使命と仕事は⭕️⭕️を学ぶためにあるー〜ができたら、あなたは仕事に困ることはない

マザーテレサの元には、「わたしも貧しい人のために働きたい」と世界中からカルカッタを訪れる人がいました。その人たちにマザーテレサはこう言われたそうです。

 

「もし、そういう気持ちがあるならば、どうぞあなたはお金持ちの人たちに仕えてください。彼らも愛が必要です」と。

 

その言葉を直接マザーから受け取り、お金持ちの人たちからファンドレージングを始め、世界一のファンドレーザーとなり、世界の格差や紛争、環境問題に取り組むリンツイストさんという方がいますが、彼女は、単にお金を集めることよりも、その過程を通じて、「貧しい人」と「恵まれた人」がお互いを知り、自分の中の力を確信し、助け合う機会を提供する価値の方が重要だった、と話しています。

 

たとえば、寄付を募る機会を通じて、リンツイストさんは、時にMicrosoftなどの大企業で幹部を務める女性達の話に耳を傾け、「毎日忙しすぎて、なんのために働いているのかわからない」と苦悩を打ち明ける彼女たちにエチオピアの女性達の持つ勇気について話し、勇気づけたり、ある大企業のCEOの心の悩みに耳を傾けることもあったと言います。

 

彼女はエチオピアの女性達と一緒に働いた時の様子も語ってくれていますが、彼女の体験は、たとえば、世界の貧困問題に関わることは、貧しい人たちにだけ関わることではなく、貧困とはまったく逆の位置にいる裕福な人たちやそれも含めた私たちの世界にかかわることであることを教えてくれています。

 

Soul of Money

The Soul of Money: Reclaiming the Wealth of Our Inner Resources

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邦訳 リンツイスト著「ソウルオブマネー」

 

また、教育にかかわる人たちはこういいます。

 

「子供たちを愛することはまだ簡単。でも本当に大変なのは、子どもを大切にしない大人に接すること。」

 

この原則はどの仕事(道)にもみつけることができると思います。

 

神様は、私たちにある分野に対して情熱を与えてくださり、ある道に導いてくださいます。

子どもが好きならば、保育園の先生になる人、教育にかかわる人もいるでしょう。

小児科を選ぶ人もいるでしょう。

人を助けることに特別な思いがあって、医者になる方もいるでしょう。

 

もちろん、自分に与えられた仕事を情熱をもって忠実に行うことはとても大切です。

 

そして、与えられた仕事に一生懸命に取り組み、必要な知識やスキルを身につけることもとても重要です。

 

私の場合は、南スーダンや東ティモールへ赴任した時には、現地の様子を理解するために、現地の人たちの話しを聞くことは仕事の中でもやりがいを感じる瞬間でした。時にヘリコプターをアレンジしてまで、遠くの村の状況を把握しに行ったこともありました。

 

選挙のための住民登録で誰もあぶれることのないように、雨季で寸断された村の状況を把握するために、車が通れない中、山を歩いて、川を越えて、腿まで水に浸かりながらも川を越えて、その村で住民登録を行ったこともありました。

 

大変だったけれども苦労とは感じず(若かったのもありますが😊)、取り組むことができたのは、神様に与えられた情熱があったからだと思います。(感謝!)

 

わたしの場合の情熱は、とくに紛争によって虐げられた人たちや弱い立場にいる人たちに対して向けられたものでした。

 

同時に、紛争予防や人道支援という分野で働く人たちの中での足の引っ張り合いとか、競争とかもっとえげつな組織内の権力闘争や、また紛争を長引かせている構造的な矛盾にも直面するようになりました。

 

何年かたって、自分がその分野でそれなりに一人前になり、技術や立場が安定し、さらに、それなりの立場になってくると、または、その過程において、よりはっきりと直面するのは、その世界におけるなんらかの矛盾やまたは自分の中で「ゆるせない」と思うことに直面するようになることです。

 

