「いい面」だけが才能ではない❗️最初は自分の「強み」のネガティブな面を体験することが多いということについて

人の強みや才能に関しては、たくさんの誤解があるようです。中でも大きな誤解の一つは、「いい面」だけを才能や強みだと思うことです。

 

 

ただ、どんな資質にも両面があって、同じ資質の「いい面」もあれば「チャレンジな面」もあります。いわば、「同じコインの表と裏」のような関係です。

 

例えば、動物を例にすると、きりんは、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、敵の動きをいち早く察知できます。

 

私はケニアのサファリで目の前で野生のきりんが歩くのを見たことがありますが、

長い足でリズミカルに歩くきりんの姿は優雅でとても感動しました。

 

同時に、もしキリンが人間の言葉をしゃべることがあったら、こう言ったかも知れません。

 

「あのねー、優雅に見えるかもしれまないけど水飲むのは大変なんだよー」

 

なるほど〜

 

まさに、「同じコインの表と裏」です。

 

同じように、誰にも長所と短所の両面があります。

 

そして、自分の持つ資質が幼少期から強みとしてわかりやすく開花しているのは稀で、最初は同じ資質のチャレンジの面の方を体験することの方が多いのです。

 

どういう意味なのか説明していきます。

 

例えば、高い知能、活発である、意思や信念が強い、 共感力、創造性という資質があるとします。

 

これらの資質のポジティブな側面はどんなものでしょうか?

ネガティブな側面はどんなものでしょうか?

 

高い知性=頭がいい?に越したことはないじゃないか?と思うかも知れません。

 

でも、どんな資質にも両面あるのです。

 

以下に例を挙げてみました。

 

《高い知能》

このポジティブな側面:

新しい考え方や概念を素早くつかむことができる

同じ年齢の子供たちよりも深く理解する

複雑な現象の下にあるパターンをみつけることができる

新しい考え方や概念を発見するのが好き

壮大な考えや計画に惹かれる

 

ネガティブな側面:

•すぐに飽きる

•全容がわからないと納得できない

•他の人たちが「遅い」ことに忍耐強くない。

•他人の意見に対して批判的であったり、寛容的でない。

•手が頭についていけないので、手元の作業が雑になる

・細かい数字を確認する作業は得意ではない、などです。

 

 《活発である》

ポジティブな側面:

・新しい体験をすることに意欲的

・一度にいろんなことができる

 

ネガティブな側面:

・常に刺激を必要とする

・動き回る(多動である)

・頭も体も常に忙しい

・簡単にフラストレーションを感じ、それを撒き散らしがちである

・寝付くのが難しい時がある

 

 

《意思や信念が強い》 

 

ポジティブな側面:

・自分でゴールを設定し、それを達成するための努力を厭わない

・課題に対する答えをみつようとしたり、自分の興味をさらに追求する

・粘り強い

 

ネガティブな側面:

・頑固になる

・視野が狭くなる

・自分の興味のないことを忘れたり集中するのは得意ではない

 

《共感力》

 

ポジティブな側面:

・周りの人たちが考えていること、感じていることを察し彼らの視点から理解することができる

・他人の感情に対して敏感であり、他の人たちが気づかない点に気づく

・人の感情の機微を繊細に感じとり、人がなかなか言葉にして表せられない感情的な面を表現する手助けをすることができる

・書くことやアートなどの表現、創作活動を通じて感情の力を表現の力にすることができる

 

ネガティブな側面:

・体験を個人的にとらえる傾向がある

・ある状況にたいして事前に感じたり察してしまうので、自分には対応できないのではないかと心配になる

・不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち

・批判されたり拒否されたりする体験をなかなか処理できない

・周りの人の感情によって自分も影響を受ける

・簡単に泣いたり興奮する

 

《創造性》 

 

ポジティブな側面:

・目の前の現象や題材を新しくユニークな方法で見る

・たくさんアイデアがある

・新しいものを創るのが好き

 

ネガティブな側面:

・ファンタジーに逃避しがち

・拡げたアイデアをまとめるのは得意ではない

・言われたことに従うよりも自分のやり方で進めることがある。

 

つまり、ここでお伝えしたいのは、どんな資質にもポジティブとネガティブの両面がある、ということです。

 

そして、あなたの強みが眠っている分野こそ、最初はチャレンジの側面を体験することが多いということです。

 

私の例で言うと、

私の大きな強みの一つは、

自分の視点と考えから一旦距離をおいて、相手はなぜあのような事を言うのか、と相手の視点で物事を見ることができることです。

 

相手の視点と立場に立ち、相手の思考のフレームワーク、価値観や感情を理解することは「パースペクティブ・テイキング(perspective taking)」と呼ばれます。共感力の大きな要素の一つです。

 

相手と意見が違ったとしても、同意するかは別として、相手の立場から状況を見ることができること、そこから互いの共通点を探っていくは、南スーダン軍との交渉、信頼構築などで大きな力となってくれました。

