震災の時神戸に行って、紛争の南スーダンを経て、23年ぶりに神戸の街を歩いてみて感じたこと

神戸の街を歩きました。

 

神戸は仕事が目的でしたが、阪神淡路大震災から丸22年経って「日本の目覚め」はどうなったのか?

 

私たちは何を学んだのか?何が変わったのか?変わらなかったのか、を自分の目で見て感じたいと思ったからでした。

 

1995年は「ボランティア元年」と呼ばれました。

 

私も救援物資を集める活動に参加して、1日中鳴りやまない電話の受付けをしたり、神戸へ行って、集まった洗濯機や自転車を配布しました。

 

ボランティアスタッフの移動と物資の運搬のためにトヨタ自動車が無償で大型バスを提供してくれたり、運輸省(当時)の人も一緒に来てくれたりと、「何か今までとは違うことが起きている」という感覚がはっきりとありました。

 

1日中鳴り続ける電話をとり続けて、人の中には「自分も役に立ちたい」という気持ちがあるものなんだ、と感じたり、みんなが一つになることによる「人間の底力」も「より大きな力」も感じました。

 

神戸東遊園地①

 

神戸東遊園地②

⬆️三宮駅 神戸市役所すぐ側の慰霊が行われる東遊園公園。

 

「シンドラーのリスト」など、数々の名作を世に送り出したスティーブン・スピルバーグ監督が「なぜ戦争をテーマとした映画をつくるのでか?」と聞かれて、こう答えています。

 

「戦争は人間を極限におき、人間の選択を問うからだ」と。

 

大変な時こそ、人と社会の真価が問われるという面があるのですね。

 

神戸で読んだ新聞の震災後23年の特集にはこうありました。

 

「震災がなかったら起業なんて考えなかった。でも一生懸命に生きることが生き残った人の使命だから」

 

震災がきっかけで奮起された方が人知れずたくさんいらっしゃるのだと思いました。

 

神戸新聞.jpg

 

国や社会全体がどう変わって、変わっていないのかは、改めてもっと詳しく書きたいと思いますが、

 

「復興」という時、私たちは元と同じように戻ることといった漠然としたイメージを思い浮かべますが、これだけの震災・災害が起きた後で、当然ながら街が単に元どおりに戻るわけではありません。

 

戦後の経済復興を経て、大きいもの・ハコモノが幅をきかす、それまでの延長ではなく、21世紀に向けて日本はどんな社会をつくりたいのか?どんな価値を新たに生み出し、世界に発信していきたいのか?という私たちの「再生」と「持続可能な社会」のビジョンが求められていたのだと思います。

 

その宿題は、東日本大震災へ持ち越され、そして少子化、人口減少が急速に進む中で、現在進行形で今でも続いています。

 

日本人は決められたレールを真面目に懸命に取り組むのは得意ですが、これからは新しい発想や価値を生み出すことにもっと重きをおくことができます。

 

それから、南スーダンなどにいた体験から感じたのは、それぞれの方の個人レベルでの「傷ついた体験」は23年経ってもまだ癒されていない面が大きいのではないか?ということでした。

 

南スーダンにしろ、いわゆる「トラウマ」の影響というのは、時間が経てば自然に解消するものではありません。

 

そうした影響は「世代間トラウマ」と呼ばれ、数十年、大きな戦争になると100年(4世代〜5世代)単位で影響があるとも言われています。

 

神戸生まれ・神戸育ちで、自らも被災して、避難所暮らしを送ったという友人に区役所や公園を案内してもらいましたが、被災して住宅をなくして以来、大阪や東京へ引っ越して「神戸はこわい」とそれ以来ほとんど戻ってきていない人も実はけっこういるということでした。

 

東日本大震災のときに始めて、「ああ自分は当時の影響がまだ残っているかもしれない」と気づく人も多かったそうです。

 

東日本大震災でこそ、心のケアや傾聴ボランティアがより一般的に認知されましたが、1995年当時はPTSDやトラウマケアという言葉もほとんど知られていませんでした。

 

また、ベトナム戦争やアフガンとイラク帰還兵がごく身近に存在して、PTSDが一般的な社会問題として認識されているアメリカと違い(逆になんでもPTSDというレッテルを張り過ぎる傾向もありますが)、また、日本人の気質からそうしたことを話したり、認めることは「恥」であるという感覚はまだ強いように感じます。

