国連、国際機関、外資系企業の応募書類を準備するための7つのステップー何を表現するかと同じ位どう表現するかが大切

欧米の子供たちは、スキルがあるかないかの前に、応募書類や面接の際に何が求められて、何をどう表現し、何と答えたらいいかを小さい時から訓練されているように感じます。

 

これは外資系の応募、面接、国連や国際機関に応募する際の書類の準備にそのまま当てはまります。

 

何をどう表現するかはとても重要です。

 

国連に応募するための応募書類(p.11)の作成にはいくつかの意識すべきのポイントがあります。

 


<全体像>

ステップ1.Job Descriptionを次のAction Verbを使って書き出す。

 

ステップ2.自分が一番やりたいポストや分野を3つくらい選んで、実際のポストで使われているJob Descriptionからキーワードを書き出す。

 

ステップ3.これまでの仕事や今の業務が政策レベルでどういう意味を持つのか政策レベルで表現し直すこと

 

ステップ4.実績を数値化して表現すること(何人の地域を担当したのか、予算規模など)

 

ステップ5.国連PKO・平和構築分野であれば国連PKOで使われるキーワード、開発分野であればSDGsなどのキーワードを取り入れること

 

ステップ6.  大学、大学院で勉強したこと、課題活動、委員会、ボランティア活動、表彰されたことなど関係しそうなことを全て書き出す

 

ステップ7.  自分の軸(とくにパッションを持って取り組んできたこと、自分はいつもこういう視点を大事にしてきた、こういうことを大切にしてきた)という視点から全体の切り口を明確にする

 


 

関連する職歴が少ない場合、大学、大学院で勉強したこと、課題活動、委員会、ボランティア活動、表彰されたことなど関係しそうなことをともかく全て書き出すことが大切です!

 

また、自分では気付かなくても、第三者の視点から自分の体験を整理することで、自分では気付かない自分の体験に気づくことはたくさんあります。

 

仕事内容・業務内容も表現の仕方を工夫することによって印象がまったく変わります。

 

これまで関わった方々は、数回のコーチングでp.11はまったく変わりました。

 

国連で採用面接官を務めた体験を踏まえ、お伝えします。

 

お気軽にご連絡ください。

 

スカイプ・zoomにて

 

1時間ー18,000円(税込み)

 

3回ー50,000円(税込み)

 

info(at)peaceblossom.net

 

*添削サービスではありません。

 

for it is God who works in you to will and to act in order to fulfill his good purpose. (Philippians 2:13)

 

「神は,みこころのままに,あなたがたのうちに働いて志を立てさせ,事を行なわせてくださるのです。」(ピリピ 2:13)

 

philippians2_13

「分からない部分」が減るほど未知の不安も確実に減っていくー 国連の分析手法から学んだ不安を確実に分解していく方法

南スーダンで働いていたと言うとよく聞かれるのが、「怖くなかったですか?」という質問です。

 

もちろん日本にいる時と比べれば、気をつける点はたくさんありますし、夜の7時には無線による点呼というものが全職員に義務づけられていました。これは携帯電話の電波が使えなくなることなどを想定して、無線での連絡手段を確保しておく意味があります。

 

南スーダンでは、治安研修の一環として万が一人質にとられた時の対応についても習いました。

 

(アフガニスタン、南スーダンやソマリアなどに派遣される国連職員とNGOのスタッフが現地で受けます)

 

東ティモールでは銃が発砲された時に居合わせたこと、また、南スーダンではお金をせびる兵士に銃を向けられたことが一回だけありますが、相手はお金をせびることが目的だとすぐにわかったので、落ち着いていられました。

 

そうしたリスクは存在するので、まったく怖くないと言ったら嘘になりますが、例えば、そうした出来事が「組織的なものなのか」、または「突発的なものなのか」という点で「脅威」に対する判定は大きく変わります。

 

経験を積むにしたがって、何かしらの出来事が起こってもそうした基準に従って、「今回は報道で言われているよりも大したことないな」、「あっ、今回は注意した方がよさそうだ」、とかなり判断できるようになっていきました。

 

PKOが展開する国や地域の情勢を分析する手段として、脅威分析(threat analysis)やリスク分析(risk analysis)、シナリオ分析(senario analysis)といった分析手法があります。

