「国連勤務」と「コーチング」「子育て」の共通点とは⁉️①ほんとうに強い人は自分の弱みを知っている人

山梨県の道志川に夏休みの旅行に行ってきました。

 

富士の北東に位置する「清流道志川」の水は、船乗り達に「赤道を越えても腐らない水」と言われて重宝されたそうで、山から流れてくる水はひんやりと涼を運んでくれるだけでなく、川に足をつけているだけで、豊かに注がれる川の流れに「清めらた」ように感じました。

 

さて、この夏休みに、姪っ子の自由研究の「ガイド役」の役割を与えられたわたしは、「せっかくの夏休みはのびのびと過ごしてほしい」という思いと「夏休みが残り数日のうちに自由研究を自主的にやって終わらせてほしい」という思いにしばらく葛藤していました。

 

そして、子育てと国連の勤務には大きな共通点があると思いました。

 

いまどきの学校は宿題も多くて子どもも親もストレスが多いのでのびのび過ごして欲しいな、と思っていました。

 

自由研究は旅行を題材にしようと思っていたので、けっして忘れていたわけではないのですが、同時に旅行中にある程度、自分で自分の興味のあることをみつけて欲しいとも思っていました。

 

それで、プールで大はしゃぎの姪っ子の姿を見ながらどのタイミングで宿題のことを言い出せばいいのか迷っていました。

 

押し付けてしまうことで、勉強がつまらないものと思ってしまうことも避けたい。。。

 

自由研究の一番大事なところはテーマを「自分でみつける」ことだと思うから、そうして欲しい。。。

 

まあそれが「理想」なのですが、けっきょくどうなったかと言うと、つい口出ししてしまって、ああ言いすぎてしまったと思い、やり始めたと思ったら、また言いすぎてしまって自分の口を止める、という体験を繰り返しました。

 

「やりなさい」と言うのは簡単ですが、大人がそう言ったところで子どもその通りにやるわけでもありませんし、仮に一時的にやったとしても自主的にやってもらうのはまったく別の話しです。

 

そして、大人が持っている「武器」もふだん使っている「方法」もあまりに貧しく、すぐに尽きてしまうことを改めて思いました。

 

そして、これはたった数日の体験ですが、一人の人格を持った子どもを大人になるまで育てることがいかに大仕事であるかということを改めて思いました。

 

そして、子育てとは、「相手に主体的に動いてもらうこと」を学ぶチャレンジングな「一大プロジェクト」にもなりうると思いました。

 

「コーチング」を仕事とする前から、国連勤務のときに南スーダン軍の人たちと接する中で、「国連の肩書きだけで動いてくれるわけではない相手の協力を得るためにはどうすればいいのか」、ということを考え、試行錯誤せざるを得ないことがたくさんありましたが、子育てにかんする視点も合わせて、相手に自主的に動いてもらうためのヒントを探ってみたいと思います。

 

心理学者のトマス・ゴードン博士による「叱らなくても子どもに動いてもらえる方法」を教えている「親業」と呼ばれるプログラムがあります。

 

ゴードン博士がこのプログラムを始めたのは、叱っても罰を与えても上手くいかず、怒鳴ってしまって自己嫌悪になったという自分自身の体験があったからだでそうですが、ここで紹介されている原則は、コーチやカウンセラー、講師、国連職員やNGOの人たちなどが効果的に相手を援助するためにも当てはまることです。

 

まずゴードン博士が伝えているのは、大人が子どもに対してやってしまうこと、または援助者が被援助者にやりがちなことと、その副作用です。

 

それは力で相手を従わせようとすることです。

 

ここで言う『力』とは、大人が子どもに対して持つ「賞罰を与える力」のことを指します。

 

ゴードン博士は、相手の行動を変えようとして人が典型的にとる行動を挙げています。

 

ここでは、宿題ができずに困っている生徒への教師の対応を例にあげます。

 

以下引用です。

 

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1.命令、指示

「文句ばかり言ってないで、さっさとやってしまいなさい。」

 

2.脅迫、警告

「いい成績を取りたければ、今すぐやったほうがいいと思うよ。」

 

3.義務(すべき、当然のこと、など)

「宿題はやるのが当然だよ。」

 

4.提案、助言、忠告

「もっと上手に時間を使えるように計画を立てなさい。そうすれば、宿題は全部できるだろう。」

 

5、説教・説得

「いいかい。宿題を提出するまでもう三、四日しかないよ。よく覚えておくんだね。」

 

6.批判、非難

「お前はひどい怠け者だ。さもなければグズだ。」

 

7.悪口、侮辱、はずかしめる

「来年は中学生だというのに、これじゃあ、まるで小学四年生程度ね。」

 

8.断言、思い込み

「宿題をやらずにごまかすにはどうしたらいいのか、そればっかり考えているんじゃないのか?」

 

