嫌いな仕事に1日15分取り組んで10日たったらー自分が自分の約束を守るとおきた奇跡

今日は奇跡がおきました!

 

 

それは私の苦手で嫌いなことを楽しい!と思えたのです。

 

しかもやりたい!とさえ思ったのです。

 

それは何かと言うと、経理作業についてです。

 

最近はいろんなクラウドソフトがあって、入力作業もバランスシートなどの必要書類の準備もクリック一つで簡単にできます。

 

それでも、私にとっては正直あまり好きではない作業です。

 

なので、こうした作業をつい後回しにしてしまうパターンを繰り返していました。

 

でも、ついに、同じことをやってる自分が嫌になって、

毎日15分でいいからルーティン化することにしました。

 

とはいえ、

 

正直、最初は腰が重いというか「イヤイヤ」やってました。

 

10日間位たった頃でしょうか。

 

楽しい!と思ったのです。朝起きて早くやりたい!とさえ、思ったのです。

 

驚きました😝

 

だって、クリエイティブな作業の方がずっと得意な私みたいなタイプの人にとって、経理作業というのはその逆に位置するものだからです。

 

確かに地味だし、クリエイティブとは真逆的な作業ではあるでしょう。

 

そういう作業が好きな人というのが世の中には存在すると思うので、

きっと誰かにお任せすることになるでしょう。

 

でも、誰かに任せるにしても、この作業に対する漠然とした苦手意識を感じたままじゃ嫌だなと思ったのです。

 

さて、

このプロセスは何だったのかなと考えてみると、

経理作業そのものというよりは、

 

たとえ自分にとって嫌いな分野でも

自分が自分に対して決めたことに対して責任をもつということ、

それを守ったことによる「快感」だったと思います。

 

もし、頭に脳波を測る装置をつけたら、きっとなんらかの脳内分泌が起きていたと思います😇

 

そして、セッションの予約を5件続けていただきました。

 

しかも。お手伝いしますというお申し出までいただきました!(本当です)

 

 

自分が自分に対して決めたことを守ること、

つまり自分が自分を尊重するというのは、

こんなにもパワーをくれるものなんだ!💡と正直驚きました。

 

苦手な分野なだけになおさらですね。

 

つまり、自分の信頼度を貯金しているわけですね。

 

それで予約がすぐに入ったので、宇宙は分かりやすい印をくれるものです。😊

 

逆にいうと、自分の信頼とパワーをそぐものに要注意です。

 

例えば、

誰にでも簡単に約束すること

自分が望まないことにイエスと言うこと

やると言ったのに実行しないこと

 

やりたくないならノーという方が誠実ですし、

 

目標を立てても心の底ではやりたくないのならば、やる気のあるふりをするよりも、その根本原因に取り組む方がよっぽど誠実です。

 

そして、どうしても好きになれない仕事を自分をだましながらやっているのならば、それも自分に正直ではありません。

 

もし、今の段階ではできない事があったら自分を責めるのでもなく、その原因を理解して、どうしたら改善できるのか考えましょう。

 

 

私たちは日々自分に対する信頼貯金を貯めています。

 

もし、今の段階ではできない事があったら自分を責めるのでもなく、その原因を理解して、どうしたら改善できるのか考えましょう。

 

どうしたら上手くできるのか考えましょう。

 

まだまだ、続けていくので、さらなる「脳内反応」?を観察してみたいと思います❗️

好きなことをやるのに自信はいらないーなぜ日本人は自信がないのか?

自信がないとはやっかいだ。

 

自信がないのがやっかいなのではなく、「自信がない」の本当の理由がわかっていないから。

 

「自信がない」とは不思議だ。

 

人が「自信がない」と言うと、科学的であたかももっともな理由のように聞こえるから。

 

「自信がない」現象はあまりにも漠然としていて、何をしたら自信がつくのか?本人もはっきりと分かってないから。

 

 

そういう私も3月末に突然霧がかかったように、前が見えなくなってしまって、さっぱり書けなくなってしまいました。

 

一文字も。。。。

ぜんぜん。

まったく

 

 

スランプ?という言葉が頭をよぎるものの、原因がよくわからない。。。

 

連載をしている先の編集者さんからは、「大仲さんの記事は安定的なアクセスがありますよ。どんどん書いてください」とも言っていただいたし、書くネタはたくさんあるはずなのに。

 

これはつらいです。

 

そんな状態が1ヶ月以上続いて、もうやだ!こんな状態抜け出したい!、と思った時に、ふとわかった気がしました。

 

「自分ってたいしたことないな」って認めるのが怖かったんだって。

 

なにか新しいことや新しい分野に挑戦しようとする時、私たちは無意識的にいろんな「シュミレーション」をします。

 

もしこうだったらどうしよう?

