの音楽の枠を軽々と打ち破り、彼が指揮するレナード・バーンスタインの「マンボ」の演奏には思わず体が動いてしまいます。

 

 

彼を見ていると、一流になるまでには決まったコースがあるわけではなく、「自分が自分であること」に遠慮をしないことが重要なのだと実感します。

 

皆さんもぜひ、たくさんの本や音楽、そして人に触れて、自分の心に響くものを見つけてください。それが一流になる近道なのです。

 

2017年5月29日クーリエジャポン掲載

頭脳中心から ハート中心の文明へーメンターの先生と「ハートメタ」が雑誌で紹介されました!

メンターの先生と「ハートメタ」が雑誌で紹介されました!

今月号の特集の一つは、

「頭脳中心からハート中心の文明へ」です。

 

ハート中心の文明へ②

 

ハート中心の文明へ③

 

頭脳中心からハート中心の文明へという意味は、すごく簡単な言い方で言うと、頭で考えることからより感じることへ、という意味だと思っています。

 

または、複雑で分断された世界から、本質をつかみつながる世界へ、みたいな方向性でしょうか。

 

本当に大切なものを豊かにみんなで一緒に味わいましょう、というニュアンスだと思います。

 

以下の記事より引用です。

 

「ハートメタは施術をする人を通して、施術を受ける相手のコアな部分につながっていきます。

 

すると、自分でも気づかない奥深くにあるブロックや制限が浮上し、内なる自分の最も深い部分からいま自分に降りかかっている問題の理由や原因が伝えられるのです。

 

その人自身が、「自分の中にすでに答えがある」という感覚にたどり着くことができるので自分で自分を癒すツールと言えるでしょう。

 

また、すでに科学的にも証明されていることですが、肉体の細胞にもさまざな記憶があります。

 

これらの記憶を変容させることで、感情レベル、メンタルレベル、スピリチュアルレベル、肉体レベルの4つから根本的な変化をもたらすことも「ハートメタ」の特徴です。

 

その人の細胞レベルでの周波数を変えることができるのです。

 

 

。。。

 

中略

 

ハートメタトレーニングは日本から始まりました。

 

香港、アメリカと続いています。

 

日本から始めたのは、あるときそういうメッセージが届いたからです。

 

日本という国はピュアなエネルギーを持っているのです。

 

私は、東日本大震災の直後の2013年に初来日したのですが、その時に受け取ったメッセージは、フェニックス(不死鳥)が灰から起き上がるという内容でした。

 

このメッセージからも、日本は純粋性が高く、力強く、不屈の精神にあふれている国だとわかります。

 

そして、日本という国は感情を解放する準備ができていて、それがすでに始まっています。

 

日本では何世紀も感情というものは内側に隠されてなければいけないという美徳や教育がありました。

 

しかし、今こそさまざまな感情に気づき、外に出していくべきだと気付き始めた人、目覚め始めた人がとても増えてきています。

 

感情を解放するためにも、この「ハートメタ」のツールは非常に役立つものになるでしょう。

 

引用終わり

***

 

ハートメタセッション受付け中です!!!

 

https://chikaonaka.com/ハートインテリジェンス/

 

2ヶ月で10倍の資料をこなせるようになったお話しー自分の中の「基準」と「当たり前」がまったく変わること

オックスフォードの学生がチュートリアルで習得することは、自分の中の「基準」と「当たり前」がまったく変わることです。

 

「こんな量どうしたらこなせるんだ?」と感じられたことが、いつの間にか「出来そう」に変わっていくことです。

 

オックスフォードのチュートリアルで読む文献の量は、1週間で20冊~50冊位の量に及びます。

 

もちろん英文です。

しかも、難しそうに書いてあります。

 

最初は、まずこの大量の文献の量に圧倒されることになります。

 

いったいこの量をどうやって読めばいいんだろう?と途方にくれそうになります。

 

どこから手をつけていいか分からなくなって何度も泣きそうになりました。

 

しかも、読んでも簡単に分かるようなものでもありません。

 

私は、18世紀に建てられた寮の一室で、分からないのは自分だけなんじゃないか?と落ち込みました。

 

