究極の弱肉強食の世界でも「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではない❗️ーケニアでみたライオンといぼいのししの勝負

ケニアに野生動物を見にいった時に

とても印象に残っているシーンがありました。

 

目の前でイボイノシシの親子たちがのどかに草をはんでいました。

イボイノシシとは、一見ぶたのようなちょっと短足なちょっと

「かわブサイク」な子です(失礼!)

 

子供たちはまだ産まれて数ヶ月なのでしょう。

母イノシシの周りで草をはんでいます。

 

そんなのどかな風景がありました。

それが一転緊張状態に!

 

数百メートル先にいたライオンが急にむくっと立ち上がり、イノシシたちに狙いを始めたのです。

 

野生の動物を見るということは、自然界のなりたちを見るということ。

 

それこそが見る価値があるということなのでしょうが、ライオンが一気にダッシュを始めた時には私は思わず一瞬息を止めてしまいました。

 

イボイノシシママはライオンのダッシュを察知するやいなや、一斉に号令を出したようでした。「散らばれ!」と。

 

子供たちは四方八方に散らばりました。

 

すると❗️

 

ライオンはイボイノシシの子供たちが四方八方に逃げていくのについていけず、「捕獲」は失敗したのです。

 

身体の大きさも足の長さも速さもすべての面で「勝っている」と思ったライオンでしたが、小回りは苦手だったのです。

 

これを「勝敗」とするならば、イボイノシシがライオンに勝ったのです。

 

究極の弱肉強食の世界でも、「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではありません。

 

誰にもどんなものにも長所と短所の両面あります。

 

例えば、きりんは優雅に歩き、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、

敵の動きをいち早く察知できますが、水を飲むのは大変です。

 

 

ライオンはライオン。シマウマはシマウマ。イノシシはイノシシ。

ライオンだけがいても自然じゃないし面白くありません。

 

ぜんぶの存在があることが「自然」。

 

人間も自然界の一部です。

 

ps. ちなみに、目の前で見る野生の象やキリン、ライオン、チーターの迫力満点です。動物園で見るのはまったく違う感動があります。

 

ドバイ経由で行くとヨーロッパに行くのとフライト時間はほぼ一緒です。

 

おすすめです!!!(*^-^)ニコ

 

Mpata 238

 

Mpata 245

Photo: Chika Onaka

 

 

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「いい面」だけが才能ではない❗️最初は自分の「強み」のネガティブな面を体験することが多いということについて

人の強みや才能に関しては、たくさんの誤解があるようです。中でも大きな誤解の一つは、「いい面」だけを才能や強みだと思うことです。

 

 

ただ、どんな資質にも両面があって、同じ資質の「いい面」もあれば「チャレンジな面」もあります。いわば、「同じコインの表と裏」のような関係です。

 

例えば、動物を例にすると、きりんは、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、敵の動きをいち早く察知できます。

 

私はケニアのサファリで目の前で野生のきりんが歩くのを見たことがありますが、

長い足でリズミカルに歩くきりんの姿は優雅でとても感動しました。

 

同時に、もしキリンが人間の言葉をしゃべることがあったら、こう言ったかも知れません。

 

「あのねー、優雅に見えるかもしれまないけど水飲むのは大変なんだよー」

 

なるほど〜

 

まさに、「同じコインの表と裏」です。

 

同じように、誰にも長所と短所の両面があります。

 

そして、自分の持つ資質が幼少期から強みとしてわかりやすく開花しているのは稀で、最初は同じ資質のチャレンジの面の方を体験することの方が多いのです。

 

どういう意味なのか説明していきます。

 

例えば、高い知能、活発である、意思や信念が強い、 共感力、創造性という資質があるとします。

 

これらの資質のポジティブな側面はどんなものでしょうか?

ネガティブな側面はどんなものでしょうか?