もしああだったらどうしよう?

 

という「もし~だったら」「もし~だったら」が何個もあります。

 

 

あるレベルにおいては、すでに次のステップややりたいことは先に見えているのに、それがモヤモヤとなって目の前に「きり」をかけてしまうのです。

 

でも、そんな時こそ大抵誰かと比べています。

 

というか、その分野の先駆者や成功者と比べています。

 

その人がどれだけ苦労や努力をしたのかも知らずに、

 

「私はあんな才能がない」と、

 

 

または

 

誰かと比較して、もし~だったらどうしよう?と足をすくめているのです。

 

 

日本人の選手の中にはせっかく銀メダルをとったのに、人によっては顔面蒼白に世界一の失敗者であるかのような顔をしている人がいます。

 

数年前なでしこジャパンがW杯で準優勝した時がそうでした。

 

ブラジル人はオリンピックに出るだけで、踊って大騒ぎしてお祝いします。それだけで町・村中あげてのヒーローでしょう。

 

逆に、オリンピックで計22個ものメダルを獲得する偉業を成し遂げたマイケルフェルプス選手(競泳)は、3回もオリンピックにでて何個もの金メダルをとりながら、ようやく最後(リオ五輪)で心から納得できてもう悔いはない、と言った選手もいます。

 

日本は競争や比較の意識が強い国です。

 

でも、それがオリンピックの決勝だろうが、フルマラソンだろうが、3キロランだろうが、中学生バレー大会だろうが、「負けて」悔しかったけど清々しい顔をしている人もいます。

 

もちろん、勝負はつきますが、本人の中では勝ちだったのでしょう。

 

負けたのは確かに悔しい。でも一生懸命やった。だから、悔いはない。

 

本人は納得して、晴れ晴れしています。

 

一番悔しいのは「スタートライン」に立つことさえもやめてしまった人です。

 

 

誰かの意見や他人の指標で自分の可能性や結果を判断させてはいけません。

 

自分さえ納得すればいいのです。

受験、就活、芸能人ランキングーなぜ日本人はランキングが好きなのか?

受験、偏差値、就活、企業ランキング、芸能人ランキング、売れ筋ランキング。。。

 

おそらく、日本という社会は世界の中でも最も「ランキング」が好きな社会の一つだと思います。

 

ランキングがあることとは、一つの指標に従って、上か下かを格付けされるということです。

 

上か下があるということは「勝者」と「敗者」がつくられます。

 

競争という土俵にいる限り、勝つ時もあれば負ける時もあります。

 

 

若いときに、相対的な競争で格付けされた経験から、それイコール自分の能力や才能だと思い込んでしまって、自由に考えたり、挑戦するのをやめてしまったんじゃないか、と感じる例を垣間見ることはたくさんあります。

 

 

「勝った」場合もそうですし、「負けた」場合にも当てはまります。

 

私がいかにある一つの価値観の中にいたのかを肌で感じたのは初めてニュージーランドに留学した時のことでした。

 

ある晩、ホストファミリーとの会話の中で、日本の教育制度に話しが及んだ時に、私が「塾に通っていた時には、夜中に塾から帰ったこともあった。」というと、こんな答えが返ってきたのです。

 

「なぜそれが必要なの?」と。

 

とても短い単純な質問ではありましたが、私はその質問自体が「ショック」でした。

 

日本では質問されることもない私が当時「当たり前」だと思っていたことが「当たり前」ではないと初めて思ったからです。

 

この体験が一つのきっかけとなって、わたしは帰国後日本の大学の受験勉強をいっさいやめて、当時日本で唯一全て英語で授業を行っている大学へ入ろうと思いました。

 

この大学はいわゆる偏差値に当てはまらない大学だったのですが、それでとても自由になったような気がしました。

 

国連時代には世間的には「エリート」と分類される人達にたくさん会ってきました。

 

「この人はほんとうにすごいな」という人もいれば、理論は詳しいのに紛争地での課題に対処できない人もいました。

 

先の米国大統領選挙でもなぜトランプに投票?といろんな分析がありましたが、私たちの社会が一つの指標を前提としている限り、つねに勝者も敗者もで続けます。

 

私たちは、ランキングがあることによって、自分の頭で考えて判断しなくても済むし、ある種の「秩序」というか、一見もっともらしい理由が存在するかのように信じて安心したいのかも知れません。

 

ただ、その「指標」が妥当かどうか、あっているかどうかはまったく別の話しです。

 

これまでの学校制度も企業も、高度成長時代を前提としてきました。

 

最近ホリエモンが、「すべての教育は『洗脳』である」という本を出していますが、そこでの前提とは、工場や企業活動をいかに効率よく運営していくかであり学校の教育も独自性やクリエイティビティーを伸ばすものではなく、「従順で効率のよい労働者」を育てるかでした。

 

ただ、このモデルの限界がますますはっきりしてきています。

 

 

では、競争がなかったら私たちは何を目指せばいいのでしょうか?

