国連、国際機関、外資系企業の応募書類を準備するための7つのステップー何を表現するかと同じ位どう表現するかが大切

欧米の子供たちは、スキルがあるかないかの前に、応募書類や面接の際に何が求められて、何をどう表現し、何と答えたらいいかを小さい時から訓練されているように感じます。

これは外資系の応募、面接、国連や国際機関に応募する際の書類の準備にそのまま当てはまります。

何をどう表現するかはとても重要です。

国連に応募するための応募書類(p.11)の作成にはいくつかの意識すべきのポイントがあります。


<全体像>

ステップ1.Job Descriptionを次のAction Verbを使って書き出す。

ステップ2.自分が一番やりたいポストや分野を3つくらい選んで、実際のポストで使われているJob Descriptionからキーワードを書き出す。

ステップ3.これまでの仕事や今の業務が政策レベルでどういう意味を持つのか政策レベルで表現し直すこと

ステップ4.実績を数値化して表現すること(何人の地域を担当したのか、予算規模など)

ステップ5.国連PKO・平和構築分野であれば国連PKOで使われるキーワード、開発分野であればSDGsなどのキーワードを取り入れること

ステップ6.  大学、大学院で勉強したこと、課題活動、委員会、ボランティア活動、表彰されたことなど関係しそうなことを全て書き出す

ステップ7.  自分の軸(とくにパッションを持って取り組んできたこと、自分はいつもこういう視点を大事にしてきた、こういうことを大切にしてきた)という視点から全体の切り口を明確にする


関連する職歴が少ない場合、大学、大学院で勉強したこと、課題活動、委員会、ボランティア活動、表彰されたことなど関係しそうなことをともかく全て書き出すことが大切です!

また、自分では気付かなくても、第三者の視点から自分の体験を整理することで、自分では気付かない自分の体験に気づくことはたくさんあります。

仕事内容・業務内容も表現の仕方を工夫することによって印象がまったく変わります。

これまで関わった方々は、数回のコーチングでp.11はまったく変わりました。

国連で採用面接官を務めた体験を踏まえ、お伝えします。

お気軽にご連絡ください。

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*添削サービスではありません。

究極の弱肉強食の世界でも「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではない❗️ーケニアでみたライオンといぼいのししの勝負

ケニアに野生動物を見にいった時に

とても印象に残っているシーンがありました。

 

目の前でイボイノシシの親子たちがのどかに草をはんでいました。

イボイノシシとは、一見ぶたのようなちょっと短足なちょっと

「かわブサイク」な子です(失礼!)

 

子供たちはまだ産まれて数ヶ月なのでしょう。

母イノシシの周りで草をはんでいます。

 

そんなのどかな風景がありました。

それが一転緊張状態に!

 

数百メートル先にいたライオンが急にむくっと立ち上がり、イノシシたちに狙いを始めたのです。

 

野生の動物を見るということは、自然界のなりたちを見るということ。

 

それこそが見る価値があるということなのでしょうが、ライオンが一気にダッシュを始めた時には私は思わず一瞬息を止めてしまいました。

 

イボイノシシママはライオンのダッシュを察知するやいなや、一斉に号令を出したようでした。「散らばれ!」と。

 

子供たちは四方八方に散らばりました。

 

すると❗️

 

ライオンはイボイノシシの子供たちが四方八方に逃げていくのについていけず、「捕獲」は失敗したのです。

 

身体の大きさも足の長さも速さもすべての面で「勝っている」と思ったライオンでしたが、小回りは苦手だったのです。

 

これを「勝敗」とするならば、イボイノシシがライオンに勝ったのです。

 

究極の弱肉強食の世界でも、「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではありません。

 

誰にもどんなものにも長所と短所の両面あります。

 

例えば、きりんは優雅に歩き、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、

敵の動きをいち早く察知できますが、水を飲むのは大変です。

 

 

ライオンはライオン。シマウマはシマウマ。イノシシはイノシシ。

ライオンだけがいても自然じゃないし面白くありません。

 

ぜんぶの存在があることが「自然」。

 

人間も自然界の一部です。

 

ps. ちなみに、目の前で見る野生の象やキリン、ライオン、チーターの迫力満点です。動物園で見るのはまったく違う感動があります。

 

ドバイ経由で行くとヨーロッパに行くのとフライト時間はほぼ一緒です。

 

おすすめです!!!(*^-^)ニコ

 

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Photo: Chika Onaka

 

 

マイストーリー⑫ 原爆の投下ってアメリカにとって『勝利』とは思えないんだ

どうしたら「憎しみの連鎖」を断ち切ることができるんだろう?

和解やゆるしを促すものは何か?

どうしたらその人や国の中で紛争や戦争が終わったと言えるんだろう?

 

南スーダン以来、そんな疑問がわたしの中に残っていました。

そんな中、スリランカ軍対象のトレーニングの講師を打診されました。

 

えっ?スリランカ軍?

一般市民の犠牲者を大勢だして内戦を制圧したばかりのあのスリランカ軍?!

