トラウマケア最前線ートラウマやうつ的な症状を回復のカギは、身体に溜まったエネルギーを解放すること

 

心と体を救う トラウマケア最前線

 

症状がなかなかよくならず薬を飲むのがいいのかどんな治療を受けたらいいのか、悩む人の多いうつやトラウマ、PTSD。

 

最近、トラウマケアが単に「心の病気」ではなく、身体面を含む総合的なアプローチが有効であるという見方がされてきています。

 

例えば、NHKクローズアップ現在でも、「心と体を救う トラウマ治療最前線」として紹介されています。

 

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3445/1.html

 

その背景にあるのは、従来のトラウマケアの中心手法であった認知行動療法よりもより効果的な手法が常に求められてきたからでした。
認知行動療法の遷延暴露(せんえんばくろ)は、トラウマになっている事柄を焦点化して、それを何度も何度も繰り返し言わせたり、聞かせたりする手法ですが、ケアも長期にわたり、受ける方の心理的な負担が大きい割には効果もわかりにくい、とされてきました。

 

トラウマケアやPTSD治療・回復の手法や理論というのは、

 

主にアメリカで進み、ベトナム戦争からの帰還兵が直面する問題に対処するために研究が始まり、さらに、9.11による犠牲者、アフガンとイラク帰還兵による家庭内暴力といった社会的な課題として研究が進んでいきました。

 

また、「知り合いの知り合いには最低一人はアフガンかイラクから帰還した人がいる」と言われる中で、現場のニーズが先行する形で、ソーシャルワーカーやカウンセラー、またはヨガや瞑想のインストラクターといった人たちによって理論よりも臨床面でたくさんの手法が試されてきました。

 

そのような中で、この10年以来、より一般化されてきたのが、身体面からのアプローチです。

 

身体に溜まったトラウマエネルギーが解放されることによって、自律神経や記憶や感情面での安定が回復さえるとされています。

 

なぜ身体面からのアプローチなのかを説明するために、どのようにして「トラウマ」と呼ばれる現象が起こるかを説明したいと思います。

 

私たちが安全を脅かすような出来事に遭遇したり、慢性的に身体の危険を脅かすような危険にさらされる時、私たちの脳の神経系統は大きな影響を受けます。

 

その時に、人間は本能的に闘争/逃走反応 として知られる「戦う」、または「逃げる」行動をとります。戦うことも逃げることもできなかった時には、身体は文字通りフリーズ(fight, flight, freeze )し、竜巻のようなエネルギーが外へ解放されず身体の中に溜まることになります。

 

それはあたかもブレーキを踏みながら、アクセルを全開にしているような極度の緊張状態が続いているような状態で、そのエネルギーが数週間のうちに解放されるか統合されないと、いわゆる「トラウマ」の状態を引き起こすことになります。

 

この時、危険を察知し、全体に信号を送る機能を持つ「扁桃体」は、まだ現在も危険が続いている「非常事態」であると認識するため、危機が去っても安心することができません。また同じ目に遭うかもしれない、という不安や怖れを起こします。

 

そのため、他の人にとっては何でもないことに対しても過度に反応したり、それに結び付いた 感情を引き起こします。

 

闘争/逃走反応を司る「交感神経」が 優位になり、副交感神経系が機能できません。結果、常に身体に緊張や凝りがあったり、眠りが浅い、リラックスできない、と感じます。

 

鹿などの小動物がライオンやチーターなどの肉食動物に追われると、逃げるか死んだふりをしてうまく逃げおおせた時、 追われた動物は、ぶるっぶるっと体を震わせて生体に留まっていたエネルギーや恐怖をふるい落とします。

 

人間の場合、高度に発達した大脳新皮質によって動物のようなエネルギーの解放が自然に超こるわけではありませんが、人間も身体からトラウマのエネルギーを解放することができます。

 

トラウマ業界を変えたStephen Porges博士のポリヴェーガル理論やピーター・リヴァインの「心と身体をつなぐトラウマ・セ ラピー」 など、身体面におけるトラウマエネルギーの解放がより一般的になってきています。

 

より具体的にはどのようなメソッドがあるのでしょうか?

