「自分が望んでいることを本当はもう知っていると気づきました。」 会社を辞めようと思っていた人がたったの数週間で体験した「そこに向かっているという充実感と自信」

わたしは国連職員と米軍のコンサルタントを経て、コーチングを仕事とするようになりました。

 

日本ではコーチングやカウンセリングを受けに来る人は、メンタルヘルスの問題があったり、なにか「問題ある人」のように思われるかもしれません。

 

でも、アメリカでは企業の幹部の人たちがコーチをつけ、自分の課題を整理したり、スピーチを練習したり、優先順位を確認したり、次のステップをみつけるための「伴走役」としてコーチをつけることは珍しくありません。

 

ニュヨーク時代の私の同僚の中には、自分の使命やミッションステートメントを作成するためにコーチをつけていた人がいましたし、現場に派遣されている国連職員でもストレスも仕事量も大きい環境の中で自分のやるべきことに集中できるように、とコーチをつけていた人もいました。

 

そして、コーチングやカウンセリングは、何かを「解決」するために受けるもの、と思われるかも知れませんが、コーチング(カウンセリングも含む)は短期的な「対処的」な方法だけでなく、より「根源的」な解決をサポートするという目的をもっています。

 

なにが「対処的」でなにが「根源的」かというと、前者は「問題解決」というベース。

 

問題を解決するというパラダイムにいるので、一つの問題があって解決ししてもすぐ次の問題がやってくるので常に忙しいが、何が本当の問題なのか、ということは問われない。

 

根源的というのは、なにが本当の問題なのかと見極めたり、自分で問題を解決していくための力をつけること。

 

この場合の問題を解決するための力とは、自分の状態(感情、気力、身体、モーチベーションなど)を把握し、よりよい状態に保てること、事実と自分の感情を区別できること、何が取り組むべき本当の課題なのかわかるようになること、そのための対処法を自分でみつけ実際に対処でき、その出来事から学ぶことができる、などです。

 

そして、問題を解決するにしろ、人生の方向が「上向き」になっています。

 

自分が本当に望むことも段々とわかるようになっていき、そこに向かっているという充実感や自信を静かにも感じています。

 

前者がいつも雑草とりに追われているようなイメージなのに比べて、後者は土を耕したり、種を植えたり、水をやったりというイメージ。目指すところは「自分というお花」が咲くことです。

 

そして、「何がやりたかったのかわかるようになった」ということが実際におこります。

 

会社を辞めようかと思っている、という方がいらっしゃいました。

 

あるプロジェクトに配置されたのだけど、担当部長は物の言い方も進め方も「強圧的」。

 

他のメンバーもけっしてチームを尊重するやり方でもなく、ある時には「いやがらせじゃないか」と捉えられてもおかしくないような言動もあったそうです。

 

しかも、会社は合併したばかり。

 

合併後は、なんでも紙で報告を求められたり、とくに理由もないのに残業を求めらたりと「旧態依然」とした旧B社の社風が浸透していきました。

 

それもあって、旧A社と旧B社のメンバーには目に見えない「バリア」が存在して、会社の雰囲気はギスギス。。。

 

そんな環境もあってさらにやる氣もそがれ、ついには原因不明の発疹さえできて、自分でも「おかしいな」と思いはじめたそうです。

 

最初の数回のセッションは、会社のそのような状況がいかに自分にとっていかにストレスで身体に負担をかけていたのかを受けとめ、そうした体験によるショックを解放していきました。

 

最初は身体にかなり「緊張」や「怒り」があるのが伝わってきましたが、感情も解放されていくにしたがって、どんどんと顔の表情も明るくなってきました。

 

自分の心や身体にどんな影響があったのかを受けとめ、自分の状態や心境を「理解」できていくと、症状が和らぐことは珍しくありません。

 

幸いに発疹も収まり、3回くらい集中的にセッションを終えた辺りから彼女の表情はまったく変わっていました。

 

肩に力が入っていたような緊張感がなくなり、印象がとてもソフトになりました。

 

そして、彼女はこんなことを伝えてくれました。

 

「今まで何を見てたんだろうと思いました。⭕️⭕️さんがなぜああ言う言い方をするのか、ただ理解して落ち着いて見れるようになりました。こちらの見方も変わったからか、不思議と相手の私に対する対応も変わりました。」

 

それまで会社を辞めようと思うほどのストレスの元だったものが変わってしまったのです。

 

しかもそれだけではありません。

 

今年の8月の夏休みをご両親の田舎のある山のなかで過ごされたとうですが、その時間がとても心地よかったそうです。

 

自然が要らないものをそぎ落としてくれたのか、ある気持ちが自然と湧いてきたそうです。

 

「自分が本当に望んでいることを本当はもう知っている」と。

 

「ずっと長年蓋をしていたこの気持ちをただ受けとめています。」

 

そう伝えてくれた彼女は、とても「すっきり」した顔をされていました。

 

より根源な部分をほんとうに自分が理解できると、無理やり自分にムチを打って自分を駆り立てなくても、ただ「理解」ができ、やるべきことや「解決策」が見え、身体も自然と動きやすくなります。

 

いつでもそんなことが起こるとは限りませんが、

 

「もう無理」「大変」と思ったことでも、その状況になんらかの変化が起こることは十分に可能です。

 

コーチングの目的は、ある問題の解決や「メンタルヘルス」の回復だけではありません。

 