 

どんな手法も完璧ではないし、どんなことであっても完璧に知ることも予測することも出来ませんが、私が国連PKOの現場で学んだのは、もし「脅威」や「怖れ」というものがあったら、それを一つ一つ分解して、対処法を考え準備することはできるということ、そして準備をすればするほど、漠然とした不安は減る、ということでした。

 

脅威分析(threat analysis)やシナリオ分析(senario analysis)といった手法についてここでは詳しい説明はしませんが、どの手法にしても、分析を始めるにあたって非常に重要となるのは、何がわかっていないのかをはっきりさせること、わかっていない点があるのならばそれについての情報収集を徹底的に行うという点でした。

 

どんな分野であれ、何かに対して結論を導こうと思ったならな当然ながら十分に情報が必要なのです。

 

そして、以下のような手順で進めていきます。

 

① 現在地の把握

今どんな情報があるか?何がわかっていて何がわかっていないのか? それはどこに行ったらわかるのか?誰に聞いたらわかるのか?

 

②情報の整理

情報とは事実と意見を集めたもの。

それに対する人々の意見。

その情報は自分で確かめたか?

その情報を得たことによって新しく分かったことは何か?

 

③選択肢の確認

今どんな選択肢があるのか?

まだ気づいていない選択肢はあるか?その情報を得てどういう選択肢があるとわかったか?選択肢を十分に考えたか?全ての選択肢を洗い出す

 

④シナリオを予測する

もしこの決断を実行に移したらどうなるのか?シナリオ1の場合、シナリオ2の場合、シナリオ3の場合、 一番おそれている結果は何か?一番最善な結果は何か? 結果をどのくらいはっきり予測しているか?

 

⑤ 対策(Course of Action:COA)を考える

ぞれぞれのシナリオで関係する部署はどこか?

それぞれのシナリオに対する対策

アクションプランをあげる

 

Course of Action:COAは軍隊発祥の用語ですが、

これらの思考プロセスは、ビジネスにおける意思決定のプロセスとも共通します。

 

人は全く自分が知らないことや体験したことのないことに対して必要以上に「不安」を覚えます。いわゆる「未知の恐れ」と呼ばれるものです。

 

こうした分析マインドや思考プロセスが私たちの日常にも当てはまると思うのは、もし不安に思うことがるとしたら、「不明な部分」「分からない部分」をどんどん減らしていくことによって、ばくぜんとした未知の不安やおそれ」は確実に減らすことができる、ということです。

 

 

 

無関心や孤立、寛容性が下がる「社会的なトラウマ」 という現象ーその連鎖と国連関係者が学ぶ「どうしたら憎しみの連鎖を防げるのか」という理論

先日はトラウマとは単に「心の病」というよりは、「身体に残り外に出切れていないエネルギーである」とお伝えしました。

 

アメリカでは10人に一人がPTSDと言われるくらい、トラウマやPTSDが過剰に診断される状態があるとも指摘され、

 

すべてを「トラウマ化」する必要はない、と断っておいた上で、

 

トラウマと暴力の連鎖のメカニズムと、それを乗り越える過程を理論化したものして知られる

 

The Center for Justice and Peace-buildingの Strategies for Trauma Awareness and Resilience(STAR)より、トラウマが日常的にどういう風に現れるのかお伝えしたいと思います。

 

cycles-of-violence.jpg

⏫  The Center for Justice and Peace-building, Strategies for Trauma Awareness and Resilience: STAR)より

 

一般的にはこのような状態がみられます。

 

・判断能力が低下し、何かに対する事象を恐れとして認知しやすくなる。

・コミュニケーション能力が低下し、特に共感性が下がる

・柔軟性や寛容性が下がる

・直接何かが起こったわけでもない個人との関係において緊張や対立がおこる

・無関心や孤立

・自分の被害ばかりに目がいき、他者の視点で見ることができなくなる(歴史、係争、関係性)

 

さらに、そのエネルギーが内に向けられるか(acting-in)、または外に向けられるのか(acting-out)?に分けられます。

 

内に向けられた場合には、以下のような症状が見られます。

 

内に向けられた場合:

・依存 (インターネット、薬物、買い物、セックスなど)

・過食症・拒食症

・仕事中毒

・自傷行為

・うつ

・不安

・頭痛や身体の緊張など・慢性的な痛み

・病気(身体的症状)

・自殺

 

外に向けられた場合には、以下のような症状が見られます。

 

外に向けられた場合:

・ドメスティックバイオレンス(DV)

・虐待

・犯罪行為

・リスクを犯したがる

・攻撃的な行為

・暴力行為

・戦争

 

社会的・集合レベルでは次のようなトラウマのサインを見ることができます。

 

・無関心(国の政策や政治や社会に対する無関心)

・黙る(表現の自由の抑圧、真実が語られなくなる)

・共感や寛容性のうすれ

・二元論(ゼロか100か、こちら側かあちら側か)

・ 人との繋がりが希薄になり信用できなくなる

・環境の悪化

・性の軽視や売春の増加

・薬剤の使用量の増加

 

 

トラウマはそれに苦しんでいる当事者が自分で心の痛みを癒し、その体験を完了させなければ、さまざまな 形で次の世代や社会に引き継がれると言われています。

 

最近は、トラウマと暴力の連鎖だけでなく、それを乗り越える過程も理論化されています。

 

これは、9.11をきっかけに始まった「どうしたら憎しみの連鎖を防げるのか」という研究から生まれまし た。

 

今では、「Strategies for Trauma Awareness and Resilience: STARプログラム」として知られ、私も国連の研修の一環で参加したことがありますが、米政府や国連関係者、アフガニスタ ンやイラク従事者をはじめ、ドイツ、ケニア、レバノンなど世界60ヵ国から参加者が集まるプログラムとして知られています。

 

STARは、米国で起きた1995年のオクラホマシティ連邦政府爆破事件の被害者が「和解」へ向かっていた 過程などを理論化し、紛争を根本から解決するには、個人が心の傷やトラウマの体験を癒すことが重要だとしています。

 

STARに理論によると、寛容性の低下や排他主義といった排除型の暴力も、トラウマと暴力の連鎖の一つだと説明することもできます。

 

報復の「連鎖」を根本的に解決するためにも、こうした連鎖のメカニズムとそれを断ち切るのは何か?と理解することは役に立つと思います。

 

STARの理論では以下のステップが説明されています。

 

STAR 和解.001

 

(#1)身の安全

(#2)なげく・自分のストーリーを話す

(#3)Why me? ⇒ Why them?なぜ私?からなぜ相手?への視点

(#4)相手の「ストーリー」を理解する

(#5)ストーリーが書き換わる

(#6)ゆるし

(#7)正義(restorative justice)

(#7)和解

 

こちらについてはまた説明したいと思います。

 

個人的なトラウマやPTSD(援助従事者による二次受傷、セカンダリートラウマも含む)の回復プロセスについてはこちらで説明しています。

 

トラウマとまで言わなくても、人生では自分の思うようにならない時もあれば、理不尽なことも起こります。一人ではどうしたらいいのか分からなくなることもあるでしょう。

 

そんな波の中にいる時にどうしたいいのか?

 

少しでもそんなヒントになるように、トラウマやPTSDの回復理論やレジリエンスに関する研究と私自身の燃え尽き症候群やPTSDからの回復体験を質問形式にしてまとめました。

 

ここで挙げている質問は、リラックスして、まずは眺めてみて、思い浮かぶことをありのままに観察してみるというアプローチをオススメします。

 

質問を読んでもに何も思いつかなくても、ふとした瞬間に何か思い浮かぶ事もあるでしょう。

 

自分が前に進んだからこそ、意味を持ってくる質問もあるので、ぜひ定期的に眺めてみて下さいね。

 

ダウンロード・登録⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

 

目次

あ、今の自分の状態について把握する

い.自分の「ストレス反応」を知る

う.今気になっていることについて観察する

え.喪失 (後悔、自責、サバイバーズギルト)に気づく

お.自己像、自己肯定感、自己受容度に気づく

か.自分の中の「不安」を意識化・言語化する

き.自分のコーピングスタイルを知る

く.自分と相手との優先順位(境界線)と当事者レベルを知る

け.自分のストーリー(解釈・認知)に気づく

こ.回復のストーリーをみつける

さ.試練の中の「意味」について知る

し.再結合・新しい自己の創造

す.回復・再生のためのステップ 

せ.トラウマからの回復・再生のプロセスで体験しうること

そ.トラウマからの回復の三段階

 

