一流はたった一文のために本を読む。 優等生は最初から最後までちゃんと読む。

一流は自分が知ることを先に決めて本を開きます。

 

自分に必要な一文を探すためにページをめくります。

 

それを学んだのは、オックスフォード大大学院でのチュートリアルでした。

 

チュートリアルとは、教授と学生が1対1、もしくは1対2で対話をしながら学んでいく個人指導でした。

 

アメリカの大学が授業でのディスカッションへの参加と毎週出される課題を中心に進んで行くのに対し、オックスフォードではこのチュートリアルこそが日々の学びのメインであって、講義の数自体もそんなに多くなく、講義はチュートリアルを補完するものとしての位置付けでした。

 

オックスフォード大学といえば、最新の世界の大学ランキングでは堂々の1位になりましたし、ノーベル賞の受賞の数も世界トップクラスです。

 

(世界の大学ランキングは、中国政府が世界の大学ランキングをビザ申請のポイントに加算すると発表したことでも話題になりました)

 

 

学生は、チュートリアルの前に資料(文献)を読み、そのテーマについてどんなことが言われていて、何が大切だとされているかについてまとめ、小論文という形で課題の質問に答えます。

 

文献の量は、1週間で20冊~50冊位のリストが渡されます。

 

オックスフォードでは、この作業を一年で、一学期8週間×3学期=計24回を繰り返します。

 

それだけ聞くと、さすが頭がいい人は読むのが早いんだろう、それだけできるんだ、と思われるかも知れません。

 

ここでのポイントは、そうではありません。

 

頭がいい人というのは「読み方」を知っているのです。

 

頭がいい人は、必要なところだけを読みます。

本は最初から最後まで読みません。

自分が知る必要があることは何か?と先に決めて、目次を読んで、あたりをつけてそこから読みます。

 

それがなんとなく分かったら次の本を手に取ります。

そして同じことを繰り返して、仮説を検証していくのです。

 

私が入学したばかりの頃は、1冊目の本にかなり時間をかけていました。

 

そして、提出まで残り2日しかないのに一文字もかけてない、しかも、何が結論なのかさっぱり検討もつかない!

 

読んでもわからないのは自分だけなんじゃないか?と、

途方にくれて泣きたくなることが沢山ありました。

 

ただ、そんな作業を毎週続けてようやく分かりました。

 

単純にそれでは間に合わないのです。

 

できないと落ち込むのではなく、読み方を変える必要があったのです。

 

 

最近、「考える力」に教えて欲しいと言われたので、考える力についてどんなことが言われていて、何が大切なのか調べたいと思って、まとめて15冊くらいはざっと目を通しました。(チュートリアルと一緒ですね)

 

思考法、クリティカルシンキング、質問する力、などのタイトルでした。

 

その中の数冊はパラパラ開いて1分でおしまいになりました。

その中の数冊は一冊につき、30分くらいかけて目を通しました。(付箋が3つくらいついてメモしました)

その中の2冊はジムでバイクで6キロ走りながら30分で読みました。

 

その中でも、じっくり読みたいと思ったのは一冊。数時間かけて楽しみました。

 

 

もちろん、カフェで本を片手にのんびりしたいという時に読む本もあります。

寝る前に読む本というものもあって、こちらは読むと精神が落ち着くような一日一章じっくり味わって読むようなものです。

 

 

ここでお話ししているのは、限られた時間内になんらかのアプトプットをしないといけない場合のことです。

 

これは、社会人の仕事のやり方にそのまま当てはまります。

 

大量の仕事が目の前にあるときに、これを真面目に最初から最後までちゃんとしたいと思ったら終わりません。

 

残業が続いて、自分をすり減らすことになってしまいます。

 

これを終わらせるために、ぜったいに外してはいけないポイントは何か?を先に見極めることが大切です。

 

そして、それに自分しかできない付加価値を加えられるとしたらなにか?自分にしか言えないこと、自分にしかできないことは何か?を自分に問い続けることです。

オックスフォード大学の学生もみんな自信がないという事実ー私たちは何をしたら「自信」を感じられるのか?

私たちは何をしたら「自信」を感じられるようになるのでしょうか?

 

TOEICのスコアがあがる?

会議で発言する?

上司に認められる?

いい出来の資料ができる?

給料があがる?

うまくプレゼンができる?

資格をとる?

