過剰なまでに「正当化」を試み、つねに自分の思い通りにすること、相手に勝利することを求めている人たちへの対処方ーあなたの心を操る『マニピュレーター』という人たち

人間は誰でもなんらかの「攻撃性」を持っている存在である、という前提で、人間のもっている「力」を持ちたい欲求、人はどうやって「攻撃」をしかけてくるのか、相手とのかけひきに対して、どのようにして自分を守っていけばいいのか、を理解することが大切だと説くのは、臨床心理学者のジョージサイモンです。

 

ジョージサイモン氏は、人を支配して思い通りにしたいという権力と支配にむけた過剰な欲求を持つ「隠された攻撃性」を持つ人たちがいる、と指摘しています。

 

以下がそうした人たちの特徴です。

 

1、つねに自分の思い通りにすること、相手に勝利することを求めている。人生で遭遇するすべての状況が自分に向けられた挑戦であり、勝利しなくてはならない闘い。

 

2、他者におよぼす力と支配を求めている。人の上にたち、人に命じる地位を得ることを望む。対人関係では、つねに優位な立場を保とうとする。相手が受け身にまわって退いたり、あるいは譲歩するようにしむける。

 

3、表面的には礼儀正しく社交的にふるまうことができる。内なる残忍さや権力に焦がれる思いにさいなまれているが、そんなことはみじんも悟らせない。

 

4、あの手この手で相手を一段劣った地位にとどめておき、自分の優越性を立証しようとする。人の弱点につけいることに優れ、相手がひるみようでもしようなら、その一瞬を逃さずについてくる。

 

5、周囲の物事や現実をゆがめて把握し、自分の言動に伴う責任は追おうともせずに、過剰なまでに攻撃的な挙動の「正当化」を試みる。懲罰をちらつかせようが、良心の痛みに訴えようが彼らには意味をなさない。

 

「あなたの心を操る隣人たち:忍び寄る『マニピュレーター』の見分け方、対処法」より

 

サイモン氏は、こうした人たちを『羊の顔をまとうオオカミ』と呼んでいます。

 

続けて、こうした人たちの課題が挙げられています。

 

1、人と争うことが本当に必要な場合なのか、その判断に誤りはないのか学ぼうとしない。本人には日々が闘いで、自分の欲望の前に立ちはだかるものはなんであろうと「敵」を意味する。つねに臨戦状態にある。

 

2、いったん自分の負けを認めて譲歩し、相手に屈服するようなことがあっても、長い目で見ればそれが勝利となる事実を学ぼうとしない

 

3、意味のある闘い方、フェアな闘い方を知ろうとしない。ずる賢く立ち回ることが勝利の秘訣だと思っている。

 

4、屈服を嫌悪しているのである状況では譲歩したり負けを認めることによって得られるかも知れない面を理解できない。

 

5、幼稚な利己主義と自己中心主義の克服を学ぼうとしない。世界はすべてわがもの。わがままを押し通す手口は、対人関係を操作することによって磨きがかかり、自分を無敵の存在だと見なすようになっている。自己イメージはさらに増長していく。

 

ふーっっっ(深呼吸)

 

最近の「国際政治」の状況にかなり当てはまりそうな感じがします。

 

ここであげた特徴は、極端な例のように聞こえるかもしれませんが、直接的にこうした人たちに会わなくとも、こうした人たちが存在すること、人が攻撃してくるときにはなんらかの決まった方策がある、と知っておくと、もしなんらかの嫌がらせや理不尽な体験を受けた時に、気持ち的にはずいぶんと楽になるのではないでしょうか。

 

こうした人にもし出会ってしまったら、関わり方をただちに見直すこと(まともにやりあったら潰されてしまうので)、まず可能ならば物理的に離れること、そして必要な対策を講じることが大切です。

 

サイモン氏が挙げている対策は以下のとおりです。

 

1、負ける争いには手を出さない。

 

2、相手の性格を正しく評価できる方法を知る

 

3、自己認識力を高める。自分の性格のうち、つけこまれやすい弱点となる部分についてきちんと把握しておく。

 

