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震災の時神戸に行って、紛争の南スーダンを経て、23年ぶりに神戸の街を歩いてみて感じたこと
神戸の街を歩きました。
神戸は仕事が目的でしたが、阪神淡路大震災から丸22年経って「日本の目覚め」はどうなったのか?
私たちは何を学んだのか?何が変わったのか?変わらなかったのか、を自分の目で見て感じたいと思ったからでした。
1995年は「ボランティア元年」と呼ばれました。
私も救援物資を集める活動に参加して、1日中鳴りやまない電話の受付けをしたり、神戸へ行って、集まった洗濯機や自転車を配布しました。
ボランティアスタッフの移動と物資の運搬のためにトヨタ自動車が無償で大型バスを提供してくれたり、運輸省(当時)の人も一緒に来てくれたりと、「何か今までとは違うことが起きている」という感覚がはっきりとありました。
1日中鳴り続ける電話をとり続けて、人の中には「自分も役に立ちたい」という気持ちがあるものなんだ、と感じたり、みんなが一つになることによる「人間の底力」も「より大きな力」も感じました。
⬆️三宮駅 神戸市役所すぐ側の慰霊が行われる東遊園公園。
「シンドラーのリスト」など、数々の名作を世に送り出したスティーブン・スピルバーグ監督が「なぜ戦争をテーマとした映画をつくるのでか?」と聞かれて、こう答えています。
「戦争は人間を極限におき、人間の選択を問うからだ」と。
大変な時こそ、人と社会の真価が問われるという面があるのですね。
神戸で読んだ新聞の震災後23年の特集にはこうありました。
「震災がなかったら起業なんて考えなかった。でも一生懸命に生きることが生き残った人の使命だから」
震災がきっかけで奮起された方が人知れずたくさんいらっしゃるのだと思いました。
国や社会全体がどう変わって、変わっていないのかは、改めてもっと詳しく書きたいと思いますが、
「復興」という時、私たちは元と同じように戻ることといった漠然としたイメージを思い浮かべますが、これだけの震災・災害が起きた後で、当然ながら街が単に元どおりに戻るわけではありません。
戦後の経済復興を経て、大きいもの・ハコモノが幅をきかす、それまでの延長ではなく、21世紀に向けて日本はどんな社会をつくりたいのか?どんな価値を新たに生み出し、世界に発信していきたいのか?という私たちの「再生」と「持続可能な社会」のビジョンが求められていたのだと思います。
その宿題は、東日本大震災へ持ち越され、そして少子化、人口減少が急速に進む中で、現在進行形で今でも続いています。
日本人は決められたレールを真面目に懸命に取り組むのは得意ですが、これからは新しい発想や価値を生み出すことにもっと重きをおくことができます。
それから、南スーダンなどにいた体験から感じたのは、それぞれの方の個人レベルでの「傷ついた体験」は23年経ってもまだ癒されていない面が大きいのではないか?ということでした。
南スーダンにしろ、いわゆる「トラウマ」の影響というのは、時間が経てば自然に解消するものではありません。
そうした影響は「世代間トラウマ」と呼ばれ、数十年、大きな戦争になると100年(4世代〜5世代)単位で影響があるとも言われています。
神戸生まれ・神戸育ちで、自らも被災して、避難所暮らしを送ったという友人に区役所や公園を案内してもらいましたが、被災して住宅をなくして以来、大阪や東京へ引っ越して「神戸はこわい」とそれ以来ほとんど戻ってきていない人も実はけっこういるということでした。
東日本大震災のときに始めて、「ああ自分は当時の影響がまだ残っているかもしれない」と気づく人も多かったそうです。
東日本大震災でこそ、心のケアや傾聴ボランティアがより一般的に認知されましたが、1995年当時はPTSDやトラウマケアという言葉もほとんど知られていませんでした。
また、ベトナム戦争やアフガンとイラク帰還兵がごく身近に存在して、PTSDが一般的な社会問題として認識されているアメリカと違い(逆になんでもPTSDというレッテルを張り過ぎる傾向もありますが)、また、日本人の気質からそうしたことを話したり、認めることは「恥」であるという感覚はまだ強いように感じます。
ただ、最近では、トラウマケアは「心の傷」というよりは、全身体的な課題であって、PTG (post-traumatic growth=トラウマ後の成長)という概念があるように、新しい自分に生まる「再統合」の機会としても認識されています。
人間は危機を体験すると、本能的に「闘争/逃走反応」 (fight or flight)として知られる「戦う」、または「逃げる」行動をとります。
戦うことも逃げることもできなかった時には、身体は文字通り身体はフリーズし、竜巻のようなエネルギーが外へ解放されず身体の中に溜まることになります。
