世界的ヒット映画グレーテストショーマンの主題歌「This is Me!」の深いメッセージとは?ほんとうのTHIS IS ME!とは?

たった一人の意見や基準であなたの能力を決めてはいけない!

あなたが評価される場所へ行こう、という記事を先日書きました。

 

関連記事→

たった一人の意見や基準であなたの能力を決めてはいけない!あなたが評価される場所へ行こう

 

それもその通りなのですが、同時にその根底に、

自分は十分に評価されていない、

評価されなければいけない、

または自分が自分を評価していない(だから他人の評価を求める)、

 

であるのならば、「苦しみの構造」に気付く必要があります。

 

その構造が変わらなければ、一生評価を求めて不満足な気持ちを抱えたまま生きていくことになってしまいます。

 

「苦しみを生む構造」として、

 

「私はこうあるべき」、「私たちは完璧であるべき」というぜったいに叶うことのない理想像、そして、「自分はこうである」という幻想があるかもしれません。

 

私たちは自分と他人と社会と両親と神とパートナーと子供たちと何千と言う「合意」を結んでいます。

 

その中でも最も重要なのは、「私はこうだ」という自分に関する合意です。

 

今世界各地でヒット中の映画「グレーテストショーマン」のメッセージは

「THIS IS ME!!!」です。

 

「合意」とはどういう意味でしょうか?

自分に対する合意とは何でしょうか?

 

自分に何かほんとうの「This is me」なのでしょうか?

 

その質問へのヒントを探るために、

世界各国で翻訳され500万部以上の大ベストセラー(『ニューヨーク・タイムズ』紙上にて、七年以上のベストセラーを誇る)ドン・ミゲル・ルイスの著書The Four Agreements (邦題:「4つの約束」)を引用します。

 

とくに、”人間の飼い慣らし”のプロセスについて分かりやすく書かれています。

表現は一見簡単でシンプルなのですが、ページを開く度に発見があります。

 

以下引用です

(一部編集あり)

 

=====

人間は常に夢を見ている。

人間は「社会の夢」、「地球の夢」とも呼べる大きな夢を外側につくり出している。

地球の夢とは、社会の信念、法律、宗教、文化、常識的あり方、政府、学校、国民の行事、祝日などで成り立っている。

 

外側の夢にはたくさんの規則があるので、大人は子供の心にそうした規則を教え込む。

何が受け入れられ何が受け入れられないのか何が良いことであり何が悪いことなのかを学ぶ。

 

外側の夢は私たちの注意を引きつける。

どんな情報でも合意に基づいて蓄積される。

 

しかし、もしそれに合意しなければ、その情報が蓄積されることはなかったはずである。

私たちが合意した瞬間、私たちは、それを信じるようになる。

それを私たちは「信念」と呼んでいる。

 

こうして私たちは他の人たちを喜ばせるため、「いい子」であるために本当の自分以外の者のふりをする。

ママやパパを喜ばせようとする。学校の先生を喜ばせようとする。

私たちが本当の自分でないもののふりをするのは見放されるのが怖いからである。

やがて私たちは自分でないものになっていく。

 

こうした飼い馴らしのプロセスの中で私たちは立派なお利口さんでやろうとして完璧性と言うイメージを作り上げる。

私たちは皆から受け入れられるためにはどうあるべきかというイメージを作り上げる。

でも、私たちは決してこのイメージにはフィットしない。

なぜならこのイメージはリアルなものでは無いからである。

この観点から自分を見たとき、誰も決して完璧にはなれない

 

 

完璧ではないために私たちは自分を否定する。

飼い馴らしの後では、もはや誰も、どんな人に対しても十分にお利口ではありえない。

自分に対しても満足できない。

なぜなら「自分はこうあるべきだ」という理想のイメージに合格しないからだ。

 

 

私たちは自分がこうあるべきだと思ったことなれなったことに対して、自分を許せないのである。

 

私たちは自分と他人と社会と両親と神とパートナーと子供たちと何千と言う合意を結んでいる。

最も重要なのは、自分に関する合意である。

その合意であなたはこう言う。

 

