ビジネスパーソンに求められるのは「勉強マインド」ではなく「成長マインド」

社会人にとって必要なのは、どちらでしょうか?

Studying (勉強)?またはLearning? (学び)でしょうか?

日本では、一般的に「勉強」と「学び」という言葉が同じような意味として使われていることが多いのですが、実は、この二つの言葉の意味はまったく違います。

勉強と学びのちがいは、英語にしてみるとよくわかります。

勉強は英語では、Study. その類義語としては、examination, investigation, evaluation, inspectionが並びます。

これらは、「試験」や「検査」を表す言葉です。つまり、決まった答えや型があるものに対してその解答が合っているかどうかを調べるといったニュアンスを持つ言葉です。
まさに私たちがが持つ勉強のイメージだと思います。

他方、学びを表すのは、「learning」です。その類義語には、discover(発見)、wisdom(知恵)、insight(洞察)、あるいはcultivation(耕作・教養)、culture(文化・文明)などが含まれます。さらにはilluminationという「光を照らす、光をあてる」といった単語も含まれてきます。

ここから分かるように、勉強は直線的であるのに対して、学びには勉強とはまったく違った広がりがあります。

つまり、いままでわからなかったことがわかるようになったり、経験から生まれる知恵によってできなかったことができるようになったり、自分の経験をもとにあることが自分のなかで腑に落ちるといったふうに、勉強と比べて非常に広い意味を持つものなのです。学びとは、ただ知識を得ることではなく、「発見」や「成長」という意味合いがもっとも近いといえます。

学校教育までは、(本文)「一つの答えがある」問題に対して正しい解答をするのが勉強でしたが、社会人になると、教科書など決まった定型がないなかでも日々試行錯誤をしながら成果を出していくことが求められてきます。ですから、社会人にとっては、「勉強マインド」から「学びマインド」へのシフトが必要になると言えます。

それまでまったく知らなかったことを調べたら楽しかったというような瞬間や経験は誰にでもあると思います。たとえ、すぐに仕事や成果、収入に直結しないとしても、そうした学びの楽しみをやめないで日々もって欲しいと思います。

そうした発見の喜びは学びの醍醐味です。

そして、それらが将来どのように役立ってくるかは誰にもわからないからです。

実際、こうした楽しみや学びの中でこそ、自分の資質(personality)や強みや才能を知るということがあります。

才能と言うと、なにか最初から誰の目にもわかるくらいに秀でている能力といったイメージを持っている人が多いかも知れませんが、才能の語源は、古代ギリシャでタラント(talant)、英語でいうと「talent」や「gift」です。

この意味は。。。

次回に続く。

自由に表現できて、安全で、自分の存在意義が受け止められるような場ができたら、英語まで上手になって、スピーチまでできるようになった!という本当のお話し②

前回、自分が思うことや感じることを自由に表現できて、安全で、自分の存在意義が受け止められるような場ができたら、気づいたら英語まで上手になって、しかもスピーチまでできるようになった!という本当のお話し😊を紹介しました。

 

今回は、そういう場をつくるために意識したこと、大切だと思うことをお伝えしたいと思います。

 

まずスピーチの課題は以下のようにしました。

 

一回目: Summary of the Ted Talk that you chose(5 mins)

 

二回目:

⑴ Summary of the Ted Talk that you chose(max. up to 2 mins)

⑵ Talk about why you chose this TED Talk, what you learned from this TED talk and your own experience related to the topic.

⑶ Conclusion – how you applied the content of the TED talk or/and what you wanted to convey to the audience.

 

三回目: 以下のCARの法則をつかって自分の体験を元にスピーチ。

 

(C)hallenge=こんなチャレンジがありました。こんなことに打ち込みました。

(A)ction=私はその状況をこう理解し、このように対処・行動をしました。

(R)esults=結果、このようになりました、それによってこのようなことを学びました。

 

チャレンジや大変だったことに直面した時、あなたという人はその状況をどう判断し、どう対処しましたか?何かに打ち込んだこと、そこから学んだことは何かを伝えることです。

 

立派なことを言う必要はなくて、身近な例でいいので、「ああ、この人は自分なりに~について学んだ体験があるんだな」という事が具体的な例と共に相手に伝わることの方が大切です。

 

CARの法則とは、そのことから体験したこと、そこから学んだことを最後に結論として導き出すためのフォーマットのようなものです。

 

TEDのいくつかのスピーチは、このCARの法則と同じ構成になっています。

 

この形式でやろうと思ったのは、この形式の質問が、欧米の大学での奨学金の面接、外資系企業、国際機関などでの採用面接などでよく聞かれるので、知っておいて練習しておいて損はないと思ったこと、それから、なによりこの方がその人の知らない部分を知れそうで面白しろそうだなと思ったからです。

 

結果としては両方の目的を果たしたように思います。

 

その際に意識した点は以下の通りです。

 

一回目スピーチ

 

TEDの要約はある学生には難しいかも知れませんが、それぞれ自分でリサーチとして面白いテーマをみつけてきましたよ。TEDの要約は、Listeningの材料にもいいし、英語の自然な表現を学べるので効果的でした。なにより学生自身が自分で興味のあるテーマをみつけて、それを聞くのは先生が紹介するよりも効果的なようでした。ただ、難しい単語もあるので、その場合には、自分の言葉となっていないままで難しい単語を使うよりは、簡単な単語に置き換えて、自分の言葉で伝えるように言いました。