そのエネルギーが数週間のうちに解放されるか統合されないと、いわゆる「トラウマ」の状態を引き起こすことになります。
危険を察知し身体全体に信号を送る「扁桃体」は、まだ「非常事態」が続いていると認識するため、「交感神経」が 優位になり、副交感神経系が機能できません。
結果、常に身体に緊張や凝りがあったり、眠りが浅い、リラックスできなかったり、不安や怖れが深い部分で残っていたりします。
鹿などの小動物がライオンやチーターなどの肉食動物に追われてうまく逃げられた時、 追われた動物は、「ぶるっぶるっ」と体を震わせて生体に留まっていたエネルギーや恐怖をふるい落とします。
人間の場合、動物のようにエネルギーの解放ができるわけではないので、人間は身体に残っているトラウマのエネルギーを意識的に外に出す(解放する)必要があります。
南スーダン勤務による二次受傷(PTSD)からの回復した自身の体験を基に、丁寧に向き合います。
どうぞお気軽にご連絡ください。
info(at)peaceblossom.net
2018年はどんな年なのか? 2017年は新しいサイクルの始まり。2018年は🙆🙆🙆の年。
2018年はどんな年なのでしょうか?
2017年は、新しいサイクルの始まりの年で、土台作りの年でした。
2017年は、2+0+1+7=10=1+0=1という、「1」というはじまりの数字に象徴されるスタートの一年でした。
新しい時代を
自分が自分に正直に生きることができるように、
自分で自分の望みを大切にしていなかった部分や
自分の人生を人任せにしてきたところ、
自分じゃ無理、自分じゃできないから、という気持ちで誰かに頼って、自分を優先していなかった部分などが明らかにされました。
自分にとって大切なものは何か、自分はどんな生き方をしたいのか?という自分の発想や理想を広げ、ほんとうに大切なものにたち戻させてくれるエネルギーがありました。
自分にとって理想のライフスタイルとはどんなものか?という自分の価値や優先順位を明確にしてくれる流れがありました。
「働き方改革」と呼ばれ、私たちが気づきを促されていたものの本質は「生き方改革」でした。
私自身、5年ほど住んできたところで駅前の再開発がはじまって、引っ越しをすることになりました。
リビングを何色のカーテンにしたいのか?というところから始まり、自分はどんなところに住みたいのか?どんなライフスタイルを送りたいのか?、と石垣島多拠点生活も視野に入れながら、一から自分の理想のライフスタイルを改めて考える機会になりました。
「理想のライフスタイル」といってもフワフワしたものではなく、
自分が導かれていることに対して「覚悟」が求められる機会だった、という方が真実に近いですが、引っ越しが「断捨離」とはほんとうのことで、引っ越しも落ち着き、多摩川沿いの澄んだ空気に引っ越しの恩恵を感じながら、12月からは気分すっきり新たな気分でいました。
さて、2018年は、具現化の年です。
占星術や星回りで言われているように、2018年は、2017年に築いた土台に建物を建てていく建設、実現、クリエーションの年です。
http://foreverconscious.com/astrology-forecast-2018
具現化といってもこれまでの延長ではなく、自分にとって大切なものを創造、築いていくというニュアンスです。
これまでの流れの中で、自分の中で明らかになったことを、着実に実行にうつしていく年です。
着実に
着実に
着実に
実行していく年です。
私自身、年明けの満月と共に去年とエネルギーの違いをヒシヒシを感じていました。
2018年もペースの早い年になるでしょう。
だからこそ、自分の中で優先順位をはっきりと持つことが求められます。
2018年は思いたったら早めのアクションがいいでしょう。
同時に、2018年は、日々のタスクを確実にこなしていく「着実性」が大切です。
しっかりとした2018年の目標(自分のフォーカス)を持ち、それを4半期の目標に落とし込み、月の目標と週の計画をたて、日々の優先順位を明確に、日々のタスクを確実にこなしていくことです。
目標やタスクと言っても、世間が言う成功のためでもなく、誰かに押し付けられるものでもなく、自分を無理やり駆り立てるものでもなく、自分が自分にとって大切なことを大切にできるために、優先順位を明確にして、しっかりと地に足をつけて動いていく、というイメージです。
もし、目標や計画、タスクと聞いて「重荷」のように感じる部分があるとしたら、まだ他人の価値観を優先させている部分があるでしょう。
自分にとって大切なことに正直になって、自分が自分の幸せを最優先にすると決めましょう。
そして、 2018年の特徴でもう一つ大切なことは、「何をやるか」よりも「なんのためにやるか」(目的、動機と意図)が大事なことです。
これまでの時代では、一見やっていることは同じに見えて、なんとかごまかせたことでも、これからの時代では「目的・動機の差」が大きな差となって表われてくるように思います。
