議論と対話は違うーじゃあ「対話」ってなあに?ほんとうの理解や新しい発想を生みだす対話とは?②

無理にこちらが話そうとして相手にとって面白いのかわからない話題を続けるよりも、

質問をして相手に話してもらった方がいい、と言いました。

 

そして、

会話を広げる質問として、「対話的な質問」というのを挙げました。

 

では、何を「対話」と言うのでしょうか?

 

対話の特徴の一つはその前提とそのアプローチにあります。

 

私自身、南スーダンで元反政府軍の人たちと関係を築いていく中で、非常に役に立っていたと感じた「対話的な質問」がありました。

 

例えば、彼らが怒りだす時、彼らの真意がなかなか掴むめない時、表面的には同意しているようでも、何かがお互いの間で理解されていないように感じた時などです。

 

「今、あなたが仰った事はとても大切だと感じました。あなたが仰ったことを理解したいと思っているのですが、よかったら、どうしてそのように考えるようになったのか教えていただけませんか?と、聞き続けたことです。

 

別の言い方をすると、次のような意図の質問をすることです。

 

◎ どのような考えでその結論にいたったのですか?

◎ そうおっしゃるのにはどんな理由があるからですか?

◎ その考えの背景にはどんな事実や体験があるのですか?

 

これはどういうことを意図した質問かというと、

 

相手はなぜそう考えるのかということを理解する質問です。

 

その意味とは、

 

人が何かいう時、自分の意見や感想をいう時、

「人にはなぜそう考えるのかというそれぞれの体験や背景がある」という前提に立つことです。

 

その意見そのものとは同意できないし、相容れないように思っても、

人はなぜそう考えるのかというそれぞれの体験や背景は理解できるという考え方です。

 

そのためには聴くことにもっと意識的になることが必要です。

 

自らの意見を正当化し、議論に「勝つ」ためではなく、

自分とは違う意見や異なる視点を理解するために聞くこと。

 

相手の考えを主観的なものだと決めつけるのはなく、

相手がどのような体験を経て、

そのような考えを持つように至ったのかを理解するために聞くこと。

 

相手が間違っていると証明するためではなく、自分の理解を広げるために聞くこと。

相手に反論するためではなく、お互いの共通の理解を得るために聞くこと。

 

自分の推測に基づいて聞くのではなく、

新しい理解や可能性にオープンになるために聞くこと。

 

議論も対話も両方が必要なものですが、

お互いの理解や洞察が深まったり、新しい見方ができるようになったり、

参加者が納得するような同意が生まれる時には、

なんらかの形で対話的な要素が起こっていると言えます。

 

 

その上で、

一時的に自分の考えを保留し、人それぞれに持っている意見や価値観の背景、理由を探求し、共有できる新しい考え方を共に探っていくこと。

 

対話の力は、

変化の早いこれからの時代、

 

新しい発想や創造性を生み出す場づくりのスキルとして、

課題解決のスキル等として、

主体性を引き出す新しいリーダーシップのスキルとして、

多国籍なチームや全く違う考えを持つ人たちと会話を広げ合意を得ていくために、

対立や紛争解決(conflict resolution)の手段として、

 

これからますます大きな力となることでしょう。

字が読めないのに英語を話す人たちから学ぶ英語の覚え方ー英語を⭕️⭕️⭕️として捉えてみる

国連職員としていろいろな国を訪れる中で驚いたのが、字が読めない人の割合が9割を超える国でも(南スーダンの女性の場合)、英語を話す人がたくさんいたということです。

 

2017年の国際連合教育科学文化機関 (ユネスコ)の報告書によると、南スーダンの非識字率は75%で(女性は92%)、2018世界の中でも最も非識字率が高い国だそうです。

 

非識字率とは字が読めない人の割合を意味しますが、その割合が国平均で75%、女性の間では92%なのです。

 

逆の言い方をすると、国全体で字が読める人は25%、女性の場合はたったの8%しかいないということです。

 

そんな南スーダンですが、それなのに英語を話す人がそれよりもはるかに多いのです。

 

以前「学校へ行ってから死にたい」と言った元兵士の人のお話しを書いたことがありますが、彼は小学校さえも終えていなかったのに英語をスラスラ話しました。

 

つい最近タイへ行った時も似たようなことを体験しました。道沿いのローカルな食堂を切り盛りしているタイ人のお母さん達は元気いっぱいに堂々と英語を話します。

 

タイの女性は働きもので、子どもをいい学校へ行かせるために一生懸命に働きますが、タイ南部のその世代のお母さんたちにとって学校へ行く機会は限られたと想像します。

 

なぜ識字率が世界一位の識字率をほこり、学校で英語を習う日本人が英語で苦労して、彼らは英語を話すのでしょうか?