 

世界で活躍したいと願う人にとってはとくに大切な資質の一つと言えます。

 

またこの共感能力は、アジア中東の軍隊に国連PKOに関してトレーニングをする教官・講師を務めていた時も、こちらが伝えることに対して相手が何を感じているのかをその場で察しながら、同じ講義の内容であっても相手に合わせてエピソードやたとえ話を変えていく対応力になってくれました。

 

また、コーチングをする時には、相手の方が自分の状況や課題をうまく言い現すことができない時でも、その方のほんとうの想いに一緒に想いを寄せることで、目の前の状況を整理して、新しい解決策や眠っていた力を引き出すサポートをしてきました。これも共感力の資質です。

 

同時に、ここでお伝えしたいのは、こうした資質が最初から強みとして発揮されるとは限らず、最初は同じ資質のネガティブな面をより強く体験することが多い、ということです。

 

例えば、私の場合には、「体験を個人的にとらえる傾向がある」「ある状況にたいして事前に感じたり察してしまい自分には対応できないのではないかと心配になる」「不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち」といった共感力のネガティブな側面としてあげられた点をすべて体験しましたし、今でも体験することはあります。

 

「簡単に泣いたり興奮する」というのもほんとうにその通りで、映画を見て感動して涙を流すことはしょっちゅうなので妹からはよく笑われるほどです。

 

前はネガティブな面しかわからずなんで私はこんなに繊細なんだろう?と悩んだこともありましたが、今ではコインの両面を理解しているので、ポジティブな面を尊重しつつ、ネガティブな側面とも上手く付き合えるようになり、大きな影響を受けなくなりました。

 

自分の資質をポジティブに活かすには、自分の普段の行動を観察して、自分の資質をよく知ることです。

 

ネガティブな面ばかり体験するなと思ったら、そのネガティブと同じ分だけポジティブな資質があると考えましょう。

 

「なんで自分だけ不器用なんだろう」、「なんでなんで自分だけ普通にできないんだろう」、「なんで自分はこんなに繊細なんだろう」と思ったら、「普通がいい」という幻想から覚めましょう。

 

「普通」はつくられた幻想でしかありません。

 

これからは普通に生きようと思っても基準を「普通」に合わせていたら、普通にさえ生きることができない時代です。

 

自分の資質をネガティブにしか思えないとしたら、今生での課題の一つは、その「思い込み」からまず自由になることかもしれません。

 

そして、ポジティブな脳の配線(シナプシス)を強化することです。

 

その資質が自分にとってどう役に立つのか、ポジティブな資源として活かす方法を考えましょう。

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自分は何もできませんという 「偽りの謙虚さ」と自分を誰かの下にする自己卑下は実は「傲慢(ごうまん)」

自分に正直になるということは
自分を小さくしないということ
自分は何もできませんという
「偽りの謙虚さ」と自分を誰かの下におく「自己卑下」は「傲慢さ」です。
あなたの人生はあなただけのものではありません。
あなたがこれまで体験した経験、あなたが感じていること、あなたに与えられた教育、日本に生まれたあなたに与えられた機会、神さまから生まれもって与えられた能力や才能はあなただけのものではありません。
偏差値や学校や社会の一つの評価軸で自分の能力を決めつけてはいけません。
自分を狭い箱の中からそっとゆっくり出してあげましょう。

 

「やりたいことが分からない」と言って自分を誤魔化すのはもうやめよう

やりたいことが分からないのと、それをしたらどうなるんだろう、ああなったらどうしようという不安は全く別もの。

 

「やりたいことが分からない」と言って自分を誤魔化すのはもうやめよう。

 

どんな選択肢があるのか考え抜くこと。

 

そして、その一つ一つに対する「不安」を一つ一つ分解すること。

 

何が起きたら一番こわいのか?

 

その「こわい」はどうしたら減らせるのか?

 

その「こわい」は本当なのか?それとも思い込みなのか。

 

 

 

時代は自分が大切だと思っていることを大切にする人をサポートする方向に動いています。

 

まず、自分に正直になることから始めよう。(*^-^)ニコ

 

(写真)姪っ子ちゃん、なかなか色使いが上手です

やる気を感じたかったら、「事実」と「感情」を別けることから始めよう

もし、自分の本来のエネルギーを100%だとすると、今は何パーセント位のエネルギーで「稼働」しているでしょうか?

