何もなかったのに一年半後に国ができた!

何もなかったのに、一年半後に国ができた!

学校ができた。憲法もできた。政府ができた。

人間ってすごい!!!

おばあちゃんが生まれたのはいつですか?
ポルトガル時代ですか?
日本時代ですか?
インドネシア時代ですか?

私の国連での初仕事ー

村々を周って
有権者名簿を作ること。

生年月日の分からないおばあちゃんには、

おばあちゃんが生まれたのはいつですか?
ポルトガル時代ですか?
日本時代ですか?
インドネシア時代ですか?

と聞いて、有権者であることを確認(笑)

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何度もやってる内に現地語覚えちゃった。

人生初めての投票。
憲法って何?選挙って何?説明して村々を周る。
字が読めないおばあちゃんとは投票の練習。

選挙スタッフの公募をし、面接して、採用手続きを進め、

人生で初めての選挙というものに対し、選挙っていうものを理解してもらう。

治安の不安のある中、当日の選挙の手順を何度も何度も練習。

待ちに待った独立国に向かうための初めての選挙だから、みんな気合いが入る!

選挙は無事に終了!

 

 

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選挙が無事に終わって誇らしげな東ティモール人スタッフ。

2002年5月東ティモールは独立。

なんでそういう仕事をしようと思ったのか?
それは6歳の時に過ごした沖縄小浜島での衝撃。。。
国際結婚コンサルタントの塚越悦子さんのポドキャストです!

http://ameblo.jp/mypeacefulfamily/entry-12055853715.html

海外に行きたいのに親に反対されたら(南スーダン編)

先日、これから南スーダンへ行くという若い方にお会いしました。首都ジュバにあるユネスコ事務所でインターンをするためだそうです。せっかくのチャンスを得たのはいいけれども「治安面での不安があります」とおしゃっていました。

 

確かにそうですよね。

私も一番はじめの赴任地東ティモールへ赴任した時の治安面での不安は大きかったのをよく覚えています。

 

では、その南スーダンですが、国連要員の一番の死亡原因はずばり何でしょう?

 

夜9時以降は外に出ない(現時点での国連の南スーダンの治安対策による)

無線の使い方をしっかり覚える(現地に着いたら配られます)

無線の点呼に参加する(治安レベルによって行なわれます)

など、まず現時点での国連の南スーダンの治安対策に従うことは必須条件です。

 

その上で、何が国連要員の死亡原因となるのでしょうか?

 

南スーダン(UNMIS)における国連要員の死亡原因

 

① 病気 41件(68.3%)

② 事故 11件(18.3 %)

③   分類不明4件(6.65%)

④   悪行(malicious act)4件(6.65%)

合計60件(2005-2011年の間)

 

国連本部PKO局ウェブサイトより

http://www.un.org/en/peacekeeping/resources/statistics/fatalities.shtml

 

①   病気

病気の原因の多くはマラリアです。病院施設が限られていること、インフラの不備で輸送手段が限られるため、状態がひどくなった時に搬送まで時間がかかる(場合によってはヘリコプターを使う)ことが理由として挙げられます。

実際には、現地でのストレスレベルが日常的に高いことが認識されないまま、毎日「ついがんばってしまう」こと、積み重なったストレスが免疫レベルを下げてしまうこと、マラリアだと気づかないこと、マラリアくらい大丈夫だと思ってしまうこと、があるようです。実際、母国では実戦を経てきた頑強そうな人たちが病気で命を失くす例が私の周りでもありました。

その病気ですが、統計を改めて確認すると、2006年という始めの国連が首都を越えて地方に展開し始めた一年目で13件と一番多く起きていることが分かり、その後輸送やオフィスの整備が進むにあたり2010年では3件と数が大きく減っています。つまり、輸送手段や医療整備の整備とそのまま関連している事が分かります。

② 交通事故

二番目の原因は交通事故です。PKOの場合は、軍事オブザーバーなどパトロールを行なう時に自分で車を運転する必要のある職種が多々あるのですが、多くの国・場所で交通事故が大きな死亡原因としてあがります。自分の国ではない「解放感」、政府機能が崩壊している国ということで気が緩んでしまう、ストレスが高くなる環境で運転でストレス解消しようとすること、他に娯楽がない環境で仕事中毒になる、などが原因として挙げられます。

すると、直接的原因は6.65%ということになります。この数字を大きいとみるのか小さいとみるかはその国の情勢にもよるので一概には言えませんが、この6.65%の出来事が組織的なものなのか、突発的なものなのかという点でこの数字の評価はさらに変わります。