9.尋問 

「どれだけ時間をかければすむの?」

 

10.皮肉

「誰かさんは、人にこんなに何度も言わせてまるで何様のつもりなのか」

 

ちょっと胸が痛いですね。

 

ゴードン博士の調査では、講座に参加した親や教師の90%以上がこれらの対応をしていたといいます。相手の心は閉じてしまい、問題の解決から遠ざってします。

 

とくに、6~10は「あなたはちょっと変だ」、「わたしはあなたよりも上だ」というメッセージが隠されている、とゴードン博士は言います。

 

言い方はもっと丁寧ですが、南スーダンの国連PKO活動が、南スーダン軍の人たちに接していたときに、こちらが少しでも横柄な態度を隠しもっていたり、相手を変えようとしたときには、本能的にそうした力関係を嗅ぎ取る嗅覚が優れているのか、彼らはすぐにこちらの言うことを聞かなくなってしまったことを思い出します。

 

さて、こうした態度をされた相手は次のように反応し、感じます。

 

1.これ以上話してもムダだ、と黙りこむ。

 

2.防御的、反抗的になる。

 

3.強く主張する。反抗する。

 

4.憤慨する。腹を立てる。イライラが増す。

 

5.自分はダメだ、劣っていると感じる。

 

6.自分は間違っている、悪い、罪深いと感じる。

 

7.自分をあるがままに受容されていない、と感じる。

 

8.あなたが自分を変えようとしている、と感じる。

 

9.自分の問題解決の力を、あなたが信頼していないと感じる。

 

10.自分の問題をあなたがとりあげてしまったと感じる。

 

11.自分が理解されていないと感じる。

 

12.自分の感情には正当な理由がない、と思わされる。

 

13.中断された、切り離されたと感じる。

 

14.誤解され、抑圧されたと感じる。

 

15.証言台に立たされて、反対尋問されていると感じる。

 

16.あなたは興味がなくて、問題から逃げたがっているのだ、と感じる。

 

17.子どものようにあやされている、と感じる。

 

トマス・ゴードン「親業」より引用終わり

=======

 

改めて読むとこちらも胸が痛いですね。

 

ただ、これはこんな風にしてしまいがちな自分を責めるためのものではありません。

 

立場が上にある人たちやアドバイスする立場にある人たち(親、教師、講師、コーチ、カウンセラー)により効果的な方法を伝えることが目的です。

 

実際にはこんな理論のようにうまくはいかないよ、と思う人も多いかも知れません。

 

そして、それもその通りで、親も先生もコーチやカウンセラーといった人たちも、たくさんの間違いをしたり、もっとこうすればよかったという体験を繰りかえして学んでいくのだと思います。

 

 

そして、大人側の視点で見ると、ほんとうはもっと優しくしたいし、「相手のいいところを伸ばしましょう」という本の理論も知っているのですが、つい言い過ぎてしまったり、イライラしてしまって、「自己嫌悪」を覚えてしまうことに悩んでいる人がほとんどだと思います。

 

大人といえどもまったく完璧ではないし、完璧からはほど遠いように感じることもしょっちゅうです。

 

大人の中にも子どもの部分がありますから、実際のところ、大人もサポートが必要です。

 

 

仕事ではなんとか「完璧」を装うことができても、子どもはコントロール不能なので、子どもを相手にすると自分の感情が刺激されて、いつもの行動のパターンがに振り回されることがもっと起きやすくなります。

 

自分がまったく完璧でないことや自分の弱みや心の中のコンプレックス浮き彫りになりやすくなります。

 

そんなときに、人はそれを恥ずかしいと思って、こんなんではいけないと思って、それを隠そうとしたりするのですが、そんな時に現れる「自分の弱さ」や「過去の影響」を知ってそれを宇宙に預けることができる、という

 

わたしたちに与えられている恩恵の機会であって、「効果的に援助する」、「人との関係を持つ」ためにも役に立つ、わたしたちをより根本的な解決方法に導いてくれるヒントではないかと思うのです。

 

(続く)

 

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国連や海外、外資系企業で働きたい人必見❗️自分の⭕️⭕️を知ること、日本人特有の謙遜の表現を言い直すこと

先日国際学会登壇エントリー用の英訳を頼まれたのですが、それが、見事に今度シンガポールで開催される国際学会でのプレゼンテーションの一つに選ばれたという嬉しい報告をいただきました。

 

ご縁のある先生から頼まれて引き受けた件だったのすが、同じ大学の他の先生のエントリーは通らなかったのにもかかわらず、わたしが英訳したものは通ったそうです。それがこの2年半ほどで数回続いています。

 

ちょっと振り返ってみると、そのコツは、英語力でも翻訳力でもなく、論点を明確にするということ、そして「日本人的な謙遜」を超えて健全な意味で自分の仕事や研究の価値を認識し、さらに言うと、自分の「差異性」を認識するということ、だと思います。

