「自分の軸で生きる練習ーオックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法」上梓のお知らせ

さて、この度大和書房より「自分の軸で生きる練習~オックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法」を上梓させていただきましたのでお知らせさせていただきます。

 

https://www.amazon.co.jp/自分の軸で生きる練習~オックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法-大仲千華-ebook/dp/B088ZR7FB8/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=自分の軸&qid=1591106362&sr=8-1

 

2016年よりクーリエジャポン(講談社)で「答えを求めない勇気」を連載をさせていただいてから、今思えば変化の時代(不確実性の高い時代)の兆候がすでに始まり、そのための考え方やメンタリティーを考え、文字にするということが当時からすでに始まっていたのだと今思い始めています。

 

当時連載させていただいたものも再構成されてこの本に再編されていますが、この時代になって全体像ができ内容がより活きていると感じています。そういう意味でも、このテーマで刊行するには今がベストタイミングだったようです。

 

個人的には、南スーダンという国を体験させてもらった者として、南スーダンでの日々から学んだことを還元する手段の一つとして、ようやく一つの形にすることができ(変な言い方かも知れませんが)、少しホッとしています。

 

今回、コロナやそれに関連することでいろいろな意味で揺さぶりが起きていますが、南スーダンという国は、私にとって(そこを訪れるほとんどの外国人にとって)まさに人を揺さぶる国でした。

 

人の生死を目の前にして(目の前で人が死んでいくという意味ではありませんが、死がより身近にある環境において)、やはりいろいろなものを突きつけられます。

 

それこそが今思えば、とても豊かな大きな恵みであったと感じています。

 

南スーダン後は、コーチングに携わり、大学で教え、若い人たちに触れることも多いので、学校や試験といった一部分での評価基準だけで自分を評価しないで欲しい、もっと全体的に自分の価値を捉えて欲しいという願いも含まれています。

 

直接的には、南スーダンについて書いているわけではありませんが、南スーダンでの熱い格闘の日々?!から得たものが、手に取る人になんらかの形で伝わるのではないか思っています。

 

「これまで生きてきたことに対する答えらしきものがみつかって一人で興奮しました。」

「本なのになぜか大仲さんのパワーが伝わってきて不思議でした。」

「清々しい読了感を感じています。」

「子どもに読ませたいです。古本屋には回せないだろうなと思っています。」等、励まされたという感想をいただいています。感謝です。

 

自分の軸で生きる練習pic

 

以下紹介です。

 

私たちは今「答えのない時代」を生きています。国際情勢から為替の変動、未知のウイルスなど、一つ一つの出来事が複雑に影響し合い、思わぬ方向に発展するような事態も発生しています。このような状況においては、すべての問題を解決できる唯一無二の答えは存在しません。

 

では、「答えのない時代」を生きる私たちにとって大切になるのはどのようなことでしょうか?その一つは、現状と課題を理解するための視点と、さらに、自分にとって必要な答えを導き出すための考えるステップ(思考プロセス)を修得し、そのためのメンタリティーを身につけることです。

 

一見複雑に見える現象や新しいテーマであっても、自ら調べ、一つ一つ分かる範囲が増えていき、自分の中での理解が深まっていくにつれ、これまでは分からなかったことが確実にわかるようになっていきます。

 

自ら答えを導き出し、「わかっていく」体験は、確実に自信となり、人生においても大きな力となってくれることでしょう。(第1章自分の頭で考えるより)

 

全ての状況が今すぐ解明、解決されるわけでもなく、仮に、動きたくても今すぐに動けるような状況ではない、というようなもどかしい状況であったとしても、⭕️⭕️⭕️の3つがわかっていれば、日々の情報や外部の状況に圧倒されることなく、より落ち着いて考え、判断をすることができるようになるはずです。(第1章自分の頭で考える p.58)

 

がんばってものすごい努力をして倍率5,000倍から10,000倍の倍率を勝ち取る道もあるのだろうけれども、⭕️⭕️によって、拓ける道があるのです。(第2章ブレない自信をつかみとる p.133-134より)