 

先日セッションにいらした方で、無関心というか、やる気も意欲もわかない、ただ、職場へ行き淡々と仕事をしています、という方がいらっしゃいました。

 

もしかしたら、そんな状態が当たり前のようになってしまって、あまり自覚がないかも知れません。

 

私たちは何かしら「傷ついた」体験があると、「過去」に自分のエネルギーを奪われている状態になります。すると、「過去」に75%のエネルギーが使われてしまって、「今」に使われているエネルギーは、たったの20%という場合もあります。

 

その25%で、なんとか日々の仕事や生活をやっているので、毎日ヘトヘト、新しいことに取り組むことも、自分のやりたいことをやるエネルギーも残っていない、実はそんな人もめずらしくないようです。

 

「傷ついた」体験というと例えばこういうものです。

 

自分の意見が理解されなかった

頑張ったけど思うようにいかなかった

他の人はうまくできるのに自分だけ上手くできなかった

自分の企画が通らなかった

正当に評価されなかった

周りの人は誰も本音を言わない

経営者のやり方が尊敬できない

自分が大変だった時に周りの人に理解されなかった

 

一見小さいことに聞こえるかも知れませんが、本人にとっては大きいことです。

 

一つ一つだけをみたら、一見小さなことに聞こえることでも、そうした体験が積み重ねられていくと、それが貯まって大きくなってどんどんエネルギーを消耗していきます。

 

タンクの容量が100だとしたら、毎回じわじわ5~20位が減っていくようなイメージです。

 

ある出来事のことを忘れたつもりでも、どこかで不満や不安があったり、または頭では納得したつもりでいても身体がまだそのことを覚えていたりすることもあります。

 

ただ、人はそれぞれに自分の認識のパターンがあります。

 

その時に、何があったのかという(A.事実)と、「自分はそれに対してどう思ったのか・反応したのか?」という(B. 認知)、そして、それに対してどう感じたのかという(C.感情)は分ける必要があります。

 

もし、最近自分は冷めているなあ、と感じるなら、気になる出来事のABCを一つ一つ整理して、過去は過去として「完了」することにフォーカスしましょう。

 

必要ならば専門家のサポートを求めてください。

震災の時神戸に行って、紛争の南スーダンを経て、23年ぶりに神戸の街を歩いてみて感じたこと

神戸の街を歩きました。

 

神戸は仕事が目的でしたが、阪神淡路大震災から丸22年経って「日本の目覚め」はどうなったのか?

 

私たちは何を学んだのか?何が変わったのか?変わらなかったのか、を自分の目で見て感じたいと思ったからでした。

 

1995年は「ボランティア元年」と呼ばれました。

 

私も救援物資を集める活動に参加して、1日中鳴りやまない電話の受付けをしたり、神戸へ行って、集まった洗濯機や自転車を配布しました。

 

ボランティアスタッフの移動と物資の運搬のためにトヨタ自動車が無償で大型バスを提供してくれたり、運輸省(当時)の人も一緒に来てくれたりと、「何か今までとは違うことが起きている」という感覚がはっきりとありました。

 

1日中鳴り続ける電話をとり続けて、人の中には「自分も役に立ちたい」という気持ちがあるものなんだ、と感じたり、みんなが一つになることによる「人間の底力」も「より大きな力」も感じました。

 

神戸東遊園地①

 

神戸東遊園地②

⬆️三宮駅 神戸市役所すぐ側の慰霊が行われる東遊園公園。

 

「シンドラーのリスト」など、数々の名作を世に送り出したスティーブン・スピルバーグ監督が「なぜ戦争をテーマとした映画をつくるのでか?」と聞かれて、こう答えています。

 

「戦争は人間を極限におき、人間の選択を問うからだ」と。

 

大変な時こそ、人と社会の真価が問われるという面があるのですね。

 

神戸で読んだ新聞の震災後23年の特集にはこうありました。

 

「震災がなかったら起業なんて考えなかった。でも一生懸命に生きることが生き残った人の使命だから」

 

震災がきっかけで奮起された方が人知れずたくさんいらっしゃるのだと思いました。

 

神戸新聞.jpg

 

国や社会全体がどう変わって、変わっていないのかは、改めてもっと詳しく書きたいと思いますが、

 

「復興」という時、私たちは元と同じように戻ることといった漠然としたイメージを思い浮かべますが、これだけの震災・災害が起きた後で、当然ながら街が単に元どおりに戻るわけではありません。

 

戦後の経済復興を経て、大きいもの・ハコモノが幅をきかす、それまでの延長ではなく、21世紀に向けて日本はどんな社会をつくりたいのか?どんな価値を新たに生み出し、世界に発信していきたいのか?という私たちの「再生」と「持続可能な社会」のビジョンが求められていたのだと思います。

 

その宿題は、東日本大震災へ持ち越され、そして少子化、人口減少が急速に進む中で、現在進行形で今でも続いています。

 

日本人は決められたレールを真面目に懸命に取り組むのは得意ですが、これからは新しい発想や価値を生み出すことにもっと重きをおくことができます。

 

それから、南スーダンなどにいた体験から感じたのは、それぞれの方の個人レベルでの「傷ついた体験」は23年経ってもまだ癒されていない面が大きいのではないか?ということでした。