 

これは国連に応募する人(p.11の書く人)、海外で仕事をしたい人にもすごく関係することなので、どういうことなのか、ちょっと記事に書いてみたいと思いました。

 

わたしは約10年国際機関というあまり日本人のいない環境で英語で仕事をしてきたのでテーマによっては英語で話す方が楽なのですが、翻訳に関してはとくに訓練を受けたことはありません。

 

でも、イギリスの大学院で鍛えられてすごく意識することは、とくに学会発表用の要約の場合、この論文はいったい何を言いたいのか?という論点を冒頭で端的に明確にする、ということです。

 

自動的に訳を当てはめるのではなく、発表者の方が一番言いたいことと論拠や全体の結論を理解した上で英語脳的な思考回路で全体の構成を組み立て、最適な訳を当てはめるていくことをやっていきます。

 

洗練された英文表現を考えるのは三番目くらいの優先順位で、論点をはっきりさせること、次に構成(ロジカルに結論まで展開されているか)の方が断然に大事だと思います。

 

英語では、この研究はなんで重要なのか?この研究からどんな結論が導かれるのか?が非常に重要になるからです。

 

シカゴ大学を卒業した大学時代の社会学のアメリカ人の先生はなんども「So What」? と言ってこの点を強調していました。

 

これは、英語で仕事をする人、英語でプレゼンをする人、英語で書く人にも共通する点なので、「英語脳的仕事術」もぜひ読んでいただきたいと思います。

 

関連記事⇨国連ニューヨーク本部で学んだ「英語脳的仕事術/

 

そして、次に重要なのは、日本人特有の謙遜の表現を、言い直すことです。

 

日本の方が書かれるものは、結論もタイトルも全体的に控えめなものが多いように感じます。

 

日本の社会では「わたしすごいでしょ」的な表現方法は好まれないので、ちょっと控えめな表現になるのだと思いますが、

 

ただ、あまりに控えめすぎると、英語という言語ははっきりとした結論を求める構造を持つ言語なので、この論文はいったい何を言いたんだろう?となってしまいます。

 

そして、おそらく一番大事なことは、自分のやってきた仕事や、研究、作品や創作活動の価値を世界の文脈で捉え直して、その価値を相手にわかりやすいように表現しなおすことです。

 

2020東京オリンピック誘致コンサルタントだったニックバレリーが、東京はなぜ2016年立候補の時は都市の機能も予算も世界一だったのに落選したのか?という点で同じことを言っています。

 

僕たちは「謙遜が美徳だっていう『日本の文化』に直面したんだ。僕にしてみれば、世界の経済大国と言えばアメリカと日本。

 

それ自体大きな強みなのに2009年の第一回目の誘致プレゼン(2016年度)では、それを十分に伝えられなかった。日本で当たり前のことが世界では当たり前じゃないことを認識することは大切。

 

でも、これをプレゼンするのは日本の人たちだから、委員に伝えたい日本の魅力を本人たちに納得してもらうまでコミュニケーションを続けたんだ。」

 

これはオリンピック誘致に向けた世界の中で「トーキョー」がどう見えるのか、という点ですが、これは個人にもそのまま当てはまります。

 

あなたにとって当たり前だけど、世界から見たら当たり前じゃないことは何ですか?

 

世界の中の日本の強みを活かして、あなたの論文や経歴や仕事のどの部分を強調すればいいでしょうか?

 

一見違う業種だけれども仕事の本質の部分でその応募する業種との共通点はありますか?

 

例えば、国連や国際機関、外資系企業などに応募をするならば、

 

(1)相手が求めていることは何か?

 

(2)自分のやってきた仕事はそれにどう当てはまるのか?

 

(3)相手の視点からみた自分の資質や仕事、経歴の強み・競争力は何か?

 

(4)自分が一番のCandidateであることの説得力や経歴とポストとの一貫性をどう持たすことができるのか?

 

(5)それをどう表現すればいいのか?

 

という5点を改めて見直す必要があります。

 

国連に応募する方のp.11を何件か見せてもらったことがありますが、日本の文脈で自分がやってきたことの羅列に終わっているケースがほとんどです。

 

別の表現でいうと、

 

自分のやってきた仕事や、研究、作品や創作活動の価値を(一)世界の文脈で捉え直して、(二)その価値が説得力をもつように、(三)相手に伝わるように表現しなおすことがポイントいなると思います。

 

 

あなたにとって当たり前だけど、周りから見たら当たり前じゃないことは何ですか?