 

世の中には競争は選考というものが存在します。適材を見極めるための方法や選ぶ過程自体がまったく完璧でない場合もあります。自分が選ばれる場合もあれば選ばれない場合もあります。自分のメンタルやパフォーマンスのためにも、⭕️⭕️が自分のためになることがあります。(第2章ブレない自信をつかみとる p.143より)

 

強みや能力というと、学校教育の影響を受けた私たちの中には大きな誤解があって、学校教育や試験というたった一つの狭い指標で自分の能力を判断しがちです。

 

ただ、その人の独自性、人生の方向性、目的というのは、その人の経験や視点、感じ方など全てを含めたより全体的なものです。その中でも「資源」となるのは⭕️⭕️です。(第3章 決める力を養う p.174-175より)

 

自分の軸で生きる練習pic

 

自分の軸で生きる練習~オックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法

今一番「もったいない」ことはただ過ぎ去るのを待って過ごすことーこの時期が明けたら動くために今出来ること❗️

今週より大学でのオンライン授業が始まって、わたしも身近に今始まっている「変化の時代」を少しばかり感じています。

 

新しいシステム上で、授業を進めたり、複数のシステムやアプリに慣れなければいけないことはストレスに感じますが、自分が与えているものの本質を確認することになったり、また教員にとっても学生にとっても、より本質的な学びに目を向けられるよい機会にもなると感じています。

 

こんな時期だからこそ逆に伸びる学生がいるように感じます。

 

個人的には、今まで止まっていた事が、逆にこの時期にだからこそ動き出していることもあります。こんな時期だからこそ、自分の方向性を明確に意思表示する人に対しては、いつもにも増して恵みとサポートがあるようにも感じます。

 

今年初めに聞いた2020の年に関するあるメッセージの中で、「リセット」ということが言われていました。

 

今、このような状況になってみて、まさにそのメッセージ通りに、「リセット」が起きていることを目の当たりにしています。

 

この場合の「リセット」とは、ある意味「なんとなく」やってきたことや、なんとなく続けてきたやり方が続けられなくなってきた、とでも言えるでしょうか。

 

大学を例にして言えば、授業や教務の運営で、紙を使ってやってきたものも、今回を機にいろいろなフローの見直しにも繋がっていくと思います。だって、オンラインでやらざるを得なくなって、実際になんとかなっているのですから。

 

また教える側も講義さえすれば授業をしたつもりにもなり、また学生にしても講義を聞いてさえいれば、何かを学んでいる気持ちになっていた面があったかも知れません。

 

しかし、この状況になって、いったい私は何を学んでいるのか?学びが進んでいるとはどういう事を指すのか?さらには、わたしはどんな学びに興味があるのか?ーというように、より学びの質に目が向けられていくことにもなるでしょう。

 

さらには、わたしはどのようなことを大切にして生きていきたいのか?どのような価値を大切にしたいのか?ーという風に、自己理解を深め、自分にとっての本質により目を向けていく人たちもいると思います。

 

個人レベルだけでなく、国や社会、制度レベルにおいても、特にこの最近の「場当たり的」な政策も含め、なんらかの形でやはり「リセット」がもたらされるのではないか?とも感じます。

 

今までのやり方が変わる過程ではストレスを感じることはありますが、よい方向へ向かっていくための一つのプロセスであるとも言えます。

 

目の前のやり方や手段は変わっていくことがあっても、自分が向いている向きがはっきりとしていたら、そのストレスは軽くて済むことでしょう。

 

となると、このBefore/Afterコロナの中間期にいる今の時期は、とても重要な時期だと言えます。

 

著書「励ます力」の著者であり、その世界的な働きと影響力の大きさで、今最も注目される一人であるBill Johnsonは、この時期にこそ「種を蒔く人は100倍の収穫を得る」と言っています。

 

種を蒔くとは、例えばこのようなことです。

*今何に投資すべきか?⇨自分の将来

*今だからこそ「投資」をするとき=種を蒔き100倍の収穫を得る

*実際面でも賢く今投資するものを見極める

*よい種を蒔いて、良いものを収穫する

*その種は今食することのできる食べ物でもあるが、その種を投資に回す(代価を払って収穫を得る)