その目的は、より根源的に人間として成長、成熟することです。

 

その一つは、「自己認識力」を体得することです。

 

「自己認識力」とは、ある出来事に対して自分はどう「反応」するのか、自分がなぜこういう行動や言動をしているのか、自分の反応を客観的に観れることです。

 

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実は「このままでいいんだろうか?」という思いながら、一歩踏み出したいけど一歩踏み出せない人の中で起きていること

一歩踏み出したいけど、不安やネガティブなことばかり浮んでしまって一歩踏み出せないという声を聞きます。

 

「ライフシフト100年時代の人生戦略」が話題になったように、人生を学校→会社→引退という3つのステージで捉えてきた前提自体が変わっていくと多くの人が感じとっている、

 

だからこそ、「このままでいいんだろうか」「なにか新しい可能性に挑戦したい」という意識が社会全体的に高まっているという背景もあるようです。

 

しかし、自分の方向性を見つけていく過程は、すぐに答えが見えないので「今自分が向かっている方向はあっているんだろうか」と悩むことは尽きないし、自分の判断基準をもつこと、自分の感覚を信じることが何度も問われます。

 

「こんなに努力しているのに。。。」「どうせわたしは無理なんじゃないか」「なんか自信をもてない。。。」と自信も失っていくこともあるでしょうし、あまりにもそうした体験が続くと、自分にとって明るい展望を信じることも難しくなってきて、周りの人にも「懐疑的」になっていくこともあるかも知れません。

 

一生懸命に努力しているのになかなか成果が見えず、グルグルと回りをまわっているように感じる時は本当に辛いです。

 

途中でやめたくなることもあると思います。

 

または、幸いにずっと望んでいたような仕事についたり、ある程度やり遂げたし、成功も体験したのに、相変わらず心の奥底には、自信のなさや劣等感があるのに気づいて、がっかりしたり、または、ある程度何かに取り組んだからこそ次の壁に直面して、自分の無力感や虚無感を感じることさえあります。

 

週末はカフェにいったり、ジムに行ったり、友人とワインを飲んだりそれなりに楽しいことがあるので、そんなこと「ないふり」もできるのですが、

 

実は「このままでいいんだろうか?」という思いを感じている人は少なくないようです。

 

そして、そうした嫌な気分を埋めるためには「頑張ること」が大切だと思って、何かに対してがんばろうとします。

 

この資格がとれたら、

大学院を卒業したら

MBAをとれたら

昇進したら

転職したら

。。。

 

と考えてみるのですが、こんな思いも時々頭をかすめます。

「こういうものを表面的に埋めようとするのは無理なのかもしれない。。。」

でも、それを認めるのはこわいし、でも、どうしたらいいのか分からないから多くの人がそこで思考停止状態になってしまいます。

 

そんな時に役に立つことは、まずは、自分の中の「葛藤」に気付くことです。

 

この場合の葛藤とは、

「自分はこうあるべきだ」という理想の自分像と、「ほんとうの自分」との葛藤です。

 

『ほんとうの自分』とは、「こう見せようとしているけど、実は自分ってこうなんだ」と自分で気づいている部分のことです。

 

一生懸命に鎧でおおって、埋め合わせしようとしている部分のことです。

 

たとえば、

かっこ悪い自分

みえっぱりな自分

「私ってたいしたことないな」と感じる自分。

恥ずかしがり屋な自分

批判に過度に反応してしまうジブン。

実はこわがりな自分。

本当はなまけもののワタシ。。。

実はわがままなジブン。。。

実はできないワタシ。。。

傷つきやすいワタシ

などです。

 

誰もがこうした部分を自分の中にもっています。

 

でも、私たちは、「自分はこうあるべきだ」という理想の自分像を信じたいので、

こうしたありのままの自分を受け入れ、認めるのが難しくなってしまうのです。

 

「一歩踏み出せない」という人の多くは努力家で勉強熱心で、能力もスキルも高い人が多いと思います。

 

おそらく能力やスキルという観点から言うとそれぞれの分野で十分に準備ができている人は多いのではないかと思います。

 

でも、一歩踏み出すのがこわい、と言うのです。

 

やってみないとわからないし、やりながら進んでいくものだよ、と頭でわかってはいても、やっぱり「こわい」のです。

 

でも、何がほんとうに「こわい」のか?

実は本人の自覚がないことも珍しくありません。

 

もう一度聞きますね。

 

何がほんとうに「こわい」の?

「こわい」の正体はなあに?

 

 

一つの理由は、

たいしたことのない自分

思ったよりもできない自分がこわいのです。

 

そして、一生懸命にやったとしてもできない分野があること

に直面するのがこわいのです。

 

でも、そこからがほんとうの始まりなのです。

 

「一生懸命にやったとしてもできない分野があること」とは努力を否定するわけではありません。

 

人にはそれぞれの分野や役割があるということです。

 

人との競争ではなく、ほんとうの自分の強みをみつけることを求められていたり、人生の方向転換を求められてる場合もあるでしょう。

 

または、自分が努力しても人生のすべてをコントロールできるわけではない、という事実を受け入れる、という学びである場合もあるでしょう。

 

かくいう、私も国連時代も含め、とくに新しい分野に挑戦し始めたばかりの時は、まさにこれに直面しました。

 

自分の強みを知っている人

本当の自信がある人

自分の軸がある人

自分の役割・使命を知っている人、は、

 