 

この質問を自分に問い続け自分が答えを出し続けることができたら、ほんとうの強さと自信を得ることができますね。

 

正攻法が実を結んでいくいい時代です。

 

P.11のアドバイス、

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なぜチコちゃんが流行るのか?「ボーッと生きてんじゃねえよ❗️」と叱ってもらいたい現代人の心理

チコちゃんが人気だそうです。

 

NHK番組「チコちゃんに叱られる」のキャラクターで、「ボーッと生きてんじゃねーよ!」とキレるあのチコちゃんです。

 

番組の視聴率も毎回上がっているそうです。

 

番組は日常の題材を取り上げてなんで?とクイズ方式で番組に登場する芸能人に聞きます。

 

「かんぱーいってするときにグラスをカチン、あれはなぜするの?」といった、「5才のチコちゃんが問いかける素朴な疑問」という設定ですが、

 

ほとんど考えたことのないようなものばかりで大抵は答えられず、チコちゃんに「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と叱られるのです。

 

お盆の帰省先でこの番組を見ながら、母は「チコちゃん嫌い」と一人つぶやいていましたが、わたしは単純にけっこう楽しんで番組をみました。

 

そして、このキャラがウケるのもわかるなと思いました。

 

私たちは、本能的に時代の変化や変化が当たり前の日々というのを直感的に感じています。

 

記録的大雨

観測史上初

前代未聞。。。

 

国際政治はもちろん、日々のお天気ニュースでもそんな形容詞がつくニュースが溢れています。

 

時代の変化とは一言で何かというと、

 

右肩上がりの経済を前提とした働き方や価値観がもはや今のわたしたちに当てはまるわけでもないのをわたしたちは感じているので、

 

「今までと同じではやっていけなさそう」「なにか自分も変化しないといけない」「親や世間の価値観を信じてこのまま生きていっていいんだろうか?」といった、自分にあった働き方や仕事やライフスタイルはなんだろう?という本能的な「内なる訴え」があるのだと思います。

 

とはいえ、人間というのは基本的には「変わりたくない」と思っている部分の方が強いので、惰性で日々はいとも早く過ぎていきます。

 

だからこそ、人はときに誰かにお尻をたたいて?欲しいのだと思います。

 

わたしのカウンセリングの先生はカナダ人で、世界学会でも講演し、世界各地にクライアントを持つ方ですが、彼女のセッションの通訳を務めていた時に何度か叱られたことがあります。

 

こんな風に言ったら日本人にはきつ過ぎるんじゃないか?ダイレクト過ぎるんじゃないか?と勝手に心配をして、表現をソフトにした時でした。

 

先生はそれを察知して、わたしを止めて「もう一度言葉をそのままに言い直してちょうだい」と言いました。

 

通訳をしながら、こんなことを言ってもいいんだろうか?と内心ヒヤヒヤしたことが数回あったのですが、私がその体験で学んだのは、

 

それで今の状況が変わったり、何か打開策や解決策があるのならば、もっとよい人生が開けそうだったりするのであれば、ほとんどの人は「はっきり言ってもらうことを望んでいる」ということでした。

 

一見ショックに聞こえることでも、私が立ち会ったセッションでは例外なく、最後はみなさんとてもすっきりした顔で帰られていきました。

 

逆に、日常の当たり障りのない距離感の関係であれば、人のことに踏み込むことも踏み込まれることも躊躇することも多いですし、はっきり言ってくれる人の方がまれだと思います。

 

もちろん、ただはっきり言えばいいというものではありませんが、チコちゃんと見ていると、人は今「「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と言ってもらうことを求めているんじゃないか?、と感じたりします。

 

それは、どこかで自分が変わるきっかけを求めていたり、一歩踏みさせないことがあったり、気になっていることがあるけどどうしたらいいのか分からないことが誰の中にもあるからだと思います。

 

仕事やキャリア、自分の目ざす方向性について「これからどうしたいのか?」と思っているのなら一人で悩んでいるよりも、プロのサポートを受けるのは一つの手です。

 

アメリカではコーチングを受ける人がごく身近にいました。

 

「これからどうしたいのか?」について整理するのをプロにサポートしてもらいたい方、どうぞお気軽にご相談ください。

 

コーチング⇨ https://chikaonaka.com/coaching/

 

⭕️今の仕事にギャップを感じている方

⭕️「私はこのままでいいのか?」と感じ始め、その先に進みたいと思っている方

⭕️  忙しい日々の中で、改めて自分の人生や仕事について見直したい方

⭕️ これまでの体験を整理し、「これからどうしたいのか?」について整理するのをプロにサポートしてもらいたい方

⭕️ 目的の達成のために、自信をもって前に進めるようにサポートして欲しい方

⭕️ 職場での対人関係、人間関係をより根本的に改善したい方

⭕️より効果的に人に関わり援助するスキルを身に付けたい人へ

⭕️部下を持ち、自分らしいリーダーシップスタイルを発見し、より相手を効果的にサポートできるスキルを身につけたい方

⭕️ もっと自由に自分を表現したいと思っている方

⭕️人生の転機にあると感じている方

 

プレゼンコーチングもしています。

 