*安易で手身近いなものではなく、必要な労苦を惜しまないこと。

*自分に投資したものは無くならない。

*自分の仕事に関する本を読む。

*これからのビジョンを求める。

*知恵を求める。

*自分が大切にしたい価値を確認する。

*自分の目指す方向性を確認する。

 

この時期にこそ、自分の人生の方向性を確認することができたら、それこそ、今の時期にできる最高の投資であり、大きな恵みだと思います。

 

生産的な「振り返り」(reflection)も重要です。

 

過去にとらわれる必要はありませんが、過去の未完了が整理されると新しいものを招き入れるスペースが生まれ、自然に未来に向かって動いていくことができます。

 

なにより、過去の経験からの「学び」や「気づき」、「洞察」などの振り返りが「資源」となって、未来への方向性を指し示してくれます。もし、これまでの自分の体験を体系的に振り返ったこと(reflection)がないのであれば、その体験を振り返り、これまでの体験でなんとなく曖昧になっているものがあれば、その部分を完了させることにぜひ取り組んでください。

 

そのような作業を続けていく内に、過去と現在と未来が一つの線で繋がっていくような、「点」と「点」が「線」になっていくのを少しづつでも掴んでいくことができたら理想的です。

 

自分の方向性がある程度はっきりとしていて、この時期が開けた時には(しばらく移行期があるように思いますが)、自分の中でより確信をもって、その方向へ歩み出すことができたらベストだと思います。

 

今一番「もったいない」ことは、この時期をただ過ぎ去るのを待って過ごすことです。本当に、それではあまりにも「もったいない」です。

 

今この時を大切にして、今こそ、自分の未来に、自分の人生に、自分のビジョンにこそ投資をしてください。

 

オンラインでのセッションを受け付けています。お気軽にご連絡ください。

https://chikaonaka.com/coaching/

info(at)peace blossom.net

 

自分の軸で生きる練習ーオックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法

2020年5月27日に刊行となりました!

自分の軸で生きる練習ーオックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法

キャベツ専業農家が新宿伊勢丹で連日完売のおしゃれ発信源になるまで

「ここにあった!」私は思わず叫んでしまいました。

 

なぜなら、その店にあったのは、私がこの数ヶ月ずっと探し求めていたものだったからです。

 

大吉七菜海さんに会ったのは、東京赤坂アークヒルズ前のヒルズマルシェでした。

 

彼女がおしゃれなラッピングに包み手にしていたのは「ケール」でした。

 

ケールはミネラルが豊富で「野菜の王様」と言われます。

 

普通のスーパーではあまり売っていない希少な野菜です。

 

テニスチャンピオンのジョコビッチ選手は、世界一位になるまでには文字通り何度も「大きな壁」を乗り越える必要があって、「起きていられる時間にできることはすべてやった」と語っています。

 

その一つが食事改革で、彼が公開しているメニューの中にはほぼ毎日ケールが登場します。

 

わたしもケールを食すると執筆が進むので、実はあちこち廻って探していたのです。

 

そんな経験もあったので、彼女はどうやってケールを調達し、都会のど真ん中でたった一人で、どうしてケールを売るようになったのか?と興味を持ちました。

 

しかも彼女のお名前は大吉(だいきち)さん。

 

彼女の田舎の鹿児島県の指宿ではごくごく一般的な性で、同級生の名前もみんな大吉(だいきち)、中吉(ちゅうきち)、小吉(しょうきち)、末吉(すえきち)だったそうで、町を離れて始めてそれが珍しいことに気づいたそうです❗️

 

彼女は社会学を学ぶ大学2年生でした。

 

彼女の実家は、指宿で東京ドーム5個分の土地で農業を営むキャベツ専業の農家さんで、これまでずっとキャベツを育ててきたそうです。

 

