国連のトップのトップ研修では答えではなく理由を聞かれる。

さて、この数日間、オックスフォード大学で行われるチュートリアルと呼ばれる一対一の個人指導の体験を例に、答えは一つではないこと、をお伝えしてきました。

 

これを読んでいるみなさんの中には、でもそれは学校という場だから成り立つんだろう、と思う人もいるかも知れません。

 

では、国連での研修を例にとって、「答えは一つではない」ということがどのように捉えられ、実践されているのかお伝えしたいと思います。

 

私は国連事務総長特別代表候補者養成研修(Senior Mission Leaders’s Training)というものに参加したことがあります。

 

これは、国連事務総長の代表として紛争地の最前線で国連のPKO活動を指揮する国連のトップのトップを養成する研修です。

 

国連事務総長特別代表とは、閣僚経験者などが任命されることも多く、この研修に参加できる人は各国から推薦された警察や軍隊のトップ、国連で働く人の中でも参加できるのはほんのわずかです。

 

そんな私が30代半ばにして参加できたのは、南スーダンなどでの経験や経歴が評価され、「オブザーバー」という正式に参加する(選抜される)権利はないけれども、研修には参加してもいいという機会をいただいたからでした。

 

さて、そんな研修ですから講師陣には経験豊富な方々が並んでいました。

 

女性で世界で初めての防衛大臣になったフィンランドの元大臣、内戦中の軍隊と交渉を担ってきたある国連特使、元国連事務総長特別代表、そして、紛争地で一万人以上の国連軍を指揮してきた元司令官など、経験豊富な方々が並んでいました。

 

参加者の人たちの多くは、国を代表している立場であり、「国連事務総長特別代表」として任命され、その国の外交プレゼンスを上げることが目的なのでかなり真剣でした。しかも、2週間も続く研修では、10センチ近い資料も渡されました。

 

私と言えば、紛争地の最前線で指揮をとってきた方々から直接体験談を聞ける機会がありながら、課題をこなしたり発言をするプレッシャーから解放されているのですから、ある意味とても理想的なシチュエーションだったかも知れません。

 

米軍が作っただけあって課題はけっこう本格的で、内容が面白かったので、正式には何の評価にもならなかったけれども、資料は読んだし、私だったら答えはこうかなあと課題にも取り組んでました。

 

さて、そんな機会に恵まれた私が興味を持ったのは、研修の内容や講師の方々の体験談もそうでしたが、この研修がいったいどのように評価されているのか?という点でした。

 

研修は、講義と演習の組み合わせで構成されていました。

 

演習では、毎日渡される課題に対して、仮想国のトップとして自分ならどう判断するのか、という意思決定の過程を学んでいくものでした。

 

その演習の策定には、米軍も関わっているというだけあって、シナリオは世界各地の事例が集約されたような本格的な内容でした。

 

事例には、例えばこのようなケースがありました。

 

ーある勢力間で武力衝突が起こる可能性が高いという情報を受け取った。国連はどう対処をするすべきか?

 

ー国の北部で部族間衝突がおきた。隣国が国境を封鎖し、避難民が足止めされることになった。国連がとる手段は何か?

 

ー国の東部と北部でそれぞれ避難民が発生した。水と食料を必要としているが、現在確保されている輸送能力と人員では全ての人に配給することはできない。次の物資補給までには少なくとも3~5日がかかる。今ある資源を何に使いどこに向けるべきか?

 

ー来週ある大規模なデモが予定されている。そのデモが国連事務所へ向かう可能性がある。国連はどう対応するべきか?

 

ー過去に民族衝突が起きたことのある地域住民から弾圧の恐れがあるという訴えを受け、保護を求められた。国連はその要請を受け入れるべきかどうか?

