「苦労して考えないと答えは出ない」は嘘だった❗️ーオックスフォードで学んだ「答えは簡単にわかっていい」という事

私たちの中には何かについて考えるときに、それが難しい問題であるほど、一生懸命に苦労して考えなければ答えが出ないという思い込みがあります。

 

ただ、なんらかの課題に対して答えを出す時、必ずしも苦労して汗の滲むような努力をして考えないと答えが出ない、訳ではありません。

 

これは思い込みです。

 

なぜなら、問いと答えは同時に浮かぶ、と言われているからです。

 

その問いが浮かぶ時点で、その答えも同時に認識していると言われているからです。

 

問いと答えは同じ次元に存在しているという訳です。

 

 

 

 

私たちが考えることを止めてしまう理由の一つに、一生懸命に苦労をして、または何かを我慢しないと何かを成し遂げられない、という思い込みがあるように思います。

 

なにしろ、私も、苦労して一生懸命やってこそ何かを成し遂げられると思っていました。

 

それで自分が結果を出してきたので、それを疑ったことはありませんでした。

 

自分が講師を務める講義の準備をするのに何十時間もかけていました。

 

そんなことをしばらく続けて、ヘトヘトになったときに、これって本当に必要なんだろうか、と思いました。

 

そして気づきました。

 

一生懸命に時間をかけた割には本当に必要とされていた部分はその2割くらいだったということ。

 

そして、一生懸命時間をかけることこそが成功であるという過去の成功パターンが自分に染み付いている、ことでした。

 

 

一生懸命に努力をすれば、結果がでると信じて自分を安心させたかったというのが深層でした。

 

一生懸命何かに向けて努力をしている時、私たちは「自分が何かをしている」ことである種の安心感を覚えます。

 

ただ、これは一種の「思考停止状態」です。

 

もちろん準備も努力は必要ですが、私たちに時間が有り余っているわけでもありません。

 

なので、本当に必要なことをやる必要があります。

 

 

そして、その本当に必要なことのためのヒントや答えをもっと簡単にわかっていいんじゃないか、と思いました。

 

 

 

そんなことに気がついた時に、私は過去の自分の成功パターンではなく、もっと簡単で新しいやり方にオープンになってみようと思いました。

 

そう思ったら、答えがひらめくようになりました。

 

 

答えというのは我慢というよりは、リラックスしている状態のときにもたらされやすいのです。

 

一生懸命に考えた後で、シャワーを浴びてる時や、散歩をしていたらふと答えが浮かぶということがありますよね。

 

必ずしも苦労して汗の滲むような努力をして考えないと答えが出ない、というのは私の中の思い込みだったんだなと思いました。

 

「そんなすぐにわかったら苦労しないよ。」という声が聞こえてきそうです。

 

 

でも、苦労しないとわからない、という考え方自体が私たちがもっと簡単にやることを止めてしまっているのです。

 

 

もちろん、努力は必要です。

 

考え抜くことも必要です。

 

 

でも、誰がしかめっ面をして机にへばりついてしなければならないと言ったのでしょうか?

 

もっと簡単にやってもいいのです。

 

 

今すぐに答えが浮かんでもいいのです!

 

 

 

でも、楽にリラックスして答えが「わかる」こともできます。

 

 

オックスフォードの教授との個人指導では一年間で一回も答えが言われない❗️じゃあ何を学ぶの?

オックスフォード大学の大学院ではあまり授業の数は多くはなく、チュートリアルと言われる教授との一対一の個人指導で一年間の学びが進められていく、というお話しをしたことがあります。

 

記事⇨ オックスフォード流「考える力」ー一流は何をどの順番に考えればいいのかを知っている

 

授業を受けずに一対一の個人指導を受けるという制度にもびっくりしたのですが、さらにびっくりしたのは、一年間で一回も答えが示されないことでした。

 

一年のうちに約24回ほど小論文を書き、教授とのチュートリアルの時間を持ちました。

 

その一年間、私は教授からこれが答えだ、というようなことを一度も聞くことがありませんでした。

 