 

南スーダンにしろ、いわゆる「トラウマ」の影響というのは、時間が経てば自然に解消するものではありません。

 

そうした影響は「世代間トラウマ」と呼ばれ、数十年、大きな戦争になると100年(4世代〜5世代)単位で影響があるとも言われています。

 

神戸生まれ・神戸育ちで、自らも被災して、避難所暮らしを送ったという友人に区役所や公園を案内してもらいましたが、被災して住宅をなくして以来、大阪や東京へ引っ越して「神戸はこわい」とそれ以来ほとんど戻ってきていない人も実はけっこういるということでした。

 

東日本大震災のときに始めて、「ああ自分は当時の影響がまだ残っているかもしれない」と気づく人も多かったそうです。

 

東日本大震災でこそ、心のケアや傾聴ボランティアがより一般的に認知されましたが、1995年当時はPTSDやトラウマケアという言葉もほとんど知られていませんでした。

 

また、ベトナム戦争やアフガンとイラク帰還兵がごく身近に存在して、PTSDが一般的な社会問題として認識されているアメリカと違い(逆になんでもPTSDというレッテルを張り過ぎる傾向もありますが)、また、日本人の気質からそうしたことを話したり、認めることは「恥」であるという感覚はまだ強いように感じます。

 

ただ、最近では、トラウマケアは「心の傷」というよりは、全身体的な課題であって、PTG (post-traumatic growth=トラウマ後の成長)という概念があるように、新しい自分に生まる「再統合」の機会としても認識されています。

 

実践的には、脳科学の研究と合わせ、身体の気の流れを促すといったアプローチが進んでいます。

 

身体に溜まった緊張やトラウマのエネルギーを解放させましょう、という身体的なアプローチの効果が知られてきています。

 

人間は危機を体験すると、本能的に「闘争/逃走反応」 (fight or flight)として知られる「戦う」、または「逃げる」行動をとります。

 

戦うことも逃げることもできなかった時には、身体は文字通り身体はフリーズし、竜巻のようなエネルギーが外へ解放されず身体の中に溜まることになります。

 

そのエネルギーが数週間のうちに解放されるか統合されないと、いわゆる「トラウマ」の状態を引き起こすことになります。

 

危険を察知し身体全体に信号を送る「扁桃体」は、まだ「非常事態」が続いていると認識するため、「交感神経」が 優位になり、副交感神経系が機能できません。

 

結果、常に身体に緊張や凝りがあったり、眠りが浅い、リラックスできなかったり、不安や怖れが深い部分で残っていたりします。

 

鹿などの小動物がライオンやチーターなどの肉食動物に追われてうまく逃げられた時、 追われた動物は、「ぶるっぶるっ」と体を震わせて生体に留まっていたエネルギーや恐怖をふるい落とします。

 

動物ぶるぶる②

 

人間の場合、動物のようにエネルギーの解放ができるわけではないので、人間は身体に残っているトラウマのエネルギーを意識的に解放する必要があります。

 

従来のトラウマケアの中心手法であった認知療法を経て、身体のエネルギーを解放するアプローチが効果的であることが実証されてきています。

 

「ハートメタ」と呼ばれる、身体にも心にも優しくかつ効果的なメソッドを紹介しています。

 

身体をブルブルするわけではないのでご安心を。

 

南スーダン勤務による二次受傷(PTSD)からの回復した自身の体験を基に、丁寧に向き合います。

 

どうぞお気軽にご連絡ください。

 

info@peaceblossom.net

 

 

身体はトラウマを記憶する

ヨガや演劇など身体志向のさまざまな効果を紹介する全米ベストセラー

⬆️身体面からのアプローチをもっと知りたい人はこちらをどうぞ

 

 

LIFEシフト時代こそ生きる知恵をおばあに聞こう!ー92歳で海外公演をする離島で聞いた「人生100年時代の楽しみ方」

東京から2000km離れた、沖縄県八重山地方の離島、小浜島。

 

エメラルドグリーンの海に囲まれたこの小さな島には、一面サトウキビ畑が広がります。信号は一つもなく、道ばたでのんびりと歩いているヤギに遭遇することも珍しくありません。

 

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⬆️沖縄の原風景が残る小浜島

 

近年、この島を有名にしたのは、平均年齢84歳のアイドルグループ「KBG84」です。

 

小浜【K】ばあちゃん【B】合唱団【G】の頭文字と、メンバーの平均年齢が84歳であることから命名されました。

 

80歳にならないとグループに入ることができず、入団式ではウェディングドレスを着て、恋バナを披露するのが慣例になっています。

 

彼女たちはすでにメジャーデビューをしていて、オリジナルソングも出しています。

 

「天国に一番近いアイドル」というキャッチコピーを掲げて活動するうちに、「元気なおばあちゃんたち!」とインターネット上で評判になり、「徹子の部屋」をはじめさまざまなテレビ番組でも取り上げられました。