 

一人一人がその人の潜在能力を最大限に活かすことです。

 

才能、興味、能力ー才能しかり、好奇心しかり、発想力しかり、その人にしかできないことがあるのです。

 

競うべきは昨日の自分です。

 

昨日の自分よりも一ミリでもいいから自分は「成長」したと思えればいいのです。

 

 

なぜその問題に関わりたいのか?と聞かれて、答えるのに困ったらー自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないから

なんで自分はこんな風に考えるんだろう?

なんで自分はこんなに「不器用」なんだろう?

なんでもっと適当にできないんだろう?

 

 

自分でもよく分からないけどやっぱり「世界」のことに関わりたいというタイプの人たちがいます。

 

彼らは周りからはよくこんなことを言われるそうです。

 

なぜ、そこまで世界の貧困や環境、平和の問題に関わることが大切なの?

なぜ、安全な日本の生活に満足できないのか?と。

 

ただ、これは本人にとっても「理屈」でわかるレベルのことではありません。

 

時には一生懸命に自分を納得させようとするのですが、「理屈」で説明しようとしてもできることではありません。

 

人間を深い部分で動かす原動力というものはとうてい「理屈」を越えているものだからです。

 

あえて言葉で説明するとしたら、それが「自分が自分であること」の表現だから、でしょうか。

 

 

世界100カ国、18-25歳の42,257人による若者の仕事観に関する調査「2015 Youth Speak Survey Millennials Insight Report」というものがあります。

 

国連とプライスウォーターハウスクーパーの支援でアイセック(AIESEC)という団体がまとめたものです。

 

その中の仕事に求めるもので大切なものは何ですか?という質問で、世界の若者は「成長できる機会」と「意義を感じられる」ことをトップに挙げています。

 

職場にはどんなことを望みますか?という質問に対しては、例えば、このような回答が挙げられています。「僕にとって大切なことは、常に成長できる機会や環境、自分が関わっていることが社会にインパクトをもたらしていると感じられること」22歳、インド

 

2015年「2015 Youth Speak Survey Millennials Insight Report」より。

 

わたし自身、これは国連で働くことを目指していた時のことですが、なぜここまで世界の平和(争い)や貧困の問題に関心が向くのか?と自分でも思ったことを思い出します。

 

あえて一言で言うならば、自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないと思っています。

 

聖書にはこのような言葉があります。

 

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ 2:12)

 

これは、人にはそれぞれ使命があって、その方向に向かえるように、心の中に情熱や想いが湧いてくる、という意味です。

 

これは私自身実感します。そのような想いや情熱がなかったら、国連で10年も働く中でも、と南スーダンのような国で4年間も働くことはできなかったと思います。やはり、それは「与えられたもの」だったと実感します。

 

そして、また次のステップや次の仕事、方向性が与えられることがあります。その時にふさわしい情熱や想いがまた与えられるということです。

 

ですから、自分に正直に生きてる人は、時に「不器用」と思ったり、そのように思われることもあるかも知れませんが、神さまの目にはとても美しいのです。

 

 

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」ピリピ2:12

 

‘For it is God who works in you, to will and act in order to fulfill  his good purpose.’ Philippians 2:12

QUIET REVOLUTION 人口の三分の一は内向型ー社会を変える「静かな革命❗️」②

内向型の強みとして、共感能力の高さ、感受性の高さが挙げられます。

  

ここで言う「繊細な」という意味は、その人の「構造」というか「つくり」というか、特性が繊細であるという意味であって、「ナイーブ」であるとも「弱い」という意味とも違います。

 

別の言い方をすると、感じ取る能力が高い人、共感能力の高い人たちです。

 

「繊細」とだけ聞くと、「競争社会」の基準からすると「弱み」のように聞こえるかも知れませんが、これからの時代、「感受性が高い」ということはますます「大きな武器」となっていくことでしょう。

 

 

では、「感受性」が高いことの「強み」とは例えばどういうものでしょうか?

 

例えば、相手が伝える1の情報から、その何十倍もの情報を読み取る能力です。または、より大きな流れや全体像をつかむ能力です。

 

これは、「洞察力」(insight)と呼ばれます。

 

例えば、この人は、言葉ではこう言っているけど、その人の本心はいったい何なんだろう?または、「ミーティングで部長はこう言っているけど、どうも他の人たちはしらけてるなあ。みんなの本心はいったい何なんだろう?