患者さんには愛を持って接することができるけれども、医師の世界の独特な上下関係やトップダウンの運営のやり方にうんざりしている、失望している、疲弊しているという方もいます。

 

自分が呼ばれた(calling)分野で、仕える人に対して情熱を持つことは比較的簡単ですが、同時に、呼ばれた(calling)場所においては、一緒に働く人であったり、その部署やその組織のやり方になんらかの「ゆるし」を求められる場面がでてくるのです。

 

わたしの場合、今年はエンターテイメント分野での仕事や経営コンサルタントの方とも一緒に仕事をすることになることを思ったときに、これらの新しい分野や世界にかかわることで、わたしの中にもしなんらかの判断(judgement)があるとしたら、ゆるしが促されていることを改めて感じています。

 

逆の言い方をすると、自分の中のゆるしを広げるために分野を広げたり、またはその分野に呼ばれている、召されている、という言い方もできるかと思います。

 

そして、わたしの経験から言えることは、ゆるすことができるならば、結果も成果もついてくるということです。

 

仲裁をする人が両方を判断することなく、裁くことなく、その真ん中にいれば、その状態から状況は開けていきます。

 

スリランカ軍に講師に行ったときのわたしの学びは、国連平和支援やPKOに関する知識でもなんでもなく、「生徒」であるスリランカ軍に対して自分の中で「ゆるし」を持てているかどうかでした。

 

関連記事→http://qq1q.biz/PY1j

 

どんな分野でもこの原則は当てはまります。

 

「ゆるし」さえ持つことができれば、どんな道でもその先は拓けていきます。

 

だから、スキルも専門知識や準備はもちろん大事ですが、今一度、また自分の心の中を点検してみてください。

 

もし、ゆるしがなされていなければ、そのエネルギー(怒りやわだかまり)は身体のどこかにしまわれたままで、いくら時間がたってもほんとうに解決したとは言えません。

 

もしゆるしていない出来事や人をみつけたならば、着実に忍耐を持って、そこにゆるしを求めていきましょう。

 

自分の中にゆるせていないことをみつけると、もう随分と前のことなのにまだゆるせてないのか?と思うかも知れませんが、それを把握すればいいので、自分に慈愛を優しく接っしましょう。

 

もし、自分の意思でゆるすことが難しいと思うならば、その出来事や人を天に委ねましょう。

 

そして、こう祈りましょう。

 

「わたしの中にゆるせない気持ちの根源にある傷をどうか癒してください。

頑固な部分があるとしたらそれを溶かしてください。

ゆるせる心をわたしに与えてください。

ゆるしによってわたしは解放されます。

わたしの心にゆるしをもたらしてくださって感謝します!」

 

Forgiveness sets me free.

Forgiveness brings liberty!

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オックスフォードの教授との個人指導では一年間で一回も答えが言われない❗️じゃあ何を学ぶの?

オックスフォード大学の大学院ではあまり授業の数は多くはなく、チュートリアルと言われる教授との一対一の個人指導で一年間の学びが進められていく、というお話しをしたことがあります。

 

記事⇨ オックスフォード流「考える力」ー一流は何をどの順番に考えればいいのかを知っている

 

授業を受けずに一対一の個人指導を受けるという制度にもびっくりしたのですが、さらにびっくりしたのは、一年間で一回も答えが示されないことでした。

 

一年のうちに約24回ほど小論文を書き、教授とのチュートリアルの時間を持ちました。

 

その一年間、私は教授からこれが答えだ、というようなことを一度も聞くことがありませんでした。

 

こんなままで年度末の試験を受けて受かるんだろうか、という心配が何度も頭をよぎりました。

 

なぜなら、自分の答えが合っているかどうかが分からなかったからです。

 

正直、この間の期間はシンドかったです。

学生が年度末試験に向けて感じるプレッシャーは相当なものです。

イギリスの場合はいくら年度中に真面目に講義を受けていたとしても、最後の試験でできなければ修士号を受けられないからです。

 