ダウンロードは⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

 

人生から成功も幸せも奪う「いい人」という病──国連ニューヨーク本部で学んだ真実|大仲千華 「答えを求めない勇気」

「人から認められたい」「誰からも嫌われたくない」という思いから、ついつい「いい人」を演じてしまう人は多いのではないだろうか。だが、他人から高評価を得るためのこの行動が、実は成功や幸せを遠ざける原因になっているという。

「いい人」は損もしないが得もしない

 

「『いい人』のままでは、誰にも君のことを覚えてもらえないよ」

 

これは、私が国連のニューヨーク本部で働いていたときに当時の上司に言われた言葉です。いい人は無難な意見ばかりを口にするけれど、そんなものは国連では何の役にも立たないし、誰の記憶にも残らない。彼にそう言われて私はかなりショックを受けましたが、「確かにその通りだ」とも思いました。

 

当時、私は国連平和維持活動(PKO)に携わっていました。国連が扱う業務のなかでも最も直接的に紛争にかかわり、国際政治や人の生死にも影響を与える仕事が単なるいい人に務まらないことは、私にも本能的にわかっていました。

 

しかしながらいい人を否定することは、私にとっては大きなチャレンジでもありました。日本で生まれ育った私に、「いい人であることは悪い」という発想はまったくなかったからです。けれども上司のその一言によって、いい人でいることは、大きな損はしないけどその代わり得もしない、いわば「守りの姿勢」ではないかと考えるようになりました。

 

いい人を演じれば、自分の本当の意見や立場を明らかにする必要がないので、自分が受け入れられなかったり、批判にさらされたりする危険を避けることができます。

 

実際、国連本部で働きはじめてからまだほんの少ししかたっていないにもかかわらず、気がつけば私は発言を求められると公式見解を繰り返すようになっていました。官僚の答弁のような物言いをすることによって、私は自分が傷つく事態を懸命に防ごうとしていたのだと思います。

「いい人」ほどトランプに怒りを感じる

 

私には米国やカナダで暮らすコーチ・カウンセラー仲間が何人かいるのですが、彼らに言わせると、いい人ほどトランプ氏が米大統領選に勝利したことに失望を感じていたそうです。

 

この場合のいい人は、「自分はいい人であるべき(はず)」、または「自分は正しい」という思いが強い人を指します。たとえば、社会的な役割が多い人、仮面(ペルソナ)を何重にもかぶっている人、公的な立場と自分のアイデンティティが一体化している人などがこれに当たります。

 

特に欧米では、社会的地位の高い人ほど「ポリティカリー・コレクト」(発言やふるまいに差別や偏見がなく、道徳的)であることが求められるので、 肩書きや社会的役割と自分のアイデンティティが同一化されていく傾向が強くなります。

 

もちろん、トランプ大統領の乱暴な物言いや、移民・イスラム教徒に対する差別的な発言に、純粋に怒りや不快感を覚えた人も多いでしょうが、「自分はいい人で正しい」と思っている人ほど、トランプの傍若無人な言動が許せないと感じたそうです。

 

人間には誰でも強みと弱みがあります。自分のなかにはいい部分もあれば、嫉妬や無力感に苦しむ嫌な部分もあることをみんな理解しています。しかし、「自分はいい人で正しくなければいけない」と思い込んでいる人ほど、人間の性質をありのままに受け入れることが難しくなってしまうのです。

 

いい人でいることのもう一つの恐ろしい弊害は、いい人を演じ続けなけばいけない義務感、そしてこうすれば人から評価されるという期待感に囚われてしまうことです。

 

「いい人」ほど怒りをため込む

 

私たちは子供の頃から勉強ができるとかスポーツが得意とか、行儀がいいとか褒められた体験を通じて、「こうすれば認められる」という観念体系を学んでいきます。そしてその経験は、大人になってからも私たちを「人を喜ばせよ、有能であれ、完璧であれ」と煽りたてます。