 

今、会議で起きていることやこの組織全体で起きていることは何だろう?」といったより深層の部分に意識がむく能力です。

 

 

これは、人と関わる仕事、交渉や仲裁、ファシリテーション、リーダーシップといった分野で大きな力になります。

 

 

紛争地の現場でも、私にとってこの力が大きな助けとなりました。

 

例えば、南スーダンのような紛争地では、この先数ヶ月、政情がどうなるのか分からないというような環境に置かれます。

 

そのような環境の中で、国連のスタッフは、いろんな人に会って情報収集をし、あり得るシナリオなどを考え、分析を加えながら、それぞれの場合どう対処したらいいかを決定していきます。

 

私は、そういう地で仕事をする人として、いろいろな人に会って生の情報(感覚)を得て、この先の流れを掴んでおくことは、決定的に大事なことだと感じていたので、できるだけそういう時間は意識的にとるようにしていました。

 

そうした習慣もあったので、政情的に何かが起きたり、新しいニュースがあったとしても、「ああ、これはこれ以上『大事』にはならないな」、「今回は注意」など、ある程度予測がついたりしました。

 

私の「鋭敏なアンテナ」が、相手が伝える1の情報からその何十倍もの情報を読み取ってくれるのか、私の分析が流れを読んでいた、全体像を掴んでいた、ということは実際にありました。

 

同じ街にいながら、同じ国にいながら、同じ人に会いながら、同じ情報を耳にしながら、その人が導き出す結論や分析はまったく人それそれでした。

 

断片的な情報から、全体像を「掴んでいく」能力はまさに大きな力です。

 

こうして、私の感受性の高さ・繊細さは「分析力」「判断力」「紛争解決力」(仲裁力・対人関係能力)として、紛争解決の最前線で大きな武器となってくれました。

 

言葉で伝わるのは10%にも満たないと言われていますが、 

 

例えば、

初めて会う人との関係構築の中で、

 

全く新しい環境 (組織や街や国など) に慣れるために、

 

お互いに母国語ではない言語で話している時など、「感受性」が役に立つ場面はけっこう多いのではと思います。

 

この力は、そしてコーチ・カウンセラー・講師として発揮されています。

 

ある方の相談内容について聴いている時に、その方が言わんとしていることの全体像や課題の根っこの部分が「パッと」把握できる能力です。

 

もちろん、いくつか質問をして、課題を探ったり、それを確認してきますが、洞察力が大きな土台をつくってくれています。

 

実際、最近は、この「感じ取る能力」・「共感能力」のビジネス上の価値が科学的にも証明されつつあります。

 

5年連続で全世界での視聴回数ベスト5内にランクインし続け、2016年12月現在で全世界での総視聴数が27,677,409回(!)を超えているTEDがあります。

 

ヒューストン大学の心理学者ブレネーブラウン による「Power of Vulnerability」です。共感の力こそが、クリエティビティーやイノベーションへの入り口だと言っています。

 

世界中の企業や組織がクリエティビティーやイノベーションを求めています。

ただ、 それが大事だろうとは思っていながら、それがどうしたら起こるのか分からない。

 

そして、人間はいくら理性的に判断し、行動していると思っていても(そう信じたくても)、実際には感情で動く生き物だということも私たちは知っています。 

 

誰でも傷つくのは怖い。批判されるのも失敗するのも嫌。

 

 

見えないところで直感やイノベーション、クリエイティビティーを潰しているのはこうした「不安」や「恥」の意識だと言われています。

 

そして、その「解毒剤」こそが「共感」であると、このTEDの著者ブレネーブラウンは言っています。

 

そして、「共感」が起こる時の大きな要素として、「相手の感情がわかること」(feeling with the other)が挙げられています。

 

このTEDの後、彼女のところには、アメリカ中のCEOや企業からイノベーションを起こす秘訣を教えて欲しいと、講演の依頼が殺到したそうです。

 

 

「共感の力」とビジネスの接点が科学的に証明されつつあること、このテーマが全TEDの中でもベスト4にランクインし続けている事実そのものが興味深い現象だと思います。

 

感受性や共感能力はビジネス上でも大きな価値なのです。

「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」ーその純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はない

 

 

「自分にはまだ無理だ」「まだ準備が足りない」と感じる方は多いようです。

 

 

コーチングや講座なりが、すぐに分かりやすい「成果」や「結果」を生むかどうかは人それぞれなので正直わかりません。

 

ただ、なんらかの「結果」を生まなければいけない、という発想自体が、社会的に植え付けられた「成果志向」で、ある意味で私たちはそれに縛られ過ぎているかなと思う面もあります。

 

 