すごいスキルを持った人でも

完璧な人でもなく

等身大の自分を知っている人です。

 

逆説的に聞こえるかもしれませんが

「ああ、この分野ではとうてい自分はかなわない」

「自分ってたいしたことないな」という事実に直面するからこそ、

 

だからこそ

 

人は死ぬ気で必死になって自分の強みや自分の方向性・使命をみつけだそうとするのです。

 

もし、自分は準備のために多くの時間を費やしてきたけど、

なんか周りをグルグルと周り続けているなあ、と感じている人へ。

 

もしそうだとしたら、前に進むために役に立つ方向性は、

 

自分を守るための「鎧」をさらに増やすのではなく、

そういう「自分」を拒否するのではなく、

そんな自分も丸ごと受け入れることです。🙆🙆🙆

 

グッドニュースは、仮に「自分ってたいしたことなくても」死ぬわけじゃないこと(笑)

 

しかも、実は周りの人はとっくに気づいているし、みんなも同じだから。

 

そして、「たいしたことのない自分」を受け入れた自分って愛らしいのです。

 

「自分はこうでなければいけない」と鎧で覆っている自分よりも「楽チン」なのです。

 

「たいしたことのない自分」ーそれでもあなたは愛されてます!💛💛💛🙆🙆🙆

 

 

国連でも必須!「聴く力」こそ世界に誇れる日本の武器だ

世界で活躍するためには、何か特別な資格や能力が必要だと考える人は多いだろう。だが、日本人が得意とする「聴く力」は国連職員の研修項目に入るほど、重宝される力なのだという。

バングラデシュ女性とセックスの話をして気づいたこと

 

ある日のこと、私はバングラデシュの首都ダッカで12人ほどの現地の女性たちと一緒に座っていました。バングラデシュ人の友人に誘われ、「あるテーマ」について話し合う会に参加するためでした。

テーマは、「セックス」です。

人間として当たり前の営みでありながら、途上国、特にイスラム圏では、セックスについて母から娘に正しい知識が伝えられることも、女性同士で語り合う機会もほとんどありません。

それゆえ、結婚年齢の早いバングラデシュでは、セックスについて人知れず悩んでいる人が多い、ということをその友人から聞いていました。

 

「だからこそ、女性同士で自由にこの話題をシェアできる会を持ちたいの。セックスは秘密でもないし、苦痛なことでもない。人間としてあたり前のことだって伝えたいの」

 

友人の熱意と意気込みをはっきりと感じました。

 

イスラム圏では、たとえ女性同士であってもセックスについて話すことには、大きな勇気が要ります。だからこそ、彼女の勇気とパイオニア精神を応援したいと思い、私は会に参加することにしました。しかし実際にその場に行くと、不慣れなテーマに、私はすっかり委縮してしまったのです。

 

「私はセックスの専門家でもないし、自信を持って人にシェアできる体験があるわけでもないんだけど……」

 

つい、そう言い訳してしまった私に、友人はきっぱりとこう言いました。

 

「あのね、チカ。私は専門家の意見を求めているわけじゃないの。私は同じ女性の一人として、あなたにそこにいて欲しいの」

 

その言葉で、ようやく私は自分に何が求められていたのかを理解しました。私は当時、国連の平和維持活動(PKO)訓練の講師を務めていました。その仕事柄、何に対してもエキスパートで答えを持っていなければならないと思い込んでいたのです。

 

友人のその言葉のおかげで気が楽になり、彼女たちの話を聞くこと、そしてなにより、言葉や文化も越えて心が通じ合える瞬間を、私は純粋に楽しむことができました。

 

女性たちも、「日本人のチカが参加してくれたことが単純に嬉しかった」と言ってくれたし、私がそばにいて「心強かった」と友人にも感謝されました。

いま求められる「聴く力」

 

世界を舞台に仕事をしたいと思ったとき、私たちは「何か大きなことをしないといけない」とか、「目に見える成果や結果がないと意味がない」と思いがちです。

でも、本当にそうなのでしょうか?

実は、私がバングラデシュで体験した「一緒にいること」こそ、いまの世界で求められている

ことであり、なおかつ日本人の得意分野でもあると思うのです。

 

この連載の第一回目では、国連職員として南スーダンで働いていたとき、「仲裁」にかかわった体験を紹介させていただきました。

仲裁とは、中立の場をつくり、それぞれの言い分を聴き、その橋渡しをすることです。

この仲裁には、とても大きな力があります。

 

世界でも最も争いの根が深いと言われている南スーダンでさえ、仲裁によって、敵同士でも個人のレベルでは信頼関係が築かれるのを目撃しました。

仲裁の立場では、基本的には助言をしません。逆に、何か言いたくなる衝動を抑える訓練を受けるくらいです。

 

アドバイスもせず、本当に解決方法が見つかるものなのでしょうか? もし本当にそうだとしたら、いったいなぜでしょう?