あるグローバル企業でマネージャーを務める米国在住の日本人の方で、全世界の支社を集めたグローバル会議でプレゼンをするのに緊張してしまうという方がいらっしゃいましたが、コーチングで緊張の「原因」を扱った結果、緊張がずいぶん減って、グローバル会議を楽しむくらいになられて、そのプレゼンが社長にも好評でディレクター候補に昇進された方もいます。
英語脳的思考からのフィードバック、「ステージファイト」緊張を和らげることのサポートをすることができます。
わたしはプレゼンに苦手意識があって困っていましたが国連勤務でスピーチクラスを受けたり、「場数」を踏んで逆にプレゼンが得意になりました。
国連事務総長特別代表養成研修でパネリストを務めたときには、それが好評で米海軍大学院の専門家に推薦され、フィリピンやスリランカ、バングラデシュ軍で国連の平和維持活動について教える講師を務めました。

 

わたしの経歴を見ると人は勝手にいろんなことを想像したり判断するのだと思いますが、思ったよりもぜんぜん優しかったです、とよく言われます。笑

 

もし、「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と言ってもらいたい方がいましたら対応いたします。

 

大丈夫です。優しいバージョンにしましょうね(笑)

 

詳細はこちらより⇨ https://chikaonaka.com/coaching/

世界で一番完璧主義が強いのは日本人⁉️ ー国連で見た仕事を丁寧にすることと「完璧主義」は違うということ

日本人は世界的にも完璧主義の傾向が強いそうです。

 

わたしがそれは肌で感じたのは、国連ニューヨーク本部で行われる年に一回の国連総会で各国要人が集う様子を見ていた時でした。

 

各国の首相や大統領を総会に迎えますからその国の担当者としては大責任の大仕事だと思います。

 

その機会に合わせて会談やレセプションが行われたりすることもあります。

 

それが、ロジ(ロジスティック)計画が分刻みで事細かく計画されていて、全員がぜったいに間違ってはいけないというような緊張感に包まれている国もあれば、それで国連外交が成り立つんだ?!と言ってしまいたくなる位ゆるい感じで仕事が進められているように見えた国もありました。

 

いろんな国の当日の流れを記した計画表やロジブックを比較したことがあるわけではありませんが、日本国の仕事ぶりはあきらかに細かく(おそらく世界で一番こまかく?)、当日の流れを記した計画表は分または秒単位で作成されていると思われます。

 

日本人の仕事の丁寧さや細かさは国際機関でも重宝されますから、それはとても大事なことなのですが、仕事を丁寧にすることと「完璧主義」は別けていく必要があります。

 

「完璧主義」が仕事の進歩を邪魔してしまうからです。

 

わたしにとって完璧主義をこえていくための一つのいい訓練の機会となったのは突然通訳を務めることになったことでした。

 

直観医療に関する世界学会などでも講演する世界的なカウンセラーの方が日本で講座をすることになり、最初は一参加者として参加するはずだったのが、いろんなことがあって急遽通訳として呼ばれることになったのです。

 

わたしは約10年ほど英語で仕事をしてきたので、分野によっては英語で話す方が楽とはいえ、通訳をするというのはまったく別のスキルが必要です。

 

幸いわたしが通訳を務めた一番初めの講座の参加者は6名ほどで、知っている人がいてしかも彼女は何度も通訳をしている方だったので、初日はとくに彼女に何度も助けてもらいました。全体の意味はわかるのだけれどもとっさに言葉が出てこなことや、適切な言葉がすぐに浮かばないこともあって、次の日もやはり彼女に何度も助けてもらい、私は初の「デビュー戦」をなんとか終えることができました。

 

その後は計丸30日以上通訳を務めました。

 

なんでも一番初めが一番ドキドキしますし、緊張します。

 

わたしは完璧主義の傾向があって、必要以上にがんばろうとする面があるのでそれで疲れたこともありました。

 

でも、蓋をあけてみると、小さい間違いをしたとしても全体の意味は通じるし、小さい間違いをしないように気を使うよりも話者の意図を理解して全体の流れを切らせない方が大事だというのがわたしの体験でした。

 

正確さはもちろん大事ですし、業種やシチュエーションによってもその辺りの幅はまったく違うと思います。

 

ただ、私にとってなにより学びになったのは、「完璧にできなくても、間違っても死なない」し(笑)、人は助けてくれるし、「それでも自分は受け入れられる」という体験でした。

 

私たちは新しいことにチャレンジするのが「こわい」と思ったり、億劫になってしまいがちです。

 

それは「自分ができない」というシュチュエーションにおかれることが「こわい」のだと思います。

 

でも、最初からぜんぶ出来なくても、間違っても、周りの人が助けてくれたり、思ったよりもなんとかなりました。

 