 

コヒアランスを通じた感情・エネルギー解放に続く

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

元国連職員でカウンセラー・セラピスト

国連勤務を経て、海外でトレーニングを受けた信頼と実績を持つコーチが、安心と効果を直に実感できるメソッドを提供します。

https://peraichi.com/landing_pages/view/krgi1

 

国連ニューヨーク本部、南スーダン、東ティモール等で現地国政府の人材育成や元兵士の社会復帰支援に約10年従事に従事。紛争国での体験から、リーダーシップや仲裁について研鑽を積む。米軍の専門家として、世界的な研修プログラムにおいて唯一の日本人女性として講師を務める。

 

帰国後、PTSD(二次性外傷性ストレス)と燃え尽き症候群になり、起きれなくなる。心理学やカウンセリングを学び始める。海外でトラウマ解放メソッドを習い回復し、直観能力とヒーリング能力が飛躍的に開花。

 

同じ頃、同じような体験を持つ人や人の役に立ちたいという人たちから相談を受けるようになり、もっと自由に生きる人を増やしたいと思いコーチング・カウンセリングを始める。

 

医師、医療従事者、国連職員、ビジネスパーソン(製薬、銀行、製造業など)、政府機関職員、地方公務員、NGO職員、通訳、カウンセラー、ソーシャルワーカー、クリエーター、大学生、中学生など多くの人から支持される。

 

《主な資格》

「ハートメタ」認定プラクティショナー、在米 SQ WorldWide Prema Birthing 認定プラクティショナー、在米国 The Center for Justice and Peace-buildng,  Strategies for Trauma Awareness and Resilience: STAR)トラウマケアトレーニング修了、ビジョン心理学100日プログラム修了、国連ニューヨーク本部仲裁トレーニング (mediation training) 修了、国連本部交渉研修修了等。

広告

人間とは誰もが人の役に立ちたい生き物。

そう私に教えてくれたのは、銃をもった軍人の人たちでした。

 

私が国連の平和維持活動(PKO)に関わることを通じて、体験させてもらった「ユニークなこと」の一つは、軍人の人達と一緒に働くということだったかも知れません。

 

南スーダンなどの現場にいた時には、30カ国以上の軍人の人たちと日常的に接していました。 情報収集をしたり、計画をたてたりとお互いが必要になるからです。

 

そんな私ですが、正直に告白すると、最初は「軍人」という人たちに対する偏見がかなりありました。

 

日本で生まれ育った私にとっては、そもそも日常的に接点がないので、軍隊は未知の世界でした。

 

これは東ティモールの国連PKOの現場に私が初めて派遣された時の話しですが、

究極のヒエラルキー組織である軍隊を相手に、私は、そもそもどんな階級があって、どの順番に偉いのか分からず、目の前のメイジャー(major)に対して、サージェント(sergent)と呼び、一緒にいた同僚から「彼はメイジャーだよ」と耳打ちされたこともありました。

いわば、課長をヒラ社員扱いしたようなものです。😝

 

相手はポルトガル軍でしたが、幸いにそんな私の失礼を「ああ、日本から来た新人の女の子ね」と、ニコニコと受け入れてくれました。

 

軍人とは、いざという時には戦闘をするための訓練を受け、それ自体を職業にしている人たちです。

軍人と聞くと、戦車や銃など「戦闘」を思い浮かべると思いますが、国連PKOでの彼らの主な目的は役割は闘うことではありません。

 

国連PKOでの彼らの役割は、主に、情報収集、信頼構築、住民の保護、交渉、紛争予防です。

 

停戦直後だったり、ある地域の情勢が不安定だったり、暴動が起きている場合、その前線に行き情勢を確認するのは軍人の人たちです。そういう意味でも。彼らの果たす役割はとても重要です。

 

また、時に和平合意の内容について村人に知らせたり、その地域のニーズの聞き取り調査をすることもあります。

紛争後の国はインフラが破壊されていることが多いので、テレビや電話などの情報発信手段も通信手段も限られているからです。

 

私は南スーダンの現場などで。軍人の人と一緒に働く中で自然と親しくなっていきました。

 

