答えを言うのも求めるのも簡単だけれども、自分で答えをみつけるようにサポートすること

先日、都内のある有名な老舗のお米屋さんの方とおしゃべりすることがありました。

 

こちらのお米屋さんの扱うお米はとても美味しくて、引っ越した先でもわざわざ送ってもらう人も多いそうです。

 

地元でも評判のお米屋さんです。

 

先日、「どのお米がお勧めですか?」何気なく聞きました。

 

すると答えはこうでした。

 

「うちはね、まずお客さんに数種類のお米の値段帯のお米を試すことをお勧めしているんですよ。」

 

なので、「このお米がいい」という銘柄を断定するような「答え」はありませんでした。

 

でも、その人にとってベストな「お米」をみつけられる方法を教えてくれたのだと思います。

 

そうなんです。

 

答えを言うのも求めるのも簡単ですが、いい先生は、その人が自分で必要な答えをみつける方法を教えてくれます。

 

わたしもそのような導き方でありたいと思っています。

神さまに応援されるお願いの仕方ー「これじゃないと幸せになれない」ではなく⭕️⭕️とお願いすること

ここ数回、人生での選択は究極的にはたった二つしかないー「愛」か「おそれ」かーということについて書いています。

 

選択とは仕事だけでなく、人生のあらゆるところであります。

 

1日の中でも何十(百)回という選択の瞬間があるとも言われています。

 

日々の選択が人生の質にも直結しているとも言えます。

 

愛からの選択がどういうものかピンとこないと感じる人も多いと思うので、わたしの友人の愛の選択の例を少しお話ししたいと思います。

 

彼女にはガーナで育った二人の男の子がいます。

 

この8月から日本で一緒に暮らすことになり、東京で新しい住まいを探していました。

 

日本語を学んでいる子どもたちがアットホームに感じられる街がいい

 

日本語学校に通いやすいところがいい

 

日本語を学んでいる子たちの受け入れ体制が整っている区(市)がいい

 

職場への通勤が楽なエリアがいい

 

家族全員が暮らせる広さが欲しい

 

子どもたちの教育費がかかるので、家賃はできるだけ抑えたい

 

マンションの管理体制がしっかりしていてできればコミュニティーの雰囲気があるところがいい

 

毎日ご飯を楽しくつくれる快適なキッチンが欲しい

 

仕事から帰ってきて落ち着ける雰囲気の部屋が欲しい

 

というのが彼女の希望でした。

 

子を持つ母として、また仕事を持つ人としてごくごく当然の望みだと思います。

 

同時に、東京の家賃は高いし、ご存知のように2020東京五輪で首都圏のマンション価格は高どまりしています。

 

そんな物件はいったいどこにあるのだろうか?と、あてもないまま物件探しが始まりました。

 

気になるエリアに足を運んで街の様子を見てみたり、数件回ったのですが、ピンと来るものはなく「どうしよう」と落ち込んでいました。

 

さらに数件内見をしましたがまだみつかりませんでした。

 

すると、心配がとまらなくなってしまいました。

 

「このままみつからないんじゃないだろうか?」

「息子たちは日本の生活に慣れてくれるのだろうか?」

「いじめられたらどうしよう?」

 

そんな不安が押し寄せてきて止まらなくなった、と彼女は言います。

 

ただ、ちょっと心を落ち着けて、自分の心の状態に意識を向けてみると、彼女は自分の心の状態が「おそれ」にはまっていることに気づきました。

 

彼女は自分の心の方向を愛に向け直しました。

 

「心配に目を向けだしたらきりがないし、かといっていくら心配しても将来がよくなるわけでもない」と思って、「どうなるか分からないけれども息子たちを信頼すること」そして「全員にとっていい方向にいく」ためのサポートをお願いしました。

 

それからの展開は奇跡の連続でした。

 

評判のいい日本語学校がみつかり、見学へいくと先生たちの雰囲気もよく息子をここに通わせたい、と直感的に思ったそうです。

 

学校にも下見へ行き、評判のいい学区であることを確認しました。

 

その一点が決まると、次には考えていなかったエリアが頭に浮かびました。

 

そして、内見へいくと、とても協力的で業界に詳しい仲介の人に巡り会い、すごく親切に管理組合の様子など最終決断のためのポイントや見極め方などを教えてくれました。

 

その人のお陰で審査もスムーズに進みました。

 

首都圏で家族で暮らす住まいを探したことのある方ならわかると思いますが、「自分にとっての基準」や「優先順位」がわかっていなければいったいどこから始めていいのか途方に暮れてしまいます。

 

それこそ検討することも調べることも山のようにあります。

 

何年も引っ越しを考えながら、それこそ物件や環境など条件の比較表をつくっても、まだ気に入ったところがみつからない、決められないという人も知っています。

 

最後に決め手になったのは「ここなら家族で幸せそうに暮らせると感じた」という直感的な感覚と、この人なら任せられると思ったという仲介の人との出会いなど、大きな流れの中にいるというようなサポートを感じたことでした。

 

そして、実際に息子さんたちが来日してみると、マンションの人たちがフレンドリーでよかった、といった「あの直感はあっていた」と確認するような出来事が続いています。

 

もちろん、新しい国での生活ですからまだまだ慣れることはたくさんありますが、守られているような感覚があって、やっぱりあの直感を信じてよかったといいます。

 

これは住まい探しの例ですが、「自分に合う仕事探し」にもまったく同じことが当てはまりますね。

 

そして、彼女の件から「選択すること」についてわたしたちが学ぶことはたくさんあります。

 

① 絶対にこの物件に住まわせてください、というお願いの仕方ではなく、「全員が幸せに暮らせる場所」を願った

 