私は何者である。

これが私である。

これが私の信じることである。

私はこれこれができる。

これは可能である。

これは不可能である、

などなど。

 

たったひとつの合意ならば別に問題ではない。

しかし私たちは、自分自身を苦しめ、失敗させるような実に多くの合意を結んでいる。

 

もし喜びと充足に満ちた人生を望むならば、恐れを基礎にした合意を破らなければいけない。

恐怖から発する合意は多くのエネルギーを使う。

私たちは誰もが一定の力を持って生まれてくるが、残念なことに私たちはその力をこうした合意を結ぶこと、合意を守ることに費やしている。

私たちのエネルギー力は散乱してしまい、その結果、私たちは無力感にとらわれてしまう。

 

こうした合意を一つ打ち破るごとに、それを作るのに費やしたすべてのエネルギーが戻って来る。

愛から発する合意は私たちのエネルギーを保ち、さらに多くのエネルギーを得ることができる。

自分と新しい合意を結ぶことができる。

地獄の夢で生きるかわりに、あなたは新しい夢を創りはじめる。

 

あなたの天国の夢を。

 

===

 

Four Agreements ドンミゲルルイス

 

古代メキシコの「トルテック」の智恵にもとづいた、我々を覚醒させ、人生をすみやかに変え、真の自由と幸福をもたらすことができる力強い教え。苦しみを生む自縛的信念から逃れる方法を説く「四つの約束」

 

https://www.amazon.co.jp/四つの約束-ドン・ミゲル-ルイス

 

コーチング受け付けています!

https://chikaonaka.com/coaching/

広告

人生から成功も幸せも奪う「いい人」という病──国連ニューヨーク本部で学んだ真実|大仲千華 「答えを求めない勇気」

「人から認められたい」「誰からも嫌われたくない」という思いから、ついつい「いい人」を演じてしまう人は多いのではないだろうか。だが、他人から高評価を得るためのこの行動が、実は成功や幸せを遠ざける原因になっているという。

「いい人」は損もしないが得もしない

 

「『いい人』のままでは、誰にも君のことを覚えてもらえないよ」

 

これは、私が国連のニューヨーク本部で働いていたときに当時の上司に言われた言葉です。いい人は無難な意見ばかりを口にするけれど、そんなものは国連では何の役にも立たないし、誰の記憶にも残らない。彼にそう言われて私はかなりショックを受けましたが、「確かにその通りだ」とも思いました。

 

当時、私は国連平和維持活動(PKO)に携わっていました。国連が扱う業務のなかでも最も直接的に紛争にかかわり、国際政治や人の生死にも影響を与える仕事が単なるいい人に務まらないことは、私にも本能的にわかっていました。

 

しかしながらいい人を否定することは、私にとっては大きなチャレンジでもありました。日本で生まれ育った私に、「いい人であることは悪い」という発想はまったくなかったからです。けれども上司のその一言によって、いい人でいることは、大きな損はしないけどその代わり得もしない、いわば「守りの姿勢」ではないかと考えるようになりました。

 

いい人を演じれば、自分の本当の意見や立場を明らかにする必要がないので、自分が受け入れられなかったり、批判にさらされたりする危険を避けることができます。

 

実際、国連本部で働きはじめてからまだほんの少ししかたっていないにもかかわらず、気がつけば私は発言を求められると公式見解を繰り返すようになっていました。官僚の答弁のような物言いをすることによって、私は自分が傷つく事態を懸命に防ごうとしていたのだと思います。

「いい人」ほどトランプに怒りを感じる

 

私には米国やカナダで暮らすコーチ・カウンセラー仲間が何人かいるのですが、彼らに言わせると、いい人ほどトランプ氏が米大統領選に勝利したことに失望を感じていたそうです。

 

この場合のいい人は、「自分はいい人であるべき(はず)」、または「自分は正しい」という思いが強い人を指します。たとえば、社会的な役割が多い人、仮面(ペルソナ)を何重にもかぶっている人、公的な立場と自分のアイデンティティが一体化している人などがこれに当たります。

 

特に欧米では、社会的地位の高い人ほど「ポリティカリー・コレクト」(発言やふるまいに差別や偏見がなく、道徳的)であることが求められるので、 肩書きや社会的役割と自分のアイデンティティが同一化されていく傾向が強くなります。