大学院へ行く?

MBAをとる?

 

人によっていろいろな体験や考えがあると思います。

 

私自信も国連で働いた時でも、長い間自信を感じられずにずい分悩んだので、「自信」というのは私にとってもとても興味深いテーマです。

 

それがなんであっても、自分で決めた目標をやり遂げる体験は、それが何であっても自信をくれる体験となると思います。

 

ただ、もし自信を「外からの評価」を求めるのならば、究極的にはキリがないとも思います。

 

私がオックスフォード大学の大学院で勉強していた時に驚いたのは、オックスフォード大学の学生さえ、あまり自信がなかったことでした。

 

オックスフォード大学といえば、日本の皇室の人たちも留学する世界の名門校。

 

2016年度の全世界の大学ランキングではハーバード大学やスタンフォード大学をおさえて堂々の2位を保っています。

 

そんな大学院で勉強する人なんだから、きっとみんなすごい優秀なんだろう、自信満々なんだろうと入学前にはずい分と緊張していました。

 

ところが中に入ってみたらー 確かに一部の天才のようなタイプの人はいるのですがー  ほとんどの学生は、優秀でありながら「誰が私の論文を読むんだろう」と悩んでいたのです。

 

それを知った時、ああ、みんな一緒なんだ、とすごく「ホッとした」のを覚えています。

 

 

そんな体験も含め、自分のその後のキャリアを振り返ってみると、

 

「自信」ということに対するより根本的なアプローチは、人と比べることをやめ、自分が自分を知り、自分が自分を認めること、だと感じます。

 

 

そのためには、モーチベーションを保つためにも、自分が自分で日々の成長を確認できる方法があるといいと思います。

 

そのためにできる簡単なノート術はこちらで紹介しています⇨

どうしたら「できる自分」になるんだろう?」と思ったらー毎日確実に自信をあげるノート術①

 

そして、自分が自分の成長を客観的に評価できる視点や基準をもっていることも大切だと思います。

 

まず日々の生活の中では、「うまくいっていないところ」だけでなく、「うまくいっていること」に目を向けることを訓練することができます。

 

これは単に「気休め」に言っているわけではありません。

 

日本人は、強みではなく、弱みを克服しようとする傾向が世界的にも最も強いことが研究からも明らかになっています。

 

自分の弱みばかりに意識が向きがちですが、「うまくいっていること」に気がつき、自分の強みを把握していることもプロフェッショナルとしてもとても大切なことなのです。

 

ハーバード大学リーダーシップ研修: リーダーとは答えを示さない勇気を持てる人

米軍の特殊部隊を採用するために使われる試験のうちで、もっとも難しいものは、射撃技術でも格闘能力でもなく、人里離れた道をただ走らせるという試験だそうです。

この試験がなにより苦しいのは、フル装備をつけて走ることもさることながら、どれだけ走るのかを教えてもらえないこと。

 

5キロでいいのか、20キロなのか、はたまた50キロか?

勢いよく飛び出す人もいれば、慎重にエネルギーを温存して走り出す人。。。

27キロのフル装備を背負い、体力を消耗する中、もっとも辛いのは、肉体的疲労よりも、精神的な疲労。

 

どこまで行けばこのレースが終わるのかわからないという重圧に耐え切れず、多くの候補生が脱落する。。。

 

この試験が見ている状況とは何なのでしょうか?

 

この先に何が起こるのか明確に分からない状況に耐え、モーチベーションを保ち、自分の意思と判断を信じて進むという資質です。

 

この資質ことが、特殊部隊としての任務を遂行するための能力だけでなく、個人の関係であれ、ビジネスでも、子育てでも役に立つものとして捉えられているのです。

 

別の言い方をすると、「不確実性に耐える力」です。

 

では実際のところ、私たちはどれだけ不確実性に耐えられるのでしょうか?

不快な時や不安な時、人はどういう行動をとるのでしょうか?