 

二回目スピーチ

次のチャレンジは、半分はTEDの要約、残りの半分は自分の意見を伝えること。一回目に比較的スムーズに要約できた子でも、自分の意見を伝えるのが難しいという場合がありました。日本の教育や家庭ではほんとうに自分の意見を述べることを求められたり、自分の意見を自由に表現したり、尊重される場や体験があまりないので、ここで必要なことは、英語力というよりは、「正解とか間違いはないからね、自由にしゃべっていいよ、自分はこのTEDを聞いてどんなことが大切だと思ったのか自分で考えて伝えることが大事だからね」と、意見を言っても大丈夫という感覚、安全な場をつくることでした。だから、内容についてあまり細かく言わない方がいいかも知れません。

 

三回目スピーチ

最後の3回目のスピーチでは素晴らしいスピーチがたくさんありました!

 

カナダに留学した時の話し、バックパックでカンボジアを旅行していた時に人に助けてもらった時のこと、アルバイトで最初は無理だと思ったけど、その中に学びをみつけて続けていくうちに大きな体験があったことーどれも感動的で、この子(学生)ってこういう子だったんだあ💡と、驚くこと✨😊💌がたくさんあって、この話しを聞けて本当によかったなあと思ったのでした。

 

別の学生からは、日本人だと思っていたら、「私の母は南米の出身です」と始まるスピーチがあって、これまたよい意味での驚きと感動がたくさんありました。

 

三回目のスピーチで意識したことは、「すごいことや立派なことを言う必要はないから、自分の体験を等身大のままに話して、その体験から学んだことを自分の言葉でシェアする方がいい」と伝え、そしてそれぞれのスピーチから学んで欲しいと伝えました。

 

ペラペラ流暢に話すようなものが人の心に届くとは限らず、自分で考え、自分の言葉で自分が大切だと思ったことを伝えるようなものが感動的だったりしますね。

 

実際、感動的なスピーチは、その人が自分の言葉で伝えようとしたもので、学生はそのことを他の学生のスピーチを聞きながら実際に感じ取ったようでした。

 

最後の授業で感想をお互いにシェアしてもらったら、「すごいことを言う必要はなくて、等身大のことをありのままにシェアする方がいいと学びました」、というような発言が沢山あって、「一番楽しかったのは、他の人のスピーチを聞いて学んだことでした」という意見もたくさんあったので、そこを掴んでくれてよかったと思いました😊。

 

そして、改めて思うのは、10年位前のわたしだったら、こういうテーマを本当にはおそらく受け止めきれなかったけど、今では、自分自身も大変だったこと、たくさんの悲しみや嘆きを体験したからこそ、「チャレンジ」や「大変だったこと」というようなテーマを設定できるようになったかなあ思います。

 

人って敏感だから、なんというかセンサーみたいなものがあって、この人にならここまで打ち明けてもいい、みたいなことを無意識に感じ取ることってあるんですよね。

 

だとすると、自分の苦労も涙も無駄ではなかったと思えます。ハレルヤ😊

 

聖書にはこういう箇所があります。

 

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」(Ⅱコリント12:9)

 

この箇所は知ってはいても、あまり受け入れられなかったのだけど、最近は少しづつ「チャレンジ」や「大変だったこと」に価値を見出せるような心の目が少しづつ開いているというか、この箇所が前よりは受け取れるようになってきた気がします。感謝✨

 

最後に一言。このクラスでの体験を同じ学部のあるアメリカ人の先生に話したら、”What did you do?’と聞かれました。

 

それは、日本の大学の学生がいかに受け身のスタイルに慣れていて、彼らが重い腰をあげるのはそんな簡単でもないよねということを知っているから、「いったい、なにをしたの?」という意味だったのですね。

 

その時にはたしかそういう風には言わなかったけど、学生の名簿を開いて祝福のお祈りをしました。時々思い出しては、彼らを祝福してください、と一言心の中で祈ります。

 

そして、ほかの人にも祝福のお祈りをしてもらいました😊 初めての人に会う時、ミーティングや会議に参加する前にもこの祝福の祈りをします。誰にでも使えます。実はこれ、とても効果的です♬💛✨

 

 

自由に表現できて、安全で、自分の存在意義が受け止められるような場ができたら、英語まで上手になって、スピーチまでできるようになった!という本当のお話し①

後期の授業が終わりました。

 

学生が素晴らしいスピーチをしてくれました!

