「自分を知る」ということー「自分がやりたいことが分からない人」とランチ選びの関係

突然質問です。

三日前に食べたランチを覚えていますか?

 

 

なんでランチかと言うと、「自分を知る」ということの一つだからです。

 

「自分を知る」というと、とても大きなことのように聞こえるかも知れませんが、ごくごく日常の中にあります。

 

先日あるカフェで、ケール&キーウィージュースをオーダーしました。

 

私の身体は疲れている時によくケールを欲しがります。ビタミンやミネラルが多いので、身体に浸透する感じがします。

 

出てきたのはとてもとても小さいジュースでした。

 

しかも、ほとんどケールの味はしませんでした。

 

 

その瞬間いろんなことが頭に浮かびました。

 

 

ーああ、これなら自分でつくった方がいいな

ーあのスーパーで最近ケールは見なくなったけど、どこのスーパーにあるのかな?

ーケールをみかけたら買っておこう(希少だから)

ー他に自分にエネルギーをくれる食べ物は何だろう?(エネルギーの高い物を口にしたい)

ーどんなものを食べる時に身体の調子がいいのだろう?

 

 

難しい結論でもなんでもないけれども、「そんな思い」をとても強くしました。

 

こうやって私たちは、日々何かを「感じ」、「発見し」、「思い」、「修正し」、「決めて」います。

 

しかも、体験したものが「期待外れだったりすると、じゃあ「次はこうしよう」「だから、今度はこうしたい」と、その反対に対する思いを強くします。

 

 

私の場合、スタバのラテよりも数百円高かったジュースが期待ハズレだったので、自分でケールスムージを作りたくなりました。
私はこの店で同じジュースを買うということは「繰り返さない」でしょうし、この体験は、自分の身体やエネルギーの状態に意識を向けるきっかけの一つになりました。

 

 

こうして、私たちは日々何かを発見したり、「学んで」います。

そして、自分について発見しています。

 

これを「体験」というのですね。

 

 

体験というのは、単なる「事実」の列挙ではなく、その出来事を通じて自分は何を感じ、思い、結論づけたか?ということだそうです。

 

 

 

 

自分がやりたいことが分からない人は多いようですが、

そんな人こそ、自分が食べるランチを「完全に」「意識的に」「全責任をもって」選んでみてください。

 

 

なんで、私はこれを食べたいと思ったのか?

美味しかったですか?自分で星をつけるとしたらいくつ?

あまり美味しくなかったですか?自分で星をつけるとしたらいくつ?

 

 

なんでそのお店・メニューを選んだのですか?

外見はどうだったのか?

お店の雰囲気はどう感じたのか?

お店のスタッフやシェフの印象はどうだったのか?

直感的な第一印象は何と言っていたのか?

 

 

その感覚はあくまでも主観的です。

それでいいのです。

自分が感じることに「正解」も「間違い」もないからです。

 

 

大事なのは、じゃあ次はこうしたいな、というサイクルに繋がっていることです。

 

 

食べ物は私たちの感覚を正直に刺激してくれるものの一つです。

「美味しい」と単純に満足を感じるし、「美味しくない」とイマイチだったな、と単純に感じるからです。

 

 

 

食に対する意欲は人生に対する意欲と比例する、といった友人がいました。

私たちは日々食するもので成り立っているので、それを聞いた時になるほど!と思ったことがあります。

 

美味しいものがわかることは一流の音楽や「ほんもの」がわかるということにも繋がっていると個人的には思います。

 

そして、「いいお店」が分かること・知っていることは、大人のリソースとしてはとても重宝されるものです。

 

 

「今日の私」は、日々の体験の結果です。

 

どんな体験にも無駄はありません。

 

「体験」こそが私たちを学ばせてくれます。

トランプ大統領の当選を予測できなかった時代を生きる私たちが自分の「判断基準」を持つために

トランプ大統領が当選したのを知った時に真っ先に思ったこの一つは、これからは「自分で考えなきゃいけない」時代なんだなということでした。

 

なぜなら、メディアや予測もあてにならないし、誰かの意見を一方的に信じていればいいという時代が終わりつつあるのを感じたからです。

 

自分の「判断基準」がより求められる時代なのでしょう。

 

そもそも判断基準ってどうしたら養うことができるんだろう?と考えていたら、

ある人の記事でこんな「くだり」をみつけました。

 

判断基準の一つは、「自然」か「自然じゃないか」ということ。

 