こんなままで年度末の試験を受けて受かるんだろうか、という心配が何度も頭をよぎりました。

 

なぜなら、自分の答えが合っているかどうかが分からなかったからです。

 

正直、この間の期間はシンドかったです。

学生が年度末試験に向けて感じるプレッシャーは相当なものです。

イギリスの場合はいくら年度中に真面目に講義を受けていたとしても、最後の試験でできなければ修士号を受けられないからです。

 

 

 

何度も、教授に「答えは何ですか?」「これでいいんでしょうか?!」と聞きたくなったものです。

 

でも、自分の意見が正しいのか合っているのかは、誰も言ってくれません。

 

 

その替わりに聞かれるのは、決まって同じ質問でした。

 

「なんであなたはそう思うのか?」と。

 

 

これは私の担当教授がいじわるだったという訳ではなく、オックスフォード大学のチュートリアルの目的とは、

 

ある一つの「正解」を聞く・知る・学ぶためではなく、自分なりの意見をや考え方をつくっていくための訓練をする時間だったからです。

 

 

そもそも試験で出される問題にさえも「正解」は存在しなかったのです。

 

私の場合は、人類学という分野の背景や鍵になる先行理論を理解して、それを踏まえているかどうかは判断されますが、その上でどんな意見を述べるかには、正解はなく、基本的にその人の思考プロセスを確認するのが試験のポイントなのです。

 

これまでの学校教育では、決められた範囲の試験の問題に対して、一つの正解を出すのが勉強だとされてきました。

 

日本で教育を受けた私たちは、問題にはなんらかの「答え」が存在するものだと思っています。

 

でも、そうした勉強の仕方では私たちが直面する問題には対処できなくなってきました。

 

スマホとYoutubeの発達で人間が一日に接する情報量は数百倍~数千倍になり、少し前の「最新情報」はすぐに「最新」ではなくなります。そして、世界情勢の変化も早く、予測不可能なことが増えています。

 

これまで上手くいった方法が万能でもありません。より柔軟に問題に対応していくこと、そして新しいアイデアや解決法が求められています。

 

ますます私たち一人一人の考えが自分の考えを持つことが大切になっています。

 

考えるために私たちの頭を柔らかくして、自分で考え新しい発想ができるようになるためにまず理解するべきことは「答えは一つではない」という事実です。

問題が複雑になればばるほど知識の価値は下がるという公式

最近、考え方について教えて欲しいと言われました。

 

確かに、考える方法についての本がたくさん出ています。

私はある会員制のライブラリーの会員ですぐに話題の新刊に触れるので、けっこう敏感です。

 

 

この写真は、この2週間だけで目にした「考える系」の書籍です!(びっくり)

 

 

確かに、考えられない人が増えている、とよく聞きます。

なんでも、ググッてなんらかの情報が得られるからでしょうか。

 

AI(人工知能)の時代が始まっているのをリアルに感じ始めてるからでしょうか?

今の教育と社会や企業のニーズがあってないとも聞きます。

 

詰め込み式の暗記教育は今の問題を解決できない、とも言われなす。

今の問題は複雑すぎて、今までの知識の延長で答えがでるわけじゃないからです。

 

 

しかも、問題が複雑になればばるほど知識の価値は下がる、という公式があります。

それは本当にその通りだと思います。

 

世界が複雑になると知識の価値は落ちる

 

⏫ Q思考より

 

では、「考える」ってどういうことをいうのでしょうか?

 

それに答えるために、そもそも「考えてない」と言われる現象はどういうことなのかを見てみたいと思います。

 

ー今までと同じことしか出てこない

ー頭がからっぽになる

ーモヤモヤしたままで思考停止状態になってしまう

ー会議で意見を求められても無難なことを言ってしまう

ーここではこういう意見が求められているだろうと思われていることを言う

ー答えはこうだろう、先生はこういう答えを欲しているだろう、という意見を言う

ー思っていることが口に出せない

ーこんなこと言ってもいいんだろうか、と自分の意見を引っ込めてしまう

ーどうせ私の意見は大したことないし、と思ってしまう。

ーマニュアルじゃないことは答えられない

 

 

さらに、それを掘り下げてみます。

それってどういうことでしょうか?