 

ちなみに、ここで挙げられた例は、多少形こそ違えど、私が働いてきた国でも体験してきたことでした。

 

私は、こうした課題をする必要はありませんでしたが、あまりにリアルな課題だったので、

 

その事例に触れただけで、すっかり目が覚めてしまいました。

 

私の頭は急回転し始めました。

 

さて、

 

いったい何が「答え」なんだろうか?

そもそも「答え」などあるんだろうか?

講師の人たちは何と答えるんだろう?

 

そして研修は、参加者が事例に取り組む時間が与えられた後で、講師の人たちから意見を求められたり、質問が投げかけられる、といった形で進んでいきました。

 

そして、それぞれの参加者の意見や回答に対して、そこで鍵となる点に対して、それぞれの講師の人たちから体験談やコメントがシェアされました。

 

それぞれの方の体験談自体もとても興味深かったのですが、個人的に面白いと思ったのは、たった一つの「答え」もなければ、その場にいた講師の人たち全員が用意した「共通の回答」があった訳でもなかったことでした。

 

そして、面白かったのは、参加者と講師陣との間のやり取りでした。

 

講師の人達から参加者の人たちに繰り返し投げかけられていた質問はこのようなものでした。

 

なんでそう思ったのですか?

それはどういう意味ですか?

こういう可能性についてはどう思いますか?

 

あなたは、「なぜそう考えたのか」という根拠と思考プロセスを確認するという作業でした。

 

そして、「こういう可能性についてはどう思いますか?」という議論から漏れていた視点についての問いかけがあったり、思考を広げるような別の視点が投げかけられることがありました。

 

ここでも質問されていたのは、オックスフォードのチュートリアルとまったく同じ趣旨の質問でした。

 

つまり、何か決まった「回答」がある訳ではなく、ここでも問われていたのは、あなたはなぜその結論にいたったのか?という意思決定にいたるまでの思考プロセスでした。

 

国連のトップのトップ研修が教えてくれるように、課題が難しいからこそ、決まった「答え」ではなくその考えにいたるまでのプロセスを鍛えていくのです。

仕事できる人はやっているー分かってもわからなくても、ともかくどんどんパラパラと本のページを開いていくオックスフォード式ゼロ秒勉強法

オックスフォードでは、チュートリアルといって教授と生徒が一対一で学ぶ制度を通じて、一年間の学びが進められていく、というお話しをしました。しかも、一年間で一度も答えが示されなかったともお伝えしました。

 

オックスフォードの学生はこのチュートリアルで何を学んでいるのでしょうか?

 

どんな能力や資質を体得しているのでしょうか?

 

オックスフォードのチュートリアルで学ぶポイント、それは私たちにどう関係するのか、そして、日常的にどう活かすことができるのかを解説していきたいと思います。

 

このチュートリアルが鍛えてくれる能力の一つは、分からなくても進むという能力です。

 

チュートリアルでは、学生は、事前に大量の文献を読み、そのテーマについてどんなことが言われていて、何が大切だとされているかについてまとめ、小論文という形でまとめ、課題の質問に答えます。

 

文献の量は、1週間で20冊~50冊位の量に及びます。

 

オックスフォードでは、この作業を一年で、一学期8週間×3学期=計24回を繰り返します。

 

それだけ聞くと、さすが頭がいい人は読むのが早いんだろう、そんなにできるんだ、と思われるかも知れません。

 

ここでのポイントは、そうではありません。

 

ここで習うこととは、まず「あたりをつける」ということです。

 

結論はこうだろう、とまず自分なりの「あたり」をつけて(仮説をたてて)、読み始めるのです。

 

脳は意識が向けられている情報に向かっていくと言われています。

 

なので、自分の結論をバックアップする情報が目に入りやすくなります。

 

または、それをサポートしない情報も目に入りやすくなります。

 

そして、次の本を手にとって、目次を読んで、あたりをつけてそのページから開きます。

そして、仮説があっているのか、それを証明するためにどこを引用するのか、または、どこをもっと調べないといけないのかwp見つけていきます。

 