 

それは、「聴く力」によるものなのです。

 

話をほんとうに聴いてもらえる時人は「変わる」ことができる

 

もちろん、ここで言う「聴く」とは、ただ単に音が耳に入ってくることではなく、より能動的な聴く姿勢を指します。

 

ちなみに、国連ニューヨーク本部で職員が受ける研修では、2日間のうち丸一日を「聴く」訓練に費やします。仲裁や交渉といった専門的な研修だけでなく、全職員に推奨されていたコミュニケーションの研修でも、一日をかけて「聴く」訓練をしました。

 

聴く力は、国連という175ヵ国もの人たちが働く場におけるコミュニケーションの「核」とされているのです。

 

NASAやマイクロソフトのコンサルタントをつとめるアネット・シモンズは、『プロフェッショナルは「ストーリー」で伝える』(海と月社)のなかで、「聴く力」の効果を次のように列記しています。

 

● 話を聞いてもらえる「安心感」

● なんでも自由に話してもいいと思え、相手に受け止めてもらえる体験

● 話すことで、自分が何が理解できて、かつ、理解できていないのかがはっきりする

● 話していくうちに、自分のなかの「理屈では説明できない部分」に気づき、その部分が受け止められることも含め、自分の思考や行動が整理されていく

● 話すことで、自分の話を自分で聞くことになるので、それを再検討できる

● 頭が整理・統合された結果、知恵や創造性が引き出される

 

ハーバード大学のキーガン教授は、人がほんとうに変わろうとするときは、自分が語りつづけるストーリーを自分が検討できるスペースをもてるときだ、と言っています。

 

「『敵』も人間だと気づいた」──兵士たちが漏らした本音

 

私がほんとうに「聴く力」を学べたと感じたのは、PKOの仕事で南スーダンに駐在したときでした。

 

南スーダンのようないつ紛争が再発するかわからないような国では、この先の状況がどうなるのか予測するために自分なりの価値基準や判断材料を持っていなければなりません。

 

そのためのヒントを少しでも得ようと、南スーダン政府や軍関係者に会いにいくのですが、もちろん彼らは簡単に本音を言ってはくれません。

 

そんな状況ですから、彼らの話を聴くときには発する言葉だけでなく、ちょっとしたしぐさや表情にも全身で耳を澄ませるようになりました。

 

そして、言葉では表現されない、彼らの背景やニーズ、動機を探り、「この人たちは本当に和平合意を守るつもりがあるのか?」「本音を言っているのか?」といったことに対するヒントを何とか見つけようとしていました。

 

そんな体験を重ねるにつれ、私の「聴く力」も向上し、相手に対する理解も深まり、自然と信頼関係ができあがっていきました。

 

国連PKO訓練の講師をつとめていたときには、内戦を経験した軍人たちが、本音を打ち明けてくれることがありました。

 

「国に戻ったらこんなことは言えないけど、私はずっと反政府勢力(毛派)と、もっと対話をするべきだと思っていた」(ネパール軍の士官)

 

「私は2回目のイラク派遣で『敵』も人間だと気づいた。戦争は相手を打ち負かせば終わりというわけじゃない」(米軍の同僚)

 

「長年、軍隊にいたせいでずっと葛藤していたけど、『人間』らしさを自分に求めていたんだと気づいた。実は僕、軍隊をやめようと思っているんです……」(ある国の士官)

 

「最近は他の国に紛争の調停に行くようになったけど、私に初めて異文化体験をさせてくれたのは日本の厚木だった。米国の田舎生まれの私の目を世界に開かせてくれた日本に感謝している」──そう話してくれた米軍のとある将校は、北朝鮮への対応で注目を集めるアジア・大平洋司令部ハリー・ハリス司令官の直属の部下でした(当時)。

聴く力には10段階ある

 

そうした体験を経て、私は「聴く」ことにもいろいろなレベルがあるのだと気づくようになりました。以下はこれまでの体験をもとにまとめた「聴く力の10段階」です。

1、相手の言葉を聴く
2、相手のニーズ・心配を聴く
3、相手の動機を聴く
4、相手の考えの「背景」を聴く。どんな理由があって、こう考えるようになったのだろう。
5、相手の感情を聴く
6、相手の強みや才能を聴く
7、相手の願いや望みを聴く
8、相手に対して自分はどう思っているのか、という自分の反応を聴く
9、相手との共通点を聴く
10、相手の本当の姿を聴く

ここで挙げている「聴く」対象は、言葉に表現されているものだけはありません。

まだ、表現されていない、または、本人さえ自覚していないニーズや動機、望みも含まれます。それらにも意識を向け、聴き、感じ、本人以上に理解することが大事なのです。

 

家族や親しい友人ですら、そんなふうに話を聴いてくれることはめったにありませんから、やはり聴いてもらえる体験はありがたいものです。

 

最近のMBAプログラムでは、ジャズの即興演奏を聞きにいったり、アロマの香りを試したり、ダンスをしたり、みんなで一緒に暗闇を体験したりして、「どんなときに人は安心して相手に心を開くのか」を学ぶそうです。

 

こうした取り組みには、従来のトップダウン型からチームの能力を引き出すことのできるフラット型へ、求められるリーダーシップ像が変化しているという背景があります。

 

現代のような変化の早い時代には、一人の人間がすべての答えを出せるとは限らないので、これまでのやり方にとらわれずに新しいアイデアを取り入れることが重要である、という認識が急速に広まっているのです。

 

米軍で国際治安支援部隊司令官などを務めたスタンリー・マッククリスタル氏も、近年、求められる軍人像が「強くて頼りになるリーダー」から代わってきたとTEDで語っています。

https://embed.ted.com/talks/lang/ja/stanley_mcchrystal

 

「この15年であらゆるものが変化しました。まず、地理的な活動範囲が広がり、テクノロジーが使われるようになりました。作戦も多様化して、多くの民間人がかかわるようになっています。