 

一言だけ結論を先に言うと、字が読めないからこそ英語を覚えやすい面がある、ということです。

 

それは、英語をイメージとして捉えるからです。

 

第二に、⭕️⭕️⭕️が高いからです。⭕️⭕️⭕️については最後まで読んでくださいね。

 

まずは、「英語をイメージとして捉える」という意味を説明します。

 

私たちが知らない言語に初めて接する時、それをどう認識するでしょうか?

例えば、The market is over there. (市場はあっちだよ。)という文があるとします。

 

最初は文字・言葉として認識しないので、☁️☁️☁️    is  ☁️☁️☁️といったようになんらかの「音のかたまり」として聞こえます。

 

その「音の塊」が目の前のものを結びつけられるに従って、☁️☁️☁️ は🍅(tomato)となったり、🍌(banana)となって、語彙が増えていきます。

 

もし、🍅が3つになったら、three 🍅🍅🍅となって、threeという単語が新たに認識されます。

 

tomatoの複数形はtomato(es)ですが、こういう場合のストリート英語は、単数形も複数形もみんなtomatoで表現します。

 

通じること、シンプルなことが優先で、逆に正しい英語や複数形を話すと通じなくなってしまうので、たいていわざと過去形も過去完了も吹っ飛ばします(笑)

 

私たちが日本語を習得してく際に辞書を使わないように、それが言語を学ぶ自然な過程なのですが、字を介するとトマト=tomato、きゅうり=cucamberといったように、字の塊として覚えようとします。

 

すると突然イメージや日常の文脈から切り離されて、文字の変換作業、またはともかく覚える記憶術のような無味乾燥な作業になってしまうのです。

 

右脳的な作業から左脳的な作業になってしまう、という言い方もできるでしょうか。

 

私たちは字を読めるという利点も最大限に活かしながら、英語(文全体)を「イメージとして捉える」というやり方を取り入れることができます。

 

英語(文全体)を「イメージとして捉える」ということは、文字通り🍅を見たら、

 

tomato=トマトと日本語に変換するのではなく、🍅をtomato[təméɪṭoʊ]という音で覚えるということです。

 

私がカザフスタンに赴任した時に、ロシア語を覚えるのに使ったロゼッタストーンという教材では、文字通り🍅の絵がパソコンの画面に何回も現れて、トマトという意味のロシア語の音声が何度も流れました。

 

そして、やっぱり「通じるって楽しい!」という体験は大事だと思います。

 

私は大学生の頃、大学の交換留学プログラムで9ヶ月ほど香港へ留学したのですが、ハロー(你好ネイホウ)とありがとう(唔該 ムゴーイ)の次に覚えたのは、「魚香茄子」(四川料理の代表的な味付けをした茄子と挽肉の四川風煮込み)という料理の名前でした。

 

留学先の香港中文大学は香港の中でも名の知られた大学でしたが、びっくりしたのは、構内に飲茶をする立派な食堂やレストランが何件もあって、学生も週に一度は飲茶をするのです。

 

CUHK

⬆️香港中文大学 (The Chinese University of Hong Kong)

 

さすが香港。大学内のレストランでも北京ダックからロブスターまで立派なフルコースの料理が出てくるのです。

 

学生なので毎週北京ダックを食べるわけではありませんが、香港人のルームメートと寮の友人たちと毎週飲茶へ通ううちに、彼らが注文する美味しいメニューを次から次へと覚えて、私の広東語のボキャブラリーは料理の名前がトップ10を占めるようになりました(笑)

 

yamcha

 

今でも、ときどき無性に飲茶をしたくなります。(笑)

 

では最後になぜ字を読めない南スーダンや中学校しか出ていないタイ人の人たちが英語を話すのでしょうか?

 

英語を理解し話すことは、彼らの安全や生活に直結するからです。

 

別の言い方をすると優先順位が高いからです。

 

この数年内戦が続き今でもウガンダへ避難する南スーダンの人たちのおかれた状況は厳しく、けっして軽い意味で言うわけではありませんが、彼らの生き抜く力に学ぶことは多々あります。

 

それ位の潜在能力が人間にはあるのですね。

 

では、自分にとっての英語の優先順位をあげる質問です。

 

自分が大切だと思っていることややりたいと思っていることをより満たすために英語はどのように役に立つでしょうか?

