私たちは今変化の時代を生きている、というニューヨークタイムズの記事を紹介しました。
「 繰り返しを必要とする仕事は、もはや機械に任せておけばいいと言う時代が始まっている。『新しい時代』が必要としているのはこれまでとは違う能力を持つ人間だ」という記事です。
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ではそのような時代を生きる私たちは何を基準にして仕事を選べばいいのでしょうか?
それを説明するために、今日は逆に「何を基準にしてはいけないか」、という観点からお伝えしたいと思います。
それは、「コンプレックスを克服すること」を基準にすることです
日本人は世界の中でも弱みを克服しようとする傾向が強いと言われています。
その理由の一つとして、例えばセンター試験が課す試験項目が象徴しているように幅広い科目の習得が求められること、また出来ている部分よりも出来ていない部分に目を向ける性質も関係していると思います。
イギリスの大学を卒業し、外資系のホテルで働く30代後半の女性の方の転職相談にのったことがあります。日本で当時進出し始めたばかりの外資系の5つ星ホテルでのリサーチにも関わったことのあるとても優秀な方なのですが、転職エージェントの方に「業界としてはPCスキルが低いと見なされる」と言われたことをとても気にされていました。
たくさんの強みを持っている方でしたが、それは本人にとっては当たり前になってしまって気付かず、逆の面で指摘された点ばかりが気になってしまったのです。
それでPCスキルを改善できる業界へ転職しようかと考えている、と言うのですが、私は「弱みを補う努力ももちろん必要ですが、それ自体はがんばっても平均値のちょっと上になる位で、それ自体が今後大きな武器になるとは考えられません」とお伝えしました。
「そしてこの場合の本当の問題はおそらく、PCスキルというよりは、自分の中のコンプレックスや自分の中の『弱み』というものとの付き合い方の問題であって、弱みというものに対する誤解だと思います」と、コンプレックスを克服することを基準をした選び方はおすすめしない、という私の考えをお伝えしました。
弱みというものはなくなりません。なぜなら「弱み」の存在意義があるからです。
もし自分がなんでもかんでも出来る人だったら、全ての分野で自分が「勝っていたら」逆に自分の「強み」が分からなくなってしまいます。
ある分野で「ああこの人たちにはかなわないな」、「自分はこれはあまり得意じゃないな」と思ったら、それはいいサインでもあります。なぜなら、それは、自分の「強み」を真剣に模索し認める時ですよ、というサインとも言えるからです。
そして、日本人は、
「普通がいい」幻想、
「普通じゃないといけない幻想」に囚われていると思います。
「普通」はそもそも存在しません。
「普通」とは幻想です。
人間誰もがコンプレックスをもっています。
(一見なんでもできて悩みのなさそうな人もです)
誰もが強みも弱みも持っています。
両方合わせて存在意義があるからです。
もちろん弱みを補う努力も必要でしょう。
でも、これからの機械化の時代では、機械ができることは機械が替わりにやってくれるのですから、コンプレックスを克服するよいう消去法的な選び方では自分の能力を発見することも、伸ばすこともできないので、自分の強みや秀でている点を伸ばすアプローチがより求められていくでしょう。
私自身、高校時代には好きな科目と嫌いな科目の差が大きいことにコンプレックスを持っていましたが、中学校から作文は比較的得意な方でした。
私は、大学卒業後にドイツで働いた後、イギリスのオックスフォード大学大学院へ進学し、授業料と生活費、渡航費を含む全額奨学金を授与され修士課程を終えましたが、その審査のための主な判断材料となったのは志望動機のエッセイと英語の小論文、そして面接でした。イギリスの大学院進学には筆記試験がありませんから、まさに自分の強みを活かす選択だったと思います。
上手くいってないことにはすぐに目がいくけれども、上手くいっているところは「当たり前」だと思っていてなかなか気づきません。
普段何気なくやっていること、上手くいっているところ、自分の情熱や強み、秀でているところに対してもっと目を向けていいのです (*^-^)ニコ
普通であるよりも、何か一つでいいので「これはあの人に任せよう」「これはやりたい!」「これは好き!」を持っている人になりましょう。
それがすぐに仕事上のスキルにならなくても、人生100年時代にきっとあなたを長く導いてくれるでしょう!