 

自分が思うことや感じることを自由に表現できて、安全で、自分の存在意義が受け止められるような場ができたら、気づいたら英語まで上手になって、しかもスピーチまでできるようになった!という本当のお話し😊

 

このスピーチクラスは、少人数だったので、私にとっては、直接的に学生とインターアクションできることが楽しいクラスでした。

 

ただ、留学から帰ってきたばかりの子もいれば、べつにこのクラス特別興味があるわけじゃないけどみたいに見えるような学生も混在していて、最初は一瞬どうなるかなーという思いがきたこともありました。

 

でも、けっしてできないわけでも、やる気がないわけでもなくて、なんというか、人生の方向性というか目的が見えていない時期にいるかもしれないけど、みんな十分に能力があると見えました。

 

だから、最初の数週間は、淡々と進み続けました。

 

3週目か4週目の時だったかな、ある学生が「ム ズ カ シー😅」と言うのを聞いたけど、そのまま進み続けました。(時に先生は先頭に立って、坂を登り続けないといけない時がありますね。もちろん、難しすぎるのもNGだけど)

 

そして、計3回の英語のスピーチ(英語で質疑応答にも応えないといけない)の準備に入りました。学生は計3回スピーチもするし、必ず一回は、司会(master of ceremony)としてで英語で最初から最後までスピーチの会全体を運営する役割を担います。

 

最初は内容よりも、「正解とか間違いはないからね、自由にしゃべっていいよ、自分はどんなことが大切だと思ったのか自分で考えて伝えることが大事だからね」と自分の意見を伝えることを強調しました。

 

まずはTEDの要約、次には、要約に加えて、なぜそのTEDに興味を持ったのか、そのTEDから自分は何を学んだのか、そこから自分は何が大切だと思ったのかを伝えてもらい、最後は自分の体験から学んだことをスピーチしてもらうという手順にしました。

 

毎回、よかった点を全員が紙に書いて渡して、口頭でも伝えて、もっとこうしたらいいよ、という改善点についてはその段階でのフィードバックを私から紙で伝えるようにしました。

 

各クラスの終わりには、全体のよかった点や前よりもよくなっている点を口頭で伝えました。

 

そんなことを毎回続けていたら!!!

 

最初はモジモジみんなの前に出てきて、下を向いてボソボソ話し始めるような学生もいたのに、三回目になると、みんな堂々と素晴らしいスピーチを次から次へと披露するではないですか!!!しかも英語で!

 

後ろに座って聴いていた先生は、「この子はこんな子だったんだあー✨😍💌」と嬉しいびっくりの連続でした。

 

この話しを聞かなかったらお互いを知ることもなくただ成績をつけて終わりだったけど、この話しを聞けて本当によかったと思ったのでした。

 

しかもお世辞じゃなくて、内容も洞察に溢れてい素晴らしいかった!

 

別の授業でも同じことを思ったのだけど、講義形式の一方通行の授業ではわからないけど、前で発表してもらうとキラキラとプレゼンを始める子たちがいて、「あら、こんな素敵な子たちどこにいたの?」と思うのです。

 

「今どきの若い子は~」と言うのは簡単だけど、せっかく素晴らしいものを持っているのに、なかなか自分を自由に表現する場がなかったり、受け止められて、安全に交流できて、居場所や存在意義を感じられるような場所を求めているんじゃないかな、と感じます。

 

人には自分が成長することを求める原動力が与えられている、ということを聞いたことがあります。

 

ここでの体験は、大学での授業の形式での話しだけれども、そのような場がもっとあればもっと彼らの可能性が広がるような気がします

 

個人的には、これを書きながら、どんな小さく見えることでも、今うまくいっていること、前回よりよくなっていること、相手のよい点に注目することの大切さを改めて感じました。

 

日本語では恥ずかしくて表現できなくても、英語はもっとダイレクトで人を褒めやすいという利点はありますね!

 

‘Whatever is true, whatever is noble, whatever is right, whatever is pure, whatever is lovely, whatever is admirable–if anything is excellent or praiseworthy–think about such things.’ Philippians 4:8

 

「すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」 ピリピ4:8

 

スピーチのクラスを導くこと、または場をつくる際に意識することは以下にて紹介してます。英語の会のフオーマットは、世界143カ国に広がるスピーチクラブToast Mastersのものを少し修正したものを使っています。

 

2万人の幸せにかんする調査結果が発表!ー所得や学歴より⭕️⭕️が幸福度を上げる

国連は2018年3月14日、最新の「世界幸福度報告書2018」を発表しました。

 

幸福度ランキングの第1位はフィンランド、最下位はブルンジで、日本は54位で、昨年の51位から後退しました。

 

同報告書は、国連の「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)」がまとめたもので、156カ国を対象に、1人当たり国内総生産(GDP)、社会支援、健康余命、社会の自由度と寛大さ、汚職の頻度などについて分析し、一位にあげられたフィンランド人は暗く厳しい冬にもかかわらず、自然、安全、児童の保育、良い学校へのアクセスの良さと、ヘルスケアが無料であることなどが高い評価となりました。

 

経済大国3位の日本がなぜ幸福度ランキングでは54位なのか?という問いに関してはいずれ取り上げたいと思いますが、

 

今回フォーカスしたいのは、ここでの幸せを指標化する要因としてあげられている幸せにかんする公式な指標は何か?という点です。

 

所得?

学歴?

健康?

人間関係?

 

ほかには何でしょうか?