 

楽しく美味しく、優先順位たかく英語を覚えていきましょう。(*^-^)ニコ

 

 

「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」ーその純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はない

 

 

「自分にはまだ無理だ」「まだ準備が足りない」と感じる方は多いようです。

 

 

コーチングや講座なりが、すぐに分かりやすい「成果」や「結果」を生むかどうかは人それぞれなので正直わかりません。

 

ただ、なんらかの「結果」を生まなければいけない、という発想自体が、社会的に植え付けられた「成果志向」で、ある意味で私たちはそれに縛られ過ぎているかなと思う面もあります。

 

 

結果や成果は大事だと思いますが、それが前提だとただ体験したり、新しいことを試したり、新しい人と会ったり、といったことのハードルがすごく高くなってしまいます。

 

個人的には、「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」「試してみたい」という感覚がもっと尊重されてもいいのかなと感じます。

 

 

「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」「試してみたい」という理由だけで、何かをやるには十分な理由だと思います。

 

 

もっとはっきり言うと、自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないと思っています。

 

 

なんらかの結果や成果を出した人に私たちが触れる時、その人の成果や結果が目につきますが、

 

その影にはその何十何百倍もの「トライ・アンド・エラー」があるものです。

 

いろんな人と会って、刺激的な時もあれば、あんまり面白くなかったなと感じることもあれば、「やっぱり」と思うこともあれば、「え、意外!」という驚くこともあるでしょう。

 

それこそが「体験」です。

 

文章にしても際に人の目に触れられる文章は、実際書いたものの1割もないかも知れません。

 

私自身、最初に文章を書き始めた頃は、とても人様に見せられるような内容でも文章でもありませんでした。

 

(なにせ、私はほぼ10年間英語で仕事をしてきたのでそもそも日本語を書く環境にいなかったのです。)

 

最初は自分のために書いていたものが、だんだんと慣れていく内に人に伝えたい、とより意識をするようになっていきました。

 

今はもっと自分の体験を還元するという目的が強いですが、最初はもっと純粋に自分の興味・関心や整理のためだったので、私は自由に楽に始められました。

 

最初から何かに連載をするためだったら、私の中の書くハードルは高くなって楽しめなくなっていたかも知れません。

 

 

どんな分野でも、「成果」や「結果」の影にはその何十倍もの「準備」や「無駄」があるものです。

 

一番はじめの書いたものの10の内の7割〜8割が削られる時もあります。そうして研ぎ澄まされた文章となっていくのでしょう。

 

でも、削られた部分は「無駄」ではないのです。

 

目に見えないけれども、そうした部分が見える部分に「深み」をもたらしてくれるのです。

 

読む人も文字となっている何倍以上ものことを感じとってくれます。

 

 

 

子供の時には、私たちは「最短で」「一つの正解」にたどり着く方法を訓練されます。

 

大人の生活では、私たちは「一直線」でゴールにたどり着くわけではありません。

それがいい訳でもありません。

ましてや、たった一つの正解はありません。

 

 

「急がば回れ」じゃないですが、いろいろなことを「体験すること」こそが長いスパンでは結果を生むということもあるようにも感じています。

 

 

「体験する」にもいろいろな種類があるとは思いますが、自分の視野や世界が広がるもの、自分が自分を知る・発見すること、人との関係性を深めるものは、投資をする価値があるでしょう。

 

 

コーチング・カウンセリングの大きな意義の一つは、まさに、「自分が自分を知る・発見」し、「自分との関係性を深める」ための「自分のための時間を持つ」ということだと思います。

 

 

もしよかったら、ただ自分のために「心地よい時間を持つ」という贈り物をされてみてください。

 

素敵な春の日をお過ごしください。

 

現役大学生で世界制覇をした南谷 真鈴さんー「この山に登ったら、本当の自分が誰なのかわかるし、本当の自分になれるかもしれない」

私が「南谷 真鈴」という人間になるために、あの山はどうしても欠かせないものだったのです。

 

エベレストに日本人最年少登頂。現役大学生で、 エベレストや北極点到達など七大陸最高峰制覇を達成。南谷 真鈴(みなみや まりん)さんの本です。

 

•2015年1月 – アコンカグア登頂

•7月 – キリマンジャロ登頂

•8月 – モンブラン登頂

•10月 – マナスル登頂

•12月 – コジオスコ登頂

•12月 – ヴィンソン・マシフ登頂

•2016年1月 – 南極点到達

•2月 – カルステンツ・ピラミッド登頂

•3月 – エルブルス登頂

•5月 – エベレスト登頂 (日本人最年少)

•7月 – デナリ登頂

•2017年4月 – 北極点到達

 

最後の最後の100メートルでエベレストへの登頂を諦める場面、死にそうになる場面などなど、いろいろな面で読み応えがあるのですが、私が特に面白い!と思ったのは冒頭にあったこの文でした。

 

日本最年少でエベレストを目指した理由は?