町のほとんどの人が農家で、農家=キャベツという図式ができあがり、それになんの疑問も持たなかったある日、七菜海さんのお母さんは家族に向かってこう言ったそうです。

 

「このままキャベツだけやっていたら危ない。もし不作になったらおしまい。何か他のこともやらないといけない」と。

 

お父さんは「それなりに上手くいっているのだから『キャベツでいいじゃないか』」と言い、その時はそれで終わったそうです。

 

その一方で、お母さんは着々と準備を進めていました。

 

農業の6次産業化するサポートをする「女性農業次世代リーダー育成塾」へ通い、東京へ行くようになりました。

 

 

その地域の農家としては珍しく、野菜をおしゃれに「ラッピング」することを始め、農園の新しいロゴもつくりました。

 

七菜海さんは、当時高校二年生でしたが、お母さんと一緒にデザインを考えるようになり、実際にロゴや袋のデザインが出来上がっていく様子をずっと見てきたそうです。

 

ケールが緑なので、赤が映えるだろうとケールには赤のリボンもついています。

 

そんな日々がしばらく続き、お母さんからニュースを聞くのです。

 

新宿の伊勢丹と銀座三越で大吉農園のケールを売ることになったと。

 

お母さんは、月一回東京へ通い、その度にケールを片手に、卸売り市場で営業をしていました。

 

同時に東京の大手百貨店におかせてもらえれば、信用が付き販路も広がるだろうと機会を探っていました。

 

 

大吉農園のケールはまず週に一回新宿の伊勢丹に置かせてもらい、連日完売が続いて常設的にケールが置かれるようになったのです。

 

そして、その実績が買われ、銀座三越、日本橋三越にも大吉農園のケールが広がりました。

 

大吉農園(だいきちのうえん)の取り組みは地元でも注目され、最初は反対したお父さんもいまでは全面的に協力しているそうです。

 

 

「実はその時、お母さんがあまりに頻繁に東京に通うから『アヤシイ』って思ってたんです。今だから言えるんですけどね(笑)」

 

 

そんな経験があって、大吉農園の野菜をもっと広げたい、人生経験を広げたいと考えてアークヒルズのマルシェで出店することになりました。

 

「2016年7月に出店して、初めて「完売」した時は感慨ひとしおでした。その時の経験は大きな自信になっています」と七菜海さんは言います。

 

そして、ケールがどうしたらもっと売れるようになるのかを自然に考えるようになりました。

 

「スーパーに行くと、それまでは気にならなかったポップが目に入るようになりました。

 

そして、どうしたら商品を手に取ってもらえるか、自分がどんな接客を受けると嬉しいかと考えるようになりました。」

 

 

ケール

 

ケール②

 

 

「お客さんと話しているときが一番楽しいです。人との出会いが学校ではできない貴重な体験だと思います。もっと自分の実力をつけていきたいです。」

 

寮でケール料理を友達にふるまっているという七菜海さんは、「一時間で5品も作れるようになったんです!」とケールパスタ、スープ、サラダにバーニャカウダの美味しそうな写真を見せてくれました。

 

ケールサラダ.jpg

 

「大学は先生の研究を一方的に聞くだけ。私は、このケールがどうしたらもっと売れるようになるのかをもっと学びたい」と七菜海さんは続けます。

 

きっと、これも多くの大学生や今の若者の声を代弁したものなのでしょう。

 

七菜海さんの話しを聞いていると、ビジネスとは最初から何か大きなことである必要もなく、意地はってやるようなことでもなく、起業か就職かの二者選択でもなく、

 

自分がいいと思うものをいいと言い、周りに伝え、表現し、提供する(販売する)ということは、日常生活の延長にある身近な行為で、簡単に楽しく気軽にやっていい時代なんだ、と感じます。

 

「このままではいけない」と感じ取った女性の「第六感」。

 

『ファースト・ペンギン』に反対はつきもの。

 

反対されても形にしていったお母さんの勇気が、ケールを通じて指宿と東京をつなぎ、女性に勇気を与えてくれているように感じます。

 

 

時代の変わり目では、これまでと同じことを同じようにやっているだけでは先は拓けない。

 