 

 

何度も、教授に「答えは何ですか?」「これでいいんでしょうか?!」と聞きたくなったものです。

 

でも、自分の意見が正しいのか合っているのかは、誰も言ってくれません。

 

 

その替わりに聞かれるのは、決まって同じ質問でした。

 

「なんであなたはそう思うのか?」と。

 

 

これは私の担当教授がいじわるだったという訳ではなく、オックスフォード大学のチュートリアルの目的とは、

 

ある一つの「正解」を聞く・知る・学ぶためではなく、自分なりの意見をや考え方をつくっていくための訓練をする時間だったからです。

 

 

そもそも試験で出される問題にさえも「正解」は存在しなかったのです。

 

私の場合は、人類学という分野の背景や鍵になる先行理論を理解して、それを踏まえているかどうかは判断されますが、その上でどんな意見を述べるかには、正解はなく、基本的にその人の思考プロセスを確認するのが試験のポイントなのです。

 

これまでの学校教育では、決められた範囲の試験の問題に対して、一つの正解を出すのが勉強だとされてきました。

 

日本で教育を受けた私たちは、問題にはなんらかの「答え」が存在するものだと思っています。

 

でも、そうした勉強の仕方では私たちが直面する問題には対処できなくなってきました。

 

スマホとYoutubeの発達で人間が一日に接する情報量は数百倍~数千倍になり、少し前の「最新情報」はすぐに「最新」ではなくなります。そして、世界情勢の変化も早く、予測不可能なことが増えています。

 

これまで上手くいった方法が万能でもありません。より柔軟に問題に対応していくこと、そして新しいアイデアや解決法が求められています。

 

ますます私たち一人一人の考えが自分の考えを持つことが大切になっています。

 

考えるために私たちの頭を柔らかくして、自分で考え新しい発想ができるようになるためにまず理解するべきことは「答えは一つではない」という事実です。

思考法と思考の整理 ー なぜ「考えられない人」が増えているのか?

最近、考え方について教えて欲しいと言われました。

 

確かに、考える方法についての本がたくさん出ています。

私はある会員制のライブラリーの会員ですぐに話題の新刊に触れるので、けっこう敏感です。

 

 

この写真は、この2週間だけで目にした「考える系」の書籍です!(びっくり)

 

 

確かに、考えられない人が増えている、とよく聞きます。

なんでも、ググッてなんらかの情報が得られるからでしょうか。

 

AI(人工知能)の時代が始まっているのをリアルに感じ始めてるからでしょうか?

今の教育と社会や企業のニーズがあってないとも聞きます。

 

詰め込み式の暗記教育は今の問題を解決できない、とも言われなす。

今の問題は複雑すぎて、今までの知識の延長で答えがでるわけじゃないからです。

 

 

しかも、問題が複雑になればばるほど知識の価値は下がる、という公式があります。

それは本当にその通りだと思います。

 

世界が複雑になると知識の価値は落ちる

 

⏫ Q思考より

 

では、「考える」ってどういうことをいうのでしょうか?

 

それに答えるために、そもそも「考えてない」と言われる現象はどういうことなのかを見てみたいと思います。

 

ー今までと同じことしか出てこない

ー頭がからっぽになる

ーモヤモヤしたままで思考停止状態になってしまう

ー会議で意見を求められても無難なことを言ってしまう

ーここではこういう意見が求められているだろうと思われていることを言う

ー答えはこうだろう、先生はこういう答えを欲しているだろう、という意見を言う

ー思っていることが口に出せない

ーこんなこと言ってもいいんだろうか、と自分の意見を引っ込めてしまう

ーどうせ私の意見は大したことないし、と思ってしまう。

ーマニュアルじゃないことは答えられない

 

 

さらに、それを掘り下げてみます。

それってどういうことでしょうか?