 

ただ、最近では、トラウマケアは「心の傷」というよりは、全身体的な課題であって、PTG (post-traumatic growth=トラウマ後の成長)という概念があるように、新しい自分に生まる「再統合」の機会としても認識されています。

 

実践的には、脳科学の研究と合わせ、身体の気の流れを促すといったアプローチが進んでいます。

 

身体に溜まった緊張やトラウマのエネルギーを解放させましょう、という身体的なアプローチの効果が知られてきています。

 

人間は危機を体験すると、本能的に「闘争/逃走反応」 (fight or flight)として知られる「戦う」、または「逃げる」行動をとります。

 

戦うことも逃げることもできなかった時には、身体は文字通り身体はフリーズし、竜巻のようなエネルギーが外へ解放されず身体の中に溜まることになります。

 

そのエネルギーが数週間のうちに解放されるか統合されないと、いわゆる「トラウマ」の状態を引き起こすことになります。

 

危険を察知し身体全体に信号を送る「扁桃体」は、まだ「非常事態」が続いていると認識するため、「交感神経」が 優位になり、副交感神経系が機能できません。

 

結果、常に身体に緊張や凝りがあったり、眠りが浅い、リラックスできなかったり、不安や怖れが深い部分で残っていたりします。

 

鹿などの小動物がライオンやチーターなどの肉食動物に追われてうまく逃げられた時、 追われた動物は、「ぶるっぶるっ」と体を震わせて生体に留まっていたエネルギーや恐怖をふるい落とします。

 

動物ぶるぶる②

 

人間の場合、動物のようにエネルギーの解放ができるわけではないので、人間は身体に残っているトラウマのエネルギーを意識的に解放する必要があります。

 

従来のトラウマケアの中心手法であった認知療法を経て、身体のエネルギーを解放するアプローチが効果的であることが実証されてきています。

 

「ハートメタ」と呼ばれる、身体にも心にも優しくかつ効果的なメソッドを紹介しています。

 

身体をブルブルするわけではないのでご安心を。

 

南スーダン勤務による二次受傷(PTSD)からの回復した自身の体験を基に、丁寧に向き合います。

 

どうぞお気軽にご連絡ください。

 

info@peaceblossom.net

 

 

身体はトラウマを記憶する

ヨガや演劇など身体志向のさまざまな効果を紹介する全米ベストセラー

⬆️身体面からのアプローチをもっと知りたい人はこちらをどうぞ

 

 

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過剰なまでに「正当化」を試み、つねに自分の思い通りにすること、相手に勝利することを求めている人たちへの対処方ーあなたの心を操る『マニピュレーター』という人たち

人間は誰でもなんらかの「攻撃性」を持っている存在である、という前提で、人間のもっている「力」を持ちたい欲求、人はどうやって「攻撃」をしかけてくるのか、相手とのかけひきに対して、どのようにして自分を守っていけばいいのか、を理解することが大切だと説くのは、臨床心理学者のジョージサイモンです。

 

ジョージサイモン氏は、人を支配して思い通りにしたいという権力と支配にむけた過剰な欲求を持つ「隠された攻撃性」を持つ人たちがいる、と指摘しています。

 

以下がそうした人たちの特徴です。

 

1、つねに自分の思い通りにすること、相手に勝利することを求めている。人生で遭遇するすべての状況が自分に向けられた挑戦であり、勝利しなくてはならない闘い。

 

2、他者におよぼす力と支配を求めている。人の上にたち、人に命じる地位を得ることを望む。対人関係では、つねに優位な立場を保とうとする。相手が受け身にまわって退いたり、あるいは譲歩するようにしむける。

 

3、表面的には礼儀正しく社交的にふるまうことができる。内なる残忍さや権力に焦がれる思いにさいなまれているが、そんなことはみじんも悟らせない。

 

4、あの手この手で相手を一段劣った地位にとどめておき、自分の優越性を立証しようとする。人の弱点につけいることに優れ、相手がひるみようでもしようなら、その一瞬を逃さずについてくる。

 

5、周囲の物事や現実をゆがめて把握し、自分の言動に伴う責任は追おうともせずに、過剰なまでに攻撃的な挙動の「正当化」を試みる。懲罰をちらつかせようが、良心の痛みに訴えようが彼らには意味をなさない。

 