 

スリランカ軍といえば、ちょうどその3年前に、内戦を武力で「制圧」したばかり。タミールタイガーが「人間の盾」で必死の抵抗を試みる中で、スリランカ軍は、一般市民が巻き添えになること知りながら圧倒的な武力で制圧を敢行。何万人もの死者を出したとして当時の責任を当時国連の人権委員会や各地の人権団体から追及されている「張本人」でした。

 

今度はスリランカかあ。

 

私自身、紛争中のスリランカを訪れたことがあり、私が通ったばかりの同じ幹線道路上でたった数時間後に爆破テロがあったことを知ったこともあったし(私はホテルに戻ってそのニュースを知りました)、タミールタイガーのテロによって焼かれたバスを目撃したこともありました。

 

 

さすがに数日迷ったものの、

引き受けようと思ったのは、

 

どうしたらその人や国の中で紛争や戦争が終わったと言えるんだろう?

内戦が終わった3年後のスリランカの状況はどうなんだろう?

「ゆるす」という行為はどうしたら進むんだろう?

そんな私の中の深い部分での関心でした。

 

シンガポールを超え「カレー文化圏」に入ると、女性たちの衣装が華やかになります。

私は紛争中の緊張感を覚えていたので、首都のコロンボでの紛争が終わった街と人々の「開放感」を肌で感じながら、ああ、紛争が終わるってこういうことなんだあ、と感慨深さを味わっていました。

 

もしかしたら、思っているより悪くないかも?!

首都の明るい雰囲気にわたしの気持ちは少し弾んでいました。

 

そんな雰囲気もあってか、

部屋に戻る前に、まだなんとなくブラブラしていたい気分だった私は、宿泊先のホテルの売店を覗いて帰ることにしました。

観光客向けのサファリの本が並んでいるのを見て(スリランカは野生の虎が有名です)、ああ、紛争も終わってこれからサファリに行く時代なんだな、とやはり少し感慨深い気持ちを覚えていました。

 

その隣にはスリランカの内戦について書かれた本が数冊並んでいました。

スリランカのような国では観光客向けにそういう類の本が並んでいることは珍しくありません。

 

なにげなく、パラパラとページをめくる中で私の目に飛び込んできたもの ー

 

それは、タミールタイガーに切落とされたスリランカ軍や警察の死体、一般市民が狙われたバスなどの写真の数々でした。

 

!!!ーーーーーーーーー

 

どこかにあった「淡い期待」は、

どーーーーーーーーーーーーーーーーーん!と一気に吹き飛ばされてしまいました。

 

そう、スリランカではそのようなテロが日常茶飯事だったのです。

そして、その報復にスリランカ軍や警察は、タミル系住民への迫害を強めていたとも言われていました。

 

この人達はまさにその最中にいた人たち。。。

 

私は彼らにどう向き合えばいいんだろう?

この研修で私がやることは何だろう?

私が彼ら・またはスリランカの人たちに届けられる言葉はいったい何だろう?

 

私の中で答えはでないままに、研修がはじまりました。

 

ちょうど同じ週に国連の人権委員会が現地調査に来ることも関係していたのでしょう。

彼らは、無言の、しかし、はっきりとしたメッセージを発していました。

「そのことには触れてくれるな」と。

 

たしかに。。。

 

最初の数日は、相手はこの研修のテーマ(紛争や国連の平和維持活動)といったテーマについてどう感じているんだろう、どう話せばいいんだろう?

互いに「探りあい」のような状況が続きました。

 

さて、今日で研修の前半は終わりという時、講義の最後の質疑応答の時間に彼らの一人の手があげられました。

 

「あのー。。。」

「タミル地域ではこういう事もあったんです。」

 

 

彼らの発言内容に対して同意する・しないは一旦保留しながら(事実と証拠がないので判断もできません)、まず、そうしたコメントを「受け止める」ことが大切だと思いました。

 

それは、あくまでも、彼らにとっての体験ではあるのでしょうが、彼ら自身、自分の体験を話したい・聞いてもらいたいという現れの一つだと私は解釈しました。(自分の体験を話す・聞いてもらうこと自体に大きな癒しの効果があることはよく知られています。)

 

彼らが直接言葉にはしなくても彼らの中にも大きな葛藤があるのをひしひしと感じていました。

「この内戦にはどんな意味があったのか?」

「『制圧』は正しかったのか?」

 

そして、軍隊だけでなく、

「なんで自分の家族が?」

「なんでこんな戦争を許してしまったんだろうか?」

 

シンハラ系住民にもタミル系住民の間にも、それぞれに大きな苦しみがあり、

同時に、もう二度と内戦には戻りたくないという強い思いが社会全体にあるのを感じました。

 

さて週明けは何と言ったらいいんだろう?

今スリランカで必要とされていることは何だろう?