 

高い知性=頭がいい?に越したことはないじゃないか?と思うかも知れません。

 

でも、どんな資質にも両面あるのです。

 

以下に例を挙げてみました。

 

《高い知能》

このポジティブな側面:

新しい考え方や概念を素早くつかむことができる

同じ年齢の子供たちよりも深く理解する

複雑な現象の下にあるパターンをみつけることができる

新しい考え方や概念を発見するのが好き

壮大な考えや計画に惹かれる

 

ネガティブな側面:

•すぐに飽きる

•全容がわからないと納得できない

•他の人たちが「遅い」ことに忍耐強くない。

•他人の意見に対して批判的であったり、寛容的でない。

•手が頭についていけないので、手元の作業が雑になる

・細かい数字を確認する作業は得意ではない、などです。

 

 《活発である》

ポジティブな側面:

・新しい体験をすることに意欲的

・一度にいろんなことができる

 

ネガティブな側面:

・常に刺激を必要とする

・動き回る(多動である)

・頭も体も常に忙しい

・簡単にフラストレーションを感じ、それを撒き散らしがちである

・寝付くのが難しい時がある

 

 

《意思や信念が強い》 

 

ポジティブな側面:

・自分でゴールを設定し、それを達成するための努力を厭わない

・課題に対する答えをみつようとしたり、自分の興味をさらに追求する

・粘り強い

 

ネガティブな側面:

・頑固になる

・視野が狭くなる

・自分の興味のないことを忘れたり集中するのは得意ではない

 

《共感力》

 

ポジティブな側面:

・周りの人たちが考えていること、感じていることを察し彼らの視点から理解することができる

・他人の感情に対して敏感であり、他の人たちが気づかない点に気づく

・人の感情の機微を繊細に感じとり、人がなかなか言葉にして表せられない感情的な面を表現する手助けをすることができる

・書くことやアートなどの表現、創作活動を通じて感情の力を表現の力にすることができる

 

ネガティブな側面:

・体験を個人的にとらえる傾向がある

・ある状況にたいして事前に感じたり察してしまうので、自分には対応できないのではないかと心配になる

・不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち

・批判されたり拒否されたりする体験をなかなか処理できない

・周りの人の感情によって自分も影響を受ける

・簡単に泣いたり興奮する

 

《創造性》 

 

ポジティブな側面:

・目の前の現象や題材を新しくユニークな方法で見る

・たくさんアイデアがある

・新しいものを創るのが好き

 

ネガティブな側面:

・ファンタジーに逃避しがち

・拡げたアイデアをまとめるのは得意ではない

・言われたことに従うよりも自分のやり方で進めることがある。

 

つまり、ここでお伝えしたいのは、どんな資質にもポジティブとネガティブの両面がある、ということです。

 

そして、あなたの強みが眠っている分野こそ、最初はチャレンジの側面を体験することが多いということです。

 

私の例で言うと、

私の大きな強みの一つは、

自分の視点と考えから一旦距離をおいて、相手はなぜあのような事を言うのか、と相手の視点で物事を見ることができることです。

 

相手の視点と立場に立ち、相手の思考のフレームワーク、価値観や感情を理解することは「パースペクティブ・テイキング(perspective taking)」と呼ばれます。共感力の大きな要素の一つです。

 

相手と意見が違ったとしても、同意するかは別として、相手の立場から状況を見ることができること、そこから互いの共通点を探っていくは、南スーダン軍との交渉、信頼構築などで大きな力となってくれました。

 

世界で活躍したいと願う人にとってはとくに大切な資質の一つと言えます。

 

またこの共感能力は、アジア中東の軍隊に国連PKOに関してトレーニングをする教官・講師を務めていた時も、こちらが伝えることに対して相手が何を感じているのかをその場で察しながら、同じ講義の内容であっても相手に合わせてエピソードやたとえ話を変えていく対応力になってくれました。

 

また、コーチングをする時には、相手の方が自分の状況や課題をうまく言い現すことができない時でも、その方のほんとうの想いに一緒に想いを寄せることで、目の前の状況を整理して、新しい解決策や眠っていた力を引き出すサポートをしてきました。これも共感力の資質です。

 

同時に、ここでお伝えしたいのは、こうした資質が最初から強みとして発揮されるとは限らず、最初は同じ資質のネガティブな面をより強く体験することが多い、ということです。

 

例えば、私の場合には、「体験を個人的にとらえる傾向がある」「ある状況にたいして事前に感じたり察してしまい自分には対応できないのではないかと心配になる」「不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち」といった共感力のネガティブな側面としてあげられた点をすべて体験しましたし、今でも体験することはあります。

 

「簡単に泣いたり興奮する」というのもほんとうにその通りで、映画を見て感動して涙を流すことはしょっちゅうなので妹からはよく笑われるほどです。

 

