本気でパワハラを変えたいあなたへー「だからこそ」 あなたが輝くための105の質問

パワハラは何が本当の問題なのでしょうか?

 

私は初めての国連での赴任地東ティモールで、「パワハラ」・「セクハラ」に遭遇しました。

 

相手はパキスタンの出身の男性で、女性のスタッフには一切挨拶もせず、「女性に仕事はできない」と言い放つ人でした。

 

女性と男性は別々に食事をするような国ですから、もしかしたら、女性と仕事をしたことがないのかも知れません。(ちなみに、ノーベル平和賞を受賞したマララさんもパキスタンの出身です。)とは言え、平然と女性だけを無視したりする訳ですから、こちらも心穏やかではありません。

 

他の同僚の助けてもらいながら、自分がやるべきことは淡々とやりましたが、電気もお湯もないような任地で、国連の1年目分からないことだらけだったので、大きなストレスと精神的な負担になったのは言うまでもありません。

 

国連で働き始めてすぐに起こったことだったので、国連という組織のことも、国連での職場での人間関係についてもよく分からなかったのですが、そのうち、自分が「そのような扱い」を受け続ける必要はない、と思うようになりました。

 

我慢し続けるのも限界になり、上に訴え、彼は別の地域へ再配属されました。

 

数ヶ月の苦痛から解放され、ホッとしたのですが、「『この事件』は私にとっていったい何だったんだろう?」という「宿題」が私の中に残ったような気がしました。

 

その3年後、私は国連ニューヨーク本部へ移り、仲裁の研修を受けた時に、国連の職場で上司との関係や仕事の評価に関する異議申し立てが多いことを知り、再びそのことを思い出しました。

 

全世界で働く国連職員の数はおよそ8万人(secretariatとPKOミッションで働く職員)。

 

その8万人から、一年間の間で、国連のオンブズマンオフィスに約9,000件も仲裁(第三者を交えて話し合いを持つこと)の要請があるそうです(2012年度)。

 

相談内容については、圧倒的に多いのが、職場での仕事の評価について、契約体系(更新)、上司との関係についてだそうです。

 

国連という組織は、基本的には自動更新も自動昇進もない自己志願制の契約体系で成り立っていますから、評価や契約は大きな問題になりえるという事情はあります。

 

とはいえ、この数字は「氷山の一角」なのでしょう。

 

国連では、国連の職員が「職場での対立に建設的に対処する能力を身につける」ためのいろいろな研修が行われていて、私もそうした研修に参加したことがあります。

 

そして、部屋の中に、ありとあらゆる肌の色の人達がいるのを見た時に、「ああ、悩んでいたのは私だけじゃないんだ。」

 

そして、「意見の違いや対立に対処する方法を最初から分かっている人はいなくて、誰もが学んでいくものなんだ」、とある意味ホッとしたのを覚えています。

 

その後、私は部下を持つようになり、南スーダンでは多国籍チームのリーダーを務めるようになりました。上司になって新たに見えたこともありました。

 

今度はカウンセラーになって新しく見えることもあります。

 

「パワハラ」では、人間関係のくせやこれまでの「課題」が「噴出」して現れることがあります。

 

新しいステージへ上がるために、自分の課題や生き方を見直すのは大切なことです。

 

いずれにせよ、はっきり言えるのはどんなケースであれ、「その先」がある、ということです。

 

何が本当の課題なのか?

何を学ぶ機会なのか?

自分はどうしたいのか?

 

まずは、今の自分の状態や体験を落ち着いて整理することが大切です。

 

今の自分の状況を整理して、ではどうしたらいいかを考えられるように、自分の体験と相談を受ける中で気づいたことを質問形式にまとめました。

 

なぜ質問形式なのかと言うと、人それぞれ性格も違うし、会社や上司の状況とかいろんなことが違うので、「こうしましょう」という決まった一つの答えはないからです。

 

今の自分の状態や体験が整理でき、理解できると、自分の奥からほんとうの力が湧いてきます。

 

ご希望の方は、こちらからご登録ください。

 

https://www.reservestock.jp/inquiry/10874

 

少しでもお役に立てましたら幸いです。

 

仕事や人間関係 ー 情けなくてもどんくさくてもそれでも前に進む

「ああ、自分って情けない」と感じる時。

あんな風に振舞ってしまった自分が情けなくなってしまう時。

あまりにもちっちゃい自分。。。

 

 

 

ああ、情けないし、泥臭いけどそれも私。

 