「あなたの心を操る隣人たち:忍び寄る『マニピュレーター』の見分け方、対処法」より

 

サイモン氏は、こうした人たちを『羊の顔をまとうオオカミ』と呼んでいます。

 

続けて、こうした人たちの課題が挙げられています。

 

1、人と争うことが本当に必要な場合なのか、その判断に誤りはないのか学ぼうとしない。本人には日々が闘いで、自分の欲望の前に立ちはだかるものはなんであろうと「敵」を意味する。つねに臨戦状態にある。

 

2、いったん自分の負けを認めて譲歩し、相手に屈服するようなことがあっても、長い目で見ればそれが勝利となる事実を学ぼうとしない

 

3、意味のある闘い方、フェアな闘い方を知ろうとしない。ずる賢く立ち回ることが勝利の秘訣だと思っている。

 

4、屈服を嫌悪しているのである状況では譲歩したり負けを認めることによって得られるかも知れない面を理解できない。

 

5、幼稚な利己主義と自己中心主義の克服を学ぼうとしない。世界はすべてわがもの。わがままを押し通す手口は、対人関係を操作することによって磨きがかかり、自分を無敵の存在だと見なすようになっている。自己イメージはさらに増長していく。

 

ふーっっっ(深呼吸)

 

最近の「国際政治」の状況にかなり当てはまりそうな感じがします。

 

ここであげた特徴は、極端な例のように聞こえるかもしれませんが、直接的にこうした人たちに会わなくとも、こうした人たちが存在すること、人が攻撃してくるときにはなんらかの決まった方策がある、と知っておくと、もしなんらかの嫌がらせや理不尽な体験を受けた時に、気持ち的にはずいぶんと楽になるのではないでしょうか。

 

こうした人にもし出会ってしまったら、関わり方をただちに見直すこと(まともにやりあったら潰されてしまうので)、まず可能ならば物理的に離れること、そして必要な対策を講じることが大切です。

 

サイモン氏が挙げている対策は以下のとおりです。

 

1、負ける争いには手を出さない。

 

2、相手の性格を正しく評価できる方法を知る

 

3、自己認識力を高める。自分の性格のうち、つけこまれやすい弱点となる部分についてきちんと把握しておく。

 

4、相手がどのような手口で操作しようとしているのか、その駆け引きの手口を見極め、それにふさわしい方法で対応する。

 

5、直接何かをする・しない、言う・言わないの前に、もし気持ちの上で逃げている部分があるとしたら、自分をおよび腰にしてる過去の体験や不安を癒、し自分の内なる力を取り戻す。

 

こうした特徴は極端な例ではありますが、こうした攻撃性の根本には、相手を下にすることで自らを上に置こうとする構造があります。

 

いじめっこは本当は気が弱いと言われているように、自分よりも弱い相手をみつけることで自らを上に置こうとする構造差別やいじめ、ある民族の排斥など人類の歴史では繰り返し見られてきたことでした。

 

人格を持つ存在であってもすべての人は平等である。

 

人をコントロールすることでもなく、自分を下にするのでもなく、人と対等な関係をもつためにも、自分が自分を守り、自分の価値を自分が認めること。

 

あらためて今このことの大切さを思います。

相手に罪悪感を抱かせる、無言で威嚇、被害者になる、無知や混乱をよそおう相手をコントロールしたい「羊の顔をまとうオオカミ」という人たち

誰かのなんらかの行為をやめさせたいとして、相手に罰を与えることはどこまで効果があるのか?

人は批判されたり、なんらかの強制を受け続けるとどうなるのか?

罰は相手の行動を変えることができるのか?

 

前回は、

力で人に言うことことを聞かせようとするのは可能なのか?親に強制される子どもはどう反応するのか

 

という記事の中で、親からなんらかのコントロールや強制を受ける子供がとる「反応」について紹介しました。

 

人に罰を与えるという考え方は、人はなんらかの過ちを犯したときや批判やなんらかの社会的な制裁を受けたら、罪悪感やうしろめたさ、羞恥心を抱くものである、よって行動をあらためるものだ、という前提がありました。

 

しかし、最近では、こうした従来の精神分析の理解では説明不足である、という考えがより一般的になっています。

 

むしろ、大きく騒いだり、または、騒動を起こすほど注目されるといった側面を本人が望んでいるから、と言われています。

 