それで思い出したのは、ケニアのサファリに行った時のことです。

 

なぜなら、ライオンがいつでも「勝つ」わけではないからです。

 

 

目の前で野生の象やキリン、ライオンを目の前に見れるのは本当に感動です。

遠く感じるかも知れませんが、ヨーロッパへ行くのと飛行時間がそこまで違いません。

一度は行く価値はあります。

 

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私たちの方はオリがついている専用のジープに乗ります。

相手から見たら、人間て「きゅうくつ」そうだなあと思うのかも知れません。

 

 

その時にとても印象に残っているシーンがありました。

 

目の前でイボイノシシの親子たちがのどかに草をはんでいました。

イボイノシシとは、一見ぶたのようなちょっと短足なちょっと「かわブサイク」な(失礼!)動物ちゃんです。

 

子供たちはまだ産まれて数ヶ月なのでしょうか。母イノシシの後で草をはんでいます。

 

そんなのどかな風景でした。

 

 

それが一転緊張状態に!

 

数百メートル先にいたライオンがイノシシたちに狙いを始めたのが見えたのです。

 

野生の動物を見るということは、自然界のなりたちを見るということ。

 

それも含めて、見る価値があるということなのでしょうが、ライオンが一気にダッシュを始めた時には私は思わず一瞬息を止めてしまいました。

 

イボイノシシママもライオンを察知するやいなや、一斉に号令を出したようでした。「散らばれ!」と。

 

そして、子供たちは四方八方に散らばりました。

 

すると❗️

 

ライオンはイボイノシシの子供たちが四方八方に逃げていくのについていけず、「捕獲」は失敗したのです。

 

身体の大きさも足の長さも速さもすべての面で「勝っている」と思ったライオンでしたが、小回りは苦手だったのです。

 

これを「勝敗」とするならば、イボイノシシがライオンに勝ったのです。

 

そして、さらにそこから数百メートル先のところでは、おなかいっぱいの別のライオンは昼寝をし、シマウマや別のイノシシがその周りをウロチョロしています。

 

ライオンは、おなかが一杯の時には、むやみに他の動物を襲うことはありません。

 

自分が必要な分以外は求めないのです。

 

 

たとえ弱肉強食でも、強いものがいつも弱いものに「勝つ」わけでもない。

ライオンはライオン。シマウマはシマウマ。イノシシはイノシシ。

ライオンだけがいても自然じゃないし面白くありません。

 

ぜんぶの存在があることが「自然」。

 

人間も自然界の一部です。

 

私にとって忘れられないシーンの一つです。

 

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こんなこと大きな声で言えないけどトランプ時代はチャンスでもあるんじゃないかと感じている人へ

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米国次期大統領がもうすぐ就任しますね。

 

ふたを開けてみないとどうなるのか分からない「様子見」的な世界情勢ですが、

 

明日以降、就任式初日の政策関連の決定と発言でしばらくニュースが忙しくなるように思うので、私が感じる「心がまえ的」なことをシェアしたいと思いました。

 

なんというか、彼という存在は、よくもわるくも私たちをいろんな意味で「刺激する」存在であるのは確かのようです。

 

去年のクリスマスシーズン(アメリカ人が日本のお正月のように帰省する前)の頃には、家族のテーブルで政治が話題にあがった場合の対処法というメールが送られてきて、その影響の深さを感じました。

 

彼の差別的発言や彼のトーンを聞くやいなや、嫌悪感を刺激されることは確かにあるし、もちろん、差別的な発言も彼の攻撃的なトーンも(少しはトーンダウンするかも知れませんが)聞いていて、けっして心地いいわけではないのだけれども、

 

でも、同時に、

 

彼はある意味、誰もが心の中で持っている部分や思っていることをただ声に出して言っているだけじゃないのかな、と思うこともあります。

 

なんと言うか、「ああ、でもたしかに、人間ってそういう差別的な思考ってあるよね」と思ったりです。

 

誤解のないように言っておきますが、私は175カ国もの人たちが働く国連という組織で働いてきたので、これまで一緒に働いた上司や同僚の国はパキスタンからコソボからリベリアからシエラレオネまで、本当にいろいろでした。

 

独立前の南スーダンなど職場に日本人が一人もいない環境も数年ありました。

 

私が国連で働くのが好きだった理由は、実はとても単純で、紛争解決にかかわれるからでもなく、いろんな国の人がいる環境が好きだったから、でした。

 