 

9.11のテロの被害者にとっては何が役に立ったのかをまとめたアメリカの大学の研究

日本から持参した日本のB級戦犯の手記

世界の紛争地での事例。。。

 

紛争の原因や経過について分析した研究は何万とあるけれども、個人と社会全体の和解や癒しのプロセスについて体系的に書かれたものはそんなに多くない。。。

 

「答えのない問い」だけれども、いろいろな人のいろいろな角度で書かれた体験やまとめを読みながら、私は和解について考え続けていました。

 

ようやく、自分の中で「ストン!」と何かが「腑に落ちる」感覚を得て、

結局、研修の後半では、こんな話しをしました。

 

「『被害者』は加害者に事実を認めて欲しい、どんな影響があったのか理解して欲しい、謝罪して欲しい、二度と同じことを起こさないと誓って欲しいと望みます。

『加害者』は、被害者に対面するのが怖いということ、『加害者』としての苦しみや傷もあることを理解して欲しいと望みます。可能ならば受け入れられることを望みます。

両方が傷を負うという意味においては、両方ともが「被害者」であると言えます。」

 

紛争後、元兵士の社会復帰を支援するために、どんなことが重要か?あくまでも「一般的には」という文脈での話しでした。実際に言葉として伝えることができるのはほんの一部です。

 

その後、ある大佐の人が私のところにやって来て言いました。

「この内戦の中、何人もの部下を自分の目の前で殺された。腕にはその時の傷もある。それでもタミールタイガーを赦したい。自分が楽になるためにそれが必要だと思うから。」

もしかしたら、彼は外国人である私に対して、スリランカ軍はそう思っているよ、という「ジェスチャー」も含めてそう言ったのかも知れません。ただ、その時、彼の中にある苦悩に触れたのを感じた時、もしかしたらジェスチャーとも言えないかもと感じました。

 

苦しい。

この苦しみから楽になりたい。

この苦しみから楽になれる道があるとしたらそれは「ゆるす」ことしかない、と。

 

けっして、軽い意味では言えないであろう事を伝えに来てくれた彼の言葉のトーンを今でも覚えています。

そして、講師チームを一緒に組んでいた同僚のアメリカ人(ルワンダなどで人道支援にあたっていた)の人が言いました。

 

「アメリカでこんなことを言う人は少ないけど、原爆の投下ってアメリカにとって『勝利』とは思えないんだ。」

 

スリランカの経験について学んでいたと思っていながら、これはそのまま日本に当てはまることかも知れない ー そんなことを思いました。

 

戦争に「勝者」はいない。。。

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紛争。

憎しみ。

ゆるし。

 

けっして簡単に向き合えるテーマではないし、

ぶっちゃけ答えも正解もない。

 

私がその時期に人権侵害の当事者であるスリランカ軍の研修を務めたことでさえ、いいかどうかなんて分からない。

 

あの時何を言えばよかったのか?

言わなかったらよかったのか?

ただ、実際に言葉として伝えることができるのはほんの一部。

 

ただ今の時点でもし何か言えることがあるとしたら、

自分なりに「答えがない問い」に向き合い続けること

 

もしかしたら、その姿勢を通して何かしら伝わるものがあるかも知れない。

 

そんなことを思ったスリランカでの体験でした。

Bali 2010 708

 

マイストーリー⑪ どうしたら究極の男性社会である軍隊が耳を傾けてくれたのか?

 

国連を退職して、燃え尽き、まったく働けなくなった時期を経て、

私は、米海軍大学院付け Center for Civil Military Coorperation (CCMR)の専門家として、アジアや中東の軍隊に国連平和維持活動について訓練する国際的なプログラムの講師となりました。

当時、そのプログラムで講師を務めていた人たちは元軍人のアメリカの人たちが多く、女性はそもそも数が少なく、日本人の女性としては私のみでした。

 

相手は現役の軍人。母国で内戦に関わった人たちもいる。

さて、彼らにいったい何と説明をしたら耳を傾けてくれるんだろう???

 

 

そもそもなぜ私が雇われたのか?

その理由の一つは、私が「女性」だったからでした。

 

では、なぜ女性が必要なのか?

 

国連の平和維持活動の目的は「敵」を倒すことではありません。

国連の現場では「敵」はいないと言われます。

なぜなら、たとえ 相手が「武装勢力」や暴徒であっても、彼らは話し合いをする相手だからです。

 

暴力を止めさせること、

なんとか話し合いの糸口をつかむこと、

交渉することが求められ

武器は最後の最後の手段として正当防衛にのみ使用することが許されています。

 

同時に、住民を暴力から保護する時には武器(銃)を使ってよいこと、

日常的に紛争を予防すること、

住民への被害を防ぐために積極的に行動すること、

人権を尊重することも求められます。

 

ではその肝心の「現地住民」のことを私たちはどれだけ知っているのか?

その住民の半分は当たり前ながら女性。

 

わたし自身、特に女性だからというアイデンティティーはあまり持っていないのだけれども、現地の人たちとの信頼関係を築くことが紛争の予防のための一つの鍵だとしたら、

 

実際には女性だからこそ出来る領域が存在することは事実なので、講師に女性がいるのは私自身もいいことだと思いました。

 

とは言え、それが彼らにとってどこまで説得力を持つのかはまったく別の話しです。

 

この研修では2~3週間かけて、現役の軍人に国際人道法からジェンダーから、武器使用基準から交渉までをみっちりトレーニングします。

 

究極の男性社会である軍隊に(しかも内戦をしてきた人達に)ジェンダーの話しがどこまで通じるんだろう???

