「学び」の本質は、能力や知性の問題ではなく、自分のオープンさや恥、失敗への向き合い方の課題(失敗へのおそれへの対処)

2021年は、緊急事態宣言の発令で幕が開けました。

前回の緊急事態宣言の発令から、もうすぐで一年。

気が付けば、わたしたちの生活はすっかり変わってしまいました。

友人たちと一緒におしゃべりをしながら食事を楽しめる日々は戻ってくると思いますが、働き方や価値観が根本的に変わりつつある中で、コロナ前とまったく全く同じ方法とマインドセットで同じことだけを続けていけばいいということにはならないと思います。

誰であっても、なんらかの形でこれまでとは違うやり方を試すこと、新しいことを試す、チャレンジしていく必要性が大なり小なり生まれていると思います。

私の場合には、去年の4月からほぼ強制的に大学の授業が、オンラインに移行することになりました。

当初は、対面の時よりも準備に2-3倍の時間と労力がかかり、大変な面がありましたが、前期と後期を経て、オンライン授業のメリットとオンラインになってから起きたこと、その限界と対面のメリットなど、実際の経験則を含めて、かなり客観的にわかるようになってきました。

対面でやっていることをそのままオンラインに移行するのではなく、オンラインのよい面を活かしながら、学びの質をあげることを目標としましたが、一年間で前期と後期合わせて約120回分の講義を担当したので、やはり回数をこなして分かってくる部分があります。

zoomのブレークアウトルームでディスカッションを成立させる等、「初めての状況」では、新しいことや学びに対して「オープンな姿勢」を持つことが一つの鍵になると思いました。

今、このコロナの時代ほど、学びと成長が求められている時代はないと思います。

学び(learning)の類義語が、discover(発見)、wisdom(知恵)、insight(洞察)、あるいはcultivation(耕作・教養)、culture(文化・文明)、illumination(光を照らす・光をあてる)であるように、学びは広がりを持つものですから、学ぶ姿勢があれば状況がどう変わっていっても、日々学びをみつけ、成長をすることができます。

では、逆に、学びを邪魔してしまうものはな何でしょうか?

勉強に対する苦手意識やトラウマ、学校の先生との過去の関係から学びに積極的になれない、というケースもあるかも知れませんが、それは、勉強と学びの違い、適性や好奇心、自分の好きなことをみつけることの課題、権威(学校、先生、親)との関係の癒しの問題であって、趣味など自分が好きなことを含めた「より広い学び」にはオープンな人はいるでしょう。

ただ、今のようにビジネスパーソンが大なり小なり誰もがこれまでとは違う状況に対処しないといけない、という状況の中で、より本質的な意味での学びを得ようとすることを邪魔してしまうのは、「恥」、「どうしても失敗をしたくないという守りに入る姿勢」、そして、「プライド」だと思います。

つまり、「学び」の本質は、能力や知性の問題ではなく、自分のオープンさや恥、失敗に対する向き合い方(失敗に対するおそれといったマインドセットの課題)とも言えます。

これは私が実際に体験したことですが、英語のスピーチを教える大学での授業で、ある言葉がけを続けることで、失敗に対する恐れが和らぎ、英語力が変わらないのに、学生のスピーチが劇的に変わったことがあります。

その「言葉がけ」とは、「この授業の課題には正解も間違いもありません。スピーチの内容が正しかったかどうかで評価することはありません」という言葉がけでした。そして「誰でも根源的に価値がある」ことを何度も強調するマインドセットへの働きかけでした。

授業に取り組む姿勢は重要です。そして、スピーチの型もある程度合わせて伝えます。同時に、「誰でも根源的に価値がある」ことを何度も強調します。

これは、「自分の価値はどれだけ達成したかで決まる」という思い込みと成果主義の影響が日本ではとても強く、その恐れがパフォーマンスや能力に大きく影響を与える傾向があるためです。そうした囚われから一旦自由になるとパフォーマンスも自然とついてくるのを見た体験が多々あるからです。

教える側が「誰でも根源的に価値がある」という確証に立ち、学生がそれでいいんだ!、と一旦受け取り始めると、人が変わったように顔が変わっていく人もいます。

「正解や間違いはないんだ。なにをしゃべってもいいんだ。」(それでも安全なんだ、それでも自分の価値は変わらないんだ!)と認識すると、学生たちは、それこそ自信を持って活き活きと英語でスピーチをするようになっていきます。

この例からも、学びには、能力や知性、英語力というよりは、考え方やマインドセットが大きく影響することがあり、とくに、失敗への恐れへの対処、そのマインドの変換によって学びの成果が大きく変わり得ることが分かります。

人の根源的な価値は、試験といったある時期だけに受ける狭い限定的な評価基準で左右されることはありません。人の根源的な価値はこれまで達成したことで変わるものではありません。

ぜひこれを読んでくださっている皆さんにもそれを受け取って欲しいと思います。