つまり、南スーダンのような紛争に近い最前線の勤務地・国であっても、93.35%以上は、直接的な行為ではない原因だということです。

 

アフリカ

南スーダン

内戦が再発

民族間の衝突

 

確かにそれだけで「危そう」に聞こえるし、不安が「漠然」と膨らみそうです。

知らないことが多い時には漠然と不安が大きくなるものですよね。

 

ただ、全然で紛争予防や治安維持をする人たちの間でさえ、一番の死亡原因は病気と交通事故だということです。

 

何が本当に気をつけるべきことなのかーそれがはっきりすると不安はずいぶんと和らぐと思います。

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死ぬ前に◯◯したいー50才の元兵士の言葉

南スーダンで元兵士の社会復帰支援をしていた時のことです。

ある時自称50才の元兵士3人組の方にお会いしました。

 

40年近くも続いた内戦の影響で、栄養状態も悪いので南スーダンの平均寿命は40歳~50歳程です。

南スーダンで50才と言えば日本の80代の感覚です。

頭には白髪もあって、顔にはしわも拡がっていました。

 

会った場所は南スーダン人の友人が開講したばかりの小さな大学でした。大学と言っても小さな建物があるだけです。たまたま、そこに見学に来たところでした。

単純にそのことに興味を持った私は彼に聞いてみました。

「どうしてこちらに見学に来られたのですか?」

すると、小学校を終える前に紛争に巻き込まれてしまったこと、今から小学校には入れないため、こちらの大学で勉強をさせてくれると聞いたので来たということを教えてくれました。

そして、彼は私の目をまっすぐに見つめて言いました。

 

‘I was fighting in bush all my life. I want to go to school before I die.’

「わたしは人生のほとんどを戦って過ごしてきました。学校へ行ってから死にたいのです。」

 

紛争で家族や故郷から離れていた人たち、特に元兵士の人たちが故郷に戻る時、彼らは家族に対する自分の「役割」を果たすという意味でも、収入を得ることを優先します。だから、この選択はけっして軽いものではありません。

それでも、あえて、この50才の元兵士の人たちは学校へ行きたいと毎日何キロも歩いて通ってくるのだそうです。

 

学校へ行くということ ー

それは、彼にとって、

「人間である」ことの象徴なのだと理解しました。

 

 

 

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⇧ 開講したばかりの「大学」。屋根などの資材はウガンダから一つづつ運ばれてきた。

自分が学んできたことを世界で生かしてみたい!

嬉しい報告を頂きました!

「グローバルリーダーシップ」講座に参加してくれた学生さんが寄せてくださった感想です。

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グローバルリーダーシップ講座は僕にとっても非常に大きな意味を持つイベントでした。

千華さんのお話には、現場に立った人独特のパワーを感じました。

そして、なにより自分の視点が広がりました。

あのセミナーの後、自分が化学という分野で学んできたことを世界で生かしてみたいという強い気持ちを持つようにもなりました。

きっと、理系の学部に通っている学生の中に自分と同じ気持ちを抱く人は少なくないと思います。

もっと多くの学生に、自分の学んだことを生かすフィールドの広さを感じてもらいたいですし、将来そのフィールドを広げるような仕事ができたらいいな、と考えています。

きっとサイエンスが平和に寄与できると、そう信じていますし、この考えを形にしていきたいです。

T.S.さん(大学院生)

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若い人たちのパッションと想いが世界に拡がっていくのがこれから楽しみです!

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字が読めない人はどうやって投票するの?!ガッテン!なその仕組み

わたしの一番はじめの国連での仕事は東ティモールでの選挙支援でした。紛争の直後で人口が何人かも分からないからまず、選挙名簿をつくるのが仕事でした。では、選挙名簿をつくって、選挙教育をします。次はどんな準備が必要でしょう?