いったい彼らに何と説明をしたら聞いてくれるんだろう???

内戦をしてきたかもしれない彼らに私が伝えられることは何だろう???

 

 

私は緊張したまま、バングラデシュへ出発しました。

バンコクで乗り継ぎ、首都のダッカに到着。ダッカからさらに車で3時間ほど走り、バングラデシュ軍の国連PKO訓練センターに到着しました。

研修の部屋のレイアウトを確認し、女性トイレの場所を確認し(軍の施設では女性の数が圧倒的に少ないのでこれが大切です)、次の日に備えました。

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訓練の1日目。

冷静を装っていたつもりだったけれども(多分ばれてた)内心、私の心の中は緊張でバクバクでした。

2日、3日たって、大きなバクバクが小さなバクバクになってきてよかったと、ホッとしたと思ったのもつかの間、講義の最後の方で質問がでました。

 

「とはいっても、国連は◯◯で何も出来てないじゃないか?」

 

確かに。。。

ある意味健全な反応だと思う。

だって、その中にいる私なんて、本当に本当にしょっちゅうフラストレーションを感じるているんだから!!!

実際に、国連という組織の理念が大きければ大きいほど、現実のギャップを目のあたりにする時、そういう疑問やフラストレーションもさらに大きく感じます。

 

ただ、その質問に対してはいろんな角度から応えることができると思いましたが、この場合、質問の真意は別のところにあると感じました。

 

その質問の真意とは、

「公式意見じゃなくてあなた個人の意見を聞きたい。」

 

もっと言うと、

「あなたはどういう気持ちでこの課題を捉えているんだ?」

 

もっと言うと、

「あなたっていう人はどんな人なんだ?」

 

もっと言うと、

「僕たちは実際に内戦をしてきた軍隊なんだ。単なる理想主義も理論も信じられない。どうしたらあなたの言うことを信じられるのか?」ということだったと思うのです。

 

その通りなのです!!!

ただね、こっちだって本気なんだよ!!!!!

私は経験上、こういう時にはこちらの本気度が試されていることを直感的に感じました。

 

わたしも腹をくくりました。

わたしは真っ直ぐ彼の方に向きなおし、ゆっくりとしかし一言一言はっきりと話し始めました。

「私個人の意見をお伝えします・・・」

 

正確な表現は覚えてないけど、それ以来、流れが「ガラッと」変わり始めたのをはっきりと覚えています。

 

それはいわば、お互いを理解してみようかという「はじまり」だったのです。私が彼らに半身半疑だったのと同じだったように、彼らだって私に半身半疑だったのは当たり前。

南スーダンにいたと時には、30カ国以上の軍人の人たちと日常的に接していた私でさえ、自分の中にある根強い「偏見」というか、誰かを「悪者」にしておきたいという誘惑に直面することになりました。

完全にわたしの「偏見」がなくなったとは言えなかったけれども、それは一旦脇において、ともかく目の前の訓練に集中しようと思いました。

 

 

「みなさんは国連の精神を示しに行くのです。

みなさんの行動一つ一つが国連の信頼に関わります。」

現地の住民の人達から見れば、軍人も私たちのような文民も同じ国連の要員です。実際のところ、紛争地であればある程、最後に自分の身を守るのは信頼関係です。

 

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「その判断をしたのは何でですか?」

「みなさんは地域の住民の人にとってどう映りますか?」

「紛争を予防するために何をしますか?」

 

住民の人達と向き合う時の姿勢、

情報収集のためのコミュニケーションのし方、

銃の構え方にまで注意を向けました。

 

面白いことに、こちらが相手を理解しようとするとその姿勢が相手にも伝わるのか、

訓練がもうすぐ終わろうという頃、一人一人ポツポツと私に話しかけてきてくれました。

 

「長年軍隊にいて葛藤があったけど、『人間』らしくあることを自分に求めていいんだって思えた。」(バングラデシュ軍オフィサー)

 

「僕は2回目のイラク派遣で、ようやく気付いたんだ。

『敵』も人間だってことを。

僕たちはたとえ戦闘中だって敵を人間として扱うべきなんだ。」(米軍同僚)

 

「ネパール軍に戻ったらこんなこと言えないけど、僕はずっと『反政府勢力』ともっと対話をするべきだって思ってたんだ。」(ネパール軍オフィサー)

 

「実はぼく軍隊をやめようと思っていて。。。」

 

えっ?!これそういうトレーニングだったっけ?!(汗。。。)

 

「みなさんがすでに持っているスキルを人を助けるために使うことができますよ。」

たった2週間のうちに、人が変わったように生き生きし始める瞬間を目の前で私は目撃することになったのでした。

人というのは、究極的には誰でも人の役に立ちたいという願望を持っている存在なんじゃないか?

 

たとえ相手が誰であっても、

自分の中の偏見や判断が完全になくならなかったとしても、

それを一旦保留し、一人の人間としてただ目の前の人に向き合うということー

 

この一見とても静かなアプローチにはとても大きな効果があるんじゃないか?