中には、母国の内戦の最前線にいた人たちなどもいて、国際政治の教科書や世界のニュースを見るだけでは信じられないような彼らの「本音」に触れることも度々ありました。

 

そして、そんな彼らとの会話を通じて思ったことがありました。

 

「戦争を知っているからこそ、ある意味で普通の人たちよりもよっぽど平和を望んでいる面もあるんじゃないか?」と。

 

私がこの意味を本当に実感したのは、2012年に、米国政府から個人の専門家としてアジアの軍隊に派遣されて、国連PKOに関する訓練の講師を努めていた時でした。

 

その訓練の目的は、国連に派遣される軍としてのスキルや心構えを身につけることです。

そのトレーニングは、とても簡単でとても難しいものでした。

 

簡単なのは、国連PKOの現場では「敵」を倒す必要はないからです。

難しいのは、それまで「敵」だと思っていた人たちと話し合いをするという、いつもと「真逆なこと」が求められるからです。

 

今までは「敵を倒す」ことを訓練されてきたのに、国連の現場では「敵」は存在しない、と言われます。

相手が「武装勢力」や暴徒であっても、彼らは「敵」ではないからです。

 

彼らを倒すことが目的なのではなく、暴力や戦闘行為をやめさせ、なぜ彼らが暴力や紛争に及んでいるのかを理解し、どうしたらそれをやめさせることができるのか、という合意や方法を探ることが目的だからです。

 

なので、訓練で求められたのは次の点でした。

 

相手の言い分を聞くこと、

当事者双方の意見を理解すること

中立の立場を守ること

交渉すること

武器は最後の最後の手段として正当防衛にのみ使用すること、

ただし一般市民を保護する時には使ってよいこと、

女性への暴力を防ぐために積極的に行動すること、

人権を尊重すること、などです。

 

紛争は一度起きてしまうとその解決はとても大変です。

ですから、紛争をいかに日常的に防止(prevention)できるかが同じくらい大切となります。

 

そのためには、日常的な情報収集や状況判断が鍵となるので、

地域の人達から信頼されること(信頼構築)は特に重要になります。

 

そして、講義のテーマとして扱われたのは、安保理決議や国連PKOの意思決定、人道支援、交渉、武器使用権限、停戦後の復興などでした。

 

実際のシーンを再現した「演習」も行われました。

 

例えば、住民によるデモに遭遇した場合はどうしますか?

近くで発砲があった場合はどうしますか?

といった実際のシーンを

現地の人たちを住民役として雇って行うのです。

 

その演習に参加する側はシナリオを伝えられないので、デモをする住民に対峙しながら、それぞれがその場で判断し行動することが求められます。

 

身体が反応してしまうのか、発砲音(実弾はない音だけのもの)を聞いたら自動的に「敵」を追いかけ、住民は無防備にさらされたままということもありました。

 

私も気が付いたら何度か叫んでいたことがありました。

「国連軍の役割は住民を守ることであって、敵を倒すことじゃありませーん!!!」と(汗)

 

そして、訓練では、

住民の人達と向き合う時の姿勢、

その時の銃の位置

コミュニケーションのし方までに注意を向けました。

 

国連のPKOのトレーニングで使われる用語に3Ps(Presence, Posture, Profile) という言葉があります。

 

言葉で伝わるのは10%以下であるという観点から、非言語の部分で何を伝えているかに意識を向けましょう、という意味です。

 

日常的な姿勢や態度などの非言語ランゲージ領域を通じてこちら側の確固たる意図を示すこと、そしてポジティブな 影響も及ぼす、というニュアンスも含まれます。

 

住民の人たちから見れば、軍人だろうが、文民だろうが国連の要員としてみなされるからです。

 

実際に、紛争地といった現場であるほど、信頼構築の大切さは強調してもしきれない位大きいものだと思います。

 

 

3週間、ほぼ毎日「教官」としてアジア・中東7カ国の軍隊と向き合う日々。

これから先の人生でも、こんな体験はもうないかも知れません。

 

当時、私がいたのは、バングラデシュ軍の国際訓練研修所。

首都のダッカから車で3時間くらいのところにありました。

外は昼間は35度を超える猛暑。

 