 

そこには、「自分の価値は、残した実績に対する他人からの評価によって決まる」という思い込みがあります。内なるモチベーションよりも、他人からどう見られるかに意識が向いてしまうのです。

前回の記事で、ニューヨークで働いていたときの私は、能力も努力も常に足りない気がして焦燥感とストレスに悩まされていたと書きました。いま思うと当時の私を苦しめていたのは、「国連の本部で働く人はこうあるべき」という思い込みと、「自分をそう見せなければ」と自ら課したプレッシャーでした。

 

このように、私たちは人に認められたいあまりにヘトヘトになり、心をすり減らしてしまうのです。しかも、そんな人ほど実は心のなかで怒っているのです。

 

彼らは「自分はこんなに我慢しているのに」「自分はこんなに尽くしているのに」と思う一方で、相手からは期待するような反応や評価が返ってこないことに対し、常にイライラや不満をためているのです。自分の満足が、コントロールの及ばない他人の反応に左右される状況は、当然、人に非常に大きなストレスを与えます。

日本人特有の「受動攻撃性」とは

 

私が長年の海外生活を経て日本に帰国して驚いたのは、日本人の受動攻撃性の高さでした。

受動攻撃性とは、あからさまに怒りをぶつけて攻撃をするのではなく、無視、無関心、連続して遅刻やミスをするなどの無気力な態度で「抗議」することを指します。私は日本人特有のこの性質を、満員電車の乗り降りのときに特に強く感じました。これも恐らく普段からいい人を演じていることからくる弊害なのでしょう。

 

いい人は、自分の意見を持たない、もしくは自分よりも他人の意見や価値観を優先させることによって、自分で自分を傷つけています。我慢し過ぎて自分の希望がわからなくなったせいで、無気力に陥り、鬱を発症するケースさえあるのです。

 
また、必要以上にいい人になろうとすると、期待に応えられなかったらどうしようという不安にとりつかれ、失敗や批判が怖くてたまらなくなります。その結果、ちょっとした失敗に対しても自己嫌悪を感じる状態に陥ってしまいます。つまり、いい人でいることは、成功の妨げにもなるのです。

 

このような状況から抜け出すには、自分で自分に課しているハードル、そして、社会やメディア、学校や親から植え付けられた以下のような「理想像」に自分が無意識に囚われていることにまず気づかなければなりません。

 

男性は「弱み」を見せてはいけない。
いつもいい成績をとらなければいけない。
絶対に失敗をしてはいけない。
周囲の人に賞賛されなければいけない。
やるからには成功しならなければいけない。
誰よりも優れていなければいけない。
スマートでなければいけない。
もっと痩せなければいけない。
人気者にならなければいけない。
かっこよくなければいけない。
おしゃれでなければいけない。
女性は若くなければいけない。
母親は常に子供思いで優しくなければいけない。

 

私がこうした「いい人」の呪縛から逃れられたのは、ニューヨークでストレスのピークを体験した後にPKOで南スーダンに赴任したことがきっかけでした。

まず、灼熱の南スーダンで、私はスーツを着なくなりました。

 

そして、国連で働く人はこうあるべきだという思い込みを実現するためではなく、現地の状況に合わせて最善を尽くすことに自分の目的がシフトしたとたん、変化が起きました。このとき初めて私は、自分のエネルギーが内から外に向かうのを感じました。

 

人の評価を求めてストレスにさらされるよりも、少しでもいいから毎日自分が成長したと感じられるほうが、自分の力で人生を歩んでいる実感が得られます。南スーダンでは別の意味でのチャレンジがたくさんありましたが、これに気づいたおかげでどれだけ気持ちが楽になったかわかりません。

 

それからは、多国籍チームのリーダーに抜擢され、国連の幹部に「うちの部署で働かないか」と誘われたこともありました。南スーダン政府や南スーダン人民解放軍との会合では、私が話しはじめると白けていた人たちが耳を傾けてくれるようにもなりました。

 

当時の南スーダンは、いつ紛争が再発してもおかしくない状況でした。そんななか、「たったいま、私がここにいる人たちに届けられる一言は何だろう?」と私なりに必死に考え、それを伝えようとしたことによって、気持ちが相手に伝わったのだと思います。