 

私自身、32人のグループでこの事を肌で実感した体験があります。

 

ハーバード大学大学院ケネディースクールの教授によるリーダーシップトレーニングに参加していた時のことです。

 

その実験は突然始まりました。

企業、大学、NGOなどから参加者が集まった32人の反応は本当に様々でした。

 

グループをまとめようとする人あり、

なんらかの答えを出そうとする人あり、

議論を始める人あり

イライラする人あり

批判口調になる人あり

沈黙する人あり。。。

 

 

その実験自体に答えがある訳でもなく

それぞれの行動が正しかったか、間違っていたかという訳でもなく、

 

その実験のポイントは、自分はなぜあの時そういう行動をとったのか?という

自分の反応(パターン)を知るということでした。

 

Harvard Kennedy School.jpg

 

まさに「不確実性」に対して人はどう反応するかという模擬体験でしたが、

人は答えがないという状態にかな~り動揺と不満を示すことがはっきりと表れた実験となりました。

 

怖れる

怒る

批判する

コントロールしようとする

隙間をなくそうとする

見ないふりをする

黙る

 

 

間違える不安、見くびられる不安、自分は劣っているという不安で

新しいアイデアを引っ込めてしまったり、本当に必要な意見を言わない。。。

 

見えないところでイノベーションを潰しているのはこうした不安や恥の意識なのです。

 

ハーバード大学で「一番影響を受けた教授」にも選ばれリーダーシップを教えるディーンウィリアムズ教授は、

 

本物のリーダーとは答えを示さない勇気を持てる人だと言います。

 

なぜなら、今の時代の課題は複雑すぎて、たった一人の人が「正しい解」を示せるわけではないし、その時には上手くいっていたことでも、これからはより柔軟に適応していくことが求められるからです。

 

別の言い方をすると「答えがない状態をホールドできる力」です。

そして、そこから学びを促せること。

 

なるほど、

変化の激しい今の時代、

リーダーが全てを仕切り、何でも分かっていると考えるのは時代遅れであるばかりか、むしろ害になるのだとしたら、一見「弱み」をさらすようだけれども、これこそこれからの時代に求められる勇気のあるリーダーシップの資質かも知れません。

 

私自身、米海軍のコンサルタントとして

あるプログラムの講師を務めることになった時に、

 

講師たるもの、人の前に立つものはなんでも全て知っていなければいけない、と思っていたので、

たった一言「分からない」と言うのが怖かったがために、

研修の準備のために、かなりの時間に費やしたことがあります。

あの時はずい分疲れました。(笑)

 

今なら分からないことは「分からない」と言ってもいいと思えるので、もっと楽にできると思います。

 

人はいろんなレベルで社会の変化を感じている。

「未知」と「予測できない」ことが日常になってきている。

 

不確実性は私たちを避けてはくれないけど、選べることがあるとしたら、そういう状況に対してどう対処するかということ。

 

だからこそ、まず、不確実性に対して自分はどんな反応をするのかに気づきを持つことはとても大切になりそうです。

変化の激しい時代こそいかに学ぶか①: オックスフォード流「考えるステップ」

最近ビジネススクールで使われている言葉にVUCAワールドというものがあるそうです。

 

VUCAワールドとは、

volatility

uncertainty

complexity

ambiguity

の頭文字をつないだもので、

 

文字通り、

変動が激しく、

不確実性が高く、

複雑で、

曖昧な

世界のことを指しています。

 

改めて指摘する必要もない位、為替の変動から国際情勢まで、今私たちは変化の激しい時代に生きています。そして、ひとつひとつの出来事が、今まで体験したことのないような早さで複雑に影響し合い、思ってもみなかった方法で他の出来事に繋がるようなことも起きています。

 

別の言い方をすると、

私たちは、もはや前例のない「解がない時代」を生きています。

 

最近、世界で政情不安やナショナリズムが激しくなってる背景には、未知の不安に向き合い、答えがすぐにでないような複雑さや不確実性に堪えるよりは、「不正確でもいいからより単純な答え」を求め、

自分に安全をくれると感じられるより大きな集団に帰属感を求めるようになっているからだ、という指摘もあります。

 

私が、南スーダンのような国で仕事をしていた時、それは正に不確実性が極めて高い環境で、解のない課題に向き合う作業そのものだったのですが、私にとっては必ずしも大変だったという記憶だけではなく、ある意味前例もないからこそ、何をやってもいいという切り拓いていく面白しろさがありました。

 

ただ、最初からそう思えたかというとそういう訳でもなく、

不確実性に耐えるメンタリティーと、解がない中で解を導き出すための「考えるステップ」を積み重ねていったように思います。

 

私がそうしたスキルを初めてきちんと習ったのはオックスフォード大学の大学院でした。

 