(これじゃないと幸せになれない、というのではなく、それがどこかわからないけど全員が幸せに暮らせる場所を教えてください、というお願いの仕方)

 

② 自分にとって重要な点、優先順位が明確だったこと(日本語学校に通いやすく、受け入れ体制があること)

 

③ いろんな場所に足を運んで、物件を何件も見た中で実際に自分で見て感じて場所や物件についての直感的な感覚を磨いた

 

④ 自分のライフスタイルや性格がわかっていて、これまで何度か首都圏に住んでいるので自分がどんなところに住めば幸せに感じるのかある程度わかっている

 

⑤ 大きな力のサポートを求め、お願いをした

 

⑥ 焦りや不安、心配につかまりそうになったら、それに気づいて愛を選択し続けた

 

⑦ 自分がどういう状態を望んでいるのかという状態に意識を向けてそれを感じた

 

最後の点は彼女が今回意識した点としてわざわざ教えてくれました。

 

 

こういう「いい事例」・「奇跡体験」を聞く人は、自分も同じ体験をするという原則があります。

 

そして、サポートや奇跡を体験した人は他の人にもその体験を伝えていくことができます。

 

「あなたにもできますよ」「あなたにも奇跡が与えられていますよ」と伝えていくことで、さらに多くの愛と奇跡を広げていくことができるのです。

 

「与えること」は「受け取ること」ですから、そうやってさらに愛と奇跡の循環がひろがっていくのです。

 

そういう意味では、「愛」と「奇跡」ををたくさん体験することは人の役にも立つのですね。

 

愛を選択しましょう。

 

サポートと導きを求めましょう。

 

すでにある奇跡に気づきましょう😊

内心怒って満員電車でぶつかる人が多いのは、自分で決めてないからー義務とほんとうの責任の二つの違いをまなぶ時

自分で「決める」たびに本来の力を取り戻していく体験をお話ししました。

 

その選択が自分の価値観に沿っているときには、

いい気分がして、物事も身体も自然に動きます。

 

自分で決めると納得感がありますし、なにより自分で決めたという体験自体が自信になります。

 

自分の意思で決めたので多少の困難があっても、ふんばれます。

 

関連記事⇨10年働いても指示待ち&自分で考えられない人 vs どんどん自信をつけていく人ーその差は普段自分はどうやって○○○しているかを意識しているかにあった!

 

 

では自分で決めないとどうなるでしょうか?

 

「こんなはずじゃなかった。」

「そんなこと聞いてなかった」と

誰かのせいにしたくなる気持ちがでてきます。

 

この数年「アンガーマネージメント」が注目されていますが、内心怒っている人が増えているのは実は自分で考えて決めていないことに対する不満が無意識でたまっているからじゃないか、と私は思っています。

 

深層の部分では自分で決めていない、自分で自分の人生の責任をとっていないことを自分で知っているので、自分が自分に怒っている、という訳です。

 

 

「決める」の別の表現として「意思決定」、英語ではdecision-makingという言葉があります。

 

では、decision-makingの「反対」は何でしょうか?

 

ちなみに、英語を英語のニュアンスで覚え身につけていく英語脳的学習法の一つに、新しく覚える単語を英語の類義語(synonyms)と反対語(Antonyms)と関連させて覚えていくという方法があります。

日本語よりも英語の方がよりダイレクトな言語なので、「決めないこと」「決めること」のニュアンスが、反対語と類義語を引用することでより伝わるなかと思い、それぞれ辞書を引いてみました。

 

⭕️decision-makingの「反対語」は

 

untrustworthy=信頼できない

immature=成熟していない

immune=逃れている

exempt=外れている(免除された)

excused=言い訳的な

 

⭕️decision-makingの「類義語」は

 

responsible=対処能力のある

accountable=責任を持つ

in charge=仕切っている

engaged=関わっている

in control=主導権を握っている、制している、掌握している

 

です。

 

こうやっていざ並べてみるとそのニュアンスがよりはっきりすると思います。

 

とくにダイレクトな意味である

immune=逃れている、と

exempt=外れている(免除された)で、

 

自分で判断して決めないというのは、「人生から逃れている、自分で自分の人生から外れている」ということと同じだよ、とはっきりと伝えてくれています。

 

 

ところで、英語で「責任」というと「Responsible」を思い浮かべるとおもいますが、

Responsibleの本来の意味は、日本語の責任という言葉が持つ「重荷」のニュアンスとはまったく違います。

 

「Responsible」の意味は、

Response (対処)+ Able(能力がある)= 対処できる、

という直訳で、「自分の本来のパワー」というニュアンスを伝えてくれています。

 

対処できる、というのは、目の前にある状況や結果を引き受け、所有すること、その中で出来うる最善を尽くす、という意味です。

 

もし、責任という言葉に対して重荷を感じるとしたらそれは「義務」とごちゃ混ぜになっています。

 

義務は自由ではありませんが、自分で選んだ選択や状況にたいして自分で責任をとっていくという意味での責任は、大人で成熟した態度ですし、自由や解放といったニュアンスも含みます。

 

なにより、私たちにはそもそもこんなに選べることがあると改めて気づかせてくれます。

 

ちなみに私が働いていた南スーダンといった国では紛争があったり、職業が限られていたり、いろいろな意味で選択が制限されています。

 

アイスクリームショップで今日はどの味にしようかなと、色とりどりのアイスを眺めながら少し迷ってみるのも楽しみの一つだけれども、

 

ただ、私たちが決めることはほんとうはおそらくとてもシンプルです。

 

他人の人生を生きるか

自分の人生を生きるか

 

そして、心の内では答えは知っているのです。

 

大丈夫。🐱

 

勇気をもって進みましょう。