年末の大手企業の不祥事(データ改ざん等)は、そのようなメンタリティー・体質の限界を示してくれたと思います。
そして、組織の理念やトップの意識レベルが一人一人の仕事の充実度にもますます直接的に関係してくるでしょう。
2018年も密度の濃い年になるでしょう。
周りに流されないで、充実した年にするためには、自分の目標(自分のフォーカス)をしっかりと持つことが大切です。
もしまだでしたら、2018年の目標を文字にして手帳に写し、月や週の実行プランや優先順位を日々書き出していくことをお勧めします。
2018年、自分の目的をしっかりと据えて一歩一歩着実に進んでいきましょう。
関連記事➡️
2018年は動く(うごく)年!2018年にやるべきことがわかる13の質問
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疲れやすい、人混みが苦手、相手に合わせてしまう人が共感能力を開花させるために学ぶこと
共感能力が高い人がいます。わたし自身もそのタイプに当てはまります。
人混みが苦手、疲れやすい、相手に合わせてしまう、という悩みもあります。
ただ、他人の感情を自分のものと感じる位に相手を受け止められることは、文字通り天から与えられた「天賦の才能」とも言えます。
職業はなんであれ、また本人の自覚がなくても、カウンセラー的な役割を発揮していることも多いようです。
同時に、その資質が才能として活かされるには、いくつかの学びがあるようにも思います。
必要な時にはNOを言えること
他人との健全な境界線(boundary)を持つこと、
他人ではなく自分を最優先にすること、
他人の評価でなく自分で「自分はこれでいい」と思えること、
必要とされるニーズを手放すこと
他人によらない自己価値を持つこと、
などです。
また、共感能力や感受性、情緒的エネルギーを「表現」のエネルギーとして活かすこともできます。
「共感能力」は、「感じとる力」をベースとして「エネルギーを伝達できる能力」としても発揮されるので、スピーチや文章を書くなどなんらかの表現をする人にとって大きな力になります。
その人が感動したことについて伝えようと思うと、その感動のエネルギーが文章なりを通じて相手に伝達されるからです。
そういうタイプの人たちの、自分の中から「湧きでるもの」を表現する意欲はもともと強いので、それが助けとなり、それがどんな分野であっても、自分の表現や作品は自然と高い水準に達していきます。
共感能力や感受性が「表現」として開花すると、
カウンセラーやコーチといった感情を直接的に扱う職種はもちろん、
人に教えること、講師、執筆、ダンス、デザイン、演劇、絵を描く、歌を歌う、音楽、イラスト、建築、彫刻、織物、アスリートなどとして活かすことができます。
関連記事➡️ https://chikaonaka.com/2016/12/14/2017年から始まる新しい時代に「感受性」を強みを/
ぜひ、その能力を才能として開花させていただきたいと思います!
私って考えすぎ?と思う人、パワハラにあっている人、人間関係で悩んでいる人へ ー絵本こそ人間と感情についての学びの宝庫
今日は、私ってちょっと考えすぎなタイプかなと思う方、パワハラにあっている人、人生このままでいいんだろうか?という問いがよぎり始めた方にオススメしたいことがあります。
「絵本を読むこと」です。
この数日、姪っ子と一図書館へ行って一緒に絵本を読む機会があったのですが、絵本には、人間社会の普遍的なテーマを物語形式で伝えてくれ、かつ、疑似体験させてくれる本質的な力があることを実感しました。
絵本というとかわいい絵があってハッピーエンドで終わるものというイメージを持つ人がいるかも知れませんが、実はけっこう残虐だったり、人が死んだりと「喜怒哀楽」と「ストーリー性」がはっきりしているものが多くあります。
一見子供向きの形をとりながら、大人向けの聞き心地のいいことだけが書かれた本よりも、むしろ絵本の方が、人間社会のより本質的なテーマをまっ正面から教えてくれます。
善と悪、共生と対立、生と死、生きる意味、勇気、幸福、人間愛などです。
例えば、絵本の中でも有名なものに、「スーホの白い馬」があります。教科書にも載せられていますし、皇室の美智子さまも好きな絵本として挙げられています。
ただ、内容としては、ハッピーエンドどころか、権力者の不条理な対応に打ちのめされる羊飼いの悲しいせつないストーリーです。
設定は、モンゴルの草原で馬を育てる羊飼いですが、
そこには、「人間」と「権力」という普遍的なテーマが描かれています。
そもそも、人間が生きるところには、部族の集まりがあって、部族長だのなんらかの「制度」が生まれた。部族の知恵が伝承される集団もあれば、王政をつくった社会もあり。。。
圧倒的な力の差が存在する時、人はどうするのか?