 

もちろん、トランプ大統領の乱暴な物言いや、移民・イスラム教徒に対する差別的な発言に、純粋に怒りや不快感を覚えた人も多いでしょうが、「自分はいい人で正しい」と思っている人ほど、トランプの傍若無人な言動が許せないと感じたそうです。

 

人間には誰でも強みと弱みがあります。自分のなかにはいい部分もあれば、嫉妬や無力感に苦しむ嫌な部分もあることをみんな理解しています。しかし、「自分はいい人で正しくなければいけない」と思い込んでいる人ほど、人間の性質をありのままに受け入れることが難しくなってしまうのです。

 

いい人でいることのもう一つの恐ろしい弊害は、いい人を演じ続けなけばいけない義務感、そしてこうすれば人から評価されるという期待感に囚われてしまうことです。

 

「いい人」ほど怒りをため込む

 

私たちは子供の頃から勉強ができるとかスポーツが得意とか、行儀がいいとか褒められた体験を通じて、「こうすれば認められる」という観念体系を学んでいきます。そしてその経験は、大人になってからも私たちを「人を喜ばせよ、有能であれ、完璧であれ」と煽りたてます。

 

そこには、「自分の価値は、残した実績に対する他人からの評価によって決まる」という思い込みがあります。内なるモチベーションよりも、他人からどう見られるかに意識が向いてしまうのです。

前回の記事で、ニューヨークで働いていたときの私は、能力も努力も常に足りない気がして焦燥感とストレスに悩まされていたと書きました。いま思うと当時の私を苦しめていたのは、「国連の本部で働く人はこうあるべき」という思い込みと、「自分をそう見せなければ」と自ら課したプレッシャーでした。

 

このように、私たちは人に認められたいあまりにヘトヘトになり、心をすり減らしてしまうのです。しかも、そんな人ほど実は心のなかで怒っているのです。

 

彼らは「自分はこんなに我慢しているのに」「自分はこんなに尽くしているのに」と思う一方で、相手からは期待するような反応や評価が返ってこないことに対し、常にイライラや不満をためているのです。自分の満足が、コントロールの及ばない他人の反応に左右される状況は、当然、人に非常に大きなストレスを与えます。

日本人特有の「受動攻撃性」とは

 

私が長年の海外生活を経て日本に帰国して驚いたのは、日本人の受動攻撃性の高さでした。

受動攻撃性とは、あからさまに怒りをぶつけて攻撃をするのではなく、無視、無関心、連続して遅刻やミスをするなどの無気力な態度で「抗議」することを指します。私は日本人特有のこの性質を、満員電車の乗り降りのときに特に強く感じました。これも恐らく普段からいい人を演じていることからくる弊害なのでしょう。

 

いい人は、自分の意見を持たない、もしくは自分よりも他人の意見や価値観を優先させることによって、自分で自分を傷つけています。我慢し過ぎて自分の希望がわからなくなったせいで、無気力に陥り、鬱を発症するケースさえあるのです。

 
また、必要以上にいい人になろうとすると、期待に応えられなかったらどうしようという不安にとりつかれ、失敗や批判が怖くてたまらなくなります。その結果、ちょっとした失敗に対しても自己嫌悪を感じる状態に陥ってしまいます。つまり、いい人でいることは、成功の妨げにもなるのです。

 

このような状況から抜け出すには、自分で自分に課しているハードル、そして、社会やメディア、学校や親から植え付けられた以下のような「理想像」に自分が無意識に囚われていることにまず気づかなければなりません。

 

男性は「弱み」を見せてはいけない。
いつもいい成績をとらなければいけない。
絶対に失敗をしてはいけない。
周囲の人に賞賛されなければいけない。
やるからには成功しならなければいけない。
誰よりも優れていなければいけない。
スマートでなければいけない。
もっと痩せなければいけない。
人気者にならなければいけない。
かっこよくなければいけない。
おしゃれでなければいけない。
女性は若くなければいけない。
母親は常に子供思いで優しくなければいけない。

 