4、相手がどのような手口で操作しようとしているのか、その駆け引きの手口を見極め、それにふさわしい方法で対応する。

 

5、直接何かをする・しない、言う・言わないの前に、もし気持ちの上で逃げている部分があるとしたら、自分をおよび腰にしてる過去の体験や不安を癒、し自分の内なる力を取り戻す。

 

こうした特徴は極端な例ではありますが、こうした攻撃性の根本には、相手を下にすることで自らを上に置こうとする構造があります。

 

いじめっこは本当は気が弱いと言われているように、自分よりも弱い相手をみつけることで自らを上に置こうとする構造差別やいじめ、ある民族の排斥など人類の歴史では繰り返し見られてきたことでした。

 

人格を持つ存在であってもすべての人は平等である。

 

人をコントロールすることでもなく、自分を下にするのでもなく、人と対等な関係をもつためにも、自分が自分を守り、自分の価値を自分が認めること。

 

あらためて今このことの大切さを思います。

相手に罪悪感を抱かせる、無言で威嚇、被害者になる、無知や混乱をよそおう相手をコントロールしたい「羊の顔をまとうオオカミ」という人たち

誰かのなんらかの行為をやめさせたいとして、相手に罰を与えることはどこまで効果があるのか?

人は批判されたり、なんらかの強制を受け続けるとどうなるのか?

罰は相手の行動を変えることができるのか?

 

前回は、

力で人に言うことことを聞かせようとするのは可能なのか?親に強制される子どもはどう反応するのか

 

という記事の中で、親からなんらかのコントロールや強制を受ける子供がとる「反応」について紹介しました。

 

人に罰を与えるという考え方は、人はなんらかの過ちを犯したときや批判やなんらかの社会的な制裁を受けたら、罪悪感やうしろめたさ、羞恥心を抱くものである、よって行動をあらためるものだ、という前提がありました。

 

しかし、最近では、こうした従来の精神分析の理解では説明不足である、という考えがより一般的になっています。

 

むしろ、大きく騒いだり、または、騒動を起こすほど注目されるといった側面を本人が望んでいるから、と言われています。

 

例えば、なぜ普通の若者が次々とイスラム国に参加することになったのか?という点において、ヨーロッパ社会におけるイスラム系住民に対する有形無形の差別や孤立、言語や仕事の壁、ヨーロッパで移民として馴染めなかったからという大きな社会背景があるにせよ、

 

「注目されたい」「パワーを得たい」「何モノかになりたい」といった面は動機としてかなり強かったのではないか?ということが指摘されています。

 

私自身も国連のPKOで南スーダンで元兵士の社会統合支援にかかわっていた時にこの点を実感したことがあります。

 

武装解除と元兵士の社会統合の支援は、まず生計をたてる手段を確保することのサポートにフォーカスしますが、兵士をやめたくないという人たちが少なからずいたのです。

 

そうした人たちと話しをして気づいたのは、そうした人たちにとっては、たとえ生計を得る手段を与ることができたとしても、それよりも、兵士として得られる「パワー」や「プライド」の方が断然に大きい、ということでした。

 

南スーダンの内戦の場合、「植民地解放」(アフリカ最後の「植民地」解放と呼ばれた)と「独立闘争」として始まったので、そうしたことに関わってきたことの「プライド」という側面は確かにあると思います。

 

同時に、この場合のプライドには、地位、尊敬、注目も含まれます。

そして、銃を持ち相手を従わせる力といったパワーも含まれます。

こうした側面が人間の決定におよぼす影響はおそらくかなり大きいのです。

 

これは、南スーダンの例ですが、人間にはある程度誰でも「パワー」や「支配」「注目」を得たいという欲求がありますし、そうした行為は実際日常的にみられます。

 

同時に、私たちが日常的に気付いていないところで、目にしたり、体験しているかもしれないのは、おそらく「コントロール」や心理的な「マニピュレーション(操作)」です。

 