もちろんずっと同じままではいけませんが、何か新しいことを習い始めるときや初心者のときには、自分は完璧じゃなくても、または、自分でがんばろうとするよりも、わたしは初心者なので教えてください、という姿勢の方が上手くいくのだと思います。

 

最近ある勉強会に参加し始めたので改めてこのことを感じています。

 

完璧主義は向上心ではなく「守りの姿勢」です。

 

「完璧主義」があなたの人生や仕事を邪魔させるのをやめさせましょう。

 

大丈夫。

間違っても死なないから(笑)

 

なにより、周りの人たちはあなたが思っている以上に優しいです。

 

そして、周りに人たちは、マスクを何重にかぶったあなたよりも「ありのままのあなたを見せて」と思っていたりします。

 

間違ってもぜんぜん完璧じゃないあなたでも大丈夫です。

 

そのままのあなたで愛されています。

「自分の中に答えはすでにある❗️」ー虹は変容・トランスフォメーション(transformation)のしるし

先日、都内のある有名な老舗のお米屋さんの方とおしゃべりすることがありました。

 

こちらのお米屋さんの扱うお米はとても美味しくて、引っ越した先でもわざわざ送ってもらう人も多いそうです。

 

地元でも評判のお米屋さんです。

先日、「どのお米がお勧めですか?」何気なく聞きました。

 

すると答えはこうでした。

 

「うちはね、まずお客さんに数種類のお米の値段帯のお米を試すことをお勧めしているんですよ。」

 

「これ」という銘柄(答え)はありませんでした。

 

でも、その人にとってベストな「お米」をみつけられる方法を教えてくれるのだと思います。

 

そうなんです。

 

この変化の時代の特徴の一つは、先生や専門家といった権威と呼ばれる人の言うことを一方的に聞くのではなく、

 

「自分の中の答え」をみつけることです。

 

「自分の中に答えはすでにある」と知ることです。

 

それを忘れてしまったり、いろんな事があってまったくそう思えない時には、それを邪魔しているものを取り除いたり、心の落ち着きを取り戻すサポートをして、そこに向かっていくお手伝いをセッションでしています。

 

セッションの後に、「自分の中に答えはすでにある」という言葉がずっと残っていて、そういえばあの時こんなことを思っていた、といった自分の中の情熱を思い出した、という方もいらっしゃいました。

 

「自分の中の答え」は直観と呼ばれたり、

「内なる声」「内なる智慧」と呼ばれたりしてきました。

 

それが意味するのは、自分の中にはこっちだよーと教えてくれるコンパス(内なる智慧)がそでに備わっている、ということです。

 

この数日神さまに応援される人になろう、

神さまの視点を理解すればもっと楽にうまくいく、といったことをお伝えしていますが、

 

神さまはどこか遠くにいて戒律や教典を押し付ける人のことを言うのはなく、

私たちと一緒にいて、やさしく見守り、内から語りかけ、導いてくれている存在のことを言っています。

 

わたしの内なる声は常に私たちと一緒にいて、見守り、応援してくれています。

 

つい最近、あるクライアントさんが旅行先で3重の虹を見たといって写真を見せてくれました。

 

セッションを受け始めて二回目くらいから、よくわからないけれども何かが変わりそうなこれから上向いていくような感じを感じたそうです。

 

その感覚を信じてみることにしました。

 

その彼女の意思表示を祝福して応援するように、彼女の目の前で虹が現れたのだと思いました。

 

虹は変容、トランスフォメーションの象徴です。

 

応援や祝福のしるしでもあります。

 

三重の虹というととても珍しく数年前にFACEBOOKで何万件もシェアされていたのを思い出しました。

 

昨日惜しくも甲子園の決勝戦で敗れた金足農業高校(カナノウ)の試合の後にも甲子園の上空には虹がでていたそうです。

 

祝福はすでに誰の上にも与えられています。

 

わたしたちはいつも見守られ、愛され、応援されています。

 

心を開いてうけとりましょう💛

 

4rainbow

 

quadruple rainbow

新しいことに取り組むのがこわい、完璧主義、失敗を避けようとする人へー「ちゃんとしなきゃ」よりももっともっと大切な質問

つい昨日のことです。

 

最近参加したある勉強会の第二回目の会がありました。

 

テキストがあって、宿題をしておくことになっていました。

 

それが私だけ別のところをやってきてしまっていて、身に付けたいことがあってわざわざ時間をとって来てるのに、ちょっと「恥ずかしいな」と思いました。

 

ちょっと心を落ち着けてみると、

 

そういえば講師の方が「次回だけ順番が変わりますのでご注意くださいね」と言っていたことを思いだして、

 

ちゃんと講師の方の話を聞いていなかったなあ、と思いました。

 

そして、何か新しいことを習い始めるために大切な「謙虚さ」が足りなかったなあ、と思いました。

 

ある程度なにかの仕事をマスターしたり、なにかに成功すると人は「こうすれば上手くいくという自分のやり方」を身に付けます。

 