でも、それは、けっして楽チンなユートピアな世界だったわけではなくて、誤解も差別的な考えもフツーにあって、それが直接的には言葉にはされなくても、ちょくちょく垣間見られるそんなリアルな場でもありました。

 

もちろん、国連という組織の性格上、そういうことを容認することはできないので、いろんな人事規則やら異議申し立ての制度もあって、人権条約や国際規約さえあるのですが、やっぱり規則で人のこころは制約できないよねー、と思ってしまうのです。

 

というか、仮に、地球に住む人全員が同じ肌の色をして、同じ宗教を信仰していて、同じ言葉をしゃべっていたとしても、

 

人間って誰かを区別する(差別する)なんらかの理由をつくるなんて、すごく簡単そうとも思っちゃいます。

 

あいつのマユゲはオレより太いとか?(笑)

 

マユゲ惑星と地球人との交流とかまったく比較の対象にならない場合はどうなるのかわかりませが (笑)

 

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でも、日常的(表面的)にはどうかというと、たとえば、イギリスといった国などは特にこういう傾向が強いと思うのですが、その人がどう思っているかよりも、そういう風に発言すべき、という規範がありますよね。

 

とくに、公的立場にいる人や社会的地位の高い人は、ポリティカリーコレクト(politically correct)でなければならない、ので、この傾向がさらに強いと言われています。

 

そういう場合、社会的地位と自分のアイデンティティーが同一視されていく傾向も強いそうです。

 

私もそうでしたが、「国連職員とはこうあるべき」、という具合ですね。

 

そして、「自分はこうあるべきだ」という自分の理想像もさらに加えられていきます。

 

なので、対外的な「鎧」やら、公的な「マスク」などの「ペルソナ」(パーソナリティー)のレイヤーは実はかなり沢山ありそうです。

 

 

こういう場合、シャドーを含む自分の「ありのままの姿」(嫉妬をしたり傲慢だったりする部分も)を認めるのが難しくなる、という指摘もあります。

 

 

この構造ゆえに、アメリカでは特に、社会的な地位の高い人、またはポリティカリーコレクト(politically correct)な人たち(であるべき人?)ほどトランプ発言を毛嫌いする傾向が強いと言っている人もいます。

 

自分のこうあるべき像にそぐわない、という訳でしょうか。

 

ただ、実際には人間っていろんな面を持ってる存在です。

 

 

多様性や移民の受け入れを前提とする『多様な価値観を認める英国像』は、政策的にも道徳的にもすっかり定着し、もはや疑問を持つことの許されない価値観であるかのように見えました。

 

 

移民や多様性を否定するような意見は『ポリティカリー・コレクト』でないとされ、不安や本音を口に出すことが難しくなっていったという背景がありました。

 

…(略)…

 

ただ、「こんなことを言ってはいけない」「こんな風に見られてはいけない」という自制や抑圧は、実際には誰のなかにもありうる「怖れ」や「偏見」を地面の下に押しとどめるだけです。

 

「反テロ」や「反差別主義」も、その問題に取り組むことをかえって難しくしてしまいます。

 

人間は誰もが怖れや偏見を持っていることを受け止め、それを一度浮上させ、自覚する必要があるのです。」

 

クーリエジャポン Vol.3  「チンパンジー化」が進む地球の上で、未知の恐怖に打ち勝つ方法|大仲千華「答えを求めない勇気」より

 

 

グッドニュースは、そういうものは一旦自覚されたら「力」を失って、統合されると、今度は自分のパワーになってくれるのです。

 

そして、その領域にこそ、自分の本当の力だったり、ギフトと呼ばれるいろんな才能が同時に埋もれていると言われています。

 

そういう領域は心地悪いのでつい避けてしまいがちですが、そこにこそ「宝もの」があるのです。

 

新しい時代の始まり。

 

どうせなら力をつけ、新しい「宝もの」をみつける ー そんな機会にしたいものです。◕‿◕

オリンピックーなんで日本人選手しか報道されない?Tokyoでは難民チームのドラマも見たい

もうすぐリオパラリンピックが閉会します。

 

華やかな舞台の陰には猛烈な練習があるんだろうなあ〜と、

人間の底力を思い出せてくれるような選手のみなさんに感謝です。

 

 

でも、2016年という時代に一つ大きな違和感があるのです。。。

 

なんで日本人選手しか報道されないの(ほぼ)???

