Good to Greatという題名の全米ベストセラーの本(邦題「ビジョナリー・カンパニー 2 – 飛躍の法則」)があります。
直訳すると、「グッドから素晴らしいへ」「よいから偉大へ」とでも訳することができるでしょうか。
人の真似ではなく、なんとなく周りと一緒でもなく、自分が「自分の人生」を生きることは、今の「個の時代」を生きるために土台となるスタンスだと思います。
同時に「自分」にばかり焦点をあてていると、「自意識過剰」になったり、「自己嫌悪」や「自己満足」になってしまったり、逆効果となる時もあります。
「自分」が苦悩の原因であるという表現さえあります。
または、そこそこまでは自分の努力や自分の力でがんばってできるけれども、グッドからその先に行くにはどうしたらいいのか?という問いにも繋がっていきます。
モーツアルトはたった数年の間に何百曲も素晴らしい曲を作曲をして天才音楽家と呼ばれました。
彼にとっては、音の塊(かたまり)がメロディーがとしてまさに彼の上に降ってきた、というような体験だったそうです。
作曲をすることは、もちろん彼の努力を土台にしていますが、彼の能力を超えた、彼に与えられた役割とまさにギフト(贈り物)でした。
わたしはクラシック音楽のコンサートに行くのが好きですが、一生懸命に努力して指揮棒を振る指揮者と、自分が導管(conduit)となってその人を通じて音楽が醸し出されていくかのようにオーケストラ全体から音色を引き出す人の両方を体験したことがあります。
簡単にいうと、前者の人は力が入っていて、後者の人は軽やかです。
前者は「Good」ですが、やはり「Great」にはたどり着けません。
Greatな演奏は、その人個人を超えたより大きな力と一体になったようなものです。
それがまさに「Great」=「偉大な」と呼ばれるゆえんだと思います。
「Good to Great」という本のタイトルは、まさにその違いを見事に一言で表現しているなあと思います。
自分を超えたより大きな力である「偉大さ」(Greatness)とつながることを意図しましょう。
でも、これは大きなことをするという意味ではありません。
仮に「大きな仕事」をしていても中途半端な気持ちで取り組んでいたら、まったく偉大さを発揮できません。
逆に聞こえるかも知れませんが、自分ができることの「小ささ」を認めて、大きな力に道を譲って働いてもらうのです。
掃除でも、料理でも、一見小さな仕事と見えるものでも、そこに自分を通じて今やっていることに「偉大さ」(Greatness)がもたらされるようにと自分を明け渡すのです。
そして、より大きな力に道をゆずるときに、私たちは自分を通じて働く大きな秩序を体験し、畏敬の念を感じ、心が満たされ、充足感を感じるのです。
心をこめて何かに取り組んでいるとき、またはその人が情熱を感じていることに取り組んでいるときには偉大さが自然に表れています。
だから、自分が好きなこと、情熱を感じることをやりましょう、と言われるのですね。
それがもし人と関わるときには、自分を通じて相手の人に対してより大きな力によって愛や慈愛、安らぎがもたらされるように意図しましょう。
それは自分の力でできることではありません。
明け渡しましょう。
より大きな力に働いてもらいましょう。
自分が努力をするというレベルでは満たすことのできない部分が私たちのDNAの中には組み込まれています。