投票の「練習」です。

投票所に行って投票用紙をもらい、候補者を選び、投票箱に入れるという一連の作業は字が読めない人にっては、とても複雑な作業だからです。

だから、字が読めない人(特に女性)でも分かるように、個人の候補者は写真付きで、各政党は絵で表されます。そして、字を書く変わりに候補者や政党に釘で穴をあけて、投票の意思を示します。その一連の作業を模擬投票用紙を使って村々で「練習」します。

 

East Timorese election commission shows ballot paper during ballot counting for the second round of presidential election in Dili

⇧ 大統領選挙の投票用紙(候補者の写真付き)

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⇧ 政党を選ぶ投票用紙(政党のシンボル付き)

 

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⇧ 1999年 東ティモールの独立を問う住民投票(上はインドネシア併合、下は独立)

そして選挙当日。東ティモールという独立国としてのはじめての自分の国の代表を選ぶ「晴れ舞台」に、おばあちゃんたちが朝の4時から一張羅を来て列に並んでいました。

自分の国の将来を自分で決めるこの一票を投じるために、何十年も待たなくてはならなかった人たちの一票にかける想いがひしひしと伝わってきました。

1999年にインドネシアが撤退する際に国を破壊した民兵グループによる選挙に対する妨害の可能性はあり、もしもの際の想定訓練もしてはいたのですが、結果何もなく無事に投票は行なわれました。

投票率は、91.3%でした。

こうして、はじめての選挙(政権議会選挙)が無事に終わったのでした。

その日を境に国全体のエネルギーが変わったのをはっきりと覚えています。これからは国連じゃなくて、独立国として自分たちで国を運営するんだー!という明らかなターニングポイントでした。

自分の意思で選択をする力というのは、国全体の雰囲気まで変えることができる!そんなことを見せてもらった日でした。

平和を「仲介する」ということーノルウェー公使に聞きました。

ノーベル平和賞の選考委員会があるノルウェー。そのノルウェーが調停や平和の仲介に大きな役割を果たしています。私が勤務していた南スーダンでも和平合意の時に尽力、ノルウェーはある種の尊敬を持ってみられていました。つい最近もコロンビアでの内戦終結にかかわっています。ニュースや歴史の教科書ではたった一行で終わってしまうかもしれないこれら裏ではどんな「チャレンジ」や「成功」があるのでしょうか?公使自らが答えてくださいました。

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ーノルウェーが仲介に関わるようになった経緯について教えてください。

まず、ノルウェー独自のポジションがあったと思います。ノルウェーに他国を植民地化した歴史がないこと、私たちが小さい国で他国に脅威だと思われていないこと、そうした第三国の和平に関われる外交的な「余力」と政治的なサポートがあったことが挙げられると思います。

ノルウェーが平和の仲介に関わることについて特別な計画があったわけではありません。1990年代初め世界では多くのことが起きていましたが、中東和平が世界の課題の大きな一つとしてありました。中東和平に向けたノルウェーの役割は何か?と議論するうちに、中東和平の当事者たちをまずなんとか対話のテーブルに戻すことはできないか、という模索が始まりました。

ただ、和平プロセスに関わるかどうかには現実的な判断が求められます。最初はまず、当事者の間で少しでもいいから信頼を築いて、解決の糸口を探ることが目的でした。それがとても大切なように思えたのです。ですので、最初から全ての課題をテーブルに乗せることはせず、ともかく対話が持てる環境を保つことを目的としました。これが、結果1993年にイスラエルのラビン首相とパレスチナのアラファト議長が握手をしたあのオスロ合意につながりました。これがノルウェーが和平仲介に関わるようになったきっかけです。

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そして、ノルウェーはその時の経験から多くのことを学び、多くの洞察を得ることになり、以来、スリランカ、フィリピンやコロンビアなどでノルウェーが平和の仲介に関わることになりました。ただ、ノルウェーが関わるのは、あくまでも当事者自身が和平を進める用意があり、ノルウェーが仲介の依頼を受けた時のみです。和平を進めるかどうかを決めるのはあくまでも当事者自身です。例えば、私が以前赴任していたインドで、カシミール紛争におけるノルウェーの仲介が言及されたことがありましたが、ノルウェーがカシミール地域での紛争にかんして特段の知識を持っているわけではないと判断されました。ですので、ノルウェーの役割は常にネゴシエーター(negotiator)ではなく、ファシリテーター(facilitator)の役割です。

ー「仲介」を果たすために実際には何をするのですか?

和平の仲介と言うと難しく聞こえるかも知れませんが、実際の業務は毎回少しでもいいから紛争当事者間の信頼を築いていく、ということに尽きると思います。相手側双方とあらゆるレベルで関係を築き、当事者の間にある共通点を辛抱強く探っていきます。そして、自分の観察したこと、聞いた事や過去の事例をもとに、仲介相手の関心や動向を判断し、その時々でベストだと思うことを提案していきます。何か特別なことをするというよりも、お互いの関係を築くことに毎回ベストを尽くします。それ自体は他の業務とあまり変わらないと思います。

そのためには、政治レベルから実務レベルまで、人材の確保を含めたコミットメントが重要になります。ノルウェーの場合、政治レベルでの強いサポートがあることが助けになっています。ノーベル平和賞の選考委員会は政府から完全に独立した組織ですが、それがノルウェーにあること自体もノルウェーに対するポジティブなイメージに繋がっていると思います。

ーこれまでどんなチャレンジがありましたか?