 

いろんな人間のドラマが見たかったし、

難民チームのドラマも見たかった。

 

 

 

コマーシャリズムにドーピング妥協策、地元スラムを無視したIOC優先主義で、

今回の五輪の「意識レベル」はかなり下がったと言われています。

 

 

 

マザーテレサが愛読書だったことでも知られるホーキンズ博士の著書の中に

オリンピックについて書かれた箇所があるので以下引用します。

 

 

「オリンピックには、個人的なプライドより『無条件の愛』を表現するという全体的な設定があります。

 

私たちが一流選手を讃えるのは、より高い原理に自らを捧げ、個人的なエゴに打ち勝ったことを彼らの中に認めるからです。

 

彼らの存在自体が人類の励みになります。

 

このような能力やパフォーマンスは尊重されるべきであり、メディアやビジネスの悪用から守られなければなりません。

 

Excellence(卓越さ)を育み、その価値を認めることは人類の責任です。

 

オリンピック精神は私たちの心の中にあります。」

 

「パワーかフォースか」デヴィッドホーキンズ博士より

 

今度はTOKYO 2020。

 

今度はホスト国としてもっとオープンな五輪にしたいものです!

オリンピックか予選敗退か?ー「力を弱める考え方」と 「力を強める考え方」

 

昨日は、「水の怪物」と呼ばれ金メダル23個という神業 (?!)を成し遂げたアメリカのフェルペス選手が、北京とロンドンオリンピックで圧勝した後に目標を失い、一時期は自殺も考えた時期から、どうやってその「逆境」を乗り越えることができたのかという彼のストーリーを紹介しました。

記事はこちら⇨フェルペス選手はどうやって逆境を乗り越えることができたのか?

 

 

高校野球を見ていても、一回戦で圧倒的な勝利を収めたチームが二回戦では気持ちが緩んだのか、同じチームとは思えない位ぼろ負けをすることがあります。

 

最初は、純粋に上手くなりたいと思い、練習し、挑戦することを楽しんでいた選手たちが、予選で上手くいったり、新記録を作ったりすると、期待に応えないといけないプレッシャー、または、プライドや誰かを打ち負かしたいなどの気持ちがむくむくと沸き起こってきて、彼らの調子を狂わせる。。。

スポーツではそんな様子をとても分かりやすく目の当たりにします。

では、そんな時に「人の力を弱める考え方」、または「人の力を強める考え方」とはどういうものなのでしょうか?

 

 

 

デンマーク王室から称号を授与されたデービッド・ホーキンス博士は、著書『パワーかフォースか』の中で、キネシオロジー(筋肉反射を利用したテスト)を使って、どんな考え方(意識のレベル)が私たちに力となるのか、をスポーツや芸術、政治などいろいろな分野で実験し、その結果を紹介してくれています。

 

 

例えば、実力のある選手に、相手を打ち負かすことや有名になること、たくさんのお金を稼ぐという願望を頭に思い描いてもらうと、その鍛えられた筋肉は、私たちが軽く押すだけでも下がってしまう位弱い反応をする、そうです。

 

では、「一番になること」はどうでしょうか?

 

「一番になること」という目標も弱い反応しかくれず、「一番になること」や相手を打ち負かすことは、ある時期には力になるようにな見えるものの、本当の力にはならず、必ず限界を迎えるそうです。

 

ゴルフチャンピオンのタイガーウッズは、対戦相手がパッドを打つ時にでも、「このボールが入りますように」と心の中で祈っている、と言われています。

 

彼は、自分自身のために、そういう意識のあり方の方が効果的だということを体験しているのでしょう。

 
では、逆に、力を与えてくれる考え方とはどういうものでしょうか?

 

 

愛する人に捧げること

自分が出来る限りのベストを尽くすこと

最高の努力をできる機会を持てることを喜ぶこと

チームを勝たせること

周りの人たちに希望や勇気を与えるため

 

 

等、だそうです。

 

今朝方、接戦の上で銅メダルを勝ち取った卓球女子チームは、まさに自分よりも「チームを勝たせる」というあり方が力になっていたように見えました。

 

 

オリンピックの決勝レベルになると、身体の大きさが圧倒的に有利になる一部の競技を除いて、身体能力の「差」はごく僅かで、身体能力や技術がある段階に達成すると、その先の能力を決めるのは「意識のレベル」だと言われています。

 

 

深海ダイバーとして世界一の記録を持ち、映画『グランブルー』で映画化されているフランス人のジャック・マイヨールという人がいますが、彼が潜っている時の意識というのは、瞑想をしている時と同じような意識の状態だそうです。

 

 