どうして学者という人たちはもったいぶったように難しく書くんだ。

もっと簡単に書いておくれー!と何度も言いたくなりました。

 

本を読む量が追いつかない。気持ちは焦るばかり。

 

それでも教授とのチュートリアルの日は刻々と迫ってきます。

 

大人数の講義だったらなんとかごまかせるだろうことでも、一対一なのでごまかせません。

 

ただ安心したのは、そのように悩んでいたのは私だけではなかったという事実でした。

 

私が当時暮らしていた寮では、ポルトガル人、インド系イギリス人、スリランカ系イギリス人、タンザニア人、中国人、イギリス人と日本人の私が一緒に住んでいました。

 

この文献の量に誰もが戸惑い、文字通り格闘していました。

 

そして、自分に問いていくのです。

 

どうしたら、これを時間内でできるのか?と。

 

そして、自分の方法をみつけていくのです。

 

なんとか最初の学期の8週間が終りました。

最初の8週間を乗り切って、心底ホッとしたのを覚えています。

 

文字通りなんとか乗り切ったという感覚で、ともかく終えられてよかった、と思いました。

 

そして、クリスマス休暇に入り、束の間の休憩を過ごしました。

 

年が明けて、再びオックスフォードのキャンパスに戻りました。

 

二学期目を迎えようとしている自分の心境の変化に気がつきました。

 

その文献の量を目の前にしても、前よりも落ち着いている自分がいたからです。

 

文献の量は相変わらず多く、課題の答えもすぐに分かりそうなものではありません。

 

 

内容に手応えをつかんだとまではいきませんでしたが、チュートリアルとはこういうものなのだ、と、思っている自分がいました。

 

「こんな量どうしたできるんだ?」と感じられたことが、この量が「当たり前」になっていたのです。

 

そして、その量が当たり前と感じられると、最初はただただ圧倒されていた量を目の前にしても、「出来そう」だと感じられたのです。

 

1983年に陸上のカール・ルイス選手が100メートル走で9秒台を出し、「10秒の壁」を破った時に彼は超人と言われました。

 

ただ、「10秒の壁」を一人が超えると、人間の身体能力自体はそれほど変わっていないはずなのに、その数年内で9秒台で走る人が続出しました。

 

「できる」ことが当たり前になってくるからです。

 

オックスフォードのチュートリアルで体験したのは、自分の基準が上がることでした。

 

私たちは自分の中で「もう無理」「もう限界」だと感じた時点で、人間としての潜在能力の2割も使っていないと言われています。

 

スポーツ競技だけでなく、そのような環境に身をおくことでそのようなことが起こります。

 

あなたの中の「もう無理」や「もう限界」は本当にそうですか?

 

ほとんどの人は、自分の能力の1割か2割も使っていないのです。

 

 

ちょっと想像してみてください。

 

今の自分の能力の10倍のことができるとしたら、どんなことができると思いますか?

 

どんなことが可能だと思いますか?

 

なんだかそっちの方が楽しそうだと思いませんか〜? ^^

 

 

オックスフォードで学んだ「一流」とは悔しい思いをたくさんした人ーみんな何者かになりたくて悩みもがく日々

「考える力」という視点から最近、オックスフォードで勉強してきたことを書いています。

 

オックスフォードで勉強したのは、私にとってはもう随分と前のことですが、改めて書いてみると、「一流」ってどういうことなのか?何がどう一流なのか?

 

それをどう日常的なことに応用できるのか?という視点で振り返るいい機会になっています。

 

今日のテーマは、何が「一流」を「一流」にたらしめているのか?です。

 

オックスフォードやハーバードと聞くと、どんなイメージでしょうか?

 

きっとみんな自信満々の天才なんだろう、と思いますか?