前はネガティブな面しかわからずなんで私はこんなに繊細なんだろう?と悩んだこともありましたが、今ではコインの両面を理解しているので、ポジティブな面を尊重しつつ、ネガティブな側面とも上手く付き合えるようになり、大きな影響を受けなくなりました。

 

自分の資質をポジティブに活かすには、自分の普段の行動を観察して、自分の資質をよく知ることです。

 

ネガティブな面ばかり体験するなと思ったら、そのネガティブと同じ分だけポジティブな資質があると考えましょう。

 

「なんで自分だけ不器用なんだろう」、「なんでなんで自分だけ普通にできないんだろう」、「なんで自分はこんなに繊細なんだろう」と思ったら、「普通がいい」という幻想から覚めましょう。

 

「普通」はつくられた幻想でしかありません。

 

これからは普通に生きようと思っても基準を「普通」に合わせていたら、普通にさえ生きることができない時代です。

 

自分の資質をネガティブにしか思えないとしたら、今生での課題の一つは、その「思い込み」からまず自由になることかもしれません。

 

そして、ポジティブな脳の配線(シナプシス)を強化することです。

 

その資質が自分にとってどう役に立つのか、ポジティブな資源として活かす方法を考えましょう。

議論と対話は違うーじゃあ「対話」ってなあに?ほんとうの理解や新しい発想を生みだす対話とは?②

無理にこちらが話そうとして相手にとって面白いのかわからない話題を続けるよりも、

質問をして相手に話してもらった方がいい、と言いました。

 

そして、

会話を広げる質問として、「対話的な質問」というのを挙げました。

 

では、何を「対話」と言うのでしょうか?

 

対話の特徴の一つはその前提とそのアプローチにあります。

 

私自身、南スーダンで元反政府軍の人たちと関係を築いていく中で、非常に役に立っていたと感じた「対話的な質問」がありました。

 

例えば、彼らが怒りだす時、彼らの真意がなかなか掴むめない時、表面的には同意しているようでも、何かがお互いの間で理解されていないように感じた時などです。

 

「今、あなたが仰った事はとても大切だと感じました。あなたが仰ったことを理解したいと思っているのですが、よかったら、どうしてそのように考えるようになったのか教えていただけませんか?と、聞き続けたことです。

 

別の言い方をすると、次のような意図の質問をすることです。

 

◎ どのような考えでその結論にいたったのですか?

◎ そうおっしゃるのにはどんな理由があるからですか?

◎ その考えの背景にはどんな事実や体験があるのですか?

 

これはどういうことを意図した質問かというと、

 

相手はなぜそう考えるのかということを理解する質問です。

 

その意味とは、

 

人が何かいう時、自分の意見や感想をいう時、

「人にはなぜそう考えるのかというそれぞれの体験や背景がある」という前提に立つことです。

 

その意見そのものとは同意できないし、相容れないように思っても、

人はなぜそう考えるのかというそれぞれの体験や背景は理解できるという考え方です。

 

そのためには聴くことにもっと意識的になることが必要です。

 

自らの意見を正当化し、議論に「勝つ」ためではなく、

自分とは違う意見や異なる視点を理解するために聞くこと。

 

相手の考えを主観的なものだと決めつけるのはなく、

相手がどのような体験を経て、

そのような考えを持つように至ったのかを理解するために聞くこと。

 

相手が間違っていると証明するためではなく、自分の理解を広げるために聞くこと。

相手に反論するためではなく、お互いの共通の理解を得るために聞くこと。

 

自分の推測に基づいて聞くのではなく、

新しい理解や可能性にオープンになるために聞くこと。

 

議論も対話も両方が必要なものですが、

お互いの理解や洞察が深まったり、新しい見方ができるようになったり、

参加者が納得するような同意が生まれる時には、

なんらかの形で対話的な要素が起こっていると言えます。

 

 

その上で、

一時的に自分の考えを保留し、人それぞれに持っている意見や価値観の背景、理由を探求し、共有できる新しい考え方を共に探っていくこと。

 

対話の力は、

変化の早いこれからの時代、

 