結果や成果は大事だと思いますが、それが前提だとただ体験したり、新しいことを試したり、新しい人と会ったり、といったことのハードルがすごく高くなってしまいます。

 

個人的には、「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」「試してみたい」という感覚がもっと尊重されてもいいのかなと感じます。

 

 

「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」「試してみたい」という理由だけで、何かをやるには十分な理由だと思います。

 

 

もっとはっきり言うと、自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないと思っています。

 

 

なんらかの結果や成果を出した人に私たちが触れる時、その人の成果や結果が目につきますが、

 

その影にはその何十何百倍もの「トライ・アンド・エラー」があるものです。

 

いろんな人と会って、刺激的な時もあれば、あんまり面白くなかったなと感じることもあれば、「やっぱり」と思うこともあれば、「え、意外!」という驚くこともあるでしょう。

 

それこそが「体験」です。

 

文章にしても際に人の目に触れられる文章は、実際書いたものの1割もないかも知れません。

 

私自身、最初に文章を書き始めた頃は、とても人様に見せられるような内容でも文章でもありませんでした。

 

(なにせ、私はほぼ10年間英語で仕事をしてきたのでそもそも日本語を書く環境にいなかったのです。)

 

最初は自分のために書いていたものが、だんだんと慣れていく内に人に伝えたい、とより意識をするようになっていきました。

 

今はもっと自分の体験を還元するという目的が強いですが、最初はもっと純粋に自分の興味・関心や整理のためだったので、私は自由に楽に始められました。

 

最初から何かに連載をするためだったら、私の中の書くハードルは高くなって楽しめなくなっていたかも知れません。

 

 

どんな分野でも、「成果」や「結果」の影にはその何十倍もの「準備」や「無駄」があるものです。

 

一番はじめの書いたものの10の内の7割〜8割が削られる時もあります。そうして研ぎ澄まされた文章となっていくのでしょう。

 

でも、削られた部分は「無駄」ではないのです。

 

目に見えないけれども、そうした部分が見える部分に「深み」をもたらしてくれるのです。

 

読む人も文字となっている何倍以上ものことを感じとってくれます。

 

 

 

子供の時には、私たちは「最短で」「一つの正解」にたどり着く方法を訓練されます。

 

大人の生活では、私たちは「一直線」でゴールにたどり着くわけではありません。

それがいい訳でもありません。

ましてや、たった一つの正解はありません。

 

 

「急がば回れ」じゃないですが、いろいろなことを「体験すること」こそが長いスパンでは結果を生むということもあるようにも感じています。

 

 

「体験する」にもいろいろな種類があるとは思いますが、自分の視野や世界が広がるもの、自分が自分を知る・発見すること、人との関係性を深めるものは、投資をする価値があるでしょう。

 

 

コーチング・カウンセリングの大きな意義の一つは、まさに、「自分が自分を知る・発見」し、「自分との関係性を深める」ための「自分のための時間を持つ」ということだと思います。

 

 

もしよかったら、ただ自分のために「心地よい時間を持つ」という贈り物をされてみてください。

 

素敵な春の日をお過ごしください。

 

自分の才能を発見する魔法の質問ー「この仕事で自分にしかできないことは何だろう?」 「このバイトで自分にしかできないことは何だろう?」

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

私にしか書けないことは何だろう?

 

ブログの記事で仮にたった300字でも、連載原稿だったとしても、この質問は常に私の頭の片隅にあります。

 

この質問は自分の仕事がなんであっても常に当てはまると思います。

 

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

「このプレゼンで自分にしか言えないことは何だろう?」

 

それがたった1日のバイトでもこの質問は自分にできると思います。

 

「自分のやりたいことが分からない」、という人も多い世の中。

 

夢や天職、やりたいことは、何か「大きなもの」や「立派なもの」であるはず、というような風潮もあるように感じます。

 

大きな目標を持つようなタイプの人もいるでしょうが、誤解をおそれずに言うと、「夢は大きく持て」も、ある意味大人の言い分に「だまされている」ようにも感じます。

 

大きな目標がある人もいますが、それでもその人を本当に突き動かすことはとてもシンプルだったりします。

 

例えば、私にとってある時期、国連で働くことは一つの大きな目標でした。

 

国連というキャリアの中でも、二つの国の独立国に関わるというかなり「ドラマチック」な体験をさせていただきましたが、とはいえ、その中でも本当に好きだった瞬間というのは案外とてもシンプルで、いろんな国の同僚たちと「ああ、この人も同じ人間なんだ」と分かり合える瞬間でした。

 

そして、国連という目標を叶えてよかったと見えるかも知れませんが、

「自分にしかできないことは何だろう?」という問いに終わりはありません。

 

むしろ、毎回続きます。

 

プレゼン

発表

執筆

原稿

授業・講演。。。

 

 

この質問はある職業に就いたから終わるわけではありません。

むしろ、その質問を掘り下げさせるためにこの仕事や機会が与えられたんじゃないか?と感じるような場合もあります。

 

その質問こそが自分が自分を知ったり、自分の才能を発見させてくれるものだからです。

 

自分しかできないことは何か?