例えば、なぜ普通の若者が次々とイスラム国に参加することになったのか?という点において、ヨーロッパ社会におけるイスラム系住民に対する有形無形の差別や孤立、言語や仕事の壁、ヨーロッパで移民として馴染めなかったからという大きな社会背景があるにせよ、

 

「注目されたい」「パワーを得たい」「何モノかになりたい」といった面は動機としてかなり強かったのではないか?ということが指摘されています。

 

私自身も国連のPKOで南スーダンで元兵士の社会統合支援にかかわっていた時にこの点を実感したことがあります。

 

武装解除と元兵士の社会統合の支援は、まず生計をたてる手段を確保することのサポートにフォーカスしますが、兵士をやめたくないという人たちが少なからずいたのです。

 

そうした人たちと話しをして気づいたのは、そうした人たちにとっては、たとえ生計を得る手段を与ることができたとしても、それよりも、兵士として得られる「パワー」や「プライド」の方が断然に大きい、ということでした。

 

南スーダンの内戦の場合、「植民地解放」(アフリカ最後の「植民地」解放と呼ばれた)と「独立闘争」として始まったので、そうしたことに関わってきたことの「プライド」という側面は確かにあると思います。

 

同時に、この場合のプライドには、地位、尊敬、注目も含まれます。

そして、銃を持ち相手を従わせる力といったパワーも含まれます。

こうした側面が人間の決定におよぼす影響はおそらくかなり大きいのです。

 

これは、南スーダンの例ですが、人間にはある程度誰でも「パワー」や「支配」「注目」を得たいという欲求がありますし、そうした行為は実際日常的にみられます。

 

同時に、私たちが日常的に気付いていないところで、目にしたり、体験しているかもしれないのは、おそらく「コントロール」や心理的な「マニピュレーション(操作)」です。

 

マニピュレーション(操作)とは、相手を無視をしたり、心理的に罪悪感をもたせるなどなんらかの心理的なかけひきをすることによって、相手を自分の意のとおりにコントロールしようとすることを指します。

 

かわいい例から始めると、子どもがだだをこねて親におもちゃを買ってもらおうとすることだったり、または、もっと巧妙になってくると、「まともな親ならこんなことはしない」と言って相手に罪悪感を抱かせようとしたり、無言で威嚇をしたり、自分がいかに被害を受けたのかを強調したり、無知や混乱をよそおったり、相手の弱みをついたり、自信を失わせようとすることをわざと言ったりする場合など、です。

 

ブラック企業が内情をばらされないように心理的な脅しをおこなうこと、職場での足の引っ張り合い、女性が泣いて男性に罪悪感をもたせようとすることなども当てはまるでしょう。

 

人間は誰でもなんらかの「攻撃性」を持っている存在である、という前提で、人間のもっている「力」を持ちたい欲求、人はどうやって「攻撃」をしかけてくるのか、相手とのかけひきに対して、どのようにして自分を守っていけばいいのか、を理解することが大切だと説くのは、臨床心理学者のジョージサイモンです。

 

ジョージサイモンは以下のような行為を操作の例として挙げています。

 

はぐらかす

問題をすり替える

大事なことを伝えない(事の真相を秘密にしておく)

相手の羞恥心を刺激する

被害者を演じる

人をそそのかす

人のせいにする

無視する

無知・混乱を装う

相手に怒りをぶつけてコントロールする

脅す

「あなたの心を操る隣人たち:忍び寄る『マニピュレーター』の見分け方、対処法」p.154-180より

 

いずれも間接的に相手を自分の意のとおりに従わせようとすることです。

 

相手があからさまに敵対的な態度をとる場合もあるかも知れませんが、「操作」と呼ばれるこうした行為の特徴は、「なんか違和感があるけど自分が攻撃されていることに気づかない」「問題があるのはこっちの方」と思わせること、です。

 

ふっっっーーー

(いったん深呼吸をして息をはきましょう)

 

書いていてあまり楽しいテーマではありませんが、人間にこういう面があることは事実ですよね。。。

 

そして、人がある程度キャリアを積もうとすると(特に組織において)、どこかでこうした問題に直面すると考えておいた方がいいと思います。

 

私がこのテーマについて今回書こうと思ったのは、最近ある親ごさんの相談を受けて、まさにこうした「操作」について改めて学ぶことになったこと、それを通じて過去私の足を引っ張ろうといじわる(「いじわる」なんて表現を超えていましたが)をしてきたある上司の行動パターンや作戦がより理解できたこと、