新しい発想や創造性を生み出す場づくりのスキルとして、

課題解決のスキル等として、

主体性を引き出す新しいリーダーシップのスキルとして、

多国籍なチームや全く違う考えを持つ人たちと会話を広げ合意を得ていくために、

対立や紛争解決(conflict resolution)の手段として、

 

これからますます大きな力となることでしょう。

集合先はスリランカの首都コロンボの某米国系ホテルー米軍太平洋司令部 (USPACOM)派遣専門家としての「働き方」

集合先はスリランカの首都コロンボの某米国系ホテル。

各自到着後、翌日何時何分にロビーにてスリランカ軍の迎えの人に合流してください。

 

米軍太平洋司令部 (USPACOM)から送られてきた書類にはそう書いてありました。

 

派遣前の手続きの一環として課された治安対策トレーニングや米軍に提出する書類はかなりの量だったのにも関わらず、当日の流れについて書かれていたのはそれだけでした。

 

他に知らされているのは、これから4人でチームを組んで、スリランカ軍に向けた訓練を実施すること、4人のうち2人は元軍人であること、研修内容と担当分野、各自の予定到着時刻だけでした。

 

私は、スリランカ軍で行われる国連の平和維持活動についての訓練で講師を務めることになっていました。

 

私は米軍の専門家という立場で、すでに国連を離れていた時期でした。

 

所属は米海軍大学院 US Naval Postgraduate School, the Center for Civil-Military Relationsというところです。

 

バングラデシュ軍やフィリピン軍、スリランカ軍で国連PKOに関する多国籍演習や国連幕僚課程(UNSOC:United Nations Staff Officer’s Course)や国連PKO教官課程(UNPKO Instructors’ Course)などを教えました。

 

さて、その時のメンバーはアメリカ人のジェフ、元カナダ軍のボブ、元マレーシア軍のデービッド、そして日本人の私の4人でした。

 

それぞれ、すでに国連も軍も離れている個人の専門家としての立場です。

 

講師チームは全員で4名で1チームをつくりました。

 

研修内容は本格的で内容も興味深いものだったのですが、私が面白いと思ったのは、こうした「働き方」でした。

 

だって、集合場所はコロンボのホテル。

メンバーは太平洋を越えて合流する人もいればフライト時間も到着時刻もそれぞれです。

 

それでいったい研修が成り立つんだろうか?

 

そんな疑問が日本で書類を受け取ったわたしの脳裏にふとよぎったのですが、十分に成り立ったのです。成り立ったどころか素晴らしいチームワークを発揮できたのです。

 

こんな働き方があるのか!とある意味わたしの仕事観さえも更新された体験でした。

 

そんな「働き方」も可能なんだというお話しを今回はしたいと思います。

 

研修で扱うテーマは、国連PKOにかんする主なテーマすべて。

武装解除・動員解除・元兵士の社会復帰(DDR)から人道支援、安保理決議や国連PKOの意思決定と組織構成について、交渉、武器使用権限、交渉、停戦後の復興について、そして演習です。

 

武力で敵を倒し、破壊するのは簡単ですが、停戦後、政府や議会などの制度を一から確立し、国の根幹をつくり、国が復興へ向かうための支援をすることは軍事的な戦略を超えた幅広い視点を要します。

 

そのため幅広い知見をカバーするために軍人と文民の両方がチームを組んで最低2週間の研修にのぞみます。

 

講師チームはたいてい4名で1チームをつくりました。

 

顔をあわせるのは前日でした。

しかもみんなフライトの到着時刻もバラバラなので、集合はホテルの朝食場所で、

そこで初顔合わせなのですが、実際は半分以上は雑談でした。

 

訓練はさっそく翌日から始まりましたが、前日に合流したとは思えないスムーズなチームワークがありました。

 

米軍のつくったカリキュラムは1日中びっしりで、

1日50分のコースが7コマもありましたが、それぞれがそれぞれの役割を果たし、

コースはスムーズに流れていきました。

 

コーヒーブレークにはジョークを言い合ったりもしました。

 

その中でも仲よくなったアメリカ人のジェフとの会話でスリランカの経験について学んでいたと思っていたのに、日本について学んでいたことに気づいたこともあります。

 

アメリカ人のジェフが言いました。

 

「戦争って『勝つ』方も本当の意味で勝利じゃないよね。

アメリカではこんなこと言う人少ないけど、原爆の投下ってアメリカにとって『勝利』とは思えないんだ。」

 