 

 

そんなことを体験してトレーニングは成功りに終了しました。

 

マイストーリー⑨あなたは私たちが「可哀想」だから来たのか?

私は、赴任先の南スーダンで今までにないチャレンジに直面していました。

除隊兵士の社会復帰の支援という仕事 ー この長いプロセスのための作業は山積み。仕事をこなしながら、現役の軍人から政府の高官からシスターなどいろいろな人とも関係を築かないといけない。

私は身体が強いわけではないし、体力があるわけでもない。みかけは華奢な体つき。

このままではいくらやっても燃え尽きるのは時間の問題。

さて、私がやることは何だろう???

私の南スーダンでの仕事の一つに、和平合意が守られているかどうか当事者同士で確認するための定期会合にに文民の一員として参加するというものがありました。

世界の中でも最も争いの根が深い紛争の一つとされた南スーダンでは、和平合意が結ばれた後、和平合意が結ばれ守られるためにいろいろな仕組みがありました。その一つが、国連が第三者として中立の場所を提供し、定期的に和平合意を結んだ人たち本人が定期的に集ってもらうことでした。

その定期会合は、一万2千人強の国連軍を指揮するForce Commanderと呼ばれる軍人のトップ(General=大将レベル)が議長を務める国連の役割の中でも最も重要なものの一つで、かなりの緊張を強いられる会合でした。なぜなら、お互いが不信をぶつけあうからです。

「こんなことが起きた (怒り)」

「これは和平合意違反じゃないのか!(怒り)」

特に「南スーダン人民解放戦線 (SPLA)」側の激怒です。

彼らは40年も続いたスーダンの内戦の中で、「反政府勢力」、ある時期においては「テロリスト」と呼ばれた人たちです。

一旦彼らが発言を始めると彼らの怒りが止まらないのです。

自分たちの地域だけ学校も病院もない、南スーダン出身という理由だけで公務員試験さえ受けられない、「野蛮人」と呼ばれてきた等の歴史的背景。

今はかろうじて停戦しているものの、独立はおろか、また紛争が再会するのではないか等、彼らの怒りと不信には根深いものがありました。

一方通行な発言と怒りとフラストレーションの応酬が続くことも多く、時には答えの見えないまま、何時間もそれを聞き続けます。

その会議にいるだけで疲れるという人がいる一方で、私はその会合はその場にいる全員にとって大きな機会だと思いました。

 

なんで彼らはあんなことを言うんだろう?

彼らの本当のメッセージは何だろう?

私(たち)は何をすればいいんだろう?

 

何回も会議を重ね、何時間も彼らの怒りを聴いてようやく気づいたことがありました。

彼らの本当のメッセージはこうなんじゃないか?

 

「あなた達はどこかで『なぜこの人たちは殺し合いを続けるのだろう?』

そして『何時間も怒り続けるんだろう?』と他人事のように思っている。

あたかも『私たちはこんなことはしない』と見下されているようだ」と。

 

彼らの経験がそうさせるのか、彼らは敏感にその場の「力」を感じ取ります。

国籍、経済レベル、肌の色、性別、教育、組織、役職といった「力」が圧倒的に強い人が、その自覚なしに、『怒りをおさえて冷静になりましょう』とも言おうものなら、それ自体も暴力だと言わんとばかり、彼らはさらに怒り続けるのです。

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それは、正式な会議を離れた時でも、一対一の関係でも同じでした。

彼らは敏感です。

 

 

「あなたは『正しく』て私たちは『間違ってる』と言いにきたのか?

私たちが『可哀想な助けが必要な人たち』だからあなたは来たのか?」

 

 

こちらが国連の肩書きを持っていようがそんなものだけでは関係は成り立ちません。

私自身、表現は違ったけれども、似たようなことを言われたことがありました。

 

 

同時に、「抑圧される側」は「怒りの中毒」にはまる傾向があることにも気づきました。

彼ら自身、怒りはじめたらそれをなかなか納めることができないのです。

 

そんな時には、一旦ランチ休憩になります。

ランチはケニア軍、中国軍、インド軍などなど国連軍が持ち回りで用意するのですが、

「さすがインドのカレーは美味しいよね」と

スーダン軍とスーダン解放戦線と一緒に同じテーブルを囲み、おしゃべりしている時の彼らは当たり前ながら一人の人間でした。

(ところで、一緒にご飯を食べることの「紛争解決力」は大きいと思います。)

 

 

そして、次の日はヘリコプターに乗って彼らの言い分を確かめに実際に「現場検証」に行きます。

一緒に現場に行く先で、「会合で取り上げられていたことはこうでしたが、実際に起きていることはこうでした」と一つ一つ確認をするのです。

 

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現場についたら、指摘されていた駐屯地での兵士の数が合意の範囲内であるかどうかを確認します。これを実際に数えるのはミリタリーオブザーバーという軍人の人です。

 

会合で何度も顔を合わせている内に、徐々に彼らと信頼関係が生まれてきました。

ヘリコプターに乗って一緒に「現場」に行く先でも、個人レベルでは敵同士でも信頼が生まれるのを見ました。

 

ー お互いの言い分を判断なく聞くこと

ー どちらかが怒りだすことなども含めてそこで起きているダイナミックスをただ理解すること

ー 中立の「場を保つ」こと

 

これは仲裁 (mediation)と呼ばれます。

 

一見、何もしてないような「もどかしい」状況に見えながら、仲裁の効果というのは思っている以上に大きいんじゃないか?