 

人は「正論」では動きません。なんらかのメッセージが人の心に届いたとしたら、それはその意見が立派だからでも正しいからでもありません。伝える人間が心の奥から湧き出るものを表現しようとするときにこそ、言葉を超えた思いが相手に伝わるのです。自分の保身のためにいい人を演じ続けていたら、言葉さえ力を失ってしまいます。

 

「どんなときでもあなたは一人しかいない。だから、あなたの表現は必ずユニークなものになる。もしそれを表現しないのならば、それは世界にとっての損失である。自信を持って踏み出しなさい」──これは、モダンダンスを開拓した米国の舞踏家マーサ・グラハムの言葉です。

 

彼女の言う通り、あなたという存在からしか伝えられないものが必ずあります。

 

私たちはもっと自分が自分であることを表現し、もっと正直にわがままに生きていいのです!

 

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《新プログラム》開始しました❗️

 

沖縄には、人がその人本来の姿でない状態を表わすのに「魂が抜けている」と言うことがあります。人は、その人の自然な想いや本当の気持ちに繋がるとき、その人本来の力と輝きを取り戻します。

 

自分の人生について改めて考えたい、前に進みたいという時に、普段の環境と切り離されることはとても役に立ちます。

 

普段無意識に感じている「こうでなければならない」という囚われや集合意識、過去の経験から物理的に離れることができるからです。
この特別プログラムでは、世界の中でも自然がピュアで、生命エネルギーが高い形で残る沖縄の西表島へ行きます。

 

https://peraichi.com/landing_pages/view/krgi1

 

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「問い」を持つことが力を引き出してくれる

若い人たちは内向きだと言われることがありますが、実際に若い人たちと接してみると、若い人たちは世界のことに関心はあるし、実はもっと知りたいと思っている、感じます。

 

南スーダンのことについて話すと興味を持って聞いてくれますし、他人事のように聞こえるニュースには関心は持てなくても、身近な人が実際に体験したことには興味を持つ、という体験をしています。

 

しかし、一見、「関心がない」と表現される現象においても、少し検証がいるようにも感じます。

 

 

一つは、単に、関心がないのではなく、すぐに解決できないことや、やっても無理そうなことは無駄、という意識があるよう感じることはあります。

 

 

そこには、問題には「正解」があるはずだ、という根本的な思い込みがあるのかもしれません。

 

 

または、課題を追うよりも解決することの方が価値がある、という前提があるのかもしれません。

 

塾や大学受験で叩き込まれた影響かもしれません。

 

ただ、わたしの体験を振り返っても、「問いを持つこと」が、次の道を開いてくれました。

 

例えば、「民族が違うからといって本当に人は争うのだろうか?」という疑問が紛争地にわたしを向かわせました。

 

その問いがあったからこそ、現場へ行き、自分の目で見て感じ、いろいろな人に会い、そして国連や米軍で働くなどいろいろなことを体験させてくれました。

 

実際に、国連に入ってからも、現場での問題に触れる度にこのやり方でいいのだろうか?という問いに何度もぶつかりました。それに対しても決まった答えはありませんでした。

 

ただ、自分が見て感じたこと、体験したことの全てを含めて自分なりの答えや結論を出していくという大きな機会をもらったのだと感じます。

 

そういう意味では、私の仕事の本質は、問い続けることだったのかも知れません。

 

私たちが何かの答えを求めるとき、その方が一直線で一見効率がよさそうに見えます。

 

 

しかし、人生とは直線ではなく、そのような問いが様々な機会や出会いをくれ、扉を開いてくれるのです。

 

FOR IT IS GOD WHO WORKS IN YOU TO WILL AND TO ACT IN ORDER TO FULFILL HIS GOOD PURPOSE. Philippians 2:13

オックスフォードの教授との個人指導では一年間で一回も答えが言われない❗️じゃあ何を学ぶの?