 

そんな変化のなかで、私が直面した大きなチャレンジは、文民や民間人も混じったチームを命令以外の方法で動かすこと。そして、まったく違う価値観やスキルを持った『ミレニアル世代』に積極的に耳を傾け、彼らのテクノロジーのスキルを活用しながら環境を整え、全員を共通の目的に向かわせることでした」

 

それを成し遂げるためにこそ、マッククリスタル氏は「聴く力」を磨いたのだと言います。

日本人の「聴く力」は突出している

 

これは米軍の例ですが、価値観が多様化するなかで、立場や世代を越えて、互いの意見にオープンに耳を傾ける姿勢の重要性はどんな業界にも当てはまるのではないでしょうか。

 

その根本に「聴く力」があるのだとしたら、世界的に見ても日本人はその能力に非常に長けています。

 

私は日本でファシリテーションや仲裁のスキルについて教えたことがありますが、国連の職員が2日間かけてようやく掴みかけるレベルの「聴く力」を多くの日本人がすでに持っているのを見て、驚きました。

 

実際、日本人は「聴く力」や「感じ取る力」を日常的に発揮しています。

 

「あの人は会議でああ言っていたけど、本当に言いたかったのはこういうことだったんじゃないか?」といった深層の部分を洞察することを、みなさんも自然にやっているのではないでしょうか?

 

日本人には当たり前のように聞こえるかも知れませんが、これは世界的にみると稀有な能力です。そして、この力こそがいま世界で求められているのです。

 

たとえば、2011年に独立した後、内戦が再発している南スーダンには、生まれたときから戦争しか知らず、教育を受ける機会もなく、話し合うことを一度も体験したことがないまま大人になった人たちが大勢います。

 

彼らは銃や武力でしか、相手を動かす方法を知りません。いくら話し合いが大事だと言われたところで、彼ら自身一度も「聞いてもらった」体験がなく、話し合うということがどんなものなのかわからないのです。

 

しかしながら、もし、彼らが武器を手に取る前に、誰かが話を聴いてくれていたら、どうでしょう。

 

人は争いを体験するほど、聞いてもらうこと、理解されることを、強く求めるのではないかと思います。生存や安全と同じくらい、人間は社会に承認されることを求める生き物だからです。

 

そもそも、世界にかかわりたい、自分が属している社会をよくしたいと思うのは人間の本能的な欲求です。それが、国連やNGOといった職種に就かないとできない、という状況も変わるべきときなのでしょう。

 

「聴く力」は世界で通用する大きな武器なのです!

 

 

 

日本全国少子化と高齢化の中でなぜ沖縄小浜島の「おばあ」たちは元気なのか?

日本全国で少子化と高齢化が進む中で、人口増加率トップ5を更新し続け(沖縄県竹富町)、おばあたちがとても元気な島があります。沖縄県八重山諸島の一つ小浜島です。

 

この「小浜島」は、沖縄の八重山諸島に位置する人口約600人の島です。

東京からだと

羽田ー那覇(2時間)

那覇ー石垣島(50分)

フェリー(30分)

を乗り継ぎ到着します。

 

私が小学生の時は、南西航空というプロペラ機での移動でしたが、今は直行便もあります。ちなみに、東京ー石垣間は1950キロで、東京ー上海よりも長い羽田発の一番長い路線だそうです。

 

小浜島の丘からは海が見えます。海が本当に綺麗です。

 

小浜島道

 

さて、この小浜島のおばあたちには元気の秘訣がたくさんあります。

 

もう80代、90代のおばあ達ですが、毎日の日課は、朝起きたら、お隣りの家に行って、

 

「おーい、あんた生きてるか〜?一緒に東京に(合唱団の公演に)行くんだよ。まだ死んだらダメだよー。」とそれぞれが周るのだそうです。

 

そして、みんなが集まっておしゃべりをする中で、「みんな歳をとり始めたけど、何かお互いを励まして元気になる方法はないかねえ」、と、そんな話しになったそうです。

 

そして、いつものようにお茶会を開いていたら、誰が言い始めたのか、初恋ばなしを披露することになり、それがすごい盛り上がったそうです。

 

そして、戦争で着られなかったから、結婚ドレスを着ようということになって、お化粧もしてもらうことになったそうです。

 

そしたら、80歳を超えた「おばあ」たちに恋ごころが蘇ったように笑顔と元気が溢れ、みんなで「きゃっきゃっ」とすごく盛り上がったそうです。

 

おばあドレス

 

おばあ達が元気な小浜島では、入会の資格は80歳以上で、70歳はまだ「研究生」、60代はまだまだ「ひよっこ」と呼ばれます。

 

ドレスと恋ばなが恒例になって合唱団を結成。それがきっかけで、島内のリゾート「はいむるぶし」のステージに呼ばれるようになりました。

 

日本全国で生産人口減少、高齢化、少子化が進む中で、全国に元気を与えた、とサントリー地域文化賞も受賞しています。

 

そして、KBG84というグループ名で「徹子の部屋」にまで出場するほどになりました。

 

kbg84 徹子

 

こんなにニコニコと全国の人たち、いやいや、世界の人たちにも(つい最近は、北海道とシンガポールに招聘され公演してきたそうです!)に惜しみなく笑顔を振りまいているおばあ達ですが、この一件温和なおばあたちの笑顔の内には、同時に沖縄の強い日差しにも負けない「芯の強さ」と「知恵」があります。