マニピュレーション(操作)とは、相手を無視をしたり、心理的に罪悪感をもたせるなどなんらかの心理的なかけひきをすることによって、相手を自分の意のとおりにコントロールしようとすることを指します。

 

かわいい例から始めると、子どもがだだをこねて親におもちゃを買ってもらおうとすることだったり、または、もっと巧妙になってくると、「まともな親ならこんなことはしない」と言って相手に罪悪感を抱かせようとしたり、無言で威嚇をしたり、自分がいかに被害を受けたのかを強調したり、無知や混乱をよそおったり、相手の弱みをついたり、自信を失わせようとすることをわざと言ったりする場合など、です。

 

ブラック企業が内情をばらされないように心理的な脅しをおこなうこと、職場での足の引っ張り合い、女性が泣いて男性に罪悪感をもたせようとすることなども当てはまるでしょう。

 

人間は誰でもなんらかの「攻撃性」を持っている存在である、という前提で、人間のもっている「力」を持ちたい欲求、人はどうやって「攻撃」をしかけてくるのか、相手とのかけひきに対して、どのようにして自分を守っていけばいいのか、を理解することが大切だと説くのは、臨床心理学者のジョージサイモンです。

 

ジョージサイモンは以下のような行為を操作の例として挙げています。

 

はぐらかす

問題をすり替える

大事なことを伝えない(事の真相を秘密にしておく)

相手の羞恥心を刺激する

被害者を演じる

人をそそのかす

人のせいにする

無視する

無知・混乱を装う

相手に怒りをぶつけてコントロールする

脅す

「あなたの心を操る隣人たち:忍び寄る『マニピュレーター』の見分け方、対処法」p.154-180より

 

いずれも間接的に相手を自分の意のとおりに従わせようとすることです。

 

相手があからさまに敵対的な態度をとる場合もあるかも知れませんが、「操作」と呼ばれるこうした行為の特徴は、「なんか違和感があるけど自分が攻撃されていることに気づかない」「問題があるのはこっちの方」と思わせること、です。

 

ふっっっーーー

(いったん深呼吸をして息をはきましょう)

 

書いていてあまり楽しいテーマではありませんが、人間にこういう面があることは事実ですよね。。。

 

そして、人がある程度キャリアを積もうとすると(特に組織において)、どこかでこうした問題に直面すると考えておいた方がいいと思います。

 

私がこのテーマについて今回書こうと思ったのは、最近ある親ごさんの相談を受けて、まさにこうした「操作」について改めて学ぶことになったこと、それを通じて過去私の足を引っ張ろうといじわる(「いじわる」なんて表現を超えていましたが)をしてきたある上司の行動パターンや作戦がより理解できたこと、

 

こうしたことが、職場での人間関係など実は日常的な関係においてひっそりと行われているかもしれないこと、南スーダンでの内戦再発といった国際情勢にも当てはまると思ったからです。

 

「人は人をいじめ得る前提で考えておきましょう」なんてけっして学校では習わないし、もちろん猜疑心や不信感を持ちすぎるものも不要です。

 

 

でも、人間はこうした面をもっていることを頭のどこかで理解しておけば、そんな時に冷静に対処できことがまったく違ってくるでしょう。

 

しかも、どちらかといったら「いい人」といったタイプの方が、こうした操作的なやり方の被害者になりやすいのです。

 

ちなみに、ジョージサイモン氏の本の中のサブタイトルは「『羊の顔をまとうオオカミ』の特徴を理解する」です!

 

 

では、こうしたマニピュレーターの作戦による被害を避けるにはどうしたらいいのでしょうか?

 

羊の顔をまとうオオカミの特徴と対処法」続く

力で人に言うことことを聞かせようとするのは可能なのか?親に強制される子どもはどう反応するのか❓

この数日国連総会で北朝鮮が話題の中心になっています。

 

弱気な態度をみせては「相手になめられてしまう」とばかり、日本の首相まで過激な発言を繰り広げています。

 

しかし、そもそも力で人に言うことことを聞かせようとするのは可能なのでしょうか?