 

ー視野が狭い(同じ延長しか考えられない)

ー教えられたとおりにしかできない(自分で判断できない)

ー自分の意見を表現する自信がない

ー自分の意見を否定されるのがこわい

ー自分の意見が大したことないと言われるのがこわい

ー感情がモヤモヤとなって見えなくさせている

ーさめてる

ー諦めてる

ーどうでもいいと思ってる

ー不安でいっぱい

ー失敗するのがこわい

ーこうであるべきだという自分の中の理想像や完璧主義で自分を縛っている

ー対立や摩擦がきらい

ー他人に合わせているので自分の意見がわからない

 

 

その原因は?

ーいつもこうやるべきだというやり方を教えられてきた

ーピラミッド型の組織で自分の判断を求められることがない

ー自分の意見が本当に尊重された体験がない

ーただいろんな意見があってもいいという場を体験したことがない

ー自由にみんなが意見を出してそれが一つのより大きな答えを生み出す体験をしたことがない

ー正解があると思っている

ーお手本がどこかにあると思っているから考えるのをやめてしまう

 

思いついたことをブレスト的にリストアップしてみました。

 

ではどうしたら自分で考えられるようになれるか?

 

なかなか深いテーマですが、続けて書いていきたいと思います。

受験、就活、芸能人ランキングーなぜ日本人はランキングが好きなのか?

受験、偏差値、就活、企業ランキング、芸能人ランキング、売れ筋ランキング。。。

 

おそらく、日本という社会は世界の中でも最も「ランキング」が好きな社会の一つだと思います。

 

ランキングがあることとは、一つの指標に従って、上か下かを格付けされるということです。

 

上か下があるということは「勝者」と「敗者」がつくられます。

 

競争という土俵にいる限り、勝つ時もあれば負ける時もあります。

 

 

若いときに、相対的な競争で格付けされた経験から、それイコール自分の能力や才能だと思い込んでしまって、自由に考えたり、挑戦するのをやめてしまったんじゃないか、と感じる例を垣間見ることはたくさんあります。

 

 

「勝った」場合もそうですし、「負けた」場合にも当てはまります。

 

私がいかにある一つの価値観の中にいたのかを肌で感じたのは初めてニュージーランドに留学した時のことでした。

 

ある晩、ホストファミリーとの会話の中で、日本の教育制度に話しが及んだ時に、私が「塾に通っていた時には、夜中に塾から帰ったこともあった。」というと、こんな答えが返ってきたのです。

 

「なぜそれが必要なの?」と。

 

とても短い単純な質問ではありましたが、私はその質問自体が「ショック」でした。

 

日本では質問されることもない私が当時「当たり前」だと思っていたことが「当たり前」ではないと初めて思ったからです。

 

この体験が一つのきっかけとなって、わたしは帰国後日本の大学の受験勉強をいっさいやめて、当時日本で唯一全て英語で授業を行っている大学へ入ろうと思いました。

 

この大学はいわゆる偏差値に当てはまらない大学だったのですが、それでとても自由になったような気がしました。

 

国連時代には世間的には「エリート」と分類される人達にたくさん会ってきました。

 

「この人はほんとうにすごいな」という人もいれば、理論は詳しいのに紛争地での課題に対処できない人もいました。

 

先の米国大統領選挙でもなぜトランプに投票?といろんな分析がありましたが、私たちの社会が一つの指標を前提としている限り、つねに勝者も敗者もで続けます。

 

私たちは、ランキングがあることによって、自分の頭で考えて判断しなくても済むし、ある種の「秩序」というか、一見もっともらしい理由が存在するかのように信じて安心したいのかも知れません。

 

ただ、その「指標」が妥当かどうか、あっているかどうかはまったく別の話しです。

 

これまでの学校制度も企業も、高度成長時代を前提としてきました。

 

最近ホリエモンが、「すべての教育は『洗脳』である」という本を出していますが、そこでの前提とは、工場や企業活動をいかに効率よく運営していくかであり学校の教育も独自性やクリエイティビティーを伸ばすものではなく、「従順で効率のよい労働者」を育てるかでした。

 

ただ、このモデルの限界がますますはっきりしてきています。

 

 

では、競争がなかったら私たちは何を目指せばいいのでしょうか?