 

おばあ達が海外にも呼ばれるのは、おばあたちの姿を通じて、島の生活を生き抜いてきた強さと包容力、そして島での生活でつちかった知恵をわたしたちがどこかで感じるからではないかな、と感じます。

 

東京生まれの私が初めて小浜島を訪れたのは6歳の時。

 

小浜島は最初「カルチャーショック」の連続でした。

 

台風がやってきて丸3日間停電。

それなのに、叔母たちはまったく動じず、淡々とろうそくで食事の準備していました。

 

東京生まれの私にははじめての体験ばかりです。

 

ーテレビはNHKしか映らない。しかもよく乱れる(当時)。

ーラジオをつければ、英語か中国語の方がはっきり入る。

ー海辺を歩けば、中国語の漂流物がいっぱい(台湾がすぐそこだから)

ーお店(商店)は全部で3件。でも東京で買ってたものは売ってない(当時)。

 

 

なにより、おばあ達の言葉がわからない!

 

子供ながらにはっきりと感じました。

 

「国境」なんてしょせん人間が作ったものなんだ!、と。

 

 

日中はさとうきび刈りなどの農作業。

時々海に出てたこを釣ってくるなど日常の生活はシンプルなものです。

 

そんな生活の中で、おばあ達がキリリと凛々しい表情を見せる日があります。

 

神に豊作を感謝するために踊りと歌を捧げる祭の時です。

 

いつも見かける叔父達が、突然「きりっと」笛や太鼓、さんしんの名手に変身し、おばたちは、白い衣装に身を包み、神様を迎えるという大役を果たします。

 

島全体で、三日間、神に歌と踊りを捧げるのです。

 

「かっこいい」!!!!!

 

こうした姿を見て育つ小浜島の子供達の憧れは、社長でもサッカー選手でもなく、三線や笛、たいこ、そして歌と踊りが上手い人です。

 

その祭を6歳の時にみた私もあまりの迫力に圧倒され、「大人になったら、絶対にこの祭に参加する!」と誓ったのでした。(成人すると正式な参加資格を得ることができます。)

 

世界中の神話や神に捧げる儀式は突き詰めていくと、どこかに共通点があって、

 

人間が生きていくための知恵を教えてくれていると、人類学者や神話の研究者が言っていることを思い出します。

 

台風が来たらすべてが寸断される環境において、小浜島のおけるこうした祭事というのは、一人ではけっして生きられない島で生まれた「生き抜く知恵」を、おじいやおばあが全身で後世に伝えていく神聖な空間なのでしょう。

 

なんとも深遠な仕組みが出来ているものだと深い感銘を覚えます。

 

 

小浜島では年長者は知恵のある人として敬われます。

 

年長者は若い人に「知恵」を伝える役割があるとされています。

 

 

 

97歳の「カジマヤー」という長寿を祝うお祝いでは島全体で祝福します。

 

ヒデおばあのお祝いの時には、島の小中学校の生徒全員が手作りの竹笛を練習してお祝いをしました。(小浜島は竹笛が有名です。)

 

小浜島おばあ④

 

ちなみに最近「カジマヤー」を迎えた山城ハルおばあ(96)もKBG84のメンバーです。

小浜島⑤

🔼 写真:小浜島リゾート「はいむるぶし」さんのブログより

 

人は誰もが誰かの役に立ちたい生き物。

 

当たり前だけれども、

人は物でもないし、お金でもない。

 

生産するとか消費することと全く関係ない次元にそもそも本来の人の価値は存在する。

 

そして、

 

「いのち」には、

次の世代にほんとうに大切なことを伝えたい・残したい、

よりより社会を残したい、という本能が備わっていることを思い出します。

 

そんな人の奥深くにある自然な本能を「小浜島」は思い出させてくれるのです。

 

 

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《新プログラム》開始しました❗️

 

沖縄には、人がその人本来の姿でない状態を表わすのに「魂が抜けている」と言うことがあります。人は、その人の自然な想いや本当の気持ちに繋がるとき、その人本来の力と輝きを取り戻します。

 

自分の人生について改めて考えたい、前に進みたいという時に、普段の環境と切り離されることはとても役に立ちます。

 

普段無意識に感じている「こうでなければならない」という囚われや集合意識、過去の経験から物理的に離れることができるからです。
この特別プログラムでは、世界の中でも自然がピュアで、生命エネルギーが高い形で残る沖縄の西表島へ行きます。

 

詳細はこちら❗️⇨ https://peraichi.com/landing_pages/view/krgi1

 

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沖縄西表島での新プログラム始めました!

沖縄には、人がその人本来の姿でない状態を表わすのに「魂が抜けている」と言うことがあります。

 

人間は、その人の自然な想いや本当の気持ちに繋がるとき、その人本来の力と輝きを取り戻します。

 

自分の人生について改めて考えたい、前に進みたいという時に、普段の環境と切り離されることはとても役に立ちます。

 

普段無意識に感じている「こうでなければならない」という囚われや集合意識、過去の経験から物理的に離れることができるからです。

 

この特別プログラムでは、世界の中でも自然がピュアで、生命エネルギーが高い形で残る沖縄の西表島へ行きます。

 

沖縄・西表島の太陽エネルギーと生きる力に満ちた大自然のエネルギーは、まさにエネルギーは「湧き上がり」、「循環」するものだということを思い出させてくれます。

 

西表島の海や自然に浸る中で、要らないものが浄化され、自然と本来の自分の想いと力とつながる機会があります。

 

ゆったりとしたスケジュールを組みますので、自然の中で自分の本当の気持ちとつながるセッションをしたり、世界有数の透明度を誇る西表島で海に入ったり、シュノーケリングをしたり、海と夕日の見えるテラスでのんびりすることも自由です。

 

いつも忙しいあなたに、ゆっくりと充電をさせてあげてください。自分のこころと身体、魂を十分に満たしてあげてください。

 

詳しい内容や日程は、お一人お一人のニーズやご希望や予算を聞きながら決めていきます。

お気軽にご相談・お問い合わせください!