ヘトヘトになって宿舎に戻ったら、アメリカ人の同僚が笑顔で迎えてくれ、「マンゴーウィスキー」を作ってくれました。

 

ここはイスラム教との国。

ビールが飲めません。

 

彼いわく、空港で買ってきたウイスキーと、ここで調達できるありとあらゆるものを割ってみた結果、「ウィスキーとマンゴーの組み合わせが、一番この土地の気候にあうんだ」と。

 

私は彼の言うことを信じることにしました。

かくして、私は夜はマンゴーウィスキーを飲み、次の日も次の日も、私は演習でこれから国連PKOの現場に派遣されるかもしれない人たちとの訓練を続けました。

 

「みなさんが軍として身につけてきたスキルを人を助けるために使う機会です」と言いながら、私の方も改めて軍人という人の立場をはじめて実感した、と思いました。

 

自分自身の安全を保ちながら住民を保護するという仕事は、 相当の精神力と技術的な鍛錬が求められます。

 

改めて、 そのプレッシャーの大きさを実感しました。

 

自分にとって「未知」の世界に向き合ったからでしょうか。

 

こちらが理解しようとした姿勢が伝わったからでしょうか。

 

軍人の人たちと向き合ったこの体験は、私に思わぬ「贈り物」をくれました。

 

「ネパール軍に戻ったらこんなこと言えないけど、僕はずっと毛派(ネパールの「反政府勢力」)ともっと対話をするべきだって思ってたんだ。」そう伝えてくれたのはネパール軍の士官でした。

 

別のモンゴル軍の士官の人はこう言いました。

「今まで人を倒す戦術しか習って来なかったけど、はじめて、国連の理念に触れることができた。」と伝えてくれました。

 

イラクに二度も派兵された米軍の同僚からはこんな発言もありました。

「僕は2回目のイラク派遣で、ようやく『敵』も人間だって気づいたんだ。

僕たちはたとえ戦闘中だって敵を人間として扱うべきなんだよ。」

 

バングラデシュ軍の士官の人からはこんな「告白」もありました。

「長年軍隊にいるけど、『人間』らしくあることを自分に求めていいんだってはじめて思えたんです。ところで、軍隊をやめようと思っていています。」

こちらの方が、一瞬焦りました。。。(笑)

 

目の前の世界がいつもとちょっと違って見えましたように感じました。

 

人は究極的には誰でも人の役に立ちたいという願いを持っている存在かも知れない、彼らはそんなことを私に思い出させてくれました。

マイストーリー⑤ はじめての国連面接ー電気のないところで暮らせますか?

転機は突然やってくるというのは本当らしい。

大学院を卒業して、国連で働きたいと思っていて応募はしていたものの、いつ面接に呼ばれるかも分からない中で、私は大学の先生がくれた翻訳の仕事をしながら、仕事を探していました。

 

東ティモールでの選挙支援のポストに応募してからすでに数ヶ月たち応募したのも忘れた頃、一通のeメールを受け取りました。

「厳正なる書類審査の結果、貴殿は書類審査に合格しましたので、つきましては面接を実施したく都合のよい日程をお知らせください。なお、派遣が決まった際には、数週間以内に派遣されることが求められます。」

マジーーーー!

マジ!!!私はすっごく興奮した。

さっそく東ティモールの情勢について調べることにした。

東ティモールとは、インドネシアの最南西に位置する島で、パプアニューギニアに近いところで、文化や民族的にも太平洋の影響が強いということ、

その東ティモールでは、前年に独立を問う住民投票が行なわれ、その時の争乱で国全体が壊滅的な打撃を受け、その復興と選挙の実施を含め東ティモールという国が独立するための支援を国連がしていること、

それが大まかな状況だった。

 

ふむふむ、東ティモールの情勢について少しは分かったものの、

国連の面接なんて、いったい何を聞かれるのか全く検討がつかない。

分かっているのは職務内容が選挙支援であること、派遣国は東ティモールであることだけ。

しかも初めての英語での面接。しかも電話でやるというから相手の表情が見えにくい。。。

 

不安も要素もたくさんあったけれども、

ともかく行きたいのだからその気持ちをぶつけるしかない!