 

和平合意の定期会合のようにフォーマルなものだけでなく、実際には、一緒にご飯を食べることや、一見ただ雑談をしているようでありながら「聴く力」を発揮している場合も含めてです。

 

そして、そういう場があること、そういう人が一人でも多くいることが大切なんじゃないか?

 

それなのに南スーダン政府には、コミュニケーションに関する研修がまったくないことに気づきました。私はさっそく南スーダン政府にコミュニケーション能力に関する研修を提案し、講師を勤めた研修が終わると、政府の人は言いました。

 

「もっと早くコミュニケーションを学んでおけばよかった。これこそ南スーダンが必要なものだ」と。

そして、私は多国籍チームのリーダーに抜擢され、チームメンバーや同僚の言うことに耳を傾け、地元の知事や大佐、敵対する人達同士が言うことにも耳を傾けました。「聴く」ことーその力とそれ自体私の大きな強みであることを発見していきました。

 

争いのある環境だからこそ、人は理解されることを切実に求めているんじゃないか?

 

紛争地では課題が山のようにあるように見えます。

何か大きなことをしないといけないんじゃないかと私は思っていました。

確かに課題は山済みかも知れないけれども、

 

本当の意味で目の前の人のことを「聴く」こと

ー目に見えない一見小さいなことだけれども、その力こそ今世界で求められていることじゃないか?そう実感した南スーダンの体験でした。

マイストーリー① 日本語が入らない?!羽田発一番長い路線で着いた島で

マイストーリー①日本語が入らない?! 台湾のそばの島で

それは私が6歳の時の体験でした。

テレビをつけるもののNHKしか映らない(しかもよく乱れる)。。。

ラジオをつけるも英語か中国語の方がはっきり入る。

海辺を歩けば、台湾側のビーチには中国語の漂流物がいっぱい(台湾がすぐそこだから)。。。

台風がやってきて丸3日間停電。。。(それまで停電など体験したことがありません。。しかも3日間も!)

 

それなのに、誰も動じた様子もなく、叔母たちが淡々とろうそくで食事の準備してくれます。

 

お店は全部で3件。いつものお気に入りのお菓子はまったく見つからない。

みんな私には「標準語」で話してくれるけれども、島の人同士が話している言葉はさっぱり分からない。。。

 

うーん?!

お母さんは海のきれいなおばあちゃんの島で遊びたい?って私に聞いてきたけど、「外国」に行きたい?って聞かなかったよなあ。。。

 

海辺を歩きながら、子供ながらにこう思いました。

 

国境なんてしょせん人が作ったものなんだ

 

それは私が6歳の時の体験でした。

 

小浜島道

 

そして、島の人達が大変身する島の祭事。

いつも見かける叔父さん達が、突然「きりっと」笛や太鼓、さんしんの名手に変身し、丸3日間、島の人は神に豊作を感謝するために踊りと歌を捧げます。

かっこいい!!!

だから、この島の子供達の憧れは三線か笛か太鼓、それから踊りが上手い人。

台風が来たらすべてが寸断される環境において、こうした「祭事」は、一人ではけっして生きれない島で生まれた「生き抜く知恵」

 

あまりにカッコよくて、

そして子どもながら感じた荘厳な雰囲気に、

大人になったら私も踊りたい!

東京での生活とは全く違う次元での生活や文化というのがあるんだ。

もっといろんな文化や国をみて見たい!

ともかくそう思いました。

 

小浜島は、東京から那覇まで飛行機に乗り、さらに那覇からは、南西航空というプロペラ機(当時)に乗って石垣島へ行き、さらにフェリーに乗ります。

ちなみに、東京ー石垣間は1950キロで、東京ー上海よりも長い羽田発の一番長い路線だそうです。

この小浜島での体験は、強烈な「異文化体験」を私の心に残し、私の外の世界への興味を一気に開いてくれたのでした。

マイストーリー②はじめての外国人の友達

国際機関で本気で働きたいと思っている人に

国際機関で本気で働きたいと思っている人に

 

こんなことをしたい!

こんな経験がある。

今チャレンジしたい!