 

料金:15万円

 

*2泊3日間のリトリート、コーチの航空券と宿泊、石垣島ー西表島間の船代、手配、コーディネート代を含みます。
*航空券(3万円位〜)と宿泊費は実費です。
*お部屋から海のみえるビラを手配・ご紹介いたします。

*海へはお部屋から徒歩3分です。手付かずのプライベートビーチです。
*奥西表島でのシュノーケリング手配します。

*石垣空港集合。空港までお迎えに参ります。

 

神へ三日間踊りと歌をささげる小浜島にルーツを持ち3歳の時から通った大仲千華のオススメ特別プログラムです!

 

記事⇨ 小浜島のおばあの生きる知恵

 

info(あっと)peaceblossom.netまでお気軽にご相談・お問い合わせください。

 

ビルゲイツが支援している大学でMBAも授業料完全無料!194カ国の学生とタダで一緒に勉強できるのに、なぜ日本の大学なのか❓❓❓

なぜ日本の大学なのか?

海外の大学ではなくなぜ日本の大学なのか???

日本の大学を出ると、どんなスキルが身につけることができてどう役立つのか???

 

 

これまで、海外(アメリカやイギリス)の大学を出ることことの一番のネックは学費と語学力、そして、治安(実際の治安状況というよりは親の心配)でした。

 

授業料は高いし、生活費もかかります。

 

オンラインで、アメリカの大学卒業資格が無料(試験料あり)で得られる時代になった、とお伝えしました。

 

オックスフォードやハーバードの教授たちが軒並み顧問に就いていている、University of the Peopleです。

 

ビルゲイツが、アメリカの教育費が高すぎることが問題だとして、しかもオンラインの時代にあった教育改革をしようという試みの一つとして、支援しています。

 

なぜ無料でできるかというと、ハーバードやMITなどの無料公開講座を講義コンテンツとして利用しているからです。

 

無料公開講座とは言え、質はかなり高いです。

 

しかも、名門ニューヨーク大学(NYU)とも提携をしています。

すでに、3千人以上の卒業生がいて、世界194カ国❗️以上もの学生が学んでいるそうです。

 

2009年に事業開始、卒業はアメリカの四年制大学の卒業資格として認められます。

 

入学条件は高校を卒業していること、英語で授業を受けられること。

 

面白いのは、世界194カ国から参加するクラスメ-トが20名前後でクラスを組み、
オンラインで課題を提出しながら、互いに学び合う仕組みです。

 

ビルゲイツも応援する授業料が無料の大学が開講 !

University of the Peopleに入ってみました

 

そもそも大学を出ることは必要なのか?という議論もありますが、

 

いろんな国の人たちと一緒に学ぶこと、多様性に降れることはそれだけでも十分に価値があると個人的には思います。

 

そして、この大学では科目は主に、Business Administration(MBAの大学版)とMBA、そしてプログラミングとHealth Scienceに特化しています。

 

3年前に初めて聞いた時には、MBAはありませんでしたが、MBAも始まっていました。

こちらも無料です!

 

大学ではもっと幅広い教養を身につけるべきだ、という意見もあります。

 

私個人は、大学では考える力を身につけることが大事だと思っていますが、実業に近いものを学ぶという選択は理解できます。

 

 

さて、では次の質問です。

日本の大学を出ると、どんなスキルが身につけることができてどう役立つのでしょうか❓❓❓

 

この数年、このギャップがかなり深刻な問題として認識されてきています。

 

最近もある現役女子大生の方から、大学で勉強していることと自分が知りたいことが全然違う、という声を聞きました。

 

 

もう一つ、海外の大学卒業生は日本の企業の就職に不利だと言われてきました。

 

4月一斉入社前提で大企業に雇われることを最優先としたら、10年間にはそういう面も確かにあったでしょう。

 

でも、グルーバル人材をなんとしても欲しいという企業にとってそういう人は即戦力になります。

 

ちなみに、イギリスの大学を卒業をした友人で、通常の採用プロセスを経たら倍率何十倍だったであろうところを、外国人のマネージャーとの面接たった一回で、五つ星ホテルに就職を決めた人がいます。

 

しかも、これまで日本のホテル業界の慣習だった、専門学校をでて、ベッドメイキングから修行をするというコースを、ベッドメイキングもドアベル(玄関でお迎えする人)も各一日で終え(人事がそうしてくれたそうです)、一気にそれを飛び越して、フロントを経て希望だったマーケティング部署に一気に行ってしまいました。

 

彼女は、イギリスの大学で勉強していたのですが、最終学年在籍中に、ロンドンの「ザ・サボイ」でアジア人女性初のインターンとして雇われました(ちょっと時代錯誤に聞こえますが、本当の話しです)。