その時点でスリランカ内戦終結からすでに3年ほどたっていましたが、シンハラ系住民にもタミル系住民の間にも、それぞれに大きな苦しみや大きな葛藤があり、かつ、

同時に、もう二度と内戦には戻りたくないという強い思いも感じる、という文脈での会話でした。

 

「まあ、僕たちの国も大きな戦争をしたけどさ、今こうやってすでに戦後生まれ2世の日本人のChikaとアメリカ人の僕がこうやって、世界の平和のため(国連PKO)のトレーニングの講師を一緒に努めているんだから、世の中少しは進んでるよね」と続ける彼に

勝手に「同志」のような繋がりを感じながら、私も大きく頷いていました。

 

そんな彼との会話も印象的でしたし研修自体も成功となりました。

 

スリランカ軍の参加者が個人的な体験を話し始めるなど、国連や外部の立ち入りや調査団を何度も拒否してきたスリランカ政府の歴史から考えても、驚くような展開もありました。

 

共振する人たちとチームを組み、そんな風にスムーズにかつ楽しくかつみんなで「いい仕事」ができるものだと私の中の「仕事観」も更新されました。

 

個人専門家が集まりプロジェクトベースでチームを組む。

 

世界単位でもそういう働き方が可能である!ということを実感したのでした。

 

欧米ではそういう働き方をする人がすでに増えていますが、さらにこうしたトレンドは進んでいくと思います。

 

だから、やっぱり英語で仕事ができる能力を身につけましょう!

 

だってそうしたら働き方も仕事の可能性もぐーーーーーーんと広がるのですから!!!

10年働いても指示待ち&自分で考えられない人 vs どんどん自信をつけていく人ーその差は普段自分はどうやって○○○しているかを意識しているかにあった!

人生を生きていると当然ながら学校から就職、引越しから結婚、転職など、いろんな局面で自分でなにかを決める必要が出てきます。

 

その選択が自分の人生の方向性や自分の価値基準に沿っているとき、いい気持ちがします。

 

先が開けていくというような、人生がいい方向に向かっているという感覚を感じるときもあります。

 

人はある程度自分の直感を含めてそうしたことを無意識にやっていますが、

 

何かを決めるときには答えを導き出すための「考える順番」=「考えるための型」というのがあります。

 

例えば、

著書累計発行部数5000万部突破!の超ベストセラー

 

1分間意思決定―決断力が身につくたった1つのルール

 

1分間意思決定

 

ではそうした手順がわかりやすく詳しく紹介されています。

 

 

人生は決断の連続だとすると

こうしたことを知っているか、習ったことがあるかどうか、

自分はどうやって決めているかを意識しているかどうかでは

長い人生の質に大きな「差」がでるだろうと感じます。

 

 

 

この本によると、

 

一番はじめに考えるべき一番大切なことは

 

自分はどういう状態・結果を望んでいるのか?

自分にとって理想の状態とはどういうものか?

という質問です。

 

または、

自分にとって理想のライフスタイルはどういうものか?

自分にとって大切な価値観とはどういうものか?

何を大切に生きていきたいのか?

自分にとって優先順位が高いものは何か?

どんな時にやりがいを感じるのか?

とも言い換えられます。

 

 

例えば、

転職やキャリアを考えるとしたら、

自分にとって理想の働き方はどういうものか?

自分にとっての優先順位はどういうものか?

仕事に求めるもので自分にとって大切なことは何か?

といった質問です。

 

 

どんな「決断」にも「論理的な問い」と「内面的な問い」があります。

 

人は論理的にいろいろな条件やメリット・デメリット判断するだけでなく、

人それぞれの価値基準をもっているからです。

 

 

その選択が自分の価値観に沿っているときには、

いい気分がして、物事も身体も自然に動きます。

 

 

自分で決めると納得感がありますし、なにより自分で決めたという体験自体が自信になります。

 

自分の意思で決めたので多少の困難があっても、ふんばれます。

 

では自分で決めないとどうなるでしょうか?