その瞑想のような意識の状態の中で、生理的な「変性状態」が起き、肉体の通常の限界を越えることが可能になる。。。

 

 

マイヨールの友人も彼と同じ深さに挑戦しますが、肉体の限界を超えるのに必要な意識のレベルに達していなかったために死んでしまいます。

 

 

マイヨールにとって、潜ることは、

個人的な記録への挑戦から、人類にとっての「未知の世界への挑戦」となり、

その目的は、「人間の潜在能力や偉大さを示すこと」になる。

 

 

ホーキンス博士は言います。

 

究極的に力をくれる考え方とは、

 

『自分の力は人間の能力を表す人類すべてのものである』というもの。

 

 

ちなみに、彼の映画を観ると、観る人は彼が潜水中に体験しているのと同じような変性状態になり、至福の状態で映画館を出てくるのだそうです。

 

 

武道の世界では、「動機」と「原理」が究極的に重要である、と言われています。

 

 

そういう意味では、私たちがスポーツ選手のプレーに感動し、讃えるのは、こうしたより高い原理に自らを捧げ、弱気になる自分も含め、個人的な欲望やエゴに打ち勝ったことを、彼らの内に直感的に感じ取るからなのかも知れませんね。

 

 

ビバ! Human Being!!!😊

 

金と銀の差を分けるものーフェルペス選手はどうやって逆境を乗り越えることができたのか?

連日リオデジャネイロ・オリンピックの接戦が繰り広げられていますね。

 

その中で、「水の怪物」と呼ばれているアメリカのフェルペス選手が、北京とロンドンオリンピックで圧勝した後に目標を失い、アルコール依存になったり、一時期は自殺を考えた時期から、どうやってその逆境を乗り越えることができたのかに興味をそそられました。

 

実際に彼は、北京オリンピックと、ロンドンオリンピックが終わった時点で、それぞれこう言ってます。

 

「北京のような練習をもう一度するなんて冗談じゃない。もう目標を達成したから、やるべき事なんてない。世の中にはもっと楽しいことがある。自分探しをしたい。」

 

2年ほど経ってから、ロンドン五輪を目指して再びプールに戻ってきたものの、目標は明確ではなく、練習への遅刻、無断欠席が続いたそうです。

 

「何もかもどうでも良かった」

 

「30歳になったら泳ぐのを絶対にやめるんだと自分に言い聞かせてきた。30歳の人を悪く言うわけではないけれど、それを自分にずっと言い聞かせてきた。あと3年後には30歳になる。だから、今後3年間を泳いでいきたいとは思わない。」とも言っています。

 

私たちがテレビで目にするのは華やかな舞台ですが、その影にはものすごい練習量があって、自分を支える新しい「目的」や「意味」を探しているようなニュアンスも伝わります。

 

そんな彼が、いったん目標を失った後、再び泳ぎ始めるきっかけとなったのは何だったのでしょうか?

 

フェルペス選手は、7歳の時に父親が家を出て行ってから、母子家庭で育ち、1つのことに集中できず、色々なものに注意がいってしまって落ち着きがないことからADHDと診断され、これを克服するために水泳を始めたと言われています。

 

そして、彼の才能を見抜いてくれたバウマンコーチとの運命的な出会いを経て、北京とロンドンで18個ものメダル獲得する偉業を達成。

 

ロンドンオリンピックの後には、バウマンコーチに「最高の水泳選手になることができたのは、ここまであなたと一緒にやってこれたからです。」と感謝の言葉を伝えます。

 

メディアにも「彼がしてくれたことがなければ、今僕はこの場になっていないでしょう。この15年間、クズみたいな僕にずっと我慢して面倒を見てくれた彼に心の底から感謝しているし、愛しています。文字とおり、感謝してもし尽くせません」と語っています。

 

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そんな彼ですが、ロンドンオリンピック後、アルコールとカジノに溺れ始めます。

 

「家族は母と姉2人で男は僕1人。北京、ロンドンというような節目に、これからどう生きていったらいいんだろう。そう思っても導いてくれる父親がいなかった。辛かった。」

 

家族の誇りであり続けなければならないプレッシャー。

相談する相手もいない。

またお金目当てで近づいてくる人たちにも疲れて、アルコール依存に陥った、と言われています。

(http://number.bunshun.jp/articles/-/826266より)

 

 

一時期は自殺を考えるほどになります。

 

日本ではあまり報道されていませんが、彼は米国のメディアで当時の心境を赤裸々に語っています。

 

“I was a train wreck. I was like a time bomb, waiting to go off. I had no self-esteem, no self worth. There were times where I didn’t want to be here. It was not good. I felt lost,” Phelps revealed.