 

神戸大学の西村和雄特命教授と同志社大学の八木匡教授による国内2万人に対する幸福にかんするアンケート調査の結果があります。

 

この研究は、オックスフォード式の心理的幸福感を測る質問を用いて、所得、学歴、自己決定、健康、人間関係の5つについて幸福感と相関するかについて分析を行いました。

 

この、2018年8月31日に発表された研究によると、

http://www.kobe-u.ac.jp/research_at_kobe/NEWS/news/2018_08_30_01.html

 

一番にあげられたのは、(1位)健康、次に(2位)人間関係でした。

 

そして、個人的に面白いと思ったのは、3位には、所得よりも学歴でもなく「自己決定」挙げられたことでした。

 

自己決定とは「自分で決めること」です。

 

一般的には所得が多いとより幸せになると思われがちですが、所得よりも「自分で決めること」の方が、幸福度への影響は強いという調査結果が明らかにされたのです。

 

自己決定度を評価するにあたっては、「中学から高校への進学」、「高校から大学への進学」、「初めての就職」について、自分の意思で進学する大学や就職する企業を決めたか否かを尋ね、幸福感に対して「自己決定」が強い影響を与えることが分かりました。

 

その結果に対して、この研究は、「自己決定によって進路を決定した者は、自らの判断で努力することで目的を達成する可能性が高くなり、また、成果に対しても責任と誇りを持ちやすくなることから、達成感や自尊心により幸福感が高まることにつながっていると考えられるため」と結論付けています。

 

コーチングを通じて接する方との体験を通しても、自分で決めると納得感があり、自分で決めたので多少の困難があっても、ふんばれるということ、そして、自分で決められるかどうかは、長い人生の質に大きな「差」がでるだろうと感じます。

 

ま逆に自分で決めないと、誰かのせいにしたくなる気持ちがでてきて、目の前の状況や自分の人生に対してどこかで他人まかせにすることがあるようにも思います。

 

これが幸福についての調査から、統計的にも、実証的に証明された形となりました。

 

日本は世界的にも「人生の選択の自由」の値が低い=自分で決めていない人が多いとされ、それが幸福度を下げていること、そして、そういう社会でこそ、自分で決められる人、つまり、「自己決定度」の高い人が、幸福度が高いとされるという結論は、改めて注目に値します。

 

 

参考資料:神戸調査ー大学所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる 2万人を調査

 

私は私ー大阪選手に学ぶ「誰も自分以外に自分が誰かということを決めることはできない」

大阪選手が日本人で初めて4大大会で優勝したことが話題になりました。

 

男子では錦織選手が世界第四位になっていますが、日本人で優勝は初めてだそうです。

 

大阪選手はハイチ系アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんから生を受け、4際以降米国で生まれ育ったので、国籍は日本であるものの、はたして彼女は「日本人」と言えるのか?という議論が一部でおきたそうです。

 

すると、そもそも「日本人」とは何か?という問いが生まれます。

 

そんな反応に対する大阪選手の発言に注目が集まりました。

 

ちょっとシャイで言葉少なめな彼女ですが、彼女が言ったのは「私は私」でした。

 

短い言葉ですが、すごく核心をついていると思って、すごく共感してしまいました。

 

私たちは思春期のときや就職活動のときに、自分はいったいどんな人で、自分の強みはなんだろう?という問いかけに直面します。

 

エントリーシートを埋めたり、面接に通るためにとりあえずの「答え」を埋めることはなんとかできるものですが、

 

「わたしは⭕️⭕️だ」と言うのは案外難しいものです。

 

わたしは

〜の社員だ

母親だ

わたしは料理人だ

わたしは姉だ

 

というように職業や所属する組織をあげることは簡単ですが、

 

わたしは

 

自分はこういう人だ、

 

と堂々と自分のことを言える人はあまり多くないと思います。

 

わたしたちは、親や学校や周りの人たちから言われることに影響を受けて大きくなります。

 

「あなたってこういう人ね」と。

 

信じてしまう場合も流せる時もあると思いますが、それらの影響からまったく無縁な人はなかなかいないと思います。

 

でも、けっきょく、

 

自分はこうだ!と受け入れるかどうかを決めることができるのは自分です。

 

自分がどんな人間なのか、を決める権利は他の人にはありません。

 

そして、究極的には、世界でそれを決めることができるのは、あなたを創ってくださった万物の被造物の創造主である神様だけです。

 

聖書の創世記には、神は人を創造されたとき、「神に似せて彼を造らた」とあります。

 

だから、わたしたちにはよい性質が備えられているのです。

答えを言うのも求めるのも簡単だけれども、自分で答えをみつけるようにサポートすること

先日、都内のある有名な老舗のお米屋さんの方とおしゃべりすることがありました。

 

こちらのお米屋さんの扱うお米はとても美味しくて、引っ越した先でもわざわざ送ってもらう人も多いそうです。

 

地元でも評判のお米屋さんです。

 

先日、「どのお米がお勧めですか?」何気なく聞きました。

 

すると答えはこうでした。

 

「うちはね、まずお客さんに数種類のお米の値段帯のお米を試すことをお勧めしているんですよ。」

 

なので、「このお米がいい」という銘柄を断定するような「答え」はありませんでした。

 

でも、その人にとってベストな「お米」をみつけられる方法を教えてくれたのだと思います。

 

そうなんです。

 

答えを言うのも求めるのも簡単ですが、いい先生は、その人が自分で必要な答えをみつける方法を教えてくれます。

 