 

一人一人がその人の潜在能力を最大限に活かすことです。

 

才能、興味、能力ー才能しかり、好奇心しかり、発想力しかり、その人にしかできないことがあるのです。

 

競うべきは昨日の自分です。

 

昨日の自分よりも一ミリでもいいから自分は「成長」したと思えればいいのです。

 

 

マイストーリー⑬ バングラデシュの女性たちとセックスについて語る「一人の女性としてそこにいて欲しい」

同じ一人の女性としてそこにいて欲しいの

ある日、私はバングラデシュ人の友人に連れられ、12人ほどのバングラデシュの女性達と一緒に座っていました。これから彼女達と一緒にあるテーマについてグループでシェアをする会に参加するためでした。

さて、そこで話されることになっていたテーマとは?

ーそれはセックスについてでした。

「あの・・・私セックスの専門家でもないし、

あの・・・その・・・そんな自信を持って人にシェアできるような体験があるようにも思えないんですけど。。。(モジモジ)」

すっかり小さくなりかかっていた私の肩を押すように友人は言った。

 

「Chikaいいの。私はあなたに同じ一人の女性としてその場にいて欲しいの。」

 

人間として当たり前の営みでありながら、途上国で、特にイスラム圏で母から娘に正しい知識が伝えられ、語られる機会はほとんどない。それが故に、正しい知識がないばかりに、簡単に防げるはずの感染症になったり、セックスがトラウマのような体験になっている女性が多いということを友人から聞いていた。

だからこそ、安全な知識を身につけるために女性同士でシェアできる会を持ちたいというのが友人の意図だった。

バングラデシュという男尊女卑が非常に強い社会において、それがどれだけ勇気のあることかを少しは理解していた私は、彼女の勇気を応援したいという気持ちで参加することになったのでした。

 

友人と目の前の女性たちはしばらくお互いの近況報告を交わしてから、さっそく本題に入っていきました。

 

「最近、悩んでいることなどシェアしたい人はいますか?(友人)

一人の女性が手をあげました。

「感染症になっているので性行為がとても苦痛です。」(女性)

「どれくらい感染症は続いているのですか?」(友人)

「もう何年もです。まだ小さい子供がいるのでミルク代をまかなうために生理用品は買えません。」(女性)

 

隣にいた友人は、一人一人のシェアを丁寧に聞き、受け止めながら、かつ、冷静に、身近なものを使い出来るだけ衛生的に保つ方法を彼女に丁寧に伝えていた。

そして、そのことについて旦那さんとできるだけコミュニケーションを持ちましょうと伝えていた。

こんなやりとりが何人も続いた。

ここで紹介できるのはほんの一部だけれども、私はただただその話しを聞きながら思った。

 

この目の前の彼女たちが男尊女卑の社会の中で生きることは毎日どれだけ勇気を要することなんだろう!!!

そして、そのバングラデシュの友人と一緒にダッカの博物館に行った時のことを思い出しました。

 

博物館を出る時に彼女に「トイレ行かないの?」と聞いた時のことです。ここで行っておかないと、今度はいつ行けるか分からないから位の軽い意味でした。

 

「わたしは大丈夫。 バングラデシュの女性は8時間くらいトイレに行かなくても大丈夫なように訓練されているのよ」

???
その意味がよく分からずにポカンとしている私に向かって彼女は優しく教えてくれたのです。
「ほら、バングラデシュではね、トイレがあまり整備されていないでしょ。 だからね、例えばバスに乗って地方に行く時などは、水もなるべく飲まないようにするの。」

 

!!!

知らなかった!

 

しかも、これは、その数週間前に、出張で3週間もバングラデシュに滞在した後の出来事だったのです。トレーニング中だったから、私の関心は紛争解決や平和維持に向けられていたとはいえ、しかも、バングラデシュ軍のPKO訓練センターでは女性トイレの数は限られていたけれども、(その場で女性は私を含めたったの二人だったのだけれども)女性トイレは存在していたからです!