世界七大陸最高峰を登頂しようと思ったのはなぜ?

 

それに対する彼女の答えです。

 

「でも私が冒険をしたのは、自分の内側から湧いてくる純粋な『やりたい』という気持ちからでした。これに勝る『何かをする理由』はないと思っています。」

 

「さらにエベレストは、私の過去と未来と両方のために必要でした。」

 

私が「南谷 真鈴」という人間になるために、あの山はどうしても欠かせないものだったのです。

 

冒険に一つの区切りがついて、今の私は南谷 真鈴になりかけています。」

 

 

冒頭の登山歴だけを見ると「華やかな経歴」が印象に残るかも知れませんが、彼女が一番初めの山に登ろうと思った時には、彼女は、両親の離婚の危機と香港や海外で過ごした幼少期の「自分はどこの国の人か分からない」というアイデンティティー・クライシスを体験していました。

 

中学生だった彼女はこう思います。

 

いつか絶対にエベレストに登ろう。

 

この山に登ったら、本当の自分が誰なのかわかるし、本当の自分になれるかもしれない。

 

大変なプロセスを乗り越えてこそ頂上に立てるエベレストなら、自分の存在する意味が何なのかを教えてくれるに違いない。。。と。

 

そして、自分でスポンサーをみつけ、それを達成するのです。

 

しかも彼女の行動力。

 

 

計画しているだけで実行しない限り、それは『いつか』であって『今』ではない。」

 

 

「七大陸の最高峰に登る前の私は南谷 真鈴ですらありませんでした。

 

私が私になるために、あの冒険が必要でした。

 

私が成長していく過程に必要なプロセスが、エベレスト登頂でした。

 

自分がもっと強くなり、もっと大きく未来を広げるためのツールがあの七つの大陸の山々だったと思っています。」

 

…中略…

 

 

いくらでも表面的には世界の映像を見ることのできる時代ですが、

 

本当の意味で「世界を見る」というのは外側に映る世界を見るのではなく、自分の内側の感覚が新しくなる度に「新しく見える世界」を広げることなのかも知れません。

無名から国連事務総長へ抜擢された「国連の坂本竜馬」ー「大衆を救うために勤勉に働くより、一人の人のために全身全霊を捧げる方が気高い。」

私がよく聞かれる質問の中に、なんで国連やめてカウンセラー・コーチなんですか?というものがあります。

 

国連=もっと大きいことができる=インパクトが大きい

それなのになぜ「小さいこと?」

 

単純に「どうして?」「この人ってどんな人なの?」とも思うと思います。

 

なので、その質問の意味はよく分かります。

 

なにより、私自身が「大きなこと」をしたいと思ってきましたし、大きいことに関われる楽しさも体験させてもらいました。

 

その意味でいうならば、私は、国連のキャリアの中でも、二つの独立国(東ティモール、南スーダン)の独立のプロセスに関わるという、その意味ではかなり「野心的」でかなり「ピンポイント」な選択をしてきました。

(国連は自己志願制の組織で勝手に派遣されることはありません。)

 

同じ国連という組織でも、紛争国の最前線に行く人も、国が独立を果たすプロセスに関わる人も、しかもそれを二回も体験する人もあまりいないので、この組み合わせはかれな「稀」です。

 

東ティモールの独立前の一年間の間は、正当性を持つ新しい政府と国の体制ができるまで、内戦でインフラが破壊され、文字通り何もなかった状態の時には、国連が「暫定政府」を務めていました。

 

その仕事は、それこそ国境の交渉から、貨幣、教育制度、行政、選挙、憲法の策定、学校の運営まで含まれました。そして、一年の間で選挙が行われ、学校の制度警察ができ、憲法ができ、学校が再開されました。

 

キャリアの最初にそんな「成功体験」を目の当たりにさせてもらったことは、私が国連でのキャリアを続けるモーチベーションになりました。

 

同時に、「全ての物事には両面がある」というのも大きな秩序の真理なのだと感じます。

 

大きな組織であるがゆえの矛盾も同じくらい存在します。

官僚主義、安保理決議と国連PKOの現場間の政治的なギャップ、ヒエラルキー組織。。。

 

つい最近も、南スーダンでの食糧危機に対する人道支援の一環として、ヘリコプターから食糧が投下されるシーンを見ました。

 