 

なんらかの行動をやめさせたいとして、相手に罰を与えることはどこまで効果があるのでしょうか?

人は批判されたり、なんらかの強制を受け続けるとどうなるのか?

罰は相手の行動を変えることができるのか?

 

これらの点を親と子どもの関係性を例にとって見てみたいと思います。

 

「きびしく懲罰的な力に基づく罰は、実際には子どもの攻撃性を引き起こす」と指摘する心理学者の見解として、以下の5点をを力の限界としてお伝えしました。

 

1、力は暴力の連鎖を引き起こす

 

2、人を力でコントロールするには大きな労力がかかる

 

3、おとなの罰はいずれ品切れになる

 

4、強制は抵抗や断絶、離縁など副作用が大きい

 

5、力を使うと結局は力を弱める

 

では、自分の意思に反して、子どもが親(学校、教師、権威)によってなにかを強制される時、子どもはどういう反応をするのでしょうか?

 

ゴードン博士は以下の24の反応をあげています。

 

1、抵抗する。無視する。否定する。

2、反抗する。服従しない。反発する。文句を言う。

3、復讐する。やり返す。反撃する。蛮行に走る。

4、他人を殴る。好戦的になる。戦う。理屈っぽくなる。

5、他人にいばる。いじめる。

6、かんしゃくを爆発させる。怒る。

7、競争する。勝ちたがる。負けを嫌う。他人をかっこう悪く見せる。

8、引きこもる

9、あきらめる。負けたと感じる。

10、話さない。無視する。相手が話しても沈黙する。

11、いい子、先生のお気に入りになろうとする

12、恥ずかしがる。臆病になる。新しいことを試すのを嫌がる。

13、不安に感じる。いつも承認さえることを求める。保障を求める。

14、おびえる。へつらう。ゴマをする。

15、おとなしくなる。言われたことに従う。同調する。

16、依存症になる(ネット、お酒、ネットショッピング、ワーカホリックなど)

17、ウソをつく。欺く。真実を隠す。

18、他人のせいにする。非難する。告げ口する。

19、逃げる。家へ帰らない。さぼる。退学する。

20、落ち込む。希望がないと思う。

21、病気になる。心身症になる。

22、食べ過ぎ。(過食症、)

23、群れをつくる。おとなに対抗してまとまる。

24、規則や法律を破る。

 

参考「自立心を育てるしつけ―親業・ゴードン博士

 

前回も言いましたが、ここでいう強制や力の行使は、物理的な「力」に限らず、言葉による暴力や心理的な脅しなどの「支配」や「マニピュレーション」(心理的な脅しなどの操作)も含まれます。

 

例えば、「いじめ」はこうした攻撃性の連鎖の一つとしても捉えることができます。

攻撃された方は、自分よりも弱い対象を探し、気分を晴らしたい(自分よりも弱い対象を探して自分の力を確認したい)という構図があるからです。

 

上のリストを読まれて気づいた方もいると思いますが、力の行使による副作用はわかりやすい「反撃」に限りません。

 

リスト上の方が物理的な反応を書いてあるのに対して、8番からは、心理的な反抗という側面が強くなってきます。

日本では、少年の犯罪行為が厳しい親のしつけに対する反抗であることがよく言われるように、過度な期待や過干渉なども含まれます。

 

アメリカだど、薬物依存や犯罪行為に結びつきやすくなるのでしょうが、日本の場合には、そうした分かりやすい反抗というよりも、忘れものが多くなる、ミスが多くなる、あきらめ、引きこもり、無気力といった形で出る方が多いのだと思います。

 

学校という公的な制度が、上から下に一方的に「答え」を伝えるという前提を植え付けていること、東京一極集中型経済&大企業主義、「本音と建前の社会」なども関係しているかも知れません。

 

親と子どもの関係は、その人の権威一般や社会との関係性にも現れることがありますから、なにより「どうぜ何やっても無理」といった社会全般に対する無関心やあきらめ、無力感が日本にとっての大きな損失ではないかと個人的には感じます。

 