わたしもそのような導き方でありたいと思っています。

神さまに応援されるお願いの仕方ー「これじゃないと幸せになれない」ではなく⭕️⭕️とお願いすること

ここ数回、人生での選択は究極的にはたった二つしかないー「愛」か「おそれ」かーということについて書いています。

 

選択とは仕事だけでなく、人生のあらゆるところであります。

 

1日の中でも何十(百)回という選択の瞬間があるとも言われています。

 

日々の選択が人生の質にも直結しているとも言えます。

 

愛からの選択がどういうものかピンとこないと感じる人も多いと思うので、わたしの友人の愛の選択の例を少しお話ししたいと思います。

 

彼女にはガーナで育った二人の男の子がいます。

 

この8月から日本で一緒に暮らすことになり、東京で新しい住まいを探していました。

 

日本語を学んでいる子どもたちがアットホームに感じられる街がいい

 

日本語学校に通いやすいところがいい

 

日本語を学んでいる子たちの受け入れ体制が整っている区(市)がいい

 

職場への通勤が楽なエリアがいい

 

家族全員が暮らせる広さが欲しい

 

子どもたちの教育費がかかるので、家賃はできるだけ抑えたい

 

マンションの管理体制がしっかりしていてできればコミュニティーの雰囲気があるところがいい

 

毎日ご飯を楽しくつくれる快適なキッチンが欲しい

 

仕事から帰ってきて落ち着ける雰囲気の部屋が欲しい

 

というのが彼女の希望でした。

 

子を持つ母として、また仕事を持つ人としてごくごく当然の望みだと思います。

 

同時に、東京の家賃は高いし、ご存知のように2020東京五輪で首都圏のマンション価格は高どまりしています。

 

そんな物件はいったいどこにあるのだろうか?と、あてもないまま物件探しが始まりました。

 

気になるエリアに足を運んで街の様子を見てみたり、数件回ったのですが、ピンと来るものはなく「どうしよう」と落ち込んでいました。

 

さらに数件内見をしましたがまだみつかりませんでした。

 

すると、心配がとまらなくなってしまいました。

 

「このままみつからないんじゃないだろうか?」

「息子たちは日本の生活に慣れてくれるのだろうか?」

「いじめられたらどうしよう?」

 

そんな不安が押し寄せてきて止まらなくなった、と彼女は言います。

 

ただ、ちょっと心を落ち着けて、自分の心の状態に意識を向けてみると、彼女は自分の心の状態が「おそれ」にはまっていることに気づきました。

 

彼女は自分の心の方向を愛に向け直しました。

 

「心配に目を向けだしたらきりがないし、かといっていくら心配しても将来がよくなるわけでもない」と思って、「どうなるか分からないけれども息子たちを信頼すること」そして「全員にとっていい方向にいく」ためのサポートをお願いしました。

 

それからの展開は奇跡の連続でした。

 

評判のいい日本語学校がみつかり、見学へいくと先生たちの雰囲気もよく息子をここに通わせたい、と直感的に思ったそうです。

 

学校にも下見へ行き、評判のいい学区であることを確認しました。

 

その一点が決まると、次には考えていなかったエリアが頭に浮かびました。

 

そして、内見へいくと、とても協力的で業界に詳しい仲介の人に巡り会い、すごく親切に管理組合の様子など最終決断のためのポイントや見極め方などを教えてくれました。

 

その人のお陰で審査もスムーズに進みました。

 

首都圏で家族で暮らす住まいを探したことのある方ならわかると思いますが、「自分にとっての基準」や「優先順位」がわかっていなければいったいどこから始めていいのか途方に暮れてしまいます。

 

それこそ検討することも調べることも山のようにあります。

 

何年も引っ越しを考えながら、それこそ物件や環境など条件の比較表をつくっても、まだ気に入ったところがみつからない、決められないという人も知っています。

 

最後に決め手になったのは「ここなら家族で幸せそうに暮らせると感じた」という直感的な感覚と、この人なら任せられると思ったという仲介の人との出会いなど、大きな流れの中にいるというようなサポートを感じたことでした。

 

そして、実際に息子さんたちが来日してみると、マンションの人たちがフレンドリーでよかった、といった「あの直感はあっていた」と確認するような出来事が続いています。

 

もちろん、新しい国での生活ですからまだまだ慣れることはたくさんありますが、守られているような感覚があって、やっぱりあの直感を信じてよかったといいます。

 

これは住まい探しの例ですが、「自分に合う仕事探し」にもまったく同じことが当てはまりますね。

 

そして、彼女の件から「選択すること」についてわたしたちが学ぶことはたくさんあります。

 

① 絶対にこの物件に住まわせてください、というお願いの仕方ではなく、「全員が幸せに暮らせる場所」を願った

 

(これじゃないと幸せになれない、というのではなく、それがどこかわからないけど全員が幸せに暮らせる場所を教えてください、というお願いの仕方)

 

② 自分にとって重要な点、優先順位が明確だったこと(日本語学校に通いやすく、受け入れ体制があること)

 

③ いろんな場所に足を運んで、物件を何件も見た中で実際に自分で見て感じて場所や物件についての直感的な感覚を磨いた

 

④ 自分のライフスタイルや性格がわかっていて、これまで何度か首都圏に住んでいるので自分がどんなところに住めば幸せに感じるのかある程度わかっている

 