 

それは必ずしも行為とは限りません。

共感だったり、

相手を心の中で理解することかも知れません。

 

ある研究会の委員として発表を頼まれた時、私は数日間「私はいったい何を発表したらいいんだろう?」「私しか言えないことは何か?」「この会で私が言うべきことは何か?」と数日間真剣に考えて、

 

「難しいことではない『当たり前のこと』を言うこと」という結論にいたったこともありました。

 

 

その時に自分にしかできないことが少しでもわかった時、自分の中で「いなずま」が走るような「ひらめき」が起こることがあります。

 

自分が自分を発見し続けることー

 

そして、そんな体験が自信をくれます。

 

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

せっかくなら楽しく毎日この質問に取り組みたいと思います。

目の前の対人関係を「クリア」し、自分が「成長」すると自然と次の展望が開ける

前回、知人の知人を介していけば、平均6人で世界の全ての人とつながることができる、という「六次の隔たり」と呼ばれる理論を紹介しました。

 

この理論のポイントは、「成功するための条件は、より多くの人と知り合うことではなく、自分にとってもっとも重要な人物と出会うことだ」、という点でした。

 

私自身、有限契約で自己志願制の組織である国連で働いてきたので、「人と出会い、人に助けられながら、人生の進路を進んでいくことが大切」との意味を実感します。

 

一つの仕事(契約)が終わったら、毎回応募書類を揃えて、志望理由を送って、面接を受けるということをしながら、それでも、私の国連におけるキャリアが拓かれていったのは、まさに沢山の方に助けていただいたからでした。

 

 

そんな組織において、その時にご縁があった仕事やその仕事を通じて出会うことになった人と「出会う確率」はいったい何パーセントなんだろう?とふと思ったことがあります。

 

今改めて、振り返ってみると、そこでの仕事と人間関係という「ご縁」をいただいたのは、対人関係を学ぶため、未完了のことを完了させるため、より自分が成長するため、だったのではないか?と感じます。

 

私たちは自分がより成長するために最適な機会や出会い、人間関係を与えられている、という観点から見るならば、その職場で与えられた人間関係で学ぶことを学んでいないと、次の職場でもなぜか同じような上司にあたったり、同じような問題に直面するようです。

 

コーチングセッションで、転職をするかどうか悩んでいますという相談を受けたことがあります。その方の現在の状況を聞いた時に、上司との関係が未完了ではないかと感じた私は、次の仕事を探すと同時に、今の上司を理解することにフォーカスしてください、そして、直接でも関節的にでもいいので上司のサポートをしてください、とお伝えしました。

 

そして、上司のことを理解しようと意識を向けるにつれ、転職活動もスムーズにいったようです。

 

そして、「新しい仕事はまだ始まったばかりですが、新しい職場は、今までもいたような居心地のよさがあります。」と嬉しい報告を送ってくださいました。

 

自分が日々体験する目の前の対人関係を「クリア」し、「成長」し、または「完了する」と、転職に限らず自然と次の展望が開けるのです。

 

逆に、何かに抵抗すればする程、抵抗している人の特徴や出来事は形を変えて続きます。これは、自然の法則(Law of Nature)で「抵抗の法則(Law of Resistance)」と呼ばれています。

 

自分がその現象やある人の資質を受け入れたり、そこからの「学び」を終えないと、人や場所を変えその現象は起き続けます。

 

そういう場合に、役に立つことの一つは、その人や現象を受け止め(同意するとは違います)、その相手を理解することです。理解できれば、必要な行動が見えてくるでしょう。

 

ちなみに、彼女に提案したもう一つの宿題がありました。

 

「会社で自分とはまったく考えが違うなという人を観察してみてください。声をかけたり、お昼に誘ってください。」

 

この人はどんな人でどういうことを大切だと思っているんだろう?この人はなぜそういう風に考えるんだろう、という視点とオープンさを持てることー

 

これは、どんな職業でもどんな業種についていようが誰もがある段階で体験する学びのように思います。

  

 

以下は、どんな仕事や職種でも、私たちがどこかの段階で直面する一般的な「対人関係の課題」についてです。

 

◎ 理解されない

◎ 理不尽な目に会う

◎ 理想と現実のギャップに直面した時(失望)

◎予定外のことが起こる時

◎イライラする上司や部下がいる

 

そんな時こそ、こちら側が成長することが求められています。

 

そのレッスンにはいろいろな側面があるかも知れませんが、

この人はなぜそういう風に振る舞うん考だろう、という理解とオープンさを持つことー

 

はいつでも役に立つ原則の一つです。

 

 

 

これは何を学ぶ機会なんだろう?