 

こうしたことが、職場での人間関係など実は日常的な関係においてひっそりと行われているかもしれないこと、南スーダンでの内戦再発といった国際情勢にも当てはまると思ったからです。

 

「人は人をいじめ得る前提で考えておきましょう」なんてけっして学校では習わないし、もちろん猜疑心や不信感を持ちすぎるものも不要です。

 

 

でも、人間はこうした面をもっていることを頭のどこかで理解しておけば、そんな時に冷静に対処できことがまったく違ってくるでしょう。

 

しかも、どちらかといったら「いい人」といったタイプの方が、こうした操作的なやり方の被害者になりやすいのです。

 

ちなみに、ジョージサイモン氏の本の中のサブタイトルは「『羊の顔をまとうオオカミ』の特徴を理解する」です!

 

 

では、こうしたマニピュレーターの作戦による被害を避けるにはどうしたらいいのでしょうか?

 

羊の顔をまとうオオカミの特徴と対処法」続く

これって燃え尽き? ①燃え尽き症候群の徴候って?

 

最近、私のところに燃え尽き症候群でカウンセリングに来られる方が増えています。

実際、この数年において、燃えつき症候群(バーンアウト症候群)になる人が増えているようですね。

これから、3回にわたって、燃え尽きの症候群の徴候や対策を一緒に考えていきたいと思います。

 

燃え尽き症候群になることは恥ずべきことでも珍しいことでもありません。そうした状況で役に立つことを自分自身の体験も含めてまとめてみました。

 

 

燃えつき症候群とは?

 

燃え尽き症候群 (Burnout Syndrome)とは、それまで何かに取り組んで来た人が、過度のストレスに晒されることにより、疲労感や無力感に襲われ、あたかも燃え尽きたかのように気力を失してしまう状態のことを言います。

より具体的には、朝起きられない、意欲が湧かない、イライラが募る、集中力できない、対人関係において引きこもりがちになるなどの兆候がみられます。病気に対する抵抗力も低下するなど、うつ病に至ることもあります。

「バーンアウトシンドローム」は精神心理学者のハーバート・フロイデンバーガーによって用いられた造語で、日本語では「燃え尽き症候群」と呼ばれています。燃え尽き症候群という概念が紹介された当初は、対象者は主に医療や教育、福祉関係者などの対人援助職に従事する人とされてきましたが、現在では、スポーツ選手、ビジネスマン、研究者、エンジニアなど、他のさまざまな職種や業種にも見られるとされています。

 

燃えつき症候群の徴候

燃え尽き症候群の特徴は、単なる肉体的な疲労だけでなく、文字通り「気力が枯渇したような消耗感」が伴うことで、「長期間、感情的な負担を必要とされる状況に関わることによって生じた身体的、情緒的、精神的な消耗感」とも表現されています。いわば、エネルギーが枯渇した状態です。

では、日常的にはどのような徴候が見られるでしょうか?

  • 仕事、職場、同僚に対する不満や批判が募る

ささいなことでイライラしたり、批判的になったり、怒りっぽくなる。今までなら、問題なく適応できたようなことに対応できなかったり、仕事、職場、同僚に対する不満を覚えたり、批判的になる。

  • 人間関係が億劫になり、引きこもりがちになる。

こちら側がエネルギーを消耗させている状態であるために、相手のために気を配ったりする余裕がを持てなくなり、人間関係が億劫になってしまい、人とのかかわりを避けるようになり、引きこもりがちになる。

  • 無関心・冷めている

今まで関心のあったことや今までの自分が打ち込んでいた現象に対して、無関心になる。

  • 先延ばしが多くなる

小さな作業が大きな作業のように感じられ、圧倒される(overwhelming)感じがするために、簡単なメールさえ返信ができなくなるなど、先延ばしが多くなる。

  • 集中できない・身が入らない

目の前にやるべき事が沢山あるのは頭で分かっているのに、身体が動かない、仕事に集中できない。ミスが多くなり、仕事の質が下がりがちになる。

  • 「行き詰まり」・停滞感を覚える

自己否定しがちになり、仕事に成果があったとしても、その成果を実感できなくなり、「行き詰まり感」を感じる。

  • ストレス性の身体症状

朝起きられない、寝ても疲労が抜けずに、全身の倦怠感を覚える。仕事に行きたくないと感じる。頭痛、肩こり、食欲不振、潰瘍などのストレス性胃腸障害がある。体重が減ったり、寝つきが悪い、眠りが浅いなど、睡眠障害等の症状が出ることもあります。