 

「こんなはずじゃなかった。」

「そんなこと聞いてなかった」と

誰かのせいにしたくなる気持ちがでてきます。

 

自分で決めていないので

目の前の状況や自分の人生に対してどこかで他人まかせにしています。

 

指示待ち人間 & 自分で考えられない人が増えていると言われていますが、

自分で決める体験をしてこなかったことも関係していると思っています。

 

会社や組織でそれなりに仕事をこなす人でもそういう傾向はあるように感じます。

 

私は約10年国連のPKO活動、元兵士の社会統合支援、仲裁、現地国政府の人材育成にかかわってきましたが、国連という組織は基本的に有限契約の組織です。

自動昇級や自動更新はなく、毎回自分で職種に応募します。

 

すると「毎回職探しをしなくてはいけなくて大変でしょう」という反応を受けるのですが、

世界的にみると職種に応募する方が世界的には一般的で、終身雇用

(その前提もすでに崩れていますが)や会社が勝手に辞令を出す日本の方が特殊です。

 

そして、こうした方式のメリットがあります。

 

まず、自分がやりたくない仕事に回されることはなく、自分が行きたくない国に行かされることはありません。

 

世界150カ国以上に展開する組織において、

やはり本人が望んでいない国や文化に派遣されるのは本人にとって苦痛でしょうし、

結果、双方にとって大きな損失になるでしょうから、

この点は非常に重要だと思います。

 

なにより、こうした制度で改めて重要だと思うのは、毎回自分が職務内容を確認して、

どうして自分はこのポストに最適なのか?ということを明記し応募し、

面接で伝えるという手順を毎回繰り返すことによって、

自分の責任感が養われるということです。

 

もちろん国連の仕事に限らずどんな仕事にも面白いもあれば大変な面もあります。

 

そんな時、自分で応募して、なぜ自分はこの職種に就きたいかを毎回面接で訴えるわけですから、簡単に辞めることもできないし、

 

もう少しなんとかしてみようと思います。

 

この場合の「責任」というのは自分を力づけてくれるパワーとも言い換えられると思います。

 

自分で「決める」たびに本来の力を取り戻していくのです。

 

 

そういう意味では、仮に「上司に言われたから」であっても、完全に自分の責任を放棄してしまったら、自分にとって損失ですね。

 

同様に自分の力や潜在能力を奪う「決め方」は、

 

みんながやっているから自分もそうする

人から「答え」を教えてもらって、自分で決めずにそれに従う、

自分で考えず、調べず、大勢の人がやっていることにただ従う、

という決め方です。

 

 

「決める」という行為は、

 

自分を知り

自分に対する理解を深め、

自分が自分を大切にし、

自分で自分の願いに耳を傾け

自分で自分の願いを尊重し、

 

 

自分はこうしたい!

自分はこういう人間です!

自分はこういうことを大切にして生きていきたい!

ということを

 

いわば宇宙に向かって宣言をするようなもので、

 

その本質とは、

自分で自分が大切にすることを追求してもいい!

 

つまり、自分が自分を信じる=「自信」への投資とも言えるのです。

 

ぜひたくさんに人にそんな体験をして欲しいと思います!

 

https://chikaonaka.com/coaching/

20代半ば、30前、30代半ば、そして40前後に「このままでいいんだろうか?」と思った時に考えるべき一番初めの質問

これまでほんとうの意味での情報収集や意識決定をしたことがありませんでした!

あるクライアントさんの感想です。

 

ちなみに彼女はロースクール(大学院)を卒業したとても優秀な仕事のできる方です。

彼女の能力が高いのは彼女の書いたものを読んだり話しをすればすぐにわかります。

職場でも上司の信頼も厚く、入庁何年目かの人が対象になる表彰を受けたそうです。

 

これはその彼女の発言なのです。

どういう意味かというと、自分のことは自分で決めてきたつもりだけれども、

それはあくまである程度決まったレールの上での選択だった、という意味で、

ほんとうに意味で自分の生き方を決めてこなかったというのです。

 

ご本人にとっては少しショックな発見だったのですが、実はそういう感想を聞くのは珍しくありません。

 

20代半ば、30歳になる前、30代半ば、そして40歳になる前、40代超えてからも

人は特にこうした節目で「このままでいいんだろうか?」と思います。

 

そうして初めて自分の生き方や選択を考えるという人は珍しくないのです。

 