人が仕事で経験を積み、学んでいくことで、体験することで得ていく仕事や人間についての洞察や理解といったものがあるのだと思います。

 

それはとても有難いことで、だからこそわたしは人さまの相談にのれるのですが、

 

ただ、そうした過去の成功体験が新しいことを学ぶときには邪魔になってしまうことがあるのですね。

 

自分自身に言うつもりで言っていますが、新しいことを学ぶときにはピュアでオープンな気持ち、そして謙虚さが大切です。

 

初めてのことをやるときには間違えることもあるし、最初からできるわけじゃないし、周りの人たちに教えてもらったり、助けてもらう必要もあります。

 

日本人は「失敗」を極端に避けようとすると言われます。

 

海外に12年いた経験から言ってもそれは肌レベルで感じます。

 

どうしてなんだろう?と少し思ってみると、

 

わたしたち(日本人)は、

 

自分にできないことがあること

人に教えてもらうこと

自分が一番でないこと

完璧にできないこと

「普通に」できないこと

自分の期待していたようにできなかったことも

 

「はずかしい」(恥)と感じて、

 

それまでも「失敗」とっても呼ぶ傾向が強いんじゃないかな?と思いました。

 

新しいことに取り組むのがこわい

自分の作品を発表するのがこわい

あたり障りのない意見を言おうとする

相手にほんとうの気持ちを伝えるのがこわい

完璧主義になる

失敗を極端に避けようとするのも同じメカニズムです。

 

でも最初からなんでもできるスーパーマンのような人はいませんし、完璧な人もいませんよね。

 

これを書きながら、高校生のときに会ったブラジル人留学生の友人がどんなことがあってもあまりにも、「あっけらかん」としていて、ちゃんとがんばる日本人のカルチャーしか知らなかった私は、かなりのカルチャーショックを受けたのを思い出しました。

 

そういえば、国連の採用面接で失敗について聞かれることにも最初はびっくりしたものです。

 

「あなたが失敗したことは何ですか?そこからあなたが学んだことは何ですか?」という質問でしたが、計画してもその通りにいくことなんで稀だし、人は間違いをするし、そのときにどうするかの方が大事ですよ、という意味だと理解しました。

 

わたしたちの多くは、「ちゃんとしないといけない」と育てられるのですが、その体験から何を学んだか?という「リフレクション」(振り返り)の視点はあまりないように思います。

 

大切なのは、間違いを避けることではなく、その体験から何を学んで、次はどうしたらいいのかな?という視点なんですね。

 

昨日は帰ってきてから、さっそくその日までに出来なかった宿題を終えて、次回の分の宿題も終えました。

 

「宿題」を出されたり、宿題をやるのも二十年?かぶりですが、ピュアな気持ちで楽しめそうな予感がしています (*^-^)ニコ

 

ps. 完璧主義や失敗をさけようとするメカニズムをわかりやすく説明している本自体あまりないのですが、この本はとても面白いです。

 

震災の時神戸に行って、紛争の南スーダンを経て、23年ぶりに神戸の街を歩いてみて感じたこと

神戸の街を歩きました。

 

神戸は仕事が目的でしたが、阪神淡路大震災から丸22年経って「日本の目覚め」はどうなったのか?

 

私たちは何を学んだのか?何が変わったのか?変わらなかったのか、を自分の目で見て感じたいと思ったからでした。

 

1995年は「ボランティア元年」と呼ばれました。

 

私も救援物資を集める活動に参加して、1日中鳴りやまない電話の受付けをしたり、神戸へ行って、集まった洗濯機や自転車を配布しました。

 

ボランティアスタッフの移動と物資の運搬のためにトヨタ自動車が無償で大型バスを提供してくれたり、運輸省(当時)の人も一緒に来てくれたりと、「何か今までとは違うことが起きている」という感覚がはっきりとありました。

 

1日中鳴り続ける電話をとり続けて、人の中には「自分も役に立ちたい」という気持ちがあるものなんだ、と感じたり、みんなが一つになることによる「人間の底力」も「より大きな力」も感じました。

 

神戸東遊園地①

 

神戸東遊園地②

⬆️三宮駅 神戸市役所すぐ側の慰霊が行われる東遊園公園。

 

「シンドラーのリスト」など、数々の名作を世に送り出したスティーブン・スピルバーグ監督が「なぜ戦争をテーマとした映画をつくるのでか?」と聞かれて、こう答えています。

 

「戦争は人間を極限におき、人間の選択を問うからだ」と。

 

大変な時こそ、人と社会の真価が問われるという面があるのですね。

 

神戸で読んだ新聞の震災後23年の特集にはこうありました。

 

「震災がなかったら起業なんて考えなかった。でも一生懸命に生きることが生き残った人の使命だから」

 