オックスフォード大学の大学院ではあまり授業の数は多くはなく、チュートリアルと言われる教授との一対一の個人指導で一年間の学びが進められていく、というお話しをしたことがあります。

 

記事⇨ オックスフォード流「考える力」ー一流は何をどの順番に考えればいいのかを知っている

 

授業を受けずに一対一の個人指導を受けるという制度にもびっくりしたのですが、さらにびっくりしたのは、一年間で一回も答えが示されないことでした。

 

一年のうちに約24回ほど小論文を書き、教授とのチュートリアルの時間を持ちました。

 

その一年間、私は教授からこれが答えだ、というようなことを一度も聞くことがありませんでした。

 

こんなままで年度末の試験を受けて受かるんだろうか、という心配が何度も頭をよぎりました。

 

なぜなら、自分の答えが合っているかどうかが分からなかったからです。

 

正直、この間の期間はシンドかったです。

学生が年度末試験に向けて感じるプレッシャーは相当なものです。

イギリスの場合はいくら年度中に真面目に講義を受けていたとしても、最後の試験でできなければ修士号を受けられないからです。

 

 

 

何度も、教授に「答えは何ですか?」「これでいいんでしょうか?!」と聞きたくなったものです。

 

でも、自分の意見が正しいのか合っているのかは、誰も言ってくれません。

 

 

その替わりに聞かれるのは、決まって同じ質問でした。

 

「なんであなたはそう思うのか?」と。

 

 

これは私の担当教授がいじわるだったという訳ではなく、オックスフォード大学のチュートリアルの目的とは、

 

ある一つの「正解」を聞く・知る・学ぶためではなく、自分なりの意見をや考え方をつくっていくための訓練をする時間だったからです。

 

 

そもそも試験で出される問題にさえも「正解」は存在しなかったのです。

 

私の場合は、人類学という分野の背景や鍵になる先行理論を理解して、それを踏まえているかどうかは判断されますが、その上でどんな意見を述べるかには、正解はなく、基本的にその人の思考プロセスを確認するのが試験のポイントなのです。

 

これまでの学校教育では、決められた範囲の試験の問題に対して、一つの正解を出すのが勉強だとされてきました。

 

日本で教育を受けた私たちは、問題にはなんらかの「答え」が存在するものだと思っています。

 

でも、そうした勉強の仕方では私たちが直面する問題には対処できなくなってきました。

 

スマホとYoutubeの発達で人間が一日に接する情報量は数百倍~数千倍になり、少し前の「最新情報」はすぐに「最新」ではなくなります。そして、世界情勢の変化も早く、予測不可能なことが増えています。

 

これまで上手くいった方法が万能でもありません。より柔軟に問題に対応していくこと、そして新しいアイデアや解決法が求められています。

 

ますます私たち一人一人の考えが自分の考えを持つことが大切になっています。

 

考えるために私たちの頭を柔らかくして、自分で考え新しい発想ができるようになるためにまず理解するべきことは「答えは一つではない」という事実です。

あなたの中に確信があるなら、批評を受けても平和でいられる。

「あなたの中に確信があるなら、例え批評を受けても平和でいられる。」

 

わたしが雑誌の連載を始めたばかりの頃、私が自分の記事に対するSNS上のコメントに一喜一憂する私に向けて先生が言ってくれた言葉です。

 

それ以来、半年間、毎回自分が何を書くべきか「内なる知恵」に耳を傾けることを学び、その感度が毎回増しているのを感じます。

 

今回は特に!!!

 

仮に編集者さんに頭をさげることになっても、「これは書かなければいけなない!」というかなり強い感覚がありました。

 

 

「自分」の利益を超えて書く時、書くだけで満たされるのですね。。。

 

それなのに(それだから?!)「最も読まれている記事」ベスト3にランクインしています。

 

震災があったから生まれたこと。

 

「世界のトップ」はなぜ東北を目指すのか? ハーバードとウィーン・フィルが教えてくれた震災後の真実|大仲千華 「答えを求めない勇気」

↓ ↓ ↓

https://courrier.jp/columns/66593/

 

ウィーンフィル献奏②.png

 ⬆️ 岩手県の浄土ヶ浜で行われた、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による鎮魂のための献奏。これまで計42人のウィーン・フィルの団員が東北を訪れ、宮城県仙台市・岩沼市、岩手県山田町、福島県郡山市・南相馬市で演奏活動を行っている。招待客の数は6300人にのぼる