「人から答えを教えてもらって、自分で決めずにその答えに従う。

大勢の人がやっていることを自分もその通りにやる。

このように、自分で考えず、自分で決めずに人から与えられた答えに従う、

あるいはみんながやっていることを自分もやるという人が多いのです」

「これはどういう問題でしょうか?」

 

船井幸雄氏の元で経営コンサルタントを務め、教育専門家、コンサルタント・カウンセラー、瞑想指導者の鹿毛俊孝氏は問います。

「自分で世の中がどうなるか、それを考えようとしないという問題。

自分で自分自身の内面を知ろうとしない問題。

自分のことは自分で決め、 自分の人生は自分自身が構築するという根本的な生き方ができていないという問題」である、と鹿毛氏は言います。

 

なるほどと頷いてしまうのですが、

その関連として、「考える力」、とくに「意思決定」のための思考プロセスを習っていないことも挙げられると思います。

 

著書累計発行部数5000万部突破!の超ベストセラー「

1分間意思決定―決断力が身につくたった1つのルール

 

では意思決定のための質問が挙げられています。

 

これに従っていくと、次はどんな仕事がいいのかなどどんなことでも答えを自分で導きだすことができます。

 

コーチやカウンセラーをやっている人たちはある程度直感的にこうした質問をしているのだと思いますが、改めて体系的にまとめられているものを読むと理解度と納得感があがります。

 

それによると、一番初めに問う問いは

「あなたはこのことに関してどういう結果を望んでいますか?

自分にとって理想の状態は何ですか? 」なのです。

 

それなのに、日本ではそれをすっ飛ばして、または個人の望みはあまり尊重されず、

「画一化されたマス」であることの方が大切とされ、ごくごく小さい世界の狭い視野で何かを決めようとしていることがほとんどです。

 

でも、前回も引用しましたが

内田樹が語る高齢者問題――「いい年してガキ」なぜ日本の老人は幼稚なのか?

 

が言うように、

これまで日本では政策的に同質性の異様に高い集団がつくられてきたけれども、

「こういう同質性の高い集団というのは、『この道しかない』というタイプの斉一的な行動を取ることには向いているんですけれど、前代未聞の状況が次々と到来するという危機的な状況には対応できない。

 

そのつどの変化に即応して、『プランA』がダメなら『プランB』という臨機応変のリスクヘッジは、多様な才能、多様な素質をもった個人が「ばらけて」いることでしか果たせない」のです。

 

コーチングセッションでは、「この職業や業種とはこういうものだ」というものを一旦離れて、どういう体験をしたいのか、自分はそもそもどういうライフスタイルや働き方を望んでいるのか?という部分を自由に開いていくサポートをします。

 

そして、考える(意思決定の)ための10の質問に従って、その人にとって決断や行動がスムーズにいくようにサポートしていきます。

 

お気軽にご連絡ください。

 

info(at)peace blossom.com

 

atを@に変えてください。

親に初めて国連で働きたいと言った時ー今国連も米軍も経て改めて「仕事というもの」について思うこと

仕事とはそういうものだ。

仕事とは苦労して当たり前。

仕事と遊びは別のもの。

さてそれは本当でしょうか?

 

小学生の憧れの職業がYoutuberという時代なのに、まだまだ私たちの世界観は古いものの影響を受けているようです。

 

私は親に初めて国連で働きたいと思っていることを伝えた時のことを覚えています。

 

大学4年生の秋ののことでした。

当時はFacebookもなく、ネット上の情報も限られていて、

身近に実際に国連にいった人も先輩訪問というものもなければ、

いい企業に就職するのが「就職」だという雰囲気は今よりも強い時代背景の中、

大学の就職課でそんな話しができる雰囲気でもなく、

今ほど「国連」がキャリアの一つとして認識されているわけでもなく、

 

私にとっての唯一の頼りだったのは、

「明石康国連に生きる」という本と

カンボジアの選挙支援での体験を書かれた国連ボランティアの人の手記とアルク出版の「国際協力ガイド」だけでした。。。

 

今となっては、もう前世の前世のような感じさえしますが(笑)、父が早めに帰宅できる日を待って「家族会議」が開かれました。

 

周りに国連で働いてる人はいるのか?