 

ああ!すごいショック。。。。。

まがりなりにも国連で働き、この分野に少しは知っていると思っていたけど、

「知っていると思っている」事と「知っている」事とはこんなにも違う。。。

同じ景色を見ていたとしても、同じ国にいても、同じ人から同じ話しを聞きているようでも、簡単に見えることがあり、意識を払って見ようとしないと見えない事が本当に沢山ある。。。

 

私は紛争をしていた国や旧独裁政権の国などいろいろな国で働いてきたけれども、自分で言うのもなんだけれどもかなり繊細な心の持ち主。けっして強いタイプじゃない。

正直、見たくないことも聞きたくないことも山ほどあった。

でも、毎回とはけっして言えないけれども、なぜかその中になんというか、私の心の奥深い部分が満たされるような、極限の中で生まれる人間の知恵、勇気や強さに触れるような瞬間があった。

このバングラデシュの友人もその一人だった。私はそんな体験をさせてもらった事に対して彼女に感謝をした。

 

そして、南スーダンの女性のことを思い出したのです。

世界でもっとも争いの根が深いとされ、ほぼ40年間紛争が続けられていた南スーダン。

紛争が起きている状況で、最も厳しい状況におかれるのは女性と子供だと言われます。

南スーダンの女性たちにとって、銃よりも彼女たちと子供たちの命を奪ったものがありました。

産婦死亡率です。南スーダンでは、病院やなんらかのサポートを経て出産できる女性は1割にも満たず、9割をも超える女性たちはともかくどんな状況であってもなんとか自力で子供を産まざるをえない状況であり、そもそも栄養状態がよくない為、産婦死亡率は世界の一で、7人に1人は出産時に命を落とすと言われていました。紛争が続く中で、南スーダンの女性にとって文字通り命がけだったのは、出産だったのです。

 

そんな苦労の中で文字通り命がけで出産し、育てあげた子供たち。

南スーダンには320万丁もの銃が流通していると言われています。人口4人に1人が銃を持っている計算になります。

時に自分の息子が争いに巻き込まれ、または、家族や自分の身を守るために、または洗脳され、簡単に銃を手にしていきます。

彼らのほとんどは普通の男の子たちです。彼らが特に残酷だからではありません。日本だったら口論で終わることでさえ、銃がある環境であるがばかりに時に村同士の抗争になり、時に「部族間紛争」になり、時に「民族間紛争」になっていくのです。

 

南スーダンの女性たちが日々直面している困難はあまりにも大きいと言わざるをえません。

こんな状況はもう我慢できない!!!

南スーダンの女性は立ち上がり、こう言ったのです。

私たちは息子を人殺しマシーンにするために産んだんじゃない!!!

こんな争いばかり続けるならもう子供は産まない!

南スーダンの女性は、セックスをボイコットすることを宣言しました。

そしてこうも言ったのです。

「全てのにんげんは女性から生まれる。

私たちはもうこの子たちに互いを殺しあうようなことはさせたくない。

私たちにはこの子たちに争いをさせないように育てる責任がある。」

 

イスラエルペレス大統領がオバマ大統領から、「何が中東の民主主義と和平を妨げているのですか?」と質問され『争い合う男どもです』と答えたそうです。

また、アラブの女性たちとユダヤの女性たちが対話をすれば和平が実現するだろうとも言われています。

南スーダンでは紛争中でも女性はおしゃれを諦めませんでした。紛争が終わってから首都に真っ先にオープンした店の一つは美容院とネイルサロンでした。女性たちは直観的にどちらの方が楽しいかを知っているのだと感じます。

 