そんな心境だった。

 

面接当日。面接まであと1時間、あと30分、あと5分、、、後にも先にもこんなに緊張して手に汗をかきながら面接を待ったのは初めてだったかも知れない。

Good Afternoon Ms. Onaka. My name is ◯◯. Very pleased to talk to you today.  I am calling you today to conduct an interview for a post of Civil Registration Officer with UNTAET (United Nations Transitional Administration in East Timor). Please feel relaxed.

Let us begin.

さっそく面接がはじまった。

「なぜこの仕事に応募しようと思ったのですか?

この仕事を遂行するにあたり、あなたが大切だと思うことは何ですか?

今まであなたが関わったことで大変だったことは何ですか?どうやってそれを乗り越えましたか?」

 

そこまでは想定内だった。

 

この次の質問までは。

「あなたは電気のないところで暮らせますか?」

 

「えーと。。。」

 

「小さい頃にはよくキャンプに行っていたのでテントで寝ることは慣れています。ニュージーランドでトレッキングをした時には数日間電気がない体験をしました。」

正直テントで寝るのは好きではないけどこう言うしかない、内心はそんな思いでなんとかクリアしたかと思いきや、面接官は別の質問をした後、また同じことを聞いて来ました。

「あなたは電気のないところで暮らせますか?」

しかも、最初の方に一回、真ん中で一回、最後にまた一回、計3回も(!)

なるほど、私の履歴書だけを見たら、オックスフォード大学院卒業の「エリート」の「お嬢様」に見えるかも知れないし、この人はほんとうに現場でやっていけるだろうか?と相手は確めたかったのだと思う。

今なら分かるのですが、当時の東ティモールの事情を考えたら、確かに、トレッキングの時に電気のない体験をしたことがあります、ではまったく説得力がなかったのです。

相手が聞いているのは、あなたは国連の平和維持活動の一環として東ティモールで選挙支援をしたいと言っているけれども、

本当にそれやる気あるの?

大学院で理論を習うこととも違うよ。

そういうことだったのです。

 

ありがたいことにその面接官はまたも同じことを聞いてくれました。

3回もこの質問をされた時には、さすがの私も目が覚めたのです。

 

この質問に対して相手を納得させなければこの面接は通らない!!!

私は覚悟を決めました。

 

声をやや若干低めに落とし、こちらの本気度が伝わるようにゆっくりめに一言一言話しました。

「はい、私には粘り強さがあります。一度決めたことは最後までやりとげます。」

正解を答えるというよりも、こちらの意気込みが相手に伝わったという感触をようやく得た時、初めての国連面接は終わったのでした。

後で聞いたところによると、実際に派遣されてもインフラが破壊された東ティモールでの生活に慣れず、すぐに辞めてしまう人が多かったとかで、最後まで任務を遂行できるかどうかという点が重視されていたとのことでした。

ところで、東ティモールにおける国連のプレゼンスは何ですか?という質問も聞かれ、上手く答えられなかったのだけれども、合格したので、国連に関する知識よりも意欲が伝わることの方が大切だ、ということをこの時に身を持って学んだのでした。

さて、晴れて採用通知を受け取ると、その感慨にふける暇もなく、その実感もないまま忙しく準備が始まりました。健康診断に予防注射。そして、山ほどの書類にサインをして送りました。

その書類の一つは、宣言(Declaration)というものでした。

「私は国際連合で働く者として、自国の利益ではなく国連憲章の精神を優先することを国連事務総長に誓います」

私は、当時の国連事務総長コフィー・アナンに向けて、心の中で宣言し、署名をしたのでした。この時はさすがに身が引き締まる思いでした。

カンボジア元気日記を読んでからちょうど6年ちょっとでした。

「東ティモールで緊急援助に関わるために本国を通過する許可を与えます」、というオーストラリア政府発行の緊急人道ビザを受け取り、オーストラリアのダーウィン経由で東ティモールに向けて出発したのです。

 

マイストーリー⑤-女に仕事はできない?! そんな同僚と一緒に働けるかワタシ(≧∇≦)