だから、自分で自分の道を切り開くしかない。

 

いいものを必要な人へ。

軽やかに楽しく。*^^

 

以下、大吉農園おすすめケールバニラシェイクレシピです。

 

ケール&バニラ&豆乳(お好みで)をシェイクします。

私はさらにパイナップルを加えてみました。

美味しかったです!(^^)ニコ

 

 

大吉農園

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お問い合わせ先

大吉農園(だいきちのうえん)

鹿児島指宿市湯の浜6−3−21

daikichifarm@gmail.com

 

国連の筆記試験には落ちたけど国連でのキャリアが開かれた私が直面した本当の「試験」

キャリアや転職・就職の相談を受ける中で、自分のキャリアを改めて振り返ってみると、「あーよくがんばったなあ」と改めて自分を承認したいのは、国連に入ったことでも、南スーダンで働いたことでも、多国籍チームのリーダーを務めたことでもありません。

 

それは、「自分の中の「感覚』を信じ続けられたこと」です。

 

国連という組織は、一部の人を除くと基本的に有限契約の自己志願制の組織です。

 

どういうことかと言うと、一つの仕事(契約)が終わったら、次の仕事を自分で探さないといけないということです。

 

毎回応募書類を揃えて、志望理由を送って、面接を受けなければいけないということです。

 

この制度の良い面は、本人の意思に反して行きたくない国に派遣されることはないことなのだけれども、自分がアクションしないと、昇進も昇給もないし、自動更新もない究極の「自己責任制」ということでもあります。

 

次の契約が決まらないと「不安」でしょ、とよく聞かれたし、一つの仕事がもうすぐ終わりだなあという時に、次が決まっていないと確かに「落ち着かない」気持ちにはなります。

 

でも、私の心の奥深い部分には、不思議と「なんとかなるさ」みたいな感覚があって、私の場合は、現場の仕事の方が好きだし、PKOの現場は常に人を探しているから大丈夫だろうと思っていました。

 

 

もちろん、人間なので、親に心配されたり、誰かに何かを言われると、「どうしよう?本当に大丈夫かな?」「ニューヨークにいたのに、南スーダンを志望するなんて私っておかしいのかな?」とその感覚が「ぐらつく」ことはありました。

 

 

一瞬「あっち」とか「そっち」に行ってみようかな、と思ってみたり、少し覗いてみたりもするのだけれども、それも違和感があって、結局はやっぱり国連に戻っていったのでした。

 

 

というか、そういうカッコイイ感じでもなく、自分が望まないことに対しては身体は動かなくなるし、よくもわるくも私は自分にうそがつけない体質だったのです。

 

 

数年に一回行われる国連に入る正式な筆記試験(と面接)というのもあって、こちらの倍率は五千倍~一万倍だと言われていました。

 

私はこの試験を20代半ば~30代前半にかけて、計3回、バンコク、ニューヨーク、アディスアベバ@エチオピアで受験をしました(当時の勤務先から一番近いところで受験。渡航費、宿泊費は本人負担)。

 

それらの試験は合格はしなかったものの、私の国連でのキャリアは繋がれていったのでした。

 

(国連で働く大多数の人たちは試験経由ではなく、直接ポストに応募して働いています。)

 

 

人から見たら、とても順調にキャリアを積んできた人のように見えるのかも知れないけれど、本人の感覚から言えば、「点」と「点」がつながって、今見たら一本の線のようにつながったというのが正直な感想です。

 

今私が一番伝えたいのは、自分が自分を信じることを「つらぬく」ことがもたらしてくれるより大きな力です。

 

この場合の信じる力というのは、単なる精神論ではありません。自分の中には自分の方向を教えてくれる感覚があるからです。そして、その道においては競争する必要がないからです。

 

 

超がんばって努力をして、倍率5000倍~10,000倍の競争を勝ち取る道もあるのだろうけれども、「自分を信じる力」によって拓ける道があるからです。

 

 

今思えば、私にとっての本当の「試験」は、

 

「社会や他人が言うこと(価値観)を信じますか?」、

 

または

 

「自分を信じますか?」という試験でした。

 

 

実際、それがなんらかの形で試されるような出来事はありました。

 

でも、その時々に問われていたことはとてもシンプルだったと思います。

 

 

自分がやりたい道、理由はわからないけど惹かれること  or  安定、地位、名声?