私がオックスフォードに入学してびっくりしたのは、教授と学生が1対1もしくは1対2で議論をしながら学んでいくチュートリアルと呼ばれる個人指導のシステムでした。

 

アメリカの大学が授業(議論)への参加と毎週出される課題を中心に進んで行くのに対し、オックスフォードではこのチュートリアルこそが日々の勉強のメインであって、講義の数自体もそんなに多くなく、講義はチュートリアルを補完するものと考えられていました。

学期が始まる前から、卒業生からオックスフォードとケンブリッジの特徴こそチュートリアルなんだよ、とは聞いてはいたものの、さて、それだけで修士課程の勉強が成り立つんだろうか?と正直ピンと来ないまま学期を迎えたものでした。

オックスフォード入学式

🔼 オックスフォード大学入学式

では実際にチュートリアルでは何をするのでしょう?

チュートリアルは、週に1回1時間程度、教授と学生が1対1もしくは1対2になって行われ、学生は毎週与えられたテーマについて事前に調べ、質問に対する回答を小論文として書いて臨みます。

 

1週間で20冊~50冊位の文献のリストが渡され、

そのテーマについてはどういう事がすでに言われていて(先行研究のレビュー)、

何がその点で大切だとされていることは何かまとめ(論点の整理)、

課題の質問に答えることになります(議論の結論)。

オックスフォード入学式②

⬆️ ハウスメートと一緒に。このガウンは日常的にもディナーで着る。

言うは易し。

学期が始まるやいなや、キャンパスでは一斉に「メンタル・アスリート」のような生活が始まります。

週一回のチュートリアルの日、徹夜明けの目をこすりながら、自分の書いた小論文を手に教授の部屋をノックします。

ソファーのような椅子に座り、少し挨拶を交わしてから、自分の書いた小論文を声に出して読んでと促されます。

私の担当の教授は、あまり多くを語らない方でしたが、読み終わると、たいていこのようなことを聞かれたものでした。

 

「それはどういう意味?」

「そこをもう少し説明してくれる?」

「なんでそういう結論になったの?」

 

そして、時にはもう一人のチュートリアルのペアの南アフリカ人のクラスメートに「あなたはどう思う?」と議論がふられていきます。

 

チュートリアルが終わると、

その週の課題を終えて、一旦ホッとするものの、

 

その課題の結論を教授が言うわけでもなく、

模範回答や講義の資料やパワーポイントが渡される訳でもなく、

何かを理解したような確かな手ごたえをつかんだ訳でもなく、

自分が勉強していることは果たしてどこかに向かっているんだろうかと、

大きな雲をつかむような作業が果てしなく続くように感じられたものでした。

 

ただ、いま振り返ってみれば、

このチュートリアルこそ、

何を学ぶかではなく、いかに学ぶかを教えてくれた最強の機会だったと分かります。

 

チュートリアルは、

正解を求めるというよりは、

先人の歩みを追いながら(それまでの洞察や理論の積み上げを自分の中で言語化し)、

自由に考え、

新しい解を導き出すための考える方法(思考プロセス)を教えてくれていたのでした。

 

オックスフォード寮からの景色.jpg

🔼 寮の部屋からの景色ー課題が終わらず泣きそうになった時に窓から見えたリスに癒された

 

このチュートリアルの体験は、

「どんなテーマでも自由に追及して良い」という雰囲気の中で、

 

 

「多様な視点があってよいこと」、

「解は必ずしも一つではないこと」、

「自分でテーマをみつけ、向き合い、探求する楽しさ」、

「解のない課題に対して向き合うメンタリティー」の土台を私に身につけさせてくれたように思います。

 

これからの解のない時代、新しい解を求めるための考え方(思考プロセス)はますます重要になってくることだと思います。

 

では、オックスフォードの教授はなぜあのような質問をするのでしょうか?

その質問の意図とは何なのでしょうか?

 

解のない時代に解を見つけるオックスフォード流「考えるステップ」②

 

 

(まとめ)

変化の早い不確実性の高いこれからの時代においては決まった正解があるとは限らない。

正解のないような問いに対してどうやって考えるか・アプローチするかが問われる。

解を求めるのではなく解を導き出す思考プロセス(考える過程)を学ぶ。

 

解のない時代に解を見つけるオックスフォード流「考えるステップ」②

 

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