ロスジェネ世代がゆとり世代に伝える「戦争と平和」②

 

「アメリカではこんなこと言う人少ないけど。。。」

世界中の同僚とのおしゃべりの中で今でも覚えている瞬間ー分かり合えないだろうと思っていた事で一瞬でも分かり合えた時、戦争をも超えられる時。人間って捨てたもんじゃないな。

 

ある時、チームメンバーのアメリカ人が言いました。

「アメリカではこんなこと言う人少ないけど、原爆ってアメリカにとって『勝利』とは思えないんだ。。。」

 

それは、スリランカでスリランカ軍対象の国連PKOに関する研修を行っていた時の出来事でした。

スリランカは、ちょうど2年半前にシンハラ人とタミル人の間の内戦が終結していた時で、

「もう戦争はたくさん」「この内戦にはどんな意味が?」「なんでこんな戦争を許してしまったの?」

「『制圧』は正しかったのか?」-関係者それぞれの苦しみと、もう二度と内戦には戻りたくないという共通の思いが強く感じられた時でした。

 

研修では、国連やアフリカなどの事例を通じて、

「被害者」も「加害者」も、「勝者」も「敗者」も両方が傷を負うという意味では、どっちも被害者なのです、そんな話しになりました。

 

 

自然と彼らは自分の国の体験に向き合うことになったのでしょう。

研修に参加していたセンター長の大佐が私のところにやってきて言いました。

「私は目の前で仲間と部下を何人も殺されたのだけど、相手を赦したいと思っている。自分が楽になるために。」

彼らは制圧した(勝った)側としてさんざん批判されている最中でしたが、彼らの中にさえ(だからこそ)「相手を赦したい」「和解を選びたい」という思いをはっきり感じました。

 

同時に、スリランカの経験について学んでいたと思っていたのに、日本について学んでいたことに気づきました。

「スリランカの人たちが体験していることは、そのままアメリカと日本に当てはまるよね。だって、原爆の投下ってアメリカにとって『勝利』とは思えないんだ。戦争って『勝つ』方も全く勝利じゃないよ」ーアメリカ人の同僚とそんな会話になりました。

そして、スリランカの人に言いました。

「人類は進歩しているのでスリランカの人たちはもっと早く立ち直れると思いますよ。」

「そうですね、日本のように戦後の絶望から見事に復興した国があると希望が持てます。津波の時もそれを見せてくれましたよね。」と返してくれました。

 

研修は、「内戦が終わった今軍隊の目的はなんですか?例えば、インドとパキスタンの仲裁など地域の平和に役に立つこともできます。

戦争をした国だからこそ平和に貢献するという道もありますよ。」と終わりました。

 

戦争を体験した国だからこそ世界に伝えられる価値があると思いました。

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(写真)スリランカコロンボ

ロスジェネ世代がゆとり世代に伝える「戦争と平和」①

留学先でいろいろな国の学生と一緒に机を並べる時、

職場で世界中の同僚達とおしゃべりをしている時、

ガツン!って衝撃を受けることがある。。。

ーそれは戦争について。

 

安保法案に戦後70年談話。戦争反対だけど当時の話しを聞いても正直ピンと来ない。

今の時代を生きる私たちって何を知ればいいの?

「ロスジェネ世代がゆとり世代に伝える『戦争と平和』」3回シリーズ1回目。

 

私がフィリピン軍の研修の仕事でフィリピンにいた時のこと。

その時のチームは、アメリカ人2人、カナダ人、インド人と日本人の私という5人構成。

週末に少し観光しようということになって、近くにあったバターンの戦争慰霊公園を訪れようということになりました。その慰霊公園とは、第二次世界大戦中に何百人~1万人(日本側は何百人と出張、米側は一万人以上と主張)のフィリピン人とアメリカ人捕虜が亡くなったとされる方々の慰霊碑があるところです。

 

ハワイ在住のアメリカ人

グアム系先住民アメリカ人

元軍人のカナダ人

元軍人で祖父がインパール作戦に従軍したインド人

すでに戦後3代目にあたる日本人である私

の5人はそれぞれ公園を歩き始めた。。。

 

アメリカ人とカナダ人の同僚が特に何かを言った訳じゃないけど、彼らの反応を見ているだけで、その慰霊公園が彼らにとって、とても大きな意味を持つ場所であることがすぐに分かりました。

そのバターンという土地は、アメリカ人にとっては、パールハーバーと並ぶ、日本人にとっての広島と長崎、沖縄のような場所であることを知りました。

私にとってショックだったのは、仕事で元兵士の社会復帰に関わり、戦後の和解に関心のある私でさえ、アメリカ人にとってとても重要であるそのバターンという土地について、その時フィリピンに行くまで全く知らなかった事でした。

「同じ戦争」について見ている所が全く違ったのです。

 