⑤ 大きな力のサポートを求め、お願いをした

 

⑥ 焦りや不安、心配につかまりそうになったら、それに気づいて愛を選択し続けた

 

⑦ 自分がどういう状態を望んでいるのかという状態に意識を向けてそれを感じた

 

最後の点は彼女が今回意識した点としてわざわざ教えてくれました。

 

 

こういう「いい事例」・「奇跡体験」を聞く人は、自分も同じ体験をするという原則があります。

 

そして、サポートや奇跡を体験した人は他の人にもその体験を伝えていくことができます。

 

「あなたにもできますよ」「あなたにも奇跡が与えられていますよ」と伝えていくことで、さらに多くの愛と奇跡を広げていくことができるのです。

 

「与えること」は「受け取ること」ですから、そうやってさらに愛と奇跡の循環がひろがっていくのです。

 

そういう意味では、「愛」と「奇跡」ををたくさん体験することは人の役にも立つのですね。

 

愛を選択しましょう。

 

サポートと導きを求めましょう。

 

すでにある奇跡に気づきましょう😊

これからの時代に仕事を選んではいけない基準ー日本人の弱み克服主義と「普通じゃなきゃ幻想」を超えるとき❗️

私たちは今変化の時代を生きている、というニューヨークタイムズの記事を紹介しました。

 

「 繰り返しを必要とする仕事は、もはや機械に任せておけばいいと言う時代が始まっている。『新しい時代』が必要としているのはこれまでとは違う能力を持つ人間だ」という記事です。

 

関連記事→ 映画グレーテストショーマンの主題歌「This is Me!」はなぜ私たちの心に響くのか?時代の転換期を生きる私たちへのメッセージとは?

 

ではそのような時代を生きる私たちは何を基準にして仕事を選べばいいのでしょうか?

 

それを説明するために、今日は逆に「何を基準にしてはいけないか」、という観点からお伝えしたいと思います。

 

それは、「コンプレックスを克服すること」を基準にすることです

 

日本人は世界の中でも弱みを克服しようとする傾向が強いと言われています。

 

その理由の一つとして、例えばセンター試験が課す試験項目が象徴しているように幅広い科目の習得が求められること、また出来ている部分よりも出来ていない部分に目を向ける性質も関係していると思います。

 

イギリスの大学を卒業し、外資系のホテルで働く30代後半の女性の方の転職相談にのったことがあります。日本で当時進出し始めたばかりの外資系の5つ星ホテルでのリサーチにも関わったことのあるとても優秀な方なのですが、転職エージェントの方に「業界としてはPCスキルが低いと見なされる」と言われたことをとても気にされていました。

 

たくさんの強みを持っている方でしたが、それは本人にとっては当たり前になってしまって気付かず、逆の面で指摘された点ばかりが気になってしまったのです。

 

それでPCスキルを改善できる業界へ転職しようかと考えている、と言うのですが、私は「弱みを補う努力ももちろん必要ですが、それ自体はがんばっても平均値のちょっと上になる位で、それ自体が今後大きな武器になるとは考えられません」とお伝えしました。

 

「そしてこの場合の本当の問題はおそらく、PCスキルというよりは、自分の中のコンプレックスや自分の中の『弱み』というものとの付き合い方の問題であって、弱みというものに対する誤解だと思います」と、コンプレックスを克服することを基準をした選び方はおすすめしない、という私の考えをお伝えしました。

 

弱みというものはなくなりません。なぜなら「弱み」の存在意義があるからです。

 

もし自分がなんでもかんでも出来る人だったら、全ての分野で自分が「勝っていたら」逆に自分の「強み」が分からなくなってしまいます。

 

ある分野で「ああこの人たちにはかなわないな」、「自分はこれはあまり得意じゃないな」と思ったら、それはいいサインでもあります。なぜなら、それは、自分の「強み」を真剣に模索し認める時ですよ、というサインとも言えるからです。

 

そして、日本人は、

「普通がいい」幻想、

「普通じゃないといけない幻想」に囚われていると思います。

 

「普通」はそもそも存在しません。

「普通」とは幻想です。

 

人間誰もがコンプレックスをもっています。

(一見なんでもできて悩みのなさそうな人もです)

 

誰もが強みも弱みも持っています。

両方合わせて存在意義があるからです。

 

もちろん弱みを補う努力も必要でしょう。

 

でも、これからの機械化の時代では、機械ができることは機械が替わりにやってくれるのですから、コンプレックスを克服するよいう消去法的な選び方では自分の能力を発見することも、伸ばすこともできないので、自分の強みや秀でている点を伸ばすアプローチがより求められていくでしょう。

 

私自身、高校時代には好きな科目と嫌いな科目の差が大きいことにコンプレックスを持っていましたが、中学校から作文は比較的得意な方でした。

 

私は、大学卒業後にドイツで働いた後、イギリスのオックスフォード大学大学院へ進学し、授業料と生活費、渡航費を含む全額奨学金を授与され修士課程を終えましたが、その審査のための主な判断材料となったのは志望動機のエッセイと英語の小論文、そして面接でした。イギリスの大学院進学には筆記試験がありませんから、まさに自分の強みを活かす選択だったと思います。

 

上手くいってないことにはすぐに目がいくけれども、上手くいっているところは「当たり前」だと思っていてなかなか気づきません。

 

普段何気なくやっていること、上手くいっているところ、自分の情熱や強み、秀でているところに対してもっと目を向けていいのです (*^-^)ニコ

 

 

普通であるよりも、何か一つでいいので「これはあの人に任せよう」「これはやりたい!」「これは好き!」を持っている人になりましょう。

 

それがすぐに仕事上のスキルにならなくても、人生100年時代にきっとあなたを長く導いてくれるでしょう!