 

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英「BBC」で取り上げられたことから海外でも注目されるようになり、高齢化に悩むシンガポールから「元気の秘訣を教えて欲しい」と招待を受け、2016年末についに初の海外公演を果たしました。

 

「センター」を務める92歳の仲目トミさんが、事前に英語の勉強に励む様子はNHKでドキュメンタリーとして放送され、話題を集めました。

 

2017年にはアルゼンチンのドキュメンタリー映画制作チームが、彼女たちを撮影するために来島しました。

 

離島で聞いた「人生100年時代の楽しみ方」

 

2016年以来話題の『ライフ・シフト 100年時代の人生戦略』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著、東洋経済新報社)を読まれた方も多いかも知れません。

 

この本には、人間が100年生きるこれからの時代、人生を「学校」「会社」「引退」という3つのステージで捉える前提自体が変わり、働き方や価値観がますます多様化すると書かれています。

 

今後はこの3つのほか、自分の体験や分野を広げていく時期や、自分で仕事を生み出していくステージなどが加わり、いくつものステージが同時平行で進む「人生のマルチステージ化」が進み、100年ライフをよりよく生きるためにも「無形資産」が一つの鍵になると言われています。

 

無形資産はモーチベーションや人間関係、健康、好奇心や探求心、新しいことを学べる「オープンさ」などを指します。

 

著者の一人であるグラットンも、人生を支える「資源」をより広い観点から捉え直すことが大切だと説いています。

 

この本を読んでいるとき、小浜島のおばあたちのことが頭に浮かびました。

 

彼女たちこそ、「無形の資源」を積み上げながら、人生のライフ・シフトを楽しんでいると感じたからです。

 

なぜ信号が一つもない小さな離島のおばあたちが、海外公演までする「アイドルグループ」になったのか?

 

──そんな素朴な疑問にお答えしながら、彼女たちの持つ知恵をもとに、ライフ・シフト時代を生きるためのヒントをご紹介したいと思います。

引きこもり防止の食事会から「アイドルグループ」が誕生!

 

小浜島の人口は、およそ600人。

 

最寄りの石垣島から、約30分高速船に乗ります。ちなみに、東京─石垣島間は1950kmで、東京─上海間よりも距離があり、羽田発の国内線のなかでは最長距離路線だそうです。

 

小浜島は起伏のある地形なので、どこにいても海が見えます。島の周りにはサンゴ礁が広がっているので、エメラルドグリーンに光る海は本当に綺麗です。

 

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⬆️透明な海が一面に広がります。この写真は何の加工もしてません!

 

島の主な産業は、さとうきびなどの農業と畜産業。島の中心部には、小さな商店が1軒と民宿が数件あるだけで、沖縄の原風景を残すのどかな集落があります。

 

さて、小浜島のおばあたちの一日は、「ある日課」で始まります。

 

慶田盛英子さん(88)は、まず先祖に向かって手を合わせ、自分の子供たちとその家族、孫9人、ひ孫13人の1日の無事と健康、幸せを祈ります。

 

そして、お隣りの家へ歩いて行き、「おーい、あんた生きてるか? 一緒に東京に(合唱団の公演に)行くんだよー。まだ死んだらダメだよー」と声をかけるのだそうです。東京公演は、おばあたちの新たな目標なのです。

 

80歳を超えたおばあたちが公演することになったもともとのきっかけは、一人暮らしになったおばあたちの引きこもりを防ぐために始められた月一回の食事会でした。

 

気づいたら、島のおばあたちのほとんどは夫に先立たれて一人暮らしになり、歳も80を超え始めていました。

 

みんなに集ろうと声をかけた花城キミさんも当時すでに80歳を超えていました(現92)。そこで「残りの人生楽しく過ごすため、何かみんなで元気になれる方法はないかねえ」という話になりました。

 

そこで、キミさんが「初恋話」を始めたところ、これがものすごく盛り上がりました。

 

おばあたちの時代は戦争のせいで恋愛や結婚に心をときめかせている余裕はなかったので、「死ぬ前にウェディングドレスを着てみたい!」という声があがり、せっかくだからお化粧も華やかに着飾ってみんなで写真撮影をすることになりました。

 

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⬆️80代のおばあには見えないほど綺麗です!