そんな自分だけど一歩づつ前に進んでいこう。

 

たった一ミリでもいいから。

 

 

自分が新しい体験をしていることをお祝いしよう。

無名から国連事務総長へ抜擢された「国連の坂本竜馬」ー「大衆を救うために勤勉に働くより、一人の人のために全身全霊を捧げる方が気高い。」

私がよく聞かれる質問の中に、なんで国連やめてカウンセラー・コーチなんですか?というものがあります。

 

国連=もっと大きいことができる=インパクトが大きい

それなのになぜ「小さいこと?」

 

単純に「どうして?」「この人ってどんな人なの?」とも思うと思います。

 

なので、その質問の意味はよく分かります。

 

なにより、私自身が「大きなこと」をしたいと思ってきましたし、大きいことに関われる楽しさも体験させてもらいました。

 

その意味でいうならば、私は、国連のキャリアの中でも、二つの独立国(東ティモール、南スーダン)の独立のプロセスに関わるという、その意味ではかなり「野心的」でかなり「ピンポイント」な選択をしてきました。

(国連は自己志願制の組織で勝手に派遣されることはありません。)

 

同じ国連という組織でも、紛争国の最前線に行く人も、国が独立を果たすプロセスに関わる人も、しかもそれを二回も体験する人もあまりいないので、この組み合わせはかれな「稀」です。

 

東ティモールの独立前の一年間の間は、正当性を持つ新しい政府と国の体制ができるまで、内戦でインフラが破壊され、文字通り何もなかった状態の時には、国連が「暫定政府」を務めていました。

 

その仕事は、それこそ国境の交渉から、貨幣、教育制度、行政、選挙、憲法の策定、学校の運営まで含まれました。そして、一年の間で選挙が行われ、学校の制度警察ができ、憲法ができ、学校が再開されました。

 

キャリアの最初にそんな「成功体験」を目の当たりにさせてもらったことは、私が国連でのキャリアを続けるモーチベーションになりました。

 

同時に、「全ての物事には両面がある」というのも大きな秩序の真理なのだと感じます。

 

大きな組織であるがゆえの矛盾も同じくらい存在します。

官僚主義、安保理決議と国連PKOの現場間の政治的なギャップ、ヒエラルキー組織。。。

 

つい最近も、南スーダンでの食糧危機に対する人道支援の一環として、ヘリコプターから食糧が投下されるシーンを見ました。

 

世界の格差がより大きくなっているという時代に、さて、「この支援はいったい役に立っているんだろうか?」という根本的な疑問が私の中で浮かびました。

 

こうした疑問は、この業界にかかわると、国連であれNGOであれ、いずれかの段階で思うことです。

 

その疑問はごくごく健全な疑問だと思いますが、だからと言って、全てが無駄だというのも違うと思うし、0か100かの議論になる必要もないと思います。

 

ただ、面白いのは、一人一人の「その先」だと思います。

 

それで、「あなたはどうするの?」と。

 

ちなみに、「大衆を救うために勤勉に働くより、一人の人のために全身全霊を捧げる方が気高い。」という言葉を残したのは、1953年から二代目の国連事務総長を務めたダグ・ハマーショルドでした。

 

彼は、スウェーデンの元外交官で、財務次官と外務次官を経て、第二代国連事務総長を務めました。ノーベル平和賞を授与されるなど非常に高い評価を残した人です。

 

無名から国連事務総長へ抜擢され、今の国連の基礎を作ったことから「国連の坂本竜馬のような人」という表現をしていた人がいました。

 

数々の華々しい外交の裏側の取引、各国の思惑、国益追求のどろどろのはざまで、どうしていつも平和を目指す判断が下すことが出来続けたか?

 

類まれなリーダーシップ、彼が希求した国連の未来像とはどのようなものだったのか、そして我々は今、そこから何を学ぶことができるのか?

 

その様子は、スウェーデン政府が彼の生誕100周年記念事業として編纂した評伝集から垣間見ることができます。

https://www.amazon.co.jp/世界平和への冒険旅行-ダグ・ハマーショルドと国連の未来-ブライアン・アークハート-セルゲイ・フルシチョフ/dp/479480945X

 

「大衆を救うために勤勉に働くより、一人の人のために全身全霊を捧げる方が気高い。」

 

もし彼が生きていたら、彼の言葉の意味をさらにもっと聞きたいところです。

 

国連事務総長という立場の人が残したコメントとして非常に印象に残っています。