 

頭脳明晰で自信に満ち溢れた人たちを想像するかも知れません。

 

でも、私の知っている等身大のオックスフォード大の学生たちはそうではありませんでした。

 

 

むしろ、私も含め、みんな何者かになりたくて悩み、もがいていました。

 

そして、自分の能力の限界や無力感に打ちひしがれていました。

 

なぜなら、できる人たちが一杯いるからです。

 

ちょっと努力しただけではとてもかないそうもないことをすぐに発見するからです。

 

 

これまでの環境では、自分はある程度できる人だったかも知れないけれども、オックスフォードに入ったらそれは当たり前になります。

 

そして、自分にはできないことを簡単にやってしまう人たちがいるのをまさに目の当たりにします。

 

入学してまず私がびっくりしたのは、クラスメートの経験でした。

 

 

私が学んだ人類学部は、学問の内容から旧植民地出身の人たちが多く、オックスフォードのなかでも特に多様性の高い学部の1つでした。

 

2015年度の留学生の出身国は約140ヵ国・地域にものぼり、大学院では62%を留学生が占めています。

 

クラスメートの出身国はフランス、アメリカ、エジプト、トルコ、南アフリカ、ジンバブエ、マリ、パキスタン、インドなど本当に多種多様でした。

 

私がチュートリアルのペアを組んだ女性は、インド系3世の南アフリカ人でした。1994年にアパルトヘイトが終わって、ようやく英国で学ぶ機会を得たのだそうです。

 

当時はまだ、アパルトヘイトが終わって数年しか経っていない時期で、彼女は母国の現状を次のように話してくれました。

 

「マンデラ大統領は、黒人と白人の間で衝突が起きてもおかしくなった状況の中で国を一つにまとめるという偉業を成し遂げてくれた。ただ、私の国では人種の断絶や暴力の種がまだまだ大きいの。南アフリカの未来はこれからよ。」

 

 

パキスタン出身でジャーナリストの女性は、長年パキスタンの女性の地位について関わり、研究してきました。

 

オックスフォードでは、婚前交渉・婚外交渉を行った女性は家族全体に不名誉をもたらすという理由で、家族の名誉を守るために女性が殺される慣習(オナーキリング=honor killing)をテーマにしていました。

 

 

さすがに、奨学金をもらえないと留学できないという国から選ばれただけあって、みんな優秀で賢明なだけでなく、とても勇気のある人たちばかりでした。

 

日本ではほとんど聞いたことがなかったようなリアルな「世界」が、クラスメートの口から次から次へと語られることに私は圧倒されました。

 

 

そして、そんな彼らの姿に触れると、私はそんな問題に直面することもなくぬるま湯につかっ過ごしてきた世間知らずの日本人のようにさえ感じました。

 

 

そして、そんな彼らの姿に触れることで、「じゃあ、あなたは何をしたいの?」という常に問われているように感じたものでした。

 

こんな大きな問題に私ができることことなんていったいあるんだろうか???

 

民族紛争について研究したいと思っていたのに、彼女たちのように自信をもって答えられない自分がいました。

 

自分の能力の限界と同時に、無力感さえ感じたことは一度や二度ではありません。

 

オックスフォードやハーバードの学生と聞くと、頭脳明晰で自信に満ち溢れた姿を想像するかも知れません。

 

でも、人が自分の専門分野やなんらかのテーマを追求していく過程では、誰もがなんらかの形で自分の限界や無力感を感じるのではないかと思います。

 

ただ、今になって振り返ると、こうしたプロセスこそが、私が後に国連や米軍で働くために必要な土台をつくってくれたとわかるのです。

 

他の人にかなわないことを痛感してこそ、または、限界や無力感を感じるからこそ、自分にしかできない分野やテーマを探すようになるからです。

 

自分にできないことが分かって自分にできることを必死に求めるからです。

 

そして、自分の限界や無力感に触れると、「表面的な理由」や「にせものの理由」がはぎ落とされていきます。

 

「なぜあなたはそのテーマに興味があるのか?」「それでもあなたはやりたいのか?」と問われ続けても、イエス!と言えることだけが残るからです。

 

私は、オックスフォードといった一流が集う環境に身を置く一番の価値はまさにここにあると思っています。

 

本当に悔しかった。何度も泣きそうにもなった。

 

それでも、誰かに当時の体験を取り上げるよ、と言われたら私はきっと必死になって抵抗するでしょう。だって、そんな体験を通じて自分を発見し、自分を知るのだから。

 

一流とは一部の才能に恵まれた人ではありません。

 

一流とは、悔しい思いをたくさんした人なのです。

 

そういう意味では、自分の弱みも強みもわからない人というのは、ぬるま湯に浸かったままなのかも知れません。

 

 

そして、私はそんなオックスフォードでの一年間を経て、ある思いがさらに強くなっているのに気がつきました。

 

 

人類学という視点が民族紛争の解決に役に立つことは確信した。

では現場ではどんなことが議論されていてどう扱われているのだろうか?