 

これを機に「小浜島ばあちゃん合唱団」が結成され、新人メンバーの入団式にはウェディングドレスを着て、恋バナを披露するのが恒例になりました。

 

すると島内にあるリゾート施設のイベントに呼ばれようになり、初めてお客さんの前で合唱を披露したら「おばあたちの歌声を聞くと元気になる!」と大好評。毎年ステージに立つようになりました。

 

それ以来、島在住のシンガーソングライターつちだきくおさんが、月一回の練習をサポートしてくれることになりました。

 

彼が半分冗談で、「東京でおばあたちが歌って踊ったらうけるだろうね」と言うと、おばあたちから「じゃあ連れてって!」という声があがり、その場で東京行きが決定しました。

 

⬆️公演のため小浜港から船で旅立つ前に「うーとーと」(祈りの意味)するおばあたち

 

「死ぬ前に山手線に乗れる!」と、それはそれは賑やかな旅だったそうです。

 

東京では品川プリンスホテルで歌を披露し、テレビ番組にも出演しました。

 

ちなみにつちださんは、おばあたちのウェディングドレスの相手役を10年近く務めており、数年前におばあたちから賞状を受け取ったそうです。そこにはこんな一言が書かれていました。

 

「あなたは私たちのよき息子であり、よき彼氏です。」

 

ユーモアも忘れないそんなおばあたちの元気で明るい笑顔には、沖縄の太陽にも負けない「芯の強さ」と「知恵」があります。

 

不便な離島こそ「果報の島」

 

小浜島に簡易水道ができたのは1963年。それまでは天秤棒をかついで、井戸から水を汲んでいました。水道の蛇口から水が出るようになったのは、西表島からの海底水道が完成した1977年のこと。

 

電気が通じるまでは石油ランプでの生活で、テレビは長い間NHKのみ。民放放送が始まったのは、1993年でした。

 

⬆️ さとうきび畑が広がる

 

戦後の食料難に、離島ならではの不便さが加わり、台風が来たら5日間の停電は当たり前という厳しい生活。たくさんの苦労を経験したことは想像に難くありません。。。

 

それでも、おばあたちは、私に何度も何度も小浜島は「カフー(果報)の島=恵まれた島」だと何度も言うのです。

 

「平たくて水源が限られた他の島と違ってね、小浜島はとても水に恵まれている。島にはたくさんの湧水があるおかげで米や麦、サトウキビや野菜、なんでも作ることができた」

 

小浜島は、石垣島と西表島の間に位置するため、外洋の荒波から守られ穏やかな海岸に囲まれています。集落から歩ける距離にある海辺に出れば、アーサー(海藻の一種で沖縄では天ぷらにされる)やしじみを採ることができます。

 

さらに小浜大豆と呼ばれる島原産の大豆を使って、おばあたちは味噌も醤油も一から作ってきました。着るものも、学校の制服以外はほとんど自分たちで縫ったそうです。

 

小浜島のおばあたちが「着るものを自分で作る」と言うのは、綿花を育てて収穫し、糸を紡いで染色して、機織りし、着物に仕立てるということを指します。

 

綿だけでなく、苧麻(ちょま)や芭蕉という植物からも糸を紡いだり、琉球藍から自分の好みの色を出すなど、作り出す布地の種類も豊富。

 

しかも、おばあたちはこの全行程を誰もが一人でできるそうです! 元気な頃は家族全員分の着物を用意していたそうです。

 

「買ったものを着ると暑い。やっぱり麻がいい」と、藍染の名人でもある慶田盛英子さんは、自分で仕立てたというお気に入りの麻の藍染の写真を見せてくれました。

 

こうした作業は、日常生活に根付いた「祈り」でもあった、と言います。

 

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小浜島は沖縄のなかでも「芸能の島」として知られ、五穀豊穣に感謝する祭など年に4回ほど大きな祭事があります。その際のお供えものを用意すること、そして、神さまを島にお迎えする儀式を執りおこなうことは島の女性の重要な役割でした。

 

「神さまに、スーパーで買ってきた米や小麦粉で作った餅をお供えすることはできません。だから手作りします。砂糖はサトウキビから作り、塩は海水を汲んできて釜で塩炊きします。赤味噌、白味噌、酢も作りました。なければ作るのが当たり前でした。」

 

「お供えをするためにはいつ種をまき、いつ収穫したらいいのかがわかります。」

 

そう話すのは、合唱団最年長の山城ハルさん(99)です。

 

島の人たちの生活は祭事を中心に周っているとも言えます。

 

島の人は薬草の知識も豊富。熱冷ましのために使うもの、あせもを抑える薬草など、島に自生するものでほとんどの病気を治してきたというハルさん。

 

彼女が生まれて初めて健康保険証を作って病院に行ったのは、なんと97歳のときでした!