 

ー視野が狭い(同じ延長しか考えられない)

ー教えられたとおりにしかできない(自分で判断できない)

ー自分の意見を表現する自信がない

ー自分の意見を否定されるのがこわい

ー自分の意見が大したことないと言われるのがこわい

ー感情がモヤモヤとなって見えなくさせている

ーさめてる

ー諦めてる

ーどうでもいいと思ってる

ー不安でいっぱい

ー失敗するのがこわい

ーこうであるべきだという自分の中の理想像や完璧主義で自分を縛っている

ー対立や摩擦がきらい

ー他人に合わせているので自分の意見がわからない

 

 

その原因は?

ーいつもこうやるべきだというやり方を教えられてきた

ーピラミッド型の組織で自分の判断を求められることがない

ー自分の意見が本当に尊重された体験がない

ーただいろんな意見があってもいいという場を体験したことがない

ー自由にみんなが意見を出してそれが一つのより大きな答えを生み出す体験をしたことがない

ー正解があると思っている

ーお手本がどこかにあると思っているから考えるのをやめてしまう

 

思いついたことをブレスト的にリストアップしてみました。

 

ではどうしたら自分で考えられるようになれるか?

 

なかなか深いテーマですが、続けて書いていきたいと思います。

変化の激しい時代こそいかに学ぶか②: オックスフォード流「考えるステップ」

 

この変化の早い不確実性の高いこれからの時代においてはもはや決まった正解はなく、正解のないような問いに対してどうやって考えるか・アプローチするかがますます問われるようになること、

そういう時代においては、一つの正解を求めるのではなく、

新しい解を導き出すための「考え方」(思考プロセス)を学ぶことがますます大切になるだろうとお伝えしました。

 

ではその考えるステップとはどういうものなのでしょうか?

例えば、オックスフォード大学のチュートリアルでは実際に何をどのように学ぶのでしょうか?

 

チュートリアルは、週に1回1時間程度、教授と学生が1対1もしくは1対2になって行われ、学生が、毎週与えられたテーマについて事前に調べ、そのテーマに対する回答を小論文として書いて臨みます。

 

チュートリアルでは、

そのテーマについてはすでにどういう事が言われていて(先行理論のレビュー)、

その点で大切だとされていることは何かをまとめ(論点の整理)、

課題の質問に答えることになります(議論の結論)。

 

1、これまでの論点をを理解し・整理し、結論を出す

 

毎週新しいテーマが与えられ、毎回新しい文献を読み、新しいテーマを理解し、整理し、言語化します。そのテーマに関する、それまでの何十年もの(何百年、何世紀もの)洞察の積み上げを、自分の言葉で表現していく作業です。小論文を通じ、これまでの研究では何がすでに明らかになっていて、何が重要なのか、まだどんな課題があるのか、について全体を構成し、結論を出します。

この作業を一年で、一学期8週間×3学期=計24回を繰り返します。

 

2、その結論にいたったプロセスを確認する

完成した小論文を教授に渡し、チュートリアルが始まります。教授に質問されたことは主に三点でした。

 

「それはどういう意味なのか?」

「そこをもう少し説明してくれる?」

「どうしてそういう結論になったのか?」

(私、もしくは、もう一人の学生に対して)

 

「どうして」「なぜ?」と質問されることによって、

または説明を求められることによって、

 

不明確なところは明確にし、

意見の根元にある前提を確認し、

その結論にいたったプロセスを確認しています。

 

 

3、洞察を深める

その上で、一つの意見を掘り下げ、洞察を深めていきます。

このテーマに関して言えば、今の時点ではこうだけど、この点に関してはまだ足りない、という認識の上で、あなたはどう思う?「こういう意見もあるけど、それ対してはどう思う?」と、自分の意見が求められ、時には、自分とは異なる意見に対する意見が求められます。

 

4、何が分かっていて何が分かっていないのか?