 

その想いを国際機関に伝わるようにするというのが私の役割なのかなと思います。

 

応募の際には基本的に二つのものが必要になります。

 

⚪️ 履歴書(オンライン方式も含む)

⚪️ カバーレター(自分はどの分野に応募していてどう貢献できるのかのその理由)

 

履歴書ですが、日本語の履歴書と英語の履歴書はまったく違うものだと思ってください。

日本語で書くと無意識に謙譲の文化が働くのか、ただ経歴の羅列のようであまり想いの伝わらないものがありますので、

日本語を英語に訳するというよりも、自分で自分をプレゼンするというニュアンスの方が近いと思います。

 

ただ、まず一番大事な点は、熱意と関心が相手に伝わることだと思うので、

最初から完璧に作ろうと考えるのではなく、まず実際に書き出してみるといいですね。

 

カバーレターを書く際には、それぞれの組織が活動している分野、アプローチ、最近重点を入れている分野などを調べて、それぞれの組織の言語を使ってレターを書くようにしてください。

 

例えば、同じ教育といっても、世銀、ユネスコ、ユニセフはアプローチも組織のカルチャーもかなり違います。

だから、自分の関心をはっきりさせることと同時に相手の言葉を使って表現します。

相手が採用する人がどんな人を欲しいと思っているかを思い浮かべて、相手に表現を合わせること、より効果的に準備ができます。

 

その上で、国際機関が見ている視点、評価の視点というのがあります。

カバーレターを一人で何度も添削するのも1つの方法ですが、採用官の視点を先どりすれば、より効果的な表現ができます。

 

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その上で、ご希望であれば電話インタビューの練習も可能です。

国際機関が聞く質問も、評価の基準も決まっています。

採用側のパネルをつとめた体験を踏まえ、評価の項目や評価の採点方法という視点からフィードバックします。

 

国連の採用面接なんて簡単だー ◎◎◎ を正当化すること

 

質問される項目はウェブサイトにアップされています。ぜひご参考にされて下さい。

http://www.umid.info/united-nations-competency-based-interview-questions

 

3人以上集まったらセミナーとして開催します。

info@peaceblossom.netまでご連絡ください。

 

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海外留学・面接・国連応募 パワーアップコーチング

1秒で横のトレーに片付けられてしまう何百もの履歴書がある一方で、なぜか惹きつける履歴書があります。英語の履歴書とはただ経歴を羅列するものではなく、自分という人はどんな人なのかをプレゼンするもの。自分とはどういう人なのかを世界に向けて表現する大切なツール。あなたの魅力を引き出し、表現するお手伝いをします。

《ご感想》

細かいコメント本当にありがとうございました!!自分の英文履歴書のやカバーレターの印象や内容に関して、誰かに客観的にコメントをしてもらったことはなかったのでとても新鮮です☆  ずばり指摘のとおりです・・!とても参考になりました!

大仲千華のコーチング

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【戦争をした国だからこそ世界に伝えられること】

南スーダンで身にしみて体感した。

戦争に勝者はいない。

みんな負け。

 

「勝者」がいるとしたら、なぜ戦争に向かったのかという課題に向き合える人。

 

緒方貞子さん(国連難民機関のトップを務めた人)は学者畑なのに世界のどんな紛争・課題にも的確に指示を出す。

 

あまり知られていないけど、彼女が博士論文で追求したのはなぜ日本は戦争に向かったか、というテーマ。

彼女の強さの一つは、戦争に向き合ったことにあるのではないか、と個人的には思っている。

 

戦後70年たった今も「日米関係」は異常。紛争国で働いてリアルに気づいた。

 

この前訪れたキャンプ座間。米軍基地にあんなにお金を払うのは日本だけ。

国連PKO以外はみんなアメリカの戦争。

 

「おーい国民はこっちだよー!」

首相が仕えるのは国民。

アメリカじゃない。

 

日本の「戦後」はまだ終わってない。

 

自分たちが体験したからこそ、似たような体験を持つ人たちに耳を傾け、争うよりも平和の方が得だよと伝えることができる。

日本人は本来こういう役割ー

特に仲裁(mediation)が世界の中でも最も得意な人たちだと思う。

 

日本には戦争をした国だからこそ世界に伝えられることがある。

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海外に行きたいのに親に反対されたら(南スーダン編)

先日、これから南スーダンへ行くという若い方にお会いしました。首都ジュバにあるユネスコ事務所でインターンをするためだそうです。せっかくのチャンスを得たのはいいけれども「治安面での不安があります」とおしゃっていました。

 

確かにそうですよね。

私も一番はじめの赴任地東ティモールへ赴任した時の治安面での不安は大きかったのをよく覚えています。

 

では、その南スーダンですが、国連要員の一番の死亡原因はずばり何でしょう?

 

夜9時以降は外に出ない(現時点での国連の南スーダンの治安対策による)

無線の使い方をしっかり覚える(現地に着いたら配られます)

無線の点呼に参加する(治安レベルによって行なわれます)

など、まず現時点での国連の南スーダンの治安対策に従うことは必須条件です。

 

その上で、何が国連要員の死亡原因となるのでしょうか?