 

彼女は学校から奨学金をもらい、インターン最終段階でサボイに属したまま日本へ調査に来ます。

 

当時、東京で外資系の5つ星ホテルがちょうど進出ラッシュだった時期で、「世界のホテルの中のホテル」と言われる「サボイ」ブランドの力はすごくて、どこも快く調査に協力してくれたそうです。

 

それだけでなく、5つ星ホテルの人事担当者からそれとなく採用の話しをもちかけられたそうです。

 

そして、すでにお話したように、採用されただけでなく、これまでの日本の慣行とされてきたベッドメイキングから修行をするというコースさえも一気に飛び越えていってしまいました。

 

Savoy

Reardon-Savoy

London Hotel Savoy

 

この話しをしたポイントは、「そもそもなんで?」という質問をあえて提起したかったからです。

 

そもそもなんで日本の大学なのか?

 

そもそもなんで日本の企業なのか?

 

 

日本の企業には、どこに配属されるのか分からない、そしてどんなキャリアパスがあってどんなスキルを身につけられるのか分からない、という点があります。

 

専門家よりも、その会社特有のやり方や会社人間を育てることに重点がおかれます。

 

だからこそ、入る方も目的意識をもたないといとも簡単に目的を見失ってしまいます。

 

 

いちおう大学はいこう。

とりあえず塾はいこう。

とりあえず受験勉強はした方がいいだろう。

 

 

「とりあえず」、「いちおう」ばかりに時間を費やすほど人生は長くありません。

 

 

受験勉強⇨大学⇨流企業

 

このモデルの限界をどこかで知りつつあるのに、そうでない自分にとっての幸せのモデルがわからないという面もあるのでしょう。

 

日本全国とりあえず受験勉強、いちおう大学、やっぱり一流企業という「思考停止」状態に陥っているように見えます。

 

受験勉強に向かって努力をしていれば、がんばっている感も得られるので、それ自体がそれなりの安心や満足感にもなるのでしょう。

 

 

でも、今こそ「そもそも」が大切な時代です。

 

そもそも何のために、この勉強をしているのか?

そもそも何のためにそれを目指しているのか?

そもそも、それをすると自分は幸せになれるのか?

 

 

そういう「そもそも」に一人一人が向き合う時代なのです。

オックスフォードの教授との個人指導では一年間で一回も答えが言われない❗️じゃあ何を学ぶの?

オックスフォード大学の大学院ではあまり授業の数は多くはなく、チュートリアルと言われる教授との一対一の個人指導で一年間の学びが進められていく、というお話しをしたことがあります。

 

記事⇨ オックスフォード流「考える力」ー一流は何をどの順番に考えればいいのかを知っている

 

授業を受けずに一対一の個人指導を受けるという制度にもびっくりしたのですが、さらにびっくりしたのは、一年間で一回も答えが示されないことでした。

 

一年のうちに約24回ほど小論文を書き、教授とのチュートリアルの時間を持ちました。

 

その一年間、私は教授からこれが答えだ、というようなことを一度も聞くことがありませんでした。

 

こんなままで年度末の試験を受けて受かるんだろうか、という心配が何度も頭をよぎりました。

 

なぜなら、自分の答えが合っているかどうかが分からなかったからです。

 

正直、この間の期間はシンドかったです。

学生が年度末試験に向けて感じるプレッシャーは相当なものです。

イギリスの場合はいくら年度中に真面目に講義を受けていたとしても、最後の試験でできなければ修士号を受けられないからです。

 

 

 

何度も、教授に「答えは何ですか?」「これでいいんでしょうか?!」と聞きたくなったものです。

 

でも、自分の意見が正しいのか合っているのかは、誰も言ってくれません。

 

 

その替わりに聞かれるのは、決まって同じ質問でした。

 

「なんであなたはそう思うのか?」と。

 

 

これは私の担当教授がいじわるだったという訳ではなく、オックスフォード大学のチュートリアルの目的とは、

 

ある一つの「正解」を聞く・知る・学ぶためではなく、自分なりの意見をや考え方をつくっていくための訓練をする時間だったからです。

 

 

そもそも試験で出される問題にさえも「正解」は存在しなかったのです。

 

私の場合は、人類学という分野の背景や鍵になる先行理論を理解して、それを踏まえているかどうかは判断されますが、その上でどんな意見を述べるかには、正解はなく、基本的にその人の思考プロセスを確認するのが試験のポイントなのです。

 

これまでの学校教育では、決められた範囲の試験の問題に対して、一つの正解を出すのが勉強だとされてきました。

 

日本で教育を受けた私たちは、問題にはなんらかの「答え」が存在するものだと思っています。

 

でも、そうした勉強の仕方では私たちが直面する問題には対処できなくなってきました。

 

スマホとYoutubeの発達で人間が一日に接する情報量は数百倍~数千倍になり、少し前の「最新情報」はすぐに「最新」ではなくなります。そして、世界情勢の変化も早く、予測不可能なことが増えています。

 

これまで上手くいった方法が万能でもありません。より柔軟に問題に対応していくこと、そして新しいアイデアや解決法が求められています。

 

ますます私たち一人一人の考えが自分の考えを持つことが大切になっています。

 

考えるために私たちの頭を柔らかくして、自分で考え新しい発想ができるようになるためにまず理解するべきことは「答えは一つではない」という事実です。