そのような質問をされると、自分の中で理解できている時には答えることができても、理解が足りない時には上手く言語化できなかったり、説得力のある答えができなかったものでした。こうした質問のやりとりによって、どこを分かっていてどこを分かっていないのかが明らかになっていきます。

 

5、理解を「積み上げる」

オックスフォードでのチュートリアルでは、ある問いに対する答えや解が一つでないこと自体は問題にされません。

 

むしろ、

解は一つとは限らないこと、

誰も一人では理解を深めることは出来ないという前提の上で、

 

お互いに意見を交わし、自分とは違う意見についても聞くことによって、自分はなぜその結論にいたったのか、という自分の思考プロセスを確認する、という作業が求められました。

 

オックスフォード David Parkin.jpg

⬆️ デービッド・パーキン学部長とクリスマスパーティーにてー授業がパブで行われたことも

 

理解や解はある日突然やってくる訳ではありません。「閃き」も、何千回、何万回もの地道な作業の延長にやってくると言われるように、この時の体験から「理解」とは「積み上げる」ものなんだと学んだように思います。

 

「考える」という作業にも「型」があり、

新しい解やオリジナルな解も「型」を経て到達すること、

一つ一つ成功体験を積み重ねていくこと、

 

そして、

多様な意見があってよいこと、

誰も一人では理解を深めることができないという前提は、

 

変化が激しく、不確実生の高い時代に生きる私たちに大きなヒントを示してくれているように思います。

 

(まとめ)

⭐️解はまったくゼロの状態から導き出すのではない。

⭐️ 新しい解やオリジナルな解にも「型」を経て到達する。

⭐️理解を積み上げる先に解がある。

⭐️解は一つとは限らない。

⭐️ 誰も一人では理解を深めることは出来ない。

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変化の激しい時代こそいかに学ぶか①: オックスフォード流「考えるステップ」

最近ビジネススクールで使われている言葉にVUCAワールドというものがあるそうです。

 

VUCAワールドとは、

volatility

uncertainty

complexity

ambiguity

の頭文字をつないだもので、

 

文字通り、

変動が激しく、

不確実性が高く、

複雑で、

曖昧な

世界のことを指しています。

 

改めて指摘する必要もない位、為替の変動から国際情勢まで、今私たちは変化の激しい時代に生きています。そして、ひとつひとつの出来事が、今まで体験したことのないような早さで複雑に影響し合い、思ってもみなかった方法で他の出来事に繋がるようなことも起きています。

 

別の言い方をすると、

私たちは、もはや前例のない「解がない時代」を生きています。

 

最近、世界で政情不安やナショナリズムが激しくなってる背景には、未知の不安に向き合い、答えがすぐにでないような複雑さや不確実性に堪えるよりは、「不正確でもいいからより単純な答え」を求め、

自分に安全をくれると感じられるより大きな集団に帰属感を求めるようになっているからだ、という指摘もあります。

 

私が、南スーダンのような国で仕事をしていた時、それは正に不確実性が極めて高い環境で、解のない課題に向き合う作業そのものだったのですが、私にとっては必ずしも大変だったという記憶だけではなく、ある意味前例もないからこそ、何をやってもいいという切り拓いていく面白しろさがありました。

 

ただ、最初からそう思えたかというとそういう訳でもなく、

不確実性に耐えるメンタリティーと、解がない中で解を導き出すための「考えるステップ」を積み重ねていったように思います。

 

私がそうしたスキルを初めてきちんと習ったのはオックスフォード大学の大学院でした。

 

私がオックスフォードに入学してびっくりしたのは、教授と学生が1対1もしくは1対2で議論をしながら学んでいくチュートリアルと呼ばれる個人指導のシステムでした。

 

アメリカの大学が授業(議論)への参加と毎週出される課題を中心に進んで行くのに対し、オックスフォードではこのチュートリアルこそが日々の勉強のメインであって、講義の数自体もそんなに多くなく、講義はチュートリアルを補完するものと考えられていました。

学期が始まる前から、卒業生からオックスフォードとケンブリッジの特徴こそチュートリアルなんだよ、とは聞いてはいたものの、さて、それだけで修士課程の勉強が成り立つんだろうか?と正直ピンと来ないまま学期を迎えたものでした。

オックスフォード入学式

🔼 オックスフォード大学入学式

では実際にチュートリアルでは何をするのでしょう?