人間は誰でもなんらかの「攻撃性」を持っている存在である、という前提で、人間のもっている「力」を持ちたい欲求、人はどうやって「攻撃」をしかけてくるのか、相手とのかけひきにはどのようにして対応して自分を守っていけばいいのか、

 

を理解することが大切だと説くのは、臨床心理学者のジョージサイモンです。

 

続く

自分の中に目的や問いがある時、脳はそれに関連することや役立つことを常に探している

何かを検索するときに、集中している時ほど、一番初めに開いたサイトでまさに探していた情報をピンポイントでみつけることがあります。

 

 

逆になんとなくネットサーフィンをしている時には、最初何を見ていたのか忘れてしまうくらいに、気が付いたら数時間経っていたということがあります。

 

 

自分の中に目的や問いがある時、脳はそれに関連することや役立つことを常に探していると言われています。

 

 

問いや目的がはっきりしている時ほど、必要な情報に気づきやすいのです。

 

私も、連載原稿を書く時によくそういうことを体験しました。

 

原稿を書く時、まず最初に全体のテーマを考えます。だいたいの方向性が決まっ具体的な構成案を紙に書き出していくと、たまたまその時にセッションにいらしたクライアントさんからそのテーマに関して質問されたり、たまたま会った人との会話が自分が頭の中で思っていたテーマに及ぶ、ということがよくありました。

 

そしてそんな会話の中からヒントをもらったり、または、この方向でいいんだ、と確認をすることがあります。

 

そういった形でもたらされる情報やヒントは本当に多いのです。

 

これを偶然といえば偶然とも言えますが、私はそうは思いません。

 

問いや目的がはっきりしている時ほど、必要な情報に「共鳴」するとも言えるでしょうか。

 

これは大きなことから小さいこと、いろいろなことに当てはまるように思います。

 

今日1日の「目的」を決めます。

本を読む時に「目的」を決めます。

人と会う時に「目的」を決めます。

打ち合わせの「目的」を決めます。

ブログ記事を執筆する「目的」を決めます。

プレゼンの「目的」を決めます。

 

このような目的を先に設定することで大きな方向性を作ってくれます。

国連の筆記試験には落ちたけど国連でのキャリアが開かれた私が直面した本当の「試験」

キャリアや転職・就職の相談を受ける中で、自分のキャリアを改めて振り返ってみると、「あーよくがんばったなあ」と改めて自分を承認したいのは、国連に入ったことでも、南スーダンで働いたことでも、多国籍チームのリーダーを務めたことでもありません。

 

それは、「自分の中の「感覚』を信じ続けられたこと」です。

 

国連という組織は、一部の人を除くと基本的に有限契約の自己志願制の組織です。

 

どういうことかと言うと、一つの仕事(契約)が終わったら、次の仕事を自分で探さないといけないということです。

 

毎回応募書類を揃えて、志望理由を送って、面接を受けなければいけないということです。

 

この制度の良い面は、本人の意思に反して行きたくない国に派遣されることはないことなのだけれども、自分がアクションしないと、昇進も昇給もないし、自動更新もない究極の「自己責任制」ということでもあります。

 

次の契約が決まらないと「不安」でしょ、とよく聞かれたし、一つの仕事がもうすぐ終わりだなあという時に、次が決まっていないと確かに「落ち着かない」気持ちにはなります。

 

でも、私の心の奥深い部分には、不思議と「なんとかなるさ」みたいな感覚があって、私の場合は、現場の仕事の方が好きだし、PKOの現場は常に人を探しているから大丈夫だろうと思っていました。

 

 

もちろん、人間なので、親に心配されたり、誰かに何かを言われると、「どうしよう?本当に大丈夫かな?」「ニューヨークにいたのに、南スーダンを志望するなんて私っておかしいのかな?」とその感覚が「ぐらつく」ことはありました。

 

 

一瞬「あっち」とか「そっち」に行ってみようかな、と思ってみたり、少し覗いてみたりもするのだけれども、それも違和感があって、結局はやっぱり国連に戻っていったのでした。

 

 