世界の格差がより大きくなっているという時代に、さて、「この支援はいったい役に立っているんだろうか?」という根本的な疑問が私の中で浮かびました。

 

こうした疑問は、この業界にかかわると、国連であれNGOであれ、いずれかの段階で思うことです。

 

その疑問はごくごく健全な疑問だと思いますが、だからと言って、全てが無駄だというのも違うと思うし、0か100かの議論になる必要もないと思います。

 

ただ、面白いのは、一人一人の「その先」だと思います。

 

それで、「あなたはどうするの?」と。

 

ちなみに、「大衆を救うために勤勉に働くより、一人の人のために全身全霊を捧げる方が気高い。」という言葉を残したのは、1953年から二代目の国連事務総長を務めたダグ・ハマーショルドでした。

 

彼は、スウェーデンの元外交官で、財務次官と外務次官を経て、第二代国連事務総長を務めました。ノーベル平和賞を授与されるなど非常に高い評価を残した人です。

 

無名から国連事務総長へ抜擢され、今の国連の基礎を作ったことから「国連の坂本竜馬のような人」という表現をしていた人がいました。

 

数々の華々しい外交の裏側の取引、各国の思惑、国益追求のどろどろのはざまで、どうしていつも平和を目指す判断が下すことが出来続けたか?

 

類まれなリーダーシップ、彼が希求した国連の未来像とはどのようなものだったのか、そして我々は今、そこから何を学ぶことができるのか?

 

その様子は、スウェーデン政府が彼の生誕100周年記念事業として編纂した評伝集から垣間見ることができます。

https://www.amazon.co.jp/世界平和への冒険旅行-ダグ・ハマーショルドと国連の未来-ブライアン・アークハート-セルゲイ・フルシチョフ/dp/479480945X

 

「大衆を救うために勤勉に働くより、一人の人のために全身全霊を捧げる方が気高い。」

 

もし彼が生きていたら、彼の言葉の意味をさらにもっと聞きたいところです。

 

国連事務総長という立場の人が残したコメントとして非常に印象に残っています。

オックスフォード大学の学生もみんな自信がないという事実ー私たちは何をしたら「自信」を感じられるのか?

私たちは何をしたら「自信」を感じられるようになるのでしょうか?

 

TOEICのスコアがあがる?

会議で発言する?

上司に認められる?

いい出来の資料ができる?

給料があがる?

うまくプレゼンができる?

資格をとる?

大学院へ行く?

MBAをとる?

 

人によっていろいろな体験や考えがあると思います。

 

私自信も国連で働いた時でも、長い間自信を感じられずにずい分悩んだので、「自信」というのは私にとってもとても興味深いテーマです。

 

それがなんであっても、自分で決めた目標をやり遂げる体験は、それが何であっても自信をくれる体験となると思います。

 

ただ、もし自信を「外からの評価」を求めるのならば、究極的にはキリがないとも思います。

 

私がオックスフォード大学の大学院で勉強していた時に驚いたのは、オックスフォード大学の学生さえ、あまり自信がなかったことでした。

 

オックスフォード大学といえば、日本の皇室の人たちも留学する世界の名門校。

 

2016年度の全世界の大学ランキングではハーバード大学やスタンフォード大学をおさえて堂々の2位を保っています。

 

そんな大学院で勉強する人なんだから、きっとみんなすごい優秀なんだろう、自信満々なんだろうと入学前にはずい分と緊張していました。

 

ところが中に入ってみたらー 確かに一部の天才のようなタイプの人はいるのですがー  ほとんどの学生は、優秀でありながら「誰が私の論文を読むんだろう」と悩んでいたのです。

 

それを知った時、ああ、みんな一緒なんだ、とすごく「ホッとした」のを覚えています。

 

 

そんな体験も含め、自分のその後のキャリアを振り返ってみると、

 

「自信」ということに対するより根本的なアプローチは、人と比べることをやめ、自分が自分を知り、自分が自分を認めること、だと感じます。

 

 

そのためには、モーチベーションを保つためにも、自分が自分で日々の成長を確認できる方法があるといいと思います。

 

そのためにできる簡単なノート術はこちらで紹介しています⇨

どうしたら「できる自分」になるんだろう?」と思ったらー毎日確実に自信をあげるノート術①

 

そして、自分が自分の成長を客観的に評価できる視点や基準をもっていることも大切だと思います。

 

まず日々の生活の中では、「うまくいっていないところ」だけでなく、「うまくいっていること」に目を向けることを訓練することができます。

 

これは単に「気休め」に言っているわけではありません。

 

日本人は、強みではなく、弱みを克服しようとする傾向が世界的にも最も強いことが研究からも明らかになっています。

 

自分の弱みばかりに意識が向きがちですが、「うまくいっていること」に気がつき、自分の強みを把握していることもプロフェッショナルとしてもとても大切なことなのです。

 

マニキュアと口紅は全員レッド。164カ国の同僚たちーもしあなたがCAになったら?