 

ぜひそのように問いかけてみてください。

一生の内あなたに影響を与える人の数は90人以下ーそのうち7人が、あなたを導き、鍛え、守り、「偉大なあなた」になる手助けをしてくれる。

一生のうちあなたと深く関わるのは30人以下。そのうち7人があなたを導き助けてくれる。

 

知人の知人を介していけば、平均6人で世界の全ての人とつながることができる、という「六次の隔たり」(six degrees of separation)と呼ばれる理論があります。

 

アジアの大富豪に仕え、のちにアメリカ副大統領のコンサルタントを務めたリー・ウェイウェンによって名付けられたものです。

 

オバマ大統領まで何人経由で着くか計算してみました。

 

結論 

▶ 近しい友人を経由すると3人
▶ ちょっと遠目の知人を経由すると2人

 

思ったよりも近いことを発見して少しびっくりしました。

 

この理論のポイントは、成功するための条件は、より多くの人と知り合うことではなく、自分にとってもっとも重要な人物と出会うことだ、という点です。

 

ウェイウェンは言います。

 

「一生のうちあなたに影響を与える人の数は90人以下。

そのうち、あなたの世界観と価値観に深くかかわる人の数は30人以下。さらに、そのうちたった7人が、あなたを導き、鍛え、守り、『偉大なあなた』になる手助けをしてくれる。

 

あたたの成長を助ける人。

人生の進路を指し示してくれる人。

強力な社会的資源を提供してくれる人。

さらなるステップアップを直接的に後押ししてくれる人。

あなたが苦境に陥ったときに手を差し伸べてくれる人。

そして、心の拠り所となる人生のパートナー… など。」

 

「人には人生のステージごとにさまざまな出会いがある。そして、そのとき出会った相手から得たヒントがきっかけで、運命が大きく変わることもある。

 

人と出会い、人に助けられながら、人生の進路を修正していくことが大切なのだ」と。

 

私自身、このことは小さいレベルから大きなレベルまでヒントや手助けは人を通じてもたらさえることを何度も体験しています。

 

日常的なレベルでは、今度の原稿はどんなテーマについて書こうと思い巡らしている時に、その日に会うことになっていた方との会話の中からヒントをもらったこともあります。あるクライアントさんから質問されたことがそのまま記事のテーマになったこともあります。

 

より大きな人生の進路やキャリアの選択という面でも、いろいろな方に助けられてきました。

 

私が国連という組織でキャリアを積むことが出来たのは、まさに、その時々に出会ったいろいろな方からアドバイスをもらい、助けていただいたからでした。

 

私がオックスフォード大学大学院へ進学し、奨学金をもらえることになったのは、大学時代の先生のある一言でした。

 

私は大学院への出願のための志望動機を見てもらうために先生の部屋を訪ねた時のことです。

 

「なんでオックスフォードは受けないの?受験料タダだよ。」

 

それまでは、オックスフォードは皇族の人たちが行くところだろう位の認識しかありませんでしたが、その時の一言で、オックスフォードが一気に身近な場所になったのでした。

 

その先生の一言がなかったら、私は奨学金をもらうことも、オックスフォード大学へ進学することもなかったかも知れません。

 

この場合の「オックスフォード」は一つの喩えですが、「なんでも試してみないと分からないという」メンタリティーを私にもたらしてくれた原体験だったと思います。

 

私たちが一生の間に会える人の数は限られています。この理論によると、私たちを助けてくれる人たちはすでに自分の人間関係の中にいるのかも知れません。

 

もちろん、人間関係は一方的には成り立ちませんから、こちらからもそうした関係を尊重しないといけないですし、こちらから働きかけなければその人たちの価値に気付かない事もあるかも知れません。

 

または、難しい上司だったり、反面教師といった形で助けてくれる人たちがいるかも知れません。

 

いずれにせよ、「六次の隔たり」は、自分にすでに与えられている人たちとの縁を深めることの大切さを思い出させてくれます。

世界100カ国、18-25歳の42,257人による若者の仕事観ーミレニアル世代は「学びたい」「成長したい」「世界を知りたい」

ミレニアル世代は「学びたい」「成長したい」

そんな機会があるなら世界のどこでもよい。

 

世界100カ国、18-25歳の42,257人による若者の仕事観に関する調査があります。

 