 

 

大きなキャリアの選択から日々の生活の中にもそんな場面はたくさんあります。

 

そして、「真実の道」では、これらは必ずしも相反するものでもなく、それが真実ならばそれらも後からついてくることでしょう。

 

 

自分の「意思表示」を続けると、「より大きな力」があなたの味方になってくれるのです!

 

 

 

 

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12/10(日)開催「正解」がないなら「自分の答え」をみつけよう!考える順番と考えるための型を2時間半で学ぶ講座

 

《日時》

2017年12月10日(日)9:30-12:00

 

《場所》

スクエア荏原第2会議室

南北線・目黒線・三田線武蔵小山駅より徒歩10分 アクセス

 

《参加費》

3,000円(税込み)

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

 

 

マイストーリー⑧ 復興への変化をサポートすることは、新しい制度や価値観の変化をサポートすること

東ティモールでの勤務の後、カザフスタンとニューヨークでの勤務を経て、再び現場に赴任することになりました。今度は、当時世界で一番争いが深いと言われ、40年近くも続いた紛争が終わり、和平合意が結ばれたばかりの南スーダンです。

 

自ら志願して南スーダンに赴任することになったのは、新しい国を創るという過程に再び関わりたいというか、東ティモールでもらった「宿題」を進めたいというような思いでした。 (ちなみに、国連は基本的には自動昇進も自動更新もない志願制です)。

 

ニューヨークの本部にいることもできたのに、マンハッタンのど真ん中に住んでいた暮らしから、自ら志願して南スーダンに赴任することが決まった時には、友人たちが「本当に行くの?」ともの珍しいものを見るように何度も私に聞いてきたものでした (ちなみに、国連は基本的には自動昇進も自動更新もない志願制です)。

 

マンハッタンのど真ん中に住んでいた暮らしから一転、再び数ヶ月電気のない生活になった時にはさすがに私も「ああ、私ってほんとにもの好きだなあ」と思いました。

 

そして、南スーダンに降り立った瞬間、東ティモールの時とはチャレンジが一気に10倍に上がったような感覚を肌で感じました。

 

争いの深さ、国の大きさ、教育のレベル、これから必要な政府やインフラの規模、南スーダンの人々の気性。。。実際、全てにおいて、南スーダンは私にとっても全く体験したことのない領域でした。

 

さて、南スーダンでの仕事は、除隊兵士の人たちの社会統合を支援することでした。

 

南スーダンでは、紛争の最中、生きるため安全のために軍に参加すること、または親や家族が目の前で殺された子どもがそのまま「軍」に参加し、その後兵士として生きることも珍しくありません。

 

直接的に兵士にはならなくてもほぼ全員がなんらかの形で紛争に関わっているという意味では、メンタリティー的にも誰もが「紛争時代」から「平和の時代」にシフトすることがなんらかの形で求めらます。

 

当時、私が関わっていた国連のプログラム (DDRプログラム)では、新しいスキルや収入を得る手段を身につけるサポートとして、職業訓練、農業、小規模事業と教育などを提供していました。

当時、驚くくらい道路も建物もない南スーダンで、職業訓練施設を一つ立てることは文字通りネジから屋根まで一つづつウガンダかケニアから運んでくることを意味しました。

 

建物を借り、先生の確保し、除隊兵士の人に実際に集まってもらって職業訓練や農業訓練を一つ提供することは、多大な労力を求められます。

 

そこで私が直面したことー

それは、

 

そこまで大きな苦労をして、いくら素晴しい職業訓練施設を建てて、訓練を提供しても、当たり前ながら学ぶ人もいれば学ばない人もいるということ、

 

学べない人の中には、技術的なものを学ぶ前に「あの紛争はなんだったんだ?」という心の整理がまだ終わっていない人がいるんじゃないか?