機内にはバーラウンジがあって、

席はベッド付きの個室で

バスタブ付きのシャワー室まで用意。

『セックス・アンド・ザ・シティ2』の映画の中で、ケリー、ミランダ、サマンサとシャーロットの4人はアブダビ行きの超豪華旅行に招待されます。その4人が揃って飛行機に乗るところから映画は進んでいくのですが、その飛行機は「えっ?!これ本当に機内?!」とびっくりするくらいの豪華仕様なのです。

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私は飛行機萌えの「空美ちゃん」なので、そんな機内を見るだけでテンションが上がります ⬆️⬆️⬆️(小さい頃は成田空港に行っただけで大興奮でした(*^-^)ニコ(笑))

 

 

さて、あの映画で使われたエアラインは、どこかと一部のファンの間で話題になりました。

 

ドバイを拠点とするエミレーツ航空です。

エミレーツ航空は、ドバイを本拠地とするエアラインで、2013年には「ワールド・ベスト・エアライン」を受賞。世界150都市に就航するなど、最近最も存在感を増している航空会社です。

2014年バンクーバーでのサッカーワールドカップを覚えている方も多いと思いますが、優勝表彰式で赤い帽子の制服姿でメダルを持って並んでいたのはエミレーツ航空のクルーで、他には、ACミランなどのサッカーチームのユニフォームや競技場でもEmiratesの広告をたくさん見かけます。

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私がスーダンで働いている時、お世話になっていたのがまさにこのエミレーツ航空で、スーダンの空港でエミレーツの機内に足を踏み入れた途端、緊張から解放された私はいつも安心して深い眠りに落ちてしまうのでした。

 

エミレーツ航空がここまで存在感を増した理由は、豪華な設備と洗練されたサービスだけでなく、世界の中継地(ハブ)としてのポジションです。アジアとヨーロッパ、アフリカと中東、アメリカをつなげる場所がまさにドバイなのです。

 

エミレーツやドバイの誇る「豪華さ」には個人的にはちょっと「わ~!石油王国っ」(笑)と感じる事もありますが、UAEを拠点とする他のエアラインと比べてもそのブランド力は圧倒的です。

エミレーツ航空はどの写真にも、白人、アジア人、中東系、ブラウン系の人などなど写真には必ず幅広い顔立ちの人たちを揃えています。

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2016年3月現在で、なんと164カ国もの(!)クルーが乗務しているそうです。

 

エミレーツ航空に乗ると、他のエアラインではほとんど聞かれない機内アナウンスが流れます。

 

「この便には、◯◯カ国のクルーが乗務しております。クルーが話す言語は英語の他、日本語、中国語、タガログ語、フランス語、ハンガリー語、アラビア語、ヒンディーです。ご要望の最にはどうぞご遠慮なくお申しつけください。」などなど、その便によって国籍はほんとにいろいろです。

 

 ここまではっきりと「多様性」を武器にしているエアラインを他に知りません。

 

「Diversity」(ダイバーシティー)は、エミレーツ航空のブランド力の大きな核なのです。

 

さて、このエミレーツ航空は、世界150都市に就航しているだけあって、世界中からクルーを募集しています。

 

ドバイには家具付きのマンションが用意され(写真を見せてもらいましたが豪華でした~)、家賃も医療費も会社負担で税金もかからない上に、フライト先では5つ星ホテルに宿泊しながら世界中を旅することができるということで、その倍率は100倍を超えることも少なくないそうです。

 

今でも世界中からクルーを募集しているらしいのですが、

一般常識と英語力を問う筆記試験とグループディスカッションに続いて最終面接のステップがあるのだそうです。

 

その中でも特に「エミレーツらしい」のがグループディスカッションで、

例えば、国籍や年齢、性別も異なる架空の6人を、2人1組のルームメイトにするにはどんな組み合わせがいいと思いますか?というお題がだされ、『なぜあなたはその組み合わせにしたのですか』と理由を求められるのだそうです。

その人物の中にはムスリムもいればクリスチャンもいて、そのお題を通じて、世界的なバックグラウンドを理解しているか、判断力や観察力、チームワークがとれそうかどうかが判断されるのだそうです。