ベビーブーマー世代が世界的に引退に近づき、ジェネレーションX (1965年~1980年生まれ)とミレニアル世代(1981年~1994年生まれ、欧米ではジェネレーションYとも呼ばれる)が世界の労働人口の中心的な働き手となりつつあります。

 

ミレニアル世代は、特に、テクノロジーや情報、働き方、リーダーシップなどに対する捉え方に共通点があると言われています。

 

生まれた時から充分にものがある世代、スマホやSNSと一緒に大人になってきたデジタルネイティブ(表)、FacebookやYoutubeなどで誰でも気軽に世界に情報を発信できる環境、環境や世界の課題の課題に関する情報がより身近にあること、なども、世界の若者世代の価値観を共通の方向に導きつつあることがこの数年で明らかになっていきています。

 

 

 

国連とプライスウォーターハウスクーパースが支援し、アイセック(AIESEC)という国際的な団体によってまとめられた報告書、2015年「2015 Youth Speak Survey Millennials Insight Report」、「Youth Speak Global Report 2016」より、

 

世界100カ国、18-25歳の42,257人による若者の仕事観に関する調査を紹介したいと思います。

 

それぞれ質問と回答は以下の通りです。

(それぞれ上位5位を列挙)

 

⭕️卒業後の5年間の中で一番大切だと思うのは何ですか?

 

世界を体験できる仕事

成長する機会

意義を感じられる仕事

ワークライフバランス

挑戦しがいのある仕事

 

⭕️これから5年間の中に身につけるスキルとして重要だと思っているのは何ですか?

語学力

スピーチ(Public Speaking)

リーダーシップ

問題解決型思考

判断力・決断力

 

⭕️こうしたスキルを身につける手段は何ですか?

体験型の学び

ボランティア活動

インターンシップ

大学・学校

イベント・セミナー

コーチング・メンタリング

本・教材・オンライン上の情報

 

 

⭕️5年後にはどこで働いていると思いますか?

多国籍企業

起業している(スタートアップ)

INGO

分からない

大学院

 

 

⭕️働く企業が社会に貢献していることは大切だと思いますか?

とてもそう思う(61%)

まあまあそう思う(33%)

大切だとは思わない(6%)

 

 

⭕️理想の職場を一言で表現すると何ですか?

クリエイティブ

挑戦しがいがある

楽しい

グローバル

ダイナミック

 

 

⭕️職場にはどんなことを望みますか?

 

求められる成果を明確にしてほしい。そのその範囲の中で、新しいことを試したり、新しいことを学べる自主性を尊重して欲しい。24歳、ブラジル

 

僕にとって大切なことは、常に成長できる機会や環境、自分が関わっていることが社会にインパクトをもたらしていると感じられること。22歳、インド

 

働く人が会社との関係性が双方向であることー意思決定により気軽に関われるような仕組みがほしい。

23歳、ロシア

 

youth-speak-forum

⏫ Youth Speak Forum

ミレニアル世代に「やれと言ってるんだからやれ」は通用しません。ミレニアル世代を表面的に従わせることができたとしても、彼ら自身が納得しなければ、彼らの本当の力を引き出すことはできないでしょう。なぜ、それが本人の成長のために大切なのか、自らを高める機会になるのかを理解させる必要があります。

 

また、すでに確率された方法を一方的に伝えるだけではなく、どんな方法があって、何がうまくいって何がうまくいかなかったのか、より良くするにはどうしたらいいのかを考えさせるような導き方が求められるでしょう。そして、ミレニアル世代にとって、一人の人格として対等に尊重されることはとても大切です。

 

 

スイスの名門MBAプログラムIMDの学長を務めるドミニク・テュルパンはこう言います。

 

「リーダーにとってはそれが試練になりえますが、ミレニアルを鼓舞しやる気にできるリーダーとして自らを高める機会に出来るかどうか、リーダーにとっても企業にとっても成長の機会として捉えることが出来るかどうかが問われるでしょう。」

 

日本の若者は文化的にも社会的にもあまり声高にこうしたことは語りませんが、この調査で明らかになったことを同じような傾向があると個人的には感じています。

 

「もっとも働きがいのある会社」にも選ばれたグーグルからなぜマインドフルネスブームが生まれたのか、と言えば、Google初期にアルゴリズムをつくったエンジニアの社員の一人が、「毎日こんなに職場で時間を過ごすんだから、職場での時間はもっと楽しくていいはず」と思ったことがきっかけでした。

 

 

 

人はそもそも「楽しい」と感じる時に一番効率良く学ぶと言われています。

 

同様にリラックスしている時に自然と新しい発想やアイデアが閃きます。

 

子供は周りの子にも自然におもちゃを分けてあげます。

 

もしかしたら、私たちは自然の姿に戻っているのかも知れません。