私たちの中に継がれてきた戦争に関する捉え方や記憶、体験があくまでの「こちら側」のものであること、

同様に相手側には「あちら側」の捉え方と記憶、体験があることを思い知らされた体験でした。

今年4月に安倍首相がアメリカ議会でスピーチをした時、日本の首相として初めて「バターン」について言及したと知った時、「ああ、やっぱり」と思いました。

70年もかかったの?とも思うけど、議会でその一言が言及された事は私が単純に想像する以上に大きなことなんだろうと思います。

 

戦争に対するアメリカ人の視点を知れるものに、フィリピン戦線を指揮していた時代のマッカーサーを描いた映画「マッカーサー」があります。

フィリピンで部下たちが日本軍に降伏、バターンで捕虜になることを知って悔しがるマッカーサーはすっごく「人間的」です。日本で知られるマッカーサー像とは全く違うからこれまたびっくりします。

 

まず、こんなにも違うものなのだと認識できると、そんな人に会った時、そんな会話になった時に「心の余裕」ができるよね。

その上で一歩一歩お互いの認識に触れていくことができるか?

個人レベルではこの人はどう思っているんだろう?

 

世界100カ国の人たちの体験と考えを聞くことはその辺のドラマよりもよっぽど面白しろかった。

私が世界中の同僚と一緒に働いている時の楽しみは実はそんなことだったかも知れません。

 

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(写真) 4月の春の訪れを感じるワシントンDC

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ゆとり世代とさとり世代のための

自分と周りをハッピーにする仕事をみつける12のヒント

相手にとっては全く見え方が違うとしたら?ー同じ戦争を「彼ら」の視点から見ると

仕事でフィリピンで研修をしたことがありました。

国連の平和支援についてトレーニングをするという仕事でフィリピン軍の施設に宿泊していました。場所は、旧クラーク空軍基地から車で40分くらい離れたところにあるキャンプ内にある訓練センターでした。

さて、この訓練センターですが、近くに第二次世界大戦中に何百人~1万人(日本側は何百人と出張し、米側は一万人以上と主張)ものフィリピン人とアメリカ人捕虜が亡くなったというバターンの記念公園があります。

通常2週間~2週間半の研修を3人か4人のチームで担当するのですが、この時のメンバーは、アメリカ人、カナダ人、インド人と日本人の私という構成でした。

週末は少し観光をしたりする息抜きの日なのですが、せっかくなのでその戦争慰霊公園を訪れようということになりました。このバターンの戦争慰霊公園は、第二次世界大戦中に1万人ものフィリピン人とアメリカ人捕虜が亡くなったといういわゆる「死の行進」で亡くなった元捕虜の方々の慰霊碑があるところです。

この公園を訪れたいと言ったのは私だったのですが(周りは遠慮していたのですが、その地域にいたので私は自分の目に見てみたいと思いました)、いつもは、アフリカの紛争などにおいて「国連」に派遣する人をサポートする立場として自分の出身国を特に意識することもなく繋がりあえる私たちですが、その公園に着いたとたん、

突然私たちは個人ではなく、急にそれぞれが「日本」そして「旧連合国」の代表、そして、「旧連合軍」対「日本」という敵同士であったという事実が時を超えてリアルに迫ってくるのを感じました。

もう70年近くも前のことなのに。。。

もっとショックだったのは、私がほとんど知らなかったこのフィリピンにあるバターンという土地にまつわる戦争体験はアメリカ人とカナダ人にとっては一大事な場所であったという事でした。

ハワイ出身のアメリカ人

元軍人のカナダ人

元軍人で祖父がインパール作戦に関わったインド人

そしてすでに戦後3代目にあたる日本人である私。。。

同じ時代の同じ戦争についての見方・記憶が全く違ったのです。

 

そして、誰もその戦争を直接体験していないのに、慰霊公園での展示やそれぞれの国での戦争に関する歴史の語られ方にかなり影響を受けている。。。

しかも、「紛争」という現象について客観的にとらえ、その防止や対処を教えてる立場である私たちがです。。。

私たちの中に継がれてきた戦争に関する捉え方や記憶、体験があくまでの「こちら側」のものであること、

同様に相手側には「あちら側」の捉え方と記憶、体験があること、

それが無意識にもいかに強力であるかを思い知らされた体験でした。

スーダンなどの紛争地にいて、同じ出来事を相手の視点から見れるようになることがその人や社会の中で紛争や戦争が終わるための一つの鍵だと感じていましたが、これは何もアフリカの出来事ではなく、今の時代の日本にそのまま当てはまることだとはっきり痛感したのでした。

今年は戦後70年ですが、まず、それぞれの捉え方が全く違うということを理解すること、誰の視点で歴史を語るのかという力の均衡に敏感でいることーそんな辛抱強い作業が今こそ求められているんじゃないかと思います。

 

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