チュートリアルは、週に1回1時間程度、教授と学生が1対1もしくは1対2になって行われ、学生は毎週与えられたテーマについて事前に調べ、質問に対する回答を小論文として書いて臨みます。

 

1週間で20冊~50冊位の文献のリストが渡され、

そのテーマについてはどういう事がすでに言われていて(先行研究のレビュー)、

何がその点で大切だとされていることは何かまとめ(論点の整理)、

課題の質問に答えることになります(議論の結論)。

オックスフォード入学式②

⬆️ ハウスメートと一緒に。このガウンは日常的にもディナーで着る。

言うは易し。

学期が始まるやいなや、キャンパスでは一斉に「メンタル・アスリート」のような生活が始まります。

週一回のチュートリアルの日、徹夜明けの目をこすりながら、自分の書いた小論文を手に教授の部屋をノックします。

ソファーのような椅子に座り、少し挨拶を交わしてから、自分の書いた小論文を声に出して読んでと促されます。

私の担当の教授は、あまり多くを語らない方でしたが、読み終わると、たいていこのようなことを聞かれたものでした。

 

「それはどういう意味?」

「そこをもう少し説明してくれる?」

「なんでそういう結論になったの?」

 

そして、時にはもう一人のチュートリアルのペアの南アフリカ人のクラスメートに「あなたはどう思う?」と議論がふられていきます。

 

チュートリアルが終わると、

その週の課題を終えて、一旦ホッとするものの、

 

その課題の結論を教授が言うわけでもなく、

模範回答や講義の資料やパワーポイントが渡される訳でもなく、

何かを理解したような確かな手ごたえをつかんだ訳でもなく、

自分が勉強していることは果たしてどこかに向かっているんだろうかと、

大きな雲をつかむような作業が果てしなく続くように感じられたものでした。

 

ただ、いま振り返ってみれば、

このチュートリアルこそ、

何を学ぶかではなく、いかに学ぶかを教えてくれた最強の機会だったと分かります。

 

チュートリアルは、

正解を求めるというよりは、

先人の歩みを追いながら(それまでの洞察や理論の積み上げを自分の中で言語化し)、

自由に考え、

新しい解を導き出すための考える方法(思考プロセス)を教えてくれていたのでした。

 

オックスフォード寮からの景色.jpg

🔼 寮の部屋からの景色ー課題が終わらず泣きそうになった時に窓から見えたリスに癒された

 

このチュートリアルの体験は、

「どんなテーマでも自由に追及して良い」という雰囲気の中で、

 

 

「多様な視点があってよいこと」、

「解は必ずしも一つではないこと」、

「自分でテーマをみつけ、向き合い、探求する楽しさ」、

「解のない課題に対して向き合うメンタリティー」の土台を私に身につけさせてくれたように思います。

 

これからの解のない時代、新しい解を求めるための考え方(思考プロセス)はますます重要になってくることだと思います。

 

では、オックスフォードの教授はなぜあのような質問をするのでしょうか?

その質問の意図とは何なのでしょうか?

 

解のない時代に解を見つけるオックスフォード流「考えるステップ」②

 

 

(まとめ)

変化の早い不確実性の高いこれからの時代においては決まった正解があるとは限らない。

正解のないような問いに対してどうやって考えるか・アプローチするかが問われる。

解を求めるのではなく解を導き出す思考プロセス(考える過程)を学ぶ。

 

解のない時代に解を見つけるオックスフォード流「考えるステップ」②

 

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