というか、そういうカッコイイ感じでもなく、自分が望まないことに対しては身体は動かなくなるし、よくもわるくも私は自分にうそがつけない体質だったのです。

 

 

数年に一回行われる国連に入る正式な筆記試験(と面接)というのもあって、こちらの倍率は五千倍~一万倍だと言われていました。

 

私はこの試験を20代半ば~30代前半にかけて、計3回、バンコク、ニューヨーク、アディスアベバ@エチオピアで受験をしました(当時の勤務先から一番近いところで受験。渡航費、宿泊費は本人負担)。

 

それらの試験は合格はしなかったものの、私の国連でのキャリアは繋がれていったのでした。

 

(国連で働く大多数の人たちは試験経由ではなく、直接ポストに応募して働いています。)

 

 

人から見たら、とても順調にキャリアを積んできた人のように見えるのかも知れないけれど、本人の感覚から言えば、「点」と「点」がつながって、今見たら一本の線のようにつながったというのが正直な感想です。

 

今私が一番伝えたいのは、自分が自分を信じることを「つらぬく」ことがもたらしてくれるより大きな力です。

 

この場合の信じる力というのは、単なる精神論ではありません。自分の中には自分の方向を教えてくれる感覚があるからです。そして、その道においては競争する必要がないからです。

 

 

超がんばって努力をして、倍率5000倍~10,000倍の競争を勝ち取る道もあるのだろうけれども、「自分を信じる力」によって拓ける道があるからです。

 

 

今思えば、私にとっての本当の「試験」は、

 

「社会や他人が言うこと(価値観)を信じますか?」、

 

または

 

「自分を信じますか?」という試験でした。

 

 

実際、それがなんらかの形で試されるような出来事はありました。

 

でも、その時々に問われていたことはとてもシンプルだったと思います。

 

 

自分がやりたい道、理由はわからないけど惹かれること  or  安定、地位、名声?

 

 

大きなキャリアの選択から日々の生活の中にもそんな場面はたくさんあります。

 

そして、「真実の道」では、これらは必ずしも相反するものでもなく、それが真実ならばそれらも後からついてくることでしょう。

 

 

自分の「意思表示」を続けると、「より大きな力」があなたの味方になってくれるのです!

 

 

 

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

12/10(日)開催「正解」がないなら「自分の答え」をみつけよう!考える順番と考えるための型を2時間半で学ぶ講座

 

《日時》

2017年12月10日(日)9:30-12:00

 

《場所》

スクエア荏原第2会議室

南北線・目黒線・三田線武蔵小山駅より徒歩10分 アクセス

 

《参加費》

3,000円(税込み)

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

 

 

人間がものごとを学ぶのは 「自分のストーリーを再検討し、新しいストーリーに書き直そうとする時」

 

いつもは聞く側(カウンセラー)の私。
今回は聞いてもらう側(インタビュー受ける人)。

 

似たような話しは何度かしたことがあるのですが、

話し手と聞き手との間に理解・受け止め感があるかどうかで、

こんなにも話す体験も伝わった感も違うものかと、驚きました。

 

上手に聞いてもらったことで、

自分の体験を一段上のより普遍化された場所でとらえ直すことのできた自分をがいました。

 

 

人間がものごとを学ぶのは、

「自分のストーリーを再検討し、新しいストーリーに書き直そうとする時」だそうです。

 

聞き上手な人はそのための「空間」を創ってくれるのですね。

 

「聞く力」の奇跡についてはこちら で紹介しています↓↓↓
https://chikaonaka.com/2015/12/03/2296/

 

 

%e6%92%ae%e5%bd%b1%e4%bc%9a0915a

⬆️タイアップ記事写真撮影中。@アカデミーヒルズ

 

クーリエジャポン担当編集者さんは、一見華奢ですが、シリア難民取材から帰国したばかり。

いつも的確な指摘をくれます

 

 

互いに理解や共鳴がある人と一緒に仕事ができるのは本当に本当に有難いことです。

 

聞き上手は創造性も生む〜。

 

お楽しみに〜!(*^-^)ニコ