 

南スーダン(UNMIS)における国連要員の死亡原因

 

① 病気 41件(68.3%)

② 事故 11件(18.3 %)

③   分類不明4件(6.65%)

④   悪行(malicious act)4件(6.65%)

合計60件(2005-2011年の間)

 

国連本部PKO局ウェブサイトより

http://www.un.org/en/peacekeeping/resources/statistics/fatalities.shtml

 

①   病気

病気の原因の多くはマラリアです。病院施設が限られていること、インフラの不備で輸送手段が限られるため、状態がひどくなった時に搬送まで時間がかかる(場合によってはヘリコプターを使う)ことが理由として挙げられます。

実際には、現地でのストレスレベルが日常的に高いことが認識されないまま、毎日「ついがんばってしまう」こと、積み重なったストレスが免疫レベルを下げてしまうこと、マラリアだと気づかないこと、マラリアくらい大丈夫だと思ってしまうこと、があるようです。実際、母国では実戦を経てきた頑強そうな人たちが病気で命を失くす例が私の周りでもありました。

その病気ですが、統計を改めて確認すると、2006年という始めの国連が首都を越えて地方に展開し始めた一年目で13件と一番多く起きていることが分かり、その後輸送やオフィスの整備が進むにあたり2010年では3件と数が大きく減っています。つまり、輸送手段や医療整備の整備とそのまま関連している事が分かります。

② 交通事故

二番目の原因は交通事故です。PKOの場合は、軍事オブザーバーなどパトロールを行なう時に自分で車を運転する必要のある職種が多々あるのですが、多くの国・場所で交通事故が大きな死亡原因としてあがります。自分の国ではない「解放感」、政府機能が崩壊している国ということで気が緩んでしまう、ストレスが高くなる環境で運転でストレス解消しようとすること、他に娯楽がない環境で仕事中毒になる、などが原因として挙げられます。

すると、直接的原因は6.65%ということになります。この数字を大きいとみるのか小さいとみるかはその国の情勢にもよるので一概には言えませんが、この6.65%の出来事が組織的なものなのか、突発的なものなのかという点でこの数字の評価はさらに変わります。

つまり、南スーダンのような紛争に近い最前線の勤務地・国であっても、93.35%以上は、直接的な行為ではない原因だということです。

 

アフリカ

南スーダン

内戦が再発

民族間の衝突

 

確かにそれだけで「危そう」に聞こえるし、不安が「漠然」と膨らみそうです。

知らないことが多い時には漠然と不安が大きくなるものですよね。

 

ただ、全然で紛争予防や治安維持をする人たちの間でさえ、一番の死亡原因は病気と交通事故だということです。

 

何が本当に気をつけるべきことなのかーそれがはっきりすると不安はずいぶんと和らぐと思います。

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ヘリコプターを地上から素手で誘導:仕事は行ってみないと分からないの訳

わたしの国連での一番はじめの仕事は選挙支援でした。

役所の書類がすべて焼けてしまっていたり、紛争中に国境を超えて難民となった人もいたりと、まず人口も有権者の人数がわかりません。なので、担当地域の村々を一つづつ周って、村長さんにだいたいの人口を聞き、選挙名簿をつくることからはじまります。

選挙名簿をつくる際には、生まれた場所や今住んでいるところ、生年月日などを登録していくのですが、年配の方は自分が何歳なのか知らない人がたくさんいます。なのでこんな質問をします。

「おばあちゃんが生まれたのいつですか?

ポルトガル時代ですか?

日本時代ですか?

インドネシア時代ですか?」

そして、そもそも選挙ってなんですか?という「選挙教育」(Civic Education)を村でやっていきます。

「これから東ティモールは新しい独立国となります。

選挙というのは新しい東ティモールという国の代表を選ぶ機会です。

この人たちが議会のメンバーになります。

そしてこの人たちがやる一番はじめの重要な仕事は憲法を決めることです。

憲法とは東ティモールという国がどんな国になるのか、何を大切にするのか、を宣言する一番重要な国の決まりです」などなど。

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東ティモール人のスタッフとチームを組んでこれをやったのですが、何度も同じことをしゃべるので最後は現地語でも選挙のことをだいぶしゃべれるようになってしまいました。

ちなみに、2001年当時、インターネットも携帯電話回線もほとんどない時代で、選挙登録カードを発行するのにはラップトップと小さなプリンターが必要だったのですが、電気がない環境なのでそのラップトップを作動させるのためだけに発電機(ジェネレーター)が必要でした。

雨期になると川の増水で孤立する村があって、車で川を超えるのも無理そうだったので、選挙登録作業をするためにヘリコプターに出動してもらうことになりました。つまり、たった一つのラップトップを動かすためだけです。

その村まで私と東ティモール人スタッフのチームでまず歩いて行って、ヘリコプターが着地できそうな平地を探して、地上から手を降ってヘリコプターを「ナビ」しました。

国連に赴任したばかりの時、誰かから「実際の仕事内容は現場に行ってみないとわからないよ」と言われたことを覚えてます。

今なら通信事情もツールも格段に進化しているから、もっと簡単な方法があると思うし、正直それが一番いい方法だったかどうかも分からないけど、当時の私にとっては新しい国の代表を決める選挙なんだからそれ位してもいいと単純に思ってました。状況を説明して提案をサポートしてくれる同僚がいたのは幸いでした。

わたしの場合は状況がたいへんだったり緊急事態の方が力が引き出されるタイプみたいだけど(笑)、国連でもNGOでも、実際に何をするかって自分のイニシアティブでずいぶん変わってくるから、そういう機会があったらどんどんチャレンジして欲しいなと思います。

ヘリコプターを地上から素手で誘導するの、もうやらないだろうけどね(笑)

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