私がこうした「いい人」の呪縛から逃れられたのは、ニューヨークでストレスのピークを体験した後にPKOで南スーダンに赴任したことがきっかけでした。

まず、灼熱の南スーダンで、私はスーツを着なくなりました。

 

そして、国連で働く人はこうあるべきだという思い込みを実現するためではなく、現地の状況に合わせて最善を尽くすことに自分の目的がシフトしたとたん、変化が起きました。このとき初めて私は、自分のエネルギーが内から外に向かうのを感じました。

 

人の評価を求めてストレスにさらされるよりも、少しでもいいから毎日自分が成長したと感じられるほうが、自分の力で人生を歩んでいる実感が得られます。南スーダンでは別の意味でのチャレンジがたくさんありましたが、これに気づいたおかげでどれだけ気持ちが楽になったかわかりません。

 

それからは、多国籍チームのリーダーに抜擢され、国連の幹部に「うちの部署で働かないか」と誘われたこともありました。南スーダン政府や南スーダン人民解放軍との会合では、私が話しはじめると白けていた人たちが耳を傾けてくれるようにもなりました。

 

当時の南スーダンは、いつ紛争が再発してもおかしくない状況でした。そんななか、「たったいま、私がここにいる人たちに届けられる一言は何だろう?」と私なりに必死に考え、それを伝えようとしたことによって、気持ちが相手に伝わったのだと思います。

 

人は「正論」では動きません。なんらかのメッセージが人の心に届いたとしたら、それはその意見が立派だからでも正しいからでもありません。伝える人間が心の奥から湧き出るものを表現しようとするときにこそ、言葉を超えた思いが相手に伝わるのです。自分の保身のためにいい人を演じ続けていたら、言葉さえ力を失ってしまいます。

 

「どんなときでもあなたは一人しかいない。だから、あなたの表現は必ずユニークなものになる。もしそれを表現しないのならば、それは世界にとっての損失である。自信を持って踏み出しなさい」──これは、モダンダンスを開拓した米国の舞踏家マーサ・グラハムの言葉です。

 

彼女の言う通り、あなたという存在からしか伝えられないものが必ずあります。

 

私たちはもっと自分が自分であることを表現し、もっと正直にわがままに生きていいのです!

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

《新プログラム》開始しました❗️

 

沖縄には、人がその人本来の姿でない状態を表わすのに「魂が抜けている」と言うことがあります。人は、その人の自然な想いや本当の気持ちに繋がるとき、その人本来の力と輝きを取り戻します。

 

自分の人生について改めて考えたい、前に進みたいという時に、普段の環境と切り離されることはとても役に立ちます。

 

普段無意識に感じている「こうでなければならない」という囚われや集合意識、過去の経験から物理的に離れることができるからです。
この特別プログラムでは、世界の中でも自然がピュアで、生命エネルギーが高い形で残る沖縄の西表島へ行きます。

 

https://peraichi.com/landing_pages/view/krgi1

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

「自分を知る」ということー「自分がやりたいことが分からない人」とランチ選びの関係

突然質問です。

三日前に食べたランチを覚えていますか?

 

 

なんでランチかと言うと、「自分を知る」ということの一つだからです。

 

「自分を知る」というと、とても大きなことのように聞こえるかも知れませんが、ごくごく日常の中にあります。

 

先日あるカフェで、ケール&キーウィージュースをオーダーしました。

 

私の身体は疲れている時によくケールを欲しがります。ビタミンやミネラルが多いので、身体に浸透する感じがします。

 

出てきたのはとてもとても小さいジュースでした。

 

しかも、ほとんどケールの味はしませんでした。

 

 

その瞬間いろんなことが頭に浮かびました。

 

 

ーああ、これなら自分でつくった方がいいな

ーあのスーパーで最近ケールは見なくなったけど、どこのスーパーにあるのかな?

ーケールをみかけたら買っておこう(希少だから)

ー他に自分にエネルギーをくれる食べ物は何だろう?(エネルギーの高い物を口にしたい)

ーどんなものを食べる時に身体の調子がいいのだろう?