 

バーンアウトを起こしやすい要因としては、以下の点が挙げられます。

燃えつき症候群を引き起こしやすい要因(続く)

 

これって燃え尽き?③ 燃え尽き症候群の間違った対処法 vs. より効果的な対処法

 

そのような状況が続いてくると、今の仕事は私にとってあまり意味がないのではないか?

報われないんじゃないかと感じ、今まで自分を支えていた仕事への情熱や自信、職業的な誇りが失われていくように感じます。

 

より根源的なレベルにおいては、燃え尽き症候群の要因は「意味の喪失」です。

 

人間とは「意味」を求める生き物であり、私たちは、日常で体験することになんらかの意味をみつけることで、日々の生活の中に秩序や安定を感じることができると思うからです。

例えば、人がストレスの大きい環境や仕事に置かれたとしても、耐えようと思うことができるのは、自分が置かれている状況になんらかの意義があると思える時です。

 

そうした「意義」には、一緒に働く同僚の人たちとの関係を築いたり、自分が関わっている仕事やコミュニティーの成果を実際に目にしたり、感じたり、価値を共有する仲間がいること、そうした人たちとのつながりを持つこと、そうした人たちのコミュニティーに属することも含まれることでしょう。

 

そうした意味において、自分が体験する状況にもはや意義を見出せなくなる時、私たちは文字通り目的や活力を失ってしまうのです。

 

燃え尽き症候群の間違った対処法 vs. より効果的な方向性

 

まず燃え尽き症候群になり始めた人は「まさか自分が」と自分がそのような状態であることを「否定」しがちです。

アルコールやなんらかの中毒的な習慣に陥ることも一時的には気を紛らわすことに役に立つように見えますが、根本的な解決にはなりません。

燃え尽き症候群になることは恥ずべきことでも珍しいことでもありません。そうした状況で役に立つことは、自分が体験している徴候に対してまず自覚を持ち、自分の時間をとり、セルフケアを優先させること、他者との健全な境界線を持つことを学ぶこと、自分がもうどうすることも出来ないと感じた出来事や体験を整理することです。

 

また、このように感じているのは一人じゃないんだ、こんな風に感じてもいいんだ、こんな経験をしてもおかしくないんだ、と感じたり、体験できるような機会や安全な場があることは、バーンアウトの予防や回復に役に立ちます。

 

自分はバーンアウトではないかと思ったら

 

今すぐに出来ること

 

  • 週に最低1日はメールやパソコンに向かわない日を設ける
  • パソコンの画面を見ながらランチを取らない(食事を味わい、休憩をとる)
  • 深夜や早朝などの時間外の業務に関して、「ノー」と言う。
  • 身体を動かす時間をつくる。(エクササイズは身体の緊張を解放します)
  • 紙に自分の体験や感じていることをなぐり書く(燃え尽きの無感覚の下には怒りがあることが多いので、怒りを解放させましょう)
  • 1日を振り返るための日記をつける(1日5分でもいいので、1日の最後に心を落ち着ける時間を持つ)
  • 自分の感情に意識を向けること。
  • 瞑想やマインドフルネスの練習など心を落ち着かせる時間を持つ。
  • 仕事とは関係ない人とおしゃべりをする。
  • セルフケアを優先すること。

 

バーンアウトから回復するために役に立つこと

  • 休むこと、自分のために使う時間を優先的に確保すること
  • 自分にバーンアウト症候群の兆候があることを受け入れること
  • 自分がいなくてもなんとかなることを受け入れること
  • 仕事と全く関係ない時間を持つこと
  • 自分に対する自己評価とプロジェクトの成果を区別すること
  • 自分が信用できると思う人に聴いてもらうこと
  • 自分の体験を吐き出し、感情的な整理をすること
  • 必要であればカウンセラーのサポートを求めること
  • 援助する側と援助される側との関係性において健全な境界線(boundary)を持つことを学ぶこと
  • 自分が出来なかったことではなく、出来たことに目を向けること
  • 人生の領域においてバランスを持つことに意識を向けること