 

「一時期は、自分がこの世の中からいなくなったらいいのに、とさえ思った。まったく自信をなくし、自分に価値があるとも思えなかった。」

 

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そして、一週間ほぼ何も食べず、ほとんど眠らず、自殺することを考える。。。

 

そんな時期、フェルペス選手の長年の友人で、NFLで活躍するレイルイス選手が、フェルペス選手にアルコールを断ち切るためのリハビリ施設に入ることを勧め、ある一冊の本を彼に手渡します。

 

その本とは、アメリカで発売後1年で1000万部を越え、現在では3000万部を超えるRick Warren著の、The Purpose Driven Life (邦題: 人生を導く5つの目的―自分らしく生きるための40章)でした。

 

PurposeDrivenLife

 

そして、フェルペス選手は、その二日後にリハビリ施設からルイス選手に電話をします。

 

“Man this book is crazy! The thing that’s going on…oh my gosh…my brain, I can’t thank you freaking enough, man. You saved my life,” Phelps told Lewis with excitement.

 

「この本はクレイジーだ!オーマイガッシュ。。。信じられない。君にはお礼を言っても言いきれない。君に救われたよ。」

 

 

別のインタビューでは、さらにこう答えています。

 

In a recent interview with ESPN Magazine, Phelps explained that the book “turned me into believing there is a power greater than myself and there is a purpose for me on this planet.”

 

「自分の力よりも大きな力が存在するってことを信じるようになったんだ。そして、この地球に生まれた目的があるってことを。」

 

Lewis

 

 

そして、彼はさらに、母親が離婚して以来ほとんど会ったことのなかった父親に会いに行くことを決めます。

 

“I didn’t want to have that ‘what if.’ I didn’t want to go through life without having the chance to share emotions I wanted to share with him. That’s what I missed as a kid,” Phelps said.

 

「僕の気持ちを伝える機会を一生逃したくないと思ったんだ。僕は子どもの頃から自分の父親に自分の気持ちや感情をシェアしたいってずっと思っていたから。」

 

 

そして、その3ヶ月後、彼は、長年のガールフレンドだったニコールにプロポーズをして籍を入れます。

 

そして、すぐに子どもに恵まれます。(ちなみに、子どもの名前のミドルネームにはコーチへの尊敬の念を示して、コーチの名前をつけています。)

 

愛する家族に自分のプレーを見せること、が彼の新しい原動力になり、3連覇、金メダル23個、という今回の「偉業」につながったのです。

 

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陸上やラグビ一など体が大きい方が圧倒的に有利な競技はありますが、オリンピックの決勝レベルになると、身体能力の差はごく僅かだと言われています。

 

高校野球を見ていても、一回戦で圧倒的な勝利を収めたチームが二回戦では気持ちが緩んだのか、同じチームとは思えない位ぼろ負けをすることがあります。

 

そんな時に人に「力」をくれる「考え方」とはどういうものなのでしょうか?

 

もし、身体能力にはそれほどまでの「差」がないのだとしたら、最終的に金メダルと銀メダルの「差」を決めるものは何なのでしょうか?

 

 

続く

【メディア掲載】時代の転換期ー世界情勢の異変の背景にあるものとは?

頻発するテロ、世界的なポピュリズムの台頭、ナショナリズムー

 

いったい私たちは今何を理解することが求められているのでしょうか?

 

いま世界中で起きているこうした異変の背景には「恐怖に対する無自覚」があります。

 

いままで対峙したことのない「恐怖」に出会ったとき、我々はどう向き合うべきなのか? 

人間はチンパンジーに退化するのか?それとも??

 

 

クーリエジャポンでの連載「答えを求めない勇気」の第三回目の記事が配信されました!