人は「性善説」か「性悪説」か?
そもそも私たちが生きる社会には、わからないこと、不条理なこと、人間の弱さゆえに、善と悪の視点だけでは片付けることのできない問題がたくさんあります。
人間は弱く、どんな時代にも大人社会での「いじめ」もなんらかの形で存在しました。
人生で起きることも体験することも決していいことばかりではありません。
怒り、嫉妬、もどかしさ、悔しさ、無念さ、理不尽さ、などなど。。。
だからこそ、読み手は主人公とともに、さまざまな「喜怒哀楽」を感じながら、それを自分自身に投影させて、それを乗り越える快感を体験していくことができるのです。
時に、悲しいお話しに涙したり、時に怒ったり、不条理な出来事にやりきれない思いを感じたり、そんな自分の内面が揺れ動くことや「感情」というものを知りながら、かつ上手に好きあう術を学んでいくのです。時には自分の中の感情そのもののが「浄化」されることもあるでしょう。
本を読むことは、「実生活の『シミュレーション』である」、と言っているのは、子供の能力を伸ばす学習で有名な高濱正伸さんです。
私自身も数年前に「スーホの白い馬」を読んだ時には、涙がポロポロと溢れ出てきてびっくりしました。
この本を読んで泣いてしまう人はけっこう多いようです。
会社や組織での「理不尽な」対応ややり方がいいとは言いません。
ただ、絵本を読んでいると、人間の社会に「理不尽さ」はつきもの、とさえ感じられてくるのです。
昨日からお休みという方も多いかも知れません。
お休みでない方も組織で働く方ならのんびりモードな時期ですよね。
そんな時間がある時だからこそ、ぜひこの夏休みには、少し視点を広げて、ぜひ絵本に浸る時間を自分に贈ってあげてください。
オリンピックか予選敗退か?ー「力を弱める考え方」と 「力を強める考え方」
昨日は、「水の怪物」と呼ばれ金メダル23個という神業 (?!)を成し遂げたアメリカのフェルペス選手が、北京とロンドンオリンピックで圧勝した後に目標を失い、一時期は自殺も考えた時期から、どうやってその「逆境」を乗り越えることができたのかという彼のストーリーを紹介しました。
記事はこちら⇨フェルペス選手はどうやって逆境を乗り越えることができたのか?
高校野球を見ていても、一回戦で圧倒的な勝利を収めたチームが二回戦では気持ちが緩んだのか、同じチームとは思えない位ぼろ負けをすることがあります。
最初は、純粋に上手くなりたいと思い、練習し、挑戦することを楽しんでいた選手たちが、予選で上手くいったり、新記録を作ったりすると、期待に応えないといけないプレッシャー、または、プライドや誰かを打ち負かしたいなどの気持ちがむくむくと沸き起こってきて、彼らの調子を狂わせる。。。
スポーツではそんな様子をとても分かりやすく目の当たりにします。
では、そんな時に「人の力を弱める考え方」、または「人の力を強める考え方」とはどういうものなのでしょうか?
デンマーク王室から称号を授与されたデービッド・ホーキンス博士は、著書『パワーかフォースか』の中で、キネシオロジー(筋肉反射を利用したテスト)を使って、どんな考え方(意識のレベル)が私たちに力となるのか、をスポーツや芸術、政治などいろいろな分野で実験し、その結果を紹介してくれています。
例えば、実力のある選手に、相手を打ち負かすことや有名になること、たくさんのお金を稼ぐという願望を頭に思い描いてもらうと、その鍛えられた筋肉は、私たちが軽く押すだけでも下がってしまう位弱い反応をする、そうです。
では、「一番になること」はどうでしょうか?