 

 

難しい結論でもなんでもないけれども、「そんな思い」をとても強くしました。

 

こうやって私たちは、日々何かを「感じ」、「発見し」、「思い」、「修正し」、「決めて」います。

 

しかも、体験したものが「期待外れだったりすると、じゃあ「次はこうしよう」「だから、今度はこうしたい」と、その反対に対する思いを強くします。

 

 

私の場合、スタバのラテよりも数百円高かったジュースが期待ハズレだったので、自分でケールスムージを作りたくなりました。
私はこの店で同じジュースを買うということは「繰り返さない」でしょうし、この体験は、自分の身体やエネルギーの状態に意識を向けるきっかけの一つになりました。

 

 

こうして、私たちは日々何かを発見したり、「学んで」います。

そして、自分について発見しています。

 

これを「体験」というのですね。

 

 

体験というのは、単なる「事実」の列挙ではなく、その出来事を通じて自分は何を感じ、思い、結論づけたか?ということだそうです。

 

 

 

 

自分がやりたいことが分からない人は多いようですが、

そんな人こそ、自分が食べるランチを「完全に」「意識的に」「全責任をもって」選んでみてください。

 

 

なんで、私はこれを食べたいと思ったのか?

美味しかったですか?自分で星をつけるとしたらいくつ?

あまり美味しくなかったですか?自分で星をつけるとしたらいくつ?

 

 

なんでそのお店・メニューを選んだのですか?

外見はどうだったのか?

お店の雰囲気はどう感じたのか?

お店のスタッフやシェフの印象はどうだったのか?

直感的な第一印象は何と言っていたのか?

 

 

その感覚はあくまでも主観的です。

それでいいのです。

自分が感じることに「正解」も「間違い」もないからです。

 

 

大事なのは、じゃあ次はこうしたいな、というサイクルに繋がっていることです。

 

 

食べ物は私たちの感覚を正直に刺激してくれるものの一つです。

「美味しい」と単純に満足を感じるし、「美味しくない」とイマイチだったな、と単純に感じるからです。

 

 

 

食に対する意欲は人生に対する意欲と比例する、といった友人がいました。

私たちは日々食するもので成り立っているので、それを聞いた時になるほど!と思ったことがあります。

 

美味しいものがわかることは一流の音楽や「ほんもの」がわかるということにも繋がっていると個人的には思います。

 

そして、「いいお店」が分かること・知っていることは、大人のリソースとしてはとても重宝されるものです。

 

 

「今日の私」は、日々の体験の結果です。

 

どんな体験にも無駄はありません。

 

「体験」こそが私たちを学ばせてくれます。

キャリアと人生の法則【②】「がっかり」は器拡大の法則

突然ですが、「理想」と「現実」のギャップに直面した時、あなたならどうしますか?

仮に、すっごく理想の憧れの仕事についたとしても、何かしら「信じられない」ことであったり、「がっかり」することがでてくるものです。

 

そんな時、あなたはどんな「反応」をしますか?

 

すねる?

冷める

あまりしゃべらなくなる

ぜんぶ諦める?

遅刻する

ミスが増える。。。

ちょっといじわるになる。。。?!

 

ちなみに、こういう態度は「受動攻撃」と言います。あからさまに反抗している訳ではないけれども、内心では怒っている状態です。

 

言葉に表現していないからいいと思っている人がいるかも知れませんが、マイナスエネルギーを発しているので運を下げてしまいます。

 

当たり前ながら、完璧な仕事もなければ、完璧な職場もありません。

程度の差こそあれ、なんらかの「がっかり」や「落胆」に直面することは誰にでもあるでしょう。

 

さて、面白くなるのはそこからです。(^^)ニコ

 

私自身、職場での「がっかり」と「落胆」をかなりリアルに体験したことをはっきりを覚えています。

 

私が、国連での一番始めの赴任地・東ティモールで、グループリーダーの「男尊女卑」に直面することになったのはすでにお話ししました。それに加え、もう一つ、そう時間を経たずして明らかになった事がありました。

 

それは、同僚との間でこんな会話が続いたことがきっかけでした。

 

「つい最近、家を建て始めたんだ。今度の休暇で国に戻ったらどれだけ進んでいるのかを見るのが本当に楽しみだよ。」

「これからコンゴ民主共和国でPKOが始まるらしいわ。コンゴの方が危険手当てが高いらしいよ。」

 