 

というのも、

毎回一緒に働くクルーや路線が変わるため、多国籍な人たちとチームワークをとりながら一緒に働く能力が特に重視されているからです。

 

そして世界の中継地としてのエアラインであるという事は、エミレーツ航空のお客さん自身も世界中から乗ってくる人たちです。

 

しかも、

あの二階立ての巨大なエアバス380を世界で一番多く所有していて

豪華エアラインというブランドイメージを固めているのだから、

高水準のサービスを期待してくるお客さんも沢山いそうです。

 

そんなエアラインの印象を決めるのは実際に接するクルーの人たち。

 

さて、

この164カ国もの人たちにエミレーツ航空はどうやって「サービス」についてトレーニングしているのでしょう?

何十カ国もの文化やサービスの方法を覚えないといけないのでしょうか?

それとも、なんらかの統一されたサービスの基準やマニュアルがあるのでしょうか?

 

エミレーツに乗るたびに、よくそんなことを思っていたのですが、

 

最近、そのエミレーツ航空でベテランのパーサーを務め、今はまさにその164カ国出身のクルー達をドバイでトレーニングする立場にある友人が急遽羽田に来ることになって、再会する機会が最近あったのです。

 

さて、その「究極のトレーニング方法」とは???

続き→ エミレーツCAトレーニングと国連トレーニングの意外な共通点とは?

面接で負けたくないあなたへ

負けたくない?分かるよ。私も同じだったから。

負けたくないから、自分じゃないスタイルで強く自己主張をしてみたり、ついついしゃべり過ぎたり。。。

でも、「手ごたえ」ないし、なんか「後味」悪い。。。

 

ゴルフチャンピオンのタイガーウッズは、優勝をかけた接戦の時でも、相手がパットを打つ時、「このパットが入りますように」と心の中で祈るそう。

ゴルフは究極のメンタルゲーム。その方が自分の為になるってことを彼は知ってる。

 

私たちの人生も一緒。

本当に「勝つ」ことは、相手を負かすことでも蹴落とすことでもない。

自分の道を進むこと。結果、「全員が勝つ」こと。

あなたがあなたらしくいることで、他の人もそれでいいんだと思える。

 

私が国連で働きたいと思った時に、試験には何度も落ちたけど、諦めそうになった時は何度もあるけど、最後は導かれるように道が拓いて、多国籍チームのリーダーに抜擢され、元兵士達からも信頼を寄せられた。

 

試験経由の倍率は10,000倍。自分の人生の道の倍率は0倍。

私に特別な才能があったわけじゃない。諦めなかっただけ。

私たちは全員すでにファーストクラスのチケットを持ってる。

地球上の70億人全員が輝ける場所がある。

 

あなたが好きなことをやっている時、そういう道が拓けてくる。

何をしたらいいのか分からなかったら、まず自分の道に進むと決めること。

あなたの席をみつけよう!

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20年経ってカンボジアが「援助する側」になる舞台

国連という現場の面白いところの一つは、「援助を受けてきた側」が「援助する側」になる「国際舞台」でもということ。

例えば、冷戦の終結後ヨーロッパではボスニアやコソボで、またアフリカではシエラレオネやリベリアという国で紛争が起きましたが、そこの国出身のスタッフがその後、例えば南スーダンなどに支援する側として派遣されるということが起きます。彼ら自身、紛争の経験者だから、その国の人のことを理解できたり、寄り添える部分もあると思うから、面白い循環だと思う。

部隊レベルでもそれが起きていて、カンボジアの例が興味深いです。

カンボジアは長年のポルポト派による支配と内戦で国が荒廃し、1993年に国連が選挙を含めた国づくりを支援した国でした。教師や医者などの層が虐殺されてしまったカンボジアで、国を担う人材の育成は長年の課題だったのですが、そのカンボジアは、20年経ってアフリカでの平和維持に貢献する側として、地雷除去を行なっています。

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ニューヨークやジュネーブ本部といった政治的な舞台でカンボジアという国が示せるプレゼンスはあまり強くないかも知れないけれども、カンボジアが自分の国での地雷除去の経験を活かしアフリカで支援する側に回っているということは象徴的な意味でも面白いと思う。

数年後には南スーダン軍が他の国の平和に貢献する側になっていることを思い描いてます。

80カ国の人たちと一緒に平和を築くには?(1):オンナは無理だと言う同僚と働けるかワタシ?(≧∇≦)