 

 

 

究極の弱肉強食の世界でも「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではない❗️ーケニアでみたライオンといぼいのししの勝負

ケニアに野生動物を見にいった時に

とても印象に残っているシーンがありました。

 

目の前でイボイノシシの親子たちがのどかに草をはんでいました。

イボイノシシとは、一見ぶたのようなちょっと短足なちょっと

「かわブサイク」な子です(失礼!)

 

子供たちはまだ産まれて数ヶ月なのでしょう。

母イノシシの周りで草をはんでいます。

 

そんなのどかな風景がありました。

それが一転緊張状態に!

 

数百メートル先にいたライオンが急にむくっと立ち上がり、イノシシたちに狙いを始めたのです。

 

野生の動物を見るということは、自然界のなりたちを見るということ。

 

それこそが見る価値があるということなのでしょうが、ライオンが一気にダッシュを始めた時には私は思わず一瞬息を止めてしまいました。

 

イボイノシシママはライオンのダッシュを察知するやいなや、一斉に号令を出したようでした。「散らばれ!」と。

 

子供たちは四方八方に散らばりました。

 

すると❗️

 

ライオンはイボイノシシの子供たちが四方八方に逃げていくのについていけず、「捕獲」は失敗したのです。

 

身体の大きさも足の長さも速さもすべての面で「勝っている」と思ったライオンでしたが、小回りは苦手だったのです。

 

これを「勝敗」とするならば、イボイノシシがライオンに勝ったのです。

 

究極の弱肉強食の世界でも、「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではありません。

 

誰にもどんなものにも長所と短所の両面あります。

 

例えば、きりんは優雅に歩き、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、

敵の動きをいち早く察知できますが、水を飲むのは大変です。

 

 

ライオンはライオン。シマウマはシマウマ。イノシシはイノシシ。

ライオンだけがいても自然じゃないし面白くありません。

 

ぜんぶの存在があることが「自然」。

 

人間も自然界の一部です。

 

ps. ちなみに、目の前で見る野生の象やキリン、ライオン、チーターの迫力満点です。動物園で見るのはまったく違う感動があります。

 

ドバイ経由で行くとヨーロッパに行くのとフライト時間はほぼ一緒です。

 

おすすめです!!!(*^-^)ニコ

 

Mpata 238

 

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Photo: Chika Onaka

 

 

「いい面」だけが才能ではない❗️最初は自分の「強み」のネガティブな面を体験することが多いということについて

人の強みや才能に関しては、たくさんの誤解があるようです。中でも大きな誤解の一つは、「いい面」だけを才能や強みだと思うことです。

 

 

ただ、どんな資質にも両面があって、同じ資質の「いい面」もあれば「チャレンジな面」もあります。いわば、「同じコインの表と裏」のような関係です。

 

例えば、動物を例にすると、きりんは、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、敵の動きをいち早く察知できます。

 

私はケニアのサファリで目の前で野生のきりんが歩くのを見たことがありますが、

長い足でリズミカルに歩くきりんの姿は優雅でとても感動しました。

 

同時に、もしキリンが人間の言葉をしゃべることがあったら、こう言ったかも知れません。

 

「あのねー、優雅に見えるかもしれまないけど水飲むのは大変なんだよー」

 

なるほど〜

 

まさに、「同じコインの表と裏」です。

 

同じように、誰にも長所と短所の両面があります。

 

そして、自分の持つ資質が幼少期から強みとしてわかりやすく開花しているのは稀で、最初は同じ資質のチャレンジの面の方を体験することの方が多いのです。

 

どういう意味なのか説明していきます。

 

例えば、高い知能、活発である、意思や信念が強い、 共感力、創造性という資質があるとします。

 

これらの資質のポジティブな側面はどんなものでしょうか?

ネガティブな側面はどんなものでしょうか?

 

高い知性=頭がいい?に越したことはないじゃないか?と思うかも知れません。

 

でも、どんな資質にも両面あるのです。

 

以下に例を挙げてみました。

 

《高い知能》

このポジティブな側面:

新しい考え方や概念を素早くつかむことができる

同じ年齢の子供たちよりも深く理解する

複雑な現象の下にあるパターンをみつけることができる

新しい考え方や概念を発見するのが好き

壮大な考えや計画に惹かれる

 

ネガティブな側面:

•すぐに飽きる

•全容がわからないと納得できない

•他の人たちが「遅い」ことに忍耐強くない。

•他人の意見に対して批判的であったり、寛容的でない。

•手が頭についていけないので、手元の作業が雑になる

・細かい数字を確認する作業は得意ではない、などです。

 

 《活発である》

ポジティブな側面:

・新しい体験をすることに意欲的

・一度にいろんなことができる

 

ネガティブな側面:

・常に刺激を必要とする

・動き回る(多動である)

・頭も体も常に忙しい

・簡単にフラストレーションを感じ、それを撒き散らしがちである

・寝付くのが難しい時がある

 

 

《意思や信念が強い》 

 

ポジティブな側面:

・自分でゴールを設定し、それを達成するための努力を厭わない

・課題に対する答えをみつようとしたり、自分の興味をさらに追求する

・粘り強い

 

ネガティブな側面:

・頑固になる

・視野が狭くなる

・自分の興味のないことを忘れたり集中するのは得意ではない

 

《共感力》

 

ポジティブな側面:

・周りの人たちが考えていること、感じていることを察し彼らの視点から理解することができる

・他人の感情に対して敏感であり、他の人たちが気づかない点に気づく

・人の感情の機微を繊細に感じとり、人がなかなか言葉にして表せられない感情的な面を表現する手助けをすることができる

・書くことやアートなどの表現、創作活動を通じて感情の力を表現の力にすることができる

 

ネガティブな側面:

・体験を個人的にとらえる傾向がある

・ある状況にたいして事前に感じたり察してしまうので、自分には対応できないのではないかと心配になる

・不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち

・批判されたり拒否されたりする体験をなかなか処理できない

・周りの人の感情によって自分も影響を受ける

・簡単に泣いたり興奮する

 

《創造性》 

 

ポジティブな側面:

・目の前の現象や題材を新しくユニークな方法で見る

・たくさんアイデアがある

・新しいものを創るのが好き

 

ネガティブな側面:

・ファンタジーに逃避しがち

・拡げたアイデアをまとめるのは得意ではない

・言われたことに従うよりも自分のやり方で進めることがある。

 

つまり、ここでお伝えしたいのは、どんな資質にもポジティブとネガティブの両面がある、ということです。

 

そして、あなたの強みが眠っている分野こそ、最初はチャレンジの側面を体験することが多いということです。

 

私の例で言うと、

私の大きな強みの一つは、

自分の視点と考えから一旦距離をおいて、相手はなぜあのような事を言うのか、と相手の視点で物事を見ることができることです。

 

相手の視点と立場に立ち、相手の思考のフレームワーク、価値観や感情を理解することは「パースペクティブ・テイキング(perspective taking)」と呼ばれます。共感力の大きな要素の一つです。

 

相手と意見が違ったとしても、同意するかは別として、相手の立場から状況を見ることができること、そこから互いの共通点を探っていくは、南スーダン軍との交渉、信頼構築などで大きな力となってくれました。

 

世界で活躍したいと願う人にとってはとくに大切な資質の一つと言えます。

 

またこの共感能力は、アジア中東の軍隊に国連PKOに関してトレーニングをする教官・講師を務めていた時も、こちらが伝えることに対して相手が何を感じているのかをその場で察しながら、同じ講義の内容であっても相手に合わせてエピソードやたとえ話を変えていく対応力になってくれました。

 

また、コーチングをする時には、相手の方が自分の状況や課題をうまく言い現すことができない時でも、その方のほんとうの想いに一緒に想いを寄せることで、目の前の状況を整理して、新しい解決策や眠っていた力を引き出すサポートをしてきました。これも共感力の資質です。

 

同時に、ここでお伝えしたいのは、こうした資質が最初から強みとして発揮されるとは限らず、最初は同じ資質のネガティブな面をより強く体験することが多い、ということです。

 

例えば、私の場合には、「体験を個人的にとらえる傾向がある」「ある状況にたいして事前に感じたり察してしまい自分には対応できないのではないかと心配になる」「不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち」といった共感力のネガティブな側面としてあげられた点をすべて体験しましたし、今でも体験することはあります。

 

「簡単に泣いたり興奮する」というのもほんとうにその通りで、映画を見て感動して涙を流すことはしょっちゅうなので妹からはよく笑われるほどです。

 

前はネガティブな面しかわからずなんで私はこんなに繊細なんだろう?と悩んだこともありましたが、今ではコインの両面を理解しているので、ポジティブな面を尊重しつつ、ネガティブな側面とも上手く付き合えるようになり、大きな影響を受けなくなりました。

 

自分の資質をポジティブに活かすには、自分の普段の行動を観察して、自分の資質をよく知ることです。

 

ネガティブな面ばかり体験するなと思ったら、そのネガティブと同じ分だけポジティブな資質があると考えましょう。

 

「なんで自分だけ不器用なんだろう」、「なんでなんで自分だけ普通にできないんだろう」、「なんで自分はこんなに繊細なんだろう」と思ったら、「普通がいい」という幻想から覚めましょう。

 

「普通」はつくられた幻想でしかありません。

 

これからは普通に生きようと思っても基準を「普通」に合わせていたら、普通にさえ生きることができない時代です。

 

自分の資質をネガティブにしか思えないとしたら、今生での課題の一つは、その「思い込み」からまず自由になることかもしれません。

 

そして、ポジティブな脳の配線(シナプシス)を強化することです。

 

その資質が自分にとってどう役に立つのか、ポジティブな資源として活かす方法を考えましょう。