そこで書かれていることを目にしたら、そこで書かれていることが完全にわからなくても、次の本を手に取ります。

 

次の本でも、同じことが言われているのか、または違うことが言われているのかを確認します。

 

同じことが言われていたら、それは大事なポイントですでにある程度の合意があること、もし、違うことが言われているのを発見したら、どこがどう違うのか?と見つけていきます。

 

そして同じことを繰り返して、自分が言おうとしていること(仮説)が合っているかどうかを検証していくのです。

 

私がオックスフォードに入学したばかりの頃は、1冊目の本にかなり時間をかけていました。

 

そして、提出まで残り2日しかないのに一文字もかけてない、しかも、何が結論なのかさっぱり検討もつかない!

 

読んでもわからないのは自分だけなんじゃないか?と、

途方にくれて泣きたくなることが沢山ありました。

 

ただ、そんな作業を毎週続けてようやく分かりました。

 

単純にそれでは間に合わないのです。

 

できないと落ち込むのではなく、やり方を変える必要があったのです。

 

 

そして、完璧に理解したから書き始めるのではなく、まず分かっているところからかじょ書きで書いてみるのです。

 

たったの一文字でもいいから紙に書いてみると、すごく進んだ気がします。

 

やってみたら分かりますが、たった一行でもたった一文字でも、まったくの「ゼロ」の状態とは違います。

 

できるとことから進めるのです。

 

結論が完璧に分からなくても、わからなくても、「あたり」でいいからどんどんパラパラと本のページを開いていくのです。

一流はゲームのルールを先に知る。 優等生は「まずは」準備する。

国際機関で働きたい、国際協力にかかわる仕事がしたい、と言った相談を受けることがあります。

そのためには、まずは経験を積んでから挑戦しますと多くの方がおっしゃいます。

 

では、どんなスキルでが必要で、どんな組織・会社でどんなことをするとそのスキルは身につくのでしょうか?

 

相手は書類審査の時にどんなところを見ているのでしょうか?国連ではどうやって最初のスクリーニングをしているのでしょうか?

 

書類審査には何をどう書いたらいいのでしょうか?

 

私は国連本部にいた時に、その方面の研修も受けていますし、国連で面接官もしたことがあるので面接官や採用側の視点がわかります。

 

同じ経歴でも、履歴書の書き方によってまったく印象が変わるので、書き方一つで面接に呼ばれるかどうかが変わると言っても過言ではありません。

 

まずは、英語の勉強から始めます、と多くの人はおっしゃるのですが、それはある意味優等生的な考え方とも言えます。

 

なぜなら、先に相手が求めるものを知っておかないと、何に対して経験を積むのかが分からないし、まったく検討違いかもしれないからです。

 

別の言い方をすると、国連ではどんなスキルが求められていて、国連のいうところのコアコンピタンシーとはなにか、まず書類審査に受かるためには、どんなことを書けばいいのか、ということが見えてくると、今の職場でどんな経験ができるのか(どんなことを身に付けたいのか)により意識的になります。

 

それが分かると、仕事に対する意欲が変わるかも知れないし、直接担当する部署でなくても、自分でそれを経験するためのアイデアが浮かぶかも知れません。

 

もし、そういったことを知らないのだとしたら、あなたが400mの短距離選手になろうとしていて、100mか400mでそれぞれ作戦も変わるはずなのに、その違いも知らずに念入りにストレッチを繰り返している状態です。

 

まずは一回走ってみたら、400mを全力で走るとはどういうものなのかが全身で分かります。

そして、何が必要なのか具体的な対策を考えるでしょう。

 

「やってみないと見えない景色」があります。

 

欧米の子供たちは、「リーダーシップ」というテーマについて何が求められていて、何と答えたらいいかを小さい時から訓練されているように感じます。

 

これは、能力の問題ではありません。ゲームのルールを単に知っているということです。

 

優等生は「まずは」準備します。

一流は、まず先にゲームのルールを把握します。