南スーダンの部族について書かれた民族誌についてはたくさん読んだけれども、今現在南スーダンで起きていることが知りたい!

今の世界で起きていることに関わりたい!!!と。

 

 

一流との交わりは、自分の奥深くにある思いを揺さぶるのです。

 

 

その後、4年間も南スーダンで働くことになるとは全く想像もしてみなかったのでした。

なぜ一流は先に目的を決めるのか?ー情報も人も運も引き寄せる脳の活かし方

 

エネルギーは意図に従う、という表現があります。

 

 

何かを検索するときに、集中している時ほど、一番初めに開いたサイトでまさに探していた情報をピンポイントでみつけることがあります。

 

 

逆になんとなくネットサーフィンをしている時には、最初何を見ていたのか忘れてしまうくらいに、気が付いたら数時間経っていたということがあります。

 

 

自分の中に目的や問いがある時、脳はそれに関連することや役立つことを常に探していると言われています。

 

 

問いや目的がはっきりしている時ほど、必要な情報や人を引き寄せやすいのです。

 

私も、連載原稿を書く時によくそういうことを体験します。

原稿を書く時、まず最初に全体のテーマを考えます。

 

内容のアイデアはあるけど、切り口や構成案はまだはっきり固まっていないなあという時があります。

 

さて、どういう切り口にしよう?とアイデアを紙に書き出したりしながら、構成案を考えます。

 

すると、

 

たまたまその時にセッションにいらしたクライアントさんからそのテーマに関して質問されたり、たまたま会った人との会話が自分が頭の中で思っていたテーマに及ぶ、ということがよくあります。

 

そしてそんな会話の中からヒントをもらったり、または、この方向でいいんだ、と確認をすることがあります。

 

そういった形でもたらされる情報やヒントは本当に多いのです。

 

 

 

どうやって国連で働くことになったのですか?と聞かれることがあります。

 

登録していたメールマガジンで募集の案内を見つけたのが、初めて募集するきっかけだったのですが、正直とくに目を凝らしてメールを見ていたわけでもありませんでした。でも、そのメールは目に入ったのです。

 

 

これを偶然といえば偶然とも言えますが、私はそうは思いません。

 

問いや目的がはっきりしている時ほど、必要な情報や人を引き寄せやすいのです。

 

 

 

私たちはすぐに解決策に飛びつきたくなりますが、そうした情報に敏感になり確実にキャッチできるようになるには、まず先に目的を持つことです。

 

 

これは大きなことだけに限りません。

私たちは日常的にこの原理を応用することができます。

 

 

今日1日の「目的」を決めます。

本を読む時に「目的」を決めます。

人と会う時に「目的」を決めます。

打ち合わせの「目的」を決めます。

ブログ記事を執筆する「目的」を決めます。

プレゼンの「目的」を決めます。

 

 

この場合というのは目的とは、目標というよりもこうだったらいいなという理想の状態です。

 

 

私が記事を書く時の目的の一つは、読者を「インスパイアーすること」です。

 

新しい視点を提供することです。

 

 

新しい人と会うときの大きな目的はその人を理解して信頼関係を築くことです。

 

 

つい先週に行った講演の目的は、広い世界の楽しさを伝えること、自分で考える楽しさを伝えることでした。

 

もっと具体的な目的がある時もありますが、このような目的を先に設定することで大きな方向性(エネルギーの流れ)を作ってくれます。

 

この差は半年後に大きな効果となって返ってきますよ。

 

エネルギーは意図に従います。