国連という組織にはどうやって入るのか?どういう仕組みなのかなどと質問をされました。

 

当時私のわかる範囲で答えたのですが、それは両親にとって(というかその世代の人にとって)、想像のできない世界であり、想像のできない働き方だったと思います。

 

「緊急家族会議」は、双方の主張が交わらないままに結論に近づいてきました。

 

「そんな夢みたいな事を言ってないで就職しなさい」。

(≧∇≦)

 

それ以来、私と両親は、

同じ家に住みながら卒業までほぼ半年も口を聞かなくなってしまったのですが、

 

今振り返ればそれが「バネ」になって、

私はぜったいに大学院にも受かって国連に入ってやると思いました。

 

そしてそれが「原動力」になって着々と準備を進めていきました。

 

その半年の間で英語のテストのスコアが伸び、

海外就職も決まり、大学院入学も決まり、

しかも奨学金ももらえることになったのですから、よくがんばったと思います。

 

こう書いてみると、

そこで引き下がって終わっていたら私のキャリアも今の私もなかったことになるので、

当時の両親は私の覚悟を試した役割という意味で

魂の約束をしてきたかもしれないとすら思います。

 

反対されたことは当時の私にとっては「大事件」でしたが、

当時の私の両親の反応はけっして珍しいものではなくおそらくその世代の人たちの一般的な反応だったと思います。

 

社会が右肩上がりの経済成長を続けていた時代の「仕事観」と「交換(依存)関係」というものも出来上がっていました

 

終身雇用がまだ当たり前だったので、我慢する代わりに雇用の安定と定期昇給を保証するよ、という関係性と考え方です。

 

こうした時代背景では、市民ひとりひとりが成熟した個人になることによってではなく、同質性の高いマスを形成することが優先されたのです。

 

内田 樹氏いわく、「その方が確かに作業効率がいいし、組織管理もし易い。消費行動も斉一的だから、大量生産・大量流通・大量消費というビジネスモデルにとっては都合がよかった。

 

だから、国策的に同質性の異様に高い集団を作ってきた。でも、こういう同質性の高い集団というのは、「この道しかない」というタイプの斉一的な行動を取ることには向いているんですけれど、前代未聞の状況が次々と到来するという危機的な状況には対応できない。そのつどの変化に即応して、「プランA」がダメなら「プランB」という臨機応変のリスクヘッジは、多様な才能、多様な素質をもった個人が「ばらけて」いることでしか果たせないからです」

 

内田樹が語る高齢者問題――「いい年してガキ」なぜ日本の老人は幼稚なのか?

より抜粋

 

そして、20年たった今、当時には想像もつかなかったユーチューバーといった「職業」ができて、下手な企業のキャンペーンよりもずっと影響力を持つ個人が生まれています。

 

そして、「スーツケース起業家」というタイトルの「自由に旅して十分に稼ぐ新しい生き方」の指南本までています。

https://www.amazon.co.jp/スーツケース起業家-ナタリー・シッソン/dp/4883206599

 

これは日本では2016年刊行ですが、英語版はもう6年前に刊行されていて、

私自身去年の夏に西表島へいって、今年の3月に執筆を兼ねてタイ旅行に行った背景には、そういうライフスタイルが頭にあって、

 

バンコクに暮らす高校時代からの親友からも、ちかちゃんの仕事ならどこでも仕事できるよね、とも言われ続けています。

 

誰でも簡単に楽して稼げるという安易な印象を与えるつもりはありませんし、

何をするにしても一定量の労力も努力もいるのはどんな分野でも変わることはないと思いますが、

 

個人とテクノロジーの力が相乗効果をもって発揮される時、

 

仕事とは苦労するもの

苦労しないとできない

成功するのは苦労や困難が伴うものという考え自体

もはや時代的にも妥当だとは言えないのですね。

 

もっとはっきり言うと、簡単に楽しく十分に稼ぎ旅するように生活し、人の役に立ち充実した生活を送ることは可能な時代なのですね。

 

この本には著者が世界旅行をしていながらもビジネス(コーチングやセルフブランディング)が回るようにしたステップが書かれています。

 

そのためにホームページに入れるべき機能や内容、アプリの紹介なども詳しいのですが、

なによりそうしたライフスタイルをすでに実現している人のエネルギーが伝わってきて、

 

仕事は楽しくていい

楽しく稼いでいいという考え方に細胞が置き換えられていくように感じるのです。

 

メモがたくさんできました!!!

 

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Samui Island、タイ