「一番になること」という目標も弱い反応しかくれず、「一番になること」や相手を打ち負かすことは、ある時期には力になるようにな見えるものの、本当の力にはならず、必ず限界を迎えるそうです。
ゴルフチャンピオンのタイガーウッズは、対戦相手がパッドを打つ時にでも、「このボールが入りますように」と心の中で祈っている、と言われています。
彼は、自分自身のために、そういう意識のあり方の方が効果的だということを体験しているのでしょう。
では、逆に、力を与えてくれる考え方とはどういうものでしょうか?
愛する人に捧げること
自分が出来る限りのベストを尽くすこと
最高の努力をできる機会を持てることを喜ぶこと
チームを勝たせること
周りの人たちに希望や勇気を与えるため
等、だそうです。
今朝方、接戦の上で銅メダルを勝ち取った卓球女子チームは、まさに自分よりも「チームを勝たせる」というあり方が力になっていたように見えました。
オリンピックの決勝レベルになると、身体の大きさが圧倒的に有利になる一部の競技を除いて、身体能力の「差」はごく僅かで、身体能力や技術がある段階に達成すると、その先の能力を決めるのは「意識のレベル」だと言われています。
深海ダイバーとして世界一の記録を持ち、映画『グランブルー』で映画化されているフランス人のジャック・マイヨールという人がいますが、彼が潜っている時の意識というのは、瞑想をしている時と同じような意識の状態だそうです。
その瞑想のような意識の状態の中で、生理的な「変性状態」が起き、肉体の通常の限界を越えることが可能になる。。。
マイヨールの友人も彼と同じ深さに挑戦しますが、肉体の限界を超えるのに必要な意識のレベルに達していなかったために死んでしまいます。
マイヨールにとって、潜ることは、
個人的な記録への挑戦から、人類にとっての「未知の世界への挑戦」となり、
その目的は、「人間の潜在能力や偉大さを示すこと」になる。
ホーキンス博士は言います。
究極的に力をくれる考え方とは、
『自分の力は人間の能力を表す人類すべてのものである』というもの。
ちなみに、彼の映画を観ると、観る人は彼が潜水中に体験しているのと同じような変性状態になり、至福の状態で映画館を出てくるのだそうです。
武道の世界では、「動機」と「原理」が究極的に重要である、と言われています。
そういう意味では、私たちがスポーツ選手のプレーに感動し、讃えるのは、こうしたより高い原理に自らを捧げ、弱気になる自分も含め、個人的な欲望やエゴに打ち勝ったことを、彼らの内に直感的に感じ取るからなのかも知れませんね。
ビバ! Human Being!!!😊
金と銀の差を分けるものーフェルペス選手はどうやって逆境を乗り越えることができたのか?
連日リオデジャネイロ・オリンピックの接戦が繰り広げられていますね。
その中で、「水の怪物」と呼ばれているアメリカのフェルペス選手が、北京とロンドンオリンピックで圧勝した後に目標を失い、アルコール依存になったり、一時期は自殺を考えた時期から、どうやってその逆境を乗り越えることができたのかに興味をそそられました。
実際に彼は、北京オリンピックと、ロンドンオリンピックが終わった時点で、それぞれこう言ってます。
「北京のような練習をもう一度するなんて冗談じゃない。もう目標を達成したから、やるべき事なんてない。世の中にはもっと楽しいことがある。自分探しをしたい。」
2年ほど経ってから、ロンドン五輪を目指して再びプールに戻ってきたものの、目標は明確ではなく、練習への遅刻、無断欠席が続いたそうです。
「何もかもどうでも良かった」
「30歳になったら泳ぐのを絶対にやめるんだと自分に言い聞かせてきた。30歳の人を悪く言うわけではないけれど、それを自分にずっと言い聞かせてきた。あと3年後には30歳になる。だから、今後3年間を泳いでいきたいとは思わない。」とも言っています。
私たちがテレビで目にするのは華やかな舞台ですが、その影にはものすごい練習量があって、自分を支える新しい「目的」や「意味」を探しているようなニュアンスも伝わります。
そんな彼が、いったん目標を失った後、再び泳ぎ始めるきっかけとなったのは何だったのでしょうか?