 

南スーダンの人たち自身、「あの紛争はなんだったんだ?」という心の整理をしたがっているんじゃないか?ーということでした。

 

そして、気になったのは、南スーダンの人たちが日常会話の中でまったく疑問なくかわす会話でした。

 

親が子どもに言います。

「アラブ人は人間じゃないから話したらいけないよ。」

そして、「アラブ人」は南スーダンの人たちのことをこう言います。

「アフリカ人は『野蛮人』だからイスラム教が必要だ」。。。

 

私が勉強をたまに見てあげていた高校生のアコルくんの宿題にはこんなものもありました。

「アコル、今日はどんなこと習ったの?」

「今日はね、『今のアフリカの戦略的な課題はなんですか?』っていう質問だよ。」

「へえ?!博士論文みたいな随分難しい質問をやったんだねえ。それでどんな答えだったの?」

「アフリカが貧しいのはアラブのせいです。」

「誰が言ったの?」

「先生だよ」

 !!!

 

個人の偏見や思い込みが宗教や民族の違いに置き換えられ、紛争が終わっても繰り返し受け継がれている「負の連鎖」。

 

職業訓練などの技術的な知識はそれなりに提供することはできるけれども、本当に平和になるにはこれこそどこかで断ち切られなければる必要があるんじゃないか?

 

元兵士の社会統合支援や紛争後の復興という仕事は、制度や枠組みを整えることと同時に、変化に対する人々の価値観の変化をサポートをすることである、と言うのは、各国大統領・首相、IBM、マイクロソフト、マッキンゼー、世界銀行などのアドバイザーを務め、ハーバード大学ケネディースクールで35年間リーダーシップについて教鞭をとるロナルド・ハイフェッツ教授です。

 

ハイフェッツ教授は、「課題」は技術的に議論し解決できるものと、人の適応や価値観の転換が求められる課題の大きく二つに分けられると言い、今のような変化の時代には、「技術的な課題」だけでなく、「真の適応課題」(Adaptive Challenges)に私たちが向き合うことができるようになることが重要である、と言います。

 

「適応課題」は、技術的な専門性だけで解決できるものではなく、社会や組織の人たちが大切にしている価値観や信念を明らかにし、彼らが変化に適応できるように戦略的かつ政治的に対処していくことが鍵となる、と言います。

 

例えば、変化に対してなんらかの不安があるならば、安心を与え、新しい意味づけや方向性を示すことなども含まれます。

 

そうした適応をサポートする働きや過程は、「適応型リーダーシップ」(Adoptive Leadership)と呼ばれています。

 

元兵士の人たちに職業訓練などの技術的な支援も非常に重要でしたが、それと同時に求められたのは、「適応」に関するサポートでした。社会全体の制度やあり方がガラッと変わり、価値観の転換が伴うときには、新しい価値観への適応が一つ大きな鍵となることでした。

 

より具体的には、除隊兵士の社会統合支援プログラムではウガンダ人のソーシャルワーカーにサポートをしてもらったり、参加者同士での分かち合いの場(peer-to-peer counseling)を取り入れることになりました。また、これまで国の独立のために闘ってきた功績が大統領(政府)によって認めれるような声明・証書があること、それに代わりうる意義や意味をプログラムの内容に見いだすことをサポートしました。

 

別の言い方をすると、時に変化に対する不安や心配に寄り添い、人々に安心を与えながら、かつ制度や枠組みを整え、かつ方向性を示すこと

 

南スーダンで学んだことは、変化の時代を生きるための価値観の変化のサポートでした。

 

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⬆️ 一からこの大学を建てた南スーダン人の友人ドン・ボスコ

除隊兵士の社会復帰プログラムではソーシャルワーカーを呼び、微力ながら心のケアを取り入れることになりました。

私は心の課題や平和を生む「教育」とは何か?ーそういうことに興味を持つようになりました。

/マイストーリー⑨あなたは「私たちが可哀想だから来たのか?