 

「答えを求めない勇気」大仲千華 Vol.3 「チンパンジー化」が進む地球の上で、未知の恐怖に打ち勝つ方法

 

ご一読いただけましたら幸いです。

 

お金があっても水を手に入れることが出来ない?! 何事にも「両面」があるの法則

 

クーリエジャポン(講談社)で連載「答えを求めない勇気」を始め、第一回目の記事をご覧くださった方から感想をいただく中で、改めて思い出したことがありました。

 

記事はこちら⇨ Vol.1 紛争後の南スーダンで兵士たちから学んだ「答えのない状況に耐える力

 

一回目の記事の当時、私は自分のキャリアの中でも大きなチャレンジに置かれていました。

 

それは、プロジェクトマネージメントでも戦略立案でもなく、私はお金があっても水が手に入らないかも知れない環境におかれていたからです。

 

でも、人間って強い生き物。

そして、コミュニケーションのチャレンジは人を成長させてくれるようなのです。

 

 

私は、2007年2月、当時の国連の平和支援の最前線であった南スーダンに赴任しました。

(国連は基本的には自動昇進も自動更新もない自己志願制の組織です。)

 

ニューヨークから一旦、日本へ戻り、少し東京の実家で休んでから、(南)スーダンへ赴任しました。

成田空港から、香港とドバイを経由して、1日半かけてスーダンの首都のハルツームに到着。そして1週間くらいブリーフィングを受けてから、今度は国連機で南スーダンへ移動しました。

 

私にとって初めての南スーダン。

 

出張ではリベリアとシエラレオネには行ったことはあったものの、赴任になると気持ちがまったく違います。

チャレンジは覚悟していたものの、こればかりは実際に行ってみないと分からない。

 

まず暑い。。。

外は45度の灼熱。

 

一旦事務所を出ると電気がないから(発電機で発電するから)、ちょっと外に出るだけで体力は消耗するし、寝るのも一苦労。

お湯のシャワーはないし(後で改善されました)、携帯電話もほとんど通じない (当時)。

 

おまけに、時々、南北国境付近の妨害や雨季やらで物資の輸送が途絶えると、水が手に入らなくなる。。。(本当の話し)

 

「内陸国」という意味を実感しました。

 

ではオフィスではどうだったかと言うと。。。

 

さて、

アフリカ人の同僚たちには「正論」も「本部の理論」もまったく通用しない。

しかも、時々皮肉っぽく「ニューヨーク本部の人」とか言われる。(≧∇≦)

ああ、しかも、士気が低い。。。

 

ああ、どうしてここまで???

 

ニューヨークの本部にいることもできたのに、もしかしたら私はすご~くバカな選択をしたのかも知れない。。。

さすがの私にも、正直そんな考えが何度か頭をよぎりました。。。

 

ただ、もう南スーダンに来てしまったし、思ったより大変なので来週ニューヨークに戻ります、と言う訳にもいかない。

 

なにより、まず、自分が生き延びなければならない!

 

だって、お金があったとしても、私は水を手に入れることが出来ないかも知れないのだから。

 

人間の本能でしょうか。

 

私はオフィスの人達に笑顔で挨拶することを始めました。

 

まだ紛争が終わったばかりの土地です。

国連だってまだ信用を得ている訳ではありません。

 

土地柄、挨拶を交わすことは、文字通り、「私はあなたの敵ではありません。私はあなたを尊重しています。」ということをはっきりと示す意思表示でもありました。

 

この時ほど、意識してオフィスで会う人たちに声をかけていた時期はなかったと思います。

 

どこの社会もそうであるように、アフリカは特に人ベースの社会です。

 

携帯もメールも通じないからなお更。

「正論」も「本部の理論」も通じやしない。

頼れるのはまさに人。

 

こうして、私は文字通り「必要に迫られて」、オフィスにいる同僚たちと毎日挨拶を交わしながら、この人はどうしたら動いてくれるんだろうか~ということを試行錯誤していく事になったのです。

 

その流れの中で、傾聴の力を学び、相手の価値観や相手が本当に必要としていることに意識を向けることがあり、その中で、スーダン人民解放軍との関係づくりがあり、クーリエジャポンの記事で紹介させてもらったような「仲裁」的な仕事がありました。

 

なにより、その時に共に支え合ったオーストラリア人の友人との思い出話しは尽きません。パキスタン軍の人たちも、私と友人達をとても可愛がってくれて、よく本場の美味しいカレーを食べさせてくれました😊

 

こう書いてみると、けっして楽だとは言えない環境だったけれども、当時の状況が体験させてくれ、学ばせてくれた事は沢山あったものだと改めて気づきます〜。

 

何事にも物事には「両面」あるのですね。

 

大変だけど喜びをもたらしてくれるのも人。

成長させてくれるのも人なんですね。

 

 

日本にいると、よくも悪くも便利な分、コミュニケーションにはより意識的な努力が要るようにも感じる時もあるけれども、グッドニュースは、人間って底力と繋がれば何でもできるし、コミュニケーションという分野は、投資をするだけの価値が十分にあるということでしょうか。

 

私自身、そんな事を改めて思い出させてもらいました。

 

感想をお寄せくださったみなさま、ありがとうございました!