 

⬆️カジマヤー(97歳のときにおこなわれる長寿のお祝い)の祝福を受ける山城ハルさん。子供6人、孫18人、ひ孫31人、玄孫5人に恵まれた。お祝い当日は石垣島、沖縄本島、東京などから大勢の家族・親戚がお祝いに駆けつけた。PHOTO: KIKUO TSUCHIDA

 

変化があるときほど、「変わらないもの」を意識する

 

島の人にとって「生きる」ということは、「何もない」環境で必要なものを育てつくること。それがけっして当たり前じゃないことを知っているからこそ、島の祭事では人々の表情が変わります。

 

島民全員が島の女性が紡ぎ織った正装を着用し、(島の祭事には伝統衣装を着なくては参加することができません)、男性は笛を吹いて太鼓をたたき、三線の調べに合わせて歌い、踊ります。女性も一緒に歌い踊り、自然界への感謝を伝えます。

 

世界の儀礼や祭事を突き詰めていくと、人間が生きていくための知恵を伝えていくための社会の仕組みだという共通点があると、ある人類学者が言っていたことを思い出しました。

 

台風が来たらすべてが寸断される環境において、小浜島のこうした祭事は、一人ではけっして生きられない島で生まれ受け継がれてきた知恵を、おじいやおばあが全身で後世に伝えていく神聖な空間なのでしょう。

 

そうした祭事は、「人にはそれぞれの役割があって、誰もがお互いを必要とするもの」という精神を伝え、後世に受け継がれているように感じました。

 

97歳の長寿を祝う「カジマヤー」というお祝いでは、小浜島の小学校の全校生徒が竹笛をふき、孫やひ孫はもちろん、島全体でおばあたちを祝福しました。

 

小浜島おばあ④

 

小学校の授業で竹笛をはじめて取り入れた花城正美さん(元小浜小学校校長)はこう話してくれました。

 

「子供たちに、ただ『やりなさい』と言ってもやらない。でも、おばあの喜ぶ顔を見たいと、みんながんばって竹笛を練習しました。おかげで全員が笛を吹けるようになりました」

 

小浜島は、藍染めと織物でも有名です。ただ、小浜島の織物は、島の祭事で着るための正装として織られてきたため、商用として島外に出ることもなく、世に知られることもありませんでした。

 

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⬆️結願祭と言われる島での重要な行事(国の無形文化財に指定)

 

それでも、おばあたちは糸を紡ぎ、孫やひ孫一人ひとりの幸せと健康を祈って着物を織り続けてきました。

 

どこで知ったのか全国各地から「藍染や織物、祭事について聞かせてください」と、けっこうな数の来訪者があるそうです。

 

経験豊富なおばあたちの話は、「聞いておくべきことがある」と感じさせるもので、私自身も取材中に知りたいことが尽きませんでした。

 

ただ、いくら地域の繋がりが強い沖縄といっても、こうした繋がりが自動的に生まれるわけでもありません。

 

この小浜島も、かつては「保守」か「革新」かと政治をめぐって二分されたことがありました。そのせいで、島の主要作物であるさとうきびの収穫の際にはお互いに手伝うのが慣例だったのに、それが中断された時期もありました。

 

「そういうこともあったね。80過ぎると楽しく生きたいと思う。いまはみんなで笑ってるさあ」

 

小浜島のおばあの笑顔は、人生の涙も苦労も乗り越えた後の人生の勲章なのでしょう。

 

島のおばあたちは「私が生きている間に(藍染や織物)を学びなさい」と伝えています。

 

人生で何が一番大切なのかを学びなさい──私にはそんな風に聞こえました。

 

先述の『ライフ・シフト』には、「人生の移行や変わることがあるからこそ、何が変わらないのかを知ることが重要になる」とあります。

 

当たり前ながら、人の価値は物やお金だけでは図れない。

 

生産や消費とまったく関係ない次元に、存在する価値というものがある。

 

「ない」ように見えるときでも、常に「果報(恵み)」は存在する──。

 

おばあたちの存在と知恵は、私たちにライフ・シフト時代を生き抜くために必要なものを教えてくれます。

 

2016年12月、おばあたちは海を渡り、6,000人もの聴衆を前に堂々とシンガポールの晴れ舞台に立ちました。

 

おばあたちの中にはこれが初めての海外渡航になった人もいましたが、毎年祭事を執り行い、人前で歌い踊る経験を80年近くも積んできた経験がここで大いに役に立つことになったのでした。

 

「たくさんの人に元気を届けたい!」とステージに立つその姿は、まさに「自分の役割を果たす」小浜島の精神そのものでした。

 

自ら紡ぎ、染め、織った着物を身にまとって。

クーリエジャポン 2017年9月15日掲載  大仲千華

 

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新しい時代をほんとうの自分で生きるガイドブック「EMPATHY IMPACT」運営中。

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運営者プロフィール

 

国連ニューヨーク本部、東ティモール、南スーダン等で現地国政府の人材育成や元兵士の社会復帰支援に約10年従事に従事。国連の平和支援の最前線である南スーダンで80人強の多国籍チームのリーダーを務める。リーダーシップや仲裁について研鑽を積む。

 

米海軍大学院付けの専門家として、世界的な研修プログラムにおいて唯一の日本人女性として講師を務める。

 

燃え尽き症候群と二次受傷(PTSD)になり、心理学やカウンセリングを学び始め、回復・再統合する過程で直観能力とヒーリング能力が飛躍的に開花。

 

自由に活き活きと生きる人を増やしたい、応援したい、世界の課題にチャレンジする人たちをサポートしたいと思い、コーチングとカウンセリングを始める。

 

人生で尊敬する人は、沖縄小浜島のおばあたち。(*^-^)ニコ

 

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2018年はどんな年なのか? 2017年は新しいサイクルの始まり。2018年は🙆🙆🙆の年。

2018年はどんな年なのでしょうか?