状況によっては、せっかく対話のテーブルに着いてもらっても、当事者にその意図がない時には和平プロセス自体が行き詰まることもあります。和平プロセスが頓挫すると仲介者であるノルウェーのせいにされることもあります。イスラエルにはノルウェーはパレスティナよりだと言われ、スリランカ政府にはLTTE(タミールタイガー)寄りだと言われました。メディアがそのような論調を展開する時は、ノルウェー外交は「失敗」したかのように写るかもしれません。

ーミットゥンさんはどうして今の仕事につくようになったのですか?

私は学生の頃から歴史が大好きでした。世界がどう動いているのか、自分で感じ、味わい、学ぶことが楽しいのです。ですから、私にとって世界のことに興味を持つのは自然なことでした。世界は相互依存(interconnection)していると思うからです。

例えば、最近ではウクライナ紛争の動向に注目しています。他のヨーロッパ諸国にどう影響するのか、次の展開はどうなるのか、などです。日本に赴任してからは、日本や中国、アジア地域の文化や歴史について学ぶことになり、はじめて南シナ海での紛争について知ることになりました。今日本で暮らしながら、日本をはじめアジア地域について学ばせてもらっていることに感謝しています。

(了)

<ビョーン・ミットゥン氏(Bjørn Midthun)略歴> インド、イギリス、ノルウェー政府外務省安全保障局勤務を経て、現駐日ノルウェー大使館公使。

(聞き手コメント)私が南スーダンで勤務していた時、アフリカ最長のスーダン紛争を終わらせた2005年の和平合意にもノルウェーは尽力し、米英とも国連とも違う「場」を保っていました。その後も動向の激しいスーダン情勢の中でノルウェーは冷静に南スーダンと関わり続けていました。私自身、その存在に「安心」したものです。今回インタビューに応じてくれたミッドタン公使もそのような方でした。「仲介と言っても何も特別なことをするわけではない ー 相手との関係を築くことにベストを尽くすだけです」その言葉を生きる姿が印象的でした。

聞き手:大仲千華

スリランカ内戦の当事者と話しをしたら (2)

スリランカに仕事でスリランカ軍への国連の平和維持活動に関するトレーニングの仕事で行った時のことです。トレーニングの一環としてスリランカ軍の人たちと「和解」について考える機会がありました。「もう戦争はたくさん」「なんで自分の家族が?」「この内戦にはどんな意味があったのか?」「なんでこんな戦争を許してしまったのか?」「『制圧』は正しかったのか?」

シンハラ人もタミル人も、政府も軍もLTTE(タミル解放戦線)も、それぞれに苦しみがあり、もう二度と内戦には戻りたくないという共通した思いを強く感じたからです。

そのうち、スリランカの経験について学んでいたと思っていたのに、日本のことについて学んでいたかも知れないことに気づきました。スリランカの人たちが体験していることは、日本とアメリカにも当てはまるのではないか? ー と。

その時のチームは、アメリカ人、カナダ人、マレーシア人と日本人の私という構成でしたが、アメリカ人の同僚が言いました。

「戦争って『勝つ』方も本当の意味での勝者じゃないよね。アメリカでこんなこと言う人は少ないけど、原爆の投下ってアメリカにとって『勝利』とは思えないんだ。戦争に『勝者』っていないと思う。」

「まあ、僕たちの国は昔大きな戦争をしたけどさ、今こうやって日本人のChikaとアメリカ人の僕が一緒に、世界の平和のためのトレーニングの講師を務めているんだから世の中少しは進んでいるよね」と。

彼と勝手に「同志」のような繋がりを感じながら、私も大きく頷いていました。

トレーニングは、このようなメッセージで終わりました。

「スリランカではまだ軍隊は必要ですか?内戦が終わった今軍隊の目的はなんですか?例えば、インドとパキスタンの仲裁など地域の平和に役に立つこともできます。国連の平和維持活動に参加することもできます。戦争をした国だからこそ平和の大切さを示すという選択もあります。」

戦争を体験した国だからこそ世界に伝えられる価値というものを改めて思いました。