 

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

こんなことを書いて欲しい、こんなことについて聞きたい!という方はinfo@peaceblossom.netまでぜひメールをください。

 

⭐️お待ちしています~⭐️

キャリアと人生の法則【①】「もう信じらんない」時に何を学ぶのか

キャリアと人生の法則【①】受容と学びの法則

 

ある女性のお話しです。

彼女は、国連の平和支援の一環で独立前の東ティモールに赴任しました。

彼女にとって初めての国連での仕事。

 

オーストラリアのダーウィンと東ティモールの首都のディリでブリーフィングを受け、同僚と一緒に車で山の中を4時間ほど登りました。

 

これから一緒に仕事をする人たちはどんな人たちだろう?

これから住むところはどんなところだろう?

 

もうドキドキです。

同僚のメンバーはオーストラリア人、パキスタン人、イギリス人、カメルーン人、チリ人と日本人の彼女でした。

 

そこで一番年配だったパキスタン人の男性がグループリーダーという役を担うことになりました。

 

初めての国連。

はじめてのミーティングってどんなんだろう。

ドキドキ。

 

ただ、そのミーティングで、パキスタン人のチームリーダーの口から聞いた言葉に彼女は驚くことになります。

 

「これからやらなければならない仕事は山ほどあるが女には無理だな。」

 

えっ???

今、この人、みんなの目の前で「女には無理だ」って言った?!

 

彼女は、隣にいたオーストラリア人の女性の同僚の方を見ました。

国連という組織のことも、仕事内容も、東ティモールという国の事情についても分からなかった彼女は、聞き間違いじゃないかと思って(願って)、その時は黙っていました。

 

しかし、そうした彼の言動は更に続きます。男性のチームメンバーには挨拶をするのに女性の同僚には、一言も挨拶はなく、召使いに接するような「命令」口調で私たちに指示をだしてくるのです。

 

女性は医師や教師以外は補助的な業務にしかつかず、一般的に男性が先に食事をし、女性は台所で食事をするというパキスタンでは、彼は今までの人生の中で女性とはほとんど働いたことがなかったのかも知れません。

国連って女性の権利とか平等を謳ってる機関じゃないわけ?!

 

彼女はそれから、「こういう場合はいったい相手に何と言って、どうやって対処して、どうやってこの問題を正式に提示したらいいんだろう」と悩みます。

 

そんな日々を終えて戻る部屋はかろうじて屋根があって、ほのかに灯がともされるろうそくがあるだけ。

 

ニュースで聞く「国連」と現場での「国連」のギャップに大きなパンチをお見舞いされたような気分でした。

 

国連なんて理想的な職場にいたのだから「ブラック」な問題もないだろう、と、もしかしたら思う人がいるかも知れませんが、どんなことにも物事には両面があるものです。「理念」が大きい分、組織としての課題(影の部分)も大きいものです。

 

彼女はその事実にしばらくショックを受けていましたが、しばらくたって、彼女は他の同僚たちに協力を求め、仕事ができるように助けてもらい、丁寧に地元の人たちに向き合い、信頼を勝ち得ていきます。

 

そして、たくさんの失敗を重ねましたが、彼女はこの経験を通じて沢山の大切なことを学びました。

 

特に、

◎ 必要であれば「ノー」と言うことを含め、自己主張をすべき時を知ること

◎ 同僚たちに助けを求めること

◎ 事実(facts)と人(person)を分けること

 

です。

 

それから数年たって、彼女はこの時に学んだことが、その後、彼女が国連という組織でキャリアを積んでいくためにとても役立っていたという事実に気づくのです。

 

運を下げる人は、そうした状況を受けれられず「こんなこと信じられない」と文句を言います。

 

運を上げる人は、そこで留まらず、与えられた状況を一旦受け止め、その状況は何かを学ぶ機会をくれているのだと捉えます。

 

⭐️キャリアと人生の法則【①】受容と学びの法則⭐️

 

⬇️ 運を下げる人は、そうした状況を受けれられず「こんなこと信じられない」と文句を言います。

 

⬆️ 運を上げる人は、そこで留まらず、その状況を一旦受け止め、その状況は何かを学ぶ機会だと捉えます。学ぶべきことを学び、自分ができることをを探します。

 

 

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