フェルペス選手は、7歳の時に父親が家を出て行ってから、母子家庭で育ち、1つのことに集中できず、色々なものに注意がいってしまって落ち着きがないことからADHDと診断され、これを克服するために水泳を始めたと言われています。
そして、彼の才能を見抜いてくれたバウマンコーチとの運命的な出会いを経て、北京とロンドンで18個ものメダル獲得する偉業を達成。
ロンドンオリンピックの後には、バウマンコーチに「最高の水泳選手になることができたのは、ここまであなたと一緒にやってこれたからです。」と感謝の言葉を伝えます。
メディアにも「彼がしてくれたことがなければ、今僕はこの場になっていないでしょう。この15年間、クズみたいな僕にずっと我慢して面倒を見てくれた彼に心の底から感謝しているし、愛しています。文字とおり、感謝してもし尽くせません」と語っています。
そんな彼ですが、ロンドンオリンピック後、アルコールとカジノに溺れ始めます。
「家族は母と姉2人で男は僕1人。北京、ロンドンというような節目に、これからどう生きていったらいいんだろう。そう思っても導いてくれる父親がいなかった。辛かった。」
家族の誇りであり続けなければならないプレッシャー。
相談する相手もいない。
またお金目当てで近づいてくる人たちにも疲れて、アルコール依存に陥った、と言われています。
(http://number.bunshun.jp/articles/-/826266より)
一時期は自殺を考えるほどになります。
日本ではあまり報道されていませんが、彼は米国のメディアで当時の心境を赤裸々に語っています。
“I was a train wreck. I was like a time bomb, waiting to go off. I had no self-esteem, no self worth. There were times where I didn’t want to be here. It was not good. I felt lost,” Phelps revealed.
「一時期は、自分がこの世の中からいなくなったらいいのに、とさえ思った。まったく自信をなくし、自分に価値があるとも思えなかった。」
そして、一週間ほぼ何も食べず、ほとんど眠らず、自殺することを考える。。。
そんな時期、フェルペス選手の長年の友人で、NFLで活躍するレイルイス選手が、フェルペス選手にアルコールを断ち切るためのリハビリ施設に入ることを勧め、ある一冊の本を彼に手渡します。
その本とは、アメリカで発売後1年で1000万部を越え、現在では3000万部を超えるRick Warren著の、The Purpose Driven Life (邦題: 人生を導く5つの目的―自分らしく生きるための40章)でした。
そして、フェルペス選手は、その二日後にリハビリ施設からルイス選手に電話をします。
“Man this book is crazy! The thing that’s going on…oh my gosh…my brain, I can’t thank you freaking enough, man. You saved my life,” Phelps told Lewis with excitement.
「この本はクレイジーだ!オーマイガッシュ。。。信じられない。君にはお礼を言っても言いきれない。君に救われたよ。」
別のインタビューでは、さらにこう答えています。
In a recent interview with ESPN Magazine, Phelps explained that the book “turned me into believing there is a power greater than myself and there is a purpose for me on this planet.”
「自分の力よりも大きな力が存在するってことを信じるようになったんだ。そして、この地球に生まれた目的があるってことを。」
そして、彼はさらに、母親が離婚して以来ほとんど会ったことのなかった父親に会いに行くことを決めます。
“I didn’t want to have that ‘what if.’ I didn’t want to go through life without having the chance to share emotions I wanted to share with him. That’s what I missed as a kid,” Phelps said.
「僕の気持ちを伝える機会を一生逃したくないと思ったんだ。僕は子どもの頃から自分の父親に自分の気持ちや感情をシェアしたいってずっと思っていたから。」
そして、その3ヶ月後、彼は、長年のガールフレンドだったニコールにプロポーズをして籍を入れます。
そして、すぐに子どもに恵まれます。(ちなみに、子どもの名前のミドルネームにはコーチへの尊敬の念を示して、コーチの名前をつけています。)
愛する家族に自分のプレーを見せること、が彼の新しい原動力になり、3連覇、金メダル23個、という今回の「偉業」につながったのです。
陸上やラグビ一など体が大きい方が圧倒的に有利な競技はありますが、オリンピックの決勝レベルになると、身体能力の差はごく僅かだと言われています。
高校野球を見ていても、一回戦で圧倒的な勝利を収めたチームが二回戦では気持ちが緩んだのか、同じチームとは思えない位ぼろ負けをすることがあります。
そんな時に人に「力」をくれる「考え方」とはどういうものなのでしょうか?
もし、身体能力にはそれほどまでの「差」がないのだとしたら、最終的に金メダルと銀メダルの「差」を決めるものは何なのでしょうか?
続く