震災がきっかけで奮起された方が人知れずたくさんいらっしゃるのだと思いました。

 

神戸新聞.jpg

 

国や社会全体がどう変わって、変わっていないのかは、改めてもっと詳しく書きたいと思いますが、

 

「復興」という時、私たちは元と同じように戻ることといった漠然としたイメージを思い浮かべますが、これだけの震災・災害が起きた後で、当然ながら街が単に元どおりに戻るわけではありません。

 

戦後の経済復興を経て、大きいもの・ハコモノが幅をきかす、それまでの延長ではなく、21世紀に向けて日本はどんな社会をつくりたいのか?どんな価値を新たに生み出し、世界に発信していきたいのか?という私たちの「再生」と「持続可能な社会」のビジョンが求められていたのだと思います。

 

その宿題は、東日本大震災へ持ち越され、そして少子化、人口減少が急速に進む中で、現在進行形で今でも続いています。

 

日本人は決められたレールを真面目に懸命に取り組むのは得意ですが、これからは新しい発想や価値を生み出すことにもっと重きをおくことができます。

 

それから、南スーダンなどにいた体験から感じたのは、それぞれの方の個人レベルでの「傷ついた体験」は23年経ってもまだ癒されていない面が大きいのではないか?ということでした。

 

南スーダンにしろ、いわゆる「トラウマ」の影響というのは、時間が経てば自然に解消するものではありません。

 

そうした影響は「世代間トラウマ」と呼ばれ、数十年、大きな戦争になると100年(4世代〜5世代)単位で影響があるとも言われています。

 

神戸生まれ・神戸育ちで、自らも被災して、避難所暮らしを送ったという友人に区役所や公園を案内してもらいましたが、被災して住宅をなくして以来、大阪や東京へ引っ越して「神戸はこわい」とそれ以来ほとんど戻ってきていない人も実はけっこういるということでした。

 

東日本大震災のときに始めて、「ああ自分は当時の影響がまだ残っているかもしれない」と気づく人も多かったそうです。

 

東日本大震災でこそ、心のケアや傾聴ボランティアがより一般的に認知されましたが、1995年当時はPTSDやトラウマケアという言葉もほとんど知られていませんでした。

 

また、ベトナム戦争やアフガンとイラク帰還兵がごく身近に存在して、PTSDが一般的な社会問題として認識されているアメリカと違い(逆になんでもPTSDというレッテルを張り過ぎる傾向もありますが)、また、日本人の気質からそうしたことを話したり、認めることは「恥」であるという感覚はまだ強いように感じます。

 

ただ、最近では、トラウマケアは「心の傷」というよりは、全身体的な課題であって、PTG (post-traumatic growth=トラウマ後の成長)という概念があるように、新しい自分に生まる「再統合」の機会としても認識されています。

 

実践的には、脳科学の研究と合わせ、身体の気の流れを促すといったアプローチが進んでいます。

 

身体に溜まった緊張やトラウマのエネルギーを解放させましょう、という身体的なアプローチの効果が知られてきています。

 

人間は危機を体験すると、本能的に「闘争/逃走反応」 (fight or flight)として知られる「戦う」、または「逃げる」行動をとります。

 

戦うことも逃げることもできなかった時には、身体は文字通り身体はフリーズし、竜巻のようなエネルギーが外へ解放されず身体の中に溜まることになります。

 

そのエネルギーが数週間のうちに解放されるか統合されないと、いわゆる「トラウマ」の状態を引き起こすことになります。

 

危険を察知し身体全体に信号を送る「扁桃体」は、まだ「非常事態」が続いていると認識するため、「交感神経」が 優位になり、副交感神経系が機能できません。

 

結果、常に身体に緊張や凝りがあったり、眠りが浅い、リラックスできなかったり、不安や怖れが深い部分で残っていたりします。

 

鹿などの小動物がライオンやチーターなどの肉食動物に追われてうまく逃げられた時、 追われた動物は、「ぶるっぶるっ」と体を震わせて生体に留まっていたエネルギーや恐怖をふるい落とします。

 

動物ぶるぶる②

 

人間の場合、動物のようにエネルギーの解放ができるわけではないので、人間は身体に残っているトラウマのエネルギーを意識的に解放する必要があります。

 

従来のトラウマケアの中心手法であった認知療法を経て、身体のエネルギーを解放するアプローチが効果的であることが実証されてきています。

 

「ハートメタ」と呼ばれる、身体にも心にも優しくかつ効果的なメソッドを紹介しています。

 

身体をブルブルするわけではないのでご安心を。

 

南スーダン勤務による二次受傷(PTSD)からの回復した自身の体験を基に、丁寧に向き合います。

 

どうぞお気軽にご連絡ください。

 

info@peaceblossom.net

 

 

身体はトラウマを記憶する

ヨガや演劇など身体志向のさまざまな効果を紹介する全米ベストセラー

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