国連では、紛争国での勤務では「危険手当」がもらえます。当時の東ティモールで直接的に命の危険にさらされる可能性は低かったにせよ、電気もない、お湯もでない、マラリアにかかって死ぬ人も実際にいるーそんな生活環境のストレスやリスクを考えると、その危険手当は、はっきり言って全然高くありません。

 

が、例えば、タンザニアで勤続30年の公務員でも月給が300ドル(それでも高い方かも知れません)という国の人たちにとっては、国連の給料と手当というのは、一度に母国での月収の何十倍をも稼げてしまう機会になるのです。

 

会話はさらに続きます。

 

「千華も、そんなに村ばかり行ってないで、今度ニューヨーク本部から人が来るらしいから履歴書でもレポートでも用意しておいた方がいいと思うよ。」

私が直面した別の国連の現実とは、国連で働いている人達が必ずしも現地の国のことに興味があるかと言うと必ずしもそうではないという事でした。

 

私が憧れていた国連ってこんな組織だったの?!

 

この事実に、私はしばらくやる気を失い、どうしたらいいか分からず「ふてくされて」いました。

 

国際法や国際関係で語られるも「国連」。

安保理や総会で、加盟国同士が決議や宣言の文言をめぐり駆け引きを繰り広げる場も「国連」。

紛争国の最前線で、100カ国もの人たちが一緒に活動するのも「国連」。

 

この100カ国以上もの人達は、文化も言葉も違う。

なぜ国連に参加することになったのか?その動機も全く違う。

母国の生活水準もまったく違う。

 

そう、国連という組織は、よくも悪くもすべてを含めてまさにリアルな「世界の縮図」だったのです。

 

そんな「まったくけしからん!」と私自身何度も思ったけど、世界に経済の格差というものが存在する以上、それは十分にあり得ること。

私もその立場だったら きっと同じことをしてもおかしくないのです。。。

 

自分や周りに厳しかったり、いわゆる正義感の強いタイプであればある程、理想と現実のギャップに直面した時に、がっかりしたり落胆してしまいがちです。(←私もこのタイプです。)

 

そういう人は、物ごとを1か100かにはっきりさせたい傾向も強いので、場合にはよっては、それが理由で、全てを否定したり、全てをやめようと思う人もいるかも知れません。

 

ただ、仮に、あの人やあの職場は「信じられない」から別の職場を探そうと、転職したとしても、全く違う職場なのに、なぜか似たような問題に直面したり、身近な人間関係でそのような振る舞いをし始める人が現れることもあります。

 

何かに抵抗すればする程、抵抗している人の特徴や出来事は形を変えて続きます。これは、宇宙の法則で「抵抗の法則(Law of Resistance)」と呼ばれています。自分がその現象やある人の資質を受け入れるまで、人や場所を変えその現象は起き続けます。

 

役に立つ方法は、そういう人や現象をただありのままに理解し、受け入れる(同意するとは違います)ことです。

 

運を下げる人は、自分の価値観に反することが起きた時、「こんなこと信じられない」と「抵抗」をし続け、それを体験し続けます。

 

運を上げる人は、自分と反対のタイプの人と会った時に、自分の中にもあるけれども自分ではまだ気づいていない真逆の部分を見せてくれているのだと受け止めます。そして、自分の考え方の幅や器を大きくしてくれるのを助けてくれる人だと捉えます。

 

ちなみに、当時は、ニューヨークに行くことに全く興味のなかった私がその3年後にニューヨークへ赴任することになるのです。

 

⭐️キャリアと人生の法則【②】理想と現実のギャップと器拡大の法則⭐️

 

 

⬇️ 運を下げる人は、自分の価値観に反することが起きた時、「こんなこと信じられない」と「抵抗」をし続け、それを体験し続けます。

 

⬆️ 運を上げる人は、自分と反対のタイプの人と会った時に、自分の中にも本当はあるけれども自分ではまだ気づいていない真逆の部分を見せてくれている人だと受け止めます。そして、自分の幅や器を大きくしてくれるのを助てくれる人だと捉えます。