「女性のリーダーが増えれば戦争や不祥事は減るだろう」

世界13ヵ国で行われた調査で、65%の人が「女性のリーダーが増えれば戦争や不祥事は減るだろう」と回答しています。フランス、ドイツ、ブラジル、インド、韓国、中国、日本などで行われたこの調査では、経済危機後の世界がリーダーに求める資質としてあげられたのは、信頼や謙虚、寛容、共感、柔軟性など、どちらかと言うと女性的だと言われてきた特徴が圧倒的に上位に上げられたのです。そこで浮かび上がっているのは、感傷的ではなく賢明で静かな強さがある、プライドや権力よりも全体の理念に集中できるといったリーダー像です。

同じ調査ですが、「男性がもっと女性のような発想をしたら、世界は好ましい方向に変わるだろう」という アンケートに対して、66パーセントの男性がイエスと回答し、日本では79%、 フランスとブラジルでは76%、ドイツでは70%の男性がイエスと答えています。

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ユナイテッド航空など世界的企業のブランディングに関わってきたジョン・ガーズマという消費者行動の専門家の人が経済危機後の消費者行動の変化から導き出した「女神的リーダーシップ」(原文 The Athena Doctrine)は、ニョーヨークタイムズのベストセラーになっていたのでした。

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経済危機後の世界がリーダーに求める特徴はつながり、共感、寛容 ①

 

そう!私が現場での体験を通じて直感的に感じてきたことを裏付けるものでした!

 

今こそ、世界が求めるリーダー像は、プライドや権力よりも全体の理念に集中でき る賢明で芯の強さを持つリーダー。

だとしたら、賢明で静かな強さをたたえている日本の女性の力こそ今こそ世界に求められているものではないか?

 

紛争のような大きな問題を目にすればするほど、私たちは何か大きなことをしないといけないと思いがちです。

ただ、バングラデシュの友人が私に教えてくれたのは「同じ女性としてそこに一緒にいて欲しい」ということ。

特別なことや大きなことをやる必要もない。

私たちがその国の人の友達になること、時に一緒にいることーそれ自体、私たちが思ってる以上にすごい価値なんじゃないか?

 

バングラデシュの友人は私に大切なことを教えてくれたように思いました。

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

民族や宗教の違いを超えて人を繋げるリーダーを育てること、

特に、仲裁や対話の力のよる争いの解決の方法について伝えること、

日本の女性の力を世界のために役に立てること、

日本と世界がお互いに学び合い、お互いの力を世界の課題の解決のために役にてること、

若い人たちの才能を育み、伸ばし、表現していくことをお手伝いすること(キャリアコーチング)

こうした活動を行っています。

http://peaceblossom.net

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

Anju

 

 

ギフテッドの特徴④: 創造性が高いー「この絵は神さまから来た」と子供が答えたら

ギフテッドの子は創造性が高いことで知られています。

そして、それを表現することにとても意欲的です。

 

新しい発想やアイデアを得ている状態は、外から見ればもの思いにふけっているような感じに見えるかも知れませんが、当の本人の体験としては、さまざまな着想が浮かんでは消え、ぼんやりとしたものが形を持ちはじめ、徐々に全体像を見渡せるようになるというような体験と言った方が近いかも知れません。

 

一旦全体像をつかんだら、

それを表現する作業に入り、

 

ある場合には文学や芸術作品として、

音楽として、

ダンスとして、

論文や科学的な理論として、

建築物として、

プロジェクトとして表現されます。

 

その形になったものが私たちの目や耳に触れることになります。

 

学校の作文かもしれないし、ブログの記事かもしれないし、大きな舞台での発表かも知れないけれども、

創造性はそれに触れる人の共感や感動を生み、私たちにひらめきや直観を与えてくれるようなものです。

 

あるギフテッドの子(インディゴ、クリスタル・チルドレン)の子はこう言ってます。

 

「何も考える必要はなくて、努力なしに描いてました。

ママがこの言葉はどこから来たの?と聞いてきました。

私は『神さまからよ』と答えました。

ある時、クラスで自分が描いた絵を見せたら、『本当にあなたが描いたの?!』とみんながびっくりしました。

誰だって自分と同じように描けると思ったのですが、もう少し大きくなってから分かったのですが、これはみんなと分かち合うために他の人に教えるために神さまが与えてくれたギフトだと分かるようになりました。