 

2017年は、新しいサイクルの始まりの年で、土台作りの年でした。

 

2017年は、2+0+1+7=10=1+0=1という、「1」というはじまりの数字に象徴されるスタートの一年でした。

 

新しい時代を

 

自分が自分に正直に生きることができるように、

自分で自分の望みを大切にしていなかった部分や

 

自分の人生を人任せにしてきたところ、

 

自分じゃ無理、自分じゃできないから、という気持ちで誰かに頼って、自分を優先していなかった部分などが明らかにされました。

 

自分にとって大切なものは何か、自分はどんな生き方をしたいのか?という自分の発想や理想を広げ、ほんとうに大切なものにたち戻させてくれるエネルギーがありました。

 

自分にとって理想のライフスタイルとはどんなものか?という自分の価値や優先順位を明確にしてくれる流れがありました。

 

「働き方改革」と呼ばれ、私たちが気づきを促されていたものの本質は「生き方改革」でした。

 

私自身、5年ほど住んできたところで駅前の再開発がはじまって、引っ越しをすることになりました。

 

リビングを何色のカーテンにしたいのか?というところから始まり、自分はどんなところに住みたいのか?どんなライフスタイルを送りたいのか?、と石垣島多拠点生活も視野に入れながら、一から自分の理想のライフスタイルを改めて考える機会になりました。

 

「理想のライフスタイル」といってもフワフワしたものではなく、

 

自分が導かれていることに対して「覚悟」が求められる機会だった、という方が真実に近いですが、引っ越しが「断捨離」とはほんとうのことで、引っ越しも落ち着き、多摩川沿いの澄んだ空気に引っ越しの恩恵を感じながら、12月からは気分すっきり新たな気分でいました。

 

さて、2018年は、具現化の年です。

 

占星術や星回りで言われているように、2018年は、2017年に築いた土台に建物を建てていく建設、実現、クリエーションの年です。

http://foreverconscious.com/astrology-forecast-2018

 

具現化といってもこれまでの延長ではなく、自分にとって大切なものを創造、築いていくというニュアンスです。

 

これまでの流れの中で、自分の中で明らかになったことを、着実に実行にうつしていく年です。

 

着実に

着実に

着実に

実行していく年です。

 

私自身、年明けの満月と共に去年とエネルギーの違いをヒシヒシを感じていました。

 

2018年もペースの早い年になるでしょう。

だからこそ、自分の中で優先順位をはっきりと持つことが求められます。

2018年は思いたったら早めのアクションがいいでしょう。

 

同時に、2018年は、日々のタスクを確実にこなしていく「着実性」が大切です。

 

しっかりとした2018年の目標(自分のフォーカス)を持ち、それを4半期の目標に落とし込み、月の目標と週の計画をたて、日々の優先順位を明確に、日々のタスクを確実にこなしていくことです。

 

目標やタスクと言っても、世間が言う成功のためでもなく、誰かに押し付けられるものでもなく、自分を無理やり駆り立てるものでもなく、自分が自分にとって大切なことを大切にできるために、優先順位を明確にして、しっかりと地に足をつけて動いていく、というイメージです。

 

もし、目標や計画、タスクと聞いて「重荷」のように感じる部分があるとしたら、まだ他人の価値観を優先させている部分があるでしょう。

 

自分にとって大切なことに正直になって、自分が自分の幸せを最優先にすると決めましょう。

 

そして、 2018年の特徴でもう一つ大切なことは、「何をやるか」よりも「なんのためにやるか」(目的、動機と意図)が大事なことです。

 

これまでの時代では、一見やっていることは同じに見えて、なんとかごまかせたことでも、これからの時代では「目的・動機の差」が大きな差となって表われてくるように思います。

 

年末の大手企業の不祥事(データ改ざん等)は、そのようなメンタリティー・体質の限界を示してくれたと思います。

 

そして、組織の理念やトップの意識レベルが一人一人の仕事の充実度にもますます直接的に関係してくるでしょう。

 

2018年も密度の濃い年になるでしょう。

 

周りに流されないで、充実した年にするためには、自分の目標(自分のフォーカス)をしっかりと持つことが大切です。

 

もしまだでしたら、2018年の目標を文字にして手帳に写し、月や週の実行プランや優先順位を日々書き出していくことをお勧めします。

 

2018年、自分の目的をしっかりと据えて一歩一歩着実に進んでいきましょう。

 

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