国際法や国際関係で語られる「国連」も国連。安保理や加盟国同士が決議や宣言の文言をめぐり駆け引きを繰り広げる場も「国連」。南スーダンで80カ国もの人が一緒に活動するのも「国連」。

128カ国もの人達が 、さまざまな理由で国連の平和維持活動(PKO)に参加することになり、アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」としてまたは「国連職員」として仕事を始めることになる。。。

80カ国の人が一緒に仕事をすることになると何が起きる?それはとってもサイコーに人間っぽいカオスでにぎやかな現場。

まず、この80カ国以上もの人達は、文化も言葉も違う。

バックグランドもトレーニングも職歴も違う。

なぜ国連に参加することになったのか?も違う。

母国の生活水準も違う。

だから、仕事の「基準」や習慣が違うし、なにより日常的な「当たり前」が違う。「空気を読む」はあり得ないので、毎回毎回言葉による確認とコミュニケーションが求められることになります。

母国ではほとんどパソコンを触ったことがないというアフリカ出身の警察官や軍人の人はたくさんいたし、自国では警察や軍人というだけで偉い立場にあった人も多くいて周りに「命令」ばかりして、おまけに女性とは一度も働いたことがない人もいました。

そこに私みたいな文民で、しかも、20代や30代の女性もいて、みんなが同じチームの一員として働かないといけないという訳で、ご想像の通り困惑やフラストレーションは「しょっちゅう」あったのでした(≧∇≦)。

 

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さて、国連でのはじめての赴任地。わたしは胸に期待を膨らませ、東ティモールに到着したのです。首都のディリでブリーフィングを受け、さらに車で4時間ほど山を登ります。これから一年間一緒に過ごす人たちはどんな人たちだろうともうドキドキです。

さて、そこで一緒になったのは、こんなメンバーでした。チリ生まれのオーストラリア人、パキスタン人、イギリス生まれのパキスタン人、カメルーン生まれのドイツ人、オーストラリア人と日本人のわたしでした。

やれ、チリ生まれのオーストラリア人とか、イギリス生まれのパキスタン人とか、カメルーン生まれのドイツ人だの、一見国籍を聞いただけではこの人たちはどんな人たちなのかさっぱり分かりません。

そして、私たちはみんな同じ業務にアサインされたのですが、一番年配だった年配のパキスタン人の人がグループリーダーという役を担うことになりました。

さて、初めての「国連」にまだドキドキしていた私。

毎朝、このチームでミーティングが開かれることになりました。

チームリーダー:あそこの村の調査が残ってるんじゃないかな?うーん、どうしよっか。オンナには無理だからね、そうだ!ナディーン、君行って。

この方、オーストラリア警察から出向中のとても優秀な女性と、チリ系オーストラリア人と私(女性3人)に向かって、「あなた達は女性だから無理だ。。。」とともかく女性には無理だと平気で言い放つ人だったのです。。。(≧∇≦)

男性のチームメンバーには挨拶をするのに女性の私たちには挨拶もソコソコに、召使いに接するような口調で「命令」されたこともありました。

「なんなの!アレ信じられない!

オンナだから無理だって、国連って平等とかをやってる機関じゃないわけ?」と先進国から来た私たちはけっこう怒っていたものでした。

初の任地だったこともあって最初は様子が分からなかったのですが、あまり同じことが続くので、同僚や上の人に相談したり、最後はトップの人に起きていることを訴えて、結果的にこの人は配置替えになったのでした。

この時に、物事をパーソナルにとらずに、起きたこと(facts)と人(person)を分けること、ほかの人に相談すること、起きていることを客観的に説明できるようになること、こういう類いのことは複数で訴えるとよいこと、できたら他の男性にも加わってもらうことを学んだのでした。

今思えば、彼の生まれた地域では男の子が生まれたら親戚中がお祝いのために集まるけれども、女の子が生まれたら人知れず悲しみ、女性自身が男性の付き添いなしに外出してはいけないという習慣が長年守られ、女性が働くなど考えられなかったのかも知れません。ちなみに、チームメンバーにパキスタン生まれのイギリス育ちの男性(つまりパキスタン2世)がいて、力になってくれたので、「パキスタン人」を「悪者」にしなくてすんだのでした。

ちなみにその数年後、南スーダンでは今度はパキスタン軍の人と仲良くなったのですが、その時の理由が「女性なのに対等におしゃべりができるから」だったから人生何があるか分からない(笑)

80カ国の人たちが一緒に平和を築くには(2)?!「南スーダンの方がマシ」?!⇒https://chikaonaka.com/2015/01/08/80カ国の人たちは一緒に平和を築くことができる-2/