 

『インディゴ、クリスタル・チルドレン~アキアネ・クラマリック』より

 

そういう事を言う子が最近は多いようです。

 

胎内記憶で有名な池川明先生もご自身の診察での体験や調査で、そういう発言をする子供達が増えていることを言っています。

 

まず、そういう発言をする子は少なくないということ、そして、けっしておかしくないこと、(そこでお母さんが変に反応するとお子さんはしゃべらなくなってしまったり、絵を描いたり、表現することをやめてしまいます)を知って、お母さんはありのままにお子さんの言うことを受け止めてあげてください。

 

 

ギフテッドの子の特徴③: 完璧主義であるー1か100にならない方法

ギフテッドの子は人生におけるすべての分野で完璧主義である傾向が強いそうです。そのせいで、宿題をするのを先送りしたり、または逆に一つのことを完璧にしたいのですごく時間をかけたりします。

 

ギフテッドの子は、得意な分野とあまり得意ではない分野の差が大きいことが多いですが、自分があまり得意ではない分野があることが自分で気に入らないために、勉強自体を嫌いに思う、または苦手に感じる場合もあります。

 

その為に、ギフッテッドの本人自身は、自分のことを「勉強が苦手である」と思っている人も多いでしょう。

 

ただ、どれも完璧にしたいというのは、時間はかかるし、疲れきってしまいます。

 

子供ながらに、例えば、胃腸の具合が悪い、食生活のリズムが崩れる、といった症状として現れることもあるでしょう。

 

バランスで気を使う点は、ある分野がとても得意で、家での学習で学校で通う学年の3~6年上の教材を使う位に好奇心も知能もあったとしても、そのレベルの勉強を始めたとたん、難しくなって出来ない分野がでてくると「完璧にできないことは、やーめた」と思うことがあります。

 

完璧にできないなら、それには手をつけさえしない、という1か100になる傾向があります。

 

なので、学校の勉強は簡単すぎてつまらないというギフテッドの子には、ぜひ上の学年の教材を用意していただきたいのですが、

 

同時に、難しくなりすぎて、負荷がかかりすぎるよりは、「少し余裕をもった位の難しさ」がいいと思います。

 

 

大人の場合でもそのまま当てはまりますが、これが日常的にどういう風に現れるかというと

・自分が一番にならない土俵にはそもそも乗らない

・好成績がのぞめないような分野には手をださない

・自分が得意ですでに結果を出してきた分野を選ぶ傾向が強いため

新しいことにチャレンジするのを避ける

(自分的に「まあまあな」な結果は受け入れられないから)

 

 

ギフテッドに関する英語の文献によくでてきますが、

Impostor Syndromeと呼ばれるそうです。

 

 

ではどうするのがいいかと言うと、

・  一つ一つの事を終える事にフォーカスすること

・出来ていない部分ではなく出来ている部分に目を向けること

・完璧にするよりも楽しむことを学ぶこと、が役に立ちます。

 

 

より具体的には、ギフテッドの子の「完璧主義」に関わる時には、

 

・文法の細かいミスなどを細かく直さないこと

・本人にも細かいミスにこだわらなくていいと伝えること

・高学年の学校のレポートや長期にわたる宿題があったら、まず概要・全体像を掴む。

・それに取り掛かる前に、一緒にゴールを決め、どれ位の時間がかかりそうか、何ページくらいになりそうかを把握する。

・本人にとって大切な部分を見極め(本人が納得する)目標(意味)を決める。

・まず、アウトラインを書く。

・全部を完璧にこなすのではなく、どの部分に対して、フォーカスするかを一緒に考える。

 

 

本人にとって何が大切なのかは本